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伊豆大島へ流された為朝は、九州に追放された頃と同じように大暴れを始めます。大島を中心にして利島・式根島・神津島・三宅島を制圧し、これらを自分の領地のように扱いました。その後、八丈島やその南の青ヶ島まで影響力を広げたようです。
一方、伊豆大島を朝廷より任されていた工藤茂光は面白くありません。「んナロー!ナメやがって!」という気分が充満しました。為朝討伐を朝廷に訴えて軍を編成し、伊豆大島に向かいます。朝廷に逆らうのは畏れ多いと考えた為朝は(乱暴者の為朝には味方する者が無く、抵抗できなかったのだという説もあります)、屋敷に火を放ち、自害しました。首は京都に運ばれて、さらし首となりました。
ところが、為朝は伊豆大島では死なず、八丈小島に逃れ、そこから琉球へ渡ったという伝説があります。日本列島の太平洋側には、黒潮という海流が九州側から北海道側へ流れており、これに逆らって沖縄へ行くことは一見無茶な話です。しかし、八丈島付近の海流には、黒潮の反流である小笠原海流が、黒潮とは逆に沖縄に向かって流れています。かつて三宅島で大噴火があったとき、たった24時間で大量の軽石が沖縄に流れ着いたそうです。つまり、地図でみたほどの隔たりは伊豆・小笠原と沖縄の間にはないわけです。
八丈小島を船で出発して間もなく、為朝の船を暴風雨が襲いました。しかし、『運は天にあり、何ぞおそるに足らんや』と船員を励まし、航海を続けました。こうして流れ着いたのが琉球の今帰仁の港でした。運を天にまかせてたどり着いたので、以後そこを「運天港」と名付けました。また「琉球」の名も、もとは「流?(りゅうきゅう)」だったのを、流れを求めてやってきたところから、「流求」に改めたのが後年「琉球」に転化したそうです。