奄美の旅(第1回)

(10)知名(ちな)町へ
まずは,空港の一番近くにある「日本一のガジュマル」を目指す。走り出していくらもしないうちに,道は工事中で変にカーブしたり,凸凹になったりする。昔の道路を新しく付け替えているようだが,離島だと道路なんてこんなもんなのだろう,と変に悟ってしまう。
ガジュマルは,国頭(くにがみ)小学校という,幹線道路から1本入った学校の校庭にデンと立っている。時間は11時半。校庭には児童がいて,白いシャツを着ているから,体育の授業中なのだろう。考えてみれば,今日は平日。しかも,カレンダー通りの生活を送る児童たちにとっては,紛れもない日常のひとときである。「用のある方はお声をかけてください」と校門に書いてはあるが,さすがに授業中に邪魔をするのは気が引ける。仕方なく遠くから眺めるが,ガジュマルは巨大キノコのように枝葉が伸びていて,樹の自然な力では支えきれないのか,枝葉の末端は支え棒らしきもので支えられている。
再び県道に戻り,知名町へ向かう。空港より遠い知名町から先に行って,後でいま走っている和泊(わどまり)町を周るというのが,今回のルート。知名へ向かう道は,少し下り坂加減になっている。周りは畑ばかりであり,茶や緑ばかりの光景。左側遠くには海と水平線。そこを走る一本道の両端には,白ユリとソテツが等間隔で植えられている。こうなると,何だか北海道の広い大地を走っている感覚になってくる。
10分ほどすると,和泊の中心街に入る。ちょいとした商店街もあるし,大型スーパーも見える。そして,神社が道路端にあるが,ここいらは後で見ることにして,とりあえずは通過する。道が,基本的にはゆったりした片道1車線のところ,時折カーブなどでギリギリ一車線に狭くなったりするのは,古くからの市街地だからだろう。

次に目指すのは,ウジジ浜。共同店と思しき平屋の建物の脇に「←ウジジ浜」という小さい木の標識。そこからあわてて入ると,道は車1台ギリギリの幅。両側は田んぼのような畑のような耕地。トラクターかあるいは軽トラックしか通らなさそうな農道に,レンタカーが突然入り込む。日常の作業をしている農家の人たちには,こういう輩はさぞ異様なものに映っているのだろう。
そんな農道を抜けると,海岸沿いにまっすぐ南北に伸びる道に出る。その少し先にあるのがウジジ浜だ。海は入江状,ほとんどが岩場になっていて,その入口には原爆の“きのこ雲”みたいな形の岩が二つ,門扉のように鎮座する。さらにその門扉の脇には,垣根のように複雑な形をした岩が連なる。風に乗って,潮の香りがプンプン香ってくる。岩場では,潮干がりでもやっているのか,2人ばかり何かごそごそやっている。
その浜の脇には帆船のレプリカが置かれている。長さ10m×幅2m×高さ1mほどの大きさ。「リージ・C・トゥループ号」というカナダ船籍のその船は,1890年9月にこの海岸で座礁・難破。乗組員22人のうち,10人が行方不明,残り12人が救助されたが,うち船長と職工の2人が死亡する惨事となった。その後生き残った乗組員は,村人の手厚い看護などもあって無事カナダに帰り,当時のカナダ政府は島の役場に対して,望遠鏡と42ポンドを送ったというエピソードがある。2000年9月,遭難110年祭が挙行され,この船が作られたようだ。ちなみに,実物は長さ67m×幅10m×高さ7mというから,かなりデカい船である。

さて,昼飯だ。この先にある知名には結構店がありそうだ。FKレンタカーでもらったパンフレット兼地図(以下「地図」とする)には,「いま,知名の街がおもしろい!!」というタイトルで商店街マップが載っている。飲み屋街もあるようだ。どこか,適当に店を見つけて入ることにしよう。
その知名町には,12時10分頃到着。道がギリギリ片道1車線くらいの狭い道。その周囲を古い商店が軒を連ねる。和泊はもう少し道幅も広いし,商店の面積もわりとあるが,こっちは肩を寄せ合って建っている印象を持つ。飲み屋街も,ちらほらとスナックみたいのが見られるが,港町のさびれ感が漂ってくる。
街に入って早速「天一」という店を見るが,車を停める場所が分からず通過する。その後,ぐるぐると商店の間や港周辺をさまよいながら店を探すが,結局見当たらず,やっぱり「天一」にする。駐車場は,店の向かいの空地。「ピュアゴールド」という店の専用駐車場らしいが,多分30分程度ならバレないだろう。駐車場に入れている間に,20代前半くらいの2人の女性が先に入っていくのも見えた。
中に入ると,カウンターらしきところにはいろんなものがぶっ積んである。どうやら飲み屋のようで,メインは多分夜のほうなのだろう。そして,中にいた5人ばかりが,一斉に私のほうを見る。先に入った女性2人もいる。「1人なんですけど」と言うと,店の人間と思しき女性が「はい?」とやや訝しげに返してきたが,すぐ取り直したのか,座敷に通される。多分みな知り合い同士で,その中に見知らぬ私が入ってきたからびっくりしたのかもしれない。

店内は,カウンターのほかは,7畳くらいの座敷が二つあって,さらについ立てで二つに分かれている。私は向かって右の奥に座り,先ほど入ったと女性2人は手前側に座る。多分,昼飯ついでに遊びにでも来たのだろうか。表に立て掛けていた黒板には,天ぷら定食,カレーライス,沖縄そばなどとメニューが書いてあったが,店の女性いわく,天ぷら定食しかできないらしい。自分としてもそれで構わなかったので,注文する。
隣の女性陣のテーブルには,彼女らと同世代くらいの不良っぽいアンちゃんも入ってきた。彼もこの店の人間と知り合いのようだ。しばらく談笑していたが,そのうち携帯のゲームでもやっているのか,「ピコピコ」とか「ドカーン」という音がしだした。まるで,自分の家のようにくつろいでいるが,端には結構迷惑である。でも案外もしかして,ホントに自分の家なのかもしれない。女性陣は,店内の有線に流れてきたRUI『月のしずく』にハミングをしている。
やがて,隣の座敷にも親父らしき2人組が入ってくる。作業着姿なので,地元の人間で,仕事の昼休憩なのだろう。この店は間違いなく,観光用のために,すなわち非現実の人のためにあるのではなく,地元人間の日常のために存在しているのだ。店内に流れてきた曲は,あるいはテープでも持参したのかもしれない。そして,それは同時に,自分はとても場違いな存在であるのだということに気づかされる。もっとも,この街のどこの店に入ったところで,同じような思いをするのだろう。そう思うと,いくら客は皆同じといっても,ちょっと肩身が狭くなる。飯を食い終わったら,とっとと後にしよう。
天ぷら定食は,ピーマン,かぼちゃ,海老天,イカ天,そして長ねぎのかきあげ。小鉢に鯵の南蛮漬けと,ごはん・味噌汁がついて800円。特別に変わったものはどこにもないし,味も普通の家で揚げて食べるようなもの。だが,いままで非日常的な,普段は食べないものばかり食べてきたので,どこか懐かしさを感じる。天ぷらは,長ねぎのかきあげがシャキシャキして一番美味かった。

(11)昇龍(しょうりゅう)洞へ
次に行く昇龍洞は,この島の事実上のメイン観光地だ。脇道から入ったせいなのか,鬱蒼とした林の中,窮屈な道を通ること数分,メイン道路からの連絡道路と思われる片道1車線の舗装道路に出る。地図で見る「ハチマキ線」というやつか。島で一番高い大山(おおやま),上空から見て高かったところの周囲を,鉢巻のように1周する道路だ。そこからさらに1本坂道を入ると「昇龍洞出口駐車場」。どうやら肝心の入口はもう少し上のようで,まだ300mほどあるようだ。
やっとのことで洞窟に辿り着く。やや地下にもぐったあたりにあるそこは,とても異様な世界である。大きくあんぐりと口を開いた洞穴には,無数の鍾乳石がつららのように垂れ下がって,それにからみつくように,上から「ヒカゲヘゴ」というジャングルに生息する木の枝葉が垂れ下がる。観光用に整えたにしてはあまりにリアルすぎるので,多分自然のままにしているのだろう。記念写真用のイスとかプレートもある。この光景はぜひ一目見ていただきたい。極端だが,たとえ中に入らなくても,ここの入口に来るだけで価値があると思ってしまう。
口の中に入ると,一気に薄暗くなる。高さも結構あり天井は見えない。下では,さらさらと音を立てて川が流れているが,音といえるのは,その「さらさら」がほとんどで,たまに,ポタッポタッと鍾乳石から落ちる雫の音が辛うじて聞こえるくらい。そして背後にある大きな口からさしこむ明かりが殊更に明るく思える。入口の奥行きはおよそ50mはあろうか。高さも,川からはやはり50mほどはあるだろう。

入口から通路に入ると,パッと明かりがつく。人が来るとセンサーか何かでつくようだ。そこでは,さらに細くて小さいつらら石とともに,「昇竜の鐘」という石に出会う。鐘というよりも,巨大ピーマンみたいな形だ。高さは10m,胴回りは3〜4mくらいだろう。明かりに照らされてキラキラ光っている。その左には「バナナの花」というやつ。高さも胴回りも1mくらい。こやつは鶏の手羽先である。
さらに,どんどん奥に進むと,「きのこの森」――椎茸の胞子を何千・何万倍にも拡大したような細い鍾乳石の塊。不気味。「長寿の門」――何が長寿か分からないが,5〜6mほど中腰にならないと通れないほど天井が低い。「三保の松原」――無数のクラゲ。この辺りも,川のせせらぎしか聞こえないが,よく聞くと微妙にこもっており,近くにスピーカーを発見。効果音込みだったのだ。
200m地点到達。全長で600m(公開部分のみ。ホントは2.2kmもある)なので,ちょうど3分の1になる。ここには昇竜神社というのがある。2mほどの高さの赤い鳥居とさい銭箱もある。この近くでは,人骨が2体発見された。首に7世紀ごろのものと思しき飾りをつけていたことから,遣唐使時代の高貴な方だそうな。ただ何分,遺体は埋没していて骨に接して40cmの石筍が伸びていたというから,発見した人はさぞ驚いただろう。長寿の門を通ったにもかかわらず,ショックで早死にした……かどうかは知らない。ここは一応,ジャリ銭を入れておく。
先に進むと「金銀の滝」――茶色っぽい鍾乳石の上に白っぽい鍾乳石。前者が金,後者が銀だろう。「熱愛の柱」――上から大きく垂れ下がっている石と,地面から伸びている石。その間には40cmくらいの隙間が空いている。どっちから先に伸びていくのか。そして,いつめでたく合体するのか。「夢の国」――大小きのこがたくさん。こんなシュールな夢はみたくない。ライトが効果的に照らされファンタジックなのが,名前の由来だろう。「音楽堂」――上から垂れ下がっている岩盤が舞台の幕のように見える。その幕の下とこっちの通路の間に,幅1m程度の川が偶然流れている。向こうがステージ,こっちがオーディエンス,ということか。

「親子亀」――直径2〜3mほどの石の上に,その半分くらいの大きさの石が乗っている。上の石の端っこが,首のように上にツンと出ているからか。「魔法のだるま岩」――その名の通り,真ん中よりやや上がくびれていて,そこが首だろう。「さざれ石のいわお」――無数のキノコの塊みたいな奇岩。国歌「君が代」に出てくるやつだ。「カニのよこみち」――幅は50cmほど。ホントに横歩きしないと進めない。さらには,少し先では再び天井がものすごく低くなる。5〜6mの距離だが,そこだけはしゃがまないとムリ。「幸福の門」――通路の脇に,幅50〜60cm,高さ80cmほどの空洞。そこが無事通れれば幸福なのだろうが,私は残念ながら幸福にはなれない。嗚呼。
――そんなこんなで1時間ほどで終点に着く。しかし,この洞窟で一番有名な「クリスマスツリー」というのを見損ねていたことに気づく。再び,しゃがんだり横歩きして戻ると,そいつは,裾野の広い石の上に白い石が覆われている。その様子が雪に覆われたもみの木に見えるからだろう。あと「ナイアガラの滝」というのも見た。その名の通り,滝のように垂れ下がった鍾乳石が集まったものである。
再び終点に着くと,モワッとした空気。そして,そこは入口よりもさらにジャングルである。こっちのほうがよりリアルだ。先ほど入口だけでも来る価値があると言ったが,様相は入口と似ていても,長い間暗がりの中にいたから,何だか出口のほうがより生々しい感じがしてくるのだ。ということは,やっぱり洞窟を通ってこなければいけないことになる。階段を上がってさて車に…と思ったら,様子が違う。自分の車もない。しばらくして,先ほど通り過ぎた「出口駐車場」であることに気づく。ということは,300mほど歩いて坂を上がらなければならない。いやはや参った。

(12)沖永良部島南部から中部へ
次に目指すのは,田皆(たみな)崎。持参したガイドブック(以下「ガイドブック」)では,断崖が見事な写真が載っている。逃さない手はない。昇龍洞から再び山の裾野に下り,島の南部を時計回りに回る県道に出る。
岬への入口にある田皆集落は,郵便局と民家が立ち並ぶ。そこから道は緑の中を通っていく。初めは田んぼや畑の緑,それがやがて森となり,開けた突き当たりは海となる。車道は左に直角に折れ,駐車場に着く。灯台が目の前にあるが,その右に下り坂の遊歩道が続く。まわりはモンパノキや芝がきれいに整えられていて,その中心を白いジャリ道が1本,シンボリックに続いていく。その突き当たりには木を輪切りにしたような丸テーブルがあり,方角板が埋め込まれている。
しかし,そこよりももっと崖に,「ここから先危険」の看板ギリギリまで近づくと,ガイドブックにもある見事な断崖に遭遇する。下をのぞき込むと少し身震いがするくらいだ。高さは100mほどあるだろうか。北の方向を見ると,断崖が幾重にも続いている。その様は例えるなら,抹茶パウダーがかかったチョコレートケーキの先端のようだ。
車に戻って,エンジンをかける。偶然,MDカセットをデッキから外していたのだが,BEGINの『島人ぬ宝』が聞こえてきた。地元のFMに設定がされているのかと思ってデジタル画面を見ていたら,「CD」とある。EJECTボタンを押すとCDが出てきた。これも,昨日の電話でのやりとり(前回参照)に対する向こうの配慮なのか。

次の沖泊(おきどまり)海浜公園は,畑の真ん中の一本道を行くと,ヨットが置いてあるハーバーの脇に辿り着く。周りはコンクリートだが,このあたり一体が公園なのだろう。どうやら先に進めそうなので行ってみるが,車幅がギリギリもギリギリ。微妙にクネクネもしており,少しでも誤ったら路肩に乗り上げそう。うまいこと切り返して着いた先は,だだっ広い空き地。その先は,キャンプ場か何かのようだが,どうもその細い道は,車道ではなく歩道のようだ。誰もいなかったのが救い。再びその道を戻り,次の「世之主(よのぬし)の墓」を目指すことにする。
道は引き続き,畑の真ん中の農道を進む。本来なら,先ほど通った島の南部を時計回りに回る県道まで戻るのがベストだが,できるだけ海岸沿いに行きたいので,少しくらい狭くてもそこを突っ走ることに。もっとも海は遠くに見えるだけだが,まあいい。地図で見る限りは,このままほぼ真っ直ぐ行って,いずれ県道に辿り着ける。
そして,その県道に辿り着いた。地図とガイドブックでおおよその場所を確認すると,県道がぐるっと1周して空港に向かうすぐにあるようだ。ちょうど時間は15時くらいで,学ランを着た野郎と小学生がちらほら歩いてくる。たまに路上にはみ出して歩いているのは,のどかな島の証だ。
しかし,その墓はまったく見当たらない。「ここか?」と思って路地を入ると,全然違っている感じの路地。再びバックやら方向転換やらしてふらふら走り出す私に,「何かやってるぞ」みたいな感じで何とも言えない視線を注ぐ地元民。次第に方向感覚もおかしくなってくる。
その墓あたりと思しきところをぐるぐる1周したものの,ついぞ墓は見当たらない。ちなみに,その墓は地図やガイドブックを見る限り,木々が茂った敷地の中にある。15世紀の琉球王朝時代に沖永良部島を治めた,島主・世之主のもので,琉球式の墓であるようだ。破風墓か? はたまた亀甲墓か? あの何とも言えぬ面白い形の墓を見たかったものだ。

その次はワンジョビーチ。「ソテツジャングル」なんて遊歩道があるようで,面白そう。地図できちっと県道を確認して進むと,小さい木の標識で「ワンジョビーチ」とあったので,そこを入る。
しかし,道はあっという間に車1台ギリギリ通れるか分からない程度の幅となる。標識には「0.7km」とあるが,いい加減そのくらいは走っているのに何も見当たらない。入口はどこなのか。試しに1本さらに路地を入ったが,あっさり自滅。何と,再び方向感覚が飛んでしまったのだ。辿り着いたは袋小路。仕方なく1人迷路を解くように,元来た道を忠実に戻るようにすると,無事先ほどの標識の位置に出られる。ワンジョビーチも見学失敗。立て続けにツキに見放された。
次は和泊に向かう。適当に農道を入り込んで,その方向に向かって進むと,うまいこと和泊の街に出られた。一応,見たかった南洲神社の前を通るが,駐車場がない。かといって,路駐できるようなスペースもなく,はてどうするかと思ってグルグルしていたが,少し離れたところに路駐する。
さて,その神社。祠と社があるだけの平凡な神社。とある銅像の前では結婚写真を撮るカップルに偶然出くわす。さすがに神前だから和装だ。その銅像とは,神社名で気がついた方は鋭いが,西郷隆盛である。
第4回「(6)@西郷隆盛のいた場所」の続きになるが,奄美から帰還してすぐ,命令無視で薩摩藩主・島津久光から捕縛命令が出た西郷は,ここ沖永良部に初の島流しとなってしまう。そして約2年間,この神社にある囲いのある牢屋で,監視付きの生活を余儀なくされた。その囲いのある牢屋
が境内にあったようだが,残念ながら見当たらなかった。西郷はその後,その才覚と時代の要請により放免されることになったが,久光はその決断の際,加えていたキセルを歯型が残るほど強く噛み締めたそう。もちろん,それが「苦々しさ」からであることは言うまでもない。

時間は15時45分。あと1時間で北部を見ることにする。なかでも,空港周辺にある景勝地・フーチャは外さないようにしなければ。
まずは,笠石(かさいし)海浜公園。県道から1本入って海に突き当たるところにある。「島内ランニングコース」と書いてあったので,そのまま行けば着くだろうと進んでいくと,再び車幅ギリギリの道。そして,微妙なクネクネ。何とか進んで行くと,突き当たりにはゴールがあった……いや,あったではなく,そこも何と遊歩道だったのだ。ゴールは歩道と歩道が交差するちょいとしたスペースにあり,そこに着いてしまったわけだ。どんなマラソン大会だったのかは分からないが,これでもし,大会の真っ最中で私が一番にゴールテープを切ってしまった暁には,それはそれで島内新聞に載るなどして有名人になったかもしれない……ってわけないか。近くの駐車場では,女性数人が私の車を「何だろう?」という冷ややかな視線で見ていた。
公園を出て北進すると,スタート地点の空港およびFKレンタカーに戻る。フーチャは進行方向で行くと左側にあるのだが,標識はまっすぐという指示。左折して路地で迷っている時間はもうないので,標識に従う。位置的にはこの辺りは北端に当たり,突端の白い国頭岬灯台も見える。
間もなく「→フーチャ2.2km」とあるので右折すると,道は岬の地形に沿う形で反時計回りで続いていき,やがて国頭岬灯台を通過。近くで見るとそれほど大きくない。看板はあるが,公開はしていないようだ。駐車場もないようだし通過する。
さらに道は岬をぐるっと回って,右側に海を見る形でしばらく進むと,フーチャには16時20分到着。ゴツゴツした断崖の中に,だ円にぽっかり空いた空洞があり,下には海が見え波が打ち寄せる。日本語で書くと「塩吹き洞窟」。隆起さんご礁が荒波に侵食されてできたものとのこと。高波があると,この穴からその名の通り,塩が吹き上げるのである。大きさは7〜8m×4〜5mほどはあろうか。その空洞の周りに道もついている。
昔はこの空洞が四つあったというが,4カ所の空洞から波が吹き上げるとなると,かなりの塩水が降りかかり,農作物がダメになってしまったそうだ。そこで,三つが取り壊され,現在の一つだけになったという。地図には空洞を下から撮った写真があるので,どこかから下に降りられるのだろう。

(13)エピローグ
再び来た道を戻って,16時45分予定通りFKレンタカーに無事帰還。精算をすると3990円(税込)。ということは,車代3100円を引けば,ガソリン代はわずか700円。ホントだろうか,この安さ。それなりに燃料は減っていたと思うが,こういう不思議な安さは地元ならではなのだろう。
空港で,会社用の土産に「沖永良部・紅いもパイ」(630円)を購入。しかし,飛行機の中でふとその包みを見てみると,「沖永良部」の文字はシールで貼られたもの。側面を見ると地名のところは「沖縄」とある。土産屋では大抵商品は平積みにされているから,普通は表面しか目に入らない。側面まで見て,という人はなかなかいないだろう。まったく,ダマされてしまった気もするし,そういうやり方を見て微妙に賢くなった気もする。
しかし,何でも沖永良部島は琉球文化の北限になるという。見損ねてしまったが,世之主の墓が琉球式なのも,レンタカーに入っていたCDがBEGINだったのも,そういうつながりだったのだろう。ということは,この「沖縄/沖永良部 紅いもパイ」もまんざら嘘っぱちではない……ってわけねーだろ。ざけんな,ったく。(「奄美の旅」終わり)

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