神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2005年
ドバイのHotNews(2005年1月〜12月)
2005年12月号
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ドバイの思い出1 【 懐かしい人々 】
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早いもので、ドバイを離れて二つの季節が過ぎました。4年ぶりの日本の冬は寒さが身にしみて、「気分はもう南極越冬隊」の今日この頃です。 そんな中、ドバイの友人たちから次々とクリスマスカードが届き始めました。海を越えて送られてくる色とりどりのカードは、だんだんと遠いものとなっていくドバイの生活を懐かしく思い出させてくれます。と同時に、国籍もさまざまな彼女たちの人生もカードから浮かび上がってきて、あらためて世界の広さに思いをはせることになりました。 まずはラトビア人のマルタ。彼女は、長女の友達のお母さんですが、お互いに気が合ってすぐに仲良くなりました。カナダ人のご主人を持ち、子供をアメリカンスクールに通わせるごく普通のお母さんですが、若い頃は、常にKGBのスパイの影におびえながら暮らしていたといいます。当時は、ラトビアがまだソビエト連邦に属していたためです。
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やはり子供を通して知り合ったモロッコ出身のセレナは、超大金持ちです。3階建ての家にはエレベーターがあり、子供部屋だけで三つあり、公園のような庭にはガレージが5台分。2人の乳母と料理専門のメイドとガードマンを雇っていて、年老いたほうの乳母は、なんと彼女自身が小さい頃からずっと彼女に仕えているのだそうです。
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そのほか、故郷のイラクが政情不安定で里帰りできないファミリー・ドクターのアラク氏は、家族と離れ離れのまま新年を迎えます。
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遠い中東の国ドバイでも、みんなさまざまな過去をもち、それぞれの事情をかかえて暮らしています。そんな彼女たちのたくましさをみると、日本の小さな家で、「寒い寒い」といいながらも家族5人で平和に暮らしている私の日常のささいな悩みなど、取るに足らないことのように思えてきます。
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Have
a Merry Christmas and a Happy New Year!!
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2005年8月号
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【 さよなら、ドバイ 】
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4年間の滞在を終え、いよいよ帰国の日がやってきました。
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感傷に浸っている暇もなく、帰国の準備は多忙を極めました。友達はすべて外国人ばかりで、日本人が周りに一人もいない、という環境で4年間過ごした娘たちは、すっかり外国人になってしまいました。彼女たちの帰国後の生活も考えなければなりません。けれども、当面の問題は、膨大な引越し荷物の山。もって帰る荷物には制限があり、家財道具のほとんどを処分しなくてはなりません。けれども、そこは貧富の差の激しいドバイのこと。どんなにぼろぼろのものも、壊れたものも、庭先にだしておくと、あっという間に誰かが持ち去り、5分後にはきれいさっぱりなくなっています。
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いよいよ帰国の日。ドバイの飛行機発着は夜中の2時です。私の友達3人が、朝からホテルに来てくれて、車に乗る瞬間まで最後のひと時をすごしました。涙もろい三女のオランダ人の親友も、「空港でさよならをいうと泣いてしまうから」と、ホテルまでお別れを言いにきてくれました。空港に着くと、夜中にもかかわらず、長女の仲良しグループの友人たちと次女のエジプト人の友達がゲートで待っていてくれました。みんなでハグをして、記念写真をとり、最後は涙を流しながらみんなの大好きな歌手の歌を大声で歌って大騒ぎし、周りからじろじろ見られるのもなんのその、そのままゲートに入るまで歌い続けてくれました。「このまま私をここに捨てていってもいいから、ドバイに置いていって。」と最後まで言い続けていた娘の顔は、涙でくちゃくちゃでした。
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私は、離陸する飛行機の窓から、遠ざかるドバイの夜景を見て、4年前、初めてドバイに着いた日を思い出していました。あの時も、着いたのは夜中の2時ごろ。こうやって、黒々とした闇に沿って明かりが点々と続いているのを見て、ずいぶん大きな川が流れているんだな、と思ったのです。今の私は、それがただの川ではなく、ドバイを二分する大きなクリークだと知っています。そして、その中ほどには人の立ち入ることのできない自然保護区があり、ひっそりと人知れず、フラミンゴが羽を休めていることも知っています。それだけでなく、この灼熱の砂漠の小さな国に、どれだけたくさんの人が世界中からやってきて、その人たちがそれぞれどんな暮らしをし、どんな言葉が話されているかも知っています。それらの言葉を話す人々のふるさとの文化についても、ある程度は知っています。これらは、本で読んだ知識でなく、すべて私や娘たちが、この4年間の経験を通して知ったことです。
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気づけば、クリークの灯ももう見えなくなりました。さようなら、ドバイ。そして、ありがとう!
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2005年5月号
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2005年4月号
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2005年3月号
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3月11日金曜日の早朝、念願のラクダレースに見に行くことになりました。
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ところが、競技場に入ってショックなことを発見。曜日を間違えたのか、この日はあいにくトレーニングの日で、残念ながらレースは行われないとのこと。道路で渋滞を引き起こしていたラクダたちは、レースではなくトレーニングに向かうところだったのです。道理で周りはアラブ人ばかり。ただ一組、外国人の私達は浮きまくっていました。けれども、せっかくここまできたので、トレーニングの様子を見学していくことに・・・・。 |
「砂漠の船」にたとえられるラクダは、大変高価な動物で、家畜用だと1頭約15万円〜、レース用の血統の良いラクダだと、3000〜6000万円もするそうです。ですから、アラブ人にとっては、ペットとして立派なラクダをもつことはひとつのステイタスでもあります。 |
その中で、驚いたのは、ヘルメットとベストを着用してラクダを操る小さな子供たちがとても多いこと。そう、ラクダレースのジョッキーは、5,6歳の小さな子供達なのです。けれども、この子供たち、パキスタンなどの周辺諸国から誘拐されてきて、違法ではたらかされているの子がほとんどだそうで、その悲惨な待遇がアラブ諸国で長い間問題になっています。私も、2,3年前、新聞でこの問題に関する記事を読んだことがあります。 |
なぜ子供のジョッキーが重宝されるかというと、競馬と同じで体重が軽ければ軽いほど早く走れるからです。 |
政府も長年のこの懸案事項にようやく腰をあげたらしく、偶然にも、私達が見に行った3日後、新聞にこのような記事が載りました。 |
さて、このラクダレース、本番では、幌つきの観客席で、アラブ人、外国人に分かれて観戦します。席が分かれているのは、別に深い意味はなく、観客にあまりにアラブ人が多いので、外国人が違和感を感じないように、との配慮だそうです。もちろん外国人はアラブ人席に座ることもできますが、アラブ人が外国人席に座ることはできないそうです。 私達も、次は是非、観客席に座って本物のレースを見てみたいと楽しみにしています。 |
2005年2月号
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【 マディナ・シティ 】
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開発ラッシュに沸くドバイに新しい名所が誕生しました。
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巨大スークは、デイラ地区にある昔ながらのスークをもっとおしゃれで高級にした感じ。内装は昔ながらの飾り天井をつかうなど、アラビアン・ムード満点。品揃えもパシュミナ、ペルシャ絨毯、ランプ等アラブ特有のものに加えて、ネクタイや子供服、高級チョコレート、紅茶などを扱う店があるのが特徴です。なによりも、屋内スークなので、猛暑の夏も冷房の効いた涼しいところで買物できる、というのが大きな魅力です。全体的に値段は高めですが、これらの利点を考えると、それを補って余りあるものがあります。 |
それにしても、200もあるお店をすべて回るのはかなり大変。スーク内は、なるべく昔のままの雰囲気をかもしだすよう、曲がりくねった通路に小さなお店がこちゃこちゃと入り組んで並んでおり、最初に行った時は何度か道に迷い、歩きすぎて足が疲れました。そんなお客のために、一休みできるスターバックスなどのカフェがいくつかあり、お腹がすいた人には、おいしいシーフード料理を出すレストランやステーキの店まで、ちゃんと用意してあります。 |
スークでつながっている三つのホテルはどれも五つ星の高級ホテル。お隣のバージュ・アル・アラブ・ホテルに負けず豪勢です。特に、できたばかりのダレル・マシヤは、ホテルというより、プライベート・コテージのようなつくりの滞在型ホテルということで、話題を呼んでいます。運河に面したアラビアン・デラックス・タイプの部屋は、3つのコテージごとに、ひとつプールがついているので、ハイ・シーズンでも込み合うことなく、プールサイドでゆったりと過ごすことができます。各部屋に執事がついているので、用事があるときもコンシェルジェにわざわざいく必要もありません。室内は65平方メートルで、広々しているし、入り口から部屋まで誰にも見られることなく出入りできるようになっており、宿泊客にとっては、ホテルというより、自分の家にいる感覚なのでしょう。 |
この他にも、シェイク・ザイード・ロードを挟んでこのマディナ・シティの向かいには、人口スキー場、中東最大のカルフール、屋外劇場を含む大施設、「モール・オブ・エミレーツ」が現在建設中。以前紹介しましたドバイ・マリーナ・シティもすでにオープンし、ヨットハーバーを見ながら食事の楽しめるニュースポットとなっています。去年から続いている工事も少しずつ全体像が見えてきて、変わりゆくドバイからますます目が離せません。 |
2005年1月号
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神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2005年