沖縄はじっこ旅W

(3)いざ北大東島へ
@そんなバカな
空港に向かう国道329号線バイパス。運ちゃんはどーゆーわけか,停まるたびにギアをローギアにして,ある一定のテンポでセカンド→ドライブへと上げていく。あるいはサイドブレーキを引いたりして,そのたびに“ガツガツ”と音がする。見たところ結構年配の運ちゃんだったが,よほど“マニュアルのころ”が恋しいのか――でもって,数回こちらに道のりを聞いてきた。テキトーに相槌を打っておいたが,どっかマニアックな目的地ならばともかく,空港ぐらいはどんな運ちゃんでも行ったことがあるだろう。まして,すでに大通りに出ているのだし,道のりくらい勝手にそっちでセレクトしてほしいものだ。
そんなことをしているうちに,「ジャスコ△※□…」などど言って,車は那覇大橋でもって左折。奥武山公園や小禄方面に進み出した。はて,このまままっすぐ行って,公文書館に行くときと同じルート(第1回参照)を戻ればいいのにと思ったが,結局はいつも私がレンタカーを借りたときに走るルートでもって,南側の赤嶺地区から空港に入っていった。値段は2010円。タクシーは近道を行くのが“使命”だと思うのだが,この道は運ちゃんのなせる近道だったのか。はたまた“人任せ”にした結果なのか。

時間は13時半。ちょうどいい時間だろう。とりあえず,北大東島行きの飛行機会社であるRACのカウンターに行くと,JALグループの航空券発売窓口でチケットを出してもらうように言われる。距離にして100m近く離れているか。そこでチケットを出し,改めてRACのカウンターで搭乗手続をするのである。私はいつもチケットレスで買っているのだが,せっかく設けられている機械でチケットを出せないばかりか,こうして行き来を余儀なくされるのは,どうにも不便でならない。
ま,とりあえずチケットを出してもらうべく,窓口に進む。女性が私のクレジットカードでもって端末を操作する。すると,
「えーと,那覇から北大東までと……帰りは南大東
から那覇でしょうか?」
「あ,はい。その間に北大東から南大東まで行きま
す」
「今日の目的地はどちらですか?」
「北大東島です」
「北大東から南大東は……船でしょうか?」
「いや,飛行機です。一緒に予約を入れてます」
「あ,はい……そうなるとですね,北大東島と那覇
との往復運賃だけで足りるんですが,お客様は北
大東と南大東との間が余計に買っていることにな
ります。その分を今から払い戻すことになりますの
で,少々お待ちください」
ここで少し説明を入れよう。これから私が行くルートは「那覇―北大東―那覇」である。北大東島にしか行かないから,当然こういう考えになる。しかし,今日は北大東への直行便はあっても,明日日曜日の帰りの便は直行便がなく,南大東島を経由することになる。すなわち「北大東―南大東―那覇」というルートになる――ちなみに,曜日・時期によっては,ルートが南大東島経由北大東島行きになることもある。また,南大東島へは単独で往復1便が運航されている。ただし,午前中に南大東島に行ってそのまま帰ってくるというヤツだから,純粋に2区間だけでの往復は実質不可能と言えよう。とはいえ,そんな不便さがあっても純粋な往復便があるというのは,やっぱり南大東島が北大東島よりもデカくて“キー”になる島だからであろう。
話を戻そう。今回チケットをホームページで買うに当たって,ホントならばすべての便を一気に予約したかった。しかし,一度に予約できるのは2便までである。ということで,まずは「那覇―北大東」を選択。そして“乗り継ぎ便”として選択したのは「南大東―那覇」だった。この二つで一つの予約番号にしたのだ。その理由は「長いルート同士でペアにしたほうがいい」という,それだけのものだった。でもって,間を結ぶ「北大東―南大東」は別個に買うことにしたのだ。しかも,純粋な往復だと4万円近くかかる中,“早割り21”というヤツを買えた。それだけに「喜びもひとしお」である――で,私は今回,これらをまとめて窓口で出してもらおうというわけである。
とはいえ,ホントのことを話してしまうが,実はこれは最初から分かっていたことだ。というのも,私は2年前の9月に南大東島に行っているのだ。詳細は「沖縄・遺産をめぐる旅」第3回第4回を参照いただきたいが,そのときに同じことを経験していて,やはり「南大東―北大東」間の払い戻しをしてもらっている。ただし,窓口で時間がかかったため,走って空港内を移動してギリギリで南大東島行き飛行機の連絡バスに乗り込んだという“ホロ苦い経験”をした。だから,何度か書いているように「1時間前に着かなくてはならなかった」のだ。そして,今回もその払い戻しを期待したのだ。
こう書くと,わざとそうしているかのようにとらわれてしまうだろう。でも,あえて苦言を呈せばJALグループのホームページの予約システム上の問題だと思うのだ。さらに言えば,そういう航空ルートにしていることも問題なのではないか……ま,後者はさておき,前者は例えば「石垣―東京」と入力して検索すると,直行便のスタイルで2便出てくる。しかし,うち1便は「石垣―宮古―東京」と,宮古島経由なのである。当然,使用する機材はすべて同じなのであるが,「石垣―東京」「石垣―宮古」「宮古―石垣」の三つとも予約が可能なのである。
これをどうして,大東島方面の便にも適用しないのか。すなわち,実際は南大東島を経由することになったとしても,「那覇―北大東(あるいは南大東)―那覇」という単純な買い方をできるようにどうしてしないのか,ということだ。石垣便はJTA,大東島はRAC。片やメジャーな島に行く150人乗りの飛行機,片や39人乗りの絶海の孤島――こういった差が予約システム上の差として出ている……ま,私がJALのそういうシステムを作る人であっても,その辺は分けて考えるかもしれないけど,でも,こういうケースは今後起こらないとも限らないから,ぜひとも検討してほしいものである。

――と,ここまで書いたところで「どーして,そんな批判めいたことを書くんだ?」と思われた方は,実に鋭い。なぜかといえば,今回私の「北大東―南大東」のチケットは払い戻しができなかったからだ。応対した女性に言われたのは,
@今日(5/21)の便として「那覇―北大東」を一つの予約番号で購入
A明日(5/22)の便として「北大東―南大東」「南大東―那覇」を一つの予約番号として購入
としておれば問題がなかったそうだが,私の場合はそういう買い方をしなかったので,払い戻しができないということだった……いや,厳密に言えば払い戻しはできるのだそうだが,今回「早割り21」で買っているから,1回すべてを“チャラ”にしてから改めて購入するとなると,往復運賃で買うことになるから,かえって高くついてしまうというのである。
とはいえ,(たとえ確信があったとしても)払い戻しを期待している人間には納得ができないものだ。もちろん,ホントに知らなかった人はなおさらであろう。すかさず私も,「それはそちらの予約システムの問題なのでは?」と切り返した。その言葉の前にはご丁寧に「今度買うときは,そういう買い方(上述の@Aのこと)で買ってください」とか,「そちらで買われたのだから仕方がない」と言われる始末だったから,なおさら頭に来たのだ。
向こうが,あるいは私が同じことを2年前に経験していたことまで掴んだかどうかは分からない。もちろん,私もそのことは言っていない。ま,結論から言えば私に非がないといえばウソになるのだ。ましてや,2年前に同様のことを経験していることを話したら,なおさらこちらが不利になることぐらいは,アホな私でも分かることである……ここはやむなく,引き下がることにした。
とはいえ,これだけ言わせてもらえれば,ホントに悪気があったのではなくて,「払い戻しができることを知っているから,今回も大丈夫だろ」くらいの“軽い気持ち”だったのである。ま,今回は予約をした時点ですぐに購入したわけではなかったし,購入前にJALに電話をして確認をすればよかったと言えるのだから,これを怠った点で私に非があることは認めなくてはならないだろうとは思う――後日,この辺りの経緯を,念のためJALのホームページ経由で「ご意見」としてメールを送ったところ,こんな内容の返事が返ってきたことを申し添えよう(原文ママ)。
平素は当社便をご愛顧賜わり心よりお礼申し上げます。大東路線の予約について,ご意見を頂戴し恐縮でございます。また,空港係員の不十分なご説明で,不快な思いをお掛け致しました事を,お詫び申し上げます。
北大東島と那覇を結ぶ路線では,直行便は曜日運航となっておりますが,運賃は,南大東を同日で経由する場合は,北大東ー那覇の直行運賃を利用する事ができます。その際は,インターネットからの予約は不可となり,予約案内にてのご予約となることを,ご案内させて頂いておりますが(予約案内・運賃案内の画面にて),ご予約について疑問や不明な点がある際は,国内線予約案内へ一度お問い合わせ頂く事をお勧めいたします。
また,石垣―羽田線と同様の表示とならないものかとのご意見でございますが貴重なご意見として承り,より利用しやすいものとなるよう努力して参りますのでどうぞ,この度は,ご了承下さいますようお願い申し上げます」
ちなみに,「予約案内にてのご予約となることを,ご案内させて頂いておりますが(予約案内・運賃案内の画面にて)」とあったが,これは初耳であった。後日調べたら,以下のような操作でその情報は出ていた。ま,かなり分かりにくいとは思うけど……。
@「北大東―那覇」で検索をすると「直行便はありません。“乗り継ぎ便”案内で表示します」と表示。
A右下に「乗り継ぎ便」のところをクリック
B乗り継ぎ便の2本(「北大東―南大東」「南大東―那覇」)の表示の右上に「このページのご利用案内」とあり,ここをクリック
C「国内線予約に関するご利用案内」というページが表示され,その中に「
琉球エアコミューター(RAC)にて那覇=南大東間,又は北大東間を同日のお乗り継ぎで直行運賃をご利用の場合,JALホームページ予約サービスでのご予約・各種チケットレスサービスのご利用はできません。ご希望の場合は,JAL国内線予約までお申込みください」と出てくる
――話を戻そう。とりあえず気を取り直して,再びRACの窓口でチケットを渡すことになる。搭乗手続なのだから,「那覇―北大東」のチケットだけ渡せばいいのに,3区間すべて渡してしまっていて帰りの2便分を“はんなりと”って感じで戻されたときは,つくづく先ほどから興奮しているのだなと実感した。とはいえ,済んだことは済んだこと。落ちつきを取り戻さなくてはならない。旅は続くのである。しかし,ここでまたもこんな逆撫でさせられるやりとりが。応対したのはかなり若い女性だっただろうか。声がどことなく幼さを残している感じがしたからだ。
「5列目の通路側を指定させていただきます」
おいおい,客の要望も聞かずに勝手に指定するなよ。こんな応対しかできんのか,JALグループは。昨今の不祥事のせいで,現場がこんなにもモラールダウンしてしまったのか……そんなことはさておき,再びアタマに血が昇りかけているのを必死に抑えつつ,
「窓側は空いていないんですか?」
と返す。「窓側がよろしいんですか?」と聞かれたので,「そうだよ。それを最初に聞くのが筋だろ」と言いたいのを必死に抑えていると,彼女から返ってきたのはこんな答えだった。
「3のAという席が空いているんですが,こちらは車
椅子の方が来た場合の座席になっていまして……」
「それじゃあ,車椅子の人が来なかったら,そちらに
移ってもいいんですか?」
「それは……」
答えにやや窮したのか,はたまた面倒くさくなったのか分からないが,しばらくの沈黙があった後で,
「それでは,こちらの3Aにして,もしいらっしゃったら
代わっていただくということでよろしいですか?」
と言ってきた。早い者勝ちとはいえ,払い戻しが叶わなかった上に通路側で1時間も“我慢”させられては,ある程度自業自得といえど,たまったものではない。とりあえず,その「3A」という座席に指定をしてもらった――うーん,こういう場合はまず座席の要望を聞くのが筋であって,もし障害者用の指定席しか空いていなかったら,「とりあえず押さえますが,障害者の方が来られたら別の座席に移っていただくことになりますが,よろしいですか?」と話を持っていくのが,客を納得させる最前の方法ではないのだろうか。しかも,障害者が乗るんだったら,前もって予約時にその旨が知らされるんじゃないのか?――そう言いたかったが,まあ座席が取れたのでよしとしよう。
ちなみにその直後,隣の窓口で「あいにく,窓側はふさがってしまいました……」という会話が聞こえたのだ。客は私と同世代かやや上くらいの女性だった。ということは,彼女には座席の要望を聞いていた可能性があるのだ。ホントのところは分からないにしろ,危うくもう少しで窓側を“ヘンな理由”で取られるところだったのは事実である。まったく,この20分は「人生で不愉快な20分」の“ナンバー1”になりそうなくらい不愉快だった。もちろん,自分のせいもあるのではあるが。

離島行きの搭乗口に行く。粟国島に行ったとき(「前線と台風のあいだ」参照)も南大東島に行ったとき(「沖縄・遺産をめぐる旅」第3回第4回参照)も,ここからバスに乗って飛行機のところまで行ったのだ。そして今回は,窓口でもたついたおかげ(?)なのか,着いて数分でバスに乗ることになった。トイレで用を足してわずか後のことだった。
ポツポツとバスに乗ってくる客。手にいくつもの荷物を持って,この辺のノンビリさ加減はあいかわらずだ……しかし,数分経つと車内は満席になり,立つ客も出てきた。全員が乗り終わるまでは10分ほどかかっただろうか。14時27分,出発の3分前になってようやくバスが出た。バスに乗り込んだ女性係員に向かって「39人です」と言う別の女性係員。おお,満員じゃないか。乗り込んだ女性が手に持っていた紙には「PAX38/INF1」と書いてある。INF=infant,すなわち幼児なわけだが,なるほど母親にだっこされた小さい女の子が乗り込んでいた。
39人乗りの飛行機が満席になったのは,私は初めての経験だ。大抵は半分程度か,よくて7割程度の埋まり具合だったりするのだが,今回はビッシリと入っている。そして,肝心の私の隣に座ったのは……あ,さっきギリギリで窓側を取れなかったあの女性だ。もちろん,彼女はごくフツーの健常者の女性だ。年寄りは数人いたけれど,いずれも別に車椅子にも乗らずフツーに乗り込んでいた。
ほーら,どこに障害者が乗ってるんだよ,どこに。結局,この便に障害者はだれ1人乗らなかったではないか。これ,他の座席になったらば相当,はたまた彼女と座席が逆だったらばなおさら,フラストレーションが溜まったことだろう。だって,障害者指定の座席に座ったのは,何でもない健常者なのだから。そして彼女だって,多分私と同様の条件を言われたであろうから。

Aおじゃりやれ,北大東島
那覇での離陸から1時間,見たことのある島影が見えた。角丸の四角形っぽい島,茶色と緑の貼り絵のような大地――これは南大東島だ。そして海岸のコバルトブルーが美しかった。その上を旋回して北上すると,間もなく水滴のような格好をした島が見えた。これが北大東島だ。飛行場は,その東端に見えるコンクリートの帯がそれである。15時40分,予定通りの着陸だ。白地に「北大東空港」と書かれた2階建てのちっちゃなターミナルは,2年前に上陸したときに変わっていない。もっとも,昔はこれが平屋で潮にさらされて朽ちたような建物であったに違いないだろうが。
滑走路の端から足早に建物の中を通過すると,ロータリーの向かって左端にマイクロバスを発見。今日泊まる予定の「うふあがり島ハマユウ荘」(以下「ハマユウ荘」とする)と書かれているバスだ。電話予約をしたところ,「空港を出たところにマイクロバスがいるので,それに乗ってください」とのことだった。運転手らしき人もなく静かだが,多分ターミナルで人を迎えているのか。
数分すると,初老の女性が乗ってきた。それから間もなくして,どうやら宿の人間らしい中年の女性がやってきた。すると,私に向かって
「“阪急ツアーズ”の方ですか?」
とのこと。「いいえ,違います」と返すと,私の名前とは違う名前を聞いてきた。
「あ,すいませーん。こちらはツアーの方の乗られる
バスなんです。今日これから観光をされる方たちの
バスなんです。あちらのほうに移動していただけま
すでしょうか?」
彼女にそう言われ,バスを降りる。こーゆーところは“あいかわらず”って感じだ。向こうの不案内が8割,そして私の勇み足が2割といったところだが,沖縄に来るとすべては“テーゲー”で片づけられてしまうのが不思議だ。そして,そのまま別の中年女性に引き渡される。女優の左時枝氏に似た朗らかな女性だった。今度はさっきのところとは逆の右端にあった,真新しい白のワゴンに案内された。こちらも同様にハマユウ荘の名前が書いてあった。彼女と2人で乗り込む。
さて,乗り込んですぐ出発すると思いきや,なかなか閉まらない後方のドア。これって,自動ドアじゃないのか。そう思っていると「閉めてください」と言われる。ま,いいかって感じでドアの取っ手に手を掛けて引っ張ると,私の力とは“別の作用”が働いて,私だったら豪快に“バーン”と行っていたところ,丁寧にドアが閉まりガチャッとロックされた。なーんだ,やっぱり自動ドアじゃねーか。
「すいませーん,今日乗るのが初めてなもんでー。ハハハハハー」だと。こうやって明るく笑って済まされると,これまた“テーゲー”な雰囲気が生まれてしまうのが摩訶不思議だ。でも,なるほどどおりで真新しいはずだ。最近,この島に“上陸”したものだろう。とりあえず出発…する前に,彼女はさっきの女性に,さすがに「これって,自動ドアどうやって閉めるのー?」と聞いていた。でも,実に明るい。運転席の左下あたりにレバーがあるようで,その辺りを指差されていた。
「これだったら,前(助手席)に乗ったほうがよかっ
たですかねー?」
「うーん,そうですねー。ハハハハハー」

ワゴンは両端で100mもない小さいロータリーを抜けると,畑地の中をのんびりと走っていく。見える光景は,どことなく大陸の中に入り込んだような感じがした。はたまた数千分の1のジオラマの中に入り込んだ錯覚も覚える。改めて後述しようと思うが,南北大東島ともに島の端のほうが高く,真ん中が低いという盆地を形成している。だから,遠くを見渡すと緑しか見えないのである。
そんな中,「今日は観光ですかー?」なんて話しかけられた。別に鬱陶しいわけでもないから,こちらもテキトーに相槌を打っておくと,どんどん島のことを話してくれる。そして間もなく,右手に人工の溜池が見えてきた。そこから茶色っぽいホースが畑地の細部まで放射状に延びているが,畑地にこうして水を供給している。そんなような説明を早速受けた。こういうのが島のあちこちにあって,また造成途中のものも見かけた。
その畑地で作られているものというと,何といってもまずはサトウキビなのであるが,すべて機械でもって1月から3月にかけて,一気に刈り取ってしまっているそうだ。
「あのー,いわゆる離島だと,よく“援農隊”とかいう,
外から手伝いが来るって聞きますけど,そういうのは
来ないんですか?」
「ええ,すべて機械が…ハーベスターがやりますから,
その必要はないんですねー。畑も機械が入り込める
ように作られていますからー」
さらに話は続く。実におしゃべり好きのオバちゃんだから,ポンポンといろんなことが分かっていく。そのサトウキビだけでは,まずメシは食っていけないという。そして,畑地を3月から休耕にしておくのも当然だがもったいない。ということで,現在はジャガイモの栽培,あるいはカボチャや冬瓜も植えられている。いわゆる“二毛作”である。なるほど,現在の周囲を見渡せば,背丈よりも高い枝葉はなくって,みな地面に根をおろした葉っぱばかりが多い。
そういや,ジャガイモというと,旅行に行く前に北大東村のホームページを見ていたら,名産として「ジャガイモパン」というのがあった。明日の昼飯に食べられたら面白そうなんて思っていた。また,掲示板には「今年のジャガイモの販売がどうこう…」というのもあったと思う。
「そういえば,ここには“ジャガイモパン”なんてのがあ
るって聞いたんですけど」
「それならJAに売ってますよー。明日はパン屋が休み
で,今日は5時までですから……これから寄っていき
ましょうねー」
――ということで,JAにちとばかり寄り道をすることに決定。こーゆー突然の“ハプニング”が生まれるのも,沖縄ならでは…というか,厳密には「人がそれほど訪れない離島での1人旅ならでは」というべきか。そりゃ,誰か別の客がいたら,私の都合のみで寄り道してもらうわけにはいかないしなー。
車はいよいよ村のメインストリートに入った。その入口にある製糖工場は「北大東製糖」。1958年の創設。オバちゃんいわく「新しい機械が導入された」とのことだが,あらためて確認したら,制御システムでもって衛生的で高品質な糖蜜ができるようになっている。すでにサトウキビは収穫済みなので,工場は当然ながら現在は稼動していない。言わずもがなだが,1年中稼動していたら“いろいろコスト”がかかるからである。ちなみに,ここは製糖だけでなく,島の生活物資を届ける港湾荷役,島内交通に欠かせない石油製品の販売なども手がけている。
そのうち,左手には大東神社が見えた。入口には白い鳥居があった。森の中に階段が上に向かって延びているのが見えた。神社というからには,やはり本土――というか,厳密には八丈島だが――の影響を受けているのだろう。後述しようと思うが(注・第5回参照),これは玉置商会という会社が建てたものである。元々は,これから行くハマユウ荘の裏手にある「黄金山」という山に建てたそうだが,後にこの場所に移築している。神社では,年1回村を挙げての祭りが執り行われるという。
そして,今度は右手には真新しい建物。北大東村役場だ。オバちゃんいわく,昨年改築したそうだ。ちなみに,村のホームページには旧役場の建物の写真があるが,古ぼけてところどころ錆びついたような2階建ての建物だ。これまた後述していこうと思うが,1946年になってようやく,この島は自治体となることができた(注・第7回参照)。今年はその自治体となって60年目。その向かいには北大東小・中学校。掲示板にも書かれてあったが,ここもまた真新しい建物になって,昨日(5/20)は竣工式が行われたという。いま北大東村は“改築ラッシュ”なのかもしれない。
その小・中学校の角には島で唯一の信号があった。交差するほうにも信号があり,しかも歩行者用もある。ま,お互いに片道1車線とはいえしっかりした道同士だし,子どもの教育の観点なんかからしても,置かれるべくして置かれた信号であろう。もっとも,待ち合わせている車なんざ1台もいなかったが……そして,小・中学校の前にあるのがJAだ。ここで一旦降りることになる。オバちゃん,今度は自動ドアをきっちり開けてくれた。「自分の(所有車)じゃないから慣れなくって……この間ぶつけちゃった。ハハハハー」と駐車しがてら。さっき初めてだと言っていたが,正確なところは,この新しいワゴンでの出迎えが初めてで,私はそのワゴンでの“第1号の客”ということだ。
平屋建ての白い建物に入ると,ATMがある。そして右にある自動ドアを開けると,大きめのコンビニって感じの店内となる。入ってすぐ右側に“パン屋”ってほどではないが,パンが置かれているコーナーがあった(一応,ホームページでは「JAパン工房」と謳っている)。早速,ジャガイモパンを見つけようとしたが,残念ながらジャガイモパンはなかった。ちなみに,沖縄らしい“田芋パン”なんてのがあったりする。その他いずれも105円。これらは当然だが,地元で生産されたものだ。
しばらく眺めていると,オバちゃんが入ってきた。そして,彼女より少し若い女性店員に軽く挨拶をすると,「ジャガイモパンを探されているようですよー」とわざわざ言ってくれた。すると「あー,今日はないですねー」。なるほど,でも今日はどっちみち晩飯と朝飯が出るんだし,そうなると食べる機会は明日の昼までないから,いま買ったところで食べられるわけでもないし……ま,しょうがないか。
すると,その女性店員は「ジャガイモはないですけど,かわりにカボチャならば……」と,隣のショーケースを指差す。そこにはロールケーキのカットが陳列されていた。2種類あってもう一方は忘れてしまったが,結局,カボチャのロールケーキのカットを一つ買うことにした。126円。大きさは直径8cmほどの半月型。ま,これくらいならばオヤツっぽいからいい。後で部屋で食べてみたら,スポンジにカボチャが練り込んであるようで,なるほどカボチャのいい風味がした。これと間にはさまれた生クリームで,ほどよい甘さだった。
さて,レジで精算しようとしたら,オバちゃんは手に1斤のパンを持っている。「私も買うものがあるから」と,車の中で言っていたと思う。寄ってもらった理由に,オバちゃんに“ついでの用事”があったことも付け加えておかなくてはならない……でも,オバちゃんの会話を聞いていると,「お金を持ってくるのを忘れた」という風に聞こえたと思う。とはいえ,店員の女性のほうも慣れた感じで「ああ,いいですよ」などと言っていた。レジにはちゃんとお金を入れているようだったが,はて,それってもしかしたら“立て替え”ってことだろうか。
まあ,島民同士はほぼ顔なじみみたいなものなんだろうし,こーゆー“システム”があるってのも,田舎ならではってことで実にいいではないか。もっとも,これが男性だと案外照れてしまったりして,こーゆー“ノリ”にならなかったりもするんだろう。いずれにせよ,いかにも女性同士ならではのやり取りって感じは少なからず持った。そして,やっぱり沖縄では,男性よりも女性のほうが“テーゲー”なんだなーと,つくづく実感したのであった。(第4回につづく) 

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