2004年10月号 |
2004年10月号 |
【 シェイクの容態 】
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ラマダン前から、ドバイはある噂で持ちきりです。それは、「シェイク・ザイード(首長)が死んだらしい」というもの。七つの首長国からなるアラブ首長国連邦は、それぞれの首長国にシェイク(首長)がいますが、アラブ首長国連邦全体の首長はアブダビ首長国の首長シェイク・ザイードです。
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で、どうしてこれがそんなに大問題かというと、一国の王様が亡くなるのですから、もちろん何十年に一度の大事件ですが、シェイクが死ぬと、国中の公共機関が1週間(2週間、10日というウワサもあり)、ストップしてしまうのです。喪に服すということで、スーパーマーケットも銀行もバスもお役所もガソリンスタンドも、みんな機能しなくなる。噂では空港すらクローズしてしまうとか。ということで、みなが食料品の買占めに走っています。
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今日も、友だちの家にお茶にいったら、「アフメッドは保守的だから、マホメッドが後継者になってくれた方がいいな。顔がだんぜんカッコいいもん」なんて、気の早い王室ウォッチャーもいたりして、女ばかりで集まると、なかなかにぎやかです。(あ、すみません。またまた不謹慎ですね。シェイクの身内といっても、一夫多妻制だからたくさんいるし、しかもそのほとんどが、アフメッドとかマホメッドという名前なので、後継者の話題は、正直、私にはさっぱりわかりません)。 なんでも、シェイクの死亡日をずらしたり、しばらく発表を控えたりするのはよくあることだそうで、以前は、なんと3年も(!)シェイクの死を隠していたことがあったそうです。シェイクが亡くなると、テレビやラジオは一日中ひたすらお経のようなものを流しつづけるのだそうですが、いったいどうなってしまうやら。やはり食料品などが買えなくなるのは困るなあ。でも、この中に入っていくの勇気いるし・・・。ラマダン・マッドネスと化したスーパーマーケットを横目に考えあぐねています。
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2004年9月号 |
2004年8月号 |
【 あ・つ・い 】
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今年の日本は、史上まれにみる暑さだそうですが、いかがお過ごしでしょうか。
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さて、こうまで暑いと、おもしろい現象が起こります。まず、水道の蛇口をひねると、水がでてこない。お湯になってしまっているのです。しかも、熱湯に近い。
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来た当初、一番困ったのは、ざるそばを食べたくなった時、ゆでてから冷水で麺を冷ませないことでした。友人は、そばをゆでる日は、前もってペットボトルに水道水を入れて冷蔵庫で冷やしておいてそれを使うそうですが、とつぜん「今日のお昼はおそばにしよう」となったとき、とっても困る。(ふだんから冷水を冷蔵庫に入れておけばいいのだけど、それって、冷蔵庫の中で結構場所をとるので)。キッチンの水道は、料理に必要なので、いつもウォーターヒーターはONにしてあります。つまり、「水」も「お湯」も熱い。
註:今は、ミネラルウォーターを使ってしまうのでこの問題は解決しました。(こちらは、どの家庭にも、キッチンに大きな飲み水用のミネラルウォーターの給水器が常備してあり、そこから冷水とお湯が出せるのです。それに値段も安い。)でも、来た当初は「麺を冷ますくらいで飲用のミネラルウォーターを使うのはもったいない」という日本の感覚を引きずっていたので、どうにか水道水でしのごうと四苦八苦していました。 |
こんな調子なので、最初は、外で働いている工事現場の労働者やガーデナー(庭師)は、こんな暑さで大丈夫なのだろうか、と不思議でたまりませんでした。しかも、肌をまもるために長袖、長ズボンを身につけている!!私なんか、ガーデナーと立ち話でもしようものなら、あまりの暑さに1分ともたずに、家の中に逃げ込んでしまいたくなるのに、彼らは全然平気そうなのです。やはりイランやパキスタンなど、暑い国から来ているので、暑さには慣れているようですが、私にとってはこれって本当にすごいことです。
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2004年7月号 |
6月で子供の学校も終わり、ドバイでは、一足早く夏休みが始まっています。
学校の夏休みが3ヶ月もあるドバイでは、夏と同時にほとんどの外国人はバケーションに出かけてしまい、街から一挙に人がいなくなります。 子供と私の友人のほとんどは、学校終了と同時にドバイを出国し、僅かに残っていた友人も1人、また1人とバケーションに出かけていき、「夏が終ったらまた会おうね。良い夏休みを!」と、しばしのお別れを言い合います。
たった3ヶ月でも、友達と会えないのは少し寂しい気分になりますが、バケーションに出かけた友達とは、夏が終ればまた会えます。悲しいのは、夏が終っても、戻ってこない友人たちとの別れです。 毎年夏は、ドバイに住む外国人駐在員がいっせいに転勤を迎える季節。学校の年度末にあたる6月頃には、”Are you staying next year?”(「来年もドバイにいる?」)という会話があちらこちらで聞かれます。
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人口の80%が外国人で占められるこの国では、ほとんどの外国人駐在員の任期は2〜3年。中にはたった1年という人もいて、ついこの間来たと思ったら、もうお別れ、ということが日常茶飯事です。常に誰かが去り、また新しい人がやってくる。毎日がその繰り返しです。
子供にしても、仲の良い友だちが滞在2年をすぎるころになると、いつ転勤していってしまうかとハラハラしたり、また、自分が滞在3年目ともなってくると、逆にいつまでこの国にいられるのか、不安なようです。 毎年、学校最後の日の朝礼で、夏でドバイから引っ越してしまう生徒たちがステージにあがりますが、その数の多いこと!こちらに来て一年目の夏、娘のクラスの実に3分の1がドバイを去っていきました。
この地では、子供も大人も、知り合うとすぐに「何年目ですか」と尋ね、その答えを聞いて、「あと何年は一緒だな」と、無意識のうちに計算するくせがついています。 せっかく仲良くなっても、すぐにお別れを言わなければならないのは、つらいことです。ましてや、それが何度も繰り返されるとなると、なおさらのこと。ドバイが長いある友だちは、「うちの子の友だちは毎年変わる。去年仲良くなった子は、今年はもういないから、新学期になるとまた新しい友達を探さなくちゃならなくなる。ドバイにあと8年位いる予定なんだけど、毎年、これが続くと思うとため息が出るわ。」といっていました。 母親の中には、自分の子が、もうすぐドバイを去ってしまうと分かっている友だちよりも、来たばかりでこれから長くいられそうな子と仲良くなって欲しい、と願う人もいるようです。その気持ちも、わからなくもありません。人間関係が、滞在年数に影響される、というところも、この国の特徴でしょうか。 |
アメリカにいた頃にも別れは常時ありました。けれども、それは日本人駐在員の間に限ってのことで、アメリカ人の友だちが引っ越すことはまれでした。けれども、ここでは、ずっとここにいる人のほうが、きわめて稀なのです。 こういう生活をしていると、最初こそ、いちいち落ち込んだりしますが、だんだんと別れに対してドライになってきます。あまり感傷的にならず、ここにいる間をせいいっぱい一緒に楽しく過ごそう、と割り切るようになります。いちいち感傷的になっていては、身が持たない、というのが実情でしょうか。 私達日本人は、日本からドバイに来て、いずれまた日本へ帰っていく、というパターンがほとんどですが、欧米人は、ドバイの前はサウジアラビア、その前はパキスタン、ドバイの後は多分カタールへ・・・などと、海外を延々とまわりつづける人が多く、そういう人達は、慣れもあってか、繰り返される別れを、自分たちなりに気持ちを整理して受け止めているようです。 |
日本人の友だちは、いつか日本に帰ればまた会えます。けれども、外国人の友だちは、自分の国に帰った後は、簡単には再会できません。ましてや、これからもずっとあちらの国、こちらの国、とまわりつづける友人達は、いくら気持ちが通じていても、よほど根気よく連絡をとりつづけない限り、もう一度どこかで会える可能性は非常に少ないでしょう。 つまり、これが今生の別れ(ちょっと大げさですが)になります。いくら慣れたとはいえ、悲しい気持ちには変わりありません。縁があれば、きっといつかどこかで、また会える。そう思って、ハグをして、手を振ります。
出会いはみんな一期一会。人の出入りが激しい分、子供も私も、よりたくさんの人との素晴らしい出会いを経験しています。これらの経験が、私達にとって、素晴らしい財産になりますように。そして、去ってゆく友人たちにも、新しい地で、また素敵な出会いがありますように。毎年、この時期になると、そう願わずにはいられません。 |
2004年6月号 |
2004年5月号 |
【親の見本市】 |
外国人がほとんどをしめるドバイは、とてもインターナショナルな国です。文化もさまざまなら、人もさまざま。で、うちの場合、娘達の友だちとのお付き合いで、特にその違いを実感します。 まず、時間の感覚。これは、絶対的に違います。 学校の終った後、娘が、イランやエジプトなど、中東出身の子の家に遊びにいった場合、相手のお母さんに「お迎えの時間は?」と聞くと、「何時でもいいわよ!全然平気!」と、たいてい鷹揚です。「でも、だいたい何時くらいがいいかしら」というと、決まって、「そうねえ、7時半か8時ごろ。」という答えが返ってきます。ひえー、8時なんて、家に帰ったらもう寝る時間じゃない!とびっくりしてしまうのですが、彼女達にとっては、それが普通のようです(この例の場合、子供の年齢は7歳)。 夏は50℃近くまで気温の上がる中東の人々は、暑い昼間は家にいて、気温の下がる夕方から夜にかけて外出することが多いのです。来たばかりの頃、夜の10時、11時のショッピングモールを、よちよち歩きの子供がいっぱい走り回っているのをみて驚いたものですが、こちらでは、それが当たり前。 上の娘(11歳)が、エジプト人の友だちの家に泊まりにいった時、なんと夜の11時から家族でゲームセンターに行った、と驚いてました。そして、帰ってきたのが、深夜1時。翌朝迎えに行ったときは、楽しかった、と喜んでいましたが、寝不足でフラフラ。対して、友達のほうは、元気でぴんぴんしてる。うーん、どうもこっちの子はみんな宵っ張りみたい。 逆に、欧米人の家庭では、放課後遊んだときのお迎えは、たいてい5時半から6時。アメリカ人の友だちのお母さんは、「うちの子は7時にはベッドに入るから、絶対に6時半までには家に帰らなくちゃいけないの」と、どんなに遅くても6時にはお迎えにきます。遊びに行かせた場合も、「お迎えは5時半」と、即座に返事が返ってきます。 一方、遅くても7時くらいまでには来てね、といっても、夜の9時まで迎えにこない、それでもって、9時に来ても、遅くなったお詫びをするでもなくニコニコしている東欧の人とか、ほんと、親もいろいろで、おもしろいです。 |
また、お泊りに行った娘が、「夜ご飯をもらえなくて、お腹がすいて眠れなかった」といって帰ってきたときはびっくりしましたが、よく聞いてみると、その家は、食事は朝と昼だけで、夜は食べない習慣だったとか、ベジタリアンの家に行った時は、野菜嫌いの娘がほとんど何も食べられなかったとか、家庭によって、食習慣も様々です。
お迎え時間、食事に加えて、金銭感覚もいろいろです。こちらは、もう上を見ればきりがない。 子供のお小遣いは、週ごとに決まった額をあげている親がほとんどですが、家庭によっては、欲しいだけ与えているところも少なくありません(欲しいだけ与えるお金があるっていうところがすごい!と思うんですが。) 9歳の子供の誕生日にリムジンをチャーターしてしまったり、ホテルで5歳の子の誕生パーティーを開いたり、そんなことはよくあることで、第一、誕生パーティーのリムジンで驚いていたら、毎日リムジンで学校に通って来る生徒はどうなるんだ?(本当にいる)。 あと、11歳で携帯を3個もっていて、一番新しいのは、最新型のコンピュータつきのもので、5万円近くする、とか。 あるお金持ちの子は、遊びに行くたびに、うちの子供に高価なおもちゃを買ってくれるので、最初は随分戸惑いました。 |
それと、不思議なことに、イスラム教徒の場合、子供の他の家でのお泊まりを許していない家庭が多いです。イスラム教徒のお母さん仲間に聞いたら、「文化が違うから」と、具体的にはいいませんでしたが、以前、子供の学校のアラビア語の先生が、「イスラム教徒以外の子は、コーランに触らないように。コーランにさわると、イスラム教徒になってしまうからね。逆に、イスラム教徒が聖書に触るのもいけないんだよ。クリスチャンになってしまうからね」といっていたそうですが、泊まった先の家で、豚肉を食べたり、聖書に触れてしまったりしてしまう危険があるからでしょうか。・・・謎。 (そんなこといったら、私も、ラマダンの時、お店に積み上げられていたコーランが珍しくて、手にとってぱらぱらめくったりしましたが、もしかして、私はもうイスラム教徒??)
親しいお母さんだと、迎えに行ったついでに家にあがって、キッチンでつい一時間も話し込んでしまった、ということもよくありますが、母親によっては、迎えにいくと、昼でも夜でも、いつも留守の人もいます。子供はメイドにまかせて、ネイルサロンやパーティー、ショッピングやジムに忙しくて、そういう場合、子供の行き来も電話で打ち合わせるので、一度も親の顔を見なくとも、付き合いが成立してしまうのです(ちなみに、うちに迎えに来る時は、ドライバーが来る)。 かと思うと、大きい家だと、母親は家にいるのですが、まず門のところでセキュリティーガードマン、家に入ったらメイド、次に子供を世話するナニー(乳母)と、いくつもの関門をくぐり抜けなければならず、最後の母親までたどり着くのに、やたら時間がかかる場合も。
メイドがいると、親が子供の面倒を見なくてもやっていけるせいか、両親が子供を置いて、海外旅行にいってしまう家庭もあります。そういう場合は、子供はメイドと二人でしばらく暮らすことになり、一人っ子の場合、寂しいので、よくお泊りに誘われます。この話を友達にしたら、「そんなの、全然普通よ。うちなんて、すごいことあったんだから」。聞くと、ある日突然、息子の友だちが、大きな荷物を持って訪ねてきたのだそうです。どうしたのか聞くと、「うちの親、今日から2週間、旅行に出かけたんだ。旅行中は、おばさんの家に泊めてもらいなさい、って言われたから来た」。ちなみに、友人は、そんなこと、一言も聞いてない。聞いてないどころか、その親にもほとんど会ったことがないそうで・・・・。 いやー、信じられないけど、これ、ほんとの話。 |
友だちと、よく、「このドバイは、まるで親の見本市だよね。実にいろんな親がいる」と、話しますが、いやはや、日本でも、いろんな人はいますが、こっちは文化が混ざってる分、ダイナミックです。
こんなわけで、こちらで子供の遊び友達を見つけるのは難しくありませんが、「価値観の合う相手」を見つけるのは、本当に難しい。子供の友だちのお母さんも、「同じ価値観の人を見つけたら、とっても大事にするようにしてるわ。だって、ほんと、ここでは貴重だからね。」といってました。私も深く同感。 我が家が親しくしているフランス人の一家は、大変幸運なことに、この「価値観」が非常によく似ています。どうぞ、彼女達が、うちより早く転勤になってしまわないように、とせつに願う毎日です。 |
2004年4月号 |
【 外国暮らしに疲れる時
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早いもので、ドバイに来て3年。我が家の海外暮らしも、以前の赴任地もいれると、通算9年目に入ろうとしています。 海外生活というと、たいてい、憧れをもって語られますが、実際に住んでみると、もちろんいいことばかりではありません。長くいればいるほど、違う面も見えてきます。現地に溶け込むと、海外生活も充実した有意義なものになりますが、反面、溶け込めば溶け込むほど、知りたくない面や「?」と思うことも出てきてストレスがたまり、日本が恋しくなることがあります。 海外生活のストレスというと、「和食が食べられない」「英語でうまく言いたいことを伝えられない」「日本にいる家族や友だちが恋しくなる」「日本のテレビドラマが見たい!」など様々ですが、ここでは、「仕事の進行や、役所の対応がいいかげん」「不当な扱いを受ける」といったことがよく話題に上ります。 ただ、日本人同士なら「非常識ね!」と責めればすむことも、海外では文化の違いに根ざしていることが多いので、一概に相手ばかりを非難できず、そこが難しいところです。彼らの育ってきた環境を考えると、それもいたしかたない、と思われることも確かにあるので。
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なんでも自分の文化を基準に考えて、不愉快だ、失礼だと騒いでも、必ずしも自分だけが正しいわけではなく、かえってストレスを溜めることになります。 声をあげることは大事、ということですが、私は、この「声」が少しばかり大きくなってしまうことがあるようで、この間、ショッピングモールで、初めてローカルの女性にケンカを売ってしまいました(ああ、これだけはするまいと思っていたのに・・・)。思わずブチッと切れてしまったその理由は、「これはちょっとあんまりでは・・・」という扱いを子供が受けたからなのですが、同時に「白人の子供にはこういうことはしないだろうな」と思わせるものがあったからなのです。そう考えてしまう自分がとてもいやで、そうやって相手に詰め寄る自分もみにくいなー、と思うのですが、思いながらも、「でも、こういうことは黙ってちゃいけない」、という意識でやらざるを得ない。こういうことがつみ重なると、ほんとに疲れます。 このように、ローカルに対して外国人は弱い、という事実がありますが、それに輪をかけて、こちらでは、「東洋人の地位が低い」という現実があります。以前にも書きましたが、こちらでは、メイドやお店の店員などはみな東洋人(フィリピン、スリランカ、中国、インドネシア、等からの出稼ぎ組)です。中には、少数ですが売春婦もおり、こちらでは東洋人の地位はお世辞にも高いとはいえません。白人のお母さん仲間が、ジーンズにティーシャツといったラフな格好でいても、それはそれでさまになりますが、東洋人がやると、悲しいかな、ほぼ100%、メイドと間違えられてしまいます。そして、見下すような態度をとられたり、ぞんざいに扱われてしまうんですねー(泣)。インドネシア人の友人も、こちらに来た当初、免許がなかったので、毎日ポロシャツにジーンズで自転車で子供の送り迎えをしていたら、どのお母さん達からも、挨拶しても返事をしてもらえなかったそうです。(ちなみに、こちらでは、自転車は労働者たちの乗りもので、駐在員は車と決まっています)。ローカルと結婚した日本人の友人は、子供の学校に送り迎えに行っても、メイドだと思われて(または東洋人だから)、他のローカルのお母さん達からはいっさい無視されるとこぼしていました。
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(誤解のないように言っておきますが、すべてのローカルが不愉快な態度をとっているわけではありません。私が日本語を教えていたアラブ人女性は、子供を愛してやまない教師で、本当に気持ちのいい、尊敬できる素晴らしい女性でしたし、子供服売り場の試着室で「今の子供は、物が豊富で、ちょっと贅沢よねー。私達の子供のころとは全然違うわよねえ」なんて世間話をして意気投合したアラブ人女性も、私とそんなに違っているとは思えませんでした。
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他にも、信頼していたメイドやガーデナーにだまされたり、何かを頼むにもチップが少なかったばかりにわざといいかげんな仕事をされたりとか、そういう経験は誰もがしています。
いろんなことが次から次へと起こるので、そのたびに怒ったり文句をいったり、いちいち言い立てなくてはならない(いわないと、甘く見られて、次からまた同じことが繰り返される)というのも、かなりストレスたまります。
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2004年3月号 |
今、ドバイの日本人の間では「〇イソー」の話でもちきりです。日本でも有名なあの100円ショップ「〇イソー」が、今月ドバイのショッピングモールにオープンしたのです。 |
値段は、すべて5Dh(1Dh=約30円なので約150円)均一(一部日本食のみ6Dh)。
今まで、グロサリーストアーで涙をのんで高い日本食を買ってきた身としては、もう信じられないくらいうれしい!お店を見ているだけで、幸せな気分です。
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こんな調子なので、2度目に行った時は、もう日本のお菓子、食品はすべて売り切れ。現在、みんな首を長くして次の棚卸を待っています。
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豊富な品揃えにこの安さ。いやー、海外生活者にとってこんなにありがたいお店はありません。そそっかしくてしょっちゅう食器を欠いてしまう私としては、とりあえず、ここで茶碗が買えることがわかって、とっても幸せ。「これで、茶碗も欠き放題だー!」と喜んでいる今、横で主人がすごくいやあな顔をしています。 |
2004年2月号 |
【 フード・フェスティバル 】 |
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今月は、子供の通うインターナショナルスクールで「フード・フェスティバル」なるものが開催予定で、現在その準備に追われています。これは、お母さん達が自分の国の料理を作って、生徒や来校者に振舞うというイベントです。会場では、さまざまな国の料理が国ごとにテーブルに並べられ、みんながバッフェ形式でとって食べます。料理を通して各国の文化を知り、交流をはかろうというのが目的ですが、食いしん坊の私はこの行事が毎年とても楽しみ。なんといっても、格安の入場料(20ディラハム=約600円)で世界中の料理が食べ放題なのですから。しかも、レストランなどで出されるものではなく、生徒たちが家庭で食べている普段の食事をお母さん達が作って出すので、これぞまさしく「家庭の味」です。 |
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私達日本人も、去年はお寿司やみたらし団子などを作り、大好評でした。 今日は、学校でその打ち合わせがありましたが、各国の代表者の出身国の多彩なこと。ベルギー、ノルウェー、パキスタン、フランス、韓国、エジプト、オランダ、ギリシャ・・・・。世界63カ国から生徒が集まっている、といううちの学校事情がよくわかります。
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かと思うと、自分はカナダ人でご主人はエジプト人だけれども、ふたりとも20年以上イギリスに住んでいたので、イギリス料理を作ってもいいか悩むエレン。
その横では、「私は、この学校でただ1人のマダガスカル人なの。1人で大人数分の料理を作るのは無理。どうしよう。」と困り果てている女性がいます。
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作る料理にしても、イスラムの国なので、アルコールや豚肉が含まれている物は表示しなければなりません。そこで、「学校のイベントで、子供たちも食べるのだから、どんな料理もアルコールを含むべきではない」という母親がいれば、「ケーキやタルトにラム酒をいれたり、料理にワインを入れるのはあたりまえ。それができなければ私は何もつくれないわ。」と応戦するフランス人のお母さん。「じゃあ、アルコールとかかないで、材料名にliquor(リカー)と書けば、子供にはお酒だってわからないからいいんじゃない」「そもそもイスラムの国でポークやアルコールを含んだものを出すのがまちがってるわよ。」と、会議はかなりにぎやかです。毎年不参加のイギリス人の話題が出れば、「そもそも彼らは料理できないじゃない。」といった暴言が飛び出して笑いを誘ったり(イギリス料理はまずいことで有名。イギリスの人、ごめんなさい)。
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食事といえば、我が家も、娘の友だちが泊まりに来るときは食事に気を使います。ハンバーガーを出したら、ベジタリアンだから食べられなかったり、ピザのペパロニを、いくら説明しても、「これは豚肉じゃないか」と疑ってどうしても口にできないイスラム教の子がいたり。かと思うと、わざわざ洋食を出すと、「寿司が大好きなの。作ってくれる?」とリクエストするアメリカ人。主食が同じお米なので、まったく気を使わなくていいインドネシアの子など、本当にいろいろです。常連の子は、だいたいの嗜好を把握しているのですが、初めての子が来る時は、まずどこから来た子か、まっさきに娘に確かめるようにしています。
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食は文化なりとはよく言ったもので、食べものを通して更に他国の人を理解できたり、意外な一面を発見できたりします。自分の国の料理を好きだといってくれると、それだけで親近感がわきますし、食べ物の話になると話題が盛り上がることもしばしば。 というわけで、今月のフード・フェスティバル、食べることを通してまた新たな発見があるのではないでしょうか。楽しみにしている私です。 |
2004年1月号 |
【 ドバイ・ショッピング・フェスティバル
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1月13日より、いよいよドバイ・ショッピング・フェスティバルが始まりました。 毎年恒例のこのフェスティバルは、その名のとおり、ドバイ中のお店がいっせいにセールをするというもので、この期間、私達住民はもとより、外国からもどっと観光客が買い物に押し寄せ、ドバイ中がにぎやかになります。 もともとドバイには、数多くのショッピングモールにフェラガモ、ティファニーといった有名ブランド店が一通りそろっており、税金がないことも加わって、一部の観光客には人気があります(最近は、日本人観光客の姿もよく見かけます)。それらのブランド店も、この時期いっせいに値下げをするものですから、ショッピングモールはこの時期どこも大混雑。駐車場を探すのに一苦労です。一通り買い物をすませたら、もう外に出るのはやめてひたすら家にいるのが一番無難・・・という声もきかれるくらいです。 |
また、お店のセール以外にも、花火や大道芸、ミュージカルなど、さまざまな催しが街のいたるところで開催され、フェスティバルに花を添えています。 |
中はかなり広く、各国のパビリオンをめぐってさまざまな民芸品などを見た後は、屋台で中東名物のシャワルマ(グリルした薄切り肉をピタパンにはさんだもの)に舌鼓を打ち、子供はビレッジ内に特設された遊園地で遊んで、最後は打ち上げ花火のおまけまでつき、大いに楽しめました。
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遊園地では、ふだんはおとなしくしているアラブ人女性が、絶叫マシーンに乗ってアバヤ(全身を覆う真っ黒い民族衣装)をなびかせながらキャーキャー叫んでいたり、出稼ぎ労働者らしいインド人たちが、たぶん故郷の子供へのおみやげにするのでしょう、真剣に射的の屋台でぬいぐるみの景品をねらっていたりと、ふだん見かけるのとはまたひと味ちがった人々の表情をみることができたのも、新鮮でした。
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さて、このショッピングフェスティバル、2月の半ばまで続きますが、セール、セールと浮かれているため、つい財布の紐がゆるみがちで、結果として普段より多くのお金を使ってしまっていることに気づき、愕然としています。
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神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2004年