神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター ドバイのホットニュース 2008

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ドバイのHotNews(2008年4月〜)

 

2008年12月号

【 ドバイ・バブル崩壊?

 

 世界金融危機の影響か、今年は日本でも12月になっても外でクリスマス・ソングを聞くことがあまりないように感じます。
 ドバイもその影響は免れないようで、このところ「ドバイのバブル崩壊」といったニュースがテレビでよく流れるようになりました。
 この間見たニュース番組によると、金融危機の影響で海外投資家らがドバイから撤退しはじめ、不動産価格は急落、大規模開発プロジェクトも遅れが出ており、早くも財政破綻寸前の様相を呈しているようです。
 特に、ドバイ政府関係者が自ら取材に答えて、「何でも世界一、を目指してきたがわれわれの政策は間違っていた」と公に過ちを認めたことは衝撃的でした。ドバイに住んでいたときは、国内に流されるニュースは制限されており、政府にとって都合の悪い事実が住民に伝えられることはありませんでした。今回は取材相手が海外メディアだったから、ということもあるのでしょうが、それにしても彼らがここまで素直に事実を語ることは珍しいことです。それだけ事態が深刻、ということなのでしょうか。


 

 11月下旬、ドバイは政府系企業に4.7兆円の負債があることを認めましたが、これはドバイのGDPを上回る、普通では考えられない額です。不安にかられる国民や投資家たちを納得させるために具体的な数字の公表に踏み切ったということですが、未発表投資の損失が300億ドルに上るという話もあり、まだまだ不透明な部分がかなりあることは否めません。
 政府系不動産開発会社の大手「ナキール」社は11月30日、金融危機を理由に従業員の15パーセントにあたる500人を解雇したと発表しました。民間不動産開発最大手の「ダマック」グループも、従業員の2.5パーセントにあたる200人を解雇しました。
 ドバイに住む友人に話を聞くと、国内では「資金繰り悪化のため、ドバイ首長がエミレーツ航空をアブダビ首長国に売ったらしい」という話がまことしやかに流れているそうです。友人は、「エミレーツ航空を売るなら、馬を売れ、と言いたい」とジョークで言っていましたが・・・。(ドバイでは、毎年「ドバイ・ワールドカップ」という世界最大の競馬レースが開催されており、首長は優秀で高価なアラブ種の競争馬を何頭も所有しているのです)。
 私が見たテレビのニュースでは、人材と資金不足で、開発途中のまま工事が止まっている巨大プロジェクトの現場や、以前このドバイ・ニュースでも紹介した「ドバイ・マリーナ」というマンハッタンのような巨大コンドミニアム群が、マネーゲームに利用されたために実際に住んでいる人はごくわずかで、夜になるとほとんど灯りがともっていない様子などが映し出されていました。
 「ドバイ・マリーナ」は、私が住んでいたジュベラリ・ビレッジから車でほんの3分ほどのところにありました。毎日、ドバイの未来の象徴のような巨大な摩天楼群と無数のクレーンの壮観を自宅から眺めながら、発展の様子をしみじみと実感していたものでした。けれども、このままでいくと、マリーナも、世界一の800メートルのビル「バージュ・ドバイ」もゴースト・タウン化し、文字通り砂上の楼閣に終わってしまうかもしれない、とのことでした。

 

 

 

 原油価格高騰が一転して下落に転じ、危機感を持ったOPECが原油の減産に踏み切るなど、中東の経済不況を伝えるニュースを聞くたびにドバイのことが気になっていましたが、思ったよりも早いバブル崩壊の予兆に驚いています。
 ただ、あくまでも私見ですが、他の中東諸国と違ってドバイのオイルマネーは莫大で、かなりの余力があるのではないかと思います。ドバイ自体にはもともと目立った特産品や産業があるわけではなく、他国から資金を引き寄せながらここまで急成長してきた国です。世界の景気が回復すれば、それによってまた息を吹き返すかもしれません。
 それに、UAE予算の8割を担っている石油資源の豊富なアブダビ首長国が、ドバイを財政支援することはじゅうぶん考えられます。UAEのGDPの3割を稼いでいるドバイは、アブダビにとっても運命共同体のようなものです。

 

 

 そもそも、ドバイはほんの60年前までは、海から魚や真珠を採って素朴に堅実に暮らしてきた国です。それが、石油の発見で一気に成長し、中東のハブとまで言われるまでに発展しました。普通の国が発展する段階で経験するプロセスを10段階くらい飛び越えてしまった、稀有な例でしょう。
 これを機会に、失われた10段階で経験するはずであったものを少しずつ追体験していくことになるのかもしれません。幸いなことに、シェイクをはじめ、ドバイの指導者たちは、文化的にも開放的で、先見の明と聡明さを持ち合わせています。さすがに今回の金融危機は読めませんでしたが、早くから石油枯渇後を見据えて観光や外国企業の誘致に力を入れてきたことは、中東のなかでは異色といえるでしょう。ただ、あまりに急激にマネーが流入してきたため、それとともに様々な投資家の野望や思惑も引き寄せる結果となり、ゲームに踊らされ、舞い上がってしまったところもあるのでしょう。それは、このような急激な発展をたどった国にとっては仕方のないことかもしれません。
 異常といってもよいこのバブル体験からようやく目覚めて、今こそドバイがもとから持っている知恵と魅力で、冷静に、堅実に、マネー偏重ではないすばらしい都市づくりをしていってほしいものです。

 

 

 

2008年11月号

【 今、中東の大学が熱い!

 

 この間雑誌を見ていたら、面白い記事を発見しました。
現在、世界の大学勢力地図に異変が起こっており、その先頭にたっているのがドバイをはじめとする湾岸諸国だというのです。以下に、要旨をまとめてみますと・・・

 今まで、世界の大学の頂点はハーバードなど英米のエリート校であったが、その構図を破ろうと現在多くの国が猛烈に攻勢をかけている。国の未来を見据えて、優秀な頭脳を集めようとしているのだ。
ドバイでは、自国を世界の高等教育の中心にしようとするプロジェクトが立ち上げられており、シェイク・ザイード・ロードの先の砂漠にその拠点となる国際学術研究都市を建設中。すでに米ミシガン州立大の分校が設立されている。また、ハーバードやロンドン・ビジネス・スクール、ボストン大学の現地校も作られている。隣のアブダビ首長国には、パリ第4大学(ソルボンヌ大)やMIT、INSEDの現地校があり、近いうちにニューヨーク大学の分校もできるとのこと。
近隣のカタールも海外大学の誘致に力を入れており、コーネル大学、カーネギー・メロン大学の現地校が存在する。

 

 

 記事によると、ドバイをはじめとする中東での大学開校が勢いづいている原因は主に3つあります。
真っ先に挙げられるのは、その豊富な資金。一部中東諸国は、原油価格の高騰によって得た莫大な利益を教育につぎ込んでいます。特に、湾岸諸国が教育関連プロジェクトにつぎ込む政府資金の額はけたはずれで、UAE(アラブ首長国連邦)が文化教育事業に費やす金額は、なんと200億ドル以上(!)。これでは、アイディアはあっても、資金力がないほかの国々はたちうちできません。その結果、これらの新興勢力がアメリカと優秀な学生を奪い合う、という結果になっています。
二つ目の理由は、9月11日の同時多発テロ以降、アメリカのビザ規制が厳しくなったこと。留学生のビザ取得が困難になったため、多数の留学生が他国へ流れる結果となりました。
 三つ目は、カタールやUAEの指導者が寛容で未来志向であることです。これらの国では、言論の自由が認められ、外国人の服装に規制がなく、飲酒などの生活習慣に関しても鷹揚です。また、ドバイを例にとると、頻繁な入国者にはスマート・カードなるものを発行して、空港からeゲートを通ってスムーズに入国できるようにしたり、ホテルや航空会社に莫大な投資をして人々が訪れやすくするなど、外国人受け入れの環境が整っています。
さらに、中東はこれまで紛争や政情不安で教育環境の整備が後回しになってきましたが、最近になってようやくその余裕が出てきたこともあるようです。

 

 

 ただし、同じ中東でも、インドやイランなど閉鎖的なシステムのせいでせっかくの優秀な学生の能力を生かしきれていない国もあります。インドでは官僚主義のせいで大学改革が大幅にたち遅れており、イランでは非常に優秀な学生が多く集まる最高レベルの理工系大学があるにもかかわらず、卒業後の未来が国内では保障されていないせいで深刻な頭脳流出が起きています。卒業後、賄賂を渡さなければ企業も困難なイランから出ることを望む学生の多くが、「行きたい国のナンバー1はドバイ」だそうです。これらの国では、政府が海外大学の現地校設立を受け入れる法整備に前向きでないことも一因となっています。また、エジプトのカイロ大学などは古くから学術的にそのレベルの高さで有名ですが、これらの伝統大学は研究が旧態依然のままで停滞しており、近年は元気がなくなっているとのこと。

 こうしてみると、ドバイのように開放的で新進的な気概をもった指導者のいる国は、どんどん視野を広げて優秀な頭脳を集めて発展し、逆にその国の習慣や文化を重視するあまり閉鎖的になってしまっている国は、せっかく優秀な生徒を集めてもそれを生かしきれず、優秀な頭脳がドバイのような開放的な国にどんどん流出していく、という構図が見えてきます。国の発展には優秀な頭脳は不可欠であり、それを集め、育てる環境を整えるには国を外に開放することが必須条件であることが見えてきます。

 

 

 アジアで大学教育の競争をリードしているのは中国で、それに韓国、シンガポールが追随しており、現在、世界中が優秀な学生を集めるのに必死です。
アメリカの大学もこの状況に危機感を感じており、学部の壁を取り払って実践的な教育を施せるように改革したり、企業と大学が協力するなど、差別化を図ることで生き残りの道を模索しています。

 私がドバイにいたときにも海外大学の分校のようなものはありましたが、「アメリカン・ユニバーシティ・イン・ドバイ」とオーストラリアの「ウーロンゴン大学」くらいでした。それがいまやハーバードやボストン大学とは・・・(!)。
記事に添えられたアブダビのソルボンヌ大学現地校の写真では、アバヤ(黒い女性の民族衣装)を着て黒いスカーフで髪を隠した女性たちが廊下で楽しそうにおしゃべりに興じています。
教育に力を入れることで、同時に中東の女性たちの地位や社会進出も進んでいくのであろうことを予感させる、興味深い写真でした。

 

 

2008年10月号

【 世界金融危機の影響


 原油価格の急騰によって、長い間たなぼた好景気にあやかってきた中東ですが、ここ最近の世界的金融危機の影響で原油価格が下落し、このバブルにも陰りが見えてきたようです。

 新聞によると、クウェート、イラン、バーレーンなど比較的小さな国ほどこの影響は多きく、予算の下方修正や大規模プロジェクトの見直しを迫られています。クウェートでは、デリバティブ商品取引で国内銀行に多額の損失が発生し、国が救済策に追われています。

 そんな中、ドバイやサウジアラビアといった大きな国は、体力があるぶんそれほど危機的な状況にはないようですが、世界中を席巻している金融危機の影響がまったくないはずがありません。いったいどうなっているのだろう・・・と思っていたところに、友人たちの何人かがメールをくれました。(以下は、友人たちの話を総合したものです)。

 

 

 友人のご主人様は鉄鋼関係のトレーダーを長くやっていますが、「一分一秒でこんなに大きくゆれるマーケットは初めて」だそうで、ドバイ市場でもやはり金融危機の影響は大きいようです。ただ、相変わらず、住宅をはじめとするすべての値段が非常に高く、住民はちょっと辟易気味のよう。彼女の友人が「ジュメイラ・アイランド」と呼ばれる海上の人工島(以前このニュースでも紹介した「パーム・アイランド」の姉妹版)に引っ越したそうですが、家賃がなんと420000ディラハム(1260万円)!とのこと。
「クレイジーだと思わない?」という友人の言葉に深―くうなずいてしまいました。
いったい誰がこんな大金を出せるんだろう。相変わらずバブルは続いているようです。

 

 

 しかし、その一方で、ドバイ政府も住宅を作りすぎてしまって、入居者を埋めるのに四苦八苦しているようです。同時期完成の家(特に高層住宅)が多数あって、空きが多すぎるとバブルが一気にはじけてしまうので、政府も完成予定時期を遅らせたり、家族以外の人と家をシェアしていると5,000ディラハム(15万円)の罰金を科したり・・・とアパートを埋めようと必死で対策を練っているとのこと。
大家側もそれを見越して、「儲けられるうちに儲けておこう」の精神でせっせと家賃の値上げに励んでおり、ヴィラ(一軒家)の賃料が一気に45パーセントも上がった友達もいます。
 そんな様子を見て、友人の1人はとうとう今賃貸で住んでいる家の近くに、新居を購入しました。その新居も、バブル後に備えて、「エミレーツ・ヒルズ」という超高級住宅地に隣接する比較的新しい物件を、「ここなら今後もあまり値下がりしないだろう」とよく吟味して決めたとのこと。新居の反対隣は、私が以前このニュースでも紹介した「レイクス」という湖つきの広大なタウンハウスなのですが、当時は話題でもてはやされていたこの住宅地も、いまや「古い物件」だそうです。

 

 一方、ショッピング・モールも相変わらず建設ラッシュが続いており、11月4日に新たに「ドバイ・モール」という大型ショッピング・センターがオープン予定で、話題をさらっています。
美しいビーチや砂漠、大都会と買い物天国・・・ということで、ドバイの友人宅には、陽気のいいこの季節は毎月のように本国(イギリス)から友人が遊びに訪れて大忙しだといっており、観光面でも盛況のようです。ビジネスだけに頼らず、観光にも力を入れてきたドバイの面目躍如といったところでしょう。

 こうみると、大量の住宅を今後どうさばくか・・・という深刻な問題こそありますが、今のところ、一応ドバイの景気は保たれているようです。

 しかし、観光も景気に左右されます。金融危機の影響で人々が財布の紐を引き締めれば、まっさきに削られるのはレジャー費用です。それとも、いつの世にもお金を持っている人は持っている・・・ということで、景気に左右されない一部大富豪の寵愛を受けて、今後もドバイ・バブルは続くのでしょうか。

 我が家では、この異常ともいえる好景気には以前から懐疑的でしたが、まだまだ目が離せません。
いったいどうなる、ドバイ・バブル・・・?

 

 

 

2008年9月号

【 アメリカ再訪3

 

さて、今回は前月号からの続きです。
 アメリカ再訪にあたってもうひとつ心配だったのは、車の運転。交通規則があってないようなドバイの道路で、猛スピードで暴走するクレイジー・ドライバーたちと日夜戦っていた武勇伝も今は昔。今の私は日本に住んでいて、車とはほとんど縁のない生活を送っています。
 そんな私がいきなり左ハンドルのアメリカの道路を、しかも10年ぶりに運転して大丈夫なんだろうか・・・。なんといっても一番大きな問題は、フリーウェイです。今回はオレンジ・カウンティという隣の郡に引っ越した友人のところに泊めてもらうのですが、せっかくだから以前住んでいたロサンゼルスにも1泊する予定を立てています。しかし、ロサンゼルスまで行くにはフリーウェイを使わなければなりません。実は私、ロスにいた当時は日常の運転については全く問題なかったものの、フリーウェイだけは最後まで一人では運転できなかったのです。(正確には、フリーウェイを運転したことはありましたが、そのときはいつも夫が助手席に座っていました)。ロスのフリーウェイは、運転が乱暴なドライバーが多い上に、合流車線や出口までの距離が非常に短いので、慣れるまでは注意が必要です。アメリカで初めて免許を取った私にとって、フリーウェイは最後まで鬼門で、横に誰かいてくれないと不安だったのです。(言い訳ではありませんが、こういう人は結構います。当時の知り合いにも、アメリカに15年住んでいるけどいまだにフリーウェイに乗れないことが自慢だ、と言っていた人がいましたっけ)。

 

 

 それに、ロサンゼルスの道路の記憶ももうおぼろげだし、10年もたてば道も変わっているでしょう。しかも、滞在期間のほとんどを過ごすオレンジ・カウンティはまったく初めての場所。
久々の車の運転、しかも左ハンドル、しかも10年ぶりの国。乗ったことのないフリーウェイには乗らなきゃいけないし、運転時間の大半が初めての場所・・・1人ならまだしも子供3人を 乗せて・・・という不安だらけの状況に、かなりナーバスになっていました。それに、自分がいくら気をつけていても、相手から突っ込んでくる可能性もなきにしもあらず。万が一事故でも起こしてしまったら・・・そう考えると、「保険はどのくらいかけておくべきか・・・事故で入院したら、帰りのフライトはキャンセルできないし・・・」と心配は果てしなく広がります。

 

 

 泊めてくれる友人が「つきっきりでアテンドするから心配しないで」と言ってくれていたのですが、仕事を持っている友人にそこまで甘えるのも申し訳ないし、やはり自由にいろいろ動き回れたほうが何かと便利・・・というわけで、最初の2日間を友人が運転してくれた後、結局レンタカーを借りました。ところが、このレンタカー屋がフリーウェイの入り口のすぐ横にあり、車を借りたとたん、一般道路での練習もなく、いきなり恐怖のフリーウェイにのるはめに・・・・!これはいくらなんでも想定外!
「大丈夫、大丈夫。1時間くらい走ってホーソン・ブルバードっていう出口で降りればロサンゼルスだから。じゃあねー」といってさっさと帰ろうとする在米20年の友人に、「ちょっと待って、ちょっと待って。ところでアメリカのフリーウェイの制限速度って何キロだっけ?一般道路は何キロだっけ?」とすがる私。「そんなの周りの車に合わせておけば大丈夫だよ〜」。友人はいたって暢気に去っていきました。こうなったらもうやるしかない・・・。
 とりあえず、「怖いよ〜!!」と絶叫しながらアクセルを踏みまくって無事合流を済ませると・・・・覚悟が決まったせいか、あら不思議。まったく違和感なく、嘘みたいに気持ちよく運転している自分がいました。車線が多いのでそれほど混んでいないし、「みんなの運転が乱暴」という意識があったのですが、ドバイのドライバーに比べたら、みんななんてお行儀のいいこと!レーンも広くて運転しやすい!

 

 もちろん、フリーウェイを降りて無事ロサンゼルスに着いてからも、道に迷ったり、ガソリンスタンドで給油の仕方に戸惑ったり、安いレンタカーを借りたせいで鍵が壊れて立ち往生したり・・・と、さまざまなハプニングはありましたが、そのたびに周りの人に助けられてなんとか珍道中を終えることができました。赤信号で停車中にいきなり窓を開けて大声で道を聞いた私に、親切に教えてくれた隣の車線のトラックのおじさん、給油口がすぐに見つけられなかった上に、昔と違ってガソリンが前払い制(あらかじめいくらか払ってセルフで給油し、あとでオフィスでおつりをもらう)になっていることを知らずに、ガソリンが出なくてパニックしている私に説明してくれたスタンドのおばちゃん、「どうせどこか空いているだろう」とたかをくくっていたせいで、夜になってもロサンゼルスで空いているホテルが見つからず困っていた私に特別にネット予約専用の部屋をまわしてくれたフロントのお姉さん、みなさん、どうもありがとうございました。そして、「ママ、次の出口で降りるからね。そろそろ隣のレーンに入って」とか「後ろ、車来てるよ」と、地図を見ながら何かとお手伝いしてくれた娘たちにも感謝。10年前は、眠っているかぐずっているか、けんかしてるかで、運転中はお荷物(失礼!)でしかなかった存在が、今はもうこんなに立派になったんだなあ、と感慨もひとしお。
 そんなこんなを乗り越えてすっかり気が大きくなった私は、結局、帰国までフルに車を乗り回し、調子にのってあらゆるショッピング・モールを制覇、ニューポート・ビーチのほうにも足を伸ばすなど、アメリカ滞在を満喫したのでした。

 

 

  今回の旅行でわかったこと:
 1.「案ずるより産むが易し」
 2.わたしを4年間いらいらさせ続けたドバイの高速道路は、どうやらかなりの自信と運転技術向上をもたらしてくれたらしい。
 3.子供たちは大きくなった!(私も年とるわけだわ)
 4.ずっと日本にいると、新しいことに挑戦するのにかなり臆病になってしまう。たまにはこうやって海外に出よう(こればっかりはそう簡単には実行できない。そこはお父さん、なんとかよろしくお願いいたします!!)
というわけで、アメリカ再訪編はこれにて終了!

 

 

 

2008年8月号

【 アメリカ再訪2

前回のアメリカ訪問の続きです。

 再訪とはいえ、なにしろ当地に住んでいたのは10年近くも前のこと。帰国してから時間がたつうちにだんだん記憶が薄れ、今回の再訪にあたっては「アメリカは怖いところ」という、まるで初めてアメリカに旅行する観光客の感覚に近くなっていまいした。そんな私がひどく心配していたことが二つ。ひとつは、今思うと笑い話なのですが、「子供が誘拐されたらどうしよう!」ということでした。今回は10年ぶりの訪問で、当時親しかった友人たちは引越しや帰国でほとんど残っていません。しかも夫が同行できず、私と子供だけ、ということもあって、どうやらかなり緊張していたらしいのです《笑》。

 10年前、治安の良い地域に住んでいたとはいえ、誘拐が多いアメリカでは、子供を1人で家で留守番させたり、外を歩かせるのはもちろん、たとえ1分でも車の中に置いていくことはできませんでした(もちろん今も禁止されていますが)。当然、買い物中に子供から目を離すこともありえず、どこへ行くにも、当時幼稚園だった娘たちと一緒。デパートで洋服を選んでいるときも、しょっちゅう子供の名前を呼んで返事があるか確認しながら・・・という具合でした。なので、「アメリカ=子供から目を離していけない!」という条件反射的な公式が、いまだにパブロフの犬のように私の中には厳然と存在しているのです。(それに、かの国で誘拐されるのは小さな子供だけとは限りません。10代の子供でも行方不明者はたくさんいるので)。

 結果的には、フリーウェイで一時間ほどの隣の郡に引っ越した昔の友人の家に泊まることになり、知り合いのいないところで1人で何もかもやらなくてはいけない・・と意気込んでいた点については、かなり精神的に楽になりました。

 残るは治安の問題ですが、友人の住んでいるのが非常に安全なエリアということもあって、ショッピング・モールは夜遅くまで家族連れやティーンエイジャーで大にぎわい。地元の子供たちも、中学生くらいになると、親に車でショッピング・モールに落としてもらって友達と自由に過ごし、帰りにまた迎えに来てもらっています。
 そうはいっても、「やっぱりアメリカだから、道路沿いを歩いたり、立ち止まっていたりすると、通りがかりの車に連れ込まれることがあるので気をつけて」と友人に忠告されると、緩んでいた気持ちがまた引き締まります。娘たちは明らかに地元の子とは違って見えるだろうし、外国人2人でうろうろしていると目をつけられるかも・・・と不安になる私を横目に、娘たちはさっさと集合時間と待ち合わせ場所を決めて、自分たちだけで自由にお店を見て回り、両手一杯に戦利品を抱えて意気揚々ともどってきました。どうやら、私の感覚だけが、10年前のままで止まっていて、要らぬ心配をしていたようです。

 アメリカから帰国した翌年の夏、母子だけでマンスリー・アパートを借りて、着いたその日に部屋に電気・水道をひき、翌朝から子供をサマーキャンプに送る・・という生活をしたこともあるのに、だいぶ適応感覚がにぶってきたなあ、と痛感しました。子供はどんどんしっかりしていくのに、自分はどんどん年をとっていくようで複雑な気分・・・。

 それにしても、最近のアメリカのショッピング・モールは屋外型で、巨大な建物の中にお店があるのではなく、屋外の広い敷地にたくさんのお店が並んでいるところを、散歩気分でぶらぶらする・・・というものが主流になってきているようです。なんだかアメリカの新しい形態のショッピング・モールは、ドバイのやはり新型のショッピング・モール「マディナ・シティ」を思い出させるものがありました。そういえば、最近のアメリカの新興住宅地の家はどれも大きくて、ドバイのお屋敷のように真新しくて近代的な様式で、アラブの家が女性の姿を見せないように周りに高い壁を張り巡らせていることを除けば、非常によく似ています。ショッピング・モールといい、住宅といい、こうやってそのうち世界中の景色がパターン化していくのではないかしら・・・とふと思いました。

 偶然にもドバイで一緒だった友人が2人、同じカリフォルニア州に住んでおり、友人宅近くのショッピング・モールまで来てプチ同窓会をしてくれました。以前、小さかった娘たちから決して目を離せなかったこの国で、今は大きくなった娘たちがドバイにいたときにように夜の屋外ショッピング・モールを勝手に歩き回っており、私はそんな娘たちを待ちながらドバイ時代の友達と一緒にご飯を食べている。そのうち自分がアメリカにいるのかドバイにいるのかわからなくなり、それがまた心地よく感じられる不思議な夜でした・・・。

長くなってしまったので、もうひとつの心配事項についてはまた次号で!

 

 

2008年7月号

【 アメリカ再訪

 先週、以前住んでいたロサンゼルスを8年ぶりに娘たちと訪問しました。
今回は、そのときに見た現在のアメリカ事情を紹介します。

 

 まず、日本でも騒がれているガソリンの値上がりについて。
ガソリンの高値は世界的なもので、アメリカもその例にもれません。特に、車なしではどこへも行けないロサンゼルスのような場所では深刻です。
 ATMや公衆電話にまでドライブスルーがあり、以前は歩いている人を見かけることなどほとんどなかったのですが、友人によると、最近はガソリン代節約のため自転車で買い物をする人の姿を見るようになったとか。

 

 また、ガソリンを使わないハイブリット・カーがかなり増えたそうです。
ロスでは、フリーウェイ(高速道路)では、渋滞緩和のため、2人以上が乗っている車は一番左にあるカープール・レーンを走ることができます(つまり、例えば通勤時に1人1台の車を運転すると道路が混みますが、2人で1台の車に乗り合わせると車の数が減り、渋滞が緩和されます。このような2人以上が乗った車《カープールした車》は、特別にカープール車専用レーンを使うことができるのです。このレーンは、普通のレーンより空いているので走りやすいのです)。
 最近、新しい規則ができて、ハイブリット・カーだと、1人しか乗っていなくてもカープール・レーンを使うことができるようになりました。すると、ガソリン代節約のためハイブリット・カーに乗る人が増えたために、かえってこのカープール・レーンが渋滞してしまい、本来の役割(いつも空いている)を果たさなくなっており、大きな問題となっています。
ハイブリット・カーでも、専用のステッカーを買わないとカープール・レーンは走れないのですが、このステッカーが発売と同時に売切れてしまったほどだそうです。
解決策としては、意味をなさなくなったカープール・レーンをなくしてしまうか、専用レーンと一般レーンを分けている2重線の部分がかなり幅があるので、この線をとってしまってその部分に新しいレーンをもうひとつ増やす、という案が出ているそうです。

 

 

 また、今回よく見かけたのが「ブルートゥース」というワイヤレスの携帯電話のイヤホンです。これは、耳にはめる小さなワイヤレスのイヤホンで、携帯電話にコードでつながなくても話ができる優れものです。
ロスでは、車を運転中に携帯電話で話していると罰金を取られます。あちらの携帯電話にはスピーカー機能がついており、運転中に電話で話をするときは、携帯をひざの上に乗せてスピーカーホンにして会話します。もちろん、旧式のヘッドホンも使用できますが、それも両耳はダメで片耳でなくてはいけないそうです。
「ブルートゥース」は小さな補聴器のようなもので、携帯電話につながっていないのに、会話をすることができるという優れものです。携帯電話はかばんに入れたまま、電話がかかってくると耳にセットしたブルートゥースのスイッチをいれれば話せるのです。
 値段は、19.2ドルくらいから、高いものは70〜80ドルするそうです。当然安いものは売り切れ続出で、今では入手が困難だとか。
ただ、買い物中などにブルートゥースで会話している人をみると、まるで1人で見えない誰かと会話しているようで、ちょっと怪しい人に見えてしまうのが難点ですが。
このブルートゥース、ティーンエイジャーには使用が認められていないそうです。

 

 

 ハイブリット・カーもブルートゥースも、9年前にアメリカにいたときはこんなものを使うようになるとは想像もできませんでした。携帯電話なんて、厚さが7,8センチもあり、とても「携帯」とは呼べる代物ではなかったのですから。
十年一昔といいますが、まさに時代の移り変わりを感じたロス再訪でした。

 

 

2008年6月号

【 帰国後の変化あれこれ

 

帰国してはや3年がたとうとしており、我が家の子供たちもずいぶん日本人になった(?)なあ・・・と思う今日この頃です。

 帰国当初は「みんな同じでいや!」といって頑なに拒否していた日本の流行のファッションも、着てみると結構かわいいものがあるらしく、新しいものがはやるとすぐにチェックして買いに行くようになりましたし、ちんぷんかんぷんだったアイドルの歌も、ひととおりカラオケで歌えるようになり、プリクラに夢中の毎日です。日本のティーンズ向け雑誌を片手に、おしゃれの研究に余念がありません。何よりも、やはりそこは年頃の女の子、友達と共通の話題で盛り上がれることが一番楽しいようです。

 なんでも頭から否定するのではなく、その中でよいところを見つけようと努力すれば、たいていの場所では楽しくやっていける・・・これは海外生活で学んだ知恵のようなものだと思います。
「みんなと同じはいや」から、「みんなで一緒に何かすることの楽しさ」のようなものを発見して、それぞれ青春をエンジョイしている様子をうれしく思う今日この頃です。

 帰国したての小学校のときは、本人たちもまだ「自分の意見をしっかり主張すること」と「郷に入っては郷に従えの精神」を融和させることに少し戸惑っているようなところがありました。

 

 たとえば、「○○ちゃんってかわいいね」とか「足、長いねー」などと褒められたとき、日本では「えー、そんなことないよ。××ちゃん(相手の子)のほうがかわいいよ」とか「でも、私、色が黒いから」などと謙遜します。でも、うちの子供たちの場合、「うん!ありがとう!」と思いっきり笑顔で答えてしまいます。(相手は絶句・・・)
親としては、「そこは、ちょっと謙遜して・・・」などと内心あわててしまうのですが、別に素直に褒めてくれているのにわざわざ自分を否定するのもおかしいので、そういう部分はあえて「こういうときは、そんなことないって否定するものなんだよ」とは教えませんでした。そうやってしまえば楽だろうけど、実際に体験したうえで自分なりに対応の仕方を考えて欲しいと思ったからです。
 そういうことを繰り返していくうちに、本人たちも「あれ?こういうことを言うと、まわりがちょっと引いてしまうみたいだな」と、まわりの雰囲気を察するようになりました。
もちろん、「こういうとき、どうしたらいいの?」と聞かれたときはアドバイスしますが・・・。ちょっと残酷なようですが、何でも親が先回りして教えるのではなく(もちろん必要最低限のことは教えますが)、そうしたほうが自分で物事を解決していく力が身につくんじゃないか・・・と思い、あえて見守る方針を貫きました。

 先生によると、ほめられるたびに、堂々と「ありがとう!」を連発する娘に、最初は驚いていたまわりの子たちも「ほめられたら素直に喜んでもいいんだな」というような雰囲気に変わってきたそうです。また、娘も、「ありがとう!」で会話を寸止めするのでなく、「ありがとう。でも、××ちゃんも目が大きくて、すごくきれいだと思うよ。私、大好きなんだ〜」など、相手のことも一言、言い添えると会話がスムーズにいくようだ、と学んだらしいです(本人談)。
(「でも、褒められるたびに『うん、でも××ちゃんの△△も素敵だよ』と返さなくちゃいけないから、結構大変なんだよ〜」とは言っていましたが・・・(笑))。

 

 

 また、「譲り合いの精神」に慣れるのにも時間がかかりました。
電車の中で大人たちが「どうぞどうぞ」と互いに席を譲り合って、なかなか座らないのを見たりすると、「相手がどうぞって言ってるんだから、素直にすわればいいじゃない!どうしていつまでも、譲り合ってるの?」とイライラしているようなことがよくありました。これは学校の先生が「確かにそうだね。でも、日本では、そういうときにただ座ってしまうと角がたつから、『じゃ、お言葉に甘えて』って一言いってから座ると、スムーズにいくんだよ」と上手に教えてくださいました。(さすが先生!)

 クラスで役員を決めたりするときも、みんなやりたい役職があっても遠慮して手を挙げず、全員だまってしまう場面が多々あるようですが、こういうときも娘は「はい!」とまっさきに手を挙げていました。
けれども、あるときから「どうも、手を挙げていなくてもやりたい人がいるらしい」ことに気付いたようです。最初は「どうしてやりたいのに、手を挙げないの?」と不満げでしたが、「恥ずかしい」「他にやりたい人がいるかもしれないから遠慮している」人もいる、ということを知ってからは、他にやりたそうな人がいないか、まわりを確認してから立候補するようになりました。
「日本ではね、何かするときは、まずまわりがどうするか見てからのほうがいいんだよ。何かに立候補するときも、他にもやりたい人がいるかもしれないのに、自分が真っ先に手を挙げたら、その人は言えなくなっちゃうかもしれないでしょう。だから、まず周りをみて確認するの」。
「それに、いつも一番に手を挙げてたら生意気に見えちゃうから」と、子供らしい本音もぽろっと出できたりして・・・。
 自分がやりたいときはみんな競って手を挙げて自己主張していた海外とは、また違う世界です。まあ、みんなが正直に手を挙げられると一番良いのだろうけど、そればっかりは他人がどうすることもできないし、子供なりにいろいろ考えているんだなあ、と思いました。

 

 

 他にも、日本人はいちいち口に出して言わなくても、相手の気持ちを推し量って行動する、という繊細な気配りができますが、「口に出さないことは思っていないのと同じこと」という考えの娘たちは、そのせいでお友達と行き違って、あとから相手の気持ちを知って「なあんだ、そういうことだったのか」というようなこともありました。

 そんなあれこれを乗り越えて、今楽しく学校生活を送れているのは、本人たちの努力だけでなく、いろいろ教えてくれたり、温かく見守ってくれるお友達や先生がたがいたおかげです。幸い、帰国後に通った学校には帰国生が多く在籍し、先生方も海外経験で得た良いところを積極的に伸ばそうとしてくださっています。国内で育ってきた一般生とも、「帰国生の英語はすごい!」「一般生は、ものすごく難しい言葉や漢字をたくさん知っててすごい!」と互いに尊重しあって、よい刺激を受けているようです。

 ただ、うちはたまたまラッキーだっただけで、同じように帰国した子供の中でもつらい目にあうケースもあります。帰国した場所の地域性や、その子の性格、担任の先生の考え方などで、順応のしかたはさまざまだと思います。うちの場合は、本当に学校や先生方、お友達に恵まれて、毎日感謝の気持ちでいっぱいです。

 海外で働く日本人が増えたため、今の日本では帰国生はもう珍しい存在ではありません。それでも、それぞれの家庭の事情や赴任した国の事情で、100人の帰国生がいれば100通りのケースがあります。
今現在、赴任中のご家族も、現地での生活を楽しみながら、帰国後のことにも配慮を怠らず、みなさん努力なさっています。
子供たちが、それぞれの事情を乗り越えて日本にうまくソフトランディング(軟着陸)できますように。帰国の一報を聞くたびに、一帰国生の親として、いつもそう願っています。

 

 

 

※ 今週のドバイ・ミニ情報

友人が、もうすぐ完成するドバイの地下鉄のパンフレットを送ってくれました。
思わず乗ってみたくなってしまうような、とってもおしゃれなデザインですね。

PDFファイルでもご覧頂けます

 

2008年5月号

 

【 投資対象としてのドバイ


 一昨日、テレビで放送されたドバイ特集を見ました。
前回お話したように、春休み中に娘がドバイを訪問しましたが、友達と遊ぶのに夢中で頼んでいた「変わりゆくドバイ」の写真はほとんど撮ってきてくれなかったのでがっかりしていたのですが、この番組でその様子をつぶさに見ることができました。

 それにしても、すごい!の一言です。林立する高層ビルの群れ・・・予想以上の発展に目を見張りました。特に、高さが世界最高といわれる建築中のバージュ・ドバイ。高層階からの眺めは以前も紹介したとおりですが、画面で毎日その前をドライブしていた「ダシッド・ドバイ」という名のタイ資本の高層ホテルがはるか下に小さく見えるのを確認したとき、その高さを実感しました。現在135階を工事中とのことですが、命綱をつけての作業の様子に、見ているだけでもう目がクラクラ・・・。こうしたビルの建設現場では、超高層ビルの建設作業専門チームが派遣されているそうです。上からの写真は、ビルの上からというより、もう航空写真に近いものがあります。

 


写真はドバイの友人がバージュ・ドバイの上からの眺めを送ってくれたものです。左から3番目にちょこっととんがり屋根が見えるのが「ダシッド・ドバイ」です。

 

 この番組で興味深かったのは、ドバイが空前の投資ブームで、すっかりマネーゲームの舞台となっていることです。まだ建ってもいない紙切れの上だけの豪邸やビルの一室が、瞬く間に億単位で売却され、そしてすぐに(完工前に)転売されていきます。
「この家に住みたい」とか「別荘が欲しい」といった購入動機ではなく、お金を増やす倍倍ゲームのような感覚で取引されていく不動産市場は、一昔前の日本のバブル期を彷彿させるものがありました。
 林立するビル群を前に、「あの青いビルには3室、このビルには1室、私の購入した物件がある。今工事中のあのビルにも1件買ったばかり」と嬉々として話す投資家たち。現在建設中のアパートが見えるおしゃれなレストランに投資家仲間が集まって情報交換し、転売した場合の利益を計算したり、ネットワークも着々と広がっている様子・・・。「こうやって不動産の値段が高騰していくんだなあ・・・。学校の授業料が急激に値上がったり、住んでいるビラの家賃が不当なまでつり上げられて払えなくなり、友人が仕方なく海外に移住したのも、こういった人たちのビジネスが裏で影響していたのね・・・」と目の当たりにしたような想いです。
「今買えば、完成前に転売しても2億は儲かる。ドバイの不動産は、今、非常にストロングなビジネス。今のうちにがんがん儲けるつもり」というイラン人投資家の話が印象的でした。

 ちょうど私たちが帰国する頃、外国人もドバイの不動産を購入することが可能になり、まわりはその話題で持ちきりでした。「今購入しても、テロが起こったり、戦争が始まったり、ドバイの税金の制度が変われば紙くず同然になる。リスクが高すぎる」という慎重論もありましたが、前向きに購入を検討したい、という声が多数ありました。実際、私のイギリス人の友人も、まだ建設工事も始まっていない、紙の上の設計図の段階であるアパートメントのペントハウスを購入していました。今はきっと、その何倍かの値段になっているんだろうな・・・と、ちょっと惜しかったような気もしますが、どっちにしろ、我が家ではどの物件も高嶺の花・・・。そう、あのときから不動産の値段はすでに庶民には手におえないレベルになっていましたっけ。

 

 

 もうひとつ、興味深かったのは、ドバイの建設工事に日本の会社がいくつも参入していることです。私がいたころは、ドバイの日本人社会はまだ小さく、日本人駐在員の数も少なかったのですが、今は家族連れで赴任する駐在員の数も増えて、日本人学校も生徒が増えたと聞きました。シェイク・ザイード・ロードに並行してできるモノレールに日本の会社が参入していることは聞いていましたが、バージュ・ドバイなどその他のビルの工事も受注しているところがいくつかあるようで、日本の技術レベルはやはり世界的にも高いんだなあ、と再認識しました。また、ある日本の大手建設会社の社長さんが「これからは日本国内の受注だけ見ていてはやっていけない。世界を視野に入れてビジネス展開していかなければ」といってドバイの建設会社社長を接待する様子が印象的でした。急発展で注目されているとはいえ、何かと不安定なアラブ世界に進出するのはなかなか勇気がいることだと思います。けれども、あえてそれに果敢に挑戦するところまで日本人を惹きつけているのが、今のドバイなのですね。また、今後の日本のビジネスも、世界を視野に入れなければ生き残れない、ということなのでしょう。
この調子だと。中東が遠いところだという私たちの認識は、数年のうちに覆されるかもしれません。

 それから、意外だったのは、空前の建築ブームでドバイの建設現場が人手不足に悩まされていることです。なんでも、出稼ぎ労働者の多数を占めるインド人が、本国での建設ラッシュのため確保しにくくなっているとのこと。もともと、ドバイの建設現場などで働いている出稼ぎ労働者の賃金は非常に低く、最近はストライキも頻発しています。わざわざ低賃金で家族と離れ離れになってまで何年も異国で働く理由がなくなってきているそうです。私がいるころからプロジェクトのあった中東最大のアミューズメントパーク「ドバイランド」も、労働者不足のため建設がストップしたままになっているとこのこと。毎日あふれるほどの出稼ぎ労働者と、破竹の勢いで発展にまい進するこの国を見てきた私としては、まさかこの国が人手不足に陥るとは想像もしていませんでした。それだけ、中東全体が発展しつつある、ということなのでしょうか。
ついでに、労働者たちの賃金も上がっているとのこと。これはとっても良いことだと思います。

 

 

 最後に、あるドバイの当局者が「世界一にならなければ意味がない。人々が覚えているのは1番だけだ。2番目や3番目はすぐに忘れられてしまう」という言葉が印象的でした。バージュ・ドバイも、他の国がこの建物以上の高さのビルの建築に着手した場合にそなえて、いつでも高さを継ぎ足せるようにしてあるそうです。この「一番になることへの情熱」はただならぬものがあります。
 原油価格の高騰もあり、このまま行けば、ドバイは遠からず世界の金融の中心となるでしょう。ただ、番組である投資家が言っていたように、「もし、テロや戦争など不慮の事態が勃発すればすべては紙くずになる」可能性も大です。

庶民の私としては、あと数年後、「あの時、借金して無理してでも買っておけば・・・」と思うのか、「ああ、やっぱりブームに乗らないでよかった」と胸をなでおろしているか、ささやかな楽しみにして今後を見守ろうと思います。

 

 

 

2008年4月号

 

【 娘の里帰り

 春休み、長女がドバイに里帰りをしてきました。
 里帰り、というと変ですが、物心ついてから9年間を海外で過ごした彼女にとって、一番楽しい青春を過ごしたドバイは自分の故郷のようなものになっているのです。
 幸い、移動の激しいドバイ駐在員のなかでも、長女の仲の良かった友達はほとんどがまだドバイに残っているので、今回は仲良しさんの1人がホームステイしに来るよう誘ってくれたことから、1人でなつかしの場所を再訪してきました。


 無事帰国した彼女の話によると、ドバイは帰国したときとはずいぶん変わったそうです。
 まず、通っていた学校が人口増加に伴って巨大化し、クラスも建物も増えてまったく違う学校のようになっていたそう。長女が通い始めたときは、学年に2クラスしかなく、1クラスの人数は12人、つまり学年で24人しか生徒がいませんでした。けれども、今は1学年に約200人!それでも長いウェイティング・リストができているそうです。いまやドバイで一番人気のある学校になっているとか。
 うちの子供たちが入学したときは、ちょうど新しい校舎が完成して移転した最初の年で、立派な校舎のわりに生徒が少なくて、新しいペンキのにおいとガラーンとした広い建物が印象的なところでした。
 それまでは大き目のヴィラ(一軒家)を校舎にしていたことを考えると、まったく変われば変わったものです。赴任時期が少しでも遅れていたら、うちの子供たちも入学できなかったかも・・・・。つくづく良い時期に赴任したと思いました。

 

 

 また、室内スキーができる「スキー・ドバイ」のあるモール・オブ・エミレーツ・ショッピング・モールをはじめ、たくさんのショッピング・センターやホテル、コンドミニアムができて、私たちが住んでいた頃は何もなかったあたりがマンハッタンのようになっていたそうです。さすが、世界のクレーンの40パーセントが集中する国だけあります。その発展の早いこと!
 以前このコラムでも紹介したことのある、ドバイの人気スポットのショッピング・モール「メルカート」はもう廃れてしまって、今はみんな新しくできた「モール・オブ・エミレーツ」に夢中だそうです。新しい建物がどんどんできる、ということはその分、流行り廃れも激しい、ということのようです。

 それから、長女の友人たちもずいぶんと変わりました。海外のティーンエイジャーの生活はとても華やかで、今回泊めてもらった仲良しのビクトリアは、茶色かった髪の毛をブロンドに染め、爪は流行の長いフェイクネイルをネイルサロンでつけてもらい、耳には6個も7個もピアスをつけています。春休み中は毎日のように誰かの家(それも豪邸!)でパーティーをしていたとか。学校の勉強も日本ほど大変ではなく、数学などかなり簡単なことをやっていて宿題もそれほど出ていないよう。それでも、アメリカのアイビー・リーグに入るような優秀な生徒もおり、みな充実した学校生活を送っているよう。

 日本の高校で、ピアスも茶髪も禁止、スカート丈を注意され、大学受験を目指して毎日宿題に追われて必死に勉強している自分と比べて、思わずため息が出てしまったとか。
 日本にいたらそれほど疑問に思わないことも、改めてその違いを目の前で見せつけられるとやはりうらやましい、という気持ちが抑えられなかったようです。
 また、将来のことをいろいろ話し合ったりするなど、本人にとっては大きな刺激、励みになったようです。

 

 

 

 今回、私と夫にとって何よりもうれしかったことは、長女が友人たちと全く変わらぬ友情を保っていられたことです。日本とドバイ、これほどまでに環境が違うと、話題も合わなくなってきて、久しぶりに会ってもお互いの変化にかえって寂しい思いをするのでは・・・と、実は密かに心配していました。でも、そんな心配は全くの杞憂に終わりました。
 みんなから大歓迎を受け、お互いの環境の違いも障害にならず、本当に楽しい2週間を過ごしてきた長女。帰国前日には、「もう少しいたいから、帰国のフライトを延長できない?お願いお願いお願い!」というメールが来ました。残念ながらフライト・スケジュールは変えられませんでしたが、このことからも彼女の充実した生活ぶりが伺えました。
 ドバイのように出入りの激しい国にいると、別れは常に身近にあります。どんなに仲が良かった友人も、何年も会わないうちに疎遠になってしまう、ということはよく聞く話です。けれども、変わらぬ友情を育んでいる長女を見ると、つくづく友達というのは財産だなあ、と思いました。どんなに遠く離れていても、いつも自分を思ってくれる友達がいる。そして、どんなに違う環境で暮らしていても、再開した瞬間に、昔の頃のように仲良くできる。これは、すばらしいことだと思います。そして、そのような関係を築けている長女の人柄、というか人間性を改めて見直すことになったドバイ再訪でした。

次はぜひ、次女と三女、そして私も行きたいものです!

 

 

 



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