神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2007年
HOME | |翻訳| |CAD設計| ||  |リサイクル| |ご依頼|  |英語ワンポイントレッスン| |会社概要

ドバイのHotNews(2007年1月〜11月)

2007年11月号

 

【 時とともに・・・

 

 

 先日、ドバイの友人がおもしろい写真を送ってくれました。
現在建設中の世界で一番高いビル「バージュ・ドバイ」から下を見下ろした写真です。まだ建設中で完成していないはずなのに、いつ登ったの???と思ったら、工事現場から撮影した写真をメディア向けに公開したものらしい。
なんと134階から撮ったものだそう。・・・・怖いです。こんな高いところで作業している建設作業員は大丈夫なんだろうか・・・と他人事ながら心配してしまいます。
 さらに驚くべきことに、これよりも高いビルを今建設しているとか。「世界一高いビル」という誇りを持って建設しているだろうに、それがまだ完成しないうちにもっと高いビルが作られ始めるなんて、現場の人たちのモチベーションも下がるだろうなあ・・・とまたいらぬ心配。
完成した暁には家族でドバイに行って実際に登ってみたいけれど、極度の高所恐怖症の夫は決して行きたがらないでしょう。というわけで、写真だけ見せてあげました。そして・・・かわいそうに、写真見ただけでダーッと逃げていきました(笑)。これからドバイに行かれる方、高所恐怖症の方はご用心!です。


 

 

 このバージュ・ドバイが建てられている場所は、私も頻繁にドライブしていたところですが、今では大開発されてすっかり変わってしまったそうです。さすが、世界のクレーンの40パーセントがこの国に集まっているといわれているだけあって、相変わらず開発に邁進しているようです。
かと思うと、別の友人の話では、このあいだ自宅の前の道を戦車が4,5台走っていってびっくりしたそう。なんでも、工事現場で出稼ぎ労働者たちのストライキがあったとか。しかし、ストライキを抑えるためとはいえ、戦車まで出動するか・・・?とその友人も思ったそうですが、私も同感。もし本当であれば、そうとう規模の大きなストライキだったのでしょう。
これも変わりゆくドバイの一端なのでしょうか。

 

 

 ドバイのアーティスト・グループの仲間、ビンディからのメールは、悲しい知らせでした。私たちグループにアトリエを提供してくれていたイギリス人のラニーのご主人がなくなったそうです。私が帰国した少し後に、ご主人が仕事を引退して2人でイギリスへ戻ったのですが、忙しかったご主人も時間ができて、これから2人でゆっくり引退生活を楽しもうとしていたところでした。
 また、ビンディの5歳の姪が事故で亡くなったとのこと。いつも明るいメールを送ってくれる陽気なビンディの打ちひしがれた様子に言葉もありませんでした。
さらに追い討ちをかけるように、大親友のアーニャが帰国することがきまったそう。
親しい友人たちが1人、また1人と転勤になったり本国へ帰ったりで、寂しさが増して弱気になっているようです。アーティスト仲間も散り散りになり、残っている人たちとも会うことが少なくなってきた、オーストラリアに帰りたい、と言っていました。

 

 

 そういう私も、小学生の娘たちの車での送り迎えに四苦八苦していたあの頃とちがって、今は中学生、高校生になった彼女たちは電車に乗って1人でどこへでも行ってしまいます。遊びに行った日は、帰宅が遅い!と家でひとり、やきもきしていたりします。「ねえ、聞いて聞いて!」と先を争っておしゃべりしてきた子供たちも、年頃でめっきり口数も少なくなり、自分たちの世界を持ち始めています。

 町はどんどん発展していき、子供たちは成長し、大人は老いていく。自分だけはいつまでも変わらないつもりでも、世の中のすべては確実に変化しており、同じままでいるものはない。日常の忙しさにまぎれて、そんな当たり前のことを実感することは案外ないものです。そんな生活の中で、こうしてふと飛び込んでくる写真やメールで、自分も確実にこの世界の一部であることに思いを馳せ、時の移ろいを感じてしまった、ある冬の日なのでした。

 

 

 

2007年10月号

 

【 クリニック余話

 

前回、ドバイのクリニックについて書いたついでに、医療事情をもう少し・・・。

 ドバイの病院でやっておいてよかったこと・・・それは「胃カメラ」です。
なぜかというと、全身麻酔なんです。最近胃の調子が悪いという話をしたら、アメリカン・ホスピタル(※前月号参照)ですでに胃カメラを経験した友達から、
「全身麻酔だから、すっごく楽だよ!日本ですると痛くて苦しいから、絶対こっちでやっていったほうがいいよ!」
とすすめられて、生まれて初めて胃カメラというものをするはめに・・・。
結果は・・・本当に楽でした!
 薬を注射されたらあっという間に意識を失って、気がついたときはもう終わってました。最後にチューブをのどから抜かれたときのことを少しだけ覚えてますが、あれを麻酔なしで全部やられたらかなりこわいかも・・・と思うと友人に感謝です。
しかも、食事も含まれていて、終わった後にメニューが渡されて、スープからメイン、デザートまでいろいろ選べました。ちょうどお昼時だったので、ベッドに運ばれてきたローストチキン・サンドイッチやサラダなどつまみながら、麻酔のあとの余韻でうとうととまどろんで、なんとも良い気分。
「胃カメラを飲む」というと顔をしかめる人が多いのですが、私にはなんともラッキーな胃カメラ・デビュー(?)でした。もう一度したいくらい・・・?

 

 

 麻酔と言えば、アメリカで歯を抜いたときも、なんと全身麻酔でした。あの時は、「たかが歯一本抜くのに全身麻酔なんて、なんておおげさな」とか「アメリカ人の大きな身体と同じ量の麻酔を打たれてしまったら、もしかして意識が戻らないかも・・・!」と非常にビクビクしていたのを思い出します。あちらでは出産も全身麻酔が主流でした(西海岸の場合)し、麻酔をあまり使わないのは日本だけなんでしょうかね。
個人的には、日本人は我慢強いので痛みにも強いんではないか・・・と思います。それと、「おなかを痛めて生んだ子供」という言葉があるように「耐えるのが美徳」のような風潮もあり、アメリカ人の友人の言ったように「麻酔ができるのに、どうしてわざわざ痛い思いするわけ?ナンセンス!」という合理的な割りきり主義とはまた違う国民性なのかも、とふと思ってしまったりしたのでした。

 

 

 それから、これは子供にとって良かったことですが、歯医者の設備。
子供のほんのちょっとした虫歯の治療でも、やはりすぐに(部分)麻酔を使われて「治療より麻酔の注射のほうが痛いんじゃないか・・?」と思いましたが、「アニメが見られるメガネ」に感動しました。
治療中は、どうしても歯に神経が行って緊張してしまいますが、そんな緊張を和らげるために望遠鏡を半分くらいの厚さにしたようなメガネを子供にかけてくれるのです。
するとメガネの中に、子供の好きなテレビ・アニメが流れる!これはなかなか感動ものでした。プログラムもいくつかから選ぶことができて、子供たちも「今日は『シンプソンズ』と『パワーパフガールズ』、『ミッキーマウス』のどれにする?」などといわれてご機嫌でした。好きなビデオを見ている間に治療が終わっている・・・・という優れもの。
これ、アメリカにもありました。

 

 

 そんなことを思い出していたら、昨日の新聞記事で似たような商品の紹介を発見!めがねではなかったけれど、たしか天井か頭の上に小さなスクリーンをセットして、子供が歯の治療中にアニメのビデオを見られる、というようなものでした。
もううちの子供は大きくなって、虫歯の治療でアニメが見れた!と喜ぶような年ではないのですが、「うん!よしよし。いいぞ、日本!」と、1人で悦に入ってしまいました。
がんばれ、日本の医療!そのうち、抜歯も全身麻酔になったりして・・・・。

 

 

 

 

2007年9月号

 

【 医療事情

 

 ドバイの医療水準は、地域的水準からするとかなり高いように思います。アメリカン・ホスピタルやウェルケア・ホスピタルといった大きな総合病院がありますし、個人の経営するクリニックも市内のあちらこちらで見かけます。

 特に、アメリカン・ホスピタルは定評があり、私も含め、多くの友人が利用していました。ここで出産する外国人も多いです(ただし、アメリカと違って、ドバイで出産しても市民権はとれませんが)。最新医療機器も揃っていて、入院棟もありますし、外来もいろいろな科に分かれており、検査室やら薬局やら、とにかく広くて迷ってしまいそうなほどです。
 建物もきれいで、立派。ホテルのようです。ロビーで待っていると係りの人がコーヒーを入れてくれたりします。
イスラム教国なので、待合室はどんなに狭くても一応男性用と女性用に分かれているのですが、外国人の外来率が高いせいか、あの病院で男女別の指示通りに座っていた人はあまりいなかったような・・・・。

 

 

 おもしろいなあ、と思ったのは、婦人科の検査を受けに行ったときです。産婦人科と同じところなのですが、待合室には妊婦らしきアバヤ(女性の民族衣装)を着た女性がいっぱい!そして、全員にディシュタシュ(男性の民族衣装)を着た旦那様がずらーっと付き添っていて、壮観でした。もちろん、産婦人科医は女性です。やはり、宗教上、妻が男性の医者(ましてや産婦人科)にかかるのは論外、ということなのだろうなあ・・・と思ったものです。ここの女医さんは白人でしたが、イスラム国では男性の産婦人科医は存在しないのだろうか・・・と、ふと思いました。(やはり、いないのでしょうねえ・・・)。

 こうした総合病院をはじめ、町のクリニックなどの医療機関では、全体的に白人の医者や、アメリカやイギリスで学位をとったと思われるインド系の医師が多かったようにと思われます。ちなみに、我が家のファミリー・ドクターはブルガリア人女性、歯医者はインド人、矯正歯科医はオーストラリア人(後にアラブ人に引継ぎ)、婦人科医はアメリカ人、獣医はイギリス人、皮膚科医はイラク人とイラン人でした。ずいぶんインターナショナルですね・・・。
看護婦さんたちは、フィリピン人が多かったです。

 

 

 こうしてみると、専門技術職は外国人の割合が圧倒的に多く、ドバイが外国人なくしては成り立たないのがよくわかります。石油マネーと観光政策で得た潤沢な資金で、立派な病院などインフラを整備し、そこに外国人を雇用する。両者が非常にうまく共存しており、理想的なシステムのように思います。

 病院にかかるときは、まず予約の電話をします。日本のように先着順ではないので、待ち時間が節約できて、これは大変都合が良かったです。ただし、人気のある医師の場合、予約がなかなかとれないことも・・・・。診察で薬の処方箋を出してもらったら、薬局に行って処方してもらいます。これは日本と同じですね。

 個人のクリニックは、アメリカ人の医師のいるところや英国人の医師のところなどさまざまで、やはりアメリカ人はアメリカ人医師のいるクリニックに、英国人は英国人医師のクリニックに行くみたいです。名称も「アメリカン・デンタル・クリニック」とか「ブリティッシュ・クリニック」「カナディアン・カイロプラクティック」など、識別しやすいところが多かったかな。
 我が家は、子供がドバイで歯の矯正をしたのですが、以前の赴任地だったアメリカで歯科技術のレベルの高さに感動したので、迷わずアメリカ系の矯正歯科クリニックを選びました。(担当医は、アメリカの大学で学んだオーストラリア人の先生でしたが、すっかりきれいな歯並びになりました)。

 

 

 まだ日本にいて子供が小さかったころは、古い施設の病院で長時間待たされたり、横柄な医師や産婦人科の診察時間の短さ、下手な歯医者に憤慨した思い出があり、医療面に関しては帰国後はギャップが激しいだろうと思っていましたが、いざ帰国すると、日本の医療技術の進歩(特に歯医者)や町の個人病院がとってもきれいになっていることにびっくりしました。また、少子化が進んでいるせいか、病院の競争も激しいらしく、以前よりサービスも向上しているように感じます。ほんの十数年でずいぶん変わったものだと思いました。(住んでいるところにもよると思いますが)。
 特にアメリカ式だのイギリス式だの選ばなくても、今は先進国なら世界各国の医療環境はそんなに変わらなくなってきているんだなあ、と思った次第です。なにはともあれ、良かった、良かった。

 

 

 

 

2007年8月号

 

【 住宅の工夫

 

 ビルの林立するダウンタウンは別として、ドバイ郊外の住宅のほとんどはヴィラと呼ばれる一軒家です。夏の気温が50℃近くなるこの国では、住宅にも日本とはまた違った特徴が見られます。

 一口にヴィラといっても、塀で囲まれて完全に周りから独立した一戸建て(これはかなり大きなお屋敷になるので、アラブ人が住んでいることが多い)から、タウンハウスのように2階建ての家がつながっているもの、警備員のいるゲートの中に庭付き一戸建て住宅が集まっているコンパウンドまで、いくつかのタイプに分かれていますが、どれにも共通するのは、真っ白な外壁にブーゲンビリアの花が咲き、反射ガラスが使われていることです。
真っ白な壁は、太陽の光が反射するためかなりまぶしいのですが、ギリシャと同じで白は日光を吸収しないので家の中を涼しく保てるという利点があるようです。反射ガラスは、文字通り太陽の光を反射する特殊ガラスで、やはり外の暑さをさえぎる役割があるので、ドバイでは必需品です。中から外の景色を見ることができますが、外からは真っ黒で中は見えないので、昼間でもカーテンをしなくて良いのがなかなか便利です(車に使われている黒い窓ガラスと同じですね。ただし、そのつもりで夜になってそのままで電気をつけると、中がまる見えになってしまうので気をつけなければなりません)。ブーゲンビリアはご存知南国の花で、暑い気候でも枯れずに咲いてくれるので、どの庭にも必ずといっていいほど植えられています。
窓枠や屋根には白以外の色が使われていることが多いものの、おおむねどの家も上記3点を兼ね備えています。ちなみに、我が家の外壁はドバイでも珍しい白一色でした。

 

 

 室内の床も、玄関やリビングルームなど外から近いところは、じゅうたんや木ではなく、石かタイルがお約束。これもまた気温を下げるのに一役買っています。また、外から砂が入ってくることが多いので、石のほうが掃除が楽なのです。
エアコンは室内の隅々まで、ほぼ一年中作動しています。これは涼しくてよいのですが、常に冷房にさらされているのは身体にあまりよろしくないのでは・・・と考えて、我が家では気温を27℃くらいと高めに設定していましたが、お掃除に来るメイドや外国人の友達には「暑すぎる!」と大変不評でした。外が極端に暑い反動で、せめて室内はギンギンに冷やしておきたい人が多いようです。特に、白人は肌が強いのか(これはアメリカ暮らしでも感じたことですが)、どの家にいっても冷房が21℃くらいに設定されていて寒いほど。ドバイにクールビズが浸透しないのは間違いないようです(笑)。

 ところで、ほぼ一年中つけっぱなしのこの冷房は、人体のみならずピアノなどの楽器にも、木が反ってしまったりしてよくないようです。ピアノを購入しようと思ったら、先生から「冷房で調律がガタガタになってしまい、ピアノがダメになる。電子ピアノを買ったほうがいい」と言われたほど。
また、余談ですが、「石の床」と「通年の冷房」という条件が重なって、足の裏が乾燥してガサガサになってしまうのが困りものでした。

 

 

 外壁と同じように、室内も、欧米のように壁にペンキで色を塗ったり壁紙を使ったりする習慣はないようで、たいていどの家の中も、壁は真っ白でした。壁紙は冷房で乾燥するとめくれやすいので敬遠されるのかな、と思いましたが、ペンキで色を塗らないのは意外でした。考えるに、これも、少しでも涼しく見せるためと、民族衣装の白と黒に代表されるように、アラブでは照り付ける太陽と砂漠を背景に、白と黒が非常によく似合います。ピンクや紫、黄色といった人工的な色を広範囲にわたって大胆に使うのはあまり伝統的ではないのかな・・・というのが私の個人的見解です。
ただ、室内が広いため、家の中は真っ白な壁ばかり強調されて、何かを飾らないともてあましてしまいます。そんな贅沢な悩みから、どの家にも大きな絵画やオリエンタルな大きい家具が飾られていました。

 

 

 冷房のない昔、アラブ人はどのように室内で過ごしていたんだろう・・?と思いますが、昔は屋根の上で寝たり、ウィンド・タワーという大きな煙突のような独特の屋根(中が木で四角く区切られており、風がその中を通って家に入るようになっているしくみ)をつかって、室内に風を送っていたようです。ドバイ博物館へ行くと、昔と同じ住居モデルがあって、ウィンド・タワーの下にベッドが置かれていました。(夜、涼しく寝られるように、との昔の人の知恵です)。
冷房の普及した現代生活では、もうこのしくみを使う家はありませんが、ウィンド・タワーを模した新興タウンハウスなども見受けられ、概観だけは今も受け継がれています。

 忘れてはいけないのは、どの家も庭の片隅に小さな小屋があること。これはメイドさん用です。家の中にメイド部屋があることもありますが、プライバシーや安全上の問題で外にあることのほうが多いです(たとえば、メイドの友達が訪ねてきたり、メイドの夫が一緒に住んだりすることがあります)。

 また、アラブ人の大きな屋敷だと、キッチンのみ別棟で外に設置されていることがあります。これも、アラブ人家庭ではメイドが料理をするためで、家の中にキッチンをおく必要がないからだそうです。

 

 

 駐在当初は、白い家もブーゲンビリアも単に見栄えを重視してのものだと思っていましたが、住んでいるうちに、どれもその土地の気候や生活条件に合わせて考えられているものなのだとわかりました。家の構造にもその国の生活事情が表れていて、比較するとなかなか興味深いものがあります。
そう考えると、狭い日本の我が家も、電気代の節約になるので、うちの台所事情にあっているのかも・・・!?

 

 

2007年7月号

 

【ビーチの人々
 

 

 エメラルド色の海に白い砂、パラソルの下でくつろぐ人々、遠くに見えるのは高層ビル群と豪華リゾートホテル・・・・。砂漠の国をイメージしてドバイを訪れた人々は、そのビーチの美しさに目をみはるでしょう。
 私も、実際にドバイに訪れるまで、中東のビーチがこんなに美しいとは知りませんでした。夏場は海水も「お湯」のような温度になってしまいますが、日本の春くらいの気候になる冬場は最高です。
 一番多くの人々が訪れるジュメイラ・ビーチは、欧州からの白人駐在員の多いジュメイラ地区にあり、週末ともなると家族連れなどでにぎわいます。ドバイには隣のシャルジャ首長国のように服装に厳しい規制がないので、ビーチでも白人たちはみなビキニ姿でくつろいでおり、思わずここが中東であることを忘れてしまいます。近くには公園やレストランがあり、近所のビラの住人たちにとっては、庭同然のような憩いの場所となっていました。また、近隣国からの出稼ぎ男性たちも、仕事のない週末はビーチを訪れ、何人かで日がな一日、端から端まで行ったり来たりしてのんびり休日を過ごす姿が見られました(あれは密かに目の保養にきていたのではないか・・・?と思うのですが、それは邪推というものでしょうか・・・!?)。

 

 私たちが好んで訪れたのは、ドバイの一番はずれにある、家の近くのジュベラリ・ビーチでした。ドバイ到着2日目に同じコンパウンドのカナダ人ファニーが教えてくれたとっておきのこの場所は、すぐに我が家のお気に入りになりました。ここは場所が辺鄙なためか、訪れる人も少なくとても静か。涼しい冬場の週末は、テントを張ってキャンプをする人たちの姿が見られますが、たいていは白い砂浜が延々と遠くまで続いているだけののんびりとした場所です。建物は、近くに、あまり人に知られていない隠れ家的ホテル「ジェベラリ・ホテル」がひっそりと建っているだけで、時折そこの宿泊客らしき人たちが、ホテルのプライベート・ビーチから足をのばして散歩しているのを見かけました。
 四輪駆動のパジェロで波打ち際まで行って車を止め、イスとパラソルを出してのんびり本を読んだり、子供たちと貝殻を拾ったり。ランチを持っていって、よく一日過ごしたものです。
 車でビーチのずっと端のほうまで行くと、小さな岩場があって大きなカニがたくさんいたり、ウニが打ち上げられていたり、珍しく完璧な形をとどめた子供の手のひらくらいの大きな貝殻を見つけて子供が大喜びしたこともありました。また、娘の友達を連れて平日に訪れたときは、軍のヘリコプターが超低空で通りかかり、乗組員が手を振ってくれたことも・・・。

 

 

 そんな穏やかなビーチのひとときが轟音に邪魔されることがありました。
見事なジェットスキーを持ち込んで、「どうだ!」とばかりにバリバリと派手な音をたてて砂浜近くを荒らしまわる(?)アラブ人らしき青年たちです。他にも、砂にはまりにくい高性能のジープで猛スピードで砂浜を走り抜けて「砂丘ドライブもどき」を楽しむ輩も・・・。
 どこの国でもこういうのが好きな若者っているんだなあ・・・と、この「海の暴走族」を見てしばし感慨(?)に浸っていましたが、あるとき、あまりのうるささに場所を移動する途中、砂にジープがはまって動けなくなってしまいました。もともと人気の少ないビーチですから、近くに人影はありません。おりしも夏の暑い日で、このまま十分な水もなく外にいたらあわや遭難・・・?と不安になってきた私たちは、助けを求めて延々とビーチを歩くはめに・・・。
 汗だくになってしばらく歩くと、家族連れのアラブ人がパラソルの下でくつろいでいるのを発見しました。助けて欲しいと身振り手振りで話すと、私たちの車のところまでやって来て、自分の車とロープでつないで引っ張り出してくれました。幸い子供たちが学校でアラブ語を少し習っていたので、カタコトでお礼を言うと、にっこり笑って「気にしないで」。
 さっき海の暴走族に閉口していたことも忘れ、「アラブ人ってやさしい!!」と感激したのでした。
 同じ国に住んでいながら、普段はほとんど接触がない彼らとは、こんなことも新鮮でした。

 

 

 せっかくのお気に入りのジェベラリ・ビーチでしたが、帰国するころはドバイ・バブルが押し寄せていて、最後に訪れたときは目の前に巨大なコンクリートの人口島が建設中で、景観が台無しになってしまっていました。ヤシの木の形をした海に浮かぶ人口島「パーム・アイランド」です。もうひとつのジュメイラ・ビーチにも同じものが建設中で、海水が汚れ、ビーチの波が荒くなってしまった、とコミュニティ紙では不満の声が寄せられていました。
 せっかく美しいビーチだったのに景観が損なわれてしまったのは残念ですが、完成写真を見ると、あのベッカム選手が購入したといわれるコンドミニアムが並び立つパーム・アイランドはなかなか見事なものです。

 いつかそのアイランドを見にもう一度あのビーチを訪れたい!それが今の我が家の夢なのです。

 

 

 

2007年6月号

 

【不思議なレストランの巻
 

 

  ドバイにいたころの我が家が週末になると必ず訪れた場所、それが「スプリング・バンブー」という名の中華料理レストランです。家から店まで高速道路を通ってダウンタウン方向へ1時間くらい、と遠いのですが、ドバイ名物の渋滞もなんのその、我が家の第2のキッチンとして大いに活用させてもらいました。

 

 

  このお店、決してきれいではなく、むしろ汚い、といったほうがよいでしょう。食器はふちが欠けているし、すすぎの水がおわんの底に残っていたりするのは当たり前。
こういう店の典型で、店員は愛想がなく、外国の中国・韓国系のお店でよく見られるように、女の人が一生懸命働く横で、男の人はいつもなにもせずにボーっとテレビを見ています。お客がきても「いらっしゃいませ」も言わない・・・・いつも無言。
  店内には、商店街にあるような安っぽいビニールでてきたピラピラのカラフルな飾りがかけられていて、中国の旧正月用の真っ赤なドラゴンの飾りまでシャンデリアの上で一年中埃をかぶっています。そして、中国でよく見られる「福」という字をさかさまにした赤い字(幸運を呼ぶらしいです?)が大きく書かれたポスターの横に、なぜかモルジブらしき南の島が描かれた巨大な額入りの油絵が飾ってある!別の壁には、スイスかどこかの山小屋のようなシルクペインティングがかけられていたりして(しかも、いつも微妙に曲がっている)、なんとも不思議なセンスのお店なのです。
 中央の壁にはテレビがかけられていて、いつも中国の番組を流しています。年末に行ったときは、中国版「紅白歌合戦」のようなものを延々とやっていて、衣装が店内の飾りに負けず派手でした。ふだんは「キョンシー」(なつかしいです!)やカンフーが出てくるやたらとレトロな中国のTVドラマらしきものが放映されていて、言葉は中国語でわからないにもかかわらず、アクションものが多いためだいたい話の筋がわかってしまい、食事をしていても子供たちが画面から目が離せなくなってしまう、という困った魅力を発揮しています。

 

 

  で、なんでこんなところに毎週来てしまうかというと、こういうお店の常で、ほんとうにおいしいんです。しかも安い!!家族全員、おなかいっぱい食べても100ディラハム(3000円)かからない場所は物価の高いドバイでは希少です。和食は高いし、アラブ料理には食傷気味の毎日となれば、このようなお店はまさに心(胃袋)のオアシス。
  中国人が経営していることからもわかるように、味はお墨付き。シンガポール人の友達のフィーや中国人のアニーも、しょっちゅう通っているそうです。しかも、彼女たちと一緒に行くと、チャイニーズ・コネクション(?)でデザートにごま団子をサービスしてくれる!というわけで、私は家族と週末行く以外に、昼間もよく通っており、時には同じ日の昼、夜と続けて行ってしまったこともあります。
  ウェイトレスも愛想がないのですが、さすがに毎週通っていると少しずつ話をするようになり、しばらく顔を見なかったウェイトレスに「あれえ、久しぶりだねえ」などと声をかけると、「中国に帰って彼氏に会ってきた」などと話してくれるようになりました。でも、ある時期から中国からの観光旅行の団体客の指定レストランになったらしく、中国人の団体客が来ているときは常連の私たちも完全に放っておかれ、時には注文をとりにきたり料理が来るのに1時間くらいかかることも・・・それでも「すみませんねー」の一言もなく、やっぱり愛想がない(!!)。
  おまけに、リカー・ライセンスを持っていないので酒類は置いていないはずなのですが、頼むとこっそり出してくれてしまうという怪しさ。しかも、当局に摘発されないように、なんとお茶の「急須」に入れて出てくるのですよー。しかも、ぬるい!!常温です。まったく冷やしてない。こんなの想像できます???
  微妙な飾りつけのセンスといい、怪しげなキョンシー・ドラマといい、常温でこっそり供されるビールといつも一番いい客用のテーブルに堂々と座ってテレビを見てるオーナーらしき男性といい、もう怪しさ満載のお店なのです。しかも外ではアラブ人たちが民族衣装を着てシーシャ(水タバコ)をくゆらせている。東京の下町の路地裏などにこういう国籍不明のお店ってありそうですよね。思わず「ドバイの○○横丁」って言いたくなる、そんなところなのです。

 

 

  ところで、店の隣にはアラブ人がよく集まるグリル料理の店があるのですが、おかげでこの「スプリング・バンブー」の前の駐車場に車を停めておくと、アラブ人が平気で2重駐車をするのでかなり頭に来ます。食事を終えて出てきた私たちが車を出せずに「この2重駐車してる車は誰のだー!(高級車だから絶対アラブ人のに決まっている)」とクラクションを鳴らしても、みんなのんびり店の前でシーシャをくゆらせたり、バックギャモンらしきゲームに興じていて無反応。「バンブー」のウェイトレスたちに言っても、自分の店の客なんだからもう少し協力してくれてもいいと思うんだけど、知らんぷり(やっぱり愛想がないのよね)。毎週のように2重駐車が続き、そのたびに私たちが騒ぐので、最後のほうはアラブ人のほうが根負けして、2重駐車をした車の窓を開けておいて、ギアをニュートラルにしておくようになりました。(つまり、私たちに、勝手に車を押して移動させろ、といっている!)ほんと、アラブ式なのです。

 

 

  というわけで、時には30分待っても水も出てこなかったり、急須入りのぬるいビールを飲まされたり、気温45℃の中、2重駐車されたベンツを主人と2人で汗だくになって押させられたり、というさまざまな試練が待ち構えているにもかかわらず、つい足が向いてしまうこのお店。試練を乗り越えなければ味わえない、というマゾヒスティックなところが妙に食欲を刺激して、このお店の料理に付加価値を与えているのかもしれません。

 

  みなさんもドバイを訪れた際には、きらびやかな観光名所だけでなく、こういうあやしげな路地裏の中華料理店でアラブ&中国式洗礼のダブルパンチを受けてみることをお勧めします。結果は、異国情緒がたっぷり味わえて胃袋が大満足することまちがいなしですよ!

 

 

 

2007年5月号

 

【 インターナショナル・アート・センター
 

 

  絵を描く私が4年間の滞在を通してお世話になったのが、ドバイ・インターナショナル・アート・センターでした。
このセンターでは、油絵や水彩画といったオーソドックスなものから、陶芸、シルク・ペインティング、墨絵、洋裁、インテリア・デザインまで幅広いクラスが用意されており、プロのアーティストから趣味で学ぶ人まで、さまざまな人々が会員となっています。

  私も油絵を中心にいくつかのクラスをとりましたが、新しい友達もでき、他のアーティストたちの作品から多くの刺激を得ることができました。ビーチのすぐ横にあるこの小さな古びたセンターに通うことは、灼熱の砂漠の国で3人の子供の育児に追われ、危ない高速道路を毎日命がけで運転することにいささか疲れていた私にとって、まさに憩いの場(オアシス)でもありました。

 

 

   このアート・センターでは、年に何回かホテルやショッピング・モールなどを会場にして大きな展覧会があり、優秀な作品には賞が与えられますし、センターの中では常時さまざまなプロ会員の作品が展示されており、いろいろな作品に触れる良い機会でした。展示作品の売買も可能です。プロのアーティストが自分の技術をブラッシュアップさせるためにアトリエ代わりに普通のクラスをとっていたりして、趣味で通っている会員やプロのアーティスト会員が交流できる貴重な場所でもあるのです。

  ただ、女性が普段スカーフをかぶって髪の毛や体の線を隠していることからわかるように、イスラム教のこの国では、アートにも規制があります。つまり、女性のヌードやイスラム文化にそぐわないものを描いたり、展示することは許されません。
また、展示されている絵でも、イマジネーションを駆使したシュール・レアリスティックな絵はあまり人気がなく、モスクや砂漠、らくだ、オアシス、民族衣装をまとった肖像画、といった中東文化を題材にしたものが定番です。

 

 

  こうした環境は、イマジネーションを使った絵を好んで描き、特に人体画のスケッチ、つまりヌードモデルを描く(人体画を描くのはすべての絵の基本で、大変良い勉強になります)のが好きな私にとって、最初はフラストレーションがたまりました。
けれども、日本にいてはめったに触れることのできない美しい中東ならではの題材を描く願ってもない機会だ、と考え方を変えると、それからは俄然楽しくなりました。

  講師の先生方のバックグラウンドもさまざまで、あるイギリス人の先生は、だんな様がアラブ人で、クリスチャンの自分がどのようにご主人様と知り合い、この国に住むことになったのか、など興味深いお話を授業の合間にお話してくださったりしました。他にも、ある南アフリカ人の先生は、娘さんはスイス人と結婚してオーストラリアに住んでおり、親戚にもカナダ人やフィリピン人がいて一族が集まるとさまざまな国の言葉が飛び交うのだ、などという話を披露してくださり、純ジャパニーズばかりの自分の親戚と比べて「世界は広いんだなあ」とつくづく思ったりしました。あるアラブ人の先生は、いつも砂漠やビーチ、モスクなどを題材にした絵を描いていましたが、そのどれもが透明感のある大変美しい絵で、自分の国への愛情がひしひしとつたわってくるようでした。

 

 

  ビーチ沿いにあった、ひなびた風情のこのアート・センターも、私が帰国する直前には町の中心にある立派な建物に移転しました。油絵の教室が2階になってしまったこともあり(以前のセンターは平屋でした)、「重い画材道具と大きなカンバスを持って階段を上るのが大変だから」といって、多くの年配の友人たちがセンターをやめてしまいました。また、移転と同時に、私もずいぶんお世話になったセンターの「顔」的な受付のイーシャたちもセンターを辞めてしまい、新しいアート・センターの雰囲気は以前とはだいぶ違ったものになってしまいました。
移転したアート・センターは、ゆくゆくは、新しくオープンする「モール・オブ・エミレーツ」という人工スキー場のある巨大ショッピングセンターの中に再移転する、という話でしたが、今はどうなっているのでしょう。

  結局、授業料が値上がりしたこともあって、移転後は親しい友人達と、ある元会員のアトリエを開放してもらってグループ・ペインティングのような形で絵を続けていました。そのアトリエの持ち主ナナも、昨年、だんな様が仕事を引退してイギリスに帰ることになり、グループも自然解散となってしまったそうです。
一緒に描いていた友人の話によると、みんなで描けるような広い場所がないので、しばらくは個人個人で活動していくことになったとのこと。アート・センターも値上がりしたし、一緒に活動していた友人たちも、だんな様の転勤で一人、また一人と減っていき、グループで続けていくのは難しい、と言っていました。

 

 

  その話を聞いて少しさびしく思っていたところ、同じグループで描いていたビンディから小包が届きました。彼女の作品が、ドバイのファンシー・ショップで売っているカレンダーやメモ帳に使われることになったので、記念にひとつ贈ってくれたのです。バージュ・アル・アラブ・ホテルといったドバイの名所を明るい色彩でポップに描くビンディの作品は、実はドバイのアーティストの作品の中で私が一番好きだったもの。自分のことのようにうれしくなりました。
みんなで描く場所はなくなってしまったけど、みんなの作品はこうやって生きている、と思うとなんだか元気が出てきます。
がんばれ!ドバイのアーティストたち!!

 

 

2007年4月号

 

【 動物天国ケニア

 ドバイは、ヨーロッパにもアフリカにも近いため、ホリデーには多くの人たちが旅行へ出かけます。夏休みといえば一ヶ月はお休みをとるヨーロッパの人々と違って、悲しいかな、私たち日本人の休暇は非常に短いのですが、その少ない休暇をやりくりしてさまざまな場所を旅行しました。
中でも、家族全員が一番喜んだのは、ケニア。日本からは遠いケニアも、ドバイからだと近場です。つまり、値段も安い・・・ならば、「行けるうちに行っておこう」。
というわけで、ドバイ駐在最後の年に、ヨーロッパ人もびっくりの2泊3日の格安サファリ・ツアーというのに出かけました。(これは、安いからびっくり、というのではなく、そんな短い期間しか旅行に行かない日本人駐在員の我が家に白人の友達全員がびっくりした!という意味です)。

 

   ケニアのマサイマラ国立公園について宿の部屋から外を見ると、なんと目の前の川に大きなワニが・・・!向かいの藪の中では、大きなサルが数頭、けたたましく鳴きながら動き回っています。
「ケニヤだー!」
いきなりのワイルドな光景に感動もひとしお。
そして、ランチを食べにレストランに行くと、かわいらしいマングースの群れが「クルルルルー」と鳴きながら、お客が投げるパンに群がっています。か、かわいい・・・・。「マングースって、こんなにかわいかったんだ!」。
子供たちは夢中で写真をとっています。
色とりどりの鳥がさえずり、バルコニー側のテーブルについた老夫婦のお皿から、いたずら好きなサルがさっとパンをかすめていくなど、ケニアはレストランも動物王国。

 夕方、最初のサファリ・ドライブに出かけます。動物は主に早朝と夕方に活動するため、メイン・イベントの「サファリ・ドライブ」もこの時間に合わせて行われます。屋根が開く小型バスに乗って早朝と夕方に動物たちを見に行くのです。小さなバスなので、私たち家族で貸切りです。運転手さんはこの道20年のベテランというビリーさん。
いきなり、3頭のキリンが目の前にぬっと現れました。雄大な夕日を背に、手を伸ばせば届くくらいすぐ近くを悠々と横切っていく姿に、一同、声もでないくらいしばし感動。
けれども、そんなのは序の口で、シマウマ、ヌーの大群、ジャッカル、象、ガゼル、マラブーストという怪鳥のような巨大な鳥・・・行く先々でおもしろいほどたくさんの動物たちに出会います。ところどころ、土が大きく盛り上がっているのが目につきますが、巨大なアリ塚だそうです。

 平らで、360度地平線まで見渡せる広―いサバンナの道なき道を、ビリーさんは縦横無尽に進んでいきます。目印も何もないこの平原で、いったいどうやって道がわかるんだろう、と不思議なのですが、ビリーさんは「ここに住む人たちはみんなちゃんと道がわかる。迷子になることはない」といいます。アフリカに住む人たちは視力が6.0あるといいますが、それも本当だとか。確かに、うんと遠くに目をこらしていたビリーさんが、いきなり車を急発進させて着いたところにちゃんと動物が隠れているのです。すごい!

 

 翌日の朝は、ライオンに会えました。雌ライオンは群れで行動するらしく、雌ライオンばかり6頭もかたまって、のんびり朝陽を浴びていました。そして、そのすぐそばに、なんと赤ちゃんライオン2頭を発見。ヨチヨチ歩いたり、じゃれあっている様子はいつまで見ていても飽きなかったです。本当にかわいかった!
その後、象の群れにも出会い、小さな赤ちゃん象が一生懸命母親についていくさまをじっくり観察。どの動物たちも、サファリ・カーには慣れているのか、かなり近づいても逃げません。
私たちは申し込みませんでしたが、朝のサファリには気球に乗って空から動物を観察し、その後地上に降りて、草原にテーブルをセットして朝食とシャンパンをいただく、というオプショナル・ツアーもありました。気球に乗らずとも、澄み切った朝の空気の中、地平線に浮かぶ気球を見るのは、なかなか素敵です。

 

 ところで、サファリ・ツアーでは、早朝と夕方のサファリ・ドライブ以外はこれといってすることがありません。昼間は宿にいてのんびりプールに入ったり、森林浴をしたり・・・。ようは、暇なのです。
黄熱病とマラリアの予防注射を受けてきたとはいえ、一面に木の葉やゴミが浮いたプールで楽しそうに泳ぎまくる白人の子供たちに加わる気にもなれず、(だって、生水も飲んではいけないといわれているのに、このプールの水に入って大丈夫なんだろうか?!)、ビリーさんに頼んでマサイ族の村へ連れて行ってもらいました。
村へ行くといきなりマサイの人々の大歓迎を受け、到着するやいなや、驚く主人の頭にはライオンの剥製でできた巨大な帽子、子供たちには色鮮やかなマサイ・ブランケット、私にはビーズのアクセサリージャラジャラとつけられ、その姿のまま、有名なマサイ・ジャンプ(垂直に高く飛び上がる有名なあのジャンプです)を堪能。その後、若い族長さんが家を案内してくれました。マサイ族では、一人の男性に何人も妻がいて、女性と牛を交換することもある、など興味深い話が聞けました。

 

 その後、国境を越えて隣国タンザニアのセレンゲティ国立公園まで足を伸ばします。なんでも、今は動物が移動する時期でセレンゲティ国立公園のほうが動物が多いのだそうです。本当はいけないのですが、ビリーさんがタンザニア国境の警備員にこっそりお金を払って密入国(?)させてくれました。国境で、ビリーさんが賄賂を渡している途中、鮮やかな青と赤の2色のトカゲを発見。あまりの美しさに写真をパチリ。その後、マラ川でカバの大群を観察。

 川沿いを帰る途中、強烈な臭いがしてきました。
見ると、なんと、川一面にヌーの死骸が・・・。毎年この時期になると、ヌーの大群がマサイマラ国立公園からセレンゲティ国立公園へ大移動するのですが、川を渡りきれずに力尽きたヌーがこうやって大量の死骸となって残されるのだそうです。その死骸に、巨大な鳥たちが群がり、なんともいえない凄惨な光景です。それまでのんびりと動物たちを見てきましたが、急に自然の厳しさをつきつけられた気がしました。

 

 

 夕方は、とうとう雄ライオンに対面。さすが百獣の王!という貫禄たっぷりです。すぐそばまで寄れたのですが、ビリーさんが何度も、「刺激しないで。静かに、静かに!」というので、少し、というか、かなり緊張しました。ケニアでは、南アフリカのようにガイドがライフル銃を持つことを許されてないので、飛びかってこられたら一巻の終わりなのですから・・・。
どきどきしながら見守る私たちを意に介さず、雄ライオンはたてがみをなびかせて悠々と去っていきました。こういう光景を目の当たりにすると、当たり前のことですが、ここでは動物が主役なんだなあ、としみじみ思います。

 

 さて、いよいよ最後の日の早朝ドライブ。私たちには、あとひとつ、どうしても見たい動物が残っていました。チータです。今までもビリーさんが一生懸命探してくれたのですが、残念ながらチータにだけは遭遇できていなかったのです。けれども、最後の最後、私たちの想いが通じたのか、木の切り株にきりりと座って遠くを眺めている勇姿を拝むことができました。

 見たい動物はすべて見れたし、マサイ族にも会えた。おまけに思いがけずタンザニアまで行くこともできて、2泊3日のびっくりサファリ・ツアーは大成功。短くっても十分満足できる旅行でした(日本人はこういう効率的な手際のいい旅行に慣れているのだ!)。
何よりも、親の都合で遺跡や美術館めぐりに付き合わされがちな他の旅行とちがって、子供たちも心ゆくまで楽しめたことが大きかったと思います。
そう家族に話すと、「えー?サファリ・バスで一番興奮して最後まで叫びっぱなしだったのはママだよ。あれはうるさかった!」と子供たちから大ブーイングが・・・・。あれ!?そうだったの!!??

 

 

2007年3月号

 

【 物価高騰で住みにくくなるドバイ

 ドバイの友人が、あわてた様子でメールを送ってきました。
 現在住んでいる賃貸用のヴィラ(一軒家)が売りに出されることになった、というのです。その友人が住んでいるのは、以前もこのドバイ・ニュースでとりあげた「レイクス」という数年前に大規模開発された郊外の集合住宅ですが、不動産会社の方針で賃貸用のヴィラ(一軒家)がすべて売りに出されることになり、現在ヴィラを借りている者は、そのヴィラを購入しないと8月までに退去しなければならない、ということ。
 しかも、その値段が小さめの4ベッド・ルームで約7,000万円!(大邸宅のたくさんあるドバイの基準からすると、このヴィラは小さいほうなのです)。売却の通知書には、「月々たったの23,000ディラハム(のローン)で夢のマイホームが手に入る!」と書いてあるそうですが、「たったの23,000ディラハム」とは日本円で約700,000円。ドバイの一般人の給与額を上回っています。
 しかも、買うか買わないかの返事を3週間以内にしなければいけない、とのこと。もし買わずに新オーナーから借りることができたとしても、家賃は今の倍になるそうです。

 

 このところ毎年来る家賃値上げの通知が今年はなかった、と喜んでいたやさきの出来事だそうです。

 ドバイの実質経済成長率は11パーセントを維持しており堅調ですが、ホテルの建設ラッシュやリゾート開発など急成長の過程で、現在、ドバイではさまざまな社会問題が顕在化しています。増え続ける人口、それに伴う学校・住宅の不足、追いうちをかけるような家賃や授業料などの物価の高騰に、住民は頭を悩ませています。

 不動産の高騰は、最近は住宅から商用地にまで広がっており、商用地の地価上昇率はなんと64パーセント。その建物の平方フィートあたりの上昇率は約2倍です。

 

 

 また、今年7月から、ドバイの幹線道路であるシェイク・ザイード・ロードも一部有料化されます。
ダウンタウンのクリークにかかる「アル・マクトゥーム・ブリッジ」は、人口増加に伴う混雑緩和のため片側4車線から6車線に増設されるとのこと。

 ドバイに住んでいた別の友人は、家賃高騰に音をあげて、隣のシャルジャ首長国に引っ越しました。シャルジャはドバイに比べるとまだ物価が安いのですが、同じような理由で越してくる人たちが多く、シャルジャからドバイに通じる道路の渋滞は有名です。
ドバイに比べるとやはり不便なことが多く、その友人もドバイに帰ってきたがっているのですが、現在の物価の状況ではそれもなかなか難しいようです。

 最初に述べたレイクスの友人は、住みにくくなったドバイを出て、他の国で仕事を探そうと現在就職活動中です。

 

 「レイクス」の隣にある「グリーンズ」という賃貸アパート群も、「今購入すれば、3パーセントの割引と、登録料免除の特典あり」という購入勧誘が盛んだそうですが、あまりの高額にほとんどの住民が購入を考えていない(考えられない)そうです。

 ドバイのバブルはますますヒート・アップしており、私たちが駐在していたときも、最後の2年間は家賃や学校の授業料の値上がりが始まっていましたが、今はその比ではないようです。もしまだドバイに住んでいたら、さぞかしつらい生活になっていたのでは・・・。良いときに帰ったね、と主人と話しました。

 ドバイの発展はうれしいけれど、住民がおいてきぼりをくっているような現状に、なんだか複雑な気分です。

 

2007年2月号

 

【 日本食が食べたい!

 

 日本食が食べたい!

と、叫んだところで前月号が終わりましたが、その続き。

 いくらイタリア人から教わったおいしいパスタを食べられても、インド人が教えてくれた本場仕込のカレーに舌鼓をうとうとも、ある日突然たらこスパゲティや納豆が食べたくなるのが日本人というもの。
 幸いなことに、しょうゆなどの調味料やお菓子、乾物は3ヶ月に一回、リストにあるものから注文すれば主人の会社が送ってくれたのですが、リストにある品物の種類は限られていますし、毎回同じです。しかも、生ものは送ってくれません。
 どうにか現地で調達するしかないのですが、ドバイの和食レストランはほとんどすべてがホテルの中のレストラン=高級です。麺がほんの少ししか入っていない小さな小さなラーメンが一杯1500円くらい。すし屋にいたっては推して知るべしで、子連れで入るにはかなりの勇気がいります。

 

 

 そんな我が家の強い味方が、ダウンタウンのホテルの1階に入っている小さなスーパーマーケット。フリーウェイを1時間半くらい走らなければならず、遠いのですが、このホテルには日本人が多く住んでいるため、日本食の品揃えはドバイ一です。
 納豆もアジの干物も、冷凍品ではありますが手に入ります。けれども値段はかなり高く、3パック入り納豆で500〜600円。5人家族だと納豆一杯ずつ食べるだけで1000円!日本での値段を知っていると、買うにはなかなか勇気がいりますが、体が日本食禁断症状で苦しんでいるときは本当にありがたかったです。

 もうひとつ、このスーパーでうれしかったのが、「肉の薄切り」をしてくれること。
実は、ドバイで和食メニューを作るとき、一番苦労したのが「薄切り肉」が手に入らないこと。薄切り肉は、炒めものや野菜巻きなど、さまざまなメニューで大変重宝します。なのに、現地スーパーで売っている肉は、ステーキか塊肉、シチュー用の角切りばかりで、薄切りのお肉はありません(特に豚薄切り肉は、豚肉が禁止されているイスラム教の国では貴重品です)。あるとき、一計を案じて、現地スーパーでハムのスライサーを使って塊肉をスライスしてもらったことがあるのですが、厚さが5ミリくらいになってしまい、これは失敗でした。
 ホテルの下のこのスーパーでは、「YAKINIKU」、「SHABU-SHABU」、「SUKIYAKI」と用途に応じてお肉の厚さまで指定できる感激のサービス!!一度に1キロくらい注文して、冷凍庫に小分けにして保存、大事に使っていました。
 これらのお肉、残念ながら常備品ではなく特別注文になるため、前日の12時までに注文しなければなりません。急に近くまでいったついでに立ち寄って買ったりすることができず、また、注文しておいても子供の送り迎えなどで引き取りの時間に少しでも遅れると、ほかのお客さんに回されてしまったりするので、注文するときは前日の予約と当日の受け取りまでしっかりスケジュールを組んでからダウンタウンまで遠征したものです。

 

 

 「あったらいいな」と思った野菜のベスト5は、「しめじ」と「ごぼう」「ねぎ」「しそ」「ナス」。和食メニューによくでてくるのですが、これらの野菜がないがために断念することも多々ありました。現地スーパーにあるナスは米ナスといって、日本のなすよりも巨大でへたが緑色。風味はまったくなく、やはり日本のなすはおいしいと再確認しました。ねぎは、主人が日本へ出張したときに根っこの部分を濡れナプキンにくるんで密輸(?)してきたのを庭に植えたのですが、ドバイの灼熱の太陽の下では緑色の部分のみが育つばかりで、肝心の白い根元のほうの部分はほんの5センチくらいしかできませんでした。「しそ」は友人の家で栽培していたので、ときどき分けてもらっていました。ごぼうにいたっては、たった一度だけ、現地スーパーでゴボウを見かけた人がいましたが、なんとこの幻のゴボウのお値段は一本1800円!だったそうです。

 月日がたつうちに、現地の食材を工夫することを覚え、かまぼこのかわりに、モツァレラ・チーズにわさび醤油をつけて食べるとおいしい!など、試行錯誤を重ねた末に発見した「なんちゃって和食」でしのげるようになりました。そうそう、納豆については、なんと自宅のオーブンで納豆菌を発酵させて自家製納豆を作っている国際結婚の友達がいましたよ(私は彼女を「ドバイのマーサ・スチュワート」と命名)。
 みなさん、なかなか創意工夫してがんばっていました。

 

 

 日本に帰った当初は、さまざま日本食をむさぼるように食べていましたが、すっかりこちらに慣れた今は時々無性にシシカバブが食べたくなります。
ようするに、どこにいても食い意地が張っている、ということですかね・・・。

 

 

2007年1月号

 

【 ドバイの食卓は世界の食卓

 

 世界中から人が集まるドバイのスーパーには、世界各国の食材が所狭しと並んでいます。
生来食いしん坊の私はなんでも試してみたい料理好き、主人も子供たちも好き嫌いがない、ときては、試してみないわけにはいきません。

 外国人の友達と一緒にスーパーに行っては、その友人の国の食材や珍しい野菜の料理の仕方を教わったりしましたが、たいていは娘たちが友達の家に行って、「こんな料理が出ておいしかった」と教えてくれて発掘してきてくれました。
また、お母さんたちでポトラックという一品持ち寄りのランチをよくしたのですが、そうすると自然といろいろな国の料理が味わえてレシピも聞けて、一石二鳥。あ、おしゃべりも楽しめるので、一石三鳥ですね。

 

 

 そんなわけで、ドバイ赴任当初から、我が家の食卓にはさまざまな国の料理が並ぶことになりました。以下はその一例。

・ アラブの名物料理シシカバブ
串刺しの肉をグリルしたもの。ひとくちにシシカバブといっても、肉の種類によって味が違います。我が家のお気に入りはシシタウークというチキンをヨーグルトとガーリックで味付けしたもの。アラブ人と結婚した日本人女性から教わりました。手作りはもちろんですが、市販されている冷凍品でも十分イケます。

・ ベイビー・シャーク
サメの赤ちゃん。そのまま魚売り場に売られている。フライにするとおいしい(主人は、サメの赤ちゃんの目がとっても悲しそうで、買うにしのびない、といつも言っていましたが)。

・ モロッコのクスクス
ドライレーズンやナッツを入れたり、シトラス風味で味付けしたり、いろいろなフレーバーあり。娘のモロッコ人の友達のお母さんがよく作ってくれました。

・ インド・カレー
ルウではなく、ちゃんとスパイスから作る本格カレー。特に主人の会社のインド人が教えてくれたチキン・トマト・カレーのレシピは最高!でよく作りました。カルダモン、クミン、コリアンダーなど数種のスパイスを挽くことからはじめ、仕上げにヨーグルトか生クリームをいれるかで風味が違ってきます。さっぱりしたいときはヨーグルト、コクを出すなら生クリーム、と使い分けていました。

・ タイのヌードル
お気に入りは、平たい細い麺に海老やチキン、モヤシを入れて甘辛く味付けしたパッタイ・ヌードル。仕上げにピーナツを細かく砕いたものをのせてできあがり。日本人の口に合う。

・ チーズ類
とにかく種類が多くていつも迷ってしまう。フランスのブリー・チーズが食べやすくて子供にも好評でした。あと、クリームチーズのベースにガーリックとハーブを入れたものは、どの種類を試してもはずれがなかったです。それから、マーサランダーというチーズもクセがなくてグッド。オールド・アムステルダムというオレンジ色のオランダ産チーズは、大きな円盤状のものから切り分けてくれるのですが、ほんとに「オールドッ!」(古くて頑固者のおじいさんを思わせる)という感じでカチカチ。切るときはナイフが立たないので、細い針金のような器具で、売り場のお姉さんがいつも満身の力を込めて切ってました。

・ インドネシアン・ヌードル
ドバイでの一番のヒット。娘がインドネシア人の友達の家で食べてからやみつきになった一品。インスタント・ヌードルなのですが、フレーバーによってたくさんの種類がある。
うちに遊びに来る子どもたちの誰に出しても「おいしい!」と感激されて評判になり、そのうち他のうちでもみんな出すようになりました。正確には「インドミ・ヌードル」という名前で、フレーバーは「ミ・ゴーレン」というですが、なんと日本にも売っています。帰国後、近所の店で違うフレーバーを売っているのを見つけて、「ミ・ゴーレン」を仕入れてください!とお願いしたら、その後どっさり棚に並べてくれるようになりました。

他にもいろいろありますが、ざっとこんな感じです。

 

 

 そういえば、北インド出身の友人に触発されて、ベジタリアン料理の本を買って、一ヶ月間野菜料理だけで過ごしてみたこともありました(インド北部はベジタリアンが多いそう。インドではベジタリアンは上流階級に多いのだとか)。
 けれども、これは、一ヵ月後に突然なぜか無性にチキン・ナゲットが食べたくなってマクドナルドに買いに走り(カラダが肉類を求めていたのでしょうね)、あっけなく終了。
また、アラブの代表的な料理ホモス(ひよこ豆のペースト)をいろいろな店で購入して味比べをしてみたり、街角のスタンドで売っている中東の甘―い(本当に甘い!)シロップ漬けの揚げドーナツのようなお菓子を全種類買い込んで味見してお腹をこわしたり・・・。
インドのローズ・ウォーターというバラの花びらから抽出した香りのいい水も、「名前がロマンチックだから」といって大瓶で買ってきて、一口飲んだとたんに香水を口に含んだようでカラダが受けつけず、涙を呑んで処分したこともありました。(後からきくと、そのまま飲むのではなくて、アイスクリームなどにほんの一滴たらして香りを楽しむものなのだそうです)。

 

 

 いやはや、こうしてみると好奇心旺盛というか、単に食い意地がはってるだけ、という感じですね。
とにかく、こうした生活で、我が家の胃袋はたいてのものは受けいれられる史上最強の(?)胃袋に成長しました。

とにかく、見たことのない食材を見ると缶詰でもインスタントでも片っ端から手にとってカートにいれ、試し続ける・・・・そんな日々が続いたある日、突然、胃袋(日本人の心?)が叫びました。

「和食が食べたいー!!」

でも、ここはアラブ。
・・・さて、どうしましょう?

以下、次号、和食編です。

 

 

 



HOME | |翻訳| |CAD設計| ||  |リサイクル| |ご依頼|  |英語ワンポイントレッスン| |会社概要



神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2007年