奄美の旅(第1回)

11時50分,奄美空港着。GWで手荷物検査場が混雑していて,25分遅れての到着。くもり空の中から青空がのぞいており,天気はまずまずのよう。空港前にある西郷レンタカーよりすぐに名瀬方面へ出発。今日・明日とあてがわれた車は銀色のマツダの「デミオ」だ。
時間的には昼飯の時刻。奄美に来たからには,まずは所期の目的の一つ,郷土料理の鶏飯(けいはん)を食しておきたい。前から目をつけていたのは,ホームページもある「ひさ倉」という店。鶏飯(けいはん)にプラス鶏刺しもあるという。自分がいま走っている幹線道路沿いなので,早速入ってみたい。

(1)鶏飯を食す
国道58号線沿いにある「ひさ倉」に入ったのは12時20分。建物自体は平屋建てで素っ気無い印象だが,車は結構停まっていて,中も4〜5人が楽に座れる座敷席が10席以上ある。テーブル席は三つだけだが,通路が広めでゆったりしている。テーブルも椅子も木で作られており,ウッディ感いっぱい。ほぼ満席で,私が入った後も親子連れやら夫婦やらが続々と出ていっては入ってくる。
早速,鶏飯(945円)と鶏刺し(735円)を両方注文。鶏飯というのは,鶏肉を始めいろいろな具をごはんに乗せ,その上から鶏の出し汁をかけて雑炊感覚でいただくものだ。店に来た人間のほとんどが注文をしているようで,鶏の出し汁を入れる小さい黒鉄の鍋が,各テーブルにシンボルのように鎮座している。今上天皇も皇太子時代にご賞味されたという。メニュー自体も鶏飯・鶏刺し以外,焼鳥(5種盛り)と豚足(なぜか)と飲み物と限定的。キッチンは,次第に戦場みたいになってきて,「鶏飯7」「鶏飯5」と注文がバンバン飛び込む。
またここは,有名人も訪れていて,店の壁にサインがいくつも掲げられている。私が座ったキッチン脇の席のカウンターにもサインがある。見ると,3人の連名があり,センターに「海援隊」。1カ月前の日付だ。

10分もしないで,鶏飯・鶏刺しが両方登場。鶏飯の具は,錦糸卵・刻みのり・刻みねぎ・しいたけとパパイヤの細切り・紅生姜・ゆずのみじん切りと,鶏肉を細かくほぐしたもの。鶏の出し汁は直径15cm×深さ7〜8cmほどの鉄鍋で湯気を上げていて,色は限りなく透明に近い。この出し汁は,あるいは各店舗によってバラけているのだろうか。持参したガイドブックに載っている名瀬市内の店の鶏飯の写真では,出し汁がしょうゆが入ったように色が濃い。白飯は,鉄鍋を一回り小さくしたくらいのお櫃に入っていて,茶碗に2杯分は有にある。結構量がありそうだ。
一方の鶏刺しは,胸肉,もも肉,レバー,心臓といったところ。前三つは色を見てすぐに分かる。赤くてギターのピックみたいな形のものは,おそらく心臓と思われるが,ホームページには“とさか”もあるという。
鶏飯は,ホントなら具をきれいに何等分かして乗せれば,赤・黄・緑・黒・オレンジなどと色合いからしてキレイなのだろうが,腹も空いていて,胃に入れば同じなのだとばかりに,目分量で適当にぶっかけてしまう。白飯は,メニューに「少なめのごはん」と書いてあるので茶碗に半分弱にとどめ,出し汁をかけてまずは1杯目を食してみる。
味は,思いのほかあっさりしている。ここのところ奄美の旅をテレビで多く見る機会があって,某ベテラン俳優がやはり鶏飯を食べて「コクがある」と言っていたが,鶏スープと言われなければ,コンブかカツオと間違えるかもしれないほどあっさり塩味である。雑炊感覚だから,喉越しよくさらさらと入っていく。

ごはん2杯目は鶏飯にはせず,白飯に鶏刺しでいただく。にんにくじょうゆにつけるのだが,もも肉・胸肉が濃厚でうまかったので,白飯で食べたくなったのだ。魚・肉にかかわらず,刺身は白飯に限る。ここはメイン・鶏飯を差し置いてでも譲れない。
通りかかったおばちゃん従業員が,私が白飯を食っているのを見て,「鶏飯の食べ方分かりますか?」と声をかけてきた。「大丈夫です」と言っておいたが,向こうも私の光景がイレギュラーに見えたのだろうと思う。
周囲が鶏刺しをどれくらい頼んでいたかまでは見ていなかったが,個人的には鶏刺しは食うべきであると思う。各種5切れほどあるので,刺身と白飯だけでも腹一杯にはなれる。もしくは,1人前だけ頼んで2〜3人で食せば,鶏飯だけでもの足りない場合は都合がちょうどよくなろう。ちなみに,赤いピックのやつはこりこりしている。レバーは,あのレバーの味だが,生臭さはほとんどない。でも,好みから言ったら好きでない部類に入るせいか,やっぱ血の味が少しする気もしないでもない。
3杯目は再び鶏飯に戻って,一緒についてきた生卵&しょうゆをかけてみるが,これは失敗(白身は好かないので黄身のみ)。生卵は自分の店で取ったものらしいので,これも刺身同様,白飯単独でいただくべきだと思う。あと,漬物もついてくるが,ホームページによればこれはパパイヤだという。しかし,食べた限りは普通のたくわんと同じである。
ラスト4杯目は,やはり鶏飯に今度は刺身用のにんにくしょうゆをお行儀悪くかけてみる。いかんせんあっさりしすぎていて,しょっぱいもの好きにはもの足りないのだ。うーん,これもいまいち……というか,結局元の味が分からなくなってしまう。
何はともあれ,所期の目的の一つを無事遂行して出発。店はあいも変わらず,客がどんどん入っては出ていく。

(2)奄美南部へ
畑ばかりの道を進むと,龍郷(たつごう)町。通り沿いに役場はあるが,コンビニが2件あるのみ。田舎のメインストリートを通り抜けると,俄然山が多くなる。道はその山をぶちぬく形でトンネルが自ずと多くなり,本茶(ほんちゃ)トンネルは長さが1kmになる。脇には峠道すなわちも旧道もあるが,車は圧倒的にトンネルに向かう。
やがてもう一つ長いトンネルを抜けると,海が目の前に出現。と同時に,名瀬市の市街地が大きく広がる。名瀬市は自分の進行方向から見ると「匚」の形に入江となっている。いま私は,下の横棒の右から左に向かっている状況だ。護岸工事やらその他の工事がされていて,手前の海岸は景観が少し損なわれているようにも思えるが,向こう側すなわち上の横棒あたりに浮かぶビルやら家やら樹木やらが雑多に立ち並ぶ景色は,なかなか趣がある。こういう港町の景色は,一目みていただいてデジカメで撮るないしスケッチでもするといいと思う。
市内に入るにつれて車は多くなる。加えて道が狭く,プラス工事が行われていていささか走りにくい。バスと多くすれ違ったが,新型のバス・観光バスはもちろん,マイクロバスみたいなものも路線バスとして走っている。20年以上前から走っていて,いい加減原価償却されているはずの旧型バスも,現役バリバリに走っていたりする。旧型バスは角々の塗装がはげたりサビついたりしていて,こういうのはバス好きにはたまらないのではないか。
市内についてはあらためて記すとして,国道58号線で島の南部である瀬戸内町を目指すことにする。

名瀬市街を抜けて10分。再び山が多い…というか,もう完全に山の中である。今まで走ってきた島の北側とは比べ物にならないほどで,起伏もカーブも満載。トンネルも2kmのやつを二つくぐった。いままでの経験で,トンネルで明かりをつけるときには一つで十分だと思っていたし,実際長いトンネルをくぐった経験自体,高速道路走行が皆無なのでなかったのだが,なるほどトンネルの明かりが,初めは感覚が狭いものの,中に入ると一気に長くなり,足元が真っ暗になってしまうので一番大きなものにせざるを得ない。
2kmのトンネルの二つ目を抜けると,住用(すみよう)村に入る。下り坂となり,目の前左に海が広がる。地形が入り組んでいるのだろう。中心街は…果たしてあったのだろうか。雑貨屋みたいなのをちらっと見たような気がするので,そのあたりが中心街だったのだろう。
14時ちょい前,マングローブ原生林。「道の駅・住用」となっていて,ちょっと休憩。高台になっているので,下に降りて行くと川があってマングローブがある。近くからマングローブ観光船が出ているようで後で寄ったが,観光客がほとんどなく,従業員らしき人も暇そうでやる気なさげだったのでとっとと後にした。その後,走りながら左にマングローブと川のセットを見下ろしたが,「プチ・アマゾン」という言葉がぴったりの光景であった。
さらに南下すると,起伏とカーブはさらに多くなる。どっかのホームページで「“箱根の峠越え”みたいな感じで神経を使う」と評していたが,さすがにそこまでは行かないまでも,神経は多少使うところである。

@嘉徳(かどく)へ
さらに進んで右に大きくカーブする辺りに,「←嘉徳5km」とある。実は第2の目的地はここである。どうやら地図とかホームページで見る限りは,海沿いの集落のようだ。今まで山がちなところを通っているので,かなり山を下ることにはなろう。迷わず左折する。
この嘉徳は,何をかくそう,あの元ちとせの故郷である。まぁ,何もないところであろうことは予想はつくし,どっかのホームページの情報でも,何もないところだと書いてあった。まったくミーハーな限りで恥ずかしいが,奄美に来たからにはやっぱりどんなところかこの目で見ておきたいと思ってしまった。
道は予想どおり,車がギリギリすれ違えるかそれ以下の幅で,下り坂もカーブもきつい。それもそのはず,道路標識には「12%」とある。しかし,すれ違う車はいないので,猛スピード(といっても40km……)で降りて行く。元ちとせといえば…といまさら言うまでもなく有名になったが,とはいえ実家のあるところまで行くとなると,さすがに稀というか,たぶんそこまで知らないし,知る必要もないのが普通ということだ。
10分もすると道はなだらかになり,平屋建ての家がポツポツと見え出す。小さい川を渡ってそのポツポツが塊になったあたりに,道はどんづまりとなる。そこが嘉徳集落である。

車2台が停められるくらいの狭いスペースに車を停めて,鬱蒼とした茂みの中の細い道を少し歩くと,海岸に出る。時期もあるかもしれないが,人はいない。とば口に50代くらいのおばちゃんが石か何かの上に腰掛けていて,海の近くで子どもが砂遊びをしている。「孫の砂遊びを見守る祖母」といったところか。ここも「凵」の形で入江になっていて,左も右も高い断崖がそびえる。砂浜の両端は200〜300mくらいだろうか。ここも夏となれば,人がそれなりには来るのだろう。お粗末で古ぼけたシャワー室が一応はある。
再び駐車スペースに戻ると,狭い道を挟んで向こうにバス停のポールが立っている。件のホームページにも乗っていた。一応バスも通るようだ。時間は,7時発と13時発の1日2便のみ。いずれももう少し南に行った,町の中心地・古仁屋(こにや)行きである。7時発というのは古仁屋にある学校に向かうためのもので,13時発というのは買物か病院に向かう生活路線ということか。あるいは「嘉徳入口」という国道の入口まで誰かに送ってもらえば,古仁屋だけでなく名瀬にも行けるから,そのほうがあるいは多いのかもしれない。
1日2便だけではスペースが余ってしまうとばかりに,古仁屋発嘉徳行きのバスの時刻も書いてある。こっちも11時20分発と17時発の2便。ということは,11時20分の古仁屋発のバスが,嘉徳に来て折り返し人を乗せて13時に出るという以外は,行ったきり・来たきりということなのだろうか。後者は古仁屋に行った人間が戻ってくるためのもので,これを逃したら後は迎えに来てもらうのだろう。夜は,間違っても歩いてどうこうできないくらい真っ暗になるだろうし。

近くに平屋建ての小さい嘉徳小学校の建物。校庭の真ん中にジャングルジムだけがポツンとある。元ちとせのホームページにあるプロフィールによると,全校生徒は4人,全員が親戚だったという。1人で入学式と卒業式をしたそうだ。そして,水泳の授業は近くの川だったとある。いま目の前にある小学校で彼女は授業を受け,さっき渡った川が水泳の授業の場所ということだろう。1979年1月生まれというから,小学校を卒業してからすでに10年以上は経っているが,そう景色は変わっていないだろう。
いや,むしろ変わりようもないと言ってよいか。もちろん,彼女の家を探し出そうなどとはハナっから考えていなかったが,ちょっと人のプライバシーに踏み行ってしまった気もした。
再び来た道を戻っていくと,目の前にそびえる山に線が見える。あの道をはるばる降りてきたわけだ。自己満足と罪悪感が交じり合った変な気持ちで再び国道に戻ると,「←嘉徳5km」の看板の上に大きな「よしかわ工房」の看板。そこに「元ちとせの実家」と書いてあった。「元ちとせの実家が見られる!?」とすっかり思い込んでしまった私は,再び2時間後この場所に来て,よせばいいのに「よしかわ工房」に行ってしまった。
よしかわ工房は川を渡る手前にあって,トタン屋根の平屋建て。中から声が聞こえるのであまり近づけない。隣には,「嘉徳遺跡発掘跡地」というのがある。遺跡は縄文後期の土器が発掘されたようだ。話を戻して,表札はと言えば,当然だが「吉川」。冷静に考えれば,元ちとせは本名であるから,そんなわけないとなるわけだ。そもそも家族自ら「うちが元ちとせの実家です」と言うわけもあるまい。ともあれ,バカバカしくも,もう一度12%の坂道をムダに往復する羽目となってしまったのであった。

その2度目の往復の終わり,再びよしかわ工房の看板を見る。「元ちとせの実家」は思いっきり手書き。ついでに,「←嘉徳5km」の“←”の中にも「元ちとせ」の文字。ものの見事にひっかかってしまったのだ。よっぽとよしかわ工房の人に看板の落書きを消したほうがいいと言いたくもなったが,私が紛れもなくアホだったことだけは,全員の意見の一致するところであろう。(第2回につづく)

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