沖縄標準旅(全9回)

B浦内川
船は10時30分出発。40人ほど乗れる船内は満員。私は船の舳先に一番近い列の右側。川の流れも直接触れる位置だが,方角が東南に向かっているため,直射日光はモロに浴びる。スピードで風が発生するが,川のおかげで気持ちよい。一応,念には念を入れて着てきたジャンパーが,ちょうどいい感じだ。左右にはマングローブが広がり,川幅は100mは有にあろう。ただし,川の中央を走っているので樹木の細かいところは見にくい。
30分後,船着場に到着。ここからマリュドの滝までは35分,カンピレーの滝までは45分という。12時40分集合というから,行って戻るには結構ギリギリのスケジュールだ。

道は初めこそコンクリで固められているが,間もなく山道となり,そこからはもう石の階段やら,土の階段やらと完全に山道。右は樹木が鬱蒼としているが,川になるので崖状。左は岩場。たまに岩と岩の間から川が流れ出して,それが堂々と道を浸している。そこはジャンプするか,たまたまそこにころがっている岩を踏み台にするとかして何とか超える。
言うまでもなく,アップダウンは激しい。初めは順調に進んでいた私も,後ろに人が来ると立ち止まって数度追い抜かせてやった。天気もすっかり晴れ上がり,気温は20℃を軽く超えているだろう。持ってきたジャンパーは,いまやすっかり邪魔者である。そして,不意に左の岩場を流れている清水をすくって飲んでみるが,ぬるったっこい。この気温ならやむなしか。
30分もすると,展望台という看板。マリュドの滝を見るためのものだろう。しかし,ここまで来たらカンピレーの滝だって見たい。先にカンピレー,後でマリュドを見ることにして先に進む。こういうときに誰か相手がいると,喋ることで疲れを忘れるということもあるのだろうが,誰もいないので黙々と歩いていく。
5分ほどして,マリュドの滝の入口。こっちは間近で見るための入口だろうが,引き続き通り過ぎる。時間は11時35分。結構ギリギリとなるだろう。

そして10分後,やっとカンピレーの滝到着。幅広い滝がV字型に流れ落ちている。傾斜は緩やかだが幅は100mはあるだろう。結構な水量だ。滝の斜め上から滝壷を臨む格好になるが,岩場が川と道との間に入るためだ。少し遠巻きに川を見る格好になるが,岩場に入ることはもちろんできる。おそらく,もう少し奥に行くと入る道があるのだろう。カップルが現にそこにいる。が,私は「来たからには戻る,しかも時間制限アリ」のミッションの下,ここで引き返さなければならない。
そして,今度はマリュドの滝だ。10分もして到着。こっちは滝の脇を歩くことができる。初めなだらかにちょいと落ちて,次にドンと落ちて,最後にもう1回ドンと落ちる。ガイドブックでは,3段と2段の二つに分かれているが,間を採って2.5段というところだろう。その落ち具合が分かれる所以は,脇と展望台と両方から見ればよく分かると思う。展望台から見ると,落ち方は「V」と「く」を合わせた感じ。1段目と2段目がVの字になり,3段目で方角を「く」の字に曲げて落ちていくからだ。
さて,帰らなくては。このまま行けばギリギリで間に合う。とはいえ,足元があまり丈夫でないのと,往路にスタミナを使い果たしてしまったせいで,スピードはガクンと落ちる。何度後ろから来た人を追い抜かせてやったか。ジャンパーも着ていたら暑いので,袖をひも代わりに胴体に結ぶが,ぐずぐずになってずり落ちてくる。これとも格闘せねばならない。とはいえ,12時40分に何とか無事船着場に到着した。
ところが,船は乗船率8割方であるにもかかわらず,船着場を離れてしまっていた。待ってても埒があかないと判断したのか。もっとも12時40分ならば,運動もしてすっかりお腹が空いているはずだから,そこも判断材料となったのだろう。仕方なくその後ろに泊まっていた船に乗船。どうやらまだここに到着すらしていない人もいるようだ。

しばし休憩タイム。船着場近くの岩の上では,若いカップルが釣りを楽しんでいる。朝船着場に降りたときからいる。「仕込み」かとすら思ってしまっていた。男性が釣り糸を振り下ろしては戻し,また振り下ろしては戻しの繰り返しを数度。そして,彼がもう一度釣り糸を振り下ろしたそのとき,無情にも釣り針は川中の岩にひっかかってしまった。上からつり竿を動かしたり,リールで巻き取ろうとするが,びくともしない。仕方なくその岩場を下りて,岩の下から糸を引っ張る。数度引っ張って漸く糸は岩から離れた。
そんなこんなの中でも,観光客はちらほらと乗船してくる。ちなみに,この後の便は13時というやつらしいが,いま乗っている中には「B」というワッペンも結構見える。彼らは遅刻組である。
そんな中,私の目の前にお父さんと,小学校くらいの子供2人が乗ってきた。待つこと15分。しかし,前の親子連れの会話を聞いていると,どうやらお母さんを置いてきぼりにしているらしい。乗船そのものは13時のほうらしいが,早めに着いたので早めに乗った,いわば「早乗り組」だ。お父さんは「大丈夫」と言っているが,子供たちはちょいと不安そう。とはいえ,これ以上この船は待ってはいられない。なんせ「遅刻組」のための臨時便なのだ。
ふと,お父さんの声。距離があるので,声が大きく伸びる。
「釣り人さーん,釣れましたかー?」
「ええ。2匹ほどー」
「それはそれは。で,すいませんが、赤い服を着た女性が――私の妻なんですけど――着いたら,先に行ったって言っといてもらえますー?」
「分かりましたー」
こうして,船は「遅刻組」と「遅刻組にさせられた組」と「早乗り組」を乗せて出発。ぐるぐるその場を転回していると,赤い服を着た女性らしき人がこっちに歩いてきた。タッチの差とはいえ,こうして家族は永遠に別れ別れに……なるわきゃないか。

船は行きと違い,マングローブに沿って走ってくれる。根っこは,例えてみればほうれん草の芯の部分に似ている。あれをもっと黒柳徹子の頭みたいに膨らませた感じである。時折,風か何かで上のほうが折れて,「黒柳徹子的芯」だけが水中に埋まったまま残っていることも。しかし,その芯は根であるから,いずれは大きくなって再び緑の中に加わることだろう。
また,根っこが銀杏の形をしている樹も。これが「サキシマスオウ」だ。ということは,仲間川で見たのもこんな感じだということだ(第8回参照)。根っこは銀杏の形をしているが,実際には「板根(ばんこん)」と呼ばれているそうだ。ちょっと風情がない。そうこうしていると,13時15分浦内港に到着。急いでレストランに入る。
昼食はいわゆる「幕の内弁当」である。中は四つに分かれていて,自分から見て左上はゴーヤーチャンプルー,右上には四種の天ぷら,左下には赤紫のご飯,右下は何度となく出た豚肉中心の煮物である。そしてゴーヤーの漬物らしきものも。昼食はどうせカレーか何かと思っていただけに,ちょっと感動する。
早速がっつく。赤紫のご飯は,紅芋を混ぜた「ジューシー」にも見えれば,赤米のような感じもする。味なんぞ空腹にかき消されて分からない。天ぷらは,紅芋の天ぷらとかまぼこの天ぷらと何か魚の天ぷらだ。こっちは衣がちゃんとついていて,紅芋についてはさつまいものパサパサ感があった。となれば,やっぱり昨晩食べた「ゆうな」の紅芋(第7回参照)は,何か粘っこくさせる一工夫をしていると思われる。ゴーヤーの漬物と思しきやつは酸っぱかった。あと,冷たい「ゴーヤー茶」なんてのもあったが,味はウーロン茶のような,爽健美茶のような味だった。

C星砂海岸と由布島
バスは13時50分に出発。次は星砂海岸というところ。竹富島で同様のものを見たが,かすっただけなので,改めてちょっと楽しみになってくる。前に座っている親子連れ(浦内川で生き別れになった(ウソ)家族とは別である。念のため)が,フィルムケースを探している。無論,砂を入れて持ち帰るためである。
10分もしないうちに,星砂海岸に到着。こっちはさすがにキレイな砂浜…と思っていたら,結構岩場が露出している(第6回参照)。早速一すくいしてみると,どれもこれも星のような形をしたものばかりだ。これだけあれば私もさすがにうれしい。が,よく見れば「☆」のうちの一角が欠けていたり,あるいはダイヤの形になっているなど,完全なる星型が混じる確率は少ない。とはいえ,私のすくった中にも完全なる星型が1個あった。しかし,持ち帰ってまで星砂に固執する気持ちもなく,その場で払い捨てる。まったく,ロマンティックの欠片もない奴である。
二十数分ほどの見学時間で出発。次の由布島まではひたすら来た道を戻るだけである。時折,主要スポットではガイドをしてくれるが,基本は「ひたすら運転」のみだ。車内でも,浦内川トレッキングですっかり疲れた人たちが,睡眠モードへと入っていく。かく言う私も,その仲間入りを果たそうとしていた。
途中,西表島温泉でWコースと別れる。しかし,降りたのは4人連れの親子1組のみだった。

15時,美原(みはら)という所でバスが止まる。この対岸が由布島。その島まで水牛車に乗って渡るのである。
早速,水牛車に乗る。私が乗ったのは,4人家族が1組,2人組(夫婦)が4組とで,計13人だ。水牛の名前は「由太(ゆうた)」。「由」は由布島の「由」で,どの牛もこの文字を入れているとのこと。で,年齢は10歳。人間で言えばその3倍になるらしい。ということは30歳。私とほぼ同年齢のモラトリアム…もとい,働き盛りである。そしてその由太を先導するのは,名前を忘れてしまったが,「もう,やめて!」の横山弁護士似のおじさんだ。
由太は推定時速1.5kmほどで,ゆっくり歩を進める。これぞ「牛歩」であるが,由太には別にどうしても譲れない主義・主張があるわけではあるまい。それが彼のペースなのだ。実にのどかでいい。陽射しが少し翳り加減だが,風もあまりなく,ほどよい暖かさで心地いい。水かさは5cmほどか。足首くらいまでしかないと思われる。下の白砂がはっきりと見えるのだ。
それはそうと,横山弁護士がガイドをしている。「水牛は“用を足す”ときは止まって足しますんで,そのときは一番前のお客さん,はねますから避難してください」。私は一番後ろなので関係ない。
と,不意に立ち止まる。素早く一番前のおばさんが1歩後ろに下がる。そして,ボロッ,パシャッ。ボロッ,パシャッ。以上にて用件完了。再び出発と相成る。
美原と由布島は,距離にして500mほど。横山弁護士の話によれば,海は大潮でない限りはサンダルか長靴で渡れるとのこと。「もっとも“落とし物”には注意が必要ですが,まぁ大丈夫ですよ」

由太に乗せられて20分,由布島に到着。きちんと空いている場所に自ら“車庫入れ”して,停車する。この辺はさすがだ。
由布島は現在,亜熱帯植物園となっている。周囲は2kmほどの小ささ。もともとは集落があったらしいが,昭和46年の台風で大半の人が離島してしまい,数人が残るのみとなっている。
まずはBコース全員で記念写真。あともう1枚家族ごとに撮られる。私はもちろん,水牛と対マンならぬ“対牛”である。15時50分の出発まで,20分ほどこちらで散策することにする。
島内は,さながら動植物に「支配された」感がある。サテンの木とハイビスカスやブーゲンビリアが,いかにも亜熱帯である。と,おもむろに鶏らしい鳥が数羽闊歩する。目の回りが赤く,そこ以外の頭から首にかけてが白,そして胴は黒というこの鳥は「バリケン」というカモ類の鳥で,南国の鳥らしい。
そして,迷路のような道を適当に進むと,植物園に似つかわしくない古ぼけたコンクリの塊二つ。何か書かれているので見ると「由布小学校」とある。隣には廃墟となった平屋の建物。人がいた何よりの証である。さらにおもむろに,海岸があると思われる方向に進むと,そのとおり海岸である。向こうには数人がいる。再び元の道に戻る。
今度は動物園。ダチョウはでかい。2mはあるだろう。その隣にはヤギ。さらには琉球イノシシ,烏骨鶏。バリケンも含めて,すべてどこかから連れてこられたものだろうが,いずれも食材になる。特に琉球イノシシと烏骨鶏と言えば,高級食材である。いざ,何かあったときは天に召されてもいいようになっているのだろうかと,うがった見方をしてしまう。
戻ってくると先ほどの写真が貼られている。しかし,対牛で撮った写真はまだしも,集合写真まで有料らしい。そんなのあるかって感じで通り過ぎる。近くにある待合室のジュース売場ではほどよい暖かさのおかげか,アイスクリームやらジュースやらを売る店が繁盛している。私もグァバジュース(300円)を飲む。なるほど,ノドが乾いているのでうまい。味はカシス(カンパリ?)オレンジからアルコールを抜いた感じである。

さて,由太の復路。水は対岸までの距離の半分ほどが干上がっている。向こうに歩いて行こうと思えば行けそうだ。で,由太はといえば,どこか別の水牛車から人が移ってきて人数が13人→16人となったせいか,明らかに動きが鈍い。後から来た水牛たちにも次々追い抜かれて,あっという間に最後尾となってしまった。
誰かが横山弁護士に「牛は方向を迷わないのですか?」と質問する。答えは「(いま進行方向右にある)電柱が目印になっていて,それに沿って進むように訓練されているので大丈夫。方角とかは(弁護士が持っている)鞭とひもで動きを調節する」とのことである。向こうから帰ってくる水牛もいるが,「本日はお役ゴメン」で引き揚げる水牛だそうだ。ちなみに,由太はもう1往復あるそう。人間同様,若手の働き盛りはきっちり働かされるようだ。
しかし由太は,前に進むどころか横動きをしている。完全に最後尾独走状態だ。と,またも立ち止まる。一番前の女性が敏感にすっと立ち上がる。ジョーッ。今度は“小さい用”だ。そしてまた進む。しかし,あいかわらず動きはよくない。きっと人数の増加を車のひもをひっかける角でひしひしと感じているのだろう。
と,また立ち止まる。女性がまだ立ち上がる。ジョーッ。水牛も過敏になっているのだろうか。「鞭で調節するから大丈夫」と横山弁護士は言うが,どうもおぼつかない。ふと下を見ると,茶色いものが所々プカプカ浮いている。他の水牛のものかもしれない。ま,このあたりはご愛嬌だろうか。これを見ると足でわたる気にはいまいちなれなくなる。
そんなこんなしながら,ようやく対岸に上がった。横山弁護士は前にいる女性と談笑している。由太は左に左に微妙な動きをする。「おい,戻ろうとしてるんじゃないの?」そんな声をよそに,横山弁護士はすましている。ちょっと不安になるが,由太の動きがピタッと止まる。微妙な動きは“切り返し”か何かだったのか。まったく,最後までマイペースな奴である。

さて,あとは大原までひたすら戻る。ちなみに前回書いた古見集落の海は,すっかり潮が満ちていた。しかし,由布島の干上がりとの差は一体何なのか,専門外の私にはコメントできない。
あと,水牛と牛の違いを横山弁護士から聞かれたが,私は答えを聞かされるまで分からなかった。どなたか,答えが分かる方いらっしゃいます? ちなみに水牛は食えるそうで,食糧難の昔は食っていたそうだが,いまは悲しいことに飽食ゆえ捨てられるそうな(ぜんぜん関係ないが……)。
大原からは,16時40分発の石垣行の船に乗船。船は行きよりも一回り大きい船(第8回参照)だったが,相変わらずの満員だった。

(15)最後のあがき〜エピローグ
石垣港には17時25分到着。思えば沖縄に来ていろんなものを食ってきたが,まだ食っていないものがある。もっとも,それは私がぜひ食いたいと思っているだけのものなのだが,それは「サーターアンダギー」というパンのようなお菓子と「八重山そば」だ。
そばといえば,大晦日にスーパーホテル石垣島で年越そばに食った(第5回参照)はずだった。しかし,昨日石垣島レンタカー(第7回参照)でもらった地図つきガイドブックにて,
・沖縄そば………麺の上に三枚肉とかまぼこ
・宮古そば………麺の上にかまぼこ
・八重山そば……麺の上に細切りにほぐした肉
・ソーキそば……麺の上にスペアリブ
という解説を見てしまった。ということは,年越そばで食ったのは宮古そばということになるのか。八重山でなぜ「宮古そば」なのか,不思議っちゃ不思議だが,もちろん作る人間によっていろいろ違うのだろう。とはいえ,何かこのままでは落ちつかない。石垣空港に行くバスは18時5分。それまでにどこかで「八重山そば」を食っておきたいものだ。
ということで,ターミナル付近を散策。2〜3分ほど歩いて「八重山そば まーさん亭」という店に入る。当然のごとく八重山そばを注文する(500円)。中は20人も入れば満員になるこじんまりさ。テープルは木の形そのままって感じで,一つ一つバラバラだ。
ふと脇を見ると,「どうぞ,ご自由にご賞味ください」と書かれたタッパが二つ。蓋を開けると,茶色いパンの菓子の欠片。もしかして,こいつはサーターアンダギーでは? 一つ二つとつまむ。うーん,固くなった菓子パンを甘くしたような感じの素朴な味である。もう一つは黒糖。口に入れて噛み砕くと,錠剤状のラムネを噛み砕いたときの「パシューン」という触感とともに,くどい甘さが口中に広がった。
5分ほどして八重山そばが来る。ついでにパンの欠片について,「これって,サーターアンダギーですか?」と聞いたところ,そうだとのこと。最後の最後に,ただ食いとはついている。八重山そばは,確かに細切りにほぐした肉が入っている。味はあいかわらず塩そばの感じだ。
しかし,私は上記のそばの分類でいくと,ソーキそばが沖縄のそばの全てだと思っていたが,これでまた賢くなった…でなくて,無駄な知識が一つ増えたのだ。

みやげは結局,石垣空港で買うことになった。一つは会社用のお菓子,そしてもう一つはハローキティ……と思ったのだが,結局やめてそばにあった「ゴーヤーマン」というキャラの携帯用ストラップを購入(380円)。そのときは「何じゃこのキャラ?」と思ったのだが、これってNHKの「ちゅらさん」に出てくるものだと後で知り,ちょっと驚いた。しかも「ちゅらさん2」なんて,この春から放送するらしいし,偶然とは恐ろしいものだ。
石垣からはJTAで一旦那覇に行き,那覇から羽田というルートを採ったのだが,その那覇での待ち時間に,ドラゴンフルーツジュース・ヨーグルト風味(300円)を飲む。味は,明治ブルガリアヨーグルトジュースの,ノンカロリー・ブルーベリー風味だった。
最後。その石垣からのJTAが,そのまま私が乗る羽田行のJTAに化けた。その羽田行のJTAの中では,新年のあいさつということで,小ビンにJTAのロゴが入った泡盛が配られた。これもタダ。しかし,家で後ほど口をつけたが,私には飲めたものではなく,程なく排水溝行きとなってしまった。

東京は戻ってくると,気温4℃。しかし,こっちのほうが何だか冬らしい。(「沖縄標準旅」おわり)

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