沖縄博打旅

Cすべてはパナリのために
南風荘の前にある小学校跡っぽい建物が,離島振興センターであることを確認して,16時50分,あずま旅館に到着。部屋に戻ってトイレに入る。ずっと開きっぱなしだったので,そのままも何だしドアを閉めると,何と開かなくなってしまった。ガチャガチャやっていたら“カチッ”と音がして無事開けられた。まったく,世話の焼ける部屋だぜ。
あとはメシの時間までゆったりと過ごすことに。この駄文の第1回は,かなりその時間で書けたと思う……18時,集落内に放送が流れる。「ピンポンパンポン♪」というコールの後で,三線とともにオジイの島唄カラオケが流れる。はて,正月のムードでも出そうという演出かと思いきや,「6時になりました。よい子のみなさんお家に帰りましょう…」という教育委員会からのメッセージ。うーん,島唄の役割って一体……それにしても,結構アナウンスが大きく聞こえてきたが,後で1階のロビーにスピーカーを発見。ここから館内に聞こえるようになっていたのだ。
さて,この駄文を正月特番の「さんまのまんま」を観つつ書いていたが,ゲストに出てきた小西真奈美嬢がフェイドアウトしたところで,シャワーを浴びることにした。いつもはロビーに浴衣で出ちゃいけないと,ホテルだと規則があったりするので,メシを食ってから浴びるのであるが,たまにはスッキリしてから出たい……なんてことはどーでもいいのだが,ユニットバスは一昔前の水色の浴槽。そして,中に入ると床がベコベコしていた。蛇口もいかにも一昔前のヤツ。もちろん,シャワーを浴びるのに差し障りはないのだが,そこはさすがに離島の民宿というのか,はたまた2階だからなのか,やはり出てくる水量は少ない感じがした(「沖縄はじっこ旅」第3回参照)。
そして,小さいバスケットにはたくさんのアメニティが入っていたが,リンスの袋はあって,シャンプーハットはご丁寧に2枚入っていても,肝心のシャンプーのそれがない。なので,別途に備え付けの「エッセンシャル」ダメージケア用のボトルを使うことに。ホントはすごく面倒臭がり屋で,いつもはシャンプーとリンスが一体になっているのを使っているのだが,ちゃんと別個にしっかり使ってやった。まるで「シャンプーとリンスをきちっとする余裕を持て」と言わんばかりに……こんなときでないと使わない種類のものだが,これまた女性用の部屋であることをもう一つ確信した次第である。でも,さすがにアカスリタオルはちょっと警戒して使えなかった。
18時55分,そろそろメシかなと思って食堂に降りていくと,男性が1人すでに食事中。そして,右手の台所からは焼き物を調理する音が聞こえてきた。なるほど,焼き物の順番がある関係で,私は19時ごろと言われていたのか(第2回参照)……ま,それはいいとして,あとは中年夫婦とどちらかの母親という家族連れ。以上5人が本日の宿泊者である。やはりこの時期はシーズンオフであるようだ……というか,多分本島のリゾートはそうでもないのか。
中は30〜40人は入れる食堂であるが,入口付近に集められての食事となる。あとは,対角線上に2人地元民っぽい男性がいるが,どうやら1人は宿の主人のようで,台所につきっきりの嫁さんのせめてもの手伝いということか,別のところにある給湯器で急須にお湯を入れて,左隣の3人組のところに持ってきていた。私のは…と思ったら,どうやら右隣の男性1人とシェアすることになるらしい。男性がその急須を指差していた。なので,男性に断って茶を注ぐことに。何とかお茶1杯を確保。
テーブルにはおひつと,もずく酢とマグロっぽい刺身と,昼食に「釣」(第2回参照)でも出てきたニンジンと大根の千切り漬物がすでに置かれていた。温かいものは客が降りてきてから出すということだろう。おひつには1人で食べるにはかなりの量のごはんがありそうだ……そうこうしているうちに,エプロン姿の女将さんが何やら持ってきた。ソーキの煮物だ。ニンジン・昆布・白菜・大根に,チョコの「スニッカーズ」ぐらいの大きさのソーキが三つ。カツオだしのしょうゆ味。やはり1人で食べるには多い量のごはんからまず1杯目をよそって,おかずに食べる。あっさりしているが,ソーキは味が染みていて美味いし,ホロホロと実が崩れていく。それが食欲をそそる。もちろん野菜も,どうしても普段は不足するものだけに,確実にここで摂取せねばならない。
刺身とソーキの煮物でメシが2杯目になった辺りで,焼き物としてグルクンの塩焼が出てくる。20cm×5cmくらいの大きさ。添えてあるレモンをしぼってしょうゆをかけて食べる。これまた出来立てということで,ホッコリして美味く感じる。ホントは丸ごと行きたかったが,結構なヴォリュームなので実をしっかり食べるにとどめておく。そして,汁物としてアーサ汁も出てきた。小さい島豆腐とアーサにあさつきが乗っかっている。あっさりとした塩味。
そして,メシがこれでもかと進む。何だかもったいなくなってきて,とうとうおひつがカラにしてしまった。やってはいけないと分かっていながら,やってしまった“ドカ食い”だ。でも,美味いのだからしょうがない。ついに茶碗もカラになる直前に,女将さんが「余ったので作っちゃいました」と,小皿にアーサのかき揚げを持ってきた。右隣の男性は先に食い終わって部屋に上がってしまっていたので残念。降りてきたのが遅くて手に入れた幸運…というと大げさだが,ちょっとうれしい。多分,リゾートホテルとかどこかの大衆酒場ではついてこない,ささやかなオプションだろう。
メシを食い終わって,再び駄文入力タイムに入る。「クイズ$ミリオネア」「東京フレンドパークU」,そしてNHKの紅白の裏側をやっていた番組とを,テキトーにザッピングしながらの入力だ。たまーに吹いてくる“ヒョー”という音が不気味っちゃ不気味だ。港がすぐ近いからというのもあろうか。パナリがダメになったらば,どういう予定にするか。石垣島経由で竹富島に行くか。ま,この波だったらば行けそうな気もするし,いや,無事に西表島を出られるかどうか。ヘンないろいろと不安がよぎってくる。考えてもキリがないのだが……22時40分就寝。

――翌日,目が覚めたのは4時。まだ気まぐれに“ヒョー”と,強い風が吹き抜けている。予報では昨日よりも今日のほうが天気はよいはずだが,やはり人間は自然現象を予想するには限界があるか。船を出す意志はあったとしても,自然の動きには逆らえまい……結局,ベッドに横になってはみたがほとんど眠れずに,5時半に起床。テキトーにテレビをつけて,再び入力タイムに。布団1枚に浴衣で寝ていたが,起きるとうすら寒くなっている。暖房を入れるほどでもないので,上だけセーターを羽織ってその上から浴衣を着る。こうすると,結構暖かい。
7時半,朝食のために1階に降りる。別に決まっちゃいないのだが,昨日と同じ席に座ってしまう。右側にいた男性はまだ降りてきていない。そして,またも台所から聞こえる焼き物の音。しばらくして,湯気の上がったプレートを持ってきた。乗っかっているのは,半月ポーク卵焼き一口サイズの鯖の塩焼レタス(サウザンドレッシングがけ)にオレンジ。さらに,今回は女将さんがお湯を入れて急須を持ってきてくれた。今度はこちらがお先にいただく。もっとも,それほど飲まない人なので,多分もう一方の男性のほうが量は多く残るだろうが。
でもって,おひつにはあいかわらずのごはんの量。加えて焼海苔たくわんカリカリ梅干しと,メシのおかずは豊富にあって,昨日と同様,おひつの中をすべてを食おうと思えば食えるのだが,さすがに自重しておく必要がある。なので,昨日は4杯ほどよそったが,今朝は2杯半ほどにとどめておく。もっとも,2杯半でも食いすぎではあるのだが……そして,汁物はかまぼこ・みつば・あさつき・おかかに,白い塊が入っていた。白い塊は餅,しかも2枚入っていた。すなわちお雑煮。なるほど,正月だからこそのメニューだが,汁物は最後に飲む人間としては,すでに2杯半メシを食って,さらに米が原料の餅を食うのは,どっかはばかられてしまい,1枚餅を残してしまった。
そのうち,厨房にはあまり貢献できない主人が入ってきて,私に「パナリに行かれる?」と声をかけてきた。「はい。昼に帰ってこられれば」と返事をすると,「食事は?」と聞いてきた……こちらは昼で西表島に帰ってくるつもりだし,今まで食いすぎたし,夕食のことも考えれば,昼飯はあまり多く取らないほうがいい気がしていた。もちろん,宿の美味いメシを食うのは全然OKなのだが……ってことで,「いや,いらないです」と言っておいた。そういや,さっき女将さんからも聞かれたと思うが,すると「そうですか」と少しガッカリしたような表情をしていた。
メシを食い終わると,また主人。「じゃ,9時半ね……港の“うみえーる”ってのが停まっているところに来てください」とのこと。「今日は昨日に比べたら波が穏やかだって言っていたからね」と言っていたので一安心。しかし「ま,予報はいつも外れるものだと思うけど」……って,どっちやねん。でも,これでひとまず今日の日程が決まったので,ホッとする。何しろ,なかなか行けないところなのだ。
外に出たところにある自販機で缶コーヒーを買って,新春の特番をテキトーにかけつつ,再び駄文入力タイム。あらかじめパナリに持っていく荷物と,宿に置いていく荷物とを分けておくことに。ちょっと寒いので,ジャンパーは持っていったほうが間違いないだろう。途中,アナウンスで,上記離島振興センターで午後から成人式があるという知らせ。「二十歳を迎える若人たちの新しい門出を祈り,ぜひとも皆様のご参加をお願いします」だそうだ。

9時10分,宿を出る。その前に女将さんに「料金はどうしましょ?」と聞いたら,「じゃあ,今もらってきましょう」ということで,1万5000円支払う。内訳は宿代が7000円,パナリツアー代が8000円。ということは,今日のツアーは私1人ってことだ。ちょっと寂しいが,まあこんなものかもしれない。ソファの端っこに荷物を置いて出たが,「開けっぱなしで,はて大丈夫だろうか?」と思ったときは,すでに港の施設内にいた。ま,どっかにのけといてくれるかもしれないし,そのへんは大丈夫だろう。
港に着いて,うみえーるの乗り場そばでしばし待機。隣からは仲間川遊覧船(第2回参照)が,これまた大量の観光客を乗せて出航するところだった。ツアー客のようだ。何人かはあわてて乗り込んでいたと思うが,待たされる側はさぞ迷惑だったであろう。出航した後でそちらのほうに行ってみたら,白いプレジャーボートが1隻。これがもしかして,今日乗っかっていくヤツだろうか。
しばし待っていると,主人が軽トラックに乗ってやってきた。出てきた姿は,麦藁帽子にジャージの上からジャンパーを羽織って,足元は裸足にサンダル履き,そして加えタバコ。カッコをつける必要なんてないのかもしれない。でもって,予想した通り,白のプレジャーボートに素早く乗り移った。高速船だったらばあるような渡し板はない。なので,縁に足をかけてそのまま乗り込む。こういうフランクな(?)船の乗り方も,どこか久しぶりのような気がする。
乗るやいなや,エンジンがかかって素早い出航。私はとりあえず,後部の台みたいになっているところに座る。“たかが離島”とはいえ,大きなターミナル港からこの小さいプレジャーボートが私1人だけを乗せて出ていくことが,どこか誇らし気に思えてきた。“ウイーン”という音と,“ザザー”という海水を裂く音が,少し静かになった港をつんざく。
波消しプロックを出ると,すでに二つの島影が見えていた。まるで,某ピザチェーン店の“クリスピーピザ”のように横たう二つの島。「あの左側に上陸しますから」。そう,あそこまで行くことになるのだ。まだ波はあるのか,はたまたこんなものなのか,ガクンガクンと何度となく揺られては波に叩きつけられる。船体が小さいし,幌のようなものもないし,モロに身体に響いてくるのだ。主人から「こっちに来たら?」と,前面にガラスのカバーがある運転ブースに入れられる。イスなんてものはないから,2人ともしばしスタンディング状態。高速船内なら間違いなく,「やめてください」と注意されるだろう。
主人としばし会話する――昨日の午後は,ホントは釣り客を乗せていくはずだったが,波が高くてあきらめてもらったそうだ。ホントはその時間に乗せてもらえれば理想だったわけだが(第1回参照),なるほど,今となってはどっちみちアウトだったのかもしれない。なお,現在の波の状況としては,主人いわく「この時期にしては普通」とのこと。なるほど,やはり高いっちゃ高いようだ。
ちなみに,昨日の午前中は2人乗せて渡ったという。ビーチで泳いだりしようと思ったそうで,ウエットスーツを持っていったのだが,こちらも結局は寒くて何もできなかったそうだ。着いた時にウエットスーツが置かれていたのは,そういう事情だったのである(第2回参照)。女将さんからも言われたことだが,「今日は昨日より天候がいい」。すなわち,今回の旅行では今まさにこのタイミングでしか,パナリには行けなかったというわけだ。ラッキー。
もっとも,4月から10月までの夏の季節は,毎日のようにパナリに船を出していると言っていた。多いときでは,1日300人がパナリに押し寄せることもあるという。泳げるのは3月から11月まで。朝から1日たっぷり泳がせてやるのだそうだ。なお,普段の人口は「上地島5人,下地島1人」。すなわち6人。知っていたよりも1人少なかった。でも,家は31世帯もある。元旦や祭りのときなどに泊まる家を確保しているのだ。今回も帰省でパナリに行っている人がいるようだ。
だんだん島影が大きくなってくる。ワクワクしてくる中で,目の前に置かれてあったデンデン太鼓みたいなものを取り出した。航海灯だという。「昨日,客に折られてしまった」そうだから,ホントは船にくっついているものだろう。そういや軽トラックからこちらに向かってくるときに持っていたと思う。はて,何のための道具なのかと思っていたが,とても重要なものだったのだ。ちなみに,その脇に袋詰めになったトイレットペーパーが乗っていたが,これはどうやら別荘に持っていくためのものだったみたいだ。私はすっかり船上で酔った人のためのものだと思ったのだが。

(3)冬のパナリンピック
やがて,目の前に大きな島が現われるとともに,群青色をしていた海の色がエメラルドブルーに変わってきた。さらには沖にある波消しブロックとともに,白いコンクリートの桟橋が現われる。もちろん,誰も今はいない。たとえ住民が数人でも,れっきとした有人島であるし,公の港であることに違いはないが,まるで自分たちのためにあるような錯覚を覚える。
なお,桟橋自体は今から10年ほど前にできたそうだが,「夏場は,この桟橋に船がつけられないくらいに満杯となる」とのこと。さらに,「波消しブロックは昨年の3月にできたんだけど,あれができたおかげで冬でも上陸できるようになったね。それまでは冬は波が高いから,なかなか岸につけられなかった」そうだ。あるいは,昨年の今ごろに行っていたら,今日と同様の気象条件でも上陸をすることができなかったということなのだろうか。
いよいよ,9時50分に上地港に接岸。普通は港といえば,どんなにきれいな沖縄の港でも結構汚れていて,潮溜まりができていることもあったりするはずだが,ここは桟橋のコンクリートギリギリまで海の色がエメラルドブルーをしていて,ものすごく透明度が高い。そして圧巻なのは,この桟橋にサンゴがへばりついているのだ。海に入らずにこれだけ近くで,しかも肉眼で生きたサンゴを見るのは,もちろん初めてである。「桟橋作ったときにダメになったと思っていたサンゴが,こうして生き返っているからね。いかにこの海がキレイかってことだよ」と,主人は何とも誇らしげだ。もちろん,定期船が乗り入れていないことも大きいはずだろう。
主人が先にひょいと階段状になったところに飛び移り,あらかじめ投げ出していたロープをもやい結びでくくりつけ,エイヤッとこちらも階段の上に乗っかる。「反対側もキレイだから見てごらん」と言われてもう一方の海中ものぞいてみるが,やはりファーストインプレッションというのは重要なもので,接岸したほうの海の,サンゴが透き通って見られるほどの美しさが,圧倒的に強烈に印象に残った。
主人に案内され,二股に分かれるコンクリートのわずかな坂道の左のほうに入っていくことに。「右手20mほど行って,あそこ(といって,右手の高くなったトンガリ岩を指す)に展望台があります。島で唯一の見所と言っていい“クイヌパナ”ですよ。後でじっくり見てくださいねー」。トイレットペーパーと,何かが入ったダンボールを持って,主人はテクテクと歩いていく。多分,まずは別荘のほうに行くのだろう。とりあえず,このまま主人についていこう。
港から見えるのは白く無機質なコンクリートだけだったが,その先は緑で隠れて見えなかった。でも,坂を上がった途端にものすごく素朴な光景に出くわした。白い砂と緑の芝の道となったのだ。そうだ,この島には舗装なんていらないのだ。考えてみれば徒歩で回れるのだから,実に理に適っている気がする……そして,一回り前の戌年…なんて表現が回りくどいか。1994年の春に訪れた竹富島が,これと同様の光景だったことを思い出したのだ。
すなわち,かつての竹富港もまた,埠頭付近だけがコンクリートで固められていたものの,必要最小限そこだけコンクリートだったところを抜けるとすぐ,緑(多分,フクギあたりだっただろう)に覆われた白砂の狭い道となったのである(「沖縄はじっこ旅U」第8回参照)。何より初沖縄だったし,この光景に出会ったときの衝撃はなかなか強烈だったが,それと同様に,ヘンに時代の流れで整備なんかされることもなく,まだこの“必要最小限っぷり”が残っていたことが,とてもうれしかった。もちろん,あくまで観光客の視点だのコメントだのにはなるのだが,竹富島の変わりっぷりを確認しているだけに,この島に定期船が通らないことをしまいにはどこかで望んでしまう自分がいた。
未舗装の道を入ってすぐ,左手には大きな広場が広がった。低い琉球石灰岩の石垣に囲まれ,センターバックに昔ながらの島の小学校って感じの平屋の建物。脇には小さい祠があった。そのとおり,かつてここは小学校があったのだという。今ではログハウス風の建物が二つ,そばに建てられているが,観光会社が作った観光客のためのスペースになっている。まずないかもしれないと思っていた自販機が一つ,しっかり稼動していた。つい最近取り付けたもののような気がするが,いくら観光地化されていない島といえど,このくらいしないとさすがにサービス業の面目が保てないってところか。近道ということなのか,2人でここを通り抜けるいく。もちろん,今は誰もいないで静かだ。
その広場を抜けてすぐ,十字路の角にあるこれまた石垣の低い敷地に主人が入っていった。ここがすなわち,あずま旅館の別荘だ。建物は赤瓦の平屋建てだが,まだ新しくてキレイな建物である。地面も芝生がしっかり刈られている。マメに手入れがなされていることの表れである。先に主人が中に入ってカギを開ける。軒下で待っていると,窓を開けて中に入れてくれた。
「パナリに船を出すときは,必ず家の掃除とか庭の手入れをしているんです。冬場でも3日に1回ぐらいは来るようにしてるんですよ」と主人。なるほど,もちろんツアーが出ることに越したことはないのだろうが,ツアーがしばらくないからといって,まったく放ったらかしということではないのだ。宿の食堂では,役に立っているんだか立っていないんだか分からない動きしかしていなかったが,それは間違いなく“仮の姿”だったのである。陳謝。
中はフローリングでキッチンつきリビングと,奥に畳の部屋がある。1LDKというヤツだ。畳の部屋には布団が置いてあった。ともに8畳は有にある広さである。たしかこの別荘にも泊まれることを聞いていたが,あとで確認したら「常連さんには泊めさせてあげるんですよ」とのことだった。シャワー・トイレも完備なので海で遊んだ後も安心だし,食材と飲み物を持ち込めば泊まるのには問題はあるまい。むしろ,失礼ながら本館よりもよほど部屋はキレイである。
「この道(といって,来た道を指す)をまっすぐ行くと,
1.3kmありますか,海岸に出ます。左に行くと途中か
ら行けなくなるので,右に(といって,元の方向に戻
る手の動き)向かって海沿いを歩いてきてください。
ヤドカリと遊んだりするのもいいでしょう……それで,
そのまままっすぐ来てクイヌパナに上がってください。
石の階段でちょっと上がりにくいので気をつけてくだ
さいね」
「あとは,ここからこっち(といって,別荘の後ろのほ
うを指す)には,300mほど行くと展望台があります。
そのくらいですかね,見るところは」
「あと,そうですね……クイヌパナに行く手前と,裏の
展望台に行く途中と,こちら側(といって,東の方向
を指す)と,3箇所に神社がありますが,そこには絶
対に入らないでくださいね」
“神社”とは,もちろんこちらでは“御嶽”のことであろう。でも“神社”というならば,本土では誰にでも開かれた,自由勝手に入っていい場所。もちろん,むやみと生えている木を折ったりだとか,境内とか社を傷つけることは絶対してはいけないのだが,こちらの“御嶽”となると,もう少し聖域ゆえの“タブー性”みたいなものがあって,だからこそ立ち入れないという説得材料があるはずだ。でも,神社なんだから入っていいんでしょ?――と,クドクドと歯向かうことはしなかった。単に“御嶽”といっても分からないだろうから,分かりやすく“神社”という言葉に置き換えてくれたのだろう。ま,こちらとしては面と向かってはっきり言われたので,素直に今回は立ち入るのをやめておく。
ひととおり主人に注意事項を受けて,いよいよ散策に出る。さっき通り抜けた広場の脇で,港から上がってくるメインストリートと交差するのだが,ふとそこから港の方向を見ると,濃緑の“縁取り”の中にエメラルドブルーの光景が広がっていた。似たような構図が本島の備瀬フクギ集落にもあるけれど(「沖縄惰性旅」第6回参照),あれよりももっと原色をしていて,強烈にまぶたに焼きつく。これまた切りとって持ち帰りたい光景である(「沖縄惰性旅U」中編参照)。
そんな構図を眺めていたり,はたまた主人が言っていたことをシコシコとメモっていたら,あっという間に15分ぐらい経っていた。風も止んだし陽が出てきたので,少し暑くなってもいる。なので,何となく置きそびれて着たままだったジャンパーを別荘に置きに戻ると,主人が草むしりをしながら,ちょっと怪訝そうな顔をしていた。ヘラヘラしながら「ちょっとジャンパーを置きに行こうと思って…」なーんて言っておいたが,つくづくスタート時にムダな動きが多いことを自覚させられた次第だ。(第5回につづく)

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