オキナワンクリスマス

那覇空港着、12時45分。帰りの羽田行きの飛行機は20時50分と時間を遅くしたので、南部の新原(みーばる)ビーチに行って、あとは那覇の中心部・国際通りで時間をつぶすことにした。
いつもならレンタカーを借りるところだが、目的地へのバスが1時間に数本出ているので、今回はバスで行くことにした。そのほうがレンタカーを借りるよりもずっと安い。
重い荷物をコインロッカーに預けて、ゆいレールに乗り込んで旭橋駅へ。駅の右に那覇バスターミナルが見える。バスターミナルを利用するのは、初沖縄の94年3月以来。大分きれいになったとこもあれば、まったく変わっていないとこもあった。

←ゆいレールより那覇空港付近を撮影。

↑三角形の形をした那覇バスターミナルの光景。ここを起点に全島へとバスが発車している(左・中)。ゆいレール・旭橋駅より降りてすぐ(右)

↓ターミナル内にある仲島の大石(なかしまのうふいし)。

↓新原ビーチへは39番・百名線に乗車。ビーチまで約1時間。ただし、百名止まりが多く、その場合は百名より徒歩15分。

乗り継ぎを心配したが、10分弱待って13時30分発のバスに乗車できたのはラッキーだった。起点で乗った客は私1人。終点まで乗り通す客も私1人だ。特等席は前方出入口のすぐ後ろだが、運ちゃんと気まずくなるのがイヤで真ん中の席に座る。やや蒸していたが、クーラーはかかっていない。まあ、たしかにクーラーが欲しいほどでもないので、窓を開けることにした。2004年6月(「サニーサイド・ダークサイド」参照)以来3年半ぶりの本島バス乗車である。オリジナルMDを聴きながら、流れる風景をしばらく楽しむことにする。

那覇市内を抜けると、国道330号線を東進。与那原町・旧佐敷町と海沿いに進んで、途中から内陸に入る。旧玉城村に入って、2004年7月に行った「チャーリーレストラン」や垣花樋川(「サニーサイド・ダークサイドU」第1回第2回参照)などのそばを通過すると、再び海が見えてきた。

14時30分、新原ビーチ到着。田舎に来た感たっぷりな古びたコンクリートのバス停。周囲もちょこっと歩いたが、とても静かで穏やかな空気が流れていた。百名から新原まで下り坂が続いて最後に二股を左に折れるのだが、逆に右に折れるとガイドブックに載っている有名なカフェがあって、そっちのほうがかえって騒がしいのかもしれない。たしか、劇作家・宮本亜門氏邸もそっちの方角だろう。

那覇市郊外。丘の上の住宅街。

旧・玉城村百名の風景。

高台から海を眺める(新原)。

新原ビーチは、10人程度の人がいたが、オフシーズンとあってはやはり静かだ。一応、名物のグラスボートも出ているようだったが、目の前で出航されてしまい、次の船に乗る意欲を失ったので、海を右に砂浜を北進することにした。

途中、海に注ぐ小さな川に足を取られながらもそのまま進んでいくと、「ヤハ」の部分だけ海中から頭を出した石碑を発見。沖縄の始祖女神・アマミキヨがはるか彼方の理想郷「ニライカナイ」よりやってきて上陸したと言い伝える「ヤハラヅカサ」だ。存在は知っていたが、今回初めて見た。おそらく、潮がもう少しひいていれば、もっと文字が見えるかもしれない。石碑のたもとには香炉もあるようだ。あ、その近くにあった「龍宮神」は何なのだろうか?

「ヤハラヅカサ」からそのまま内陸に入った位置には、上陸したアマミキヨが仮住まいしたとされる「浜川御嶽(はまがわうたき)」がある。ここもまた初めて入り込んだ場所だ。
観たい2つが観られたので再び新原ビーチ方面に戻る…と、その前に沖縄稲作発祥の地「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」を見ておいた。「受水」では親子連れらしき3人が拝願(うがん)中だった。ここは2004年7月に来ている(「サニーサイド・ダークサイドU」第2回参照)。ここまで来ていて、もう少しの距離だったヤハラヅカサ・浜川御嶽を観ていなかったのだから、当時はいかに急ぎ旅をしていたのかが分かるというものだ(第6回につづく)。

←「ヤハ」の後には「ラヅカサ」と続くはず(左)。
 存在が謎な「龍宮神」(右)。

←浜川御嶽(左)。

↓沖縄稲作発祥の地・受水走水(うきんじゅはいんじゅ)より3枚。ゆるやかな流れの「受水」(左)、走るような流れの「走水」(中)、「御穂田(みふうだ)」(右)

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