奄美また行くんかい!? 第3回
 
  
翌朝起きると、空は晴れ上がっていた。7時になると同時にホテルの食堂に行って、800円の朝食を食す。
  
食べたらそのままチェックアウト。今日は、古仁屋港からフェリーにラウムを乗せて、加計呂麻島(かけろまじま)へ行くのだ。
  
このフェリーかと思って、そばにあったA‐COOPでチケットを買おうと思ったら、チケット売り場と乗船場が変わったという。ちなみに、フェリーは与路島行きだった。
  
場所は思いっきり対岸。よって、車ごと移動と相成った。行きも帰りも、今回は念のため予約を入れておいた。
  
すでに、加計呂麻島との間を1往復してきたフェリーが入船。
  
何とか船尾にラウムを押し込めたが、またもややもたついてしまった……。
  
8時10分、古仁屋港を出航。映画「男はつらいよ」最終作のロケ地にもなっていて、写真のように、沖から古仁屋を映した画が出ていたと思う(もっとズームされていたと思うが)。そのバックで流れていた島唄の女性の声は、当時中3か高1の元ちとせ嬢だ。
 
到着先の生間(いけんま)港が見えてきた。
  
8時半、加計呂麻島上陸。2004年10月2006年3月に続いて、3度目の上陸だ。
 
フェリーの上陸にあわせて、島の各方面へ走る加計呂麻バスが乗客を待ち構えている。乗客をある程度乗せると、間髪入れずに出発していく(加計呂麻バス乗車記については、「奄美の旅ファイナル」第2回参照)。
 
まずは、島を東進していくことにする。2006年3月に通ったのと同じルートをたどることにしよう。
  
早速、第1のポイント…ってほどじゃないが、「ムチャカナ公園」というところだ。この山道を登るのがムチャかな……
  
なんてことはなくて(っつーか、「ムチャかな」って2度書きたかっただけだろって感じ)、頂上に上がると「ムチャカナ節」という島唄の歌碑と、小さい社があった。
   
再び地上に下りて、海沿いに東進し、やがて山道へ。
  
加計呂麻島最東部にある安脚場(あんきゃば)戦跡公園に到着〜。
  
誰もいない遊歩道を上がっていくと、彼岸桜が咲いているのを発見。
  
天水貯水池跡(左上)と弾薬庫跡(右上)。
  
突端まで行ってみると、最果てらしい殺風景な岩場が連なる。
  
ところどころ、防空壕っぽい穴を見つけた。
  
金子手崎(かねくてざき)防備衛所跡。1941年に設置され、海上に潜水艦が入り込むのを防ぐための監視所だったそうだ。廃墟なのに、なぜかきれいに障子が貼られている。何かの用途に使う予定でもあるのか。
  
こんな廃墟で何をしようってのか、ホントに謎である。
  
最後に、弾薬格納庫を1枚撮影。
  
来た道を戻って、諸鈍(しょどん)集落…の前に、分かれ道で「→徳浜」の看板があったので、徳浜(とくはま)集落へ。
 
途中、軽くがけ崩れした山道を通ること5分。
  
徳浜バス停では、1日3便のうちの“初便”が日陰で出発を待ちわびていた。狭い道では、マイクロバスではなくてワゴンのほうがいいということなのだろうか。
  
島の端っこ…失礼ながら“へき地”にポツンとある、徳浜集落の日曜日の朝はとても静かだ。
  
このへき地も「男はつらいよ」のロケ地。砂浜で満男(吉岡秀隆)が泉(後藤久美子)にプロポーズする場面が撮影されたのだ(「奄美の旅(勝手に)アンコール」第5回参照)。
  
がけ崩れした山道をそのまま戻って、今度こそ諸鈍集落へ。
  
右が生間港、左が加計呂麻島西部への道という分岐点(左上)に、お地蔵さんがいた。
  
そのお地蔵さんのそばにある大屯(おおちょん)神社。舞踊「諸鈍シバヤ」が行われる場所でもある(「奄美の旅(勝手に)アンコール」第5回参照)。
  
2004年10月2006年3月に続いて、3度目の諸鈍の海岸&デイゴ並木訪問。
  
またまた「男はつらいよ」の登場。ここ諸鈍こそ、この映画のメインスポットだ。映画のマドンナ・リリー(浅丘ルリ子)が住む家……うーん、3年前は「ここだよ」とおまわりさんに言ってもらったのだが、今回は残念ながらどこか分からなかった(「奄美の旅(勝手に)アンコール」第5回であとで確認したら、緑色のトタン屋根の家だとあったが……)。
  
そばには、映画にまつわる大きな碑があった。詳しいエピソードを「奄美の旅ファイナル」第2回で紹介しているので、よかったらご参照いただきたい(あるいは、作家・小林信彦氏が書いた『おかしな男 渥美清』(新潮社)もあわせて見るといいかも)。(第4回につづく)


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