宮古島の旅ファイナル

(4)オレの前世って…
15時20分,島尻港に戻る。車に戻ると,今回はさすがに車内はほのかに蒸し暑くなった程度だ。クーラーを少し強めにかければ,あっという間に涼しくなる。それでも,クーラーはかけたほうがいいのだから,つくづく暖かい地域なのである。大神島ウォーキング(前回参照)で渇いたノドを紅茶で潤して再び出発。ココロなしか陽射しが少し暗くなったような気がするのは,やはり沖縄であっても,陽が出ている時間が確実に短くなりつつあるからだろう。
さあ,このまま一気に次の目的地へ…と行きたいところだが,この島尻集落で見ておきたい場所があるから,車はややスローペースになる。前回旅行のときは,マングローブ群を見て集落をかすめただけだった。沖縄へたびたび足を運ぶキッカケともなった三好和義氏の写真集『ニライカナイ 神の住む楽園・沖縄』(「参考文献一覧」参照)で,たびたびこの島尻集落での写真が登場していて,それで行ってみたはいいが「何もなかった」という内容だったと思う(「宮古島の旅」前編参照)。
で,その見ておきたい場所とは「ンマリガー」という場所。またもガー=井戸ということで,私の前世は両棲類かカッパかと思われそうだが,結構水辺が好きな人なのだ。島尻港は集落の北のほうになるので,南下する格好でテキトーに集落のほう向かうと,幸運にも「島尻購買店」の角に出ることができた。たしか,ここからまっすぐ行って,途中から左手に入っていったあたりだと思う。後ろからは南部に向かおうというのか,レンタカーが1台私と同じルートを走ってきていたが,彼らを“まく”ように集落が終わる辺りで,私はおもむろに左に折れる。
彼らは広い集落の道をスイスイと進むことだろうが,私はというと狭い上り坂を,えっちらおっちらと上がることになる。すると,突き当たって左に道は折れる。一方,右手は空地があって,その向こうにどうやら“何か”がある雰囲気だ。「旅人のカン」とでも言うのだろうか,私の中にある“磁場”が空地のほうに引き寄せられていく感じだ。とりあえず,この空地の入口に車を停めることにする。
そして,何もなく茂みが奥にあるだけの空地をダッシュで突っ切る。時間は15時半。何たって,今日は日帰りなのだ。急ぎ足に自ずとなってしまう。すると,またも「なぜ,ここだけこんなものを?」と聞きたくなりそうな木の下り階段があった。これを下って右手に小さな池があったが,そこからさらに進むこと10mほどのどんづまりに,直径で5m程度だろうか,これまた“水たまり”に近いぐらいの池があった。あらかじめ調べていかなければ,雨か何かでできた「汚い水たまり」程度でしか認識できないであろう。そのくらい,ごくごくフツーの汚そうな池である。
後であらためて確認したところ,それが間違いなく「ンマリガー」であった。柳がしな垂れるように,ともいうのか,濃緑の長細い葉をつけたビロウの木が,どこか不気味に周りを囲んでいる。近くまで行けるように道もつけられており,そばに一斗缶や桶が置かれてあった。すぐ隣には茫洋とした景色の中に伸びる農道もあったりする。多分,この農道から来るのが正しいのかもしれない。
さて,何故にこの池に来ようと思ったか――それは,旅行の1週間ほど前,銀座のわしたショップに行ったときのこと。沖縄の雑誌『うるま』(「参考文献一覧」参照)の表紙にあった「パーントゥ」の写真が発端だ。正式名は「パーントゥ・プナタ」。ともに方言で,前者が「鬼神」,後者が「祭り」。すなわち,超訳で「鬼神祭り」ということらしい。名前のことはともかくとして,何より有名なこの祭りの最大の特徴とは,お面と草をまとった輩が集落を駆け回っては,人や物に関係なく片っ端から泥をぬりたくる光景である。その光景は何度となく写真で見たことがあったし,そういう祭りの存在も何となく知っていた。
そこにさらに追い討ちをかけた…というか,偶然が重なっただけかもしれないが,現在日テレで日曜の夜にやっている「鉄腕ダッシュ」の“ソーラーカー”による一筆書き日本1周のコーナーで,この宮古島に上陸したときに,たまたまそこだけは見られなかったのだが,後でボディに泥が塗られていたのを見たのだ。多分,この島尻集落を通って祭りに紛れ込んだのではと勝手に想像するのだが,そんなこんなで,あっという間に「パーントゥ・プナタ」に興味を持ったというわけである。
そもそもの由来は昔々のいい伝え。ここ島尻集落で祭りがあった日に,北の外れにある浜に不気味なお面が流れついた。それはクバの葉っぱにくるまれていて,開けてみれば細面で切れ長の目の何とも不気味なお面だった。村人は何事かと恐怖に慄いたが,集落の神司たちはこれを海の彼方からの来訪神と説いたのだ。すなわち,こんないい日に来訪神とは豊作円満の印であり,何かの縁かもしれない。このお面をぜひとも保存しようではないか――で,この中の「北の外れにある浜」こそが,先ほど島尻港に寄ったついでに見たクバマだったのだ(前回参照)。
この言い伝えが現在は,「パーントゥが年に一度島尻集落に現われて,厄払いをした無病息災をもたらす」という形の祭りとなって現われているのだ。“ピューズダス”と呼ばれる男性神職者によって,まずはパーントゥ役が選ばれる。それを担うのは若い男性だそうだ。かつては“スママーリヤ”と呼ばれる伝達者が集落をふれて回ったそうだが,今では購買店に張り紙がされるだけだという。
そして,祭りの当日。パーントゥに選ばれた男性たちは,その伝説の鬼神の姿になるべく,ある場所に集まる。その場所がンマリガーなのである。「ンマリ=うまり=産まれ」ということで,ここはかつて産まれたばかりの赤ちゃん,はたまた亡くなった人を清めるための水として使われていたそうだ。「鬼神を誕生させる」にはうってつけの場所,という結論に至ったのかもしれない。
そして,この池にたくさんの草を入れ,沈殿しているヘドロともどもよーくかき混ぜて,それらを思いっきり身体にまとうことになる。こうして,あの集落を泥だらけにする鬼神・パーントゥは誕生するのである。背中には,魔よけのススキを刺して――ちなみに,ヘドロは一度かかると数日は取れないほど,強烈な臭いがするそうだ。その不気味な姿と臭い,まさに「鬼神足り得ている」というべきか。
ここからのことは,書くまでもあるまい。島にある3軒の宗家“ムトゥ”には,古老たちが車座になって酒を酌み交わしている。これらは「サトゥプナハ」と呼ばれ,昔から伝統的にあった年中行事だったようだが,これに乗っかる形で展開していくのが,どうやらパーントゥ・プナタらしい……ということで,各ムトゥで楽しく酒を呑むはずの古老たちは,あはれ泥をまとったパーントゥに襲われて,身体から家からすべてを泥だらけにされていく。それでも,古老たちの顔はどこか嬉しそうである。で,ちゃっかり酒をご馳走になったりもするそうだ,パーントゥも。「ご苦労さん」と。
もちろん,すべてが合意と寛大さの上に成り立っているからできるのだが,やがて,その勢いはとどまることを知らず,ムトゥとムトゥの間を移動する途中,そこいらへんにいる村人たちにも容赦なく襲いかかっていくのだ。何も分からない赤ん坊はやっぱり泣いてしまうそうだが,「臭い泥はつけられたくない。かといって泥をつけられないと,厄払いにはならない」という“事情”がよーく分かる子どもや大人たちは,いよいよ追っかけっこよろしく,あるいはそのスリルを楽しもうと,あちこちへ駆けずり回り,それでも最後には大なり小なり“泥の餌食”となっていく――こうして,痛快で奇怪な泥だらけの祭りへと変化していくのである。この日ばかりは,治安を取り締まるはずの警官までも容赦なく,泥の洗礼…いや“恩恵”を受けることになるそうだ。

時刻は15時半を過ぎている。この時間から,島を1周するルートの3分の2ぐらいをこなそうというのだから,考えてみればムチャな話ではあるが,それを強行するのがマギー流。しからば,島尻集落南の畑地を抜けて,一昨年今上天皇・皇后が立ち寄られたハンセン病療養所「宮古南静園」(「沖縄惰性旅」第6回参照)の脇をかすめて県道83号線に出ると,そこからは一本道を爆走するのみだ。
元々これといった寄る場所もないエリアだし,車の行き来があまりないものだから,60km/hくらいは出したであろうか。出掛けに空港でサーウエストの小宮社長から「宮古の人はいい加減な運転だから」と言われてはいたが(前編参照),一番いい加減で乱暴なのは,案外この私かもしれない。“別の意味”で法定速度を守っているかどうか分からない軽自動車など,逆に可愛いものかもしれぬ。
道中,なだらかな畑地の丘を通過するときは,どこか北海道的牧歌的な光景も見て,写真の1枚にも収める余裕がほしいが,次の目的地に向かわなくてはならないから,そんな余裕はまずもってない。第一,デジカメもフツーのカメラを持っていないし……ホントだったら,寄れれば寄ろうかと思っていたシュノーケリングの好ポイント・吉野海岸も,看板を発見したときはすでに入っていく狭い道からズンズン離れていってしまい,来た道を戻るタイミングを逸していた。前回観た宮古島随一の観光スポット・東平安名崎も,今回はあっさり通過である(「宮古島の旅」後編参照)。
そんな調子だから,次に向かうスポットも一度通過してしまう始末だった。「宮古島海宝館」という施設が目印なのは,前もって調べていた。で,その辺りから海に向かって下りていくルートであるというのも,何となく頭に入っていた。で,その前を実際に通過して,すぐ左に分かれる大きな道があったもので,そちらに入ってすっかり爆走モード全開になっていたら,明らかに目的地から遠ざかっていく雰囲気。ここはさすがに戻らなくちゃいかんと思って,再び宮古島海宝館に戻り駐車場となっている広いスペースを注意深く見渡すと,何のことはない。その駐車場のすぐ脇に学校の正門みたいなゲートがあって,そこに「歓迎・保良川ビーチ」の文字があった。
たしか,この道は急で狭いと聞いていたが,なるほど正門…もといゲートを入ると,舗装はされているが,セカンドギアで下りるほうがベターな感じの急勾配の下りカーブ。おそるおそる下りていくと,途中にプールを発見。そして,そばの壁から水があふれて流れ落ちているのを見た。そこから少し下って,坂の途中でパーキングプールがあり,そこに駐車することに。ビーチへはそこからさらに下りていったところになるが,車両進入禁止の看板があるので,そこが一番ビーチに近い駐車場となる。事前の情報で「ビーチに遠い」というのがあったが,なるほど少し歩く必要はある。10台も停めれば満車になりそうな感じだが,さすがにオフシーズンだし時刻も16時過ぎだから,私以外の車はない。
で,さっき水があふれていた壁の上に行く。ホテルによくあるクネクネした底が青く塗られたプールと,その脇には5m四方くらいのコンクリートで囲われた井泉があった。これがビーチの名前にもなっている「保良川(“泉”と書くこともある。ぼらがー)」である。奥からパイプが通っていて,絶えず一定量の水が流れ込んで,その水はそのままプールへ注がれている。すなわち,プールは「天然水プール」なわけだ。それでも水があふれていて外へ流れ出ており,その下にある側溝に落ちる格好になっているのだ。天然水プールも,オフシーズンの人気がない現在となっては,単なる大きな貯水池でしかない。しかも,しっかり“漏水”しているし。
そのプールの脇からは,さっき車で通ってきた道の下をくぐってビーチに近道できる遊歩道もついている。それを下っていくと,さっきの側溝がいつのまにかウォータースライダーに化けていた…というか,形がそう見えるだけで,多分単純に側溝なのだろう。でも,何気にプールと同じく底が水色に塗られているので,一瞬勘違いしてしまった。ちょうど,Tシャツを着た若い男女がブラシで掃除している。下にビーチハウスが見えるから,このビーチを管理している事務所の人間だろう。
南国の木々に囲まれた遊歩道を歩くこと5分,保良川ビーチに着く。ウッドデッキなんかもあるビーチハウスには,一通りのマリンスポーツの道具がそろっていて,また食事もできるようだ。もちろん,シャワーやトイレも完備だ。そばにはこれまたプールがあったりもする。がしかし,そこはいま少々の虚無的で気だるい空気が流れるスポットでしかない。「何しに来たの?」みたいな女性係員の視線がちょっと痛く感じるのは,考えすぎだろうか。
ウッドデッキを越えると,そこはごくごく素朴な砂浜。整備が行き届いているのか,汚れた感じはまるでない。両端で200m程度。“観光観光”していない感じがいい。しかし,ここの砂は深い。体重のせいもあるのかもしれないが,ズブズブと足首を完全に覆うまでに足が入り込む。しかも,ウォーキングシューズで入り込んだものだから,砂が靴の中に入りこんでいくのがよく分かる。その砂をのけようとして片方の靴を脱ぐと,バランスを取ろうとして余計な力が入るわけで,すると片一方の足がさらに砂にのめりこんでいき,砂がさらに入り込む――まったく,ビーチなんて見られる気分じゃありゃしない。面倒でも裸足で入り込んだほうがよかったかもしれない。ウッドデッキまで何とか戻って,砂を取り除いておいたが,家までココロなしか足がざらつく感じは抜けなかった。
保良泉ビーチを後にして,宮古島海宝館の脇から,さっきと同じように左に分かれる大きな道に入り込む。県道285号線。これが宮古島の南の海岸線を走る道だ。左に断崖絶壁を見つつ,アップダウンのある一本道は,これまた沖縄の一離島っぽくない大陸的雰囲気がある。この道中にも風力発電用の巨大風車があったようだが,西平安名崎のそれ(前編参照)と同様,2003年9月の台風14号で破壊されてしまったようだ。右手には所々,山が切り崩されてトラックが出入りしていたりする。
再び調子がついたキューブだが,この道をたしか前も通って,途中で突然通行止になって,内陸に舵を取らざるを得ず,再び海沿いに行こうと思ったらまたも通行止…なんてことがあったが(「宮古島の旅」後編参照),あれから2年半経っていればいい加減――っておい,またも通行止じゃないか。というか「まだ通行止」ということか。「土地買収が上手く行っていない」とか,そーゆー現実的なことか,はたまた台風の餌食になったのかは分からないが,どう見てもまっすぐ行けそうなのに,なぜか車1台分しかない幅の畑の道に迂回せざるを得ない。
仕方なく迂回して,しばし内陸の通りを西進していく。どこをどう走っているかはまるっきり分からない。後で確認したらサーウエストにもカーナビつきの車があったようだが,前回旅行の経験もあるし,「なんくるないさ」のテンションで気にせず今回に至ったが,ここに来てカーナビにちょっとした敬意を抱いてしまう。ま,なくてもやっぱり何とかなりそうだが……。
と,ここで「←うえのドイツ文化村」の看板。おお,こーゆー施設が海沿いにあったなーと思いつつ,左に折れると開放的な景色。道も広いし海沿いに入っている。「よっしゃ!」という気持ちと「あれ? 前回はこのルートで行って,途中でどんづまりだったような…」という疑心暗鬼と「ま,あれから2年半経ってるし」という楽観とか入り混じってはいたが,いかんせんスピードがつきすぎて,あっという間にドイツ文化村の象徴とも言える欧風パレスの建物を通過していた。そういや,大神島からの帰りの船で女性数人が会話しているのが聞こえたが,このドイツ文化村で何やらイベントものがあって,文化村にあるホテルはすべて満室になってしまったそうだ。
で,その先は……おい,何じゃこのTHE ENDっぷりは。2年半前とまったく変わっちゃいないじゃないか。ま,早い話が「同じ轍を踏んだ」だけなのだが,こういうプッツリ道が切れるのはいい加減何とかしてほしい。しつこいが,2年半経ってるんだぞ!――と,怒ってもしょうがないか。とりあえず分譲マンションだかがあるエリアに向かう道をテキトーに入っていくと,再び県道らしき道に出た。まったく,素直に一度入ることができた県道をまっすぐ行っていればよかったのだ。欲が出ると自滅するのは,何においても同じなのかもしれない。

次に向かったのは来間島。ここも2度目である(「宮古島の旅」後編参照)。前回は「竜宮城展望台」というそのまんまの展望台に上がり,島に来るときに渡った来間大橋と海を見ただけだったが,このときに見られなかった島の対岸にある「長間浜」に行くのが今回の目的である。やっとこさ辿りついた来間大橋を90km/hほどで突っ走る。途中で車を停めて海を眺めるカップルをよそに,まるで“パブロフの犬”みたいに,直線一本道でアクセル踏みまくりの私がそこにいる。こりゃ,ダメだ。
さて,島に上陸してからは「→長間浜」と書かれた木の手書き看板を目印に,迷路のように縦横無尽に走る農道を進むのみ。焦るには道が狭すぎるし,意外とみんな同じ方向を目指して走っていたりするのが,どこかコミカルにも映る。ましてや,農作業中の地元の人にはなおさらコミカルに違いない。何がゆえに,この小さい島に「わ」ナンバーが縦横に乗り入れてくるのかと。
「もう1回,その走った道を再現してくれ」と言われても2度とできないようなルートで,とある海岸の入口に辿りついた。わりと開放的なアプローチはこの島の道としては珍しいかもしれない。そして,奥に車が数台停まっているのがはっきり見える。人の姿もあるから,ここが長間浜だろう。とりあえず,私も入り込んで5台ほど停められる駐車スペースにキューブを停める。
右手は草むら,左手はゴツゴツした岩場に囲まれたそこは,両端50mほどのこじんまりとした砂浜だ。何があるわけでもないシンプルさと柔かさ。上空が曇りがちなのと,私のヴォキャプラリーが乏しいのが何とも惜しい……と思っていたら,ゴツゴツした岩場を越えたところに,相当に広いビーチがあったらしい。なーんだ,こじんまりしていたわけじゃなかったのだが,これだけでも私には十分だ。
高さが高低2段になっているので,入口付近の高いほうから奥の低いほうに行ってみると,若い女性がグラビア撮影をしているようだった。男性が大きな反射板を持っているのでピンときた。白いキャミソールと赤いスカートっぽいのが見えたが,はたして誰なのかは分からない。たまたま撮影が何かの都合で中断したようで,別のマネージャーらしき女性がバスタオルで若い女性をくるんでいた。その向こうは岩陰になっていて,機材置場になっていた。
次に向かいたいのは「来間川(くりまがー)」という井戸。まったく,オレの前世って一体……しかし,ここで思わぬことが発覚(というほどのものではないか)。その井戸があるという島の北のほうに車を走らせていると,「←長間浜」という看板が。ということは,さっきの砂浜は一体……で,後で確認したところでは「長崎浜」というそうだ。まったく,紛らわしい名前のつけ方してるぜ…って,悪いのはもちろん,オレのほうに決まっているのだが。
その長間浜へは,長崎浜から10分ほど。ガタガタした車1台がギリギリ通れる程度のジャリ道の向こう……に,3台ほど停められる空きスペースがある。長崎浜はちゃんと舗装されてあったが,こちらは砂地である。たまたま先に入っていた車が出ていくのを見計らって,バックで車を突っ込んでおく。隣では軽自動車が停まっていて,窓を開けっぱなしでアンちゃんがハンドルに足を出して寝ていた。
いよいよ砂浜である。天然の防風林の隙間にできた幅にして数十cmほどの砂道をくぐると,今度もまたこじんまりとした砂浜だ。名前としては「長間浜」のほうが有名だと聞くが,それほどすごい感じはしなかった。個人的には,長崎浜のほうが開放的で行きやすいし,見損なってしまったが,かなり広くて手付かずなビーチも広がっている分,オススメかもしれない。
カップルなのか,ちょうど男女が流れついたような岩の上に座って語らっていた。そして,わずかながら太陽を顔をのぞいていて,夕陽を鑑賞するタイミングにもぶつかった。風の強さをいつのまにかあまり感じなくなっていたのは,大神島に行って帰って来られた“達成感”と,この小さな来間浜で二つの砂浜を一気に鑑賞できた“儲けたぜ精神”からか。
さあ,あとは来間川である。なるべく,北の方向に目指して走っていくが,それらしきものは見えない。それでも,“いかにも”って感じの土の道の向こうに看板が見えたので,案内板かと思って車を降りて近づいていったらば,単なる警告看板だったり……ラチがあかなさそうなので,これにて退散と思い,最後に来間大橋を渡っているときにちらっと見えた来間港に下りることにした。かつては,対岸の与那覇あたりから渡船があったのではないか。
その下り立った来間港のそばから,奥のほうに細い道が伸びている。「工事中」の看板があったので車で入っていくのをためらったのだが,見れば「来間川工事」とある。なーるほど,すっかり北のほうだと思っていたが,こんなところにあったのか……って,書いている現在気がついたのだが,方角からしたら来間大橋や来間川がある方向は北の方向だから,実は正しいのだ。すっかり方角がオンチになっていたのだなと改めて思った次第だ。
で,100mほど歩いていくと,どんづまりにせりだした断崖絶壁。元々,港に下りてくるときにかなりの高低差があった。それだけ崖の高さもあるということだが,数十mというレベルかもしれない。まさに工事の真っ最中でトラックが横付けされていて,いろんな道具が散乱していて,頻繁に関係者の行き来がある。どーゆー工事なのだろうか。取り壊しかはたまた改修か。
でも,立入禁止という雰囲気はない。向こうは向こうで土曜日なのに仕事中。こちらはこちらで土曜日だから旅行中。「ま,いいや」とばかりに隙間をかいくぐっていくと,その崖に覆われるように,風呂桶程度の大きさの囲いが二つあった。両方とも水が少しばかりたまっているような状況で,奥からはチョロチョロ程度だが,水が崖のほうから入り込んでいる。キレイな土で周りがしっかり固められてあったので,すでにある程度の工事が済んでいるのか。
後で確認したところ,どうやら過去の風景を再現するための復元工事だったようだ。怪しい人物と思ったのか,工事関係者の1人が「どうかされましたか?」と聞いてきたので,たまたまそこにあった案内板を指差して「これを見ていたんです」と言ったらば,「ああ,そうですか」――ま,そりゃ怪しむだろうなと思ってしまったが,先人の残した財産を受け継ぎたいという思いからだそうで,部外者の私が工事の邪魔になるのはかえってマイナスである。とっととズラかる。
もちろん,今では水道が完備している。しかし,それは1974年のことというから「まだ30年」。農業用水の送水管ができたのは,来間大橋ができたと同時の1995年。灌漑配水施設ができて,村の畑にスプリンクラーなどが行き渡ったのは2000年になってから――ま,後ろ二つは別としても,水道ができるまでは,ここが島で唯一の井戸であり,すなわち,それは「命の水」を意味する重要なものだったのだ。集落はこの強烈な崖の上にある。「水汲みは女性の仕事」ということで,そこから老いも若きも女性が100段とも言われる石段を下ってきたそうだ。もちろん,手すりもないし,石段であるからにはゴツゴツした岩肌が露出する凄く危険な道のりだったそうだ。そのような道は見えなかったが,もはや用がなくなったとあっては,多分藪の中に隠れてしまっているだろう。

(5)薬草安眠鍋を食べる〜エピローグ
時間は17時半を過ぎた。これにてあとは夕飯に向かうことにしよう。ホントは,この宮古島行きの機会に食べておきたかったものがある。それは下地町にある「津嘉山荘」という民宿がやっている地元食材を使った豪華料理だ。ラフティやら島らっきょうやら,テーブルいっぱいに置かれたその食材の写真を見て,民宿に泊まらなくても食事だけ食べられることもあり,ぜひとも食べてみたいと思っていたのだが,18時からの夕食でしか供されず,こちらは19時45分発の飛行機で日帰りともあれば,帰りがもしかしてギリギリになるリスクを背負わなくてはならない。そうとなれば,せっかくの美味いメシも時間に追いつめられて不味くなりかねない。よって,今回はあきらめることにしたのだ。
とはいえ,思わぬ形でその津嘉山荘に出くわすことになった。それは平良市の方向に国道390号線を向かわなくちゃいけないところを,間違って逆方向の与那覇集落方面に行ってしまい,その道中で看板を見つけた次第である。集落の中に溶け込むように,民宿自体はごく素朴な平屋建てである。だからなのか,泊まるのはホテルに泊まって食事だけで民宿を訪れる人も結構いるらしい。かなり暗くなっていたのであまりよく見えなかったが,1台だけ車が入っていたと思う。
で,その代わりに行くことにしたのが,神経を安定させて眠りやすくするという「薬草安眠鍋」なるものを食わせてくれる「味のみやこ」という食堂である。『アイランドガイド沖縄 3.宮古島』(「参考文献一覧」参照)で前もって情報を仕入れていたのだ。店も空港の近くにあることだし,帰りに寄っていくメシ屋としてちょうどいいかなと思った次第だ。
ホントは海岸沿いに平良市に入って,マクラム通りと国道390号線との交差点角に今年新しくできたという「モンテドール」で,昨年11月の“宮古島トランジット”のときにかつてあった店で買った「バナナケーキ」(「石垣島と宮古島のあいだ」後編参照)をまた買っていきたかったのだが,帰りにガソリンを入れたり,あるいは食堂で万が一時間を食ったときのことを考えれば,ダイレクトに食堂に行ったほうがいいかもしれない。なので,途中で空港に向かう近道に折れていくことにする。結局,バナナケーキは空港の売店で購入して,家の昼食で芳醇なバナナの香りをまた味わった。
空港の周辺は何も建物がないからか,ものすごく真っ暗である。すっかり日が暮れるのが早くなったとはいえ,18時前でこんなに真っ暗なのはどこかビックリする。空港のターミナルだけ明かりがついているような状況。そのまま通り過ぎ,行きに通ってきたルートを辿っていく。そして,池間方面に行くのに曲がった交差点角にある目印のENEOS(前編参照)の隣に「味のみやこ」はあった。あるいは店に入る前にガソリンを入れていこうかと思ったが,「すむばり」のタコ丼(前編参照)だけだと意外と腹が空く感じだ。「オレのガソリンのほうが先」とばかりに,誰も入っていない駐車場にバックで入れる。
店内に入ると,明るく開放的な雰囲気だが,もちろんというか誰もいない。入ってすぐ左のブルーシールのアイスボックスは,見掛け倒しじゃなくてちゃんと機能している感じだが,「薬草料理を食べるのだから,多少は健康に“ゆとり”ができた」とばかりに油断して買って食べるのは今回は控えておく…と書いたが,実は空港で食ってしまったりもする……ま,いいや。早速「薬草安眠鍋」を注文。850円。鍋にはメシがつくそうで,白米・赤飯・ウコン飯の3種類から選べるが,せっかく鍋に入った食材の味を感じたいので,プレーンに白米としておいた。
テレビでは,小泉首相の会見が放送されている。「旅人をしている」と,現実で何が起こっているのかに鈍くなりがちであるが,テレビが現実をオンタイムで感じてホッとする唯一の道具であると同時に,ホンの少しだけ現実に戻された落胆を味わわせてくれる道具になったりもする。そうこうしているうちに,隣の席に老紳士が1人で入ってきた。これで客は2人。給仕してくれた女性はレジで黙々と何か作業している。実に店内は静寂に包まれている。
さあ,注文してから時間は刻々と経過していくが,なかなか鍋が出てこない。隣の老紳士が頼んでいた「うなぎ定食」のほうが,あるいは早く出てくるんじゃないかという勢いだ。厨房が私の座ったところからよく見えるのだが,鍋を作っている雰囲気や活気をあまり感じない。「チーン」という電子レンジの音が聞こえたが,それが私のものを作っているのか老紳士のものを作っているのかは分からない。うーん,これだったらば「早く作れるものって何ですか?」と聞けばよかったか。あるいは,注文の間にガソリンを入れに行く時間もあっただろうし,それ以前に前もってガソリンを入れてから食事に臨むべきだったか……ま,間に合いはするだろうが,空港であたふたしないに越したことはない。
20分ほどして出てきた鍋は,直径15〜16cmほどの土鍋。そこに入っていたのは,「クウワン草」と呼ばれる薬草の根と葉っぱに,豚肉・ニンニク・タマネギ・ニラ・トマト・ヨモギ・シメジ・エノキ・ニンジン・クコの実・アガリクス茸にあさつきというラインナップだ。レモンが脇に添えられていて,それを絞ってかける。味付けはシンプルに塩味だろうか。クウワン草の根は,韓国のナムルに出てくるゼンマイっぽかった。そしてアガリクス茸は,シナシナにしなびた感じの松茸みたいな風体をしていた。ココロなしか食べると薬草っぽい感じはしたが,それよれ何より急いで食べていったもんで,舌をヤケドしてしまったことのほうが記憶に残っている。
ちなみに,これには食前酒がつく。こちらはクウワン草とクコの実とアガリクス茸をつけたもの。「運転ですか?」と聞かれたので,素直に「ハイ」と答えたところ,「持ち帰りにもできますが…」と言われたので,別に好感度を上げてもしょうがない場面ではあったが,一応持ち帰りにしてもらった。すると鍋と一緒に,タレを入れるような小さいプラスティックのビンに入って出てきた。色はちょっと黄金色をしていた。「お水かお湯に3倍に薄めてください」とのこと。「後で飲んだら食前酒じゃないじゃん」というツッコミは,この際勘弁してもらいたい。

薬草安眠鍋を食べ終わって,隣のENEOSでガソリンを入れたら,後は空港に向かうのみ。再び真っ暗な道路を走り続けて,18時45分に空港に到着。さーて,あとは駐車スペース……がない。ホントにビッシリと埋まってしまった。いや,一度空きスペースがあったのだが,タッチの差で先を越されてしまった。すでに通路に停めている車も多かったので,その通路に停めた車の後ろに仕方なく停める。
あとは,小宮氏に言われたとおり(前編参照),カギをダッシュボードに入れてカギをかけずに下車。そうそう,もちろん電話をサーウエストに入れるのを忘れない。小宮氏から「急ぎ旅だったでしょ?」と聞かれたが,その声はどこか“癒し”が入っていた。たしかに急ぎ足だったから,この駐車場に入れられず通路止めにした結末は,ココロなしか後味がよくない気持ちになる。
ま,でも何はともあれ,あとはチェックインするのみだが,その前に「味のみやこ」でもらった食前酒…ならぬ食後酒を試しておきたい。家まで持って帰って飲むのがどうにも面倒になったからで,自販機で500ml入りのミネラルウォーターを買って,途中までは中身を飲んだが,今度は飲むのが面倒になって,外にあった植木鉢の植物に少しだけ水をやったが,誰かに怪訝そうに見られてしまったので,半分ほど残ったペットボトルの中に酒を入れる。うーん,何のための持ち帰りだったのか。
そして,やはり水が多すぎたからか,ほのかに薬草の風味しかせず,そのままあえなくゴミ箱行きになってしまった。もっとも,鍋のほうの効能はかなりあったようで,機内ではかなりグッスリ眠れ,いつになく“ニュートラルな気分”で家路についた。はて「終わりよければすべてよし」というのは,こういう気分をいうのか。はたまた,単に薬草で軽く“トリップ”していただけだったのだろうか。(「宮古島の旅ファイナル」おわり)

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