沖縄博打旅

(4)ポスト・パナリンピック
@それはないだろ
軽トラックの助手席で揺られ,あずま旅館に到着。「後ろの人間を送っていくから,ここで降りて休んでいきなさい」と言われ,私だけ先に降りることに。入り込んだロビーは,出て行ったときの時間で止まったままのような空気があった。私の置いて行った荷物もその位置のまま。ふと大丈夫かと思ってしまったが,何事もなく済んでホッとする。ま,大抵の客はこの旅館の前を素通りしちゃうだろうから,わざわざ入り込んで物を盗む輩なんて“あり得ない”ほうに近いのかもしれない。
それにしても,ホントに静かだ。私が帰ってきて多少物音がしているはずだろうに,誰かがヒョコッと出てくることもない。しばらくして,女将さんがどこかに行くついでに私の姿を見て「よかったですね。晴れて」なんて言ってあっさりと通り過ぎていったが,多分どこかに用事があるついでで声をかけてくれただけであって,ホント自然体というのか,マイペースというのか,何もなければそのまんま放っておく感じ。あるいは,私にかかわるのをあきらめただけかもしれないが。
5分ほどすると,軽トラックが旅館の前につけられた。間もなく主人と“第1島人”の2人が降りてきて,そのまま食堂に流れ込んでいた。2人はもしかして知人同士なのか。一方,私はといえば,あいかわらずロビーでウダウダしていた。そういえば,昼食を食べるのかどうかを聞かれて断ったのだが(第4回参照),あるいはこの食堂に用意してくれていたのだろうか。
うーん,これは素直にご好意に甘えるべきだったの……ま,どっちみち食事は出ないのだ。そもそも,食い過ぎを懸念して昼食を軽くする意図もあったのだ(第4回参照)。単に私は意思を通しただけなのだ。でもって,旅館にはこれで完全に用事はなくなったし,別に彼らとものすごく親しくなったわけでもない。ここはズラかろう。とりあえず食堂の奥にいた主人に「どうもありがとうございました」と声をかけると,「あいよ」って感じで手を挙げて応えてくれた。
さあ,どこでメシを食おうか……実は昨日「マツリカ」に行こうとしていたとき(第3回参照),名前は忘れてしまったが中華料理屋が1軒あったのだ。なので,そこに行ってみたら残念,正月休みだった。もう一つ,目につけていた集落内の「なんごく」という店も同様だった。あるいは昨日寄った玉盛スーパー(第2回参照)で弁当か菓子パンを買って…というのもオツだったのだが,今日の午後確実に営業している「釣」に行くって選択肢が頭をもたげだしてきて,そのまんま行くことにしてしまった。
はて,昨日は八重山そばとライスを食べたが,今日は何を食おうか……店内に客は2人。人種としては中年オヤジがカウンターに,若い女性がテーブル席に1人,それぞれ昼時をマッタリ過ごしている感じだった。私はまた昨日と同じ席に座る。すると,昨日と多分同じかもしれない女性店員がそばに置いてある冷たいさんぴん茶のポットからコップに注いでくれた。なーんだ,昨日は手が回らなかっただけだったのだ。今回はタコライスを注文することに。スープつきで700円。
しばし待つ。昨日と特に変わった光景はない。カウンターの男性は,いちいち確認しちゃいないが,昨日の男性と同様,出入口までタバコを吸いに行っていた。昨日はカウンターで,常連相手だったからなのか新年の乾杯なんかやっていたが,今日はすごく静かだ。2日の午後までは何となく正月明けのテンションで盛り上がれるが,3日にもなると,そろそろそのテンション疲れが出てくる時期かもしれない。でもって,翌日から大抵のところではまた日常が始まるのだし,その前の小休止とも言えようか。
待っている間に“チーン!”という音が何回も聞こえてくる。どう考えても,電子レンジの音であろう。しかも,よりによって何度も。温めが足りないのか,はたまたそうやって何度も加熱して作っていくものなのか。タコライスといえば,ひき肉を炒めるのにフライパンなどを使う以外は,素人感覚で言えば,調理器具を使わないものだと思う。はて,すでに作り置きしたひき肉を温めるための“チーン!”なのか。はたまた,ひき肉を油で炒めてカロリーが増すよりは,電子レンジで加熱していったほうが肉の中にある脂に火が通った状態になるのか。ま,多分前者っぽい気はするが……。
10分足らずで“問題の”タコライスは出てきた。直径25cmぐらいの器に,上からトマトの粗みじん切り,キャベツの粗みじん切り,ひき肉にチーズにライス。肉には辛味がついていた。「お皿が熱いので気をつけてください」と言われたが,それって間違いなく「電子レンジを使いました」って言っているようなものだろう。でもって,メシの一部が固まっていた。それ以外の味はまずまずだったかと思われる。スープは味噌汁。具が何だったかは忘れた。
タコライスを食べていると,見たことのある顔が入ってきた。あずま旅館の主人とパナリの第1村人(前回参照)だ。何ともヘンな感じがしないでもないが,一応会釈すると向こうも「オッ!」っていう反応をした。彼らもまた昼飯がなかったらしい。後ろに座ってカレーそばを頼んで,そして近くにいた女性と会話していた。顔見知りなのか。こちらはこちらで食べ終わって声をかけると,そそくさと出ていくことにした。やっぱり何ともヘンな感じが拭えなかったからだ。

ターミナルは13時5分前に到着。このまま石垣島に帰るのは惜しいし,乗ることになろう14時発の安栄観光の高速船は竹富島経由と看板に出ている。1410円。前回も書いたように「石垣―大原」の往復チケットを買っているのだが,これだと帰りは1390円。八重山観光フェリーのヤツに乗るために払い戻すなんてことはできないが,同じ会社だったらば20円上乗せすりゃ大丈夫ではないか。いま,安栄観光側のチケットカウンター(といっても,机が一つ設けられただけのものだが)には係員がいないので,後で確認しておくことにしよう。
建物の中はそれなりに人がいたが,やがてみな停まっている高速船に乗り込んでいた。安栄観光のものである。はて,臨時便かと思って声をかけたらば,どうやらツアー用のものらしい。私の前に乗っていった女性が竹富島に行きたかったらしく,でもって船は竹富島も経由するというから,私も一緒に乗せてもらえれば有り難かったが,すでに中は満席になっているし,それほど急ぐ旅でもあるまい。ここは黙って見送ることにしよう。
しばし,誰もいなくなったターミナルの建物に戻って休憩。テレビからは昨年に放送されていた“ウリナリ”のダンス特番が流れていた。20分ほど観ているうちに,一つ確認しときたいことが出てきた。竹富島のターミナルにコインロッカーがあるかどうかである。この駄文を打つためにLet's noteを持ってきているし,ジャンパーやマフラーも邪魔である。それらを持って竹富島を散策するのはしんどい。
なので,ターミナルを運営する総合案内所「てぇどぅんかりゆし館」に電話することに。するってーと,私のケータイは西表島では役に立たない。「圏外」を表示してしまうのである(「西表リベンジ紀行」第1回第4回参照)。別に半年経過したからって電波状況が急によくなるわけじゃないから,公衆電話を探さなくちゃいかん……結局,ターミナルそばの土産物ブースに一つあって,早速かけたらば「ありますよ」という返事。これで竹富島にダイレクトに行ける。もしもないようだったらば,一度石垣島に行って荷物を置いてから渡ろうと思っていたからだ。でもって,余計に「石垣―竹富」の片道運賃を払うことになってしまうことになる。
再び待機の状態でいると,ちらほらと客の姿が出てくるとともに,安栄観光のカウンターに係員がやってきた。「すいません,この石垣行きのチケットに20円足して竹富島で降りるのはできますか?」と早速聞いてみると,「ああ,このままでOKですよ」とのこと――なるほど,考えてみれば,乗るときに券を渡してしまえば,あとはいちいち誰がどこで降りるかなんて,ツアー客でもなければ船員が干渉するわけでもないし,どっちみち竹富島から石垣港まではまた別途チケットを買わなくちゃいかんのだから,この20円くらいはどーでもいいってことであろう。
13時40分,安栄観光の高速船が2隻連なって入港してきた。はて,桟橋の突端と手前に着いたが,どちらに乗るべきか。とりあえず,突端のほうに向かうと,手で「こっちじゃないです。向こうです」という感じの指示。ってことは手前のほうか。なので,そちらに乗船することに。時間が経つにつれて次々と客が入ってきて,いつのまにか満席近くになって出航。竹富港に着くまで30分ぐらいかかるだろうか。朝3時からウツラウツラだったし(第4回参照),適当な揺れで次第にまどろんでいく。
……ところがである。平たい竹富島の姿が左手に見えてきたにもかかわらず,そちらの方向へと船が入っていく感じもしなければ,スピードも落ちていかない。そうこうしているうちに,島影はどう考えても石垣港付近にしかあり得ないような,建物の立ち並ぶ光景に変わっていき,14時40分,石垣港に入港。まったく,今までのココロ構え(?)は何だったのか。唖然としてしまった。
とはいえ,その訳を聞くべく,係員に聞いてみる。「すいません,これは竹富島は通らなかったのですか?」「ああ,もう一方のほうだったんです。1時50分に出たんです」「どこにも竹富島行きとかって書いていなかったですよね?」「言っていただければ…」――ガクッである。大原港では何も看板による指示もなかった。間違いない。2隻連なってきたのは混雑しやすい時間だから,はたまたツアーがやってくるから臨時に出したのだと思ったし,でもって,無条件で竹富島に寄るものと思い込んでいたのだ。あるいは「観光客だし,分からなければ聞くだろう」という船舶会社側の考え方があるとするなら,逆に聞かないで黙って乗る客がいるという考え方も持ってほしい。不親切なところは絶対あると思った次第だ……うーん,でも逆にある程度慣れていることが裏目に出てしまったのか。
でもまあ,メリットがないわけでもない。石垣港付近のコインロッカーに荷物を入れたほうが,石垣港付近でウロウロするのに,また荷物を入れるのも,せいぜい数百円とかでもどこかもったいないし,ここ石垣で入れていってしまえば,港から石垣空港に向かうまで手ぶらで済むのだ……とりあえず,どこに入れようか考えて,石垣バスターミナルのコインロッカーに入れることに。300円。でもって,空港行きのバスは18時台が00分・20分・40分発。飛行機は19時半発だから,20分のに乗って行こう。
再び石垣港に戻る。竹富島行きのチケットを買うのだ。もちろん,買うのは“もう一方の”八重山観光フェリーのほうだ。往復で1100円。安栄観光も同額だが,さっきの不親切がひっかかっているので,当然っちゃ当然の鞍替えだ。ま,私1人が鞍替えしたところで,向こうは痛くもかゆくもあるまい。こっちは往復で買ったときの片道分520円を,確実に損をするにもかかわらず。
言われた船に乗り込むと,幌があったこともあり,後部のデッキ席に座ることにした。壁にあるテレビでは沖縄限定のタレントが出てきて,何やらバラエティ番組をやっていた。たしか最初に船に乗り込んだと思うが,船室に入っていったのは数人。でもって,デッキに座ったのも数人。さすがにこの時間から竹富島に行くヤツなんて少ないのだろう。むしろ,帰ってくる客を当てこんでの出航であろう。15時に出航すると,それほどスピードを上げるでもなく,惰性っぽいスピードで竹富港に入港する。

A4度目にして初めて行く場所
いつもは竹富港から,集落を経由するなりコンドイビーチに行くなり,ほぼ定番に西部側のコースを辿っていた私であるが(「沖縄標準旅」第6回「沖縄はじっこ旅U」第8回参照),今回は今まで行ったことがなかった島の東部に行くことにしたい。あいも変わらず,観光客の絶えないターミナルだ。そして,何度見てもその変わり様に複雑な気持ちを抱かずにはいられない。
感傷はとっとと捨てて,目指すべき場所に歩を進める。今回行くのは「アイヤル浜」という砂浜。『やえやま』いわく「訪れる人が少ないので落ちつく」とある。港からすぐ南東に延びる道を行くと近道のようだが,どこだよく分からずに結局は港の端からジャリ道を入ることに。ヘビのようにくねった道に差しかかると,突然右手に黒い牛が。実はこちらはセーター1枚なのだが,よりによって真っ赤なセーターなのだ。ひもでつながれてはいるが,はて牛に赤というと,闘牛のイメージが湧き上がる。細かいことは分からないが,同じ牛であることには変わりない。刺激しないものかと一瞬ビビッたが,向こうに理解できるかどうかも分からないようなテキトーな愛想笑いをして通り過ぎる。
周辺は一言で言えば「荒れ地」だ。「原野」としても適当な表現か。どこからどうやってこの位置に落ちついたのか分からないような大きな岩がそのまんまあったりする。無論,この道を通ってくるヤツが少ないから整地しないのだろう。そーゆーところはやっぱりゴミ捨て場になっているようで,粗大ゴミが捨てられてあった。この島もやはり「生活の島」なのである。
それでも,たまーに大きなガジュマルがランドマークみたいな感じで,緑の上に乗っかるように伸びている。沖縄風牧歌的かつ大陸的な光景でもある。ベン・E・キング『スタンド・バイ・ミー』をBGMに,モノクロ映像にしたら結構絵になるかもしれない。そのたもとは牧場となっている。水牛が数頭のんびりと草を食んでいたが,柵があるので安心していたら,1頭がこちらにゆっくりと進んでくるではないか。ゆっくりなのはこちらを撹乱するためで,強烈にタックルをしたら柵なんて簡単に倒しちゃいそうなくらいだったが,柵の前でストップしてこちらを眺めたまま佇んでいた。焦らすな。
やがて,右後方よりアスファルトの片道1車線の道路と合流する。島の1周道路だ。この辺りで汗ばんできてまたTシャツ1枚となる。ちょっと進んでまた左に入る格好になるが,その場所は,そちらの方向からチャリに乗った5人の観光客が出てきて分かった。十字路の角は竹富島交通の車庫のようで,2〜3台ワゴンが停まっていた。まだ15時台ともあれば稼ぎ時であろう。たまに人を載せたワゴンとすれ違った。その角で左に折れることにする。
間もなくあった十字路の角に案内板。「アイヤル浜1.3km」――徒歩の1.3kmというと,結構な距離だ。あるいは「てぇどぅんかりゆし館」でチャリを借りればよかったのか。でもって,前方・後方とも,しばしばチャリ客とすれ違う。「沖縄標準旅」第6回「沖縄はじっこ旅U」第8回に書いている……かどうかは分からないが,この島は徒歩で回ってナンボな島だと個人的には思っている。だからこそ,今回も徒歩でやってきたわけだが,片道1.3kmだから往復で2.6km。プラス,ここまでやってくるのに1km近く歩いているから,トータルでは5km近く歩くことになる。
うーん,いくら食い過ぎで“要ダイエット状態”といっても,帰りの時間だって気にしなきゃいかんし……チャリにすればよかったかと,ちょっと後悔してしまう瞬間だった。とはいえ,いまさらスタート地点に戻るわけにもいかない。ここはひたすら一本道「アイヤル道」を進んでいくっきゃない。下はジャリ道。デューク更家氏からウォーキングの心得を聞いたわけでもないし,足元の悪さも手伝ってだんだん乳酸が増えていくのに耐えるしか術はない。
周囲は概ね緑のみだが,たまーに平原が広がったりもする。だからといって何があるわけでもない。1箇所,平原の彼方に鳥居が見えるところがあったが,それが唯一の「何かがある景色」といっていいものだろう。もっとも,評価はそれ以上でもそれ以下でもないのだが,すべてが刺激的で感動的で素晴らしい光景ばかりだと,それはそれでちょいと疲れてしまいそうな気がする。まったく,ワガママというか気まぐれというのか気難しいというのか……。
それにしても,正月なのに長袖1枚ないしはTシャツってのは,あらためて不思議な感覚に襲われる。すなわち,誰かといると案外気づかないものだと思うが,1人で黙々と歩いているから,否応無しに関心が自分に向くことが増えてくるのだ。その自分がいまTシャツ姿だ。記録的な大雪だの記録的な寒さだのと,本土では厳冬の襲来が連日話題になっていて,実家での元旦は服装も厚手のセーターにフリースにジャンパーなんて格好だったと思う。
それなのに,こちらは気温が20℃以上は越えている。クーラーこそいらなかったが,ハイビスカスなどが花を咲かせ,チョウチョがあちこちを舞っている。5月ごろに一気に進んだのか,はたまた昨年の秋口に戻ったのか,そんな感覚だ。気候帯はたしかにちょいと違うけど,国までが違うわけではない。たった2日で季節が変わるなんてことは,まずあり得ない…はずだ,いくら異常気象のこの時代でも。同じ1月3日でもあまりに違いすぎる状況に置かれていることに,あらためて眩暈を覚えてしまう。
黙々と,時にはチャリに抜かれながら歩くこと20分余り,いよいよ砂浜が近づいたような防風林の森の中へ。軽自動車が1台とチャリが6台停まった駐車スペースを過ぎると,なぜか二股に分かれる砂の道が。とりあえず左に進むことにすると,目の前に広がった海。アイヤル浜到着である。アイは東を意味する「アガリ」が,ヤルは原っぱを意味する「バル」がそれぞれ訛ったものとされている。東の原っぱを意味するように,島の東部に茫洋として平坦な原野が広がった先に砂浜がある感じだ。
砂浜はごくごく素朴な雰囲気。いまこのエリアにいる10人という数が,「人が訪れない」というのにあてはまるのかどうか分からないが,今のところは静かな浜である。中には波打ち際で足を浸けている輩もいた。潮流が早いために遊泳禁止だとあるが,波打ち際は穏やかでも,北から南に向かって潮の流れがあるのがはっきりと分かる。沖では安栄観光の高速船が石垣港に向かって2隻走っていた。その果てには,時には蜃気楼のように時には摩天楼のように,ボンヤリと石垣港付近の高い建物が浮かんでいた。この近距離で都会が見えるのも,何だか不思議な感覚ではある。

ここまでやってきたからには戻らなくてはならない。後から来た輩に行きに抜かれ,帰りにもまた抜かれながらも,黙々と歩くのみ。帰りの船は16時45分と17時15分のどちらかにしたい。いま,時刻はちょうど16時である。16時45分の船は何も見なければギリギリで間に合うかもしれないが,さっきの平原向こうの鳥居が気になっていた。付近にいくつか御嶽もある感じである。
そうとあれば,17時15分の船に間に合うような形で,もう少しいろいろ見ていこうか……帰りも別に行きと景色が変わるわけではない。強いてあるとすれば,行きのときに書きそびれた所々にあった謎の石積みと,地面に死体のように止まっていた紫のリュウキュウアサギマダラの存在を書き添えておくことぐらいかもしれない。蝶って枝葉に止まっていると絵になるけど,地面に止まっていると「はて,死んだのかな?」と勘違いしてしまう――ハイ,これで数行が埋まったぞ。
でもって,平原まで戻ってきたと書くことになる……いやいや,それはいいとして,平原は何か畑地のような感じだが,ここを突っ切ってもお咎めはないであろう。草がある程度生えているから,チャリでは突っ切れまい。ざまーみろ……といっても,その分チャリはスピードが出るから,差し引きじゃ大してかかる時間は変わらないのかも。ケッ。
さて,平原を突っ切った先の御嶽は「久間原御嶽(くまばるおん,くまはらうたき)」……ホントはパナリ同様,鳥居の中に入っちゃいかんのだろうが(第4回前回参照),ここはあくまで竹富島だ…って,まあ好ましくはないのだろうけど,一礼をして入らせていただくことにした。20mほどのアプローチの奥に,高さ3m・幅3mほどの赤瓦で白いコンクリートの社があった。右奥に榊とコップが置かれて,真ん中からはさらに奥に行けるようになっているが,それはさすがにやめとく。久間原発金(くまばらはつがね)という人物を奉ったとされる。竹富島の始祖である6人の酋長の1人で,久間原村という集落をまとめていた。沖縄本島から渡来したとされ,植林に努めたので「山の神」とされているという。
ちなみに,だしぬけに出てきたキーワード「6人の王」。今から300年ほど前の1713年に出された『琉球国由来記』によれば,こういうことのようだ――竹富島にはかつて六つの集落があって,それぞれに酋長がいた。すなわち,@玻座間村の根原金殿(ねはらかねとの。読みがなは現代風とした。八重山方言に読むと多少違うと思われる。以下同じ),A仲筋村の新志花重成(あらしはなかさなり),B幸本村の幸本節瓦(こうもとふしかわら),C久間原村の久間原発金(くまはらはつかね),D花城村の他金殿(たかねとの),E波利若村の塩川殿(しおかわとの)。
6人の酋長は争うこともなく仲良くしていたのだが,竹富島にはかねてから守護神と豊作の神様がいなかった。このままでは有事に争いごとが起こるのは目に見えている……と思ったかどうかは分からないが,全員で神様が現れるように祈願したところ,願い叶って神様が各々の島から渡ってきたという。どーゆー取引があったのかは分からないが,@は屋久島から来た神,ACDは沖縄本島から来た神,Bは久米島か来た神,Eは徳之島から来た神をそれぞれ奉ることにしたという。
これに気をよくしたのか,はたまた思考が大人になったのかどうかは分からないが,さらに6人は領地争いが起こらないよう,お世辞にも広いとは言えないこの竹富島での土地の使い方について話し合ったという。その結果,@は島の北部を領有して粟作に努めて「粟の神」になる。Aは島の中央部の土地と北西の海を領有して麦作に努めて「麦の神」となる。Bは島の西方の土地と海を領有して豆作に努めて「豆の神」となる。Cは今の南西部あたりと思われる土地と海を領有。しかし,不運にも耕作には不適切な土地だったので植林に努めて「木と山の神」となる。Dは土地よりも海を領有することを希望したために,島の東から南にかけての海を領有し「海の神」となる。Eは無欲だったために,土地はわずかに海は島の東北部分を領有。でもって,一番若かったので積極的に「雨の神」となって,他の酋長たちの作物の生育を祈る――という役割をそれぞれ担うことになったというのだ。
結論としては,@からEまで神様を奉ったいずれの人物も,結局は奉られる側となって竹富島創世の「六山」と呼ばれ,現在至っている(「山」とは「こんもりした森」の意味)。争うことなく皆で分担があっさり決められたってのは,何だか昔話としては出来すぎな設定っぽい気がしないでもないが,竹富島のイメージからしたら,それなりにしっくり来るような気がする。また「奉った側がついでに奉られる」というのは,元々が説話の世界であるところも大きいだろうし,いかにも日本人的な発想でもある。
話を戻そうか。久間原御嶽は上記Cにまつわる御嶽というわけである。この近くにはさらに二つ,「花城御嶽」「波利若御嶽」があるようだ。すなわち,前者がD,後者がEにまつわる御嶽である。方角としては帰りの方向とは逆,海に向かった方向だ。ここで来た道をまっすぐ戻れば,ギリギリで16時45分の高速船に乗れると思うが,どうせ30分遅く帰ったところで何に影響があるわけでもあるまい。むしろ,17時15分のほうが,石垣でのメシが18時近くになるから,ヘンに石垣で時間ができて退屈にならなくてよいかもしれない。ここは思い切って,さらに道の終点にある「ナーラサ浜」まで行ってしまおう。
150mほど海の方向に進むと,Dがある。25mのアプローチ。高さ・幅とも3.5mほどのコンクリートの社には,石の香炉と榊,そしてペットボトルが4本あった。その向かいにあるEは,鳥居をくぐると左にカーブするアプローチが特徴。赤瓦に白いコンクリートの社。Cと同様に右奥に榊とコップが置かれて,真ん中からはさらに奥に行けるようになっているが,それはさすがにやめとく――とコピーしとく。
そして,この二つの御嶽から先はあまり道が開けていない。おもむろに牧場があって,琉球石灰岩の石垣があったりもしたが,それらをさして見る余裕もなく,両側と足元の草葉をかきわけてダッシュすること5分。岩場が多くてコケが生したような海岸がナーラサ浜だった。時間も少し遅いからか,私以外は誰もいなかった。沖にはでっかいタンカーが蜃気楼みたいに浮かんでいた。
右手を見れば砂浜らしきものがずっと続いているようで,どうやらこれだったらば,アイヤル浜から北に向かってそのまま歩けば着いたのかなと,ちと後悔した。近くに案内板があったが,それによれば,このナーラサ浜とアイヤル浜の間にある「キトッチ浜」の砂が,竹富島の象徴といえる集落に撒かれる砂として最も適しているとあった。
――さて,あとは帰るのみ。とはいえ,たまたま見つけた一つの石碑。行きにも同じ道を通ったはずだが,草葉に隠れているために気づかなかったのだ。そこには「ミーナ井戸」という文字が。かつては島の貴重な飲料水として使われていたという。見れば石碑の脇にある岩と岩の間の狭い隙間から,下へ入ろうと思えば入れる感じだが,これもやめとく。改めて調べたらば,ちゃんと石段が組んであるようで,何でも小石を井戸の中に投げ入れて,「今から中に入ります」と合図を井戸に送ってから入るという。井戸にはいまだ水も湧いているそうだ。

(5)エピローグ
17時15分竹富港発の高速船に乗り,石垣港に着いたのは17時半。せっかくなので,夕飯を食べたいところだが,『やえやま』を見たりした結果,一度記念に行ってみたかった「焼肉金城」という店に行くことにする。港の中を通り過ぎるとき「マルハ鮮魚」の前を通ったけど,さすがに外のテーブルでビールを飲みながらというのは寒い(「西表リベンジ紀行」第1回参照)。ま,いまさら場所を変えたいほどに引かれるわけでもないし,早歩き気味に店へ向かう。
ちょっと寂れた感じの飲食街の端っこ,ビルの1階に店はあった。正確には「焼肉金城美崎店」。石垣島と沖縄本島に店があるチェーン店だ。石垣牛を取り扱う店として有名で,石垣島は白保(「沖縄はじっこ旅U」第3回参照)にある自社牧場「ゆいまーる牧場」で育てた牛だ。店に入ってすぐのところに種牛「安晴姫」の写真と,最高級霜降り肉を意味する「A5」ランクの称号が示されてあった。
壁が石造りでちょっと高級感がある感じがするが,中にいたスタッフはどう考えても地元のアンちゃんとネーちゃんたち。「焼肉ですか?」と聞かれたので,一瞬返答に困った後に「…いや,ハンバーグなんです」というと,何事もなかったかのように掘り椅子となっている座敷に通してくれた。あるいは「コイツ,焼肉屋でハンバーグかよ!?」と思ったかもしれないが,それを我慢して億尾にも出さないでくれたことに感謝したい……かも。しかし,あらかじめ置かれていた網とタレは,しっかりどかされてしまった。
さて,なぜにハンバーグかといえば,『やえやま』にもここのメニューにも“店長オススメ”と書かれてあったからである。焼肉を1人で食べることに抵抗感はないが,食べられる量というのが知れているし,やっぱり複数人で食べたほうが何かと楽しく食べられるものである。それと,何といってもメシの食い過ぎ(第4回参照)を気にしていることも大きい。
なので,特別に何も頼まずに,シンプルにハンバーグだけで済まそうというわけだ。といっても,もちろん石垣牛100%である。そんじょそこらのハンバーグとは訳が違うのだ。100gから400gまでボリューム(と値段)が4段階あるが,100gじゃさすがに足りないかなと思ったのと,一応パナリ(第4回第5回参照)と竹富島(上記参照)で結構な距離を歩いたことも加味する,すなわち「まあ,さんざん歩いたんだから」という根拠のあるようなないような理由で,200g(630円)とすることにした。プラス“ライス・スープセット”が250円。これも頼むことにする。
だが,その前に「まずは飲み物からご注文を」と来られてしまった。こう来られてしまうと,どうも「いいえ,水(またはお茶)で結構です」というフレーズが出てこないもので,言われるがままにメニューをパッと取り出して,630円もする「石垣島地ビールマリン」なるものを注文してしまう。そんな時に限って,注文後にテーブルの端にポットがあることに気づくという始末。「あー,冷たいサンピン茶だな。まったく,茶があるんだったらば頼まなきゃよかったぜ」と思って,後で注いでみたら冷水だった――頼んですぐ出てきたビールは,黒ビールっぽい色と味。330ml入りの小ビン入りなので,全部飲めなくても(飲まなくても)あまり損した気分にならないのが救いだ。結局,半分飲んであとは残させてもらった。
さて,出てきた肝心のハンバーグは手のひらサイズのものだった。あさつきがパラッとかかって,しょうゆ味の和風なものだ。甘みすら感じる美味さで,とろけるような食感だった。だてに石垣牛じゃない。いかにも「肉〜!!」って感じの押し固めたような食感は微塵もなかった。付け添えの野菜はサウザンドレッシングがかかった千切りキャベツ。スープは湯呑茶碗みたいなカップに入った,焼肉屋といえば…かどうかは分からないが,白ゴマがかかったネギ入りワカメスープ。でもって,ライスはまたもどんぶり飯――「まあ,さんざん歩いたんだから」と再び言い聞かせて,一粒残さずに食べることにしたのであった。残すのがもったいないのだ。ああ,でも体重が……。(「沖縄博打旅」おわり)

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