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今月は、ジュメイラ地区にお目見えした新しい大型ショッピングモール「メルカート」をご紹介いたします。 もともとドバイには、これでもかというくらい豪華なショッピングモールがあちらこちらにあり、それがこの国のひとつの特徴にもなっているのですが、今回のメルカートは白人居住者の集中するジュメイラ地区という絶好のロケーションに加え、シネコン(シネマコンプレックス)も入っているということで、今まで映画というとダウンタウンまで行かなければならなかった住民に大好評です。 イタリアの町並みを模したという外観はカラフルでおしゃれ。
内装は、駅舎を改造して作ったフランスのオルセー美術館のような吹き抜けの明るい天井。中には先ほど述べた映画館、人気のグロサリーストアー(スーパーマーケット)のスピニーズ、そしてフードコートにはスターバックスやシナボン(アメリカで人気のシナモン味のペストリーの店。日本にも最近出店しています)などの人気店がひしめき、ジュメイラ地区の住民だけでなく、遠くからやってくる人々で昼夜にぎわっています。
この中でも特にお勧めなのは、「パッチ("Patchi")」というチョコレート専門店。一説によると、ゴ○〇バよりも安くて美味しいというここのチョコレートはドバイで製造されており、他国にも輸出されています。甘い物好きの多いアラブのお国柄か、ここではチョコレートは、箱ではなく、キロ単位で販売されています。アラブ人は、こういったチョコレートを一度に20キロ、40キロと豪快に買っていくのです。(どうりでアラブ人には糖尿病がとても多いわけです。ちなみに、パン売り場にも、ちゃんと糖尿病の人向けのパンを売っています)。私も、メルカートではないのですが、ある高級なお菓子屋さんでお菓子を一箱買ったところ、店員さんが「他には?他には?」とあまりに聞くので不審に思って聞いてみたところ、「ここはアラブの王族などがよく買いにくるけど、みんな一度に40キロくらい買っていくものだから。」と言っていました(一箱で悪かったねっ)。
飲食店だけでなく、洋服屋やホームセンターなど様々な店が出店しており、さらにこれから開店する準備中の店もあります。先週も、夜11時頃というのに、小さな子供や赤ん坊連れのアラブ人(アラブ人はみんな夜更かし。夜の10時くらいでも2,3歳の子供が、ショッピングモールで走り回っているのはあたりまえ)や駐在外国人で大賑わいでした。
というわけで、このメルカート、バージュアル・アラブ・ホテルなどと並んでジュメイラ地区の新しい"顔"となる日はそう遠くないようです。
今年もやってきました、ラマダンの季節。ご存知の通り、ラマダンとはイスラムの五行の一つ(残りの四行は、信仰告白、礼拝、喜捨、巡礼)で、一ヶ月の断食が行われる月です。イスラーム暦を採用するアラブ諸国では、祝日や重要な行事などは、カレンダーの日付ではなく、すべて月の満ち欠けで決定されるので、直前まで正確な日にちがわかりません(これって休日の予定がたたないので結構困るのです)。というわけで、ラマダンも月観測委員会(月の満ち欠けを観察する委員会のようなもの)のおじさんたちが、「今年のラマダン入りは新月の出る○月○日だよー。」と発表すると、いよいよその日からラマダンに突入するということになっています。今年は、11月6日からでした。
ラマダン中は、イスラム教徒は日の出から日没まで、一切の飲食を禁じられます(正確に言うと、喫煙、性交、ダンスなどすべての娯楽が禁止されます)。外国人が人口の80%以上を占めるこのドバイとて例外ではなく、この期間、街のすべてのレストランは日中閉店となり、私たち外国人も街中では食べることはおろか水を飲むこともできません。唯一の例外は、空腹を我慢できない小さな子供のみ(※)。もし外での飲食が見つかれば、外国人といえども、最悪の場合は国外退去となります。ホテルの中のレストランだけは観光客のため営業していますが、それでも、布で覆いをして外から中が見えないようにする厳重さです。
その代わり、断食が終わる日没後の食事(イフタール)はとても豪華で、日中食べられなかった分、食べきれないほどのごちそうに舌鼓をうち、また夜明けから始まる断食にそなえます。夜中、あるいは夜明けまでえんえんと食べ続ける人も多いそうです(友人は、せっかく断食してもイフタールでかえって太ってしまうとこぼしてました)。
それにあわせて、昼で閉まってしまったショッピングモールなどの娯楽施設も、イフタール後の夜7時頃から再びオープンし、夜中の1時過ぎまで大勢の人でにぎわっています。これを「ラマダン・タイミング」といい、ラマダン中は、学校や会社は通常より遅く始まり、お昼過ぎには終わってしまうところが多くなります。
お店は早く閉まるし、いつものようにコーヒー飲みながら運転なんてとんでもないし、外でお腹がすいてもいちいち家まで戻らなければ水一杯飲めない、と私にとってはただただ不自由なラマダン。イスラム教徒はさぞかしつらいだろうと思いきや、現在断食中の友人によると、ラマダン中は「素晴らしい気持ち」なのだそうです。彼女いわく、断食で貧しい人々の苦しみを体験することによって助け合う心を養う、耐えることを学ぶことによって、より神に近づくことができる。また、みなで一緒に空腹に耐えることで結束し、連帯意識が強化される、など断食することにはそれなりの理由があり、これらのことが実行されるラマダンは決して苦ではないそう。うーん、ホントかなー。
と、思いつつ「お腹すかないの?」と思わず俗な質問をしてみたところ、なんでも、最初の3日間はさすがにつらいけれども、それを超えると結構平気になってしまうんだとか。
別の友人も、「肉体も精神もクリーンになって、とてもいい気持ち」と言っているので、やはり彼らにとって断食は神聖なるもの、いやいややっているなんてとんでもない、ということのようです。
驚いたのは、娘の通うアメリカンスクールでも、断食をしている友人が何人かいること(みんな10歳くらい)。ランチやスナックの時間になると、他の生徒達が食べるのを見たり、食べ物の匂いをかがなくていいようにとの学校側の配慮から、彼女達だけ図書室へ移動してそこで静かに過ごしているそうです。
いったいいくつくらいから断食を始めるのか聞いてみたところ、だいたい10歳前後から少しずつ慣らしていくそうで、友人の子供は、9才ごろから一日数時間の断食を始め、少しずつ時間を延ばしていったそうです。決められた時間断食できたときには、ご褒美にお小遣いをあげると効果的だとか(この手は万国共通のようですね)。来年11歳になる娘の友人も「もう大人と同じように断食できるよ。」となにやら誇らしげ。
というわけで、文句ばっかりいっていた私も反省。「ここはひとつ『郷に入っては郷に従え』の精神だ!」と、この国の人々に敬意を表して、すきっ腹をかかえながら街にあふれる「Ramadan
Mubalak(ラマダン、おめでとう)」の飾りなど見て、雰囲気を楽しむようにしています。
たったひとつ困るのは、この時期はみんなお腹がすいてイライラするので、いつもにも増して車の運転が荒くなること!特に夕方は、早く家に帰って食事をしたいイスラム教徒達が猛スピードでぶっ飛ばすので、恐ろしいことこの上なし。そんなわけで、外国人は、ラマダン中の夕方の外出を控えています。我先にと割り込んで無茶苦茶な運転で家路を急ぐイスラム教徒達を見ると「おいおい、素晴らしい気持ちなんじゃなかったのか!?」と思わず突っ込みを入れたくなるのですが、聖なるラマダン中でもそこはドバイ、運転マナーだけは変わらないようで・・・。
※イスラム教徒でも妊婦と病人、授乳中の女性は家の中でのみ飲食が許されるそうです。 その他、生理中の女性は断食してはいけない(けがれているというのがその理由で、その場合、断食しなかった日数だけ次の月に断食するそうです)など細かな例外があります。
ジュメイラに住んでいて 乗ってる車はパジェロなの 髪の毛は、輝くようなブロンドよ 夫のトムは銀行員 順調に出世の階段を登ってる 私たちは、ピンクのブーゲンビリアの咲く 白いヴィラを借りてるの もちろんプールもついてるわ お隣のローズ家は スカーボロー出身(※1)だけど、 いい人たちよ (たまにつきあうぶんにはね) 長男のジェームズはJESS(※2)、 次男のジャカスタは、DESS(※3)に通ってるの 送り迎えが大変だけど、親友のリズに任せちゃう 彼女はいつも大忙し それもこれも、ドバイのトップ・ママの地位を保つため 私のメイドは宝物 とてもよく働くのよ 完璧にしつけたつもりだけど、 もしヘマをしたら、ただじゃおかないわ トムが出張中は、 リズとゴールド・スーク(※4)へお買い物 ゴールド・アクセサリーをたっぷり買って 引出しの奥に隠しておくの トムに見つからないようにね 毎週クラブでブリッジをして、 クリークでゴルフをする そして、ヒルトン・ビーチ・クラブで ひと泳ぎ 週末の夜は、ちょっと気取って インター・コンチネンタル・ホテルのブリティッシュ・クラブできめてみる ドバイの夏は、灼熱地獄 だから、夏の間はイギリスのママのところへ里帰り ママは子供たちの世話がとっても上手 子供たちもおばあちゃんが大好きなの だから私は何にも心配することないってわけ かわいそうなトムは一人ぼっち でも私たち、毎日電話で話してるわ 彼は文句なんて言ったことがない 本当に一生懸命働いてる 誰の目にもそれは明らか でも、涙なんて少しも見せないの 少なくとも、彼の愛するジュメイラ・ジェーンの目の前では イギリスでは同じイギリス人でも出身地別にランクづけがあり、一般的に南部出身者は上流階級で、 北にいくほど低く見られることが多い ※ 2、3 ともにドバイの有名な私立校。イギリス人子弟が多く通う。 ※ 4 有名な金市場。「スーク」は、市場のこと。 |
昨日の新聞に、警察が交通違反取締り強化を決定したとの記事が出ていました。ドバイのフリーウェイといえば、一説によると世界一死亡率が高いといわれるほど危険な高速道路です。とくに混んでいるわけでもなく、幅もちゃんと片側4車線ずつあり、道路自体に難はないのですが、なんといってもドライバーの運転が荒い!!というわけで、ドバイのフリーウェイにおける交通事故はここ数年急増しており、去年は一昨年に比べて30%増というかなり深刻な状態です。
このフリーウェイ、制限速度は120Kmと定められているのですが(これだけでも、日本から来た私にとってはコワイ)、そこをみんな150〜160kmでビュンビュン飛ばす!特に、一番左側の車線は、スピード狂ドライバーのレース場と化している感があります(4車線のうち、トラックは右側2車線しか走れないよう限定されているので、いきおい左に行くほど、車のスピードがあがっていくのです)。
うっかり一番左の車線に入ってしまおうものなら、はるか後方に豆粒のように見えた車があっという間にぴったり後ろ(しかも60cmくらい!ほとんどくっついてる)につけてきて、パシパシパシッとパッシングの嵐。あっという間に隣のレーンに追い返されてしまいます。うまく車線変更できずにモタモタしようものなら、路肩をガードレールすれすれに追い抜いていくことも・・。だからといって、一番左を避けて左から2番目の車線を走っていても、隣のレース車線であおられた車が泡を食って車線変更し、目の前スレスレに飛び出してくることがままあるので、気を許せません。
一番右車線はほとんど大型トラックで遅いことこの上ないし、それじゃあ、その隣の第3車線を走っていれば安全かというと、これもあてにならず、トラックがウィンカーも出さずに(これはこちらではあたりまえ)突然横入りしてきたり、出口直前に突然3つくらい車線越えして(ほとんどフリーウェイを横切ってる)くる強者がいたりで、結局どこの車線を走っていても危ないのは同じ。事故にあうかあわないかは、その時の運次第です。
実際、私も一番安全なはずの第3車線で、隣を走っていた大型トラックの荷台が突然壊れて、目の前に飛んできたことがありました。それ加えて、パンクしたタイヤの断片があちらこちらに落ちていて、ヒヤヒヤのし通しです。
ところで、一番左車線を走る命知らずのドライバーたちの車はほとんどがBMWかベンツ、もしくはそれに相当する高級車です。しかもたいていの車には、真っ黒な窓ガラス。これが何を意味するかおわかりでしょうか。
ドバイでは、車に黒い窓ガラスを使用することは法律で禁じられています。にもかかわらず、アラブ人たちには特別に許されているのです。なぜかというと、イスラム教徒の彼らは、身内の女性の姿を他人に見られないようにするために黒いガラスが必要だから。(イスラム教徒の女性は、夫以外の人に肌や髪の毛を見せてはいけないので、街中でもアバヤと呼ばれる上から下まで真っ黒の民族衣装を着ています。)
この事実を見る限り、どうやらスピードレーサーたちは現地人、つまりアラブ人に多いようです。なんと言っても、「石油王」という言葉に象徴されるように、アラブはお金持ちの国。道理で高級車が多いわけです。(ちなみに、この国では大型トラックですらほとんどベンツです)
今日の新聞にも、アラブ人の若者2人のフリーウェイでの死亡事故の記事がでていました。BMWをかなりのスピードで運転し、ハンドルをあやまって乗用車に激突、車は全壊で即死だったそうです。
私たち外国人も、よるとさわるとフリーウェイの危険についての話がでますが、赴任当初は驚くものの、しばらくすると慣れとあきらめで、ただ日々の安全を祈るのみとなるようです。また、慣れとは恐ろしいもので、最初は文句を言っていた外国人たちも、年を追うごとに走行中の平均速度があがっていく傾向にあるようで、アラブ人に限らず制限速度を守らないドライバーはかなりの数にのぼります。
果たして警察の事故減少キャンペーンは効をなすのでしょうか。大半の人はこれもやはり付け焼刃と、諦観しているようですが、安心してハンドルを握れる日がくることを祈るのみです。
5月に入り、ドバイでは早くも気温40℃を超える日々が続いています。 ドバイというと日本ではあまり馴染みのない地名ですが、アラブ首長国連邦を形成する7つの首長国のひとつで、石油産業を基盤に発展した大都市です。そのドバイが、連邦の首都アブダビをも超える発展を遂げることができたわけは、石油枯渇後を視野に入れ、早くから観光開発に力を入れてきたこと。
美しいビーチと砂漠、その豊かな経済力をフルに活用して、いまや世界でも有数のリゾート地となっています。 市内にはさまざまな高級ホテルが林立していますが、その中でもひときわ目を引き、ドバイのシンボルともとなっているのが、ジュメイラ・ビーチ沿いにたつバージュ・アル・アラブ・ホテルです。
海岸から280メートル沖合いの人工島にそびえたつこの美しいホテルは、帆の形をかたどった優雅な外観で、高さ321メートルとホテルとしては世界一の高さを誇っています。
ユニークな外観もさることながら、ホテル内部も派手な金色の柱にショッキングピンク、エメラルドグリーン、黒などの奇抜な色を大胆に使った近未来的デザインで統一されており、そのインテリアだけでも一見の価値があると言われています。
部屋はすべてがメゾネットタイプのスイートルームで、宿泊料金はDh3300(13万3000円)からというこのホテルのランキングは、「ホテルの最高は五つ星」をいう常識をかるく覆して何と七つ星(★★★★★★★)!
夜は、建物全体が美しくライトアップされ、時間ごとにその色が変わっていくさまは、いつ見てもあきません。記念日など特別なイベントの際にはドバイの王様(首長)の肖像画など、様々な映像がホテルの壁一面に映し出されます。
昼夜関係なく人々の目を楽しませてくれるこのホテルは、観光客はもちろんドバイっ子にとっても一度は訪れてみたい憧れの場所。けれども、そこはさすが七つ星、宿泊客およびホテル内のレストラン(これもまた超高級!)の予約を入れたお客以外はホテル内部に入ることができません。
(それでもどうしても入りたい人は、高額な入場料を払わなければなりません。)時々、無料の内部見学ツアーなるものが催されますが、希望者が殺到し、すぐに満員になってしまうとか。
宿泊客の多くは、世界各国からの観光客(もちろんリッチ!)及びサウジアラビアなど近隣諸国の大金持ちだそうですが、どうしても中に入ってみたくて、結婚記念日や誕生日などのイベントに、パーティーを開く代わりにこのホテルでのひと時に大枚をはたく家族もいるほどです。
というわけで、アラビアン・リゾート、ドバイのシンボルであり、人々の憧れの場所でもあるこのホテル。いまやホテル自体が観光スポットとなっており、ホテルの前では今日も世界各国からの観光客が、その美しい全景をカメラにおさめようと群れをなしています。
神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2002年