宮古島の旅(全2回)

(1)プロローグ
私が今回乗ったのは,JTA宮古行7時25分発(到着は,1045分)。飛行機に全員搭乗したときにすでに10分ほど遅れていたが,それでも「さあ,出発」となったそのとき,機長から「ただいま,航空管制システムの故障が起こりましたため,当機離陸できなくなりました。なお,1時間ほど遅れることが予想されます」とのアナウンス。思わぬ事態に,中からは「えー!? だったら乗せるなよー」という声も起こる。
しばらくして,再び機長のアナウンス。「現在,マニュアルにて,10分に1本の割合で離陸するようになっています。ただ,我々のこの飛行機は17番目ですので,かなりの遅れが予想されます」。ということは,10分×17番目=170分=約3時間遅れとなるわけで,帰りの1940分発から逆算しても,宮古島の滞在時間が8時間から5時間に減ってしまう。一瞬,このときは私も飛行機から降りて,旅行を中止にしようかと思ってしまった。
その後,何とか10分おきから5分おきに離陸できるようになり,結果的に離陸は午前9時。その離陸後に機長ががんばったのか,宮古到着は1150分と,1時間遅れで済んだ。ただ,その後に手荷物ゲートなどが大混乱したとかいう状況を見ると,飛行機にすでに乗ってしまっていたのは,幸運だったようだ。もっとも,1時間以上も狭い機内で待たされるのはちょい辛かったが,座っていられるだけでも随分違うからだ。

宮古空港着,1155分。一歩外に出ると,空気は暖かい。早速,ロビーを見回して予約をしているレンタカー屋を探すが,見当たらない。一度外まで出て再び中に戻ると,手のひらサイズの紙で「サーウェスト宮古島」と書かれたのを持った,10代みたいなアンちゃんがつったっている。
声を掛けると,すでに書類が書かれてあって,あわただしく説明を受ける。後ろからは続々とレンタカー客が押し寄せている。実は,管制システムのトラブルで遅れる旨,電話連絡をしたとき(羽田で待機中,携帯の使用許可が下りたのだ)に,「わー,重なりそうですねぇ」なんて,アンちゃんとは違う,電話に出た別の男性が話していたのだが,この状態を言っていたのだろう。
脇では,髭面のおじさんが私と同世代くらいの女性と談笑している。多分,このおじさんが先の電話の相手で,サーウェストのホームページで「小宮くらげ」とかいう名前を名乗っている店長なのだろう。女性は,3月3日が誕生日のようで,「バースデー割引とかないんですかぁ?」などと言っている。そして,彼女はどうやら島内で1泊するようだ。
しばらくして,サーウェストの女性従業員が現れ,件の同世代の女性と私だけ,レンタカー代3000円を支払い,オリジナルの地図と「宮古島タウンガイド」(以下「タウンガイド」とする)という冊子をもらって駐車場に案内される。

それにしても,3000円とは激安だ。たしかオフシーズン割引で3500円とホームページに書かれてはいたが,さらなる割引か? ちらっと書類を見た限りでは,私の使用時間が「6時間」となっている。当初島にいる滞在時間にあわせて「12時間まで」としていたはずで,しかも値段は3500円となっているではないか。「いいのか,これで?」と一瞬思ってしまったが,まあ細かいことは気にしないほうがいいのかもしれない。
しばらく歩くと私の車が。青のスターレットである。そこでまず,もう1人の女性が説明を受ける。どこに行くのかということで,彼女は平良(ひらら)市内の公設市場を見て,それから宮古そばを食べるらしい。「今日は高校が卒業式なので,少し混むかもしれないですね」とのこと。彼女の車はさらに向こうにあるようで,彼女を送り出した後で私は説明を受ける。
私はといえば,ホントは平良市内を初めに見て,その後,宮古島の南に隣接する来間島(くりまじま),東にある好景色の東平安名崎(ひがしへんなざき),北にある池間島(いけまじま)の順番で三角形の島を1周するつもりだった。しかし,例の管制トラブルで1時間ロスしてしまったので,先に島内をぐるっと1周するほうに切り替える。ちなみに,時間があらばとばかりに,平良からフェリーで15分の伊良部島・下地島(いらぶじま・しもじじま)へもなどと考えていたが,それはどう考えてもムリである。
早速,女性従業員に行く場所を聞かれたので,来間島にでも行こうかと答えると,地図を見ながら,
「来間島は,島も橋も大したことがないので,先に砂山ビーチとか,池間のほうに行ったほういいですね。池間のほうがキレイです。それから東平安名崎(ひがしへんなざき)を見る。で,ここから来間島までは,一番道が結構迷いやすいですし,1時間はかかると見てください。なので,東平安名崎で時間がないなと思ったら,そこから空港に行ってもらったほうがいいですね」
とのこと。オリジナル地図の裏には平良市街地の地図が描かれていて,マーカーで道の指示をされる。その先には砂山ビーチ。さっきから彼女は,しきりに「砂山」と口にする。当初私は頭に入れていなかった場所だ。こういう,いい意味でのお節介は地元のレンタカー屋ならではのこと。地元民が言うのだから外れはないだろう。彼女の話に従い,そのルートで行くことに変更する。「宮古島は運転がいい加減なので,気をつけてくださいね」と言ったきり,彼女は再び空港ロビーへ消えて行った。

(1)プロローグ
車はまず,平良市内の中心地へ向かう形を取り,途中から北へ進路を取ることになる。道は2車線の広い通りだ。
それにしても,このスターレット。信号待ちでブレーキを踏んでいると,ガタガタと大きい音が後ろのほうで音がする。実は窓も手動で,自動のドアロック機能もない。あるいは,古い車なのか。
5分ほどして,ホットスパーを見つけて車を停める。早速,後ろを見るが,特に何もない感じである。ついでに昼飯は,本来なら平良市内でとも思っていただけに,いささか不本意ではあるが,ここでおにぎりを買って済ませる。
2カ月前の沖縄旅行ですっかりファンになったポークたまごのおにぎり(「沖縄標準旅」第3回第7回参照)は,今回も購入。私はそのままにしたが,このおにぎりはレンジで暖めて食べるという習慣があるようだ。先日テレビでそんなことをやっていた。味噌味だが,直径7〜8cmほどの半円の大きさであり,その味に到達するまでに時間がかかるのは,やや難点か。あとは普通のシーチキンのおにぎりと,これも沖縄限定で,どこのメーカーの自販機でも必ず置かれている「さんぴん茶」を購入する。でも,こっちはジャスミンティーと何ら変わりない味だ。
それはそうと,車内はクーラーを入れていて快適だが,いささか外はしけっていてむし暑い。天気は当初は雨のはずだったが,運良く晴れ間が広がっている。それもあるだろう。ま,車内でも差し支えはないだろうからと,ここでティーシャツ1枚になる。沖縄の3月は,さしずめ本土の梅雨時のような気候だと思う。

車を再び走らせる。あいも変わらず,ガタガタという音は止まらない。今度こそとばかりに道端に停めて,後ろのトランク部分のドアを,触るだけでなく動かしてみる。すると見事にドアは動いてしまった。なんと,半開き状態でいままで走っていたのだ。ったく,恥ずかしい限りだが,レンタカー屋も,必要のないドアまで開けなくたっていいのに。もちろん,ドアを閉めてからは,再びブレーキを踏んでも何も言わなくなったことは言うまでもない。
さて,このあたりは平良市に当たるのだが,郊外ということで家は少ないし,失礼だが平屋建てのボロ屋が多い。それも,伝統の赤瓦で趣のある沖縄建築というわけでなく,コンクリとも木造とも分からない家ばかり。もっとも路地を入れば分からないが,通り端はそんな家々が少しと,大部分は青葉が高くそびえるさとうきび畑だ。
道はやがて池間方面と,砂山ビーチ方面に分かれる。先の女性従業員が,やたらと砂山の名前を言っていたのがみょーにひっかかり,砂山ビーチ方面に進路を取る。
車を進めること約5分。どんづまりにこじんまりとした砂の坂道があり,その前にちょっとしたスペースがある。車1台ほどが走れる道を進んでそこに車を停めようとすると,「ガタン!」という大きな音。コンクリの道は,スロープ状になっておらず,結構な落差でもってぷっつりとTHE ENDとなっていたのだ。車を降りて振り返ってみると,何のことはない。とば口に大きな駐車場があるではないか。それもこれも瀬底ビーチ(「沖縄標準旅」第3回参照)の道の感覚に似ていたせいだ。学習は時にして失敗を生むこともある。数度切り返しをして,再び「ガタン!」という大きな音を出した後,駐車場に。少なく見積もっても,車が1213台は停められる広さがある。

坂道は20mほどあるだろうか。砂の色が,かすかに色はついているが,日の光で限りなく白に近く見え,それが青空に映えて鮮やかである。それを囲むように,濃い緑の茂みがあり,黒い蝶がひらひらと飛んでいる。濃い緑は,モンパノキとかいうやつか。「この先に何が待っているのだろうか」と期待させるようなシチュエーションである。
そして,その坂を上りきると海……というわけではなく,今度は3040mほどの下り坂があってやっと海である。なるほど,「砂山」とはよく言ったものだが,結構な距離があるので,「小砂丘」と言ってもいいだろう。この頂上からの景色もよいが,やはり岸まで行かないと意味があるまい。向こうからは祖母・母・孫ということか,女性ばかり数人がこっちに向かって登ってくる。
ビーチは思いのほかこじんまりとしている。両端の幅は50mほどしかない。駐車場のわりには狭い海水浴場だと思う。左には天然の岩のトンネル。こっちは幅も高さも4〜5mといったところか。天井は崩落防止用のネットがかかっている。そしてその脇には,天然なのか人工なのか,防空壕のような洞穴もある。そして,海は…といえば,これはもう語るまでもないほどキレイだ。一応観光地なのだろうが,その狭さと,時期で人がいないおかげで,いささかプライベートビーチ感を持ってしまう。いい場所を見つけたものだと思うし,それを見越して先の女性従業員もここの場所をリピートしたのだろう……ってことはないか。
ふと,後ろを振り返る。砂浜に続く砂の坂道――なんだか,「ポカリスエット」のCMとかにマッチしそうな絵である。ちなみに「砂山ビーチ」「ロケ」「ポカリスエット」等で検索したら,サスペンスドラマのロケ地になったことはあるようだ。

次は,目的の池間島だ。しかし,出てくる標識には「西平安名崎(にしへんなざき)」という文字も並列されている。池間島はれっきとした離島であり,宮古島の北端は,この西平安名崎となる。この岬も捨てがたい。また一つ寄り道先が増えてしまった。
風景はさらに鄙びてきて,ほとんどがさとうきび畑である。単調な一本道がどこまでも続いていて,カーブや起伏は少ない。当然スピードが出る。前に地元の軽自動車が法定速度の40kmを遵守していようものならば,必ず追い抜く。もっとも,地元の車自体はあまり見ることがなく,「わ」ナンバーのほうが多くすれ違うくらいなのだが。
間もなくすると,「右・島尻(しまじり)」の標識。実は年末年始の沖縄旅行後,沖縄の写真集である三好和義氏撮影の『ニライカナイ神の住む楽園・沖縄』(小学館。以下『ニライカナイ』とする→「参考文献一覧」参照)を買った。そして,それがきっかけでまた今回沖縄に来ることになったのだが,ここ島尻の昔の農村風景――1970年代半ばの白黒写真――が何ともいいムードで,ぜひ寄ってみたく思ったのだ。先に池間や西平安名崎を見てから再び寄ろうと思う。
13時過ぎ,西平安名崎への道と池間島への道の分岐点。迷わず西平安名崎への道へ進む。日の高い晴れた海沿いを走るには,ロックがとても合う。MDに入れていたキャロルの『GOOD OLD ROCK'N'ROLL』の荒削りなサウンドなんざ最高である。
道は少しずつ狭くなってきて,左には海が間近まで迫ってくる。ちょっとした砂浜も見え,これこそプライベートビーチと言えようか。進むこと数分して,西平安名崎到着。車は自分1台だけだ。

西平安名崎は,ちょっとした遊歩道になっているが,観光地化はされていない。その証拠に,売店とかは一切ない。東西でいうならば,これから行くことになる東平安名崎のほうがガイドブックでは大きく取り上げられている。
海岸と反対側が展望台のような形になっており,登ってみるとこっちにも海が見える。考えてみりゃ岬なのだから当たり前だ。海の色は,手前が水色で向こうが濃い青と,これも定番だ。そしてその向こうには,これから渡る池間大橋と池間島。海の上にかかる池間大橋は,少し距離があるからなのか,陽射しの加減なのか,低くかかっているように見える。その橋が中央を山なりにアーチを描くさまは,一瞬,車の模型キッドを見ている錯覚を持つ。ひょいと持ち上げられそうだし,ツンと指でつついたら,あっさり崩れてしまいそうだし,チョロQか何かを勢いよく走らせてみたくもなる。
遊歩道を進むと,海岸側に車が数台。私はどうやら岬の手前に停めてしまったようだが,とりあえず進む。ふと右=東側に下りられる岩場があり,下りてみると釣り人が糸を垂らしている。より海に近づいてみると,水は砂のクリーム色をしている。さらに,その先は灯台があり,岩場があってTHE ENDとなる。岩場には草が生い茂っているが,手入れとは無縁の「生」のまま。風で倒れたと思しき倒木もそのままだ。こっちは遊歩道…というか,人が踏み入れるうちにそこだけ草が生えないで土が露出したような感じだ。突端まで進もうかと思ったが,やっぱり1時間のロスが後で響くと怖いので,とば口で引き返す。
と,そこには巨大な白いプロペラが4機。風力発電用のもので,2機がプロペラを大きく廻していた。なんとものどかなこの光景も,また私の気に入った景色の一つだ。

今度こそ,池間島である。池間大橋は,全長1425m1992年3月に完成したものと,「タウンガイド」に書いてある。遠くで見るのと違い,いざ橋を渡ると,結構な高さがあることが分かる。途中でタクシーを停めてガイドを受けている客もいるが,私は勢いよく,頂上に向かってスピードを上げていく。さらに「タウンガイド」には,海の色は午後が鮮やかと書いてある。先のサーウェストの女性従業員の発言は,このガイドによるものなのか。
ところで,橋がかかるその前には,当然渡し船があったのだが,『ニライカナイ』では,1975年当時の渡船の写真が収められている。まさか平成にも入ったらその写真のような感じではなかったのだろうが,30年も近く前なら,その写真の光景もすごく納得できそう。詳しくは,写真集を買ってご覧いただければと思う。あるいは三好和義氏のホームページや小学館のホームページに『ニライカナイ』のダイジェスト版(ただし,渡船の写真は出てこない)もあるので,興味を持たれた方はご参照あれ。
その肝心の池間島だが,南側に集落があって,グラスボートも出ているらしいが,今回は乗らずに通過。橋の際には土産物店に数件あり,車が十数台止まっていて盛況である。
車をそのまま進めること5分,島の北部には白い灯台があるが,朽ち果てていて人影がゼロ。一応敷地に入ると,裏は海に面していた。観光地化とはまったく無縁の世界だ。
灯台からは島を東に時計回りに回ることに。坂道が海に向かって下っていて,ドライブにはもってこいだ。流れてきたのは東京スカパラダイスオーケストラ「銀河と迷路」。こっちも,ジャンルはスカだが,小気味よいリズムに乗って車もスピードが上がる。そして気がついたら,島に入って15分であっさりと池間島1周を完了してしまった。
ここ池間島も,『ニライカナイ』に何カットか出てくるが,1本路地を入っていったら,あるいはそれらのいい景色の一つにでもめぐり会えたかもしれない。が,そうやって腰をすえて景色を見ようとするようになるまでには,私にはまだかなりの年数が必要なようだ。

再び来た道を戻り,今度は島尻へ。沖縄の集落に特徴の「共同店」があり,目の前には1日に1〜2本しか通過しないと思われるバス停もありと,そこがメインストリートのようで,家もかたまっているが,道は対向車とかろうじてすれ違える程度の狭さ。そしてごちゃごちゃしていて迷いそうだったので,とっとと集落を出ることにする。ここ島尻からは,大神島(おおがみしま)という財宝探しで有名な島に行く船が出ている。
集落を一歩外れると,再びさとうきび畑。「ニライカナイ」での島尻の写真の多くは,沖縄にならどこにでもありそうな,こういうさとうきび畑や海の景色と,必ず誰か人間が入っている。「ニライカナイ」のあとがきによれば,三好氏は高校1年のとき(1974年),2度目の沖縄旅行で宮古を訪れる。そして,ここ島尻でとある漁師と出会い,その漁師らとの触れ合いを通して生まれた写真が幸運にも二科展に入選。そこから本格的な写真家人生が始まったという。ここ島尻は,彼にとっては人生を決定付けた場所となるわけだ。年齢にしてこのときわずか15歳。以降,よくここ島尻を彼は訪れたようだ。
彼が「撮りたい」と思って撮ったその景色の場所は,多分彼でないと分からないのだろう。軽い興味だけで入っていった結果,私に返ってきたものは「何もないとこ」という印象だけ。そもそも「入ってみよう」と思ったことすら,間違いだったのかもしれない。無論,それは約30年経って変わったであろう時の流れのせいではない。何物にも変えがたい,彼とこの土地との不思議な「縁」なのだ。私にとっての「人生を決定付ける場所」というのは,果たしてこれから現れるのだろうか。それとも気づかないまますでに通過してしまっているのだろうか。後編につづく) 

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