12月号
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あっという間に12月になり、ドバイのあちらこちらでクリスマス・ツリーが見られるようになりました。イスラム国家とはいえ、人口の80%が外国人のドバイでは、ハロウィーンもあればクリスマスもあり、と非常にインターナショナルです。 |
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変わってきているのは、ツリーだけではありません。町並みもものすごい勢いで変化しています。ドバイでは、ただいま巨大開発プロジェクトが目白押し。
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というわけで、今は、どこを通っても工事、工事、工事だらけ。住宅の増加に伴い人口も増加。それにしたがって車も増える。という悪循環で、もはや高速道路のインターチェンジもうまく機能しなくなり、ここもまた順番に工事が進んでいます。住宅地でも、今までは砂漠だった家の前にちゃんとサービス・ロードをつくり、コーナーなどの要所要所に芝生や花を植えて、だいぶこぎれいになりました。
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さらに、政府は、観光客ばかりでなく、より多くの人にドバイにとどまってもらうために、マリーナ・シティや先ほどふれた巨大コンパウンドで、外国人向けに家の販売もはじめました(今までは、外国人は賃貸のみで購入はできなかったのです)。購入した人にはドバイの永住権を与える、という特典つきで、これはなかなかの売れ行きのようです。特にアイルランドやイギリスなど天候の良くない国の人達に好評のようで、これは、雨が多かったり、冬は寒いヨーロッパの人々にとって、一年中太陽の照りつづけるドバイの気候は、なにものにも変えがたい魅力だからだそうです。また、近代的で安全、教育環境が整っているドバイは、イランやレバノンなど、ドバイ以外の中東の人々にも人気のようで、彼らの中にも住宅購入を考える人は多いようです。(ただし、この永住権は、ドバイに居住する権利のみで、ドバイで働くことはできません)。 ドバイマリーナシティ |
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こうした目覚しい発展をとげているドバイですが、ドバイの外国人の間では、評判はあまりよろしくないようです。「昔ながらの古き良きドバイがどんどん消えていってしまって悲しい」「あちこち工事だらけで、家にいてもほこりや砂がすごい」「海を埋め立てるパームアイランドのせいで、ビーチの波は荒くなるし、ゴミも増えた」「工事でさんざん迷惑してるのに、工事が完成する2,3年後には、どうせ私達はもういない。完成した施設を楽しむことはできないのよね(外国人駐在員の任期は、たいてい3年くらい)」などといった不満をよく聞きます。私自身、いつも通る道路が工事現場に近いせいか、いつも大型トラックで大渋滞。かなり迷惑かも。 郊外の新興住宅地 |
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11月号
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メイドの話
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友人に、うちにメイドがいないことを話すと、みんなに「えー!?信じられない!」と驚かれます。そして必ず、「どうして?」と、聞かれるのですが、ことほど左様に、ハウスメイド(お手伝いさん)がいることはドバイでは当たり前のことで、ほとんどの家庭が雇っています。 フィリピンやスリランカ、タイなどから出稼ぎにきている女性達にとって、メイドとして働くことによってもらえる賃金は、自分たちの国に残してきた家族にとっては大変な金額である上に、住み込みの場合、住居費やエアコン代などはオーナー家族が支払ってくれるので、メイドはとても良い働き口のひとつです。 日本でハウスメイドというと、よっぽどのお金持ちしか雇わないイメージがありますが、ここでは、安い給料で雇える上に、たいていの家が広くて掃除が大変、という理由で非常に重宝されています。アラブ人たちはもちろんのこと、ヨーロッパなどの他国からの駐在員でも、給料にメイドの分まで含まれている場合が多いこともあって、ほとんどの家庭がメイドを雇っています。(ちなみに、ドバイの日本人は、ほとんどがアパートに住んでおり、そのアパートの賃貸契約に含まれている週に2,3回の掃除専門のメイド・サービスを利用しているくらいで、住み込みのメイドを雇っている人はほとんどいません)。 |
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ですから、友人と会っていると、自然とハウスメイドのことが話題にのぼります。住み込みの場合、同じ家に住んでいる(又は、裏庭にメイド用の部屋がある)わけで、始終一緒にいるわけですから、メイドとの相性というのは結構重要なことなのです。 |
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こんなことはまあ、メイドのいない私のひがみ(?)もあるかもしれませんが、問題は小さな子供のいる家庭でフルタイムのメイドを雇っている場合。たいてい子供がメイドを扱う態度に「・・・・」と思います。(これが実はうちがメイドを雇わない理由のひとつですが)。 以前、子供を友だちの家に迎えに行ったとき、巻き毛のそれはそれは愛らしい女の子(8歳)が、「お飲み物は何がいいですか?」と聞いてくれて、私が「オレンジジュース」と答えるやいなや、隣にひかえていたメイドに、「オレンジジュースひとつ!早くしてよね、このウスノロのブタ!!」と叫んだ時の衝撃といったら・・・・次の瞬間壁まで飛び退ってしまいましたが、今思えば、あれもひとつのカルチャーショックでした・・・。 たまに、年端もいかない子供たちが、「うちのメイドはバカ」「うちの運転手は臭い」「うちの奴隷がね(メイドのこと)・・・」と平然と話すのを聞くことがあり、階級社会という中東独特の文化が、こんな小さな子供のうちからしっかり根付いているんだなー、と感じます。 その他、うちに遊びに来た子がお菓子の包装紙を食べるそばからポンポン床にほうり投げるので、「ゴミ箱、ここにあるよ」といったら、「どうして?メイドに片付けさせればいいじゃない。」といわれて唖然としたり・・。こういった場面は、昔から各家庭でハウスメイドを使っているのがあたりまえのアラブ人や中東出身の家庭でよく見かけます(つまり、親もそうやって育っている)。 |
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ビーチなどで、アラブ人の家族がジュースの缶やお菓子の袋を散らかし放題で去っていくのを見ると本当にいやな気持ちがしますが、これも文化の違い、文化の違い・・・と念仏のように唱えて、腹の虫を収めています。(アラブ人の夫をもつ友人も、「私もあれがいやでいやで、夫にも注意するんだけど、彼は「どうして?片付ける人(つまり出稼ぎ労働者)がいるんだからいいじゃない」って言って、ちっともやめないのよ」と、こぼしていました。これは、決して批判しているわけではなく、「自然は大切に!海や山に行った時は、ゴミは持ち帰りましょう」と、学校で教わってきた日本人の私には、どーしても、このゴミポイ捨てが、気になる、ということです・・。)
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小さな子供がいて忙しい、働いている、など、人の事情は様々で、メイドを有効に活用して、上手に時間のやりくりしている人が多いのも事実です。実際、何処へ行くにも車で遠くまで移動しなければならないドバイでは、そのたびに小さな子供を連れて行くのは大変なことであり、そういう母親にとって、メイドは本当になくてはならない貴重な存在です。けれども、子供が小さければ小さいほど、受ける影響は大きく、それがどうしても気になってしまう「日本人」の私です。
中東出身で、この先ずっとハウスメイドを使う人生を送る人ならそれで問題はないのでしょうが、私たち外国人駐在員は、いつかは自分の国に帰る身。しかも、その国にはハウスメイドなんて存在はないし、あったとしてもごく一部の大金持ちの雇うものです。 ここに住む白人駐在員たちは、ドバイを「ファンタジーランド」と呼びます。駐在員として大きなお屋敷に住み、自国では雇えないメイドに家事のすべてをやってもらい、欲しい物はなんでも安く手に入る。買い物にあきたら、美しいビーチや砂漠へのキャンプを楽しむこともできるし、白人というだけでみながちやほやしてくれる。まさに夢のような「おとぎの国」というわけです。 けれども、おとぎの国から出た後、自国で本来の生活に戻るのにどれだけ苦労することか。ましてや、小さな子供だったらなおのことです。 実は、私自身が、小さい頃まったく同じ境遇にいた帰国子女で、帰国後の苦労を覚えているので、今回は、ついついうるさいおばさんになって辛口の意見をしてしまいました。 私自身、贅沢とは程遠い生活をしてはいますが、滞在が長くなるにつれ、こちらの色に染まってしまいつつある自分にはっとすることがあります。 |
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ここに住む外国人は、「real life(本当の生活)の実感がない」と、口々に言いますが、こんな生活が続くと、いかにも自分が大金持ちで特権階級であるかのように錯覚してしまう人がいるのも事実です。 でも、その中で自分の身の丈を忘れず、流されまいとする強さを身に付けつつ、異国での生活をエンジョイする・・・これが私の理想ですが、はたしてうまくいっているでしょうか・・・。折に触れ、確認する今日この頃です。 「おとぎの国」の駐在員生活を全うするのも楽じゃない、というのが今月の感想。 |
10月号
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8月号
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7月号 |
6月号 |
5月号 |
4月号 |
どっちのサイド?
イラクの戦争も終わり、ようやく中東も落ち着きを取り戻してきました。 |
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戦争の影響で本国にしばらく避難していたイタリア人の知り合いも帰ってきました。韓国やその他の国の人達も少しずつドバイに、戻ってきています。 私自身も戦争が終わってホッとしました。戦争中は、戦況よりも、まわりの人達にずいぶん気をつかったからです。最初は、「こういう時こそ、この中東にいる人達の生の声を聞いてみたい!」」などと思って好奇心がむくむくと頭をもたげましたが、すぐにそれはとんだ思い上がりだという事に気づきました。結論から言うと、「あまりにも身近すぎて話せない」。 例えば、子供の学校ひとつとっても、生徒たちは世界中、全部で65カ国から集まってきています。今回戦争に参加したアメリカ人やイギリス人、オーストラリア人もいれば、イラクに近いイランやクウェート、パレスチナ出身の人もおり、それぞれがそれぞれの立場での(一部の人々は当事者としての)意見をもっており、他のお母さんたちに戦争について意見を聞きたくとも、話題にするにはあまりにデリケートな問題となってしまいました。また、一口にアメリカ人といっても、アンチ・ブッシュ派の人は割に堂々と「アメリカのやっていることはクレイジー」などと正直に意見をいいますが、そうでない人達にとっては、この中東の地で、しかもこの時期に自分の意見をいう事は相当な勇気がいることです。また、ひとくちにアメリカ人といっても、実はアメリカ国籍をもっているけれども、もとはレバノンやイランから移民した人達だったりと、民族関係が非常に複雑です。 だから、たまに「ロシアって、イラクに武器を供給してた疑いがあるんだって?」なんて言いかけて、はっと隣にいるナターリアがロシア人であることに気づいて気まずい思いをしたり、「シリアがフセインをかくまっているらしいねー」などと話そうしたら、その場にいる友人のだんなさんがシリア人だったということを思い出したりと、何を言おうとしても誰かしらの出身国がどこかで関係していることが多いので、自然と話題を選ぶようになります。 だから、戦争についての話となると、みんな申し合わせたように、「本当に戦争は悲しいことよね。早く終わってほしいわ」。これは共通する意見だし、なんたって一番無難だから。 ただ、こんな状況でも、親たちが隠している本当の気持ちを垣間見てしまう事があります。それは子供たち。何時の世でも、子供というのは正直なもので、うちの子供たちは毎日のように様々な「本音」をもたらしてくれます。 「ねえ、ママ。アリーのおうちはフセインのサイド(味方)なんだって。だから、アメリカなんてテロでやられちゃえばいいって言ってた。」「カレンのおうちは、アメリカは絶対正しいっていってるよ。」などといった過激な意見もしっかり伝えてくれます。私としては、「ちょっと待てよ。カレンのママって、みんなの前では反対のこと言ってなかったっけ?やっぱりみんなの前では言えないんだろうなー。」と、思わぬ本音を知ってしまって驚くやら納得するやら、なにやら複雑な気分です。 私個人として一番困ったことは、こういった会話の最後に必ず子供たちから「ねえ、うちはどっちのサイドなの?」と聞かれること。「ナディアはフセインのサイドなんだって。」「ジョージはアメリカ人だから、やっぱりぼくはアメリカのサイドかなーって言ってた。」とか、子供同士でもそういった話題は出るようで、わがやの子供たちは友だちの手前、自分のスタンスを明確にしたいようなのです。 偶然にもアメリカとアラブ両方の国に住んだことがある私としては、そこに住む第三者としての目で、どちらの正しさも正しくなさ(?)も知っているだけにこれは非常に難しい質問で、聞かれるたびに「うーん。」と唸ってしまいます。最近読んだ本の中に、非常にうまいことが書いてありました。「アメリカが悪い、日本が悪い、と客観的に言えるのはかなり恵まれた立場にいる人たちであって、体感として他国で生活するつらさを知っている人は、こうした対岸の火事のような議論から降りるだろう」。これは別に今回の戦争のことを言っているのではないのですが、「他国で生活するつらさ」を「他国で実感したその国の文化と実情」に置き換えると現在の私の心境をとてもよく表しています。ですから、子供たちには私の意見を一応は伝えますが、私の意見はあくまでも私個人の意見だから、大きくなったら自分でこの問題について調べて、自分なりの結論をだしなさい、と言っています。親の考えをはっきりと子供に示すのは良いことだと常々思っていますが、こういう問題は、ずるい考えのようですが、やはり親の意見を刷り込むよりも、自分なりに調べて自分なりの意見を持って欲しいと思います。一番上の娘は、自分でいろいろ調べているようで、現在イラクから大量破壊兵器が見つかるかどうか非常に興味をもって成り行きを見ています。 ちなみに、親しくしているフランス人の友人は、今回の戦争でははっきりとイラク・サイドであることを打ち出しており、アメリカ製品不買運動を行っています。以前アメリカに住んでいたことがあり、遊びに行くと食事はケンタッキーかマクドナルド、スナックはポップコーン、週末はハリウッド映画を観にいくというアメリカ文化にまみれた生活をしていた彼らが、戦争開始を境にそういったアメリカ製品をすべてやめ、ファーストフードは地元アラブのお店を選び、飲み物も「コカコーラCocacola」ではなく、「コーラKola」と書いてある偽ものを置いてある店をわざわざ選ぶという凝りようです。「おかげでローカル(地元)フードに詳しくなったわ。」と笑う彼女いわく、「反戦を訴えるには、デモよりも何よりも、この方法(不買運動)が一番パワフルだ」とのこと。同じく彼女のフランス人の友人達や、アラブ人など、不買運動をしている人達は結構いるようです。 今回の戦争では、日本でもかなりの人が反戦デモなどに参加したようで、日本人も昔と比べてずいぶん行動的になったと思いますが、彼女の徹底振りを見てると、まだまだ実際に主張することとそれを完全に実行にうつすことにおいては意識の上で隔たりがあるように感じます。テレビで見た反戦デモに参加した人達のうちで、いったい何人がマクドナルドやスターバックスコーヒーのお店に入らず、アメリカ映画を見ずに暮らせるだろう・・・、と。日本の新聞で同じように不買運動を呼びかける文章を見たことがありますが、実際に効果が上がっているようには見えません。 また、単純に、私としては、こういったデモに参加したあとに、マクドナルドやケンタッキーのお店でランチをすることになんの疑問もわかない人がたくさんいるだろう、という事に、日本とアラブの地理的な距離を感じます。これだけ遠く離れているのだから、今回の戦争を対岸の火事としてみるのはまったく自然なことなので、決して非難しているわけではなく(そんなえらそうなことは言えない)、単にその平和さに、自分がとても離れたところにいると実感するのです。 日本の友人から「サダムおじさんはいったいどうなったんだろうねー。」「サダムちゃん、生きてるかな」というメールがくるときも同じ。日本のほがらかな平和さを実感して(ここでは「サダムちゃん」とは決して呼べない雰囲気がある)、「あー、私ってアラブにいるんだなー」としみじみ思う今日この頃です。 |
2・3月号 |
戦争勃発後のドバイ近況
とうとう戦争が始まりました。 |
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イラク攻撃の数週間前から、ドバイ在住のアメリカ人には、「銀行預金をすべておろして身辺を整理しておくこと。パスポートは常に携帯、いつでも出国できるようにスーツケース一つに荷物をまとめておくこと」という正式通知がアメリカ政府から来ており、アメリカ人の友人いわく「前回のアフガン攻撃の時ですら、こういった正式な通達が政府から来ることはなかった」そうなので、「どうやらブッシュさん、本気でやるみたいね」といった雰囲気ではありました。イギリス人には、同じ頃イギリス政府から、白人でにぎわうナイトクラブや、ショッピングモールなど、人が集まる場所には行かないようにとの通達がでています。 ドバイは、地理的にはイラクから離れているのですが、それでも、ヨルダンやバーレーンのアメリカンスクールやインターナショナルスクールが次々と閉鎖され、そこの教師や生徒たちがドバイに避難してきたり、私のイラン在住の友人がやはりドバイに緊急避難してくるなど、開戦の足音をひたひたと身近に感じる場面はたびたびありました。 そしてイラク侵攻が始まると同時に、ここドバイでも邦人の退避ラッシュが始まり、俄然身辺があわただしくなりました。主だった企業の駐在員家庭は先週の飛行機で日本へ出国しており、他国企業の移動も同じ頃始まったようで、先週うちの子と遊ぶ約束をしていた友だちのお母さんから、当日電話が入り、「今晩の飛行機で突然出国することになったから、しばらく会えない」と連絡がありました。同じく、前述のイランからドバイに避難して来てホテルで難民(?)生活していた友人も、今晩の飛行機でこちらを出て日本へ向かいます。 先ほども触れましたように、アラブ首長国連邦はイラクから少し離れているため、直接ミサイルが飛んでくるといった危険はありませんが、イスラム世界ではじめてフセイン退陣を要求した国であること、今回の戦争でもトルコが拒否した米軍の駐留を認めていること、また、ドバイ自体がイギリス人、アメリカ人が非常に多いことに加え、彼ら相手のビジネスや観光で成り立っているということもあり、それを快く思わない人々にとっては、テロのターゲットにうってつけの場所です。大規模なテロは難しくても、過激な思想を持った人が個人的になにかをやらかす恐れは十分にあり、イラク査察中から、不法入国者の取締りがとても厳しくなり、街中は私服警官でいっぱいです。事実この間ドバイのナイトクラブの爆破計画が未遂で発見されたそうです。また、イギリス人子弟が通うことで有名なブリティッシュスクールの前で、イギリス人生徒がアラブ人に拉致されるという事件も起こっています。 ただ、石油がほとんど採れないドバイは、その収入源を観光や外国人のビジネスに頼っていることもあり、政府もイメージダウンを避けようと必死のようで、こういった事件はあまり表ざたになりません。なので、「イギリス系のスーパーに爆弾が仕掛けられるらしい」、「アメリカ人が誘拐されかけたらしい」などといった噂ばかりが私たちの間を駆け巡り、本当のところは、安全なのか、それとも教えてもらっていないだけで結構危険なことがちょこちょこ起こっているのか正確な情報がつかめず、非常にあいまいなところがあります。 というわけで、とりあえず市民は普通に暮らしていますが、自衛手段として、子供のバースデーパーティーなどは、会場をキャンセルして個人の家で開くようになり、ショッピングモールなど人が集まる場所はいつもより閑散としています。いつもにぎわっているイギリス系のスーパーマーケットをさけて、みんなインド系や地元のお店で買い物するようになりました。 友人の住むホテル兼アパートでは、米軍が泊まっているため、ピザなどのデリバリーを頼んでも絶対に配達人を中に入れないように指示が徹底されています。もし何か配達を頼んだ場合は、今までは戸口まで来てもらっていたのが、わざわざ下のロビーまで降りていって(30階建てくらいある)受け取らなければならないといっていました。 また、テロ以外に心配なのは、化学兵器が使用された場合で、こちらは砂嵐のように強風がふくことが多い(特に最近はすごい)ので、ドバイにも有毒ガスなどが流れてくる可能性があることです。 前回のアフガン攻撃の時は、緊急時に備えて日本人の間で特別連絡網を作ったり、「飛行場が閉鎖されてイザという時に出国できない場合は、陸路で隣国のオマーンへ車で行ってそこから脱出するので、絶対にいつもガソリンは満タンにしておくこと。」などと取り決めてしょっちゅうガソリンスタンドに行ったりしていました。子供の学校もアメリカンスクールなので、その頃は大きな銃を持った兵隊が校門の前に常駐するようになり、生れて初めて間近で銃を目にすることになりました。 今回もそのようなことにならないとよいのですが・・・今はただ見守るしかできません。 |
2・3月号 |
嫌われるアメリカ |
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ドバイでは、イラク開戦前の3月中旬で気温すでに41℃。現在はまた少し下がりましたが、ここのところ砂嵐が続いており、窓を締め切っていても僅かな隙間から細かい砂が入り込んできて、家中がザラザラしています。フリーウェイを走ると、砂が道路の上を帯状に幾筋もザーッと流れていき、大自然の作り出す不思議な模様にしばし見とれるほどです。 けれども、イラクで戦っている兵士達は、砂漠での灼熱地獄に加えての重装備と吹き荒れる砂嵐でかなり過酷な環境であることは間違いありません。 今回の戦争について折に触れて友人達と話をしましたが、反応は人それぞれです。 アメリカ人「ブッシュはおろか。アメリカ人として恥ずかしい。」 フランス人「民衆の開放は大義名分で本当は石油だけがねらい。」 アメリカ国籍のレバニーズ「フセインは悪いやつ。民衆を苦しめている。私は戦争はきらい。でもイラクの民衆が開放されることは大事。」 パキスタン人「ブッシュは悪人。」等々・・・・。 また、別の友人は、子供のかかりつけの医者がイラク人で、彼の話によると「家族をイラクに残してきている。戦争がはじまりそうだから国外に出るように言ったけれども、国境は閉鎖されていて国民はイラクから出られないようになっている。飛行機も飛ばないし、どうしようもない」と言っていたそうです。 ドバイは、石油関係の会社に勤める外国人が多く、ドバイ在住のアメリカ人はそのせいかブッシュ大統領と同じテキサス出身者が多く見受けられます。たぶんブッシュ派の人もいると思うのですが、今回の戦争に関しては、この中東の地で自分の意見をいうのに慎重な人が多いように感じました。 そんな中で友人が話してくれた彼女のアラブ人の夫の意見はショックでした。今回の戦争でイラクは確実に負けるだろう、と言いつつ「ブッシュがテレビに出ると画面につばを吐きかける。自分は過激派でもなんでもない普通の市民だけど、例えばタリバンのことは、やり方はともかく、イスラムの真理を追究しているという点で尊敬している。米軍のヘリが墜落したときは思わず『やった!』と言った。親戚やアラブ人の友人達で『アメリカ人はキライじゃないだけど、アメリカ政府は大キライ!』と常々公言している人はとても多い。普通のアラブ人の間では、表にははっきりと言わなくても、そういった潜在的な嫌米派はかなりいる。」 このような意見がもちろん全員のものとは言いませんが、やはりイスラム教徒とアメリカ政府の間にはかなり大きな溝があり、これは過激派だけでなく、ごく普通の市民の間でも共通するようです。ただ、私が驚いたのは、イスラエルやパレスチナ、イラクやアフガニスタンなど西洋諸国の介入に翻弄され、争いと縁の切れない貧しい国(というと語弊がありますが)だけでなく、欧米人とアラブ人やその他の民族が非常に良い関係のもとに裕福で洗練されたコミュニティーを形成しているここのような場所でも、その認識が変わらないということです。どこかの新聞社が、人間の盾としてイラクにいる日本人の「『自分が行けば戦争は止まるかもしれない。何か奇跡が起きるんじゃないか』と思って来たけれど、今になってみると自分の思い上がりだったのかも」という揺れ動く気持ちを紹介していたけれども、大変個人的な意見を言わせてもらうと、確かにこのような社会の中に東洋人一人飛び込んできたところで、このイスラムvs.アメリカの根深い構図が簡単に変わるわけがない、と虚しさを感じます。 蛇足ですが、今回、テレビの報道に関して思ったのですが、地元のアラビア語のニュース番組、フランス語の放送などで、街への爆撃の様子や負傷した市民や兵士、隊列を組んで進む戦車などのリアルな画像が動画で頻繁に使用されているのとは対照的に、CNNではバグダット市内などの静止場面(しかもただの風景)をバックグラウンドにリポーターが話しているというパターンばかりで、爆撃や負傷者など戦争の詳細を伝える映像を避けているように感じられ、その偏りに違和感を感じます。CNN以外の他のアメリカの報道番組がどうなのか見てみたいので、ケーブルテレビに加入しようかと考える今日この頃です。 |
1月号 |
デザート・サファリに行こう!(ドバイ観光案内・砂漠編)
神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2003年