神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2003年
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ドバイのHotNews(2003年1月〜12月)

12月号

発展するドバイ ミナ・サラーム・ホテル

あっという間に12月になり、ドバイのあちらこちらでクリスマス・ツリーが見られるようになりました。イスラム国家とはいえ、人口の80%が外国人のドバイでは、ハロウィーンもあればクリスマスもあり、と非常にインターナショナルです。
 特に、ここ数年は、外国からやってくる観光客を意識してか、クリスマスの飾りもかなり洗練され、本格的なものになってきているのを感じます(来たばかりの年は、クリスマス・ツリーを見たことのない人達が飾ったと思われる、とてもツリーとは思えない街中のデコレーションを見て、寂しく感じたものです)。意外なことに、普段は厳格なイスラム教徒も、押し寄せる西洋文化に影響されてか、最近ではクリスマス・ツリーを飾る家もあるようです。我が家のかかりつけのドクターはイスラム教徒ですが、娘さんは家にツリーを飾ってクリスマスの雰囲気を楽しんでいるといっていました。

 

変わってきているのは、ツリーだけではありません。町並みもものすごい勢いで変化しています。ドバイでは、ただいま巨大開発プロジェクトが目白押し。
 今年半ばにシャングリラ・ホテルが開業した他、最近では、ドバイニュース第1号でとりあげた世界で唯一の七つ星ホテル、バージュ・アル・アラブ・ホテルの横にも、ミナ・アサラームという新しいホテルが完成して話題になっています。あのベッカムも購入予約済みという洋上に浮かぶ超高級住宅地「パームアイランド」も完成間近。郊外の我が家の近くでは、ビーチ沿いに「ドバイ・マリーナ・シティ」という一大プロジェクトが進行中で、出来上がれば75棟ものオフィス兼住居の高層ビルが立ち並びます(完成予想図をみると、まるでマンハッタンが引っ越してきたよう。)
 高速道路をはさんで向かいには、去年、いくつもの人口湖を取り囲む大きなコンパウンド(集合住宅)が建てられ、現在もさらに拡大中。ゆくゆくは、3000戸以上を抱える巨大コンパウンドになるそうです。 また、2008年には、ディズニーランドに匹敵する巨大アミューズメント・パークが、そしてなんと世界最大のショッピングセンターまでできるそうで、まさにドバイは一大リゾート国家へと邁進中です。

 

というわけで、今は、どこを通っても工事、工事、工事だらけ。住宅の増加に伴い人口も増加。それにしたがって車も増える。という悪循環で、もはや高速道路のインターチェンジもうまく機能しなくなり、ここもまた順番に工事が進んでいます。住宅地でも、今までは砂漠だった家の前にちゃんとサービス・ロードをつくり、コーナーなどの要所要所に芝生や花を植えて、だいぶこぎれいになりました。
 ざっとこんな調子で、2年前にきた私が見ても驚くほどの変貌ぶりですが、5年前に来た友人の、「私が来た頃は、ワールド・トレード・センター・ビルが唯一の高層ビルで、何処へ行くにもそれを目印にしていたのよ」という言葉を聞くにいたっては、信じられない思いです。はっきり言って、短期間にこれほど急激に変わりゆく町並みを見たことがありません。

 

 

さらに、政府は、観光客ばかりでなく、より多くの人にドバイにとどまってもらうために、マリーナ・シティや先ほどふれた巨大コンパウンドで、外国人向けに家の販売もはじめました(今までは、外国人は賃貸のみで購入はできなかったのです)。購入した人にはドバイの永住権を与える、という特典つきで、これはなかなかの売れ行きのようです。特にアイルランドやイギリスなど天候の良くない国の人達に好評のようで、これは、雨が多かったり、冬は寒いヨーロッパの人々にとって、一年中太陽の照りつづけるドバイの気候は、なにものにも変えがたい魅力だからだそうです。また、近代的で安全、教育環境が整っているドバイは、イランやレバノンなど、ドバイ以外の中東の人々にも人気のようで、彼らの中にも住宅購入を考える人は多いようです。(ただし、この永住権は、ドバイに居住する権利のみで、ドバイで働くことはできません)。

ドバイマリーナシティ

こうした目覚しい発展をとげているドバイですが、ドバイの外国人の間では、評判はあまりよろしくないようです。「昔ながらの古き良きドバイがどんどん消えていってしまって悲しい」「あちこち工事だらけで、家にいてもほこりや砂がすごい」「海を埋め立てるパームアイランドのせいで、ビーチの波は荒くなるし、ゴミも増えた」「工事でさんざん迷惑してるのに、工事が完成する2,3年後には、どうせ私達はもういない。完成した施設を楽しむことはできないのよね(外国人駐在員の任期は、たいてい3年くらい)」などといった不満をよく聞きます。私自身、いつも通る道路が工事現場に近いせいか、いつも大型トラックで大渋滞。かなり迷惑かも。
 しかし、この勢いでいくと、近い将来、ドバイは、ヨーロッパだけでなく、世界で有数の観光地となるのは間違いないようです。関西国際空港からの、エミレーツ航空によるドバイ直行便も毎日出るようになるとのことで、日本からの観光客もどんどん増えていくことでしょう。
 石油にたよらず、観光に的を絞るという政府の政策は、どうやら順調のようです。それによって、これからドバイの町並みがどのように変わっていくか、そして、西洋化の波にもまれて、この国の文化がどのように変貌していくのか、とうぶん目が離せなくなりそうです。

郊外の新興住宅地

 
11月号

メイドの話

 友人に、うちにメイドがいないことを話すと、みんなに「えー!?信じられない!」と驚かれます。そして必ず、「どうして?」と、聞かれるのですが、ことほど左様に、ハウスメイド(お手伝いさん)がいることはドバイでは当たり前のことで、ほとんどの家庭が雇っています。
フィリピンやスリランカ、タイなどから出稼ぎにきている女性達にとって、メイドとして働くことによってもらえる賃金は、自分たちの国に残してきた家族にとっては大変な金額である上に、住み込みの場合、住居費やエアコン代などはオーナー家族が支払ってくれるので、メイドはとても良い働き口のひとつです。
 日本でハウスメイドというと、よっぽどのお金持ちしか雇わないイメージがありますが、ここでは、安い給料で雇える上に、たいていの家が広くて掃除が大変、という理由で非常に重宝されています。アラブ人たちはもちろんのこと、ヨーロッパなどの他国からの駐在員でも、給料にメイドの分まで含まれている場合が多いこともあって、ほとんどの家庭がメイドを雇っています。(ちなみに、ドバイの日本人は、ほとんどがアパートに住んでおり、そのアパートの賃貸契約に含まれている週に2,3回の掃除専門のメイド・サービスを利用しているくらいで、住み込みのメイドを雇っている人はほとんどいません)。

 

 

 ですから、友人と会っていると、自然とハウスメイドのことが話題にのぼります。住み込みの場合、同じ家に住んでいる(又は、裏庭にメイド用の部屋がある)わけで、始終一緒にいるわけですから、メイドとの相性というのは結構重要なことなのです。
 たいていのメイドは真面目に一生懸命働いていますが、やはり当たり外れがあるようです。要領よく働かない、などというのは全然良い方で、中には、夏のバカンスでオーナー家族が本国に帰っている間に、家具や電気製品その他一式をすべてもってドロンしてしまうとか、そこまでしなくても、家の鍵を預かっているので、オーナー家族の旅行中に、友だちをたくさん連れ込んでパーティーをしたり、オーナーのお酒を勝手に飲んだり、挙句の果ては、メイドのボーイフレンドがオーナーの背広を着て仕事の面接に行っていたとか、そんな被害も時々聞きます。ひどい時は、マダムに注意されたのを逆恨みして泥棒の手引きをするメイドもいるというから、雇う側もなかなか気が許せないようです。
逆に、人柄のいい信頼できるメイドにあたった場合、条件のいい他の家に行かれてしまわないよう、そのメイドを本当に大切にして手厚く接したりなど、それはそれで気苦労も絶えないようです。
 日本にはないこのハウスメイドというシステムは、中東特有の文化のひとつであり、いわゆる日本との「文化の違い」のひとつでありますが、実は、これが私にとって未だに馴染めない一番の「文化の違い」なのです。
奥さん同士が集まると、「うちのメイドはフィリピン人よ。よく働くわよ。おたくのは?スリランカ人?」なんて、まるで持ち物の品評会かなにかのように話すのはまだいいとして、ジムでものすごーく太ったおばさんたちが、「動かないから体重が減らなくって・・・。ところで聞いてよ、うちの新しいメイド、トロいのよ。掃除が遅くってね・・・」なんて話しかけてきたりすると、「だったら、自分でやれ!!」と思わずツッコミを入れたくなることもしばしば。

 

 

 こんなことはまあ、メイドのいない私のひがみ(?)もあるかもしれませんが、問題は小さな子供のいる家庭でフルタイムのメイドを雇っている場合。たいてい子供がメイドを扱う態度に「・・・・」と思います。(これが実はうちがメイドを雇わない理由のひとつですが)。
 以前、子供を友だちの家に迎えに行ったとき、巻き毛のそれはそれは愛らしい女の子(8歳)が、「お飲み物は何がいいですか?」と聞いてくれて、私が「オレンジジュース」と答えるやいなや、隣にひかえていたメイドに、「オレンジジュースひとつ!早くしてよね、このウスノロのブタ!!」と叫んだ時の衝撃といったら・・・・次の瞬間壁まで飛び退ってしまいましたが、今思えば、あれもひとつのカルチャーショックでした・・・。
たまに、年端もいかない子供たちが、「うちのメイドはバカ」「うちの運転手は臭い」「うちの奴隷がね(メイドのこと)・・・」と平然と話すのを聞くことがあり、階級社会という中東独特の文化が、こんな小さな子供のうちからしっかり根付いているんだなー、と感じます。
 その他、うちに遊びに来た子がお菓子の包装紙を食べるそばからポンポン床にほうり投げるので、「ゴミ箱、ここにあるよ」といったら、「どうして?メイドに片付けさせればいいじゃない。」といわれて唖然としたり・・。こういった場面は、昔から各家庭でハウスメイドを使っているのがあたりまえのアラブ人や中東出身の家庭でよく見かけます(つまり、親もそうやって育っている)。

 

 

 ビーチなどで、アラブ人の家族がジュースの缶やお菓子の袋を散らかし放題で去っていくのを見ると本当にいやな気持ちがしますが、これも文化の違い、文化の違い・・・と念仏のように唱えて、腹の虫を収めています。(アラブ人の夫をもつ友人も、「私もあれがいやでいやで、夫にも注意するんだけど、彼は「どうして?片付ける人(つまり出稼ぎ労働者)がいるんだからいいじゃない」って言って、ちっともやめないのよ」と、こぼしていました。これは、決して批判しているわけではなく、「自然は大切に!海や山に行った時は、ゴミは持ち帰りましょう」と、学校で教わってきた日本人の私には、どーしても、このゴミポイ捨てが、気になる、ということです・・。)
  白人の場合、ハウスメイドなしで育った親にそういった考えがないので、このような場面はあまり見かけませんが、子供はあらゆることを敏感に吸収していきます。
ある時、私の友人(日本人)が、10歳くらいの白人の男の子に、「メイドにしてやる」と言われた、と憤慨していました(メイドはみんなアジア系なのです)。 また、子供の世話はすべてメイドにまかせている母親も多く、そういう子供の中には、外でどんなに悪さをしても、メイドは叱らない(叱ったら、子供に言いつけられてクビにされるので、叱れない)ので、やりたい放題で周りがみんな迷惑している、という話もよく聞きます。実際、うちの集合住宅の公園で子供を遊ばせているのはみんなハウスメイド。母親はまず出てきません。ある友人は、何年も同じアパートに住んでいる近所の子供たちは、いつもメイドと一緒なので、母親の顔を未だに見たことがない、と言っていました。
 

 
小さな子供がいて忙しい、働いている、など、人の事情は様々で、メイドを有効に活用して、上手に時間のやりくりしている人が多いのも事実です。実際、何処へ行くにも車で遠くまで移動しなければならないドバイでは、そのたびに小さな子供を連れて行くのは大変なことであり、そういう母親にとって、メイドは本当になくてはならない貴重な存在です。けれども、子供が小さければ小さいほど、受ける影響は大きく、それがどうしても気になってしまう「日本人」の私です。 中東出身で、この先ずっとハウスメイドを使う人生を送る人ならそれで問題はないのでしょうが、私たち外国人駐在員は、いつかは自分の国に帰る身。しかも、その国にはハウスメイドなんて存在はないし、あったとしてもごく一部の大金持ちの雇うものです。
  ここに住む白人駐在員たちは、ドバイを「ファンタジーランド」と呼びます。駐在員として大きなお屋敷に住み、自国では雇えないメイドに家事のすべてをやってもらい、欲しい物はなんでも安く手に入る。買い物にあきたら、美しいビーチや砂漠へのキャンプを楽しむこともできるし、白人というだけでみながちやほやしてくれる。まさに夢のような「おとぎの国」というわけです。
  けれども、おとぎの国から出た後、自国で本来の生活に戻るのにどれだけ苦労することか。ましてや、小さな子供だったらなおのことです。
  実は、私自身が、小さい頃まったく同じ境遇にいた帰国子女で、帰国後の苦労を覚えているので、今回は、ついついうるさいおばさんになって辛口の意見をしてしまいました。 私自身、贅沢とは程遠い生活をしてはいますが、滞在が長くなるにつれ、こちらの色に染まってしまいつつある自分にはっとすることがあります。

 

 

ここに住む外国人は、「real life(本当の生活)の実感がない」と、口々に言いますが、こんな生活が続くと、いかにも自分が大金持ちで特権階級であるかのように錯覚してしまう人がいるのも事実です。 でも、その中で自分の身の丈を忘れず、流されまいとする強さを身に付けつつ、異国での生活をエンジョイする・・・これが私の理想ですが、はたしてうまくいっているでしょうか・・・。折に触れ、確認する今日この頃です。 「おとぎの国」の駐在員生活を全うするのも楽じゃない、というのが今月の感想。

 

 

10月号

貧富の差

 

先日、うちの子がバースデー・パーティーに呼ばれた時のこと。相手の女の子の家はちょうど引越しを終えたばかりで、迎えに行くと、お母さんが新居の中を案内してくれました。 中をみてびっくり。まず3階建てというのに驚きましたが、そんなことは序の口。とにかく中が広い!その子の部屋だけで3つある。ひとつは遊び用、ひとつは勉強用で、残る一つは寝る時用だそうな。彼女用のメイドも2人、ドライバーもいます。もちろん家の中はエレベーターつき。 公園かと見まがうばかりの庭にはプールと大きなトランポリン、パーティー用に借りたとばかり思っていた空高くそびえ立つ滑り台つきのジャンピング・キャッスル(遊園地などにある、幼児用の巨大な遊具)は、なんと彼女専用に購入したものだとか。その横にはガレージが5台分!もちろん中にはベンツや真っ赤なフェラーリが・・・。さすがに庭にはいませんでしたが、彼女専用のポニーも飼っているそうです。

 

その他にも、裏庭にはキッチン用の建物(アラブでは、メイドが料理するので家の中には簡易キッチンしかないのです)、執事用の建物、メイドやガードマン用の建物があって、まさに宮殿のよう。はっきり言って、庭にある召し使い用の建物だけでも私の家くらいあるような・・・。 この家はちょっと特別ですが、これに似たような、日本から見ると想像できないような大金持ちが、ここドバイには結構います。普通はそういう家とうちのような庶民は接点がなさそうなものなのですが、こちらでは上記のような超大金持ちの存在率が高い上に、そういう家庭の子供はイスラム教徒といえども比較的オープンで、子供をインターナショナルスクールに入れていたりするので、我が家のような一般ピープルと子供を通して遭遇する確率が結構高いのです。 特にうちの末っ子は、なぜか金持ちの子に好かれる傾向にあるようで、去年はそんな子の招待で、あの有名なバージュ・アル・アラブ・ホテル(このホットニュース第一号参照)でのお泊りに招待されたり(親の私だって泊まったことないのに!)と、こちらがビビるようなお付き合い攻勢を次から次へとしかけてきて、慣れるまでは、私のような「しもじもの者(と、つい卑屈になってしまう)」は、クチをあんぐりと開けっ放しでした。

 

 

他にも、学校で普通に話していた気さくなお母さんの家にお茶をしに行ったら、すごい豪邸で、トイレだけでうちのリビングルームくらいあったとか、さる有名なインターナショナルスクールに通っているシェイクの親戚の子は、家の庭にプールがあってそこでイルカを3頭飼っているとか、はたまたシェイクの子供がある日「象が欲しい」といったら翌日タイから象と象使いが来たというような、うそかまことが分からないような話まで、この類の話は枚挙にいとまありません。

 

しかし、その一方で、この国の大半を占めるのはインドやイラン、パキスタンなどの近隣諸国から来た出稼ぎ労働者たちです。炎天下の中、わずかばかりの賃金で次から次へと建設される高級ホテルなどの建築現場に駆り出されており、夕方は疲れきった彼らをぎっしりと満載した大型バスが、窓を全開にして(エアコンがついていないため)走っています。 うちに時々掃除を手伝いに来てくれるスリランカ人のお手伝いさんのお給料は、1時間15ディラハム(約450円)。スターバックスコーヒー一杯分とほぼ同じ値段です。汗びっしょりになって働いても、コーヒーたった一杯分という事実は、一億総中流の国から来た私には未だに受け入れがたい現実です。もちろん、そんな賃金で足りるはずもなく、彼女たちメイドは、一日中朝から晩まで住み込んでいる家のマダムのために働いており、ほんの少しのお昼休みの時間を、うちのような他の家の掃除などのアルバイトにあてる事によって少しでも多くのお金を稼ごうと努力しています(つまり、実質休み時間なし)。

 

 

この国に来て3年目になりますが、ここでは当たり前のこの貧富の差に、今でも私は慣れることができません。ショッピングモールなどでアラブ人や白人が、子供のベビーカーを押させたり荷物もちをさせたりして中国人やフィリピン人のメイドを連れ回しているのを見ると、同じアジア人としてだから(?)か、なぜか複雑な気持ちになります。 次回は、こちらではなくてはならないこのメイドの話について、もう少し深く書くことにします。

 

 

 

8月号
不思議の国アラブ <その2>

 

 

 

前号に引き続きまして、アラブの不思議を紹介いたします。

 

☆ 車は猛スピード、歩くのはゆっくり。 車の運転が荒い!というのは、以前書いたとおりですが、なぜかアラブの人達は歩くのが遅いです。というか、走っているアラブ人を見たことがない。ドバイに着いてすぐに驚いたのは、ビュンビュン車が走っている道路で、横断歩道でもないのに、フラーッと出てくる人がとても多いこと。人間の心理として、車がこれだけスピードを出して走っていれば、渡る時は命がけのはずなのですが、ところがどっこい、ゆうゆうと歩いて渡る・・・・最初の頃は、この国では一日にアラブ人が何十人か車に轢かれているにちがいない、と思ったものです。 最近、やっとこの謎が解けました。友人いわく、「運転している時は王様のように気ままに、歩いているときは、威厳を持ってゆっくりと」というのがこちらの一般的な考え方だそうです。アラブ人の夫をもつ友人は、結婚当初、小走りに歩いていたら、「なんで走るんだ!そんなみっともないことをするな!」と夫にしかられたそうです。 ☆ 猛スピードのクレイジー・ドライバー これはもういわずもがな。ドバイ名物、命知らずのドライバーたちです。寿命を縮めるのはかってだけど、他人を巻き込まないで欲しい。 スクールバスの後ろが、べっこんと大きくつぶれているのを見ると、「オイオイ勘弁してよー」、と思います・・・・・。

☆ いつでもどこでも、アラブの王様 アラブ首長国連邦の王様(「シェイク」と呼ばれています)の写真が街のいたるところにあります。ホテルのロビーにはもちろん、高速道路沿いにも、看板のようなとっても大きな顔写真が飾られています。きわめつけは、つい最近までワールド・トレード・センター・アパートの横一面にシェイクの顔が描かれていました(現在は、シェイクの好きな馬の絵に変わっています。) そうそう、車のリアウィンドーにも、ドバイ首長国とアブダビ首長国の二人のシェイクの顔がドーンと大きく描かれているのもよく見かけます(後ろはちゃんと見えるのでしょうか)。この国では、シェイクはみんなの人気者のようで、以前、文房具屋で、シェイクの写真つきの便箋やステッカーを見ました。今回写真を載せようとしてもう一度買いに行ったのですが、残念ながら売り切れ。しかたなしに、ウィンドーに飾っているシェイクの写真を見ていたら、お店の人が寄ってきて、「かっこいいだろ?な?」と自慢してました。

 

☆写真厳禁 王様の写真と矛盾するようですが、偶像崇拝を禁止するイスラム世界では、写真を撮られることを嫌がる人が多いです。特に女性はほぼ絶対にダメ。以前、隣国オマーンに旅行にいった友人が、女性の顔を取ろうとカメラを向けたところ、そばにいただんな様らしき男性に石を投げられそうになった、と言っていました。最近はアラブ世界もオープンになってきており、男性は、頼めば撮影させてくれる人が多いそうですが、やはりちょっと心配なので、このホット・ニュースに載せている写真はすべて隠し撮りです(?)。男性の民族衣装にもいくつかバリエーションがあるし、全身真っ黒けのアバヤ姿の女性の写真なども、撮りたくてたまらないのですが・・・残念。 ☆ハラール・ミート 肉売り場には普通の鶏肉と、ハラール・ミートとよばれる鶏肉2種類があります。これは、トリを殺す際の方法(血の抜き方)が普通と違う、イスラム教独特のものだそうで、一般のお肉より少し高めです。でも、やわらかくて、普通のお肉よりおいしいのです。

 

覗き見厳禁、女性のヘアー・サロン 地元の女性の行く美容院に行ってびっくり。ガラスが一面白く塗りつぶされていて、中がまったく見えません。これは、やはり女性の顔や髪の毛を他人に見せないための配慮で、中に入ると、ふだんアバヤの下に隠しているアラブ女性の長く美しい黒髪を一生懸命美容師さんたちがカールしています。こちらの女性の髪の毛は本当にきれいで、アバヤで隠しているのがもったいない、と思ってしまう私です。 ちなみに、このビューティー・サロン、名前がすごいです。"Pretty Lady Salon", "Honeymoon Salon"はまだいいとして、 この間、"You are the Most Beautiful Salon"というのを発見しました。

 

ざっと書いてみましたが、だいたいこんなところでしょうか。 住めば都、といいますが、最初は何かと不自由に感じたドバイも、ユニークな町並みやおいしい食事、独特の文化を知るにつれて、興味深い国に変わってきます。 今日の気温は39℃、ドバイの夏はまだまだ続きます。

 

7月号
不思議の国アラブ

 

先日、子供が夏休みに読む本として、「アンネの日記」を買いに本屋に行ってきました。ところが、どこの本屋にも置いていません。「あんな有名な本がないわけがない。きっと売り切れなんだな。」と思ってレジのコンピューターで調べてもらったところ、なんと"banned"、つまり「発禁」扱いになっていました。店員さんいわく、「ここはイスラムの国だから」。つまり、イスラエル・パレスチナ問題で戦争を続けているユダヤ人の本は、イスラム国家では禁じられているのです。 ガーン!こういうことにはだいぶ慣れたはずだけど、それでも今回のことはショックでした。そうか、アラブの人達は、あの有名な「アンネ・フランク」を知らないんだ!「世界中で読まれている名作」は、実は「イスラム国家を除く世界中で読まれている名作」だったんですね。いやー、それにしても驚いた。 というわけで、今回は他にもあるある、様々なアラブの「不思議」をご紹介します。

 

 

量が多すぎるので、この「アンネの日記」のような宗教的なことから些細なことまで、単純に私がこの国にきて驚いたことを羅列していきます。 1. 銀行や役所には「女性専用」の待合室がある。 スーパーマーケットのレジにも女性専用レーンがあります。もっとすごいのは、女性専用の銀行まであること。これは、女性の顔を家族以外の男性の目に極力触れさせないようにするため。こちらの女性は「アバーヤ」と呼ばれる真っ黒な民族衣装を着て髪の毛もスカーフで覆っていますが、中には顔まで全部隠して、全身真っ黒けの女性も少なくありません。従って、アラブ人の車の窓も、外から見られないように真っ黒です。 2. アラブ人男性は4人まで妻を娶ってよい。 ご存知の通り、イスラム教は一夫多妻制。ただし、これには「妻はすべて平等に扱うこと」という条件があります。つまり、一人の妻だけかわいがって素敵な家に住まわしたり、贈り物をあげたりしてはいけない。もし妻の一人に豪邸を建ててあげたら、残りの妻達にも同じくらい豪華な家を建ててあげなければならない、というわけです。極端な話、妻No.1の冷蔵庫がこわれて新しいのを買った場合、妻No.2,3,4にも、彼女達がすでに冷蔵庫を持っていても、新品の冷蔵庫が与えられます。 やはりその経済的負担は重いらしく、最近はお金持ち以外はあまりたくさん妻を娶らない傾向にあるとか。そのかわり、こっそり愛人を作って通う男性が多いそうです。正式に結婚していなければ、「平等に扱う」という義務はないわけですから。なるほどね。 3. 昼間から喫茶店でのんびりお茶してるアラブ人男性がとても多い アラブでは石油がとれるため、ローカル(地元)の人達は、一部を除いて、あまりあくせく働く必要がありません。仕事をしているといっても、9時ごろ出社して午後2時30分ごろには終わってしまったりするところが多く、昼間から大勢でのんびりお茶を飲んでいる、ターバンにガンドゥーラ(男性の白くて長い民族衣装)姿の男性を見かけることになるわけです。うらやましい・・・・。

 

4. 写真を現像すると、新しいフィルムをただでくれる。 これはなぜ? お店の人に聞いたら、「これを使って写真をとって、またうちに現像しにきてほしいから」といっていましたが、どこで現像しても新しいフィルムがついてきます。 5. ドバイで「コーヒー」といえば「ネスカフェ」。 つまり、インスタントです。結構きちんとしたレストランに入っても、コーヒーを注文すると、お湯の入ったカップとソーサーにインスタントのネスカフェと砂糖の小袋がついてきて、とっても寒い気持ちになります。メニューにも、ドリンクの欄に「コーヒー」と書かれずに「ネスカフェ」と書いてあったりします。 日本で「コーヒー」といわれる、ひいた豆を使ったコーヒーは「フィルターコーヒー」と呼ばれます。ちなみに、ミルク入りのコーヒーは「ホワイトコーヒー」です。こちらの人はカプチーノが好きで、カフェに入ると、コーヒーではなくカプチーノを注文する人が多いです。 6. インド料理屋にいくと、必ず中華料理のメニューがある。 これは不思議なのですが、必ずあります。インド人は中華が好きみたい。インド人の客がたくさん入って繁盛している本格的インド料理の店に入っても、メニューをひらくと必ず中華料理のページがあってチャーハンや炒め物がのっているので、これはかなり違和感があります(ただし、高級インド料理店にはありません)。 ドバイにおけるインド人の人口はとても多いですから、ドバイでは、中華料理を食べようと思うと、かなり選択肢があります。しかし、この中華料理、名前は「中華」ですが、お味のほうは「インド中華」。かなりコショウがきいていて、コショウからい。チャーハンといってもほとんど味がなくて、その代わりにチリソースがついてきたりします。日本人の考える中華とはちょっとちがうような・・・。

 

 

7. モスクがとっても多い。 本当に多い!石を投げればモスクにあたる。特にビーチロードという海側の通りはモスクの展示場のようです。現在も、すでにモスクがたっている斜め前に新しいモスクをせっせと建設中で、これは珍しいことではありません。信仰心あついイスラム教徒のことですから、いつでもお祈りができるように、とのことでしょうが、なんとガソリンスタンドにもモスクがついてます。また、工事現場などで働くイランやパキスタンからの出稼ぎ労働者のために、「移動式モスク」と呼ばれるものがあります。あちこちの工事現場に運べるように、鉄筋の4本足がついた簡易モスクで、トラックで移動できるそうです。 このモスクから一日5回流れてくるお祈り「アザーン」は、かなりのボリュームで、モスクの目の前に住む友人は、アザーンの大音響でいつも赤ん坊が起きてしまうとこぼしていますが、イスラム教徒は気にならないのかしら・・・・。8. アバーヤは暑くないか? ドバイに着いたばかりの頃は、気温50℃で上から下まで真っ黒けのアラブ人女性をみると、思わずその肩をつかんでゆすって、「暑くないのっっっっ!?」と聞いてみたい衝動にかられたものですが、アラブ人の友人によると「小さな頃からいつも着てるから暑くない」んだそうです。でも、「やっぱり暑い」といってる人もいるらしく、この辺は個人差でしょうか。ただ、ここまで気温が高いと、このように全身を覆ったほうが皮膚を守るためには、むしろいいらしく、外で働く出稼ぎ労働者のみなさんも、全員長袖長ズボンの民族衣装を着ています。これは、こういった過酷な環境に住む人達の昔からの知恵のようですね。

 

9. なんでもデイツ、どこでもデイツ デイツとはナツメヤシの実で、それを干したものがいたるところで売っています。スーパーマーケットの野菜売り場や菓子の売り場、ホテルのラウンジまで、どこでも必ず目につきます。アーモンドをはさんだり、チョコレートでコーティングしたものも人気です。お菓子屋さんに行くと、それこそたくさんの種類のきれいなお菓子が所狭しと並んでいますが、「これは何が入ってるの?」「デイツ」、「じゃあ、これは?」「デイツ」、「こっちは?」「デイツ」・・・・って、結局みーんなデイツなんじゃないかー!とあきれたことがありますが、それくらいポピュラーです。ラマダンでも、イフタールの最初に食べるのがデイツなのだそうです。(なんでも、預言者モハメッドがコーランの中でそうしてるそうで)。 他に、オリーブもよく食べられています。 9. 泳ぐ時、水着を着ない では、何を着るのかというと、いつものまま。つまりぞろぞろと長―い民族衣装のまま水に入ります。こちらの女性は、顔を隠すくらいですからもちろん肌も見せません。これはアラブ人だけでなく、インド人もそうで、プールやビーチで泳ぐときも「サリー」と呼ばれる長―い民族衣装を着たまま水に入ります。最初に見た時は驚いたの何の。思わず溺れているのかと思ってしまいました(恥)。子供たちも、ごく小さな子をのぞいて、女の子はみんなそうです。彼女達は慣れたもので、ビーチできれいな衣装が砂まみれになるのもなんのその、楽しそうにざぶざぶ遊んでます。 以前ホテルのプールで、厚手のタイツをはいたまま水着を着て泳ぐ女性を見たことがありますが、これも同じこと。思い切って水着は着たけれど、やっぱり肌の露出はなるべく避けたい、という女心(?)なのでしょう。それにしても、体中にぬれた洋服をまとわりつかせながら、たくさんの女性がジャブジャブ泳ぐ姿はなかなか壮観です。

 

というわけで、まだまだ続く不思議なお話。次号も引き続き紹介いたします。

 

6月号

 

ドバイの正しい夏の過ごし方

 

 

とにかく毎日、暑い!!です。 本日の最高気温は42℃、と新聞には書いてありますが、車の温度計が指す外の温度は49℃!水道管がすっかり熱せられているので、蛇口をひねっても、出てくるのは、「水」という名の「お湯」ばかりなり・・・。ためしに水の温度をはかってみたら42℃もありました。湿気も相当なもので、冷房の効いた家から外へ出た途端、メガネがくもって真っ白になります。ちなみに、この6月の暑さは序の口で、7,8月はもっと気温が上がります。 そんな暑さの強まる中、子供たちの学校も終わり、3ヶ月間の長―い夏休みが始まりました。そして、それと同時に始まったのが、出国ラッシュ。みんな、少しでも涼しい土地で暑さをやり過ごそうと、灼熱のドバイからいっせいに逃げ出すのです。地元の人たちやヨーロッパからの駐在の人々は大人でも1ヶ月〜2ヶ月の夏休みをとるのが普通なので、子供の友人達の大半は、6月に学校が終わるのを待ちかねたように、終業式の翌日には(早い人は、まだ学校が終わっていないうちから)きれいにドバイからいなくなり、8月末まで帰ってきません。「24時間働く日本人ビジネスマン」の我が家をはじめ、まだドバイにとどまっている家族達は、あらかじめ聞いておいたみんなのバケーション・スケジュールにあわせて、わずかに残った友人達とここぞとばかりに遊ぶ毎日です。

 

最高気温50℃にもなるこの土地では、はっきりいって夏はなにもすることがない!暑すぎて外には出れないし(プールに行くにも暑すぎる)、かといって家の中ばかりでは退屈するし。だからみんなよその国へバカンスに出かけるわけで、夏のあいだは、市内はいつもより閑散として静かになります。 このドバイの夏を屋外で楽しめるのは、ゴルフ好きの日本人駐在員だけではないでしょうか。(なんでも、50℃の炎天下、熱射病で意識を失わないように塩をなめながらコースを回ってるそうです。す、すごい・・・。)  長期のバカンスにも行けず、ゴルフが特別好きでもない、そんな庶民にとって、気晴らしといえばショッピング・モールに出かけることくらい。 というわけで、今年もやってきました、「ドバイ・サマー・サプライズ」。 この「サマーサプライズ」は、我が家のようなドバイ居残り組の人達のために、7年前にドバイ政府が考え出した夏のイベントで、ドバイに閉じ込められた人達が、少しでも楽しく夏を過ごせるよう(ついでに店の売上も上がるよう?)、ショッピング・モールなどを中心に様々な催し物が企画されます。今年の開催期間は、6月19日から8月29日までで、週ごとにテーマを決めて子供や大人が楽しめるイベントが盛りだくさんです。て見事に政府の政策に乗せられてるようで、なんかむなしいのですが・・・。

 

 

例えば、第1週の6月19日〜25日のテーマは「フラワー・サプライズ」で、子供たちに、花や自然に親しんでもらう週。花をテーマにした絵画教室や、フラワーアレンジメントのコンペティション等が開催されます。以前紹介したメルカートには、現在400枚ものアーティストによる花の絵の展示がされています。続く第2週の「カトゥーン・サプライズ」では、テレタビーズやパワーパフガールズなどの子供たちの人気キャラクターがショーをしたり、ショッピングモールにやってきて遊んでくれたり、お気に入りのキャラクターを描くワークショップなどが開かれます。他にもカラーをテーマにした週やお菓子をテーマにした週など、さまざまな企画が目白押しです。この時期、サマーサプライズの公式マスコットである黄色い人形、「スマイリー」(という名だか知りませんが、我が家はそう呼んでいる)が街じゅうにあふれ、人々の目をひきます。

 

おまけに、たくさんのお店がこのイベントにあわせてセールをするので、この時期、どこのショッピング・モールも混みあっていて、駐車場を探すのが大変です。更に、買い物した金額にあわせてくじがひけて、しかもその商品が車や高額な現金だったりするので、俄然意気込んでつい買いすぎてしまうはめに・・・。 というわけで、大人も子供も楽しめるこのイベント、1月に開催される「ドバイ・ショッピング・フェスティバル」(ほとんどすべてのお店が大セールをする毎年恒例のフェスティバル。くじ引きもある))と、内容は似たり寄ったりなのですが、暑さでどこも行くところがないという状況にイベント好きのアラブ人の性格も手伝って、毎回大盛況。手をつくして少しでも人を集め、供給過剰気味の豪華なショッピング・モールの売上を伸ばそうという店側の商魂と、オフ・シーズンである夏のドバイに少しでも人をひきよせようとする政府の作戦と、過酷な夏を少しでも楽しもうとする我々住民の願いがうまくあわさって、なかなかうまくいっているようです。 というわけで、ドバイの正しい夏の過ごし方は、エアコンの効いたショッピング・モールへ出かけて、子供はイベントを楽しみ、大人はひたすら買い物して「サマー・サプライズ」の恩恵に預かる。今のところこれに尽きるようです。でも、これって見事に政府の政策に乗せられてるようで、なんかむなしいのですが・・・。

 

 

 

5月号

 

 ≪ラクダの話≫ 

 

 

 

 昨日、めずらしいものを見てしまいました。子どもを送りに車で家を出たところ、前の道路にラクダ発見!しかも、一頭じゃない。数えてみるとなんと十頭!その十頭のラクダたちがつらなってのんびりと道路を渡っているのです。あわててブレーキを踏んでしばし呆然としていましたが、あたりにラクダ使いがいるわけでもなし。かといってここは住宅地で付近に野生のラクダがいるなんて聞いたこともない。ちょうど対抗車線からも車がやってきて、向こうもあわてて急ブレーキ。そちらの運転手と思わず顔を見合わせて「これは、何??」という感じでした。いったいあれはなんだったんでしょう。野生のラクダがここまで散歩に来たのでしょうか。今でも謎です。(カメラを持っておけばよかった!)

 

 さて、アラブといえば砂漠にラクダのイメージですが、きれいに整備され都市化されてしまったドバイ中心部では、あまり見かけることがありません。しいていえば、遊園地やホテルの庭で、観光客用にきれいに着飾ったラクダが待機しているのを見るくらい。ただ、市の中心部から少し走ると、道端でのんびりお散歩しているラクダや、キャメルファームといってラクダを飼育しているラクダ農場のような場所をよく見かけます。我が家はドバイの一番端っこにある住宅地なので、家から20〜30分ほど走ると、ちらほらとそののどかな姿が見え出します。道端で見かけるラクダは、まわりに柵もなく、首輪のようなものもしてないのですが、野生ではなく、ほとんどが誰かに飼われているものだそうです。  ですから、ドバイから車で少し走ると、道端にラクダマークのサイン(「ラクダ横断注意!」といったところでしょうか)をよく見かけます。  ちなみにドバイのラクダは、すべてこぶがひとつ。日本ではラクダというとふたこぶラクダのイメージが強いようですが、それはイランのほうまでいかないといないのだそうです。以前砂漠に行ったときにガイドさんが、ひとこぶのほうがおとなしく、ふたこぶのほうが気性が荒いので、ひとこぶのほうが扱いが便利だといっていました。  

 

砂漠民の友である愛すべきラクダですが、どうやら乗り物以外としても愛されているようで、こちらのスーパーマーケットには、なんとラクダの肉が食用として売られています。私も試してみましたが、固くないし脂っこくなくてけっこういけるお味です(らくださん、ごめんなさい!)。また、ミルク売り場には、ラクダのミルクが!容器にはちゃんとラクダの写真がのっていて、牛のマークが多いミルク売り場で異彩をはなっています。これも試してみたところ、いちおう牛乳の味はするのですが、後味が塩辛い!飲んだ後思わず水が欲しくなるような、不思議な味です。けれども、このラクダのミルク、牛のミルクよりも栄養価が高いとかで、一部の人達の間で結構根強い人気があるそうです。  その他、街のショップやお土産屋さんでは、ラクダのTシャツ、ラクダの置物、はたまたラクダの形のまな板までラクダの商品であふれかえっています。また、冬にはラクダレースが開催され、たくさんの人が訪れます。  石油が見つかってから急激に都市化を遂げたドバイですが、よく見るとまだまだ昔ののどかな生活をしのばせるものが街のあちらこちらに残っています。ラクダもまたそのひとつで、美しく整備された町並みをしりめに、のんびりと草をはむラクダは、古きよきアラブを髣髴させます。また、大昔から砂漠の民であるアラブの人達が、今でもいかにこの動物に愛着をもっているか、それがよくわかるラクダ商品の氾濫なのでした。

 

 

 

4月号

どっちのサイド?

 

イラクの戦争も終わり、ようやく中東も落ち着きを取り戻してきました。

戦争の影響で本国にしばらく避難していたイタリア人の知り合いも帰ってきました。韓国やその他の国の人達も少しずつドバイに、戻ってきています。 私自身も戦争が終わってホッとしました。戦争中は、戦況よりも、まわりの人達にずいぶん気をつかったからです。最初は、「こういう時こそ、この中東にいる人達の生の声を聞いてみたい!」」などと思って好奇心がむくむくと頭をもたげましたが、すぐにそれはとんだ思い上がりだという事に気づきました。結論から言うと、「あまりにも身近すぎて話せない」。

例えば、子供の学校ひとつとっても、生徒たちは世界中、全部で65カ国から集まってきています。今回戦争に参加したアメリカ人やイギリス人、オーストラリア人もいれば、イラクに近いイランやクウェート、パレスチナ出身の人もおり、それぞれがそれぞれの立場での(一部の人々は当事者としての)意見をもっており、他のお母さんたちに戦争について意見を聞きたくとも、話題にするにはあまりにデリケートな問題となってしまいました。また、一口にアメリカ人といっても、アンチ・ブッシュ派の人は割に堂々と「アメリカのやっていることはクレイジー」などと正直に意見をいいますが、そうでない人達にとっては、この中東の地で、しかもこの時期に自分の意見をいう事は相当な勇気がいることです。また、ひとくちにアメリカ人といっても、実はアメリカ国籍をもっているけれども、もとはレバノンやイランから移民した人達だったりと、民族関係が非常に複雑です。

だから、たまに「ロシアって、イラクに武器を供給してた疑いがあるんだって?」なんて言いかけて、はっと隣にいるナターリアがロシア人であることに気づいて気まずい思いをしたり、「シリアがフセインをかくまっているらしいねー」などと話そうしたら、その場にいる友人のだんなさんがシリア人だったということを思い出したりと、何を言おうとしても誰かしらの出身国がどこかで関係していることが多いので、自然と話題を選ぶようになります。

だから、戦争についての話となると、みんな申し合わせたように、「本当に戦争は悲しいことよね。早く終わってほしいわ」。これは共通する意見だし、なんたって一番無難だから。 ただ、こんな状況でも、親たちが隠している本当の気持ちを垣間見てしまう事があります。それは子供たち。何時の世でも、子供というのは正直なもので、うちの子供たちは毎日のように様々な「本音」をもたらしてくれます。

「ねえ、ママ。アリーのおうちはフセインのサイド(味方)なんだって。だから、アメリカなんてテロでやられちゃえばいいって言ってた。」「カレンのおうちは、アメリカは絶対正しいっていってるよ。」などといった過激な意見もしっかり伝えてくれます。私としては、「ちょっと待てよ。カレンのママって、みんなの前では反対のこと言ってなかったっけ?やっぱりみんなの前では言えないんだろうなー。」と、思わぬ本音を知ってしまって驚くやら納得するやら、なにやら複雑な気分です。

私個人として一番困ったことは、こういった会話の最後に必ず子供たちから「ねえ、うちはどっちのサイドなの?」と聞かれること。「ナディアはフセインのサイドなんだって。」「ジョージはアメリカ人だから、やっぱりぼくはアメリカのサイドかなーって言ってた。」とか、子供同士でもそういった話題は出るようで、わがやの子供たちは友だちの手前、自分のスタンスを明確にしたいようなのです。

偶然にもアメリカとアラブ両方の国に住んだことがある私としては、そこに住む第三者としての目で、どちらの正しさも正しくなさ(?)も知っているだけにこれは非常に難しい質問で、聞かれるたびに「うーん。」と唸ってしまいます。最近読んだ本の中に、非常にうまいことが書いてありました。「アメリカが悪い、日本が悪い、と客観的に言えるのはかなり恵まれた立場にいる人たちであって、体感として他国で生活するつらさを知っている人は、こうした対岸の火事のような議論から降りるだろう」。これは別に今回の戦争のことを言っているのではないのですが、「他国で生活するつらさ」を「他国で実感したその国の文化と実情」に置き換えると現在の私の心境をとてもよく表しています。ですから、子供たちには私の意見を一応は伝えますが、私の意見はあくまでも私個人の意見だから、大きくなったら自分でこの問題について調べて、自分なりの結論をだしなさい、と言っています。親の考えをはっきりと子供に示すのは良いことだと常々思っていますが、こういう問題は、ずるい考えのようですが、やはり親の意見を刷り込むよりも、自分なりに調べて自分なりの意見を持って欲しいと思います。一番上の娘は、自分でいろいろ調べているようで、現在イラクから大量破壊兵器が見つかるかどうか非常に興味をもって成り行きを見ています。

ちなみに、親しくしているフランス人の友人は、今回の戦争でははっきりとイラク・サイドであることを打ち出しており、アメリカ製品不買運動を行っています。以前アメリカに住んでいたことがあり、遊びに行くと食事はケンタッキーかマクドナルド、スナックはポップコーン、週末はハリウッド映画を観にいくというアメリカ文化にまみれた生活をしていた彼らが、戦争開始を境にそういったアメリカ製品をすべてやめ、ファーストフードは地元アラブのお店を選び、飲み物も「コカコーラCocacola」ではなく、「コーラKola」と書いてある偽ものを置いてある店をわざわざ選ぶという凝りようです。「おかげでローカル(地元)フードに詳しくなったわ。」と笑う彼女いわく、「反戦を訴えるには、デモよりも何よりも、この方法(不買運動)が一番パワフルだ」とのこと。同じく彼女のフランス人の友人達や、アラブ人など、不買運動をしている人達は結構いるようです。

今回の戦争では、日本でもかなりの人が反戦デモなどに参加したようで、日本人も昔と比べてずいぶん行動的になったと思いますが、彼女の徹底振りを見てると、まだまだ実際に主張することとそれを完全に実行にうつすことにおいては意識の上で隔たりがあるように感じます。テレビで見た反戦デモに参加した人達のうちで、いったい何人がマクドナルドやスターバックスコーヒーのお店に入らず、アメリカ映画を見ずに暮らせるだろう・・・、と。日本の新聞で同じように不買運動を呼びかける文章を見たことがありますが、実際に効果が上がっているようには見えません。

また、単純に、私としては、こういったデモに参加したあとに、マクドナルドやケンタッキーのお店でランチをすることになんの疑問もわかない人がたくさんいるだろう、という事に、日本とアラブの地理的な距離を感じます。これだけ遠く離れているのだから、今回の戦争を対岸の火事としてみるのはまったく自然なことなので、決して非難しているわけではなく(そんなえらそうなことは言えない)、単にその平和さに、自分がとても離れたところにいると実感するのです。

日本の友人から「サダムおじさんはいったいどうなったんだろうねー。」「サダムちゃん、生きてるかな」というメールがくるときも同じ。日本のほがらかな平和さを実感して(ここでは「サダムちゃん」とは決して呼べない雰囲気がある)、「あー、私ってアラブにいるんだなー」としみじみ思う今日この頃です。

 

2・3月号
(その1)

戦争勃発後のドバイ近況

 

とうとう戦争が始まりました。

イラク攻撃の数週間前から、ドバイ在住のアメリカ人には、「銀行預金をすべておろして身辺を整理しておくこと。パスポートは常に携帯、いつでも出国できるようにスーツケース一つに荷物をまとめておくこと」という正式通知がアメリカ政府から来ており、アメリカ人の友人いわく「前回のアフガン攻撃の時ですら、こういった正式な通達が政府から来ることはなかった」そうなので、「どうやらブッシュさん、本気でやるみたいね」といった雰囲気ではありました。イギリス人には、同じ頃イギリス政府から、白人でにぎわうナイトクラブや、ショッピングモールなど、人が集まる場所には行かないようにとの通達がでています。

ドバイは、地理的にはイラクから離れているのですが、それでも、ヨルダンやバーレーンのアメリカンスクールやインターナショナルスクールが次々と閉鎖され、そこの教師や生徒たちがドバイに避難してきたり、私のイラン在住の友人がやはりドバイに緊急避難してくるなど、開戦の足音をひたひたと身近に感じる場面はたびたびありました。 そしてイラク侵攻が始まると同時に、ここドバイでも邦人の退避ラッシュが始まり、俄然身辺があわただしくなりました。主だった企業の駐在員家庭は先週の飛行機で日本へ出国しており、他国企業の移動も同じ頃始まったようで、先週うちの子と遊ぶ約束をしていた友だちのお母さんから、当日電話が入り、「今晩の飛行機で突然出国することになったから、しばらく会えない」と連絡がありました。同じく、前述のイランからドバイに避難して来てホテルで難民(?)生活していた友人も、今晩の飛行機でこちらを出て日本へ向かいます。

先ほども触れましたように、アラブ首長国連邦はイラクから少し離れているため、直接ミサイルが飛んでくるといった危険はありませんが、イスラム世界ではじめてフセイン退陣を要求した国であること、今回の戦争でもトルコが拒否した米軍の駐留を認めていること、また、ドバイ自体がイギリス人、アメリカ人が非常に多いことに加え、彼ら相手のビジネスや観光で成り立っているということもあり、それを快く思わない人々にとっては、テロのターゲットにうってつけの場所です。大規模なテロは難しくても、過激な思想を持った人が個人的になにかをやらかす恐れは十分にあり、イラク査察中から、不法入国者の取締りがとても厳しくなり、街中は私服警官でいっぱいです。事実この間ドバイのナイトクラブの爆破計画が未遂で発見されたそうです。また、イギリス人子弟が通うことで有名なブリティッシュスクールの前で、イギリス人生徒がアラブ人に拉致されるという事件も起こっています。

ただ、石油がほとんど採れないドバイは、その収入源を観光や外国人のビジネスに頼っていることもあり、政府もイメージダウンを避けようと必死のようで、こういった事件はあまり表ざたになりません。なので、「イギリス系のスーパーに爆弾が仕掛けられるらしい」、「アメリカ人が誘拐されかけたらしい」などといった噂ばかりが私たちの間を駆け巡り、本当のところは、安全なのか、それとも教えてもらっていないだけで結構危険なことがちょこちょこ起こっているのか正確な情報がつかめず、非常にあいまいなところがあります。

というわけで、とりあえず市民は普通に暮らしていますが、自衛手段として、子供のバースデーパーティーなどは、会場をキャンセルして個人の家で開くようになり、ショッピングモールなど人が集まる場所はいつもより閑散としています。いつもにぎわっているイギリス系のスーパーマーケットをさけて、みんなインド系や地元のお店で買い物するようになりました。 友人の住むホテル兼アパートでは、米軍が泊まっているため、ピザなどのデリバリーを頼んでも絶対に配達人を中に入れないように指示が徹底されています。もし何か配達を頼んだ場合は、今までは戸口まで来てもらっていたのが、わざわざ下のロビーまで降りていって(30階建てくらいある)受け取らなければならないといっていました。

また、テロ以外に心配なのは、化学兵器が使用された場合で、こちらは砂嵐のように強風がふくことが多い(特に最近はすごい)ので、ドバイにも有毒ガスなどが流れてくる可能性があることです。

前回のアフガン攻撃の時は、緊急時に備えて日本人の間で特別連絡網を作ったり、「飛行場が閉鎖されてイザという時に出国できない場合は、陸路で隣国のオマーンへ車で行ってそこから脱出するので、絶対にいつもガソリンは満タンにしておくこと。」などと取り決めてしょっちゅうガソリンスタンドに行ったりしていました。子供の学校もアメリカンスクールなので、その頃は大きな銃を持った兵隊が校門の前に常駐するようになり、生れて初めて間近で銃を目にすることになりました。 今回もそのようなことにならないとよいのですが・・・今はただ見守るしかできません。

 

 

2・3月号
(その2)

 

嫌われるアメリカ

ドバイでは、イラク開戦前の3月中旬で気温すでに41℃。現在はまた少し下がりましたが、ここのところ砂嵐が続いており、窓を締め切っていても僅かな隙間から細かい砂が入り込んできて、家中がザラザラしています。フリーウェイを走ると、砂が道路の上を帯状に幾筋もザーッと流れていき、大自然の作り出す不思議な模様にしばし見とれるほどです。

けれども、イラクで戦っている兵士達は、砂漠での灼熱地獄に加えての重装備と吹き荒れる砂嵐でかなり過酷な環境であることは間違いありません。 今回の戦争について折に触れて友人達と話をしましたが、反応は人それぞれです。 アメリカ人「ブッシュはおろか。アメリカ人として恥ずかしい。」 フランス人「民衆の開放は大義名分で本当は石油だけがねらい。」 アメリカ国籍のレバニーズ「フセインは悪いやつ。民衆を苦しめている。私は戦争はきらい。でもイラクの民衆が開放されることは大事。」 パキスタン人「ブッシュは悪人。」等々・・・・。 また、別の友人は、子供のかかりつけの医者がイラク人で、彼の話によると「家族をイラクに残してきている。戦争がはじまりそうだから国外に出るように言ったけれども、国境は閉鎖されていて国民はイラクから出られないようになっている。飛行機も飛ばないし、どうしようもない」と言っていたそうです。

ドバイは、石油関係の会社に勤める外国人が多く、ドバイ在住のアメリカ人はそのせいかブッシュ大統領と同じテキサス出身者が多く見受けられます。たぶんブッシュ派の人もいると思うのですが、今回の戦争に関しては、この中東の地で自分の意見をいうのに慎重な人が多いように感じました。

そんな中で友人が話してくれた彼女のアラブ人の夫の意見はショックでした。今回の戦争でイラクは確実に負けるだろう、と言いつつ「ブッシュがテレビに出ると画面につばを吐きかける。自分は過激派でもなんでもない普通の市民だけど、例えばタリバンのことは、やり方はともかく、イスラムの真理を追究しているという点で尊敬している。米軍のヘリが墜落したときは思わず『やった!』と言った。親戚やアラブ人の友人達で『アメリカ人はキライじゃないだけど、アメリカ政府は大キライ!』と常々公言している人はとても多い。普通のアラブ人の間では、表にははっきりと言わなくても、そういった潜在的な嫌米派はかなりいる。」

このような意見がもちろん全員のものとは言いませんが、やはりイスラム教徒とアメリカ政府の間にはかなり大きな溝があり、これは過激派だけでなく、ごく普通の市民の間でも共通するようです。ただ、私が驚いたのは、イスラエルやパレスチナ、イラクやアフガニスタンなど西洋諸国の介入に翻弄され、争いと縁の切れない貧しい国(というと語弊がありますが)だけでなく、欧米人とアラブ人やその他の民族が非常に良い関係のもとに裕福で洗練されたコミュニティーを形成しているここのような場所でも、その認識が変わらないということです。どこかの新聞社が、人間の盾としてイラクにいる日本人の「『自分が行けば戦争は止まるかもしれない。何か奇跡が起きるんじゃないか』と思って来たけれど、今になってみると自分の思い上がりだったのかも」という揺れ動く気持ちを紹介していたけれども、大変個人的な意見を言わせてもらうと、確かにこのような社会の中に東洋人一人飛び込んできたところで、このイスラムvs.アメリカの根深い構図が簡単に変わるわけがない、と虚しさを感じます。

蛇足ですが、今回、テレビの報道に関して思ったのですが、地元のアラビア語のニュース番組、フランス語の放送などで、街への爆撃の様子や負傷した市民や兵士、隊列を組んで進む戦車などのリアルな画像が動画で頻繁に使用されているのとは対照的に、CNNではバグダット市内などの静止場面(しかもただの風景)をバックグラウンドにリポーターが話しているというパターンばかりで、爆撃や負傷者など戦争の詳細を伝える映像を避けているように感じられ、その偏りに違和感を感じます。CNN以外の他のアメリカの報道番組がどうなのか見てみたいので、ケーブルテレビに加入しようかと考える今日この頃です。

 

 

1月号

 


デザート・サファリに行こう!(ドバイ観光案内・砂漠編)

 

 

関西国際空港からエミレーツ航空の直行便が就航し、ドバイも俄然日本で注目を集めだしたようです。そこで、今回はズバリ、ドバイのおすすめ観光ツアーをご紹介いたします。  今回ご紹介する「デザート・サファリ」は、筆者が実際に参加したもので、砂漠を四輪駆動でダイナミックに走るデューン・ドライブをはじめ、砂漠の中のキャンプサイトで、キャメル・ライド、へナ・ペインティング(植物の抽出成分を使ったアラブ特有の刺青のようなもの)、シーシャ(水タバコ)、サンドボードなどを体験。日が落ちてバーベキューディナーに舌鼓を打った後は名物のベリーダンスを楽しむ、というアラビア気分満載の半日ツアーです。

 

 

当日は、午後3時ごろ、ツアー会社のランドクルーザーが家に迎えにきて、ドライバーのモハメッドと自己紹介を済ませた後、私たち総勢8人を乗せた車は、一路ハッタ(ドバイから車で1時間ほど郊外の町)へ。 しばらく走ると、道路の脇にラクダがのんびり歩いているのが見えてきたりして、すでに気分はアラビア。ふと気が付くと、いつのまにか周りを走っているのは私たちと同じ白いランドクルーザーばかり。そして、砂漠に入る手前のガソリンスタンドでこれらの車がぞくぞくと集結。モハメッドに聞くと、これらはすべて、今日ツアーをともにする仲間とのこと。砂漠では、車のタイヤが砂にとられて身動きできなくなる危険があるため、砂に埋まった車を助けられるよう必ず団体行動をとるのだそうです。ガソリンスタンドで、それらの車(今回はなんと総勢20台あまり)がいっせいにタイヤの空気を抜くさまは壮観です(砂でタイヤがスリップしないように、タイヤの空気圧を低くしておくのです)。その間、私たちは、水などの飲み物を補給し、トイレもしっかりすませておきます。 ガソリンスタンドを出てしばらく走ると、まばらだった草木も見えなくなり、両脇はもう延々と広がる砂漠。道路の横の柵の切れ目から砂漠に入り、そこでいったん止まって、一列に隊列を整えてから、いよいよ砂丘を登っていきます。

 

遠くからはゆるやかに見えた砂丘は、実際に走ってみるとかなりの急斜面で、砂丘の頂上から下に一気に滑り降りていく(「走る」というより「滑る」。まさにそういう感じです)さまは、まるでジェットコースターのようでスリル満点。そんなアップダウンがこれでもかと続き、頭を打たないように手すりにつかまりながら、私たち全員、年甲斐もなくキャーキャー叫びっぱなし。子供たちも大喜びで、「もっと早く!もっと早く!」と調子に乗ってモハメッドをけしかけますが、モハメッドの顔は真剣そのもの。深―い砂にタイヤをとられないように運転するには、やはり事前に講習を受けたりするなどそれなりの技術が必要で、それでも緊張するそうです。夏場は、もし仲間がいない時に砂にはまってしまったら命取りになってしまうとのこと。 ちなみに、自分が走っているときもおもしろいけれど、他の車が砂丘を走っているのを見るのもまたおもしろいのです。「水しぶき」ならぬ、「砂しぶき」をあげてすすんでいくランドクルーザーは、広大な砂漠の中では、まるでおもちゃのよう。 このダイナミックなデューンドライブだけでも、このツアーにきて良かったー、といたく感動。(でも、お年よりや腰が悪い人はやめたほうがいいかも。あまりにアップダウンが激しくて、気持ちが悪くなってしまったり、中には吐いてしまうひともいるそうです)

 

このデューンドライブを2時間(!)続けたあと、一行は、キャメル・ファームへ。ここは、ラクダを飼育しているラクダ牧場のようなところで、たくさんのラクダが囲いの中でのんびりえさを食べたりしています。小さな赤ちゃんラクダがいたりしてなかなかほほえましい光景が見られます。猛烈な匂いに負けず、間近でじっくり観察したあと、キャンプサイトへ。 すでに日が落ちかけたキャンプサイトでは、きれいにドレスアップしたラクダ(写真参照)たちが、私たちを待っておりました。順番にラクダに乗ってその辺を一周。まさに「月の〜の砂漠を〜♪」という歌の世界。ラクダは立つととても背が高く、お客を乗せ降ろしするために立ったり座ったりするときは、前後上下に大きく揺れるので、ここでもツアー客一同、悲鳴をあげっぱなし。横では、子供やお父さんたちが、砂丘でスノーボードならぬサンドボードを楽しんでいます。 仮設テントの中にはいると、ドバイ名物のデイツ(なつめやしの実)やアラビック・コーヒーがふるまわれ、手の甲にへナ・ペインティングをしてもらったり、シーシャという水タバコを吸ったりと、アラブの主だった文化を楽しむことができます。このあたり、ツアー会社によって多少内容が異なり、以前参加した別のツアーでは、アバヤ(民族衣装)を着て写真をとるサービスもありました。 そうこうしているうちに、いい匂いがしてきて、いよいよバーベキュー・ディナーの始まり。メニューはシシカバブなどの肉の串刺しに、ホモスとよばれるヒヨコ豆のペースト、アラビックパン(平たい丸いパン)、大量の生野菜サラダ・・・と、アラブ料理の定番が一通り並びます。観光客向けとあって、ここではアルコールも飲むことができます(ただし、ラマダン中は除く)。

 

 

お腹がいっぱいになると、お待ちかねのベリーダンサーの登場。アラブ風の妖艶な衣装で踊る様はとっても魅力的で、一同視線がくぎ付け(特に男性諸君!一番前に陣取って、やいのやいの手拍子をうって、みなさんご機嫌でした)。曲の途中でお客さんが順番に舞台にあがって一緒に踊る構成になっており、最後は全員が舞台に上がって盛り上がったところで、お開き。各自の車に戻って、一路ドバイへ戻ります。(ちなみに、このベリーダンスも、ラマダン中はありません。)このデザート・サファリツアー、値段は一人約180ディラハム(約5400円。子供料金別)。内容からすると、かなりお得といえます。しかも、今回のように5人以上だと車を一台貸しきることができ、割引もしてもらえます(うちの場合は、交渉して一人140ディラハムにしてもらいました)。 また、料金を上乗せすれば、このキャンプサイトで一泊することも可能です。以前泊まったことがありますが、星空がとてもきれいでした。(ただし、その時泊まったもの好きはわが家だけ。ツアードライバーもキャンプサイトの管理人も夜になると帰ってしまい、砂漠のど真ん中に私たち家族5人だけ置き去りにされました。テントもない、屋根もない、申し訳程度の柵に囲まれただだっぴろいキャンプサイトの砂の上にじかに寝袋をしいて寝ました。これぞ本当のキャンプ!と感動している場合じゃない。これじゃあ、万が一さらわれても誰にもわからない、サソリが出るかもしれないし・・・とちょっと怖かったです。おまけに、そこらじゅうラクダのふんがコロコロしてるし、夜中に正体不明の虫に顔面を刺されて、猛烈な痛みでとび起きたりで、よっぽど砂漠が好きな人じゃないと向かないかもしれません。うちも後から、「あんなとこ泊まったのー?もの好きだねー。」とみんなにいわれました)。

 

わが家はこのツアーですっかり砂漠に魅せられて、砂漠運転講習を受けて、次回は個人で自分たちで車を運転していこうと計画しています。 というわけで、ドバイに来るならこの砂漠ツアーは絶対におすすめ。大都会ドバイの街中とはまた違った風情が楽しめます。 (私は決してツアー会社の回し者ではありません、念のため)。

 

 

 




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神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2003年