沖縄博打旅

(2)西表おさらい紀行
@メシ1食=靴下1足
11時40分,大原港着。やはり,あれだけいた乗船客のほとんどはバスに吸い込まれていった。もちろん,ツアー客もかなりいるだろう。ターミナルの入口に,あるいは「あずま旅館」と書かれた看板を持っている人が……いるわけがない。だって,何時に行くって言っていないし,第一港から坂を上がって,信号の角にあるのだ。徒歩でも3分ほどで着いてしまうのだ。
そして,やっぱり3分で着いた。というのも,斜向かいにあるオリックスレンタカーの大原営業所に昨年7月に来ているのだ(「西表リベンジ紀行」第1回参照)。そのときもたしか3分くらいで着いたので,斜向かいのこの旅館も,そのくらいで着くのだと思っただけなのだが,実はその昨年7月のときはこの旅館の存在にまったく気づいていなかったのだ。
案外,自分の目的以外は全然目に入らなかったりするものだ。別に都会の交差点みたいに道幅が何十mあるわけじゃなく,片道1車線だから5mもなかろう。にもかかわらず目に入らないというのは,逆にそれだけテンパって旅行しているってことの裏返しなのかもしれない。フツーの場合は普段の仕事でテンパっているからこそ,こういう日常を離れた旅行でリラックスすべきかもしれないのに。
外は大分青空が出てきているが,その南国の陽の光なんざどこ吹く風って感じで,とっても年季が入った外観である。2階建てのコンクリート建て。さらに軒に隠れて玄関がうす暗い感じだ。ホームページではもっと明るい雰囲気だったと思うが,よく見れば作成時が今から4年以上前。普通トップページが最初に出来上がるものだろうから,それから4年経てば「建物も4年経つ」ということか。あるいは画像を加工しているのか……もっとも,夏場はこれが逆に暑さしのぎで効果的だったりするんだろうが,冬場はどこか寂しさを醸し出してしまう。ま,今はどっちかといえば“シーズンオフ”だろうから,関係ないのかもしれないし,それ以前に部外者がとやかく申し上げる立場じゃない。
玄関は開けっぱなしだ。暖かいし天気がよいからだと思うが,こういうのもまた,のんびりした離島ならではかもしれない。中に入ると,一段上がったフローリングにはなぜか黒のウエットスーツが二つ置かれてあった。ソファがあって右側がフロントカウンターとなっている。正面の壁には,ヤシガニの剥製が額に入って飾られてある。
人は誰もいない。スリッパが2足置いてあったので,自分用に置かれていると勝手に勘違いしておいて,上がって声をかけてみる。しかし,一度では反応がなかったので,ちと大きめに「すいませーん」と言うと,中年女性が奥の左側から「はいはい」と出てきた。多分,電話の応対をしてくれた女性に間違いあるまい。名前を名乗ると,「ああ,はいはい」ということで,記名してチェックイン。ついでに明日のパナリツアーに参加する旨を言うと(前回参照),あっさりと了承されてこれにて予約完了。
「明日はどちらかに行かれる予定だったんですか?」
「ええ,鳩間島に行く予定だったんですけど,明日フ
ェリーが出るかどうか分からないですからねぇ」
「ああ,船浦はこの時期はずっと欠航ですからね」
「そうですね。なのでこちらに」
「今日は,じゃあ船浦のほうに行かれるんですか?」
「いや,仲間川とこの辺りをブラブラします」
メシの時間は「19時ごろに来てください」と言われ,カギを受け取って2階に上がる。フロントの後ろに階段があって上がっていくと,右手にマンガ本とマンガ誌がたくさん積まれていた。ドアも一昔前の下宿みたいな,木のドアで上のほうに小さくすり硝子がはまっているヤツである。途中にはタイル貼りの風呂場もあった。廊下の一番奥にある部屋が今回泊まる203号室。カギを差し込んでひねってみるが閉まったまま。何のことはなく,元々開いていたようだ。
立てつけの少し悪くなっているドアを開けると,ピンクを基調とした6.5〜7畳程度の洋室。ベッドはダブルベッド。枕が二つ置かれてあった。あるいはカップル向きの部屋なのか。バッグからパソコンとコンセントを取り出して,ジャンパーとマフラーも置いといて外出することに。カギを閉めようとすると,これがなかなか閉まらない。はて,中でロックしてから閉めようと思っても,ひっかかって閉まらない。何度かトライしたらカチッと言ったので,ノブをガチャガチャしてみたら閉まっていた。はて,どうやったら閉まったのか,再現してくれと言われても不可能なくらい謎だった。

とりあえず,バスターミナルがある方向を目指すことに。昨年は橋を渡ってすぐ右手にある「やすみや食堂」で食べたが(「西表リベンジ紀行」第2回参照),車だったら2〜3分で行けても,徒歩ではかなりかかりそうなので,できれば大原集落の中で済ませたい。『やえやま』によれば「なんごく」という店が近くにありそうだが,その前に右手に営業している店があった。
名前は「釣」とある。今日の昼と明日の昼は営業しているようだが,大晦日と元旦は丸々休みと看板にあった。朝食は空港のコンビニで豚丼弁当なるものを食べてきたが,それから7時間ほど経っていて,腹もそれなりに空いている。あんまり選んでいるヒマも我慢もないので,入ってしまおう。外から思いっきり丸見えであるが,客もちらほらとしかいない。あるいは,石垣港にある「マルハ鮮魚」(「西表リベンジ紀行」第1回参照)で天ぷらと刺身…とも思ったが,時間がなく食べ損ねたのだ。ま,今となっては激しく船に揺られ(前回参照),まかり間違って“リバース”しないとも限らなかったので,ここまで待っていてよかったかもしれないが。
中に入ると,中年以上の男性2人がカウンターでどんぶりを前に置いて,ジョッキ片手にマッタリしていた。正月からこうして店に出てきているのも,都会じゃあんまり見ない光景のような気がするが,まあいいか。女房から「今日は外で食べてきて」と言われたか。はたまたおせちに飽きたのか。テーブル席は長い木の形を生かしたようなテーブルが二つある。それぞれに丸太状のイスが(2列×5基=)10基ほど置かれている。
一方の端っこには女性が座っていて,何かを飲みながらまったりと本を読んでいた。その向こうにマンガ誌や単行本が雑然とあって,そこからテキトーに取っている感じだった。多分,読んでいるのはマンガだろう。はて,ここは図書館なのか。もう一方の空いているほうに座ることに。カウンターに座っている男性の背中を見るような形になる。
メニューを見ると,左半分に書かれているそばの類いにカレーライスとタコライスが昼のメニュー。右半分に書かれてあるチャンプルーの類いが夜のメニュー。チャンプルーの中にはイノシシのチャンプルーもあるようだが,残念ながら食べられない。西表島の旅館ではイノシシ料理も予約とかで出されるようだが,そのイノシシとやら,一度食してみたかっただけに残念だ。ちなみに,他のチャンプルーものが700円とか800円なのに対して,これだけ1200円と高く設定されていた。それだけ希少価値…っていうか,そもそも獲ってこなければお話にもならないし,高いのはやむを得ないか。
カウンターでは女性が1人で切り盛りしていた。どうにもこちらに目をくれる感じがない。テーブルの端っこにサンピン茶のポットとグラスが置かれてあったので,これはセルフサービスってことで注いでおこう。で,なかなかこちらに来そうにないので,声をかけて「八重山そば」を注文する。500円。さらには時間が経って空腹感が増したもので,100円のライスも注文する。
待っている間,中を見渡す。一番奥は4畳程度の打ちっぱなしの上がりがある。何に使うのかはつくづく謎だ。隣にある請福酒造の泡盛のたくさんの空瓶が,なおさら“謎感”を増す。そして,10m四方ぐらいの店内の広さに対して,テーブルが長いのが二つしかない。書棚は壁にくっついているから,かなり通路が広い…いや,広すぎると思う。「ムダなスペースが多い」とまでは行かないし,隣とくっつくようになっちゃうよりはいいだろうが,何となく空間があり過ぎるってのも落ちつかないものだ。
そのうち,カウンターの男性の1人が店の出入口に向かっていった。すると,これまたサンゴが置かれた謎のショーケースの向こうに座ってタバコを吸い始めた。はて,タバコを吸うなら席で吸えばいいのに,あるいはこちらに気を使ってくれたか。はたまたあそこが喫煙スペースなのか。たった1人でタバコを吸っている姿が,何ともペーソスを誘う。
さて,10分経つか経たないかで,八重山そばとライスと漬物が黒いプレートに乗って出てきた。八重山そばは,かまぼこ2枚・紅ショウガ・あさつき・豚三枚肉(というかチャーシューっぽい)の細切りが,中太の黄色い麺の上に載っている。丼は直径15cm×深さ7cmくらいの器。それにたっぷり入っている。はて,これだけでも十分だったか。ダシは正統派な豚骨かつおだし。まずまずの味だった。ライスはもちきび入り。これまた茶碗に山盛りだ。漬物は大根とニンジンの千切り。この漬物にしょうゆをかけて,もちきびライスを食らう。たまーに,豚肉の細切りあたりでアクセントつけつつ。
そばは初め,何も入れずに食べていたが,途中から気まぐれにコーレクースを入れて食べる。石垣島産の唐辛子・ピーヤシや,七味唐辛子もあったが,何となく勢いでコーレクースを入れて,味を少し引き締める。それらの調味料の脇には,どう見てもブルーのフタで,“アジシオ”の瓶と思われるものがあった。中に少し黄色かがった液体が入っていたが,はてお酢か何かか。

店を出る。時間はまだ12時20分。仲間川のツアーが出るのは13時5分。すぐ先にやまねこレンタカーの建物が見えるが,あの裏手から道を入った先に乗り場があるのは,『やえやま』などで確認してある。今から向かったところで,乗り場で相当ヒマしそうである。なので,この時間を利用して,明日の衣服の中で買いそびれていた靴下を「玉盛スーパー」で買うことにする。昨年7月のときは,前を通ったが中には入っていない(「西表リベンジ紀行」第2回参照)。今回が初訪問だ。
中に入ると,「コンビニ超スーパー未満」の広さ&品ぞろえ。衣類は一番奥にあった。肝心の男性用靴下は……ゲッ,高い。一番安いのが630円だ。実は350円というのがあるのだが,いずれも女性用。足の大きさも25cm未満。ガラもやはり女性っぽい感じだし,一応25cmの私としては,やはり男性用のほうが好ましい。仕方がない。ここは630円のを買うことにしよう。やれやれ,今日のメシ代が靴下1足と同じとは,こういう珍現象もまた地方ならではか。
それにしても,どう見ても100円ショップで売られている男性用靴下と大差ないものだ。見れば神戸にある某企業の製品で日本製。二重編み・二重底。“キトサン加工”なるものが施され,アトピーが出にくいという。キトサンとやらはカニの甲羅から取れるそうで,カニのイラストが書かれてある。だからといって,この値段は……うーん,輸送料とかが込みなのかもしれないが,都会のほうが物価が高いと言われるわりに,こうして離島のほうがかえって高くつくケースもあるという典型かもしれない。もっとも,多少は“言い値”というヤツもあるのかもしれないが。
店内は1月2日といえど,それなりの人がいる。決して“開店休業”というわけではない。都会の大手スーパーが元日から営業することは,もはや珍しくなくなりつつあるが,こういう離島では逆に正月でも営業してくれないと困るのだろう。都会の大手よりもよほど需要は高いのだ。もしかしたら,靴下が高いのも,こういったところに起因しているのか。レジで順番待ちほしていると,ふと遠くに子どもたちの習字の展示。書き初めかと思ったら,テーマは「七夕」。半年も飾っとくのかい。
外に出て,ふとバス停が目に入る。先ほど,店から都バス…いや西表島交通のバス(「西表リベンジ紀行」第2回参照)が通りかかっていた。ちょっと気になったので時刻表を見たら,ちゃんと8時半発のバスがあった(前回参照)。右上には「2005年10月現在」とあるから,なるほど『やえやま』の時点と状況が違っていたのだ。その近くの自販機で,これからに備えて500mlのサンピン茶を買う。伊藤園の自販機だったが,3段あって真ん中と最上段に件のブツがあったのだが,同じものなのに,よりによって値段が30円も違うのだ。気づいてラッキー。当然,120円の安いほうを買ってやった。
さて,そろそろ仲間川ボート乗り場に向かおうか。『やえやま』で場所を確認すると,ちょうどスーパーの前から一本道だ。てくてくと歩くこと5分。チケットを売っている「やまねこレンタカー」の事務所に寄って,チケットを買う。1500円。そして,脇から下る道があるのでそこを入っていく。周囲は林になっていて,ヤエヤマヤシ・クワズイモ・ビロウなど,ここだけでも植物園として成り立ち得る感じに生い茂っている。そんな中にハイビスカスの赤がいいアクセントになる。このハイビスカスがあるのが,やっぱり冬の沖縄が本土の沖縄と違わせ足り得ている印だ。

A干支を一回りして
12時35分,仲間川ボート乗り場到着。大きな河口のそばに数隻の遊覧船が浮かんでいる。観光客の姿はなく,2〜3人の係員の姿があるだけ。そして,海に近い水辺に来たからか,風が強く吹きつけてくる。先ほどまであった陽射しがなくなって,少し曇ったりもしている。もちろん,運航に支障がない程度の強さではあるが,吹いてくる風が思いのほか冷たく感じて,あずま旅館にジャンパーを置いてきたことをちょっと後悔したりする。係員の1人もジャンパーを着ている。とはいえ,もう1人の係員は半袖ポロシャツだから,誰もがふるえる“救いようのない寒さ”ってほどでもないのだろう。あるいは,陽射しが出てくれば違うかもしれない。
しばし,近くにある待合室で待つことに。待合室といっても,プレハブの6畳程度のもの。壁沿いにベンチがあって5〜6人座れるかどうか。もう何年も使用しているものかもしれないが,デスクに置かれたパソコンの画面に映る「WINDOWS ME」だけが,かろうじて時代に追いついている感じだ。私が腰掛けた背中には色紙が2枚。「ORIX」「3」という文字に見えたが,サインの字体からしても村松有人選手のサインのように見えた。2枚の違いは日付が12月22日と23日という違い。はて,わざわざこんなことをした(またはさせた?)のはなぜなのか。1枚で足りそうな気もするが。
そうこうしているうちに,中年夫婦が入ってきた。そばにある駐車場(といっても“空地”みたいなものだが)でフリースみたいなのを出していたのだが,それが暖かそうとともにうらやましくも感じる。3人以外は誰もいず,物音もしないものだから,彼らの会話が筒抜けである。もっとも,それは他愛のない内容だが,どうやら東京の人たちらしい。奥さんのほうが「東京駅に行く用ある? 200円の金券持ってるんだけど」――200円で何を買うんだ,何を?
ふと,誰もいないパソコンの脇に目が行く。1カ月の予定表があった。兵庫県の某工業高校が,この1月7日に先生4人で下見に来るという内容のFAXが貼ってあった。でも,その下にある本チャンの日付は,なぜか来年の1月の日付になっていた。はて,修学旅行の下見って1年以上も前からやるものなのか。教師じゃないので事情は分からないが,多分お金は積み立てを前もってするのだろうから,その積み立てをいつからどのくらいの額するってのを確定するためと,“机上では弾き出せない”コストが実際どのくらいかかるのかを「肌で感じる」ために,1年も前に下見をする……って,大げさか。でもって,そのそばには下見のある日の晩に,会社の新年会がある旨の張り紙。あるいは,下見に来た先生方を“巻き込む”のか。帰りには送迎バスがあるようだ。飲む人間には何だかうらやましく,運転させられる人間には何だか恨めしい。
その後,しばらく観光客らしき人たちが来なかった。2人以上からボートは出るのだが,いくら人数は満たしていても,30〜40人は乗れる大きさに2〜3人しかいないのも,それはそれでどっかうすら寒い気がしてくるぞ……と思っていたころ,大きな観光バスがたくさんの客を乗せて乗りつけてきた。彼らが続々と川のほうに動いているのが見え,はて乗船なのかと3人とも外に出てしまったが,彼らは彼らでツアー用の船があって,1隻にパンパンになるくらいに乗り込んで先に出て行った。我々は「このツアーの方たちが出た後になりますから」とのこと。
とはいえ,出航間近になると,ちらほらと家族連れやら夫婦などがやってきて,個人旅行組の船には何やかやで14〜15人になっていた。ただし,四隅にかたまって真ん中がガラーンと空いた状態になっていたが……小さい子ども連れの家族は,多分子どものものかもしれないが,ミニーマウスのキャラのバスタオルをかぶったりしていた。ボートはオープンエア状態だが,幌のようなものが下げられる感じだが,運転&ガイドをする20代半ばぐらいのアンちゃん係員が,いかにも憎めない愛想で,「雨が降っていれば下ろしますが,そうすると何も見えなくなっちゃいますので,このままで行きます。スピードを出したときに風で寒くなるのはどうか我慢してくださーい」と言っていた。13時5分,出航。

それでも,ボートが出航すると同時に,空には再び青空が戻ってきて,同時に暖かさも戻ってきた。そして,船内ではアンちゃんによる軽薄…もとい軽快なアナウンスが始まった。2〜3注意事項を述べた後で,「救命胴衣が船の後ろについていますが,この川は浅いので,私が後ろで救命胴衣を取り出している間に,どうぞ皆さまは川に降りて避難してくださーい」と言うと,前方に座っていた中年世代からウケがあった。早速掴みはOKである。
かと思えば,仲間橋の下をくぐったときは「海上保安本部の取り決めでは,河口から一番最初の橋の下が川と海の境目となっているんです。この仲間橋の下が,いわば仲間川のスタートとなっているんですねー」と,高度なトリビア…じゃなくて知識を披露。この辺のバランスでまたもココロを掴む。「私たちがこの船を乗った場所は海なんですね」。もっとも,これは海図的見地からでのことで,地質学的には河口が海と川の境目になっているようだ。
川をくぐると,上流に向かって左手に大きな砂地。干潟である。海水と淡水が混ざり合う“汽水域”ゆえの光景だ。「お帰りのころが干潮になるので,もっと大きくなっていると思います」。そして,ここからスピードをしばし上げ,周囲が緑深くなってきた辺りでスピードを落とす。緑とはマングローブ。汽水域に生息する緑の代名詞だ。当然だが,ここでマングローブがヒルギという樹木の集まったものを指し,ヒルギにはオヒルギ・メヒルギ・ヤエヤマヒルギなんて種類があるというガイドが入る。
しばらく行くと,砂州に鷺を発見。何かをついばむような仕草。ここでアンちゃん「ここには大鷺と小鷺の2種類がいますが,遠いのでどちらか分かりにくいです。なので,見分け方をお教えします」とのことで,その答えは「くちばしが黄色いのが大鷺,足が黒いのが小鷺」。でもって「大鷺のほうがよく見られます」とのことだった。実際,マングローブやら砂州やらで10羽ほど見たが,8割方大鷺だった……さらに,マングローブの所々にペットボトルや発泡スチロールがひっかけられていたが,「これは下にカゴを仕掛けていることを示すものです。ノコギリガザミが獲れるんですね。お味はバツグンに美味いのですが,お値段がこれまたバツグンに高いんです」。
そんなアンちゃんの軽快なガイドを遮るように,後ろにいる小さい女の子がガヤガヤ騒いでいると,すかさず「お嬢さんがノリノリです」とツッコミを入れる。和む他の客。このアンちゃん,子ども好きと見た。実際,子どもへの接し方はなかなか上手かった。私より年下だろうが,確実にその辺りは私より大人である。そして,周囲への大人へのフォローも欠かさない。後で本人が「私も関東人ですが,ここに来て8年になります」と言っていたが,なるほど地元っ子のような素朴な雰囲気はなかったと思う。それでも,伊達に8年もこの仕事をやっていないのだ。
やがて,中流域あたりからカーブが出てくるとともに,川幅が狭くなってくる。でもって,川はあいかわらず浅いので,わずかにできている1本の深いラインを辿るようにスピードを一気に上げて進む。そして,川の両岸にあったマングローブが片方ずつになっている。「カーブの外側は塩分が薄くなるので,マングローブが少なくなるようです」。
やがて,マングローブの姿はすっかりなくなっていた。陸上に棲息する樹木がこれでもかと上へ伸びていく。八重山にしかないヤシの木・ヤエヤマヤシのノッポさがそれを象徴する。たしか,西表島で一番高い山といっても標高500mもないはずだが,思いのほか高く感じるのは,それだけ勾配が急だったことだろう。途中には船着場があって,濃い緑の中に赤い展望台の土台がくっきり見えている。
そして,13時40分。上流の船着場に到着。ウッドデッキのしっかりしたもの。生意気に入口と出口が有あ。川に対しては垂直になるように船を止める。ここから向かうのは,ツアーの目玉とも言えるサキシマスオウの木の見学だ。「見学時間は5分でいいですね。歩いて30秒で着きますので」とのこと。周囲の樹木はすっかり刈られ,歩きやすいように配慮がなされている。ほぼバリアフリーである。足が悪い年配の女性が乗っかっていて,行くのを躊躇していたが,アンちゃんに「行きましょうよ〜」と促され,連れの娘さんと船を降りていた。
で,ホントに30秒ほどで着いてしまうサキシマスオウが何と言っても有名なのは,巨大な板状となった“板根(ばんこん)”と呼ばれる根っこ。その丈夫さは,かつては船のオールにも利用されたりしていたという。高さは3.8m。樹齢推定400年。「湿地帯になっていて地盤が緩いため,下に向かって根づかずに空気を取り入れようと上に伸びるそうです…と大学の先生に聞いたら言っていました」と。その湿地帯のあちこちにはモグラ叩きのような穴がたくさんあいていた。シオマネキあたりが巣を作っているのか。試しに近くにあった木で一つの穴をつついてみたが,反応はまったくなかった。
前回に書いたが,ここに来るのは12年ぶり。94年3月以来だ。いつのまにか干支を一回りするぐらい時間が経ったのだが,さらに「沖縄標準旅」第8回の冒頭にも書いているように,このときはホントは浦内川(「沖縄標準旅」第9回参照)に行こうと思った。しかし,今回と同様に船浦港行きの高速船が欠航になったりして,半ば不本意な形でこの仲間川ツアーに参加したのだ。ルートはこのときとまったく一緒。でも,12年前の船着場はこんなに整備されていなかったはずだ。今回も周囲に木が生えてはいたが,もっと鬱蒼として地面が少しぬかるんだ中を進んでいったと思う。もちろん,出入口なんか分かれていないで,狭く足で踏み固めた土の道を譲り合うように進んだと記憶する。
さて,全員がホントに5分ほどで戻ってきて,適宜スピードに緩急をつけながら来たルートを戻る。これもまた12年前と同じだ。しかし,もう一つ12年前と変わっていないものがあった。それはアンちゃんが,サキシマスオウの樹齢が400年と述べた辺りのことだ。「私が来た8年前も,たしか“400年”って言っていましたよ。少なくとも“408年”経っているはずなんですけど」――いやいや,私が12年前に来たときも,たしか「400年」と言っていたと思う。ってことは,少なくともいま現在のサキシマスオウの樹齢は「412年」のはずなのだ。(第3回につづく)

第1回へ
沖縄博打旅のトップへ
ホームページのトップへ