沖縄・遺産をめぐる旅(全4回)

(7)南大東島へ
さて,本日は9時那覇空港発の飛行機で南大東島に向かうことに。南大東島は日帰りで行くのだが,帰りの便は行きに乗ったやつがそのまま戻る形になる(10時30分発)。1泊という考えはないので,日帰りとなると,16時ちょうど発の北大東島行きに乗って,北大東島を経由して那覇に帰ることになる。
2度目のゆいレールで空港に行き,チケットレスで支払いを済ませ,早速搭乗手続をすることに。すると「払い戻しを致しますので,少々お待ちください」と言って,係の女性はそのまま消えてしまった。後ろに人が並んでいないのが救いである。空港自体も時間が早いので,人はまばらだ。
どういうことかと言うと,私は自分が乗るルート通り「那覇―南大東」「南大東―北大東」「北大東―那覇」というチケットを買っていたのだが,これをすべて正規の運賃で買っていたのだ。ちなみに「特割」とかいうものは一切ない。正規の運賃にしたのは,単純に考えて,行きと帰りが同じルートでないと思ったからである。
もちろん,那覇と南大東を単純に往復するということならば,正規運賃よりも少し安い往復運賃で買うつもりであった。「なぜ,日帰りだと正規運賃になるんだろ?」と思わなくもなかったが,それは飛行機の“タイミング”と割りきっていたのだ。しかしこれが,まあ当然っちゃ当然になるのだが,ルートが北大東経由になっても,往復運賃がちゃんと適用されるというわけだったのだ。
しかし,チケットレスで決済してしまったとなると,払戻しの手続は実にややこしいみたいだ。ちなみに4月に奄美に行ったとき,「羽田―奄美」の往復運賃をチケットレスで購入していたのを「奄美―沖永良部」「沖永良部―鹿児島」「鹿児島―羽田」に替えたのだが(「奄美の旅」参照),往復運賃を1回払い戻し,改めて奄美からの3ルートを購入する扱いになったと思う。向こうも扱い慣れをしていなかったのかもしれないが,20分くらい窓口に拘束されたし,当然だが手数料も取られた。
で,今回はと言えば,何か配慮ないし例外規程でもあるのか,手数料は一切取られず,3ルートで48800円(!)かかったのが,38600円(往復運賃の片道19300円×2)となり,9800円の払い戻しとなった。
ただし,やはり20分ほど拘束されて時間は8時45分。トランシーバーで「ケアつき」と係員は話していたが,施設内を端から端までその係員とダッシュさせられ,でも「何やかや言ってもまだ15分ある」と思っていたら,飛行機は空港の端っこ。申し訳ないことに,連絡バスを待たせる羽目となっていた。

乗るのは飛行機は琉球エアコミューター(RAC)。白地に黄と青のストライプ,モノクロームのシーサー入りで,39人乗りのやつ。もともと座席指定ができないうえに,すでに窓側が埋まっているだなんてたわけたことを言っていたが,向かい合わせの席ならばあるらしい。この際,人と向かい合わせになるのはどーでもいいと思ってOKしたら,幸運にも対面の席に人は座らず,都合4人分の席をゆったり1人占めできることとなった。
ちなみに私の席は何かと制限が言い渡される「非常口座席」に該当するのだが,通路をはさんで反対の2人席窓側は,何ともまあ気の毒に,目の前に「ドア兼タラップを覆う壁withマガジンラック」が膝まで数cmのところに迫っている。
飛行機は9時ちょうどにきちっと飛んでくれた。小型機らしく,また地方空港らしく,大してグルグル回ることもなく,さっさと飛んでくれるのも救いだ。中は結局17人。これも空港の係員の話だが,「Aゾーン5人,Bゾーン12人」という座席位置のよう。後方が思いっきり空の状態だが,そこは係員が言っていた「Cゾーン」というらしい。後方の荷物とのバランスで人を乗せられないとか言っていた。それでも,昔は19人乗りというもっと小さい飛行機だったようで,しかも行きは燃料を積むために12人しか乗せられないという有様。欠航も多かったとのこと。
そして,いまから6年前,これから下り立つ予定の新飛行場ができ,39人乗りの就航と相成った――実はこの文章は,南大東島とゆかりのある“超有名人”も書いていたのを少し使わせていただいたが,その“超有名人”が誰かは後述することにしたい。あるいはすでにお分かりの方もいるだろうか。
飛行機は沖縄本島を離れると,ひたすら洋上飛行となる。それほど高度が上がっていないのか,あるいは視界がよいのか,下には青い海と気まぐれに綿菓子のような雲が散らばっているのみ。持ってきたMDから三木道三&MOOMINの『SUMMER RIDDIM 01』,チャゲアスの『パラシュートの部屋で』のみセレクト,ひたすらリピートさせる。この2曲,洋上飛行にはもってこいの曲だ。ただし,曇り空ではオススメしないが。

(8)おじゃりやれ,南大東島
@変わったシステム(?)
10時5分,上空から青と茶と緑の貼り絵を見ながら,予定通り南大東空港到着。だだっ広いコンクリートのスペースの中,ターミナルは体育館みたいなドーム型をしている。
早速中に入り,本日車を借りることになっている奥山レンタカーの人間……はここにいない。それは前もって分かっているので,手配よく売店にてカギを受け取る。予約の電話を入れたとき応対した男性によれば,売店でカギを受け取り,案内があるのでそれで事務所まで行って契約するという話だった。よく考えればそのまま乗るだけ乗ってトンヅラということもできるほどいい加減なシステムだが,郷に入っては郷に従おう…あ,案内図とかを売店で受け取りそびれた。でも,道なりに行って中心部に着けば何とかなるだろう。
ピーカンの空の下,駐車場に行ってカギについていたナンバーを探すと,中古っぽい白のカローラ・バンである。れっきとした「わ」ナンバーだが,どう見ても営業車か配達車である。これから仕事にでも行くような感じだ。でも,これに間違いない。ちなみにドアと窓は手動で,カーオーディオは前もって聞いていた通りカセットだ。
早速駐車場を出ると,道は県道・南大東飛行場線になる。片道1車線できちんと舗装されている。周囲はさとうきび畑と赤土と時々生い茂っている森。きわめて単調だ。地図を見ると,ポツンとそこだけ島があり,孤島のイメージがあるが,ひたすらそれらと青い空が広がる光景に,一瞬北海道へ来た錯覚すら覚える。
間もなく初めての右カーブ。と,たもとに「奥山レンタカー 4000m→」という茶色に白抜きの木の看板。え,もしかして案内ってこれだったの? ま,何もないよりはいいか。場所はまったく分かっていなかったから,これで一安心。
ともあれ,まずは事務所に急ぐ。すれ違う車はほとんどない。売店でカギを受け取ったとき,私を含め2〜3人の名前があったが,後ろから追ってくる車もない。スピードを出す理由はまったくないのだが,事務所に行くというミッションがまず完結しない限りどことなく不安なので,少し急ぎ足になる。
間もなく道が通行止めとなり,右折することになる。奥山レンタカーへの看板もそっちに向いている。そして,さらに看板が指示するまま進むと左に事務所を発見する。周囲は閑散としていて家も少ない。少し街中からも外れているようだ。
しかし,喜んだのもつかの間。何と事務所はシャッターが閉まったまま。「てめえで車に乗って来やがれ」と言っておきながら,こんなオチとはまったく呆れる。事務所は,住宅と運送屋も兼ねているような感じで,トラックが2台駐車場に停まっており,その隣に停める。

はて弱った。これでは何もできない。シャッターを見ると,緊急用の携帯番号が書かれている。早速,自分の携帯を取り出すと,ものの見事に「圏外」ときたもんだ。と,目の前はポロ売店だが,公衆電話はあるようだ。携帯番号を空で覚えて…と思ったら,私の目の前で1台の車が停まった。70歳くらいのおばあさんが下りてきて,「レンタカーですか?」と聞いてきた。「そうです」と答えると,「いま事務所を開けます」と言う。まったくのどかでいい加減なものだが,ここまで来るとカリカリするだけムダな気もしてくる。
さて,シャッターが開き事務所に入ると,中は電気器具が所狭しと置かれている。レンタカー屋は副業なのか。いくつかのホームページで南大東島のツアー案内をいくつか見ると,その中のオプションでここのレンタカー屋が紹介されていたが,その割には“おまけチック”だ。
周囲を見ていると,飲み物が置かれた冷蔵庫もあるし,いま立ってるカウンターの脇にはCDが入ったガラスケースがある。中に入っているのは2〜3年前のものばかり。最新版が欲しければ,高い送料を払って取り寄せてもらうか,往復4万円かけて那覇で仕入れるということだろう。まあ,さながら「何でも屋」といったところか。
話を戻そう,契約である。すでに時間は10時半。帰りは16時発の飛行機ゆえ,15時半までの5時間契約で4500円。そして空港に乗り捨てることになるため,プラス1000円の乗り捨て料金。そこに消費税で5775円となる。正直割高だが,田舎の個人店らしい体系だ。
そして,何気にとても重要なガソリンだが,それは乗り捨て料金に含まれるそうだ。よって,スタンドに寄る必要はない。実は,伊良部島に行ったときの教訓(「宮古島の旅アゲイン」中編参照)があったので,予約のときに電話であわせて確認したところ,件の男性は「乗り捨て料金にプラスでガソリン代がいくらかかかると思ってくれ」と言っていた。「スタンド自体がやっているのか」との問いに対し,「スタンドが遠い」とか訳の分からないことを言ったが,何はともあれそういうシステムなのだから,まあ百歩譲るしかあるまい。
そして,今乗ってきたカローラ・バンのオイルケージを見ると,何と初めっから満タンでないのだ。これはさすがに“交渉”しなくてはならないと思ったが,こいつもいまいち不明な「乗り捨て料金」に含まれるのならまあいいことにしよう。第一,ここまで乗ってきた手前もある――ちなみに,本日偶然にフェリーがこの島に入ったそうだが,港で私が来るかと思って念のため待っていたため遅れたそうだ。まったく,飛行機で来ると予約時に言ったのに。

A西部・北部へ
まずは近辺をうろうろしてみる。大東神社なんていうのがあり,並木道を途中まで入ったが,「フェリーが入った」という言葉がひっかかった。何でも,港に接岸できないため,人なり物なりをクレーンで吊り上げるとか。この近くの西港(にしこう)が,島の海路の玄関口だ。そうとなれば,そんな珍しい光景を見てみたい。
早速,西港に行ってみると,船はまったく見えない。近くの看板を見ると,接岸は南部の亀池(かめいけ)港だという。なので港自体はガラ―ンとしている。人の影といえば,ちらほらと釣り客がいるくらい。護岸工事は現在も行われている感じで,ところどころ石灰岩の岩肌がすごい。これではクレーンが必要となるのも何となく分かる。
次は北部にある星野(ほしの)洞。県道と同じくらいの広さの農道をかっ飛ばして行くと,右にちょっとした公園。時間は11時だが,人影はない。駐車場に車を停めて,後ろに小屋があるので入場料300円を払うためにそこに向かうと,60代と思しきおばちゃんがテレビでも見ていたようだ。入場料を受け取ると,「それじゃ,行きましょうか」と重そうな腰をよいこらと上げて,カギを持ち外に出る。
おまけ程度の通路を歩くと,コンクリートのゲートに鉄製のドア。ここでカギを開ける。何のことはなく,私が本日最初の客だったわけだ。ドアを開けると,やや急な長いコンクリートのスロープが奥に続いている。ドア脇のスイッチを次から次につけていくと,「はい,どうぞ」と言ってそれっきり戻って行く。どうやら駐車場の下が洞窟となっているみたいだ。ドアには「私が選ぶ新沖縄名所」という看板がある。
電気がついているとはいえ,うす暗いスロープをたった1人歩いていくのは,カギをかけられやしないかとやや不安になる。するとさらに鉄製のドア。これを開けて,ようやく中に入る。
で,肝心の中はというと,うす暗い鍾乳洞である。それだけ。何の案内もなく,灯篭みたいなウエディングケーキみたいな筍みたいな形のやつが,ただひたすら続いていく。さしずめ,「見て何を感じるかは,観光客の自由」というところか。とはいえ,深さや奥行きは結構ありそう。たまにセンサーが反応して,パッパッと明かりがついたり消えたりするが,概ね,入口のスイッチがすべてなのだろう。通路の長さ自体はあまりなく,20分ほどですべて見てしまう。
再び車に戻る。すると,さっきのおばちゃんがカギを持って入口に向かう。営業時間は8時半から12時と,13時から17時。ちょっとフライング気味だが,開けっぱなしにしておくのは電気代等のムダなのだろうか。いずれにせよ,私はちょうどいい時間に入ったのかもしれない。

次はさらに北部へ行く。ホントは昼飯を食べに中心部に戻りたい。しかし時間的にも地理的にも,さらに北部を見てからのほうがいいだろう。再び来られるかは分からないのだ。
まずは南大東漁港。ここも護岸工事の最中。所々道も未舗装である。周囲は要塞のように,高い岩壁で囲まれている。港自体は扇形の入江となっていて,海とは細い出入口でつながっている。遠くに島が見えるが,おそらく北大東島だろう。
そして,その近くには白い3枚羽の風車。近くにあるガイドによると,高さは30.7mで,羽1枚は14.75mの風力発電用の風車。この辺りではなくて島の東部に電気を送っているらしい。さらにその近くの異人穴は,舗装道路から外れて,雑木林とさとうきび畑との間のジャリ道を歩くこと約1分。草にうもれた洞穴で,そこだけゴツゴツした岩肌が露出している。この島が石灰岩でできていることの好例であろう。
だいたい北部をこんな感じでざっと見たところで,県道北南線にて中心部に戻ることに。その前に「大池のオヒルギ群落」なるものも見たが,看板と申し訳程度の駐車スペースがあるところから通路が伸びていて,その先は池のみ。オヒルギ→マングローブを期待していたが,ちょい拍子抜け。見物場所もあるいは悪かったか。
さて,昼飯だ。中心部に今度こそ戻るが,“肝心の店”がなかなか見当たらない。というのも,先ほど空港から来る道が途中で通行止めになっていたと書いたが,あのせいで私の方向感覚がすっかり狂ってしまったようだ。県道北南線と県道南大東飛行場線がクロスするところに村役場があり,そこを中心として東西南北を考えて行動していたのだが,迂回してきた道は役場よりも北に出る道で,基準地がまず狂ってしまった。
さらに,肝心の店が路地を1本入ったところにある。飲食店が軒を連ねる路地のようだが,特に看板があるわけでもなく,どこも普通の住宅地の路地みたいな感じなので,どこでその路地を入るべきかが分からなくなってしまったのである。

B大東そばと大東寿司“本番”
それでも,何とか店を見つけて中に入る。時間は12時ちょい過ぎ。店に駐車場はなさそうで,路地も車がギリギリすれ違える幅だが,店の前に路駐してしまう。店は「大東そば 伊佐(いさ)商店」という名前。白地に黒と赤で店名と電話番号が書かれた実に素っ気無い看板。建物も2階建てのようだが,屋根はトタン屋根でドアは木の引き戸。中に入ると,コンクリート床の真ん中にテーブル一つと,いかにも「村の地元の食堂」という感じ。事前に調べておかないと,簡単に見逃してしまうことだろう。
ちょうど,私より少し若いカップルが中に入って主人に案内されていたところのよう。私も名前を名乗ると,一緒に一段上がった畳の席に案内される。「出来上がるまでビデオでも見ててください」ということになり,テレビで島の観光ビデオをカップルと観ることになる。「今日はやってるんですね」なんてカップルの男性が言うと,ヒゲをなくした俳優の故・刈谷俊介似の主人は,照れくさそうに「まあ」と返す。年齢は60歳前後といったところだろうか。朴訥な感じのキャラだ。
さて,いま「名前を名乗る」と書いたが,実は,私は前もってここの店に予約を入れていたのである。多分,カップルのほうは予約は入れていないはずだ。というのも,私については“予約を入れざるを得ない状況”に追い込まれてしまった(?)からだ。
それは9月10日(水)のこと。「美ら島物語 南大東島情報」というホームページでこの店があるのは知っていた。すでに前回の後半で記した大東名物・大東そばのいわば「老舗」であり,加えて同じく名物の大東寿司を食わせてくれる店だ。ただし大東寿司については要予約であり,しかもネタになる魚が獲れないと作れないという。
そしてもう一つ。件の「美ら島〜」では店の営業時間が載っていない。で,さらにグルメ関係のホームページをいくつか当たって調べたのだが,営業時間は11時半から20時と統一されているものの,休みが「不定休」と「日曜日」に分かれている。
ということで,「店に問い合わせ→あわよくば寿司の予約」の電話を入れたのが9月10日だったというわけ。南大東島に行くのは日曜日だから,せっかく行っても店が閉まっていたというのではしょうがない。無論,店がやっていないから南大東島に行く意味がないということではないが,事前情報はあるに越したことはないだろう。
それに数ももしかして限定になるかもしれないから,前日予約よりも少し前に予約しておいたほうがいいとも思ったのだ。さらに言うと,「美ら島〜」には「沖縄本島で食べられる大東そば・大東寿司」としてある店舗が紹介されているが,それが昨日行った「大東そば花笠店」なのだ。そして,その花笠店のデニー友利or城島健司似の若主人は,ここ伊佐商店の主人・伊佐盛和(“もりかず”だろう)さんの実の息子,譲二(“じょうじ”だろう)さんなのである。なので,本場のオヤジの店がもし閉店でダメなら,息子の店に行って食べればいい。

「すいません,9月14日,来週日曜なんですけど,開いてます?」
「日曜…ですか?」
「ええ,来週の日曜なんですけど」
「あー…日曜はやってないんですよ」
これで本場の大東そばと大東寿司は幻になった。しかし,息子の店があるからいい。別に,どうしても意地でも地元で食べたいものではない。訪問のタイミングが悪かった。「それじゃあ,結構です」と電話を切ろうとしたそのとき,
「日曜日にこちらに来るんですか?」
と言ってきた。あっさり引き下がるつもりだったので,正直ちょっと驚いたが,こちらも,
「ええ,来週の日曜日に行くんです」
と返す。すると,
「日曜日に大東に来て……月曜に帰るんですか?」
「いや,当日に帰ります。朝10時の飛行機で来て,午後4時発の
北大東行きの飛行機で帰ります」
「あ,そうですか……それじゃあ,折角来ていただくわけですから,
お1人ですが,店ぇ開けますよ」
これにはビビった。思わず,「え,いいんですか!?」と言ってしまう。こちらとしては,繰り返しになるが是が非でも食べたいという感じではなかったので,このご配慮にはありがたさよりも,畏れ多さのほうが強かった。「私1人のために」――ほんの少しだが,気も重くなる。これは「行かざるを得ない」だろう。さらに話は続く。
「あのー,前日に那覇に行かれるんですか?」
「はい,前日は那覇ですね」
「じゃあ……私の息子が那覇で同じ店をやっていますので,そち
らもぜひ」
「はい,そのようですね。ぜひ行かせてもらいます」
私も私だ。しかも,ホントに息子の店に行ってしまうとは。ちなみに前日(土曜日)に改めて電話を入れてほしいと言われ,最後に名前を聞かれたので名前を名乗り電話を切ったのが,事の顛末。その前日の電話で正式に予約完了のようだ。なので,息子の店に行く前にオヤジの店に電話を入れ,これで正式に予約完了と相成る。ただし,大東寿司は当日まで分からないと言われた。また,いかにも恩着せがましいので息子の店にこれから行くことは言わなかった。
そして今日,大東寿司は「申し訳ないができない」。これで完全に“幻”に終わることとなった。肝心の魚が上がらなかったのか,単に余裕がなかったのか。手を前であわせて「ごめんなさい」の印。となると,もう一つの大東そば(500円)のみを注文する。
ちなみに,この大東寿司,鰆を“ヅケ”にしたものをネタにした寿司だ。ちょっと話がズレるついでに申せば,“ヅケ”の寿司というと,八丈島の「島寿司」が有名だ(「八丈島の旅」後編参照)。ご存知方がいらっしゃるかもしれないが,この南大東島,実は八丈島出身の人間が100年前に開拓した島なのだ。気が向けば後述するつもりだが,よって至るところに八丈島の影響を受けている。この寿司もその一つだろう。ただし,島寿司はカラシで食べるのに対し,こちらはスタンダードにワサビのようである。

話を戻す。さっき「今日はやってるんですね」とカップルの男性が言っていたが,それは「私が開けさせた」のである。よって,君たちは私に感謝しなくてはならない。私が予約を入れなければ,今日君たちはこの店に入れなかったのだ。もっとも,長期滞在するだろうから,今日ダメでも明日か明後日に入れただろうが,ホームページ等を見ると,主人は職人気質のようだから,営業日でも自分の「仕事」が気に入らなければ,店を開けないかもしれない。こういう店には「運」や「縁」も必要なのである。
また,待っている間にも続々と人が入ってくる。作業着姿の人も結構見られるので,多分地元民だろう。「今日,店開けてるんですか?」なんて何気に主人に話をしているが,くどいようだが,私が開けさせたのだ。昼飯の選択肢が増えたこと,感謝すべし。
テレビでは南大東島の観光スポットが放送されているが,そのうちこの店も出てきた。だから放映しているのか。ま,いいか。ふと自分の座っている壁を見ると,名刺がびっしり貼りつけられている。見ると,半分くらいは沖縄本島など県内の人の名刺。オリオンビールのキャンペーンガールのものもある。しかし,残り半分は全国津々浦々。富山大学の学生なんてのもあるし,衆議院議員や農水省,水産庁などお役所の人間の名刺が目立つ。県内についても,県議会議員らしき名刺が多数ある。ホームページにも載る店だから,店にとっても…というか議員にとっては宣伝には格好のスペースであろう。
待つこと10分,大東そばが出てくる。15cmくらいの器に,そばというよりは縮れたうどんそのもので,超極太麺だ。スープは透明に近い。麺の上にはソーキと卵焼きとさつまあげ,その上に紅生姜が乗っている。主人の朴訥さがにじみ出ているそばだ。
麺はこれぞ「コシがある」という感じで,ツルツルはしていないが讃岐うどんに近い。スープは塩味。そばにコーレクースがあって,伊良部島での肉そば(「宮古島の旅アゲイン」前編参照)にならって入れてみると,ピリッと味がひきしまる。と同時に,汗が吹き出てくる。これがまたいい。
そのピリッとした中で,味に存在感があるのがソーキ。甘辛い味つけが“ピリッ”と好対照で実に美味い。1枚しか入っていないのが寂しいっちゃ寂しいけど,500円という安さならこの程度だろう。というか,逆にこれ以上もこれ以下もない。これでいいのだ。卵焼きも「ホントの卵焼き」で,フライパンでか卵焼き器でかは分からないが,ただ焼いただけという素朴な味。厚焼き卵の出汁加減や甘さというのは一切ない。でも,それがまたいいのだ。さつま揚げもシンプル。10分で食べ尽くす。そして,今回の旅のある意味“最大のミッション”は,これにて無事完了だ。

帰りがけ,代金を払いに厨房らしきところに行くと,奥にテープル席がいくつかあり,玄関の素っ気無さの割に,結構広い間取りなのだと分かる。厨房では主人と女性が2人でかかりっきり。女性は多分,奥さんではないか。どーでもいいが,刈谷俊介似の主人と,デニーor城島健司似の息子――奥さんはどんな顔をしているのかと興味があったが,後ろ姿のみでよく分からなかった。
数度呼びかけると,主人が出てくる。500円を渡し,「どうもわざわざ開けていただいてすいません」と言うと,照れくさそうに「いいえ,どうもありがとうございました」と一言。それだけ。私も決して口が上手な人間じゃないから,「昨日息子さんのところに行ってみました。それでそばと寿司を頼んだら,“売りきれました”って言われちゃってねー」なんてことは言えなかった。
いいや,言わなくてよかっただろう。必要以上にベタベタすることもないし,私は別に“チクリ役”でも“探偵屋”でもないし,父と息子をどうこうする必要なんてないのだ。第一,「私のために店を開けた」とはいえ,まさか私1人分しか作らないというわけにもいくまい。その結果,こうして客も結構入っているのだから,そんな立ち話どころでもあるまい。
ちなみに,昨日息子の店に行ったとき,あるいはメール等で事前連絡をしようかと思っていたが,結局レンタカーの時間が確定的でなかったので,特に連絡はしなかった。あるいは「あなたのお父様の店を,定休にもかかわらず,開けさせてしまうことになりました。カウンターに座った人間が謝っていたと伝えといてください」と若主人に帰りがけに言おうかと思ったが,こちらもそんな悠長なことができる状況ではなかった。でも,そんなメールや伝言をしたところでやはり恩着せがましいし,かえって若主人にいろいろと迷惑がかかったかもしれない。こちらも,いまどきの若い者同士(?),サラっとしていてよかったのだ。
さて,くどいようだが,私のために休みのところを店を開ける羽目になった主人。代わりに「不定休」ということで,もしかして明日は店を閉めることになるかもしれない。営業日のはずが,開いていなかったとすれば,それはもちろん,私のせいである。(第4回につづく)

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