沖縄はじっこ旅W

B別にそんなことなかったぞ
道は交差点から右に上り坂となる。ここからまた盆地の縁となるためだ。そして「北大東村人材交流センター・民俗資料館」と書かれた新しいハコモノのところで,ワゴンは左に折れる。間もなく左手の一段低くなったところに,コンクリート打ちっぱなしの集合マンションっぽい建物が出現する。これがハマユウ荘だ。右手はこんもりした丘になっていて,頂上には白い灯台が建っている。
早速,フロントに向かう。なるほど,フローリングにテーブルが四つほどあるロビーの向こうにフロントらしきデスクが見える。それでも天井が高くてガラスになっているから,陽光はしっかりと入ってきて開放感がある。早速,チェックイン。1泊2食つきで7900円。端っこにはチャリが5台置いてあった。その中には北大東村のホームページでも紹介されていた,補助動力つきの“ハイブリッド自転車”もある。「サイクリングもできますか?」と一応聞いてみたら,「はい,大丈夫です」とのこと。現在の天候は花曇り。明日の天気が晴れてくれれば,サイクリングで決まりだろう。あとは雨が降った場合はレンタカーの手配もできるとあったから,そのときはそのときということだ。
部屋に向かう。真ん中には,コンクリートの地面に効果的に緑が配置された中庭があって,四角く2階建ての建物が囲むデザインである。四つ角は小さい水たまりのような三角形の池のようなものがあって,鯉とアメンボが悠々と泳いでいた。その池の脇にあるラセン階段で2階に上がり,半時計回りで反対側の棟にある212号室という部屋に向かう。1人だとツインをシングルユースにしてもらうのだが,中に入るとなるほど玄関は広々としていて,部屋自体も10畳以上はある広さである。1人にはもったいないが,開放感たっぷりだ。
そして,ユニットバス…ではなくて,シャワーのみだ。沖縄では1年中暖かいことから,風呂に入らずシャワーで済ませることが多い。マンションの物件もトイレ&シャワーというところが少なくないそうだが,極寒だろうが“カラスの行水”でシャワーで済ませる私なんかには,こーゆーシステムは有効だと思った。ちなみに,風呂場とランドリーがきちんとあるのだが,時間がちょうどメシ時に行ったこともあってか,誰か人が入っている感じはなかった。お湯が出しっぱなしだったが,“絶海の離島”に水は不可欠なはずなのにいいのだろうかと思ってしまった。
壁はほぼコンクリート打ちっぱなしだが,これまた上のほうが高くてガラスが効果的に張られているから,デザインとしても洗練されているし,昼間はきちんと明かりが確保できているから機能的だ。窓の外は芝生の広い裏庭となる。敷地を囲むように木々が植えられているので,向こう側が見えないのはちと残念だが,広大な畑地の風景が広がっているのだろう。バルコニーがあって外に出てみたら,湿気と自然たっぷりのムワッとした少し青臭い空気が包む――なお,建物から展望台らしき塔に続く階段があって,こちらからはのどかな盆地の風景が楽しめる。宿泊客はみな,ここに上がっていた。
さて,現在は16時半。メシは18時半からなので,2時間ほどヒマがあるのだが,今からさすがにチャリを借りる気にもならない。朝が早かったし明日に備えることもあり,部屋で駄文を打つことにした。これは予定通りだ。このためにパソコンを持ってきているのだ。2時間もあったから,そこそこの分量が打ててしまう。飲み屋らしきものも近くにない――ま,普段からそーゆーところには行かない人ではあるが――から,暇つぶしにはもってこいだった。
さらに,備え付けのポットには冷えた水があった。これがどーゆーわけか美味い。泡盛をこれで割ったらやっぱり美味いだろうな――そうそう,自販機もあるにはあるが,さんぴん茶の500ml入りペットボトルが170円,190mlの缶コーヒーが130円と,かなり割高である。しかも,コカコーラとサントリーの2種類があるのだが,後者はすべて“売り切れ”だ。おそらく,補充する意思もないのだろう。輸送量とかマージンを考えれば,高いのはやむを得ないのかもしれないが,補充はしておくべきだろうと思う。なので,結局は部屋にいる間は,ハマユウ荘では飲み物は買わなかった。
テレビでは“浜スタ”の「横浜―西武」戦を放映している。個人的には,全国区の番組を旅行先で見ることほど,くつろいじゃっていることはないと思う。屋外でサンサンと降り注ぐ太陽の下,甲羅干しをするよりもよっぽど無意味だから,余計にくつろいでいると感じるのであるが――ちなみに,在京チャンネルだと,NHK二つとそのBS,民放はTBS,フジ,テレ朝が映っていたが,同じ沖縄県なのに沖縄県のローカルニュースが一切放映されない。観光客としては明日の天気がまずは気になるだろうと思うが,これには不便さを感じる。そして,テレビに映っているのがいつもの東京の天気やCMだったりすると,何だかミョーな気持ちになってしまう。

一気に時間をワープ(古いな,この言葉…)させて夕飯の時間である。フロントがあった棟の隣に50〜60人ほどが収容できる食堂がある。これまたよりによって,18時半になると同時に行くと,左手奥の厨房らしきところは明かりがついていたが,ホール自体は真っ暗だった。でも,自動ドアがあっさり開いた。そして,コック帽に白衣の男性があわてて出てきて,すべての明かりをつける――まあ,こんなもんである。私が入って数分すると,ボチボチと人が入ってきたから,むしろ私のような存在はいまいち相手には異質なのだろう。自分でも思う,何てセッカチなんだろうって。
とりあえず,1人には広すぎる4人テーブルにかける。開放感はちゃんとあるのだが,特に豪華な内装というわけでもなく,かといって生活感がたっぷりある民宿のダイニングって感じでもない,この独特の“無機質感”とも言うべきか,まるで研修施設の食堂みたいである……いや,実際にここは「研修所としてもご利用ください」と銘打っているから,決して作りは間違いではないのだが。
さて,入るときにごはんをフツーの白飯にするか,大東寿司にするかを聞かれた。おお,大東寿司ができるのか。前回には書かなかったが,JAの売り場に「大東寿司はしばらくお休みします」と張り紙があったのだ。ひょっとしたら,南大東島の伊佐商店で食べ損なったときのように魚が揚がらなかったのか(「沖縄・遺産をめぐる旅」第3回参照),はたまた予約制なのか――正直,食べられると期待していなかったので,この選択肢はうれしかった。当然のごとく,大東寿司を選択する。飲み物は冷茶と水がドリンクバーっぽくなっていて,プラス多分金を取られるのだろうが,何種類も泡盛のビンが並んでいた。まあ,ビンといっても500ml以上のヤツとか一升瓶だから,とても1人で飲める量ではない。どうしても飲みたかったというわけでもないということで,冷茶を注いでしばし待つ。
私の次に入ってきたのは,グレーの作業着姿のアンちゃん2人だ。観光客ではなくて工事関係者である。ここは宿泊客だけでなく,一般にも開放されているレストランである。よって,こうやって地元の人間も入ってくる。当然だが,一品料理や定食類もある。彼らはカツカレーとソーキそば定食にビールを頼んでいた。まさしく,その2人にとっては「いつもの地元の食堂」であり,片や宿泊客は部屋の番号が入った青い札を渡して,宿泊者専用の食事が出てくるのを待つ「非日常の場」なのだ。日常と非日常の両者がこうして混在するのも,これまたチャンプルーな沖縄ならではかもしれない。
そうこうしているうちに,観光客らしき人たちも数人単位で徐々に入ってきた。全員が中年以上だ。彼らが,さっき(前回参照)言っていた“阪急ツアー”の参加者たちで,前もってマイクロバスでいそいそと観光をしていた人たちだろう。でも,明日はどうするんだろうか――私はもしかしたら,1人でこの宿のスペースを独占するのかと勝手に思っていたが,たまたまであるとはいえ,結構な客数が泊まっているものだ。もっとも,それでも収容人数の3分の1も行っていないだろう。彼らもみな,大東寿司をセレクトして,酒ビンの前で何を飲もうかと相談なんかしている。
5分ほど経って,トレイに食事が乗っかって出てくる。プラスチックのトレイが,どこか“研修施設している”感じだが,まあいい。出てきたものは,@大東寿司A刺身(タコとアカマチ),B肉じゃがC魚の唐揚げとかきあげ(千切りキャベツ付),D赤だし(わかめ・えのき・しめじ・あさつき)といったラインナップだ。なるほど,これを見てそう思ったのか……おっと,この辺りは後述しようか。
@は,島の“開拓元”である八丈島の島寿司(「八丈島の旅」後編参照)の影響を受けたもの。ネタをいわゆる“ヅケ”にした寿司である。保存が目的らしいが,八丈島のそれはカラシで食べる(ネタと酢飯の間にカラシがある。念のため)のに対し,こちらはフツーにワサビだった。個人的には,カラシだと洋風っぽくなって味が斬新なので好きだが,もちろんワサビでもOKである。島寿司が鰆でやるのが有名だとどこかで聞いていたので,こちらのネタもすっかり鰆だとばかり思っていたが,今回はマグロの赤身だった。まあ,揚がった魚ならば何でもいいってところだろう。要は調理方法が独特ってことである。ヅケの調味料は,しょうゆとみりんと何か他にも入っているのだろう。少し甘い味がする。いい悪いは別にして,しょっぱいもの好きな私は,ちと物足りなくて途中からしょうゆをつけてしまった。
その他,Bは思わぬところで島のジャガイモとご対面って感じだ……って,これでジャガイモが島外から入手したものだったら笑ってしまうが……って,まあいいか。でも,肉じゃが自体も久々に食べたと思う。飲み屋に行ってもめったに食べなくなったし――というか,肉じゃががメニューにないところばかり行っているからだろう――,1人暮らしを始めた頃は興味本意なんかで作ったりもしたが,それもすっかりなくなった。肉はちなみに牛肉。豚か牛かと言われれば,私は豚のほうが,それも“豚コマ”が身近に感じたりするのだが,牛は牛でもちろん美味い。3cm角くらいのほっこりしたジャガイモが八つも入っていた。かなりボリュームはある。
そして,Cの魚は,いかにもカジキマグロを焼いたような歯ごたえだった。もちろん,マグロを焼いたのは大好きであるし,美味かった。かきあげは,たまねぎ・ニンジン・ニラが入った野菜天。Aはこの大東島で揚がったものだろう。ハマユウ荘自体が魚市場も経営しているそうだし――と,個人的には大満足な食事だった。もっとも,どこかに“研修施設”っぽい感覚を持ってしまってはいたが,やっぱりああいう書き込みを見てしまったからだろうか。
なお,ついでに朝食のことも書いてしまうと,こちらは@目玉焼きA焼魚B焼き海苔CサラダD味噌汁とごはんとなっていた。「質素」というと響きはいいが,もう一品欲しいと思ったのが正直な感想だ。目玉焼きがつくのだから,ハムかウインナーか,沖縄らしくポークがついてもいいだろう。前日のボリュームが印象に強かっただけに,ちょっと残念ではあった。
さて,なぜに食事のことを書き込みと結びつけたり,「これを見てそう思ったのか」などと書いたのかというと,事前に北大東村のホームページの書き込みで,ここハマユウ荘のことを批判する内容のものを見たからだ。何度か利用している方で昨年の夏ごろの書き込みだったが,いわく「昔のいいころを知っているだけに残念だ」「味付けも(個人の感覚によるが)まずい」。はたまた「従業員の応対がよくない」――最後には「ぜひとも,以前の頃を思い出して改善してほしい」と締めていたが,この書き込みを見て,ちょっと不安な気持ちを持ったのは事実である。イヤな思いをしたらどうしようかと。
でも,いざ行ってみるとなかなかよいではないか。私にとっては,別にそんなことはなかったぞ。さっきはJAに寄ったりもらったりもしたし(ま,これは特別なんだろうけど→前回参照),メシもさぞかしリゾートらしい高級なものを求めるならば,「なんで肉じゃがが出てくるのだ?」などと思わなくもないだろう。味もまあ大東寿司が少し甘めだったと思うし,個人の感覚によっては物足りないと感じるかもしれないが,フツーの宿に行けばメシはこういうものだろう。実に庶民的で私は好きだし,最近“ホントの美味いメシ”ってのは,味付けや素材ではなくて「楽しんで食べる」ところに答えがあるのではないかと思ったりもしている。はたして,これでも悪評を持つのならば,「昔のいいころ」(ちなみに,開館は1997年)というのは,それはもう“桃源郷”のような感じだったのだろうか。
ま,こーゆーのは繰り返すように個人の感覚によるものだから,1回しか行っていない人間が簡単に反論なんかできないのだろうし,あるいは,その書き込みを見て従業員が奮起した結果,現在私が享受しているような満足感が生まれたりしているかもしれない。でも,言えるのは「小さい離島に過剰な期待はしてはいけない」ってことであろう。そして,離島における満足感や幸せとは「自分からつかまえるもの」ではなくて,あくまで「そう感じるもの」が基本であるということだ。

相変わらず食うのが早い私は,15分ほどでレストランを出る。19時前だが,外はまだ明るい。空を見上げれば月が出ている。しかし,残念ながら雲がどんよりと広がってしまっている。夜を少しでも楽しもうと思って,ひそかに満天の星が広がることを期待して,バルコニーから眺めようかと思ったのだ。そして,波照間島に行ったときに思ったように,MISIAの『星の降る丘』を入れたMDでも持ってこようかと思ったのだが,とりあえずは最近の曲だけにとどめておいた(「沖縄はじっこ旅U」第11回参照)。
で,結局は月こそ出ていたものの,星はついに一つも見られることはなかった。外は相変わらず湿気があったが,気温が下がって少しヒンヤリしていた。もっとも,満天の星が出たところで,どこに何星があるかなんてのはまったく分からないのではあるが――部屋に戻ってやったことと言えば,テレビを観ながらパソコンに向かって駄文を打ち,たまに美味いポットの水を飲むぐらいだった。それでも場所を変えてみると,他に“誘惑”が少ないからか,なかなか入力がはかどったのは収穫だ。さすがに,寝不足と打ち疲れで22時ちょっと前に床につく。後は明日好天を祈るのみである。

(4)沖縄のはじっこでチャリを漕ぐ
途中,2時ごろに目が覚めたが,その次に目が覚めたのはちょうど6時。カーテンを閉めて寝たが,そのカーテンから陽射しが差し込んでくる。早速,カーテンを開ければ,鮮やかな青空が一面を覆っていた。沖縄で一番朝陽が早く昇ると言われる北大東島だが,他の島はまだ暗かったりするのだろうか。昨日の天気予報までは“傘マーク”がついていたが,何々天気は当日になってみるまで分からないものである――もっとも,それは天気がよくなったからこそ言えるフレーズでもあるのだが,いずれにせよ,今日は間違いなくチャリをセコセコと漕ぐ1日になりそうだ。

朝食を食べ終わり,いつでも出られる態勢だったのだが,結局チェックアウトは9時半となった。いくら自転車でも,あまりムリして早く出る必要はあるまい。昨日の疲れを少しでも取るために,TBS「サンデーモーニング」の“喝!”のコーナーをしっかり見届けてから,フロントへ行った。で,5台あった自転車は,誰にも取られることなくそのまま残っていた。
早速,名前を記帳する。「返却時刻」の枠があったので送迎の時間を確認。16時5分発の飛行機に乗るのだが,15時にここをバスが出るとのこと。それまでに戻るということで,一応は14時30分としておいた。借りたのは結局,フツーのチャリになった。何というわけではないのだが,補助動力つきだと金がかかりそうな気がしたというのが一番である。ふと,フロアの端っこに目をやると,スーツケースなどツアー客の大量の荷物が置かれていた。なので,とりあえず私もパソコンとアダプターとセーターを預かってもらうことにする。
そして,出る時になって「地図をさしあげましょうか?」と聞かれた。とりあえず,北大東村のホームページにあった観光マップを(会社で)プリントアウトしてあったし,後で確認したら,もらったハマユウ荘のパンフにも地図が描かれてあったのに気がついたが,もっといいヤツがもらえるのかと思い,「はい,ください」と返す。しかし「ちょっとお待ちください」と言われて女性が持ってきたのは,2万5000分の1スケールの地形図の何分の1かのコピー……「いま,ここにいます」と言われて赤いボールペンで印をつけられたのは,山頂と灯台を示す記号の脇に“74.6”と数字が書かれた辺りであった(ちなみに,この74.6(m)が島で最高地点である)。まったく,これじゃ何だか分かんねーよ。
とりあえず出よう……って,ロックがなかなか外れんぞ。何回かやってラチがあかないのでたまらず従業員を呼ぶと,「ああ,これね。思いっきり蹴ってください」だそうな。錆びついているのか。まあ,何とかコツを覚えてようやく出発……の前に,とりあえず高いけれど,ペットボトルのさんぴん茶を買っておく。そして,今度こそようやく出発する。
――といっても(おいおい…),まず向かう先は,すぐ隣にある「北大東村人材交流センター・民俗資料館」だ。いかにも資料館らしいコンクリート打ちっぱなしの建物。ペダルを漕いだのもつかの間,道に出ると上り坂となるから,すぐにチャリを押す羽目となる。これまたフロントで「資料館をご覧になりますか?」と聞かれたので,「はい」とすっかり“イエスマン”みたいになっていたのだが,「それでは,ツアーの方がいらっしゃいますから,今のうちにご覧になってください」とのことだった。なるほどね。
これも,北大東村のホームページには「13〜16時」と書いてあって,これに対して掲示板の書き込みでは「9〜12時まで」と言われたとあった。で,結局のところは……「ハマユウ荘の都合による」ってところだろう。ここだって,結局はずっと開けていたらコストがかかっちゃうし,とりあえず見せておくべき人間(=観光客)に一気に見させて,あとは閉めてしまおうってことだろう。ちなみに,もらった資料館のパンフには開館時間は「午前9時〜午後12時(入館は午前11時まで)」とあった。午前11時までに入館ってことは,その客が出ていったらば即閉館で間違いあるまい。
さて,中に入ると,なるほど宿で見たツアー客の連中が見学をしていた。クーラーが効いているのが気に入って中にいる人もいた。一応,受付らしきものもあったが,誰もいやしない。常駐させたところで,ヒマでヒマでしょうがあるまい。何しろ,1日の観光客数自体がたかが知れているし,その動きもある程度分かってしまう島である。繰り返すように「観光客が出ていったら今日は終わり」なのだ。
まあ,実際に展示物も,特に珍しくないものばかりだ。一応は「歴史」「生活・文化」「島の形成・地質」「自然」なんてコーナーに分かれていて,それなりに形は整っているが,結局地方の資料館なんざ,観光客のとりあえずの暇つぶしと,村としての体裁を整えるというコンセプトで建てられたものばかりだろう。ここもその典型である。それでも,昔のミシンやアイロンなんかは,年配の男性陣が「あ,こんなの使ってたねー」と懐かしがっていた。パンフには「各家庭の倉庫奥から探し出して戴きました」と,わざわざ書いてある。また,沖縄ではめったに見ない神輿も飾ってある。ひな飾りなんてのも沖縄にあるんだろうか。いずれにせよ,本土の影響を間違いなく受けていることを示す証拠であろう。
10分ほどいて,資料館を後にする。正門の脇で,これからの長時間のサイクリングに備えて,家から持ってきていた手拭いを,帽子代わりに頭に巻く。もっとも,その手拭い,先日那須に旅行に行ったとき(「管理人のひとりごと」Part44参照)に,道中のコンビニで買ったサントリーの「伊右衛門」のペットボトルに“おまけ”でくっついていたヤツである。あれをこのときのためにとっといておいたのだ。ケチくさい限りだが,封を開けないとコンパクトな大きさだったから,それも都合がよかったのである。ホントならば,宿を出るときに巻いておけばよかったが,タイミングを逃してしまった。ま。資料館で手拭いを巻いた粋な…いやアホな姿をさらすよりは,マシだったのではないか。
そんなこんなでウダウダしてしまったが,再びチャリを押し出す。何しろ上り坂だから,しばらく押し続けなくてはなるまい。そんなとき,さっき資料館にいたツアー客を乗せたマイクロバスが,私とは逆方向に坂道を下っていった。(第5回につづく)

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