ヨロンパナウル王国の旅(全5回)

朝6時起床。外はわずかに青空ものぞくが,どんよりとした曇り空。昨日と比べるとマシそうだが,飛行機ははたして無事飛んでくれるのだろうか。
7時,朝食を食べるべく,本館に向かう。朝食は本館にある洋食レストラン「ヴィーナス」で取ることになる。天井が高く開放的でテーブルはオール白。こっちも20席はある広さだが,昨日宴会をやっていた輩はさすがに7時には来られなかったのだろうか,ポツポツとしか席が埋まっていかない。
さて,内容はというと,サイドメニューが取り放題で,オムレツ・スパム・鮭の塩焼・鶏肉のごぼう巻き・ポテトサラダという,おそらく“メインディッシュ”が別皿でつくスタイル。前者は大体想像できるメニューなので紹介は避けるが,どうせなら後者も取り放題にしてほしいと思った。何かケチくさい。
リゾート系で言えば,先月行った「ホテル日航久米アイランド」では“麩チャンプルー”という沖縄料理が出た(「久米島の旅」第3回参照)が出た。こういう1品がさりげに入ってくれてうれしかったので,今回も期待したが,それらしいのは残念ながら出てこなかった。
強いてそれらしかったのは,油揚げ・こんにゃく・にら・にんじんに,白滝のようなものが入った炒め物。この白滝があるいはそうめんだったら“そうめんチャンプルー”という沖縄料理なのだろうが,よくは分からない。隣にあったサラダにつけるサウザンドレッシングにからめると,何気に美味かった。大きな窓サッシのある席に座っていたのだが,それ越しに古ぼけた船が1艘。いわゆる“サバニ”であろうか。
朝食後,昨日寄った「Bタイプ」のコテージ辺りを軽く散歩する。暗くてよく見えなかったが,通路には等間隔に「トックリヤシ」という椰子の木が植えられている。見た目は椰子の木だが,幹が徳利のように太ったユニークな形のもの。そういえば,昨日寄った与論民俗村(第1回参照)でもオジイに紹介された。海岸に下りると,あいも変わらず波が高い。その波が寄せる音しか,いまは聞こえない。
散歩を終え,昨日と同じように本館から売店にかけて戻る途中,今度は1匹だけだったが,野良猫と目が合う。そして,かまってほしいとばかりにチョロチョロと周りを動き回るが,こいつは淡泊なヤツなのか,ドアの前まではついてこなかった。ふと見ると,対面のコテージの玄関で,カップルが1匹の野良猫に餌をやっているようだ。こういう輩がいるから野良猫が寄ってくるのだろう。

(5)茶花とギリシャ
@茶花の街へ
9時20分,チェックアウト。本日は13時25分の飛行機で那覇に向かうが,それまでの3時間余り,中心部の茶花を見ることにする。プリシアから茶花までは1km以上。レンタサイクルもよいが,朝食バイキングでの悪い癖で,どうしても食いすぎてしまうので,腹ごなしに歩いていくことにした。決して歩いていけない距離でもないので,ちょうどいいだろう。
道のりは昨日とまったく同じ。とはいえ車だと,まして雨降りだと,いずれも些細なことばかりとはいえ,見落としてしまうものが多い。まず,ゲートを出てすぐ右に与論空港の滑走路が迫る。ホント海岸スレスレまで滑走路が走っており,昨日着陸したときも,随分海岸近くまで迫ったと記憶している。ところどころは敷地が開放…というか,柵とかがなくて,勝手に滑走路に入れそうな感じである。
その先左には,山田屋という商店の海洋深層水工場がある。ここで作られた塩がプリシアの売店と空港売店に売っているそうだが,「ヨロンの塩」とかいうのはたしか見た。それがそうか。工場といっても,失礼ながら6畳程度の公衆トイレみたいな出で立ち。カギかかかって中には入れないが,のぞくと木のやぐらと桶らしきものは見えた。
この辺りは第1回にも紹介したが,畑地が多い。その中にポツンポツンと家が建っているが,その土台をよく見ると,ちょっと高台になっていて,その周囲に琉球石灰岩の石垣がはりめぐらされている。これもまた,歩きやチャリでなければ分からない特徴だ。家々もスラブ住宅建築かトタン屋根。赤瓦の家はまったくと言っていいほどない。
「間もなく,一つ黄色く点滅する信号のある交差点。交差する道が広そうなので,そこを左折して北進,(中略)さとうきび畑の間をくぐりぬけ,高台から下る形となる。数分で海岸沿いの通りにぶつかり,海岸沿いの広い通りと,内陸に入る狭い道の二股に分かれるうち,後者を選択」と,第1回の文章をママ流用し,茶花市街地の南側へ向かう。
途中,Aに○が書かれた煙突のある大きな工場を通過。これは「南島開発与論事業所」。精糖工場のようだ。対面には「南島会館」とあるが,実質物置状態だ。建物の脇にはこの地に大きく貢献した有村治峯(ありむらはるみね。1901〜2001)氏の胸像。氏は有村商事の創設者で,酒類,石油類,米穀の卸売業と,奄美と本土を結ぶ航路を受け持つ会社だ。特に後者の実績で「南海の海運王」とも呼ばれ,ここ与論の出身だという。

10時,茶花のメインストリートに入る。道はギリギリで片道1車線で,時間帯のわりに人も車も多い。そのほとんどが買物のよう。私のような観光客らしき姿はなく,普段着姿の地元民ばかり。半袖ないし長袖シャツ1枚程度の軽装だ。
まず,「ショッピンクプラザ・トップ」という建物。地元のスーパーである。面白そうなので入ってみると,印象に残るのはやはり精肉の豚肉コーナーの大きさだ。もちろん,鶏・牛も食べるのだろうが,豚肉はセンターに置かれており,スペアリブ・豚足・三枚肉・ヒレとポーク缶,保存用の塩漬けまでヴァリエーションがある。魚も鹿児島名物のきびなご,与論産の水イカ,南国の魚・ブダイがあった。
ふと,隣接する個人薬局の外に陳列されているものが目に入る。「SALE」と書かれた紙が貼っているが,例えば5箱入りティッシュ(エルモア)が348円,エリエールのトイレットロール12個入りが550円と,「SALE」らしからぬ高い値段となっている。輸送費でその値段まではね上がってしまうのか。うちの近くのマツモトキヨシやサンドラッグだったら,前者は50円,後者はブランドさえこだわらなければ半額から3分の1近くで買えてしまう。島の人間はどう思っているのだろう。「東京に出たら,島より物価が安かった」なんてオチに遭遇するのだろうか。
その隣には,大きな駐車場を控えた「Aコープ」。この島で一番大きな店舗だ。駐車場には車が次から次へと出入りしているが,皆よく見ると,軽自動車ばかりだ。この島には大型車は実用的ではないのだろう。
中で珍しかったものというと,こっちはウロコが緑に鈍く光ったイラブチャーと赤身がかったアイゴ。いずれも煮付けにするようだ。多分,単品だと淡泊な味がするものなのだろう。その他は,わざわざ地元製品コーナーもあり,塩や黒糖に加えて,もずくそばや味噌も置かれている。あと,「パンパース」や洗剤「ゲイン」などが平台に置かれている。
そして,意外だったのは大量のハロゲンヒーター。朝も暖房がまったくいらないほど温暖で,夜は雨で湿気があったせいか,むしろクーラーがあったほうが都合がいいくらいだった。とはいえ,陳列されている以上はやはりニーズがあるのだろうか。

外に出ると,雨が降り出してきた。傘は家からは持ってきていない。昨日はプリシアの傘を借りたが,今日もというわけにはいかない。ついにというか,105円のレインコートを着ることになる。
目の前のJAの軒下で広げるが,ふと398円の折り畳み傘が目に入る。でも折角だから――マジな話だが,レインコートなんて幼稚園以来のことだと思う。当然だがジャケットの上から着ることになるので,胸ポケに入れたMDのスイッチを押すのが不便で仕方がない。改めて,使い慣れないものに手を出すべきではないとつくづく思う。
次に寄ったのは香文堂書店。島で唯一の本屋だろう。中は田舎の個人書店にありがちな,文房具屋とスペース兼用だ。よく見ると,本のカバーの端っこが破れていたり,古い版のやつは変色していたりするので,一瞬古本屋かと思ってしまったが,雑誌は新しいから普通の本屋である。この程度で島の人間にはいいのだろう。
ここ茶花のメインストリートは,3階程度の商店・飲食店が肩を寄せ合うように建っていて,昔から光景は変わっていないのだろう。店の開店率は50%くらいか。でもって,宿のほとんどはその周囲にまばらに建っており,いずれも古い民宿ばかり。もしかしたら泊まろうかと思っていたビジネスホテルなど,シャッターが半分下りている。結局,一番煌々と明かりがついているのがコンビニだったりする。
さらに,地図で茶花の外れに「南陸運バスターミナル」とあったので行ってみると,民宿の軒下にタクシーが停まっていただけで,ターミナルのタの字もない。レンタサイクルやレンタカーの店も失礼だが粗末なものだ。レンタルビデオ店も,なぜか隣接して2軒あったが,中に陳列されているヤツが想像できそうだ。
私も人のことは言えないが,こういう街の姿を見て歩くために与論を訪れる人間はほとんどいないのだろう。「青い海」「青い空」というキーワードに「おしゃれ」という付加価値をつけて,結局プリシアみたいなところに流れていってしまうからだ。ホントに「島」というものに触れたいならば,おしゃれだのプライバシーだのと格好いいことを言わないで,民宿に泊まって,機会あらばそこの地元民と語らうべきなのだ。
さて,メインストリートをウロウロしているうちに,雨は本降りとなってしまった。それに風も出てきた。その割に傘をさす人は少ないし,ましてレインコートを着ている人間は皆無だ。途中でどっかの家の犬が,怪しい人間に見えたのか,私を見て思いっきり吠えていた。この105円のレインコート,持ってくるときのたたみ方が悪かったのか,風ですそが思いっきりめくれ上がって,そこに雨が吹きこんでくる。つくづく不便なシロモノだ。

A王国とギリシャとコブツイと
引き続き北上すると,左に与論町役場。3階建ての白い建物だが,築30年以上と思われる,ところどころのくすみや汚れは隠せない。そして,その隣に平屋建ての「ヨロン島観光協会」がある。ここにはぜひ寄っておかねばならなかったので入ることにする。中では若い男性が1人で応対している。奥行きがあるが,奥は真っ暗なままだ。
さて,ここに寄りたかった理由はといえば,記念のパスポート(400円)が欲しかったのだ。早速購入すると,青地に「PASSPORT ヨロンPANAURU王国」と書かれたもの。ビザという形で入国・出国印もその場で押してもらう。昨日来て,今日の昼の飛行機で帰ることをそのとき話したら,「それはそれは大変でしたね,この雨ですから」と言われる。ちなみに,これを持っていると,島内の主要店舗での割引が効くようだ。
旅行記のタイトルにもなっているこの“王国”の建立は1983年。一応,こういう王国憲章もある(原文ママ)。
 「私たち王国民は誠の心をもって,自由と平和と平等を願
い国家の繁栄に貢献することを誓います。
1. 王国民は明るい心ではつらつと毎日をすごします。
1. 子どもは王国の未来,お年寄りは王国の宝,サンサンと
 した太陽の下で手を取り合ってすごします。
1. 自然はみんなのもの,みんなの宝,大切にして未来に残
 します。
1. 外国人は王国民の兄だい,家族,ともに肩を組みほがら
 ほがらとすごします。
1. 外国人に王国献奉をさし上げ,うたをうたい舞い踊り,陽
 気に楽しくすごします。」 
上記憲章のうち,「外国人」とはホントの外国人と島の人間以外全般。当然,本土の日本人もこの中に含まれる。また,「王国献奉(けんぽう)」とは与論独特の酒の振舞い方。皆で酒をエンドレスに回し飲みする習慣だ。宮古島にも似たような習慣がある。ただし,物は見様で,前回紹介した「翻弄される歴史」の中では,接待が上手でないと生き残れなかったという現実もあるようだ。
その後,「エーゲ海に浮かぶ白い宝石」と呼ばれるギリシャ・ミコノス島と,観光に依存するなど共通点が多いことから,1984年に姉妹都市となった。「東洋のミコノス」と銘打ち,建物を白のイメージで統一する「ギリシャ村」構想が97年から進められているという。プリシアで多く見たギリシャチックな建築物など,あるいはその一つであろうか。

観光協会から海岸沿いの路地に入って北上し,ウドノス海岸へ。南北に長いビーチだ。足元の砂は雨を含んで重い。雨も不安定に降ったり止んだりする。南のほうを見ると,プリシアからも見えた石油タンクや,港の護岸が見える。逆に向こうからこちらを見ると,白い砂浜しか見えないから,それがまたギリシャチックに見えるのだろう。実際,もっと遠く海側からこの街全体を見た写真があり,そのキャプションに「ミコノス島をほうふつとさせる茶花の市街地」とある。
ビーチを北の端まで歩いて,植物が生い茂る坂を上っていく。すると「与論コーラルホテル」「与論パークホテル」という建物が隣接して建つ。たまたま前者の敷地の中を通ったので,ちらっと正面を見てみたが,何だか国民宿舎っぽかった。無論,ちら見だったので実際は分からないが,これで値段はたしかプリシアより高かったような気が。それを考えると,プリシアにして正解だったかもしれない。
次は「ギリシャ村」に行く。たしかもう少し北にあったような。しかし,進めども見えるのは畑と所々の長屋のみ。途中まで北上して再び南下。途中「汐見荘」という,第1回に出てきた小さい民宿を通過。結局,ホテルよりも南の路地入口に「ギリシャ村」の看板があった。
再び坂を上って1分,白いログハウス風の建物。デッキもあって何となくギリシャチック。しかし,ちょっと街中から外れるせいか,港町の古いたたずまいの家屋が多い中に,白いログハウスが少し浮いてみえた。正式名は「ギャラリー・海」。「ギリシャ村」というから,大きな展示施設を期待してしまったが,失礼ながら大したことがなかった。
中を除くと,貝殻や木のアクセサリー類が所狭しと並べられている。しかし,こーゆーのに興味はないので素通りする。ちなみに,カフェが隣接しているようだ。カップルなんかにはちょうどいい場所だろう。
これでひととおり茶花の街中を見終わった。時間はもうすぐ11時半。朝のバイキングでそれほど空腹ではないのだが,空港で食べるのもいただけないし,那覇に着いてからでは食べるタイミングは限られそうなので,昨日ちらっと通過した「海岸通り」に行くことにしたい。

その前に。店に向かう途中,とある町の洋品店の壁に2枚の大きな看板がかかっている。ロックバンド「ザ・コブラツイスターズ」(以下「コブツイ」とする)のアルバム紹介だ。2000年発売のファーストアルバムと昨年出たサードアルバムの宣伝用である。写真というよりは,筆で描かれたようなタッチのもの。1年前以上からかかっているのだろう,少しくすんでいる。
個人的には,シングルカットもされている『サクラサク』(ファーストアルバム及び今年出たベスト盤に収録),『七転八倒』(サードアルバムのオープニングナンバー),『魂交差点』(セカンドアルバム及び今年出たベスト盤に収録)はMDに入れている。『サクラサク』は,TBSで2000年ごろに放映されていた朝の情報番組「エクスプレス」で毎朝かかっていたやつで,当時レンタルがされていなかった(現在はベスト盤のみレンタル)ので,HMVで購入した記憶がある。
そのコブツイのヴォーカルである川畑アキラは,ここ与論出身である。看板の下には,「川畑アキラはここ与論の出身です」とわざわざ書かれている。それで大きな看板で扱われているのだろう。川畑はまた今年,ソロでミニアルバム『誠の島』というのをリリースしていて,その中身は『与論小唄』という地元民謡,『誠の島へ』というオリジナルなど,ここ与論をテーマにした作品を中心に7曲収められている。これもレンタルされていないので購入した。もちろん,この旅に備えてでもある。
その中にもバージョン違いで収録され,コブツイとしてもデビュー曲となる『甦る人々』については,こんなエピソードがある。といっても,「コブツイ」「与論」でヤフー検索をしていたときに,とあるサイトに載っていたものの受け売りだが,女性演歌歌手・日野美歌の公式サイト「桜かふぇ」にある「日記」のコーナーだ。与論に昨年旅行に行ったときのことで,彼女が既出の「汐見荘」の女将さんに出会ったときに聞かされた話だそう。
それによれば,川畑の家は与論で有名な商売人のお金持ちの家の息子だった。だが彼が子供の頃,突然実家が火事にみまわれ,多くの物を失ってしまったらしい(この時点で東京に出てきたようだ)。その頃の家族の苦悩の日々を日記で綴ったものを詩にして,それを元に出来上がったというのが『甦る人々』だというのだ。
なるほど,歌詞を見てみると,「また一からやり直す」「悲しみだけが支配はしない(中略)できることからやるんだよ」など,それらしきフレーズがある。どん底から立ち直ろうぜと自らを奮い立たせようとしていたのだろう。この歌に限らず,彼(ら)の歌には,情熱的な歌詞の内容が多い。その背景には幼い時期の辛い体験と,与論への限りない望郷の想いがあったということなのか。

B「海岸通り」〜トートガナシ
さて,腹は減らないが昼食タイムだ。第1回でも紹介したとおり,「海岸通り」は白い建物の2階。脇にある狭い階段を上がると,ちょうど営業を始めたようで,中は誰もいない。40歳前後の女性と,小学校低〜中学年くらいの女の子のみ。2人は母娘のようだ。母親は,1人で切り盛りしているのか忙しそうだが,それを分かってなのか,娘はやたら母親にちょっかいを出している。
席に座ると早速注文。注文したものは「ニコニコライス」(700円)と「スコールシャワー」(480円)。名前もどこか洒落ているというか,俗っぽいというか。私が入ってきた後に,続々と客が入ってくる。みんな,この店を知ってのことだろう。
中は,海が見えるところにカウンターと4人席が3席ほど,内側に4人席が2席と,10人席が一つ。プラスその奥にいくつか席があるようだ。これまたウッディな作りで,私は内側の席に座ったが,左には貝殻やサンゴやコーヒーカップが雑然と飾られている。また,10人席の向こうには本棚があり,コミックがずらっと並ぶ。中央にはクリスマスツリーがあり,右にはサーフボード。後ろにはオブジェのように洋楽のCDが5枚飾られている。そして,店内にかかっているのはTOKYO FM――何とも店名らしい雰囲気だ。外からは明かりがはっきりと見えていたが,中から見るといくつかしか明かりがついていない。少し暗い感じがしなくもないが,外はすっかり雨が止んで,少しずつ青空が戻ってきている。明かりをつけなくても十分は十分。電気節約なんて現実的な理由があるのかもしれないが,ムーディーな演出と解釈しておこうか。
テーブルには寄せ書き用の大学ノートが置かれている。中を見ると,残念ながらくだらない落書きが半分以上だが,観光客が書いたものもある。あるいは,地元の女子高校生らしいもので「保育園のころから遊んできた友ともお別れです……」なんてのもある。最近のものだ。女子高校生は,学校進学などで本土に行ってしまうのか。
しばらくすると,地元民らしい男性がカウンターの中に入っていく。そして中で何か作業をしだした。父親なのだろうか。あるいは……ま,想像すればキリがないが,3人は親子であるとしておこう。

10分ほどして,まず「ニコニコライス」が出てきた。直径20cmほどの器。白いごはんの上に,とろけるチーズとひき肉と玉ねぎ・ピーマンのみじん切りが乗っかって,その上を両目の目玉焼き。でも,“ニコニコ”の意味は何なのだろうか。目玉焼きを笑顔に見たてたのか,はたまた両目で“2個”なのか,よく分からない。
具材から,沖縄のB級な名物「タコライス」(「沖縄標準旅」第5回参照)にも似ているが,タコライスにはあるサルサソースはない。その他の調味料も乗っかっていない。とりあえず頬張るが,上記のものを組み合わせたような味だ……塩・コショウ程度の味付けだけで,いかんせんパンチがない。
ということで,注文してすぐについてきたタバスコを思いっきりふりかける。と,タバスコのいい辛味がパンチを効かせて美味くなる。偉いぞ,アントニオ猪木。ただし,タバスコの味しかしないような気もするので,タバスコがダメな人にオススメできるかは微妙だ。ちなみに,その他のメニューとしては,カレーにたこ焼きがそのまま入った「たこ焼きカレー」なんてのもあるようだ。
食い終わって,もう一つ注文した「スコールシャワー」が出てきた。こっちはメニューに書いてあったが,「ブルーカルピスのカクテル風」というものらしい。早い話が,青くて甘い炭酸水だ。レモンが1個彩りで入っている。カクテルと言っているだけに,高さ25cmほどの細長いグラスに結構な量が入っていて,格好つけなのかグラスの淵にザラザラしたものがついている。塩のような気が一瞬したが,本体の甘さで砂糖のようにも思えてきた。ちなみにアルコールは入っていない。
さて会計。先ほど観光協会で購入したパスポートで割引が効くと書いたが,ここもその対象店。合計1180円の10%引きで1062円。島に来て23時間。パスポートを受けて2時間。そして効力を発したのはこれが最初で最後。ちなみに,昨日と今日で見ると,与論民俗村とユンヌ楽園が入場料50円引き,プリシアのレストラン「ピキ」が10%引きと,トータルで400円ほど安くなるはずだった(第1回第2回参照)。
釣りを受け取るときに,女性は「トートガナシ,ありがとうございました」と言った。この「トートガナシ」は,与論の方言で「ありがとう」の意。私が観光客で分からないと思って,後ろにその意味を付け足してくれたのだろう。しかし,私はすでにその意味を同名の曲から知っていた。その曲を歌っているのもまた,川畑アキラだ。
ちなみに,彼の曲も,パスポートなどに書いてあるものも,「トートゥガナシ(ローマ字表記で「TOTUGANASHI」)」と書かれている。でも,女性は「トート」とはっきり二つ目の“ト”を発音した……まあ,そんなのは個人差なのだろうが,最後の最後に地元の言葉を聞けてちょっぴり嬉しかった。

Cナーヤーユンヌ(さらば与論)
さて,これで時間は12時を過ぎた。空港までは歩いて2kmくらいありそうだが,腹ごなしで歩いて行けばちょうどいい。海岸沿いを西に向かうと,与論島観光ホテルの前を通る。鹿児島行きの飛行機がちょっと早めに出るからか,送迎バスらしきバスに観光客が十数人乗っかって出て行った。
私はそのまま歩き,昨日も今朝も通過した「海岸沿いの通りの二股」に辿り着く。行きは遠回りで帰りは近道。旅人には何か気分がいい。そして,さとうきび畑の中の道を上っていき,プリシアへの道との交差点は曲がらずにまっすぐ行く。来た道をそのまま戻るのはつまらない。
道は空港の南側をぐるっと回るルートとなる。周囲はひたすらさとうきび畑。脇を通過する車は一様に私を見ていく。「可哀想に,歩きなのね」ということなのか。途中,ライトバンのおじちゃんが私に「港ですか?」と声をかけてくれ,私は「いや,空港です」と返すと,「は…そうですか」とそれっきりとなったが,ひょっとして彼は,私を鹿児島行きの飛行機に間に合わせようと気遣ってくれたのかもしれない。でも,私は時間は計算済み。そして12時40分,空港に到着。
時間が少しあったので,近くにあるパラダイスビーチに。「もずくそば」なるものを食べさせてくれる食堂の裏にあるそのビーチは,別に与論だったらどこででも見られるビーチ。でも,ここでも最初で最後,太陽の光に輝くビーチを見ることができたのは嬉しい。南の島では,何だか太陽を見ないとホッとできないものだ。あいかわらず波は高いし,雲も最後まで取れなかったが,いまとなっては雨にたたられたことも,プリシアでのことも,いい思い出である。いままでのすべてを洗い流してくれる気持ちよさだ。
でも,今日の鹿児島からの飛行機は,時間通りに到着している。ちょっとムカついた。(第4回につづく)

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