久米島の旅(第1回)

(5)久米島ドライブ Part2
ホテル日航久米アイランドには12時半に戻る。散り散りにホテルの館内に散っていくが,私はというと,そそくさと車に乗り込むことにする。レストラン「セリナ」では昼食もやっていて,地鶏の親子丼だのカツカレーだのとあるが,帰りの送迎バスで近くの飲食店街を見ていたら,結構やっている店が多いので,やはり適当にどこかへ入ってみたい。
しかし,その前に“真水に触れておく”必要がある。といっても,入口の水洗い場で顔だけ洗っておいたのみ。肌が露出していた腕や足はさして影響はなさそう。ハンカチも,どうやら持っているやつで間に合いそうだ。うーん,実にケチなヤツだ。
早速,車で北上すること1分,もちろん歩いても行ける距離だが,車がかなり停まっている大きな駐車場があった。近所に飲食店などが集中しているが,おそらくそれらのためのものだろう。別にどこがどこの店の駐車場という括りもないようし,何よりもタダである。有り難いことだ。
適当に停めて,目に入った竜宮城みたいな形の店「亀吉」に入ってみる。屋根には黒地に赤・黄・緑の波線が入って舳先には目玉がついているゴンドラがある。こっちのほうで言う“サバニ”という漁船のオブジェである。

中に入ると,座敷・テーブルともに4人席が6つと,カウンター7席と割と広めの店。7〜8組の客が入っていて,ほとんどは地元民だろう。店内は賑やかである。メニューを見てみると,肉・魚・野菜関係なく種類はある。スタンダードなそばもある。
しかし,表紙を開いて1ページ目にここ亀吉オリジナルの「さくな御膳」というのが出ていた。こういう地元密着系の店ではより「沖縄らしさ」を堪能するためにも,できるだけ素朴な料理を食ってみたほうがいいというのが持論であるが,そこは哀しき観光客の…というか,これは私の哀しい性かもしれないが,物珍しさに好奇心を否応なくくすぐられてしまったのだ。よって,この「さくな御膳」(1500円)を注文することにした。ちなみに,沖縄そばとトンカツがセットになった「そばカツセット」(900円)が結構な人気のようだ。
さて,この「さくな」とは,別名「長寿草」とも「ボタンフウソウ」とも言われる葉っぱのこと。後者の呼び名は,その葉っぱが牡丹のそれに似ていることからつけられたもの。メニューにある解説によれば,肝臓・腎臓によいし,動脈硬化を防ぐし,肉と合わせると喘息や風邪に効くそうである。専門用語で言うところの「抗酸化作用」があるそうだ。今年の健康診断で,原因不明でγ‐GTPが3ケタ(134)になった――再検査になり,医者が問診で「他の数値が大丈夫なのに,なぜこれだけ上がっているのか分からん」と言っていた――私にとっては,打ってつけの食材である。それをこの店の畑で栽培しており,食材として提供しているのだ。
周囲は日曜の昼とあって,家族連れの声が聞こえる。ちょうど座敷を出るところで,おばあさん(といっても50代だろう)らしき女性がそばで暴れる孫の足が当たったようで,「アガッ」という声を出した。ま,いわゆる「痛ッ!」に当たる言葉だが,こんな一言でも沖縄語が聞けたのがうれしい。ホテルのレストランで,大半が九州以北の出身と思しき観光客の,標準語あるいは方言と言っても聞きなれている関西弁程度の会話を聞くよりも,何だか価値があるように感じる。
また,壁には色紙がたくさんある。檀ふみは分かった。あと,その近くに石原慎太郎都知事が地元民と写っている写真が飾られていた。そういえば,次男坊がいつだったか,「オヤジと遊びに来た久米島でイカ料理を食べる企画」で久米島に来ていた。あるいは…と探したが,それらしきものは見つけられなかった。

10分ほどして定食が出てくる。品数は以下の6品だ。
@さくなの天ぷら……そのまんま。直径12〜13cmほどの籠に8枚も入っている。味はほのかな苦みがあるが,普通の葉っぱものの天ぷらである。さしずめ「緑色の紅葉の3枚葉」といったところか。直径で言うと5〜6cmほど。
Aさくなチャーハン……普通のチャーハンの具(卵・豚肉・たまねぎ・にんじん・ごはん)に,濃い緑の細かい葉が入っている。器は@の籠と同じくらいの大きさ。一瞬,青ネギと見間違えたが,たぶんこれがさくなだろう。彩りが黄・緑・オレンジ・茶ときれいであるが,葉の味はほとんど分からない。結局,普通のチャーハンだ。
Bさくなの和え物……小鉢。さくなのおひたしとシーチキンマヨネーズの和え物。さくなの苦みが,シーチキンマヨネーズのまろやかさでいい感じに和らげられている。結構,美味かった。
C刺身……ハマチとサバが2切れずつ,マグロ3切れ。ま,ごく平凡な刺身だ。
Dもずく酢……そのまま。上にきゅうりがトッピング。今まで食べたのは,シンプルに酢っぱさが伝わってきてボーリュームを感じていたが,ここのはきゅうりの塩気がいいアクセントになっている。これも結構,美味かった。
Eソーキ汁……直径15cm×高さ8cmほどのどんぶりに入っている。これにそばが入って,そのまま「ソーキそば」として出すのではと思うくらいの器の大きさ。中身は,ソーキ(スペアリブ),昆布,大根とシンプル。かつおかこんぶだしかでとったスープはいい感じの塩味。しょっぱいもの好きな私でも醤油はいらないくらい。
周囲で私と同じようなものを食べている人間はいない。せいぜい沖縄そばくらいで,後は普通の東京にもあるような定食類である。多分,店員も私が観光客であることが分かっているだろうと思う。
さあ,これで地元の食堂で昼飯を食べたいという思いはかなった。入口には魚のいる水槽があり,棚には雑誌が置かれていて,プラス作りが地味なので,トータルで地元っぽい猥雑さがあっていい。それでいながら地元民とは,本土と違ってどう考えても埋められない微妙な距離感を感じる――そう錯覚しているだけだろうが,それがまたクセになってしまうのだ。

時間は13時20分。帰りの飛行機は15時20分で,車の返却は一応15時となっているが,土産物を見たいので,もう少し早めに返却としたい。といってもあと見ておくのは,島の南部・島尻(しまじり)集落くらいである。
その島尻集落には,10分もしないで到着。崖と崖との間にあるごく素朴な田舎の集落で,小さなポストと共同店くらいしかない。バスが走っているが1日1本。でもって,祝・祭日は運休らしい。この集落の先にある島尻崎へは急な坂を上ってくが,どんづまりにある駐車場から少し歩くらしい。
その岬へは行かなかったが,その駐車場脇の展望台っぽい小さなスペースから海を見下ろすと,島の南部が断崖絶壁の地形であることがよく分かる。波が激しく打ち寄せていて,ある意味こちらのほうが「最果て感」を感じる場所だと思う。
ここ島尻からは,島を一周する県道が北西に向かって山の中を入っていくようだ。しかし,その入口を探そうとすると,どこをみても農道にしか見えない。地図によればアーラ岳という山があって,目の前にそれらしき山が立ちはだかっているのが見えるが,結局どこから入ればよいか分からず,断念。来た道を戻って,近道となる内陸の道路を通り空港に向かうことにした。第1回で書いた,どこを走っているか分からず道を折り返した辺りも通過したが,そこまで島尻から車で5分くらいしかかからない。この島が思ったよりも小さい島であることを認識する。途中,車の返却のために仲泊でガソリンを入れたが,わずか6リットルだった。
空港には14時20分,到着。島尻からもしかして農道を適当に入っていても間に合ったかもしれないが,まあいい。端っこにある返却指定の駐車場に,ダッシュボードにカギと給油の領収書を入れてロックをして,いわゆる“乗り捨て”の形となる。
空港では,第2回で書いた「まーさんのクッキー」を探したが,5軒ある土産屋のどこを見ても見当たらず,結局買ったのは,その5軒のどこの店にも山積みになっていた「みそクッキー」。さしずめ,「惚れたそのときに手をつけておかないと逃げられる」ということだったみたいだ。

(6)5時間のトランジット
@豊見城・那覇市郊外散歩
久米島からは,さる9月に大東島方面に行ったときも乗った,RACの39人乗りの飛行機(「沖縄・遺産をめぐる旅」第3回参照)で16時に那覇へ戻る。
さて,JALのホームページで「前売り7」で買うと,時間帯もあって1万円台と安くなるので重宝している21時発・JTAの羽田行きまで,那覇では5時間の滞在時間がある。街中を歩くのには荷物がやや多いので,コインロッカーに少し入れておくことにする。このコインロッカーの値段が,ボストンバッグサイズだと100円と破格の安さ。東京では300円はするから思わず拍子抜けしてしまう。
今回,那覇では数度見ている繁華街ではなくて,南部の下町地区である,小禄(おろく)付近を歩いてみたいと思っていた。しかし地図を見ると,その近くには旧海軍司令部壕,豊見城(とみぐすく)城跡という史跡がある。いずれも私にとっては未踏の場所なので,これら史跡を二つ見てから小禄に戻り,時間があればまた国際通りに行くこととしよう。ちなみに,地名も出ているからお気づきだろうが,この二つがあるのは豊見城市。これまた市町村合併等に詳しい方ならお分かりのとおり,「村」から一気に「市」へ昇格した都市だ。
空港からは,小禄までだとゆいレールが通っているが,史跡まではその付近からバスに乗り継ぐ必要がある。小禄からの距離は1kmくらいと歩けそうな距離だが,時間は16時過ぎなので,開園時間に間に合うか不安である。よって,ここはケチらずタクシーとした。ターミナル1階の乗り場で,係のオジイに「どこへ行かれるの?」と聞かれ,「豊見城の旧…」と言うか言わないうちに,「どうぞ」と目の前のタクシーに乗ることになる。彼は距離によって乗せるタクシーを振り分ける役なのだ。
乗ったタクシーは,仲座(なかざ)タクシーという個人タクシー。運転手のおじさんいわく「近いよ」ということだが,地図を見ながら歩くと,どうしても大通りを歩かざるを得ない。しかし,タクシーだと,近道へとばかりに路地にどんどん入っていってくれるので,(私にとっては)興味がある生活空間が見られていい。もっとも,通ってきた宇栄原(うえばる)地区は普通の住宅街。これといって衝撃的な光景に出くわすことはなかったが,それでも見学時間を稼がせてくれたので助かった。
加えて「旧海軍司令部壕」という看板が出たにもかかわらず,そこでは停まらずに先にある資料館の前で下ろされた。これは,看板のあるところは出口であり,しかもコースとしては壕より先に資料館を見る形となっているためであり,おじさんの配慮だったわけである。地元民ならではだろう。結局,「近いよ」の言葉通りに10分ほどで到着した。980円。

資料館はどこかのギャラリーみたいに洗練された建物だ。中に展示されているのが,とてもおどろおどろしい写真ばかりとは思えない。すなわち,「逃げ遅れて射殺された老女」「足の甲の傷口にウジがわいている少女」「墓石の中(沖縄の墓はデカい墓石の中央に骨壷を入れるフタがあるのだが,その奥行きはとても広い)で発見された幼い姉弟」「米軍に接収された読谷(よみたん)飛行場に強制着陸して,その機能をマヒさせ戦死(早い話が“特攻”)した飛行士」……そして,この海軍司令部司令官で,米軍の猛攻の末1945年6月この地で自決した大田實少将らの衣服,武器などが展示されている。
そして420円の入場料を払い,いよいよ壕の中に入る。まず,早速入口で千羽鶴のお出迎えだ。こういう戦争資料館にありがちな,中学・高校生が作ったものだ。100段ほど長い階段を下りると,例えれば“アリの巣”みたいに通路が土中をあちこち巡っている。公開されていない部分も含めれば450mあるという。これらは,コツコツとつるはしを使って掘られたものだ。
下りて真正面は作戦室だ。5〜6畳程度の小さい部屋で,コンクリートや漆喰で固められている。机が入って,10人もいれば満室だ。幅1mに高さ1.5mほどの狭い通路をかがんで進むと幕僚室。ここで幕僚が手榴弾で最期を遂げた際についたらしい細かい破片の跡が,部屋のあちこちについている。でも,よく考えるとこの壕ごと破壊されなかったのは不思議だ。
さらに進むと医療室,ついで下士官兵員室と続く。ともにせいぜい7畳前後という広さ。当時はこの壕に4000人の兵士が収容されていたというが,とてもその100分の1すら収まらない。メインとなる通路も幅1.5m×高さ2mほどしかない。現在は観光用の照明があり,それなりに格好がついているが,どこかの炭坑みたいに,薄暗くて狭くて暑苦しく何より恐怖だったのではないか。大多数と思われるぺーぺーの兵士は,こういう通路で休憩を取っていたらしいし,1回この壕を出ていったら当然だが戻ってこられる確証もないのだ。ちなみに「医療室」というのは,そのころその辺りに負傷兵がいっぱいいたことから多分そうでは,ということらしい。
そして,壕のほぼ中心部にあるのが,司令官室。当時のまま残されているらしい。端っこには,地蔵とその前にさい銭が置かれている。さらにはテープルの上には花瓶に花が生けてある。広さはさすがに10畳ほどと,他の部屋に比べると広めだ。
上述の大田少将は,ここで「沖縄県民かく戦へり」という電報を打った。その文章の最後をしめくくる「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」(原文は漢文とカタカナ)のフレーズが,戦争の最前線にさらされていた沖縄県民の気持ちを何より代弁しているように思う。無論,“お偉いさん”の高見の意見という見方もなくはないのだろうし,最近TBSでやった「さとうきび畑の歌」のようなことが現実に行われていたのだろうが,ここでいろいろ述べるのは適さないので省略する。

外に出る。この辺りは高台となっていて,近くには斜面を利用した海軍壕公園となっている。道路からは巨大な滑り台が見えたが,なるほど下に向かって長く青い滑り台がある。日曜日の17時近くだが,暖かいこともあり親子連れで混み合う。脇にある階段で下のほうに下りていくと,県道7号線に出る。豊見城城跡は地図で見たら丘の東にあり,時間も時間なので見学はあきらめて北上する。
丘の下はトンネルとなっていて,くぐり抜けると那覇市小禄だ。壕は豊見城市といっても北の外れに位置していたのだ。そして北上を続けること5分。右に「マックスバリュ 小禄店」(経営は「琉球ジャスコ」)を見る。
何か面白そうなものがあるかもしれないと思って入ると,2000年に建ったもので建物はきれいだが,まあ当たり前のスーパーマーケットの内容だ。それでも,ゴーヤ,もずく,ゆし豆腐,スパムなど沖縄ならではのものが多数見られる。
ふと,「ごみ袋」のコーナーが目についたので見てみる。上述のとおり豊見城市とは目と鼻の先なので,那覇市と豊見城市,両方の市指定ごみ袋が陳列されているが,値段が違うのだ。「燃えるゴミ」の“大”で価格を比較すると,

価格(円) 枚数(枚) 大きさ(mm) 参考
価格
(円)
那覇   285    10  650×800 190 161
豊見城   200 170 150

となっている。袋の厚さや成分といった規格はまったく同じだ。そして,ご丁寧に製造会社まで2市とも同じ会社だ。その製造会社が糸満市にあるというのも面白い。どちらかの市の会社では不公平だから,ということなのではないか。
こういう決まりごとは,各市がそれぞれの判断で決めるのだろうから,当たり前っちゃ当たり前だろうが,並んで陳列されてこの差を見て,各市民はどう思っているのだろう。両市とも指定の袋でないと回収をしないというから,例えば那覇市のほうが少し高いのは,多少高くても人口が圧倒的に多いから,確実に売れるということなのか。
ちなみに,豊見城市ではこの5月からゴミの資源化と減量化を図って,有料でのゴミ回収とすることになった。それが上述のような市指定の有料ゴミ袋の採用というわけだ。しかも「燃える」「燃えない」「粗大」「資源」「危険」に分ける細かさだが,これに対して,那覇では前の三つしか種類はない。そして,びん・かんおよび紙などの資源ゴミは無料のままのようだ。現状これらがきちっと分けられているかを見る機会はなかったが,こういう“微妙な差”が市の思惑を得てして裏切る結果を生み出すのではと思ってしまう。

さらに北上すると,小禄の住宅街に入っていく。県道沿いこそ4〜5階程度のビルが多いが,一歩中に入ると,沖縄建築の代表と言えるスラブ住宅(「宮古島の旅アゲイン」第3回参照)が結構多い。赤瓦の家もちらほら見られる。中には昭和30年代のまま時間がストップしているような,お釜みたいな大きな影がある平家もあった。
住宅街から再び県道沿いに戻って,ゆいレールの奥武山(おおのやま)公園駅に到着する。ここでゆいレールに乗ろうかと思うが,夕暮れで少し風も涼しくなって歩きやすくなってきたし,時間はまだ18時前。駅の名の通り奥武山公園の中を突っ切って,次の壷川(つぼかわ)駅方面に歩いていく。この辺りははもともと小島が多く,この公園もその一つだったようだ。それが1700年代に陸地化してきて,1919年に北部が埋めたてられ,戦後に米軍が機械で隣の小禄あたりとくっつく格好になるように完全に埋めたてたという。その経緯が壷川駅との連絡橋のたもとに,写真でガイドされている。
壷川駅をさらに突っ切る。ここまで来たら国際通りまで徒歩で行くことにする。交差する道路を渡るのに,駅直結のエレベータに乗ると,後ろにある鏡に映った顔は真っ赤である。やはり,はての浜で完全に潮焼けしたようだ。身体も結構火照っているし,例のハンカチで流れる汗を拭こうとすると,ややヒリヒリする。家に帰るころには日付が変わってしまうが,シャワーを浴びてから寝ないと,翌日が怖そうだ。
18時15分,沖縄県警本部・県庁といった官庁街の脇を通過。完全に日は暮れて真っ暗になった。すると,再び白保台一氏の選挙カーとすれ違う。今度は本人が車の中から訴えかけている。昨日は久米島,今日は那覇――各個人の政策・主張なんてのは私には分からないので,関心は下世話な方向にどうしても行ってしまう。すなわち,選挙カーは各島で調達しているのだろうが,島から島への移動にはどうしても飛行機とならざるを得まい。ケチってフェリーにしたら誰もついてきてくれないだろう。もっとも,久米島へは高速船が走っているので,それならOKか。でも,本土の候補者に比べりゃさぞ金がかかるのではないか――なんてのが関の山だ。

A再び,国際通りへ〜エピローグ
18時半ちょっと前,今回は,南側の久茂地(くもじ)から国際通りに入り北上する。あいかわらずの狭い通りと渋滞と人の多さは,もはや懐かしさすら感じてしまう。「1カ月半ぶりにまたここに戻ってきた」――単なる錯覚かもしれないが,そんな気分だ。この猥雑さが何とも心地よいのだ。
さて,そろそろ夕飯の場所を見つけなくてはならない。昼がやや遅かったし量もそれなりにあったが,かといって何も食わずに過ごすのはさすがにムリがある。なので,できるだけ軽めな夕食で済ませられれば理想である。
5分ほど歩くと「比屋定」という食堂。入口は少し奥まったところにある店だが,軒先のすだれが何とも涼しげだ。11月に「涼しげ」というのもヘンな話だが,今日は多分30℃はある暑さだったし,火照った身体のいまの私には,何よりもその「涼」が欲しい。すだれにかかっているメニューを見ると「ゆし豆腐定食」というのがあった。豆腐なら比較的軽いから腹にはちょうどよいだろう。迷うと不毛になりそうなのでここに入る。
中は広くて,座席は4人用のイス席が六つと,その左隣に4人用の座敷席が四つ。しかし,奥の電気がついていないところもイス席があるようで,大量に人が来たらそこいらにも通すのだろう。ちなみに現在は座敷席に2組,イス席に私を含めて3組と空いている。また土産屋が隣接していて,そこともすだれが壁代わりとなっていて,隙間から向こうの様子が見える。
早速「ゆし豆腐定食」(787円)を注文すると,間もなく冷水が出てきた。別にどこにでもある水だろうが,今日ばかりはこれが実に有り難い。それを身体のあちこちに当ててみると,とても気持ちいい。さしずめ湿布代わりである。
ふと,かかっているテレビを観る。たまたま天気予報をやっていたが,どうやらもうすぐ八重山に台風が来るらしい。これがもう少し早かったら…と思うとホントに運がいいと思う。とはいえ,那覇から飛行機が無事飛ぶのかと一瞬不安がかすめる。

10分ほどで定食が出てくる。品数は4品。まず,メインの「ゆし豆腐」だが,早い話がボロボロで崩れかけている豆腐である。上にはあさつきがパラパラとかかっている。でもって,スープが入っているのだが,豆腐のちょっと白く濁った水のままである。
れんげですすると塩気はあるが,ベースはやはり“あの味”だ。「沖縄は豆腐が美味い」という話をどこかではさんだが,そうだろうかと思ってしまう。やはり私の舌が濃い味を食しすぎてダメなのか。しょうゆが思わず欲しくなるが,残念ながら,テーブルには置かれていない。「必要がない」ということだろう。頼むのも面倒だからこのまま行くことにする。
2品目はジューシー,いわゆる「炊き込みごはん」だ。しいたけとニンジン,鶏肉だけのごくシンプルなどこにでもある味。ゆし豆腐のスープが,味気ないのだが残すのももったいないので,このジューシーにかける。味は…別に大したことはない。
3品目はクーブイリチー。クーブとは昆布のこと。昆布の細切りにこんにゃくと厚揚げと,若干肉が入っているように思えた。スタンダードな沖縄料理だが,意外と沖縄で見た記憶がない。材料自体がどこにでもあるものだから,むしろその辺の飲み屋でよく見た料理のような気がする。こいつが4品目の漬物という“別格”を除けば,一番塩気がある。なので,炊き込みごはんのいいおかずにもなるし,ゆし豆腐と交互に食べて塩気を補ってみたりしてみる。
でも,この程度の塩気だからこそ逆に,「沖縄料理は健康によい」とよく言われるのかもしれない。高血圧になる心配もなさそうだし,食材のバランスもそれなりにある。個人的には今回は,うまいバランスの食事をしたと勝手に思っているが,腹はたしかにふくれても,決してキツくなることはなかったと思う。もっとも,無茶な食べ方をしなかったのもあるが。

食事を終えて外に出ると,雨が降っている。傘があったほうがいい程度の雨足だ。今日は昼いっぱい晴れて,那覇に入ったときも晴れていたから,傘は不要かと思っていたが,どこかやっぱり不安定だったのだろう。
少し歩くと,反対側の通りの向こうに大きな駐車場が見えた。ここはさる9月の旅行時に,マジック2だった阪神タイガースの試合が放映されていた場所だ(「沖縄・遺産をめぐる旅」第4回参照)。ということは,そのときに寄ってきた「琉球珈琲館」が近くにあるはず。そばの信号で横断歩道を渡って,やや南に戻るとビンゴ。しばらくここで雨宿り兼時間稼ぎとする。
中は人が結構入っている。前回は窓際のいい場所に席を取ったが,今回は店の奥側の2人席となる。そして,注文するのは「トロコーヒー」。油脂たっぷりのコーヒーで,今度ここに来たときにぜひ注文してみたいと思っていたのだ(上記参照)。種類はアイス・ホット両方で「トロマイルド」「トロオレ」「大トロ」とあるが,結局「アイス大トロ」(600円)を注文する。こちらでは,冷水に冷たいナプキンが出てきた。こちらも本日は有難く,ちゃんと身体のあちこちにあてさせていただいた。
5分ほどで「アイス大トロ」が出てくる。直径10cm×高さ5cmほどの陶器。前回頼んだ「ぶくぶくコーヒー」よりは小さい器。なるほど,コーヒーの表面にはっきりと油脂が浮いているのが分かる。味わうといかにも濃いコーヒーで舌に味が残る。これぞトロコーヒーということなのだろうが,何だか次第に三流メーカーの安いコーヒーのような気がしてきた。ついてきた黒蜜とミルクを入れると,俄然普通のコーヒーに“成り下がった”ような感じだ。
他にもこの店には,ゴーヤの香りがほのかに香るというゴーヤコーヒー,名前のわりに甘くて飲みやすいらしいウッチン(ウコン)コーヒー,“やっぱり存在したか”泡盛焙煎コーヒー(豆焼き時に泡盛をかけるのだそうだ)など,好奇心をくすぐるコーヒーがあるようだ。次回試すかどうかは…分からない。

19時半,店を出て那覇空港に向かう。外は雨が上がって月が出てきた。そして,空気がさっきより心なしかヒンヤリしている。それがまた心地いいのだが,やっぱりこの南の島にも冬がヒタヒタと近づいてきているのだろう。(「久米島の旅」おわり)

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