宮古島の旅ファイナル

(1)プロローグ
宮古空港,10時45分到着。宮古島といえば,2003年に2度行ったときは,いずれもトラブルで2時間ほど遅れて到着する“鬼門”である(「宮古島の旅」前編「宮古島の旅アゲイン」前編参照)。もしかしたら今回も…という不安が,よぎらなかったらウソになるのであるが,無事定刻での到着にホッとする。空は雲がビッシリ覆っているが,所々の隙間から日差しが出ている。そして,機内から出れば冬支度の東京とは10℃は違う生ぬるい空気が漂ってくる。そして,一番気になっていたように,風はやはり強い感じである。

さて,本日はレンタカーにて宮古島を1周するのがメインであるが,そのレンタカーを借りる「サーウエスト宮古島」(以下「サーウエスト」とする)のスタッフをロビーで探すことに。このサーウエストには,2003年3月の“初宮古”のときに世話になったところだ(「宮古島の旅」前編)。2年半経ってまた同じところに頼むってのも,何だかミョーな気分だ。もっとも,向こうは私を覚えてなんかいないだろうが。
ところが…である。このサーウエストの看板とか紙を持った人間が,どこをどう探しても見当たらないのである。大手のレンタカー会社に混じって地元のそれの看板を持った人間を数人見たが,どこにもいない。外にも出てみたが,業者らしき姿はない。せっかく早めに出てきてはみたが,これではバカらしい限り。そうこうしているうちに,ゾロゾロと観光客が出てきている。一応,何かあったときのために,サーウエストの電話番号を控えていたのだが,こんな形で役に立つとは思わなかった。
「あの〜,今日予約している者ですが」
「あー,すいません。駐車場がないんですよ。かなり
混雑しちゃって……係の女性がいま行きますので,
もう少しお待ちくださいね〜」
「ただいま,電話に出ることができません」と,まるで肩透かしのような冷静な機械の女性の応答から転送されて出たのは,中年男性の声。なーんだ,そういうことか。ま,あわてて出てきたことが,むしろナンセンスなことだったのだ。とりあえず,ダッシュでトイレに行ってから戻ってくると,化粧っ気のない中性っぽい女性と,白髪混じりのヒゲ面の小さい男性がいた。あと,別の男性観光客も1名。ヒゲ面の男性は,サーウエストのホームページにも写真が載っているが,代表者の小宮くらげ氏だ。
声をかけると,「とりあえず,まだお客さんが来ますので,それまでこちらにご記入お願いします」と,書類を渡されていろいろと書かされる。この辺りは多分,前回と同じだったと思う。そして,書き終わって書類を渡してしばらく待つのかと思ったら,小宮氏が早速私を案内してくれることになった。おお,展開が早いぞ。感心,感心――って,この辺りの浅ましさが「観光客根性」なのか。
外に出て1周道路を渡ると,駐車場。「ほら,すごいでしょ。この車の数。今日はものすごく混んでてねぇ。どうしようもないんですよ」――早口の小宮氏。たしかに,それほど大きくないかもしれない空港の駐車場には,中古車展示場のようにビッシリと車が停められ,一部が…というか,もはやそうするしかできないかのように,通路にもかなり停められている。ふと,ホームページの写真ではヒゲ面でガッチリしたイメージを勝手に持っていた小宮氏が,166cmの私よりも小柄であることに気づき少し驚く。
車は日産のキューブ。数分歩いて,駐車場の隅っこにしっかり車庫に入って停められてあった。書類には「MD or カセット」と書かれてあったカーオーディオは「CD&カセット」であった。見ればメタリックなデザインで,いかにも最新鋭そうなカーオーディオだが,このご時世にまだカセット仕様があったんだって感じだ。一応,アダプターを持ってきていたので,こちらはOKである。小宮氏とともに車のキズチェックをして,サインする。
「またここに戻ってきてもらって,カギは前のボックス
の中に入れて,カギはかけないでください。で,戻っ
てきたら連絡くださいね」
「あ,電話入れるんですね?」
「そうです。お願いします」
なーるほど。これで2年半前の“謎”が解けた…って大げさか。前回も車を空港の駐車場に返したのだが,サーウエストの人間が誰もいない。周囲はすでに真っ暗で,大丈夫なのかと不安を覚えたのだが(「宮古島の旅」後編参照),なるほど返却をしたら電話を入れるべきだったのである。でも,たしか前回は間違いなくそんなことは言われなかったはずだ。だから,入れておけば「なお,よかった」という程度だろう。でも,そのとき書類に間違いなく「3500円」と書かれていた金額は,結局3000円のまま今まで「罪に問われなかった」のである。こちらの疑問は解消されないままだ。
「宮古は初めてですか?」
「いいえ…たしか2回目です」
「……あれ,前回もウチで借りたんでしたっけ? い
つですか?」
「2003年の3月」
「あ〜,書類捨てちゃった! 一応,2年間は取って
おくんですけどね〜」
なるほど。ちなみに,2003年7月にも一度伊良部島に行ったときに借りようとしたのだが,このときは満車で借りられなかったのだ。もっとも,結果的には伊良部島にレンタカー屋「シンセイレンタカー」があって,そこに予約。しかも,飛行機が2時間遅れてフェリーに載せられなかったかもしれないことを考えれば,このときは借りられなくて逆に助かったのだ(「宮古島の旅アゲイン」前編参照)。
「宮古はいい加減なドライバーが多いです。あそこの
入口から逆走してきますから。グルっと回ってこない
んですね」
これはたしか,2年半前にも言われたと思う。小宮氏が指した方向を見てみると,すぐ近くに駐車場からの出口があるようで,そこから車が続々と出ていくのが見える。一方,この駐車場への入口は,時計の反対回りに1周道路に入って,すぐ右手に入る形だったと思う。こちらの“正規のルート”に入らず,出口側のほうに間違って入り込む輩が多いということだろう。たしか,夜になるとえらく暗かったことを覚えているが,それでなおさらなのかもしれない。でも,それは運転者のマナーはもちろんだが,空港の照明やら交通の整備の問題もあるのではないか。
「あ,補償内容ですが,この間の台風で車両補償が
“時価額”になりました。あと,ノン・オペレーションチ
ャージはやめました。ちょっとキズつけただけで,す
ぐこのぐらいの額(レンタカー屋に返還した場合2万
円,しなかった場合5万円)になっちゃうから」
「この間の台風」というのは,多分2003年9月にやってきた台風14号のことだろう。このときは,宮古島を最大瞬間風速74.1mの超暴風が襲った。たしか,城辺町の小学校の体育館でガラスがすべて割れたとか,島中に壊滅的なダメージを与えたと記憶している――と,勝手に想定してしまったが,多分その台風で間違いあるまい。あの台風の爪痕がこうして今でも影響を与えているのだ。
もっとも,後者はどーゆーことかよく分からない。あんまりな“キズもの”を客に渡すわけに行かないから修理に出すわけで,その間に本来なら稼げるはずのロスをカバーするのがノン・オペレーションチャージのはず。「キズつけただけで数万かかるから」という理由は,結局自分で「借り主の責任も,すべて自分でかぶっちゃう」ことになるのではなかろうか…って,もしかして別の意味での発言かもしれないので,これ以上深く追求するのはやめようか。
「それじゃ,すいません。3000円になります」
あ,そういうことか。オフシーズンは一律で3000円なのだろう。勝手にそう思うことにした。でもって,前回の3500円というのは単なる書き間違いだったのである――それにしても,オフシーズンであるとはいえ,保険料だの税金だのが“込み”で3000円は破格である。例えば沖縄本島の大手レンタカー屋だったら,この倍は楽にかかるはずだ。
「今日はどちらに行かれます?」
「ええ〜,大神島のほうに」
「あ,それじゃあ…」
ということで,前回同様向こうから支給してくれるサーウエストオリジナルの地図にルートを書き込んでくれる。ちなみに,これまた前回の“初宮古”のときに勧められた「砂山ビーチ」と同じ道だった。県道78号線にあるガソリンスタンド「ENEOS」の角を右に曲がると,大神島行きの船が発着する島尻地区がある北部まで一直線である。
小宮氏と別れると,初めに開いていた後部の扉をチェックしておく。小宮氏が閉めてくれた感じだったが,前回走っていてガタガタ音がするので停めてみたら,思いっきり開いていたなんてことがあったから,念には念を入れたのだ。もちろん,今度はきっちり閉まっていた。当たり前だが。

(2)そこにあったもの
カーステレオにアダプターをセットし,黒沢薫氏の甘い声とハーモニカのメロディに乗せて,車はスタートする。時間は11時だ。大通りに出ると,ちょうど後ろからは日産レンタカーのワゴンが,たくさんの人を載せている。これからまとめて一気に営業所に送るのだろうか。だとしたら,ちょっと配慮が足りないな感じがする。貴重な時間をこの場所に使おうとしているのだから,数人ごとにピストン輸送してあげるのが,会社が追求するであろう「できるだけ一気に送りたい」という“効率性”と,観光客が追求する「できるだけ多くの時間を費やしたい」という気持ちの両方を最良に選択できる気がするからだ。
ENEOSの角で右折し,上述の言われた通りのルートを進んで住宅街を越えると,県道230号線。池間大橋を越えて池間島までつながっている道だ。そして,砂山ビーチ(「宮古島の旅」前編参照)への入口を通過すると,あっという間に周囲は「サトウキビ畑,左手向こうに海,そして上空に青空」という典型的沖縄の景色になる。その光景は,とても11月半ばには思えないぐらいに眩しい。
そんな場所に最近つきものなのが,オシャレなカフェだ。時間は11時過ぎ。朝もはよから松屋の「カレーギュウ」を食ってはいたが,すでにそれからは5時間半が経過している。そろそろ何かを“注入”したいところだが,すでに行きたい場所は決まっているので軒並み通過するだけだ。あらためて後述するが,その場所が道すがらにあることもあってか,サーウエストの小宮氏もその店を勧めてくれた。地元の人間が言うなら間違いあるまい。「うん,そこに行きます」と私も言ってきたところだ。
そんな中,軽自動車が立ちはだかる。対向車線にめったに車が来ることはないのだが,そーゆーときに限って「一応ある」って程度のカーブやら坂があるので,あっさりと抜き去るわけには行かない。どこで抜こうか思案しているうちに,なぜか差をつけられる。最後はどこかで抜いたと思うが,まったく,のどかな島で考えるレベルの実にバカらしい限りよ。
やがて,それなりの数の家がまた見えてきた。島の最北の集落である「狩俣(かりまた)集落」だ。売店や小中学校もある。ここを1分ほどで一気に越えると,再び茫洋とした景色になる。上空は少し曇天気味になってきた。そういや,ホンの一瞬だけパラパラッときた。そんな光景の中,古ぼけた白い平屋建ての建物が見える。ともすれば見逃してしまいそうなくらい,あるいはよく解釈すれば「景色の中に見事に溶け込んでいる」とも言えるだろうが,そんな建物が私の左手に見えた。外観がものすごく素っ気無くて単調だからだ。
その名前は「すむばり」という食堂。しかし,入口のドアには「準備中」の文字が……家から持参してきたガイドブック『アイランドガイド沖縄 3.宮古島』(以下『アイランドガイド』とする)によれば,たしか開店は10時からと書かれてあったはず。ただし,その脇には「不定休」の文字。うーん,ひょっとして今日は後者が適用となってしまったか。でも,よく見れば明かりがついているし,窓が所々網戸になっている。周囲はあまり民家らしきものはないが,いくら人の少ない田舎な地域だからといって,網戸のまま留守にすることもあるまい。あるいは,開店が遅れているのかもしれない――ま,この先にまだ見ておきたい場所があるので,そちらに行ってからまた戻ってみようか。
その先,間もなくすると三股に分かれる道がある。右に行けば池間大橋から池間島へ。真ん中を取れば狩俣漁港や「雪塩」で有名な製塩所,そして左は島の最北端の西平安名崎。いずれも,前回旅行で行っている場所だが,今回まずルートから外すのは真ん中のルート。別に製塩に興味はないという単純な理由からだが,そうすると「池間大橋&池間島」と「西平安名崎」の二つに絞られるが,結論からして両方とも行くことにするが,まずは「すむばり」での食事のことを考えて,距離が短い西平安名崎を選択することにしたい。
名前からして岬地形ということもあり,ただでさえ強い風の影響を受けやすいが,それを象徴するような場所にこれから行くことになる。いや「それを見ておきたかった」というべきかもしれない。道はあいかわらず狭かったり広かったりする。そして,数分走ると「西平安名崎」という看板と駐車場。その先にも行けそうな感じだが,とりあえずここに車を停める。
すると,「やっぱり今回もか…」って感じで,その先に向かって道路は伸びているし,駐車スペースもあるし,実際にレンタカーが停まっているし…って感じだった。まったく,2年半のブランクがあるとはいえ,早い話が「学習ができていない」ってことなのだろう。整備された通路を通って,モロに受ける風の強さともども,つくづく痛感する。風は思ったよりも冷たい。間違いなく20℃ぐらいはあるのだろうが,さすがに寒い東京から着てきたジャンパーはいらなくても,長袖の薄いセーターは,むしろ脱がないほうがちょうどいいくらいだった。
東に目をやると,岩場の向こうにチャプチャプする海。強風による高波の影響だろう。そして向こうには池間大橋が見える。「その橋が中央を山なりにアーチを描くさまは,一瞬,車の模型キッドを見ている錯覚を持つ。ひょいと持ち上げられそうだし,ツンと指でつついたら,あっさり崩れてしまいそうだし,チョロQか何かを勢いよく走らせてみたくもなる」と前回の旅行記に書いたので,それをそのまま使うことにする。そして,これは書きそびれていたが,「室蘭まで2420km,世田谷まで1900km」という看板があったことも付け加えておく。もっとも,なぜ二つの場所となったのかは,私には分からないが。
そこから突端を見ると,大きな岩場が続いていく。真の突端はその先になるわけだし,2人そちらで歩いている輩がいる。多分,レンタカーを置いている人間だろう。でも,こちらはあいかわらずの急ぎ足だ。メシを食う機会を一度フラレての訪問だから,どこか急いているのだろう。そして,さらに左に視線を“パーン”すれば,大きな島が見える。多分,前回は目に入らなかったと思うが,こちらは伊良部島だ。牧山展望台らしきものが見える(「宮古島の旅アゲイン」前編中編参照)。

そして,来た道の方向を振り返ると,そこに見えるのは風車……の支柱が1基だけである。前回の旅行記では「巨大な白いプロペラが4機。風力発電用のもので,2機がプロペラを大きく廻していた」とあるから,私の記憶では前回間違いなく風車を見たはずだが,それが今回はないのだ。しかも,3基までが完全にないというのは,ある意味“劇的な変わりよう”である。
それというのも,上記2003年9月の台風14号による超暴風で,無残にも破壊されてしまったためである。「美ら島物語」のホームページには,このときの残骸が写真に収められているが,近づいてあらためて見てみると,まあ当然かもしれないが,それらしき残骸はなかった。
もちろん,チャチなものではなくて支柱の高さからして20mほどはありそうだし,羽があればなお大きいはずだが,そんな巨大な建造物のすべてをなぎ倒していったわけだ。
あらためて自然の猛威を思い知るわけだが,それらしきものを書き表した看板は,一切この場所にはない。だから,初めて来た人間は「何じゃ,ありゃ?」で終わってしまうかもしれない。ま,あるいはガイドブックで調べれば台風で破壊されたことぐらいは書かれているかもしれないし,この破壊された状況を観光スポットとして売るのは,さすがにバカらしいっちゃバカらしいだろう。でも,何よりも面白いのは「あるがままに,いまだ2年経っても支柱だけが残っている」点だ。
普通の感覚からすれば,すべてを撤去するか,改めて何基か建造するだろう。単なるオブジェではなくて,風力発電だとか「何かを機能させる」ために作ったものに間違いないだろうから。現実的に「撤去費用が払えない」という状況があるのかないのかは分からないし,もしそうだと仮定して,その撤去ができないのならば,ましてや一から作れなどするわけがないのだろうが,にもかかわらず,この状況にいまだ「最終的な結論」を出していないのだ――これって,何だかいかにも沖縄らしい“テーゲーさ”ではないか。ま,これが例えば「生命維持装置」だとしたら,いくら沖縄でも呑気なことは言っていないだろうが,「別に自分らの生活に直結しているわけじゃないし〜」ってところが,とりあえずの「いまのところの結論」というオチになるのではないだろうか。
そんな場所を後にするが,その前に飲み物を買う。車が通らない道路をはさんで反対側駐車側にある自販機で,サンピン茶のボタンを押したはずだが,出てきたのはどーゆーわけか,リプトンのレモンティー500ml缶。間違えた押した記憶はないのだが,沖縄に来てまで出てきたものが違うのを怒る理由が湧いてこない。その戻り際,路上になぜかいたムツゴロウのような生き物にビビりつつ,これまたなぜかドアについたドリンクホルダーに差し込んで出発する。
間もなく,“プライベートビーチ”と称するのがシケてしまうくらい,誰もいないサンゴの欠片に覆われた砂浜の前を通ったので,思わず足が停まる。両端は50mほどだろう。近くにリーフがないのか,波ははっきりした形で砂浜に打ち寄せてくる。沖は白波がこれまたはっきりと立っているが,なぜか1艘の小船が行き来していた。海には素人な私だが,大丈夫なのだろうかと余計な心配をしてしまう。

再び「すむばり」に戻ると,店のドアの前に車が3台停まっている。「ということは…」と思って近づくと,やっぱりプレートは「営業中」となっている。あきらめないで正解だった。多分,路駐している車に便乗しても何も言われないだろうが,建物の裏手に10台は楽に車が停められる空地があるので,そこに停める。路面は石が露出してゴツゴツした感じで,入るのに少し難儀したが何とか入る。車を動かしているときに,店で飼っている白い犬がこちらを凝視していた。
店の中に入ると,すぐ左手に白いプラスチックのイスとテーブルのセットが3基あり,あとは上がりの畳に10基のテーブル。中年の男性が1人で食べていた以外は,観光客らしき20代のカップルと3人組。カップルは,もしかしたら西平安名崎にいたヤツらではないのか。建物の素っ気無さのわりには広い造りである。奥の右手に厨房があり,左にはこれまた上がりの座敷がある感じである。何となく入口そばの上がりの席に座ることにする。
ちょうど,来ている客の注文をさばいている感じで,「いらっしゃいませ」の声からなかなか人が出てこなかったが,1分ほどして若い女性が冷たいサンピン茶をプラスチックのポットとともに持ってきた。間髪入れずに注文を入れたのは「タコ丼」650円。この店はタコ料理が美味い店として,いろんなガイドブックに紹介されている。そして,「この外観に似つかわしくない」というのは失礼かもしれないが,立派なホームページもあったりする。
外からはボチボチとだが,人が入ってきていた。見たところは地元の女性だろうか。厨房側の畳席に入っていって笑い声が聞こえた。そして,こちらは強い風が網戸から吹き込んできていた。前に座ってそばを食べていた男性の箸袋が吹き飛ぶ。そんな中,続々と客の頼んだものが出てくる。フラッシュが焚かれて軽い笑い声。3人組の中の男性が,すかさずデジカメで写真を撮っていたのだ。
6人分あるから少し時間がかかるのか思いきや,他の客が頼んだものと一緒に,10分もしないでタコ丼は出てきた。直径15〜16cm×深さ8cmほどの丼の中,タマネギ・キャベツ・にんじんに肉代わりのタコを卵でとじたものが,ごはんの上に乗っている。東京基準で言えば「親子丼のタコバージョン」,沖縄基準で言えば「チャンポンのタコバージョン」だろう。味は大体想像できるだろうが,タコの柔かさがピカイチだった。これに味噌汁とキムチ味の大根の漬物がついた。
ま,男性にとってはやや物足りない量だと思うが,カレーギュウを食っていた私には「カロリー的にはちょうどいい」であろう。ちなみに,サーウエストでもらった『宮古島タウンガイド』には「パンプキンシチュー」が最近の名物とあったが,その存在にに気づいたのはメシを食べた帰り際だった。あらかじめ気づいていれば,単品でシチューくらいは頼めたかもしれない。そそくさと食べ終わって,結局は最後に店に入った私が最初に店を出る形となった。別に自慢するほどのことではないが。
さて,時間は12時となった。大神島に向かう船が出るのは,この狩俣より南東にある島尻集落。船の出る時刻は13時。まっすぐ行けば10分とかからずに行けるだろうが,島尻港で虚しく待つのが惜しいし,もしかしたらこの高波で船が出ないかもしれないし……いずれにせよ,このまま素直に島尻港に向かうのはもったいないので,先に池間島に向かう。
その池間島に渡る池間大橋の下は,そこだけ絵の具を流し込んだように美しいエメラルドブルーをしていた。どこかで「この橋を歩いて渡らないともったいない」というフレーズを見た記憶があり,できることならば歩いて渡りたいところだったが,今度もまた急ぎ旅。徒歩の20倍ほどのスピードで素早く通過する哀しさよ。「でも,風が強くて車でもかなり煽られたから,歩きだったらどんな目になっただろうか?」と,あえて自分の都合の悪さに目をつぶっておく。
前回は橋を渡ってから島を1周していったが,今回は橋のたもとにある集落をグルグル回ってみることにする。「管理人のひとりごと」Part54で紹介したNHKの「池間親子ラジオ社」の番組で,澄み切った青空の下に移るこじんまりとした集落の光景が,何とも美しく見えたからだ。もっとも,“ラジオ局”がある民家まで探しているヒマは間違いなくないだろうから,とりあえず,池間小・中学校のところで曲がってテキトーにウロウロしてみる。
集落を概観すると,古くて平屋建ての小さい建物が密集していて,所々に琉球石灰岩の石垣が見える――以上。ちらほらと人とすれ違ったが,静かな集落という感じだった。ホントは歩いて見たかったぐらいだが,いかんせん哀しき急ぎ足。グルグルと回って海岸沿いに出ると,一旦車を停める。この強風でもしかしたら大神島行きの船が欠航になるかもしれない。それを知らずに行って,またここ池間に戻ってくるというのもバカらしいから,これたまあらかじめチェックしていた船舶の運航会社・大神海運に電話を入れようと思ったのだ。出たのは中年の人のよさそうな雰囲気の男性だった。
「すいません。今日は船舶は動きますか?」
「はい,今日は全便出る予定です」
へ〜,出るんだ〜って感じではあるが,なるほど,そうとあらばあまりこの島でウロウロしていられない。最近では「ラサ・コスミカ ツーリストホーム」なんて地中海っぽい雰囲気の建物のホテルもできたようだし,あらためてまた来てみて,集落の細かなところを見てみるのもいいかもしれない。今回もまた橋のたもとにある売店以外はついに島の土を踏むことなく,後にすることになった。
で,橋のたもとにある売店は,「なぜ,ここだけ人が集まるの?」と人のことを言えないのに聞きたくなるぐらいに,レンタカーがたくさん吸い寄せられていた。線で仕切られたスペースにはすべて車が入っていたので,公衆トイレそばのわずかなスペースに停めて,ダッシュで目の前にあった売店「池間島特産品店」に入り込んだ。停めたそばには「正しく入れられている」車がいる。私の車は,言ってみればその車をふさぐ格好で停めている。戻って来られる前に出ておかなくてはならない。
この売店でぜひとも買いたかった…というか,別にここじゃなくてもよかったのかもしれないが,買ったものは「かつおみそ」という食べ物。ここ池間島は,カツオ漁で有名な島。沖で獲れたカツオは刺身に加えて,さまざまな加工物にもなるわけだが,これもその一つだ。いわゆる“ナマリ”になったものを砕いて炒め,味噌と砂糖で練り上げたものだという。ちなみに,ナマリのままでも売られていて,それには「かつおくん」なんて名前がつけられている。
さて,肝心のブツは,直径12〜13cm×高さ3cmほどのプラスチックの器にたんまりと入って売られていた。500円。“味噌”というからには赤茶色にテカっていて,いかにも甘い味噌って感じがする見た目だ。おにぎりの具や酒のつまみなんかに適しているという。沖縄でよく食される「油味噌」の一例とも言えようか。メーカーがいくつもあるのかどうかは分からないが,パッケージにはプランドのラベルも,賞味期限のそれすらも貼られていない,ホントに素朴な器だけのものだった。とっとと買って,とっととずらかる。時間にして1分もなかったかもしれない。
早速,家に帰って食べてみたら,なるほど甘味噌の味がした。しょっぱいもの好きの私にとっては,塩気がやや足りないと思って,しょうゆをかけてほどよくしょっぱくしてから単独で食べると,これがなかなかクセになる味となった。結局,そのまま1日ですべてを平らげてしまったが,ふと鼻腔からは“ナマリ”の呼び名よろしく,エンピツの芯を舐めたような何とも言えないビミョーな味が,何度も抜けていくことになったのであった。(中編につづく)

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