久米島の旅(第1回)

次に目が覚めたのは6時半過ぎ。途中目は覚めたが,8時間も旅先で寝るというのはめったにない。次の日の日程がゆったりしていると,それだけ心身がリラックスできるということか。外は,雨はもう止んでいて曇り空の隙間からちらほら青空が見えるが,晴れると決まったわけではないから油断は禁物だ。空気はあいかわらずモワッとしている。

さて,今日の日程。今回の旅行のメインだとか天気が悪いと困るとか言っていたが,何をするのかというと,久米島の沖にある「はての浜」に行くのだ。
写真で見る限りでは,周囲を海に囲まれた砂浜しかない島。ここのホテルではオプションで「はての浜ツアー」なるものをやっているのだ(多分,他のホテルでもやっているだろう)。時間は9時50分〜12時半までで3675円。ここにランチが付くと13時半までで4725円。この時間では,羽田からの乗り継ぎでは当然間に合わないし,那覇泊にしても朝早い飛行機でないといけない。なので久米島泊を選択したというのが,「今日の日程にひっぱられた」という意味である。
うーん,実に意味のない“もったいぶり”である……で,ランチの有無については,どうせ弁当だろうし,中身はたかが知れているし,また前回述べたような考えがあるので,昼飯はできれば地元の食堂で食べたい。よってランチなしの前者を選択した。
朝7時。夕飯を食べた「セリナ」にて朝食バイキングの時間だ…といっても9時半までは開いているのだが,早目に済まそうと思って向かうと,再び12時間前に見たのと同じ光景。しかも,もっと混雑していて,15分で8割方どころか満席になってしまった。外のテラスでも食事はできるが,中には引き返す客もいる。嗚呼,恐ろしや観光客の心理。
しかし,よく見てみると中年以上の客が多い。彼らは日ごろ実直に会社勤めをしているときの行動パターンに沿って,このホテルでも夜健康的に睡眠し,見事朝7時に「セリナ」に着くように体内時計がセットされているのだろう。沖縄くんだりまで来て規則的な時間を過ごすとは,リゾート=のんびりダラダラするという感覚はないのだろうか。無論,人のことを言えないのは承知の意見なのだが。
そして,肝心のバイキング――ごくありがちな和食と洋食の2パターン。あえて何が出たか列挙するのは避けるが,出た中で一つ,初体験の沖縄料理だったのが「麩チャンプルー」。たまたまこのレストランのがそうなのかもしれないが,クセになる食感だった。早い話,野菜炒めに卵がからんで,そこに肉が入るところ,水で戻した麩が入ったものだが,一瞬麩を見て豚肉かと勘違いするほど,肉と酷似した見栄えだ。しかも,私がアホなだけだったのかもしれないが,何度も肉と錯覚してしまうくらいだ。それでいて口に入れると,あのフワーンとした食感で味もしっかり染みて――決して高級な食事や食材ではないと思うが,この出会いだけは「セリナ」で食事をした唯一のメリットだったと思う。

(4)いざ,はての浜へ
@いざ,はての浜
さっきから気になっていた空は,ツアー出発前までに,見事に晴れ上がった。昨晩の「午前中雨」の予報はどこへやら,しっかり陽射しが降り注いでいる。この夏に天気予報が当たらずにヒンシュク者の気象予報士だが,今日だけは感謝してあげよう。“うらみ雨”には今回もならずに済んだ。
9時50分,フロント前は長蛇の列ができていた。皆,はての浜に向かう連中だ。で,格好はというと,ティーシャツに短パンにビーサン。水着を中に着ている人間もいる。実は,前日にツアー申し込みをする「スポーツデスク」で,申し込みの際もらった紙に書かれていたのだが,はての浜に上陸するときに濡れるため,ビーサンが望ましいそうだ。また,タオルも用意したほうがいいそう。それに加えて昨日からの雨があったので,下に敷くものがあったほうがいいとも思っていた。
しかし,ビーサンはマリンショップで見てみると1000円もする。たかが1時間程度のために買うのももったいない。よって,靴は履いてきたウォーキングシューズのまま。ちなみに,前回9月の沖縄旅行の那覇行きの機内でのこと。ビンゴが催され,見事景品をゲットしたのだが,それが何とJALのビーサン(!)。この時はもったいなくも荷物になると思い,泊まった宿に放置してきてしまったのだが,これが今回だったら……まあ,そこまで世の中はうまく行かないものなのだろう。
そして下に敷くものについても,当然家からは持ってきていないから現地調達となるのだが,素直に840円のビニールシートを買う気になれず,84円の小さい荷物用に買った青ビニールの袋を解体して広げて使おうとか昨日のうちは思っていた。しかし天気が天気ゆえ,雨だったら買うつもりだったが,ピーカンなので一安心。もし必要になったらば,ニッポンレンタカーからもらった地図の紙質が厚手なので,これを代わりに敷けばいい。あと,タオルはハンカチで何とか間に合わせる。
――いずれにせよ,ケチりにケチりまくった末に,必要最低限かあるいはそれ以下の装備しかせず,早い話,来たときの格好のままでいざ臨むことにしたわけだ。ツアー用に持ったものといえば,はての浜には仮設のトイレしか施設がないというので,喉が乾いたとき用に昨日買っておいた「球美の水」と,いらないと思うが,84円の青ビニールと折り畳み傘を持っておく。
送迎のマイクロバスが10分ほど遅れてホテルを出発したときは,総勢50〜60人ほどになっていただろうか。マイクロバスの中は,補助席まで完全に埋まって賑やかになった。

数分で泊(とまり)港に着く。奥武島への橋の手前にある港には,船が何隻も停泊している。屋根や客室のある船もあるのでそれに乗るのかと思ったら,我々が乗るのは屋根も何もないマリンボート。縁に沿うように20〜30人ほどがベタ座りをして出発だ。
船は港を出ると,一気にスピードを上げる。少し出発が遅れているのもあろう。波は,天気予報でも波浪注意報が出ていたが,なるほど昨日の雨の影響が残っているようでやや高く,まともに外にいることもあって揺れをモロに感じる。そして水しぶきが次から次へと降りかかってくる。顔面で受けるのはイヤなので,内側に向いて座っているのだが,何度となく背中が冷たく感じる。なるほど,まずタオルが必要な意味がよく分かった。濡れたくなければタオルで覆え,濡れたらタオルで拭けという当たり前のことだったのだ。真水とは違うから,時間が経つにつれて服はまとわりつき,ハンカチはガサガサになり,皮膚はヒリヒリしてくるからだ。
ふと周囲を見ると,小さいガキは完全に寝に入っている。隣にいる小学校低学年くらいのガキは水飛沫がうれしいようで,「アンコール」とひたすら呪文を唱える。右隣の老夫婦は「近くを見ると気持ち悪くなる」と話していれば,対面の親子連れのお母さんは吐くまでは至らないまでも,やや船酔い気味のようだ。往路は40分かかるそうだが,早くも明暗が分かれ出した。
そして,呪文を唱えるガキの隣にいる若い女性2人は,相次いでサンオイルを塗りだした。私はこれでも日焼けには強いほうだが,座席と屋根がある船を想像していて,海水を浴びる計算までしていなかった。なので念のためホテルに帰ったら,ホンネならシャワーを浴びたいくらいだが,そこまでの時間はさすがにないだろうから,せめて“真水に触れる”ことはしておきたい。
15分ほどすると,スピードが緩む。左を見ると,ちょうど昨日行った奥武島の先端あたりに来たようだ。そしてスピードを上げていたときには見えなかった下は,遠浅のエメラルドグリーンの海だ。ツアー会社のサービスに,皆が一斉に顔を下に向け出す。11月に入ったというのに夏のような太陽に照らされキラキラと光っている。「遠浅の海」という文言を何度となく使ってきた私だが,間近にそれを見るのは,実は今回が初めてである。底の茶色っぽい影がホントに近くに見える。これが「遠浅」ということか――あらためて新鮮な感動を覚える。
やがて,進行方向に砂漠のような盛り上がりが見えてきた。あれが「はての浜」だろう。ポツンポツンと立ち尽くすように三つ立っている細長い影は多分仮設トイレだろうか。それとやぐらみたいな建物も見える。船が数隻泊まっているから間違いあるまい。

A太陽の下,ひとりきり
10時50分,ゆっくりと船ははての浜に到着する。人もすでに十数人はいて,それぞれ海水浴等に興じているようだ。あるいは個人で来ている人もいるのだろうか。
さて,ここで思わぬ問題。浜へは船から短い金はしごを伝って入ることになるのだが,わずか数mながら一度海の中に足を浸かっていかなければならないのだ。波はまったくないのだが,先に下りる人の足元を見てみると,水位は足首くらいまではありそうだ。となれば,ウォーキングシューズのままでは,完全に足元は水浸しとなってしまう。
ということで,やむなく靴下と靴を脱いで,裸足と相成った。そしてビーサンの高度な必要性と,84円ぱっかの青ビニール袋が,靴袋として図らずも役立つことがここに証明された。ちなみにツアコンをしている若い男性は,私の前に下りたポシェット程度の荷物の少ない女性――私よりも年上だろう――には「荷物をお持ちましょうか」なんて声をかけたが,肩からそれなりのバッグを下げて“靴袋”を片手に持って,やっとこさはしごを下りる私には,何の声もかけてくれなかった。彼にとって私の存在は,どうにも値しない「ダメ人間」なのだろうか。水の中に足をついて一瞬よろけたが,これで見事ズッコケて全身びしょ濡れになっていたなら,私は誰を恨んでも恨みきれなかったかもしれない。
先ほど,間近で沖縄の遠浅の海を見たのは初めてと書いたが,当然ながら浸かるのも初めてだ。いや,遠浅云々以前に,海に素足を浸けること自体が8年ぶりとかではなかったか。8年前の夏,湘南は江ノ島で,夜の花火大会の場所取りを兼ねて朝から海水浴に興じたとき以来だろう。もちろん,本来の考えではこうなることは予想していなかったわけだが,「災い転じて福となる」は大げさまでも,いい意味での予想外の出来事にちょっぴり感動する。冷たいのは冷たいが,陽射しが強い分心地よい。
砂浜に上がると,船着場に12時集合の旨,さっきの若い男性に告げられると一時解散。広い砂浜のあちこちに散らばっていく。子どもなんぞは早速水着になったり,老夫婦は近場をウロウロして散歩に興ずるなど始めた。ちなみに,さっきのやぐらみたいなのは仮設の受付で,弁当はそこに取りに行くようだ。縦横に木が組んである骨組だけのものだが,雨が降ったときは横に組んだ木にシートでもひっかけて雨宿りをするのだろう。もちろん,横から雨が来ればびしょ濡れ確実だろうが。

はての浜は,南北にブーメランの形をしている。見渡す限り,砂浜だけでほぼ水平な島である。よほど受付のやぐらと仮設トイレが邪魔なくらいだ。ちなみに,携帯を見てみると“3本柱”。空は雲一つない快晴だが,風がやや強い。そして「これでもか!」と言わんばかりの陽射し。本土の数倍だなんてどっかで見たけれど,それぐらいありそうなのを肌で感じる。久米島方面を見るとでっかい雲がかかっているが,雨雲ではない。“うらみの雨”なんて,いつの話だったのだろうか。
上陸時間は1時間強だが,海水浴をやるわけではない。ボーッとするには適当な時間だ。実はバカバカしくも,この何もない島で,例えばノートパソコンを持ち込んでこの駄文を書いてみようとか,担当しているお堅い本の原稿を素読みするとか,あえてやったら面白そうだなんて考えていたのだが,いまの私は裸足かつ荷物持ちだ。そんなもの持ち込まずに正解だ。
となると,じっとしていられない性格ゆえ,何だか探検したい気分になってしまった。南北だとかなり時間がかかりそうだが,東西だったら,反対側の海までさして距離がなさそうなので,反対側に行ってみる。人間はこっち側の,船着場より南のエリアに集中しているが,反対側にはほとんどいない。天邪鬼な私としては,うってつけのコースだろう。
砂浜は,思いのほかチクチクする。試しにすくいあげてみると,白砂に加えてサンゴや貝殻の細かく砕けたのが混じり合っている。しかし残念ながら,西表島みたいに「☆」の形にはなっていない(「沖縄標準旅」第9回参照)。本来ならここで靴を履きたいが,さきほどの経緯で濡れているし,またどっちみち脱がなくてはならない。なので,チクチクに耐えながら東に進む。
途中,海上から立ち尽くしているように見えた仮設トイレの前を通過する。トタンや木で四角く囲っただけの粗末なもの。そして,二つが隣接しているが,うち一つは反対岸側がまる見えである。そこにはさすがに何も残っていなかったが,もう一つのほうは,いわゆる“肥溜め”がある。工事現場にあるああいうのは,ここの島には到底似合わないし,持ち込むだけで一大事だ。最悪,何かあっても自然に返せる。こんな程度でいいのだろう。
10分ほど歩いたか,対岸が見えてくる。所々が岩場になっていて,波が次から次へと打ち寄せてくる。上空から見るとよく分かるが,ここに限らず久米島はサンゴの隆起したヤツ,いわゆる「リーフ」に囲まれており,それが「自然の防波堤」となっている。なので,久米島の海岸は波が少し穏やかになる。そして,言ってみれば我々はいま,その防波堤の一部分の上にいるのだ。何だか不思議な気分である。

と,対岸から10m手前でガイコツを発見。体長は80〜100cmほどで,1〜2歳の幼児と思われる。周囲にはロープが張られて,それを押さえていたと思われる貝殻が丸く並んで置かれている……と書いてみたが,もちろんホンモノではない。
これ,すべてサンゴや貝を並べて人骨のように仕上げたものだ。アバラにはタバコ大のものが数本整列しており,腰骨と頭にはおあつらえむきの貝殻が置かれている。でもって,頭には目・鼻・口のあたりに小さめの貝。まったく,いつ誰がこんなのを作ったのか分からないし,イタズラっちゃイタズラだが,なかなかいい出来だし,これだけの材料を集めてきた労力と,それができるだけの心の余裕に思わず感心してしまう。
多分,今日の上陸時間の間,こいつを発見できる人間は私以外にいないだろう。皆,対岸の穏やかな船着場付近で海水浴に興じているだけだ。そして,次の人間がこの辺りに来たころには,どこかに流されている可能性もある。「一期一会」という言葉はあまり適さないだろうが,インパクト間違いなし。デジカメがあればぜひ収めたいだろう。
さあ,後は来たルート…があるのかどうかは分からないが,対岸に戻るのみだ。再びチクチクと格闘している途中,ヒトデみたいな形の自然の流木に,緑色のネットを張ったものを発見するが,何のためのものだろうか。オブジェのようにも実用的なものにも見えたが謎である。上述のガイコツといい,こういう訳の分からないやつがあるのが,何ともはての浜を「はての浜足り得ている」と言っていいだろう。
船着場には11時40分に到着。あと20分はこの付近でウダウダするのみである。周囲はあいかわらず海水浴タイムなり散策タイムである。気温は多分30℃まで行っているだろうし,陽射しは言うまでもない状況だから,これほど海水浴に適したタイミングはないだろう。そんな場所に,フツーの格好をしてカバンに靴袋を持ち,しかもひとりきり……そりゃあ,ツアコンの男性も呆れるわな。普通,1人の人間なんてちらほらいるものだが,私以外はすべて2人以上。ホント,1人なのは私だけだ。
でもって,海水と戯れてみるが,結構時間が経ったと思って時計を見ても,5分も経っていない。たまに持ってきた「球美の水」を口に含むが,すでに泊まった室内の冷蔵庫から取り出して2時間は経っている。ミネラルがたっぷりだの,深さ612mのところから取っただの,189円もするだの,そんなの意味をなさないくらい,ぬるいただの水。やっぱり最後は不毛な時間が待っていた。
やがて12時。戻る時間と相成る。裸足で船に乗り込むが,足の甲くらいだった水位が,1時間でスネまで来ている。潮が満ちてきているのだ。ここで戻る人間はごくわずかと思っていたら,船の中は往路と同じメンバーだ。考えてみると,ホテルですでにコース別に分けられていたのだから当たり前だが,皆,私と同じ,「1時間とりあえずいた」ということで満足なのだろう。

船が出る。ふと周囲を見ると,水着を着たままの人間が数人いる。中には子どもが水着を着たままという親子連れもいる。1時間だけはての浜で海水浴をして帰らせるなんて,「あと1時間だけ」ができなかったのか。あるいは,よっぽど久米島の海岸で1日フルに遊ばせてやれよと思ってしまう。もっとも,前日そうしているのかもしれないし,そもそも,何度も言うように人のことをとやかく言う立場にはないのだが,子どもが飽きたというのならまだしも大人の都合だったら,そんな余裕のない旅をさせられた子どもがちょっと可哀想な気もする。
さて,復路は波の進む方向と同じになるから大してしぶきがかからないと思っていたら,大間違いだった。スピードを往路以上に出すし,かつ減速はしない。そして進行方向左側=外洋側に座ってしまったために,何かの拍子に波しぶきをモロに浴びる。それも一度でなく数度も。そして,後ろには私の陰に隠れるように,ガキが爆睡している。さながら,私は彼の母親によって“波よけ”にされてしまったようだ。往路以上にタオルの必要性を痛感しつつ,30分弱で泊港に到着する。
ホテルへの送迎バスを待っていると,隣にいた同年代くらいの男性2人がこんな内容の会話をしていた。何でも,往路の途中で船が減速したのだが,遠浅の海を見せるサービスだと思っていたら,単に船が故障したためらしい。そもそも往復乗ってきた船の調子があまりよくなかったのは承知で,他の船にするつもりだったのだが,あいにく間に合わず,いわば“賭け”の形での出航となったのだ。そんな会話をツアー会社の人間がしていたらしい。私はド素人なので気づかなかったが,男性2人いわく,海の深さはそれこそ人がもしかしたら立てるかもしれない程度のようで,何でここで減速するのかと思ったようだ。
ま,結果的にはそれにほとんど気づかれることはなかったし,波があったのがかえって都合がよかったのかもしれない。いずれにせよ,ツアー会社としては結果オーライだったのだろう。何よりも,私にとっては確実に結果オーライだったのだから。(第4回につづく)

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