20th OKINAWA

(3)聖地への道
さて,さんざん興奮して駐車場に戻ってくると,時間は11時半になっていた。この場所で1時間半も費やすとは意外だった。で,気になっていたLet's noteはといえば,1時間半でもすっかり蒸しあがっている。やれやれ,これだと久高島に行くときは,できるだけ宿の部屋に入れておきたいところだし,明日行く津堅島のことも気になるが,考えてみれば先月舟浮で6時間以上蒸していても平気だったから大丈夫か(「西表リベンジ旅行」第6回参照)…って,あんまりやり過ぎると,“飼い主”に似てふてってしまうかもしれないから,何とかしたいところだが……。
おきなわワールドを出て,とりあえず知念村方面に向かうことにしたいが,時間が11時半ということもあり,そろそろ昼飯の場所を探さなくてはならない。前回も書いたように,松屋で朝の4時過ぎからヘルシーチキンカレーなんか食っちまって,ソフトクリームも食っちまって,夜は夜でメシがつくから,昼はなるべく軽めにしておきたいところだ。
海側に下っていって,雄樋川を渡ると玉城村。国道331号線を入って間もなく,「→奥武島」の標識が飛び込んできた。久高島行きの高速船は14時発ということで,時間にまだ余裕がある。とりあえず,ここは右折して奥武島へ行ってみよう。昨年2月以来2回目だ(「沖縄・8の字旅行」中編参照)。前回はグルッと島を1周しただけだ。その後で仕入れたもっとも印象的な情報が,この島に“海産物食堂”ってのがあるってこと。噂では店の料理はかなり美味いらしい。
――いやいや,1週間後に健康診断が控えているから,ホントはあまり食ってはいけないところだが,まあ所詮は海産物だし,軽く“海鮮丼”ぐらいだったらば,後で久高島でサイクリングしたときに適当に消費されるからいいか……って,とっても意志が弱すぎ。こんなんで島に立ち寄るなんて,ホンネのところでは食い意地が相当張っているのだろう。
海に向かってやや旧勾配の坂を下っていく。この島へのアプローチが,どこかワクワクして好きだ。橋を渡る手前に「くんなとぅ」の看板が見えた。こちらはもずくそばで有名な店。浦谷さおり氏著『ヌーヤルバーガーなんたることだ』で,たしかこの店が紹介されていたと思う(「参考文献一覧」参照)。そばをはじめとして,もずくごはん・もずく天ぷら・もずくゼリーなど,もずくづくしの定食が有名だ。でも“海産物食堂”のほうが先に思い出されていた。こーゆーところはなぜかFirst impressionを優先する私は,マーチをそのまま橋を渡らせることにした。
立派な離島に行くわけだが,幅のちょっと広い川を橋で渡って対岸へ行く感覚で奥武島へ入ると,道は二股に分かれる。正面にも食堂らしき建物があるが,名前が違うのでおもむろに左へ道を折れること1分,右手に下手したら見逃しそうなくらい小さい店で,「奥武島海産物食堂」と看板のある建物が見えた。周囲を見れば道路をはさんで,港を整備したついでに作ったような公園らしき場所があって,駐車場に車が数台入っている。店の駐車場って感じではないが,停めてもまず差し支えはあるまい。まだ空きはかなりあることだし,善は急げだ。とりあえず車を入れて,店に入ることにする。
中に入ると,いかにも“地元の喫茶食堂”っぽい作りだ。右手に4人用テーブル席が一つあるだけで,あとは座敷が広がる。テーブルが10席ぐらいあったか。それらを仕切る仕切り板が,心なしかスペースを狭めて見えるのは気のせいか。知名度はかなりあるはずだが,その割には実に狭い店だ。よほど,ルノワールとかマックのほうが大きいのではないか。ま,店を拡張するしないは,店主の自由であるから,私のような余所者がとやかく言う権利はない。3組ほど先客がいるが,とりあえずまだかなり空いている。座敷に上がってその一つに座ることにしよう。一つテーブルをはさんで,厨房の様子がよく見える席だった。
さて,メニューを見れば焼物・煮物・刺身など,「沖縄の魚をあらゆる調理方法で料理ができます」って感じで種類は実に豊富だ。とりあえず「刺身定食」にしようか……何とも地味なところであるが,結構せっかちな人間なもので,「早く出てきてチャチャッと食べられるメニューだから」というのが選んだ理由だ。1550円。他の客に割り込まれないうちに,夏川りみ嬢似の若い女性に声をかけて,素早く注文する。2100円の「盛り合わせ定食」なるものも惹かれたが,こちらは後で確認したら,魚の煮付がつくようだ。夜のことを考えれば,頼まなくて正解だった。
間もなく,ここの噂を聞きつけてきたと思われる客が,私の後に次から次へと入ってきて,10分ほどでほぼ満席になった。一方,厨房内は男女4人で切り盛りしていて何だか慌しい様子。たまにりみ嬢が1人ホールに出てきて注文を取るが,取っては中に入って作業をしているようだ。私の前にすでに3組ほど客がいるが,いずれの席にも皿が出ていない。ってことは,こりゃかなり待つのかな……。
ちなみに,私には温かいお茶が出てきたが,他のテーブルへは冷たいお茶が出ていた。子どもはいなかったと思うが,その差ってもしかしたらりみ嬢の気分次第?――冷たいお茶が出てきた別のテーブルから女性がカウンターにやってきて,温かいお茶をもらっていたり,そのあたりはある程度好き勝手にやっちゃえる風土なのだろう。
結局,私が入ってから初めて注文品が出てくるまで20分近く待った。最初のものは他のテーブルへ。でもって,私より先の三つのテーブルには合計9人いるから,このペースだと…と思ったら,他のテーブルに先駆けて次に私のところに刺身定食が出てきた。やはりセレクトしたメニューが正しかったってことだろう(んなわけないか)。
さて,メインの刺身は,A4サイズぐらいの木の板の上に,サーモン・マグロ・イカ・イラブチャ・ハマチ……あとは魚の名前が分からず残念な限りだが,種類にして10種類の盛り合わせ。でもって,1種類あたり3〜4切れあるものだから,刺身であっさりしているからといえど30〜40切れともなれば,相当なボリューム。プラス刺身と刺身の間にキュウリをはさんだり,サーモンにはレモンをはさんだり……レモンはさすがに食わなかったが,こういったものも食べると,なおさらボリュームが出るのだ。茶碗に入ったごはんも大盛に近かったが,どう考えてもごはんが先になくなってしまった。これに生野菜サラダ・もずく酢・味噌汁(この日はわかめ・万能ネギ・大根・豚肉)にタクワンのつけものがつく。
外へ出る。港が目の前なので,潮の香りとあいかわらずの湿気が襲ってくる。店の隣にはこれまた輪をかけて狭い魚屋が営業していた。ちょうど客がいたし,用事もなかったので中には入らなかったが,魚そのものや刺身はたまた天ぷらなど,数多くのものが置かれているのが見えた。そして,店頭には蚊帳みたいなものに入って干物が吊られていた。一度こういう店でたらふくの天ぷらと刺身を1000円ポッキリぐらいで買って,ビールで1杯やりたいものだが,1人では手に余る。男女にかかわらず,“連れ”がいないとなかなかできないことだろう。

再び本島に戻って,玉城村をさまようことにする。10分ほど内陸を走って,百名(ひゃくな)という場所。ここから左に入る。すでに昨年通っている「垣花城跡」「垣花樋川」などの看板(「サニーサイド・ダークサイドU」第2回参照)とともに,もう一つ「仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)」というのが気になったのだ。うろ覚えではあるが,写真でみてかなり大きかったと思った。
とりあえず,狭く急な坂を上っていって,樋川の名前である仲村渠の集落に入ったが,いまいち場所がつかめず途中で折り返す。そして,田とある“それっぽいものがありそうな雰囲気”の下り坂の入口に,たまたま車が停まっていたのを樋川への入口かと思って停めて歩いて下ってみたが,単に畑しかなかった。道も二手に分かれており,これ以上探っていく気力をなくして立ち去ることにした。どうも,道をはさんで反対側だったようだが,しょせんうろ覚えでは,こんな結末なのだろう。
そして,百名に戻り,国道には入らずそのまま海に向かって下っていく。狭く急なうえ,ちょっと見通しも悪いので,運転には気を使う。すると,昨年行った「新原ビーチ」「受水走水」などへの入口(「サニーサイド・ダークサイドU」第2回参照)。それらのさらに奥には「浜川御嶽」「ヤハラツカサ」など,沖縄の創世神・アマミキヨらが立ち寄ったとされる場所が点在しているが,たしか道はジャリ道だったと思うし……なーんて思っているうちに,車ゆえの哀しさで“入り込むタイミング”を逃して通過する。
仕方なく,このまま逆方向に進むことにする。元々道が狭いのもあるが,それ以上に転回がままならないほど,路駐の車が多いのだ。ビーチへの観光客もそうだろうが,この付近には「浜辺の茶屋」「山の茶屋楽水」という沖縄関連の本では必ず出てくる有名な食事処がある。実際,その前を通ると,車を路上に停めて店に向かっていく人のいることいること。12時過ぎというタイミングもあるのだろうが,名前の醸す“ゆったり感”とか“癒し”とはほど遠く,かなりの人が入っていたのではなかろうか。多分,ビーチよりも店に入る人たちのほうが多かったのではないだろうか。やっぱり,情報誌の力ってすごいですね〜って勝手に思った次第だ。
さらに道は狭くなる。それでも結構車とすれ違う。たしかに国道より海に近い場所を走ってはいるが,抜け道とか近道というわけでもない。やっぱり,店に向かう人たちなのだろうか……そうそう,この先にはもう一つ,脚本家・宮本亜門氏の邸宅があるのだ(「沖縄・8の字旅行」中編参照)。この通り沿いで間違いなかったと思うが,似たような普通の民家ばっかしか見えず,かといってわざわざ車を停めてまで探し当てたいとまで思わない。もちろん,有名人がわざわざ「←宮本亜門邸」などと看板を掲げるわけもない。よって,その結果は「単に狭い道に入っただけ」。そして,双六でいうところの「二つ戻る」的ガッカリ感とともに,再び国道に戻る。
さあ,時間も12時40分になった。そろそろ知念村に入っておこう。国道をまた10分ほど走って……また寄り道だ。でも,ここは観ておきたい場所。そのまんま「知念城跡」である。知念村のホームページでは,なかなかしっかりとした見取り図と写真があって,こう言っては統治なさっておられた按司様には失礼に当たるが,“観るに耐えられる場所”と思ったのだ。
「←知念城跡」という小さい看板が出ていた道を入ると,かなりの急勾配。高台に城を設けるというのは,万国共通といったところか。間もなく道が左にカーブするところで,ちょっとした茂みがあった。岩と岩との裂け目みたいなところから階段もあるようだ。もしかして……とりあえず車を停めて,その通路を通っていくと,崖のくびれ地形を利用した墓だった。手すりもあって,しっかりしたコンクリートの階段だ。紛らわしい限りだが,もしかしたら結構裕福な家のものかもしれない。
そのそばにある畑の端っこには,なぜか「鬱金(ウッチン)発祥之地」という石碑がある。新しい造りだと思ったら,2000年3月に建てられたものだった。知念村には,琉球王朝の時代にウッチン(ウコン)が厳重に栽培管理されていた史実が残されていた。そして,碑が建立された場所には「ウッチンアタイグヮ(“ウッチン畑”あるいは“ウッチン担当”という意味)」という屋号が残されており,知念村としてもウッチン発祥の地を宣言し,村おこしの起爆剤にしようという狙いから碑の建立に至ったそうだ。
ま,そんなことはさておき,知念城跡を探さなくてはならない。再び車を走らせると「→知念城跡」という看板。入る道はギリギリ車がすれ違える程度だったと思う。入ってすぐにはシャレたカフェがあった。名前は忘れたが,いかにも「自然志向」って感じだろう。そして,その途中から今度は右に折れる。こちらは車が1台通れる程度。1分ほど走って,ちょっとした広場が左に見えた。
ここが知念城跡……ではなくって,看板が「↑知念城跡150m」と書かれてあった。バックにはすぐ鬱蒼とした森が生い茂っている。石垣もちらほらと見えるから,この上が城跡なのだろう。既述のホームページでは,石垣のアーチ門がしっかり残っていたり,はたまた「知念間切番所」と呼ばれる施設,久高島を遥拝する「友利之嶽」という御嶽なども残っていたりと,写真で観る限りなかなか魅力的な感じだったが,森に向かって上がっていくちゃんとした通路はなかった。先のこともあれば,残念だが登るのはあきらめざるを得ない。
その代わり…といってはヘンだが,広場の入口すぐには「知念大川(ちねんうっかー)」という井戸。石垣が2段になっていて,幅4m×奥行き2m×高さ1mほどの棚みたいになっている。柵がしてあって,中を見ることはできない。ちなみに,水の音がしたが,入口の溝を流れている下水の音。川らしき跡は見えるが,ほとんど干上がっていている。
その上には石積みの拝所があったが,これはどうやら稲作発祥の「ウカハル」という場所。沖縄の創世神・アマミキヨがこの地に稲を植えたとされる。玉城村にある受水走水(「サニーサイド・ダークサイドU」第2回参照)と同様のいわれの場所で参拝が絶えないというが,今この場所にいるのは私1人だけ。いつのときも,こういう説明書きは,よくも悪くも書き方が“前向き”なものである。
再び車に戻り,道をそのまま走り続けると国道に出た。少し先にまた城跡への入口があったが,またも狭い道を上っていく感じ。あまり期待はできないと思って,ここは素通りする。そのまま「ニライカナイ橋」と呼ばれるループ橋を越え,斎場御嶽(「沖縄・遺産をめぐる旅」第2回参照)も越えると,道は左にカーブ。右手の崖上に「ホテルサンライズ知念」,その下に青い海を見つつ,もう1回左にカーブすると安座真集落。左手は斎場御嶽や安座真城跡など,霊験新たかな森が生い茂る。海の向こうには神聖なる島・久高島を遥拝できるのだから,単なる藪や森とは片づけられないものだろう。
そのまま行くと,左手に白を基調としたシャレた家が見えた。走りながら見ていたが,はっきりと「ムーンライトテラス」の文字は分かった。なるほど,こりゃステキないかにも「THE PENSION」だ。そういや,最近駐車場ができたというが,なるほど右手にそれはあった。でも,すべて車が入っている。昼間やっているレストランの客だろう。家の下も駐車場になっているが,これは多分家の人間用とみた。
これじゃ入りたくても入れない感じなので,やむなく通過することにする。とはいえ,安座真港までもこれまたかなりの距離がある感じだった。はるか下に港の待合室が見えた。実際,200mほど走ってかなり急勾配の坂を下っていった。おそらく,ペンションから歩いていったのではキツイだろう。炎天下に車を置いておくのは,これでやむなしとなった。

それにしても,えらい数の車だ。港のすぐそばは「安座真さんさんビーチ」という人工浜になっていて,道をはさんでビーチの駐車場があるわけだが,そこに入りきれなかった車が,「港の敷地に停めることを禁止します」の看板を無視して,確実に港の駐車場にも停められているのだ。もちろん,時期は思いっきり夏だから,久高島に行く人たちも多いのだろう。
久高島が「聖地=ミステリアス=簡単には行けない」という考えは,確実にあらゆるメディアでの紹介によって,崩されつつあると思う。もちろん,交通の便がよくなったのも大きいのだろうが,わざわざ久高島のホームページだってある(知念村のホームページからアクセスする)のだから,それが何よりの証拠だろう。もしくは「たかが一離島」という考えもどこかあるのかもしれない。あまり人に来られては,聖地が聖地足り得なくなる可能性もあるのだろうが,かといって,客が来て少なからずお金が島に落ちることは,島の人だってそれほど否定はしまい。このへんのバランスの取り方が,イコール今後の島の在り方にかかってくることになるのだろう。
さあ,コンクリートで線で区切られたところはすべて埋まってしまい,通路にまではみ出てきているし,待合室の周辺も軒並み路駐して埋まっている。仕方なく,5分ほどウロウロと走って,少し離れたテントが置き去りっぽくなっている空地に車を停める。見渡せば「わ」ナンバーがほとんどだ。彼らも,そして誰よりもこの私が,久高島の在り方を揺さぶる観光客の1人なのかもしれない。
何はともあれ,待合室で往復のチケットを買う。行きは14時発,帰りは17時発。往復とも「フェリーくだか」に乗ることになる。1240円。前回は,フェリーがドックに入っていて,往復とも高速船であった(「沖縄・8の字旅行」前編参照)。片道20分ほどだから,久高島での実質的な滞在時間は2時間半程度。ま,今回は自転車を借りることになるし,1周するには十分な時間は確保できているだろう。
待合室には人が多い。老若男女入り乱れているが,この中のどれだけが地元・久高島の人間なのだろうか。確実に「お前,絶対ビーチで泳ぐことしか考えてないだろ?」って感じの本土出身の男女が,半数近くはいたはずだ。そのうち,安座真さんさんビーチのほうから,小学生と思しき20人ぐらいの軍団がこちらにやってきた。もしかして,こいつらもフェリーに一緒に乗るのか? おいおい,これじゃ自転車は1台とはいえ,早目に確保しなくちゃいけないかもしれないぞ。
13時半になると,フェリーがテコテコと港に入ってきた。端っこのスロープに“ベロ”みたいな鉄板が下りると,車や人が続々と出てきた。かなりの人数である。それと入れ替わるように,とっとと乗ることにする。ホントはもう少し気候が穏やかならば,せっかくのんびりとフェリーで行くことだし,2階にある外のデッキで潮風を浴びていきたいところだが,いかんせん灼熱なので,クーラーのガンガン効いた1階の船室に入り,窓側の座席に座ることにする。そして,窓から海をのぞいて,エメラルドブルーの海の色に「Oh〜」って感じで,軽く眩暈を覚える。
続々と人が入ってきて,結局船室はほぼ満席。車も4台入ってきた。「わ」ナンバーのフィットは,あの狭い島で何をするつもりなのか。第一,そんなに幅の広い道はなかったはず。あるいは,大量に荷物を積んでいるのかもしれないが。ガキ軍団どもは,2階のデッキに行ったようだ。さらに,あるカップルは男性は2人とも水着姿で船室に入ろうとしていた。男性は上半身ハダカにトランクス,女性はビキニだ。彼らにどこまで神聖な島の認識があるのだろうか。ま,別に久高島に海水浴場はあるようだし,人のやることなすことに,深くこれ以上かかわるつもりはない。あるいは私のようなヤツが,一番浮いているのかもしれないし。
14時,フェリーくだか出航。防波堤では釣り客がちらほらと釣り糸を垂れている。高速船だと狭苦しいし,どうしたって見える景色も低く狭くなってしまう。フェリーは景色がワイドに見えるのがいい。海上に出ると,多分高速船からだって見えていたはずのくっきりと白い浜が見えた。多分,コマカ浜だろう。別の港からレジャーボートが出ている無人島だ。今日はまさしく「コマカ浜日和」に違いない。波もまったくなく実に穏やかだ。これもまたフェリー旅ならではってところだろう。

14時20分,久高・徳仁港到着。あいかわらず,何の変哲もない船着場に続々と車や人が出ていく。後から続々と人がやってくるだろうと,私は早めに外でスタンばっていた。少し勾配のある坂を上がり,集落に入ると,間もなく島で唯一のレンタサイクル屋「たまき」が見えた。周囲7.7kmと小さい島だが,徒歩で行くにはこの季節だときつい。前回は滞在1時間ちょっとで,結局は集落しか見られずに離島した(「沖縄・8の字旅行」中編参照)。
で,その「たまき」という店。どう見てもフツーの民家の軒先に自転車が大量にあるってだけのもの。しかし,どういうわけかいなくちゃいけないはずの人がいない。試しに玄関をノックしても,誰も出てこない。どうやら完全に留守らしい。おいおい,これは勝手に持って行っていいものなのか? 周囲には誰も人影がない。でも,残り時間は容赦なく過ぎていく。何だか心理ゲームの中に飛び込まされた気分だ。まして,そのフィールドは神の島・久高島である。どういう島かを(多少は)知っているだけに,慎重な心持ちになってきてしまう。
そのうち,若い女性2人がやってきた。20代前半ぐらいだろうか。彼女たちも自転車を借りたいと思って,ここに来た。
「今,店の人いないんですよ」
「どこに行ったんでしょうね?」
「このまま持って行っちゃいましょうか?」
「困っちゃいますね〜」
聞けば,彼女たちも17時発のフェリーで帰らなくてはならないそうだ。こんな会話をしていても,ラチがあかないことは,火を見るよりも明らかである。
すると,たまたま道を挟んで反対側にある,2階建ての古いマンションらしき建物から中年の男性が出てきた。「あ,あの人に聞いてみようか?」彼女たちが男性に声をかける。
「すいません。ここの家の人,留守ですかね〜?」
「さあ,(私は)ここ(久高)の人間じゃないからね〜。
分からないね〜」
これで完全に腹が決まった…というか,もうこれしかない。そう,家のポストに「自転車借ります。あとでお金を払います」と書き置きして,自転車を拝借して出発するしかないのだ。そもそも,これだけの金目の自転車を所有しておきながら,店にいないほうが悪いのだ。後で何か店側から文句を言われたら,こちらだって強気で出るしかない。そんなこと,いくら神の島・久高島だからって,遠慮することもあるまい。むしろ,神の島だからこそ“善悪”ははっきりさせたほうがいいような……とりあえず,持っているメモ帳を1枚破って,書き置きをすることにする。
「一緒に書いてもらっていいですか?」
女性の1人に連名していいか聞かれる。「あ,はい」……こうして,3人の名前を書いて紙をポストに入れる。「あ,もしかして…?」と一瞬不安がよぎったときは,彼女たちはとっとと自転車を選んで出発していた。そう,いわゆる“トンヅラ”のことが思い浮かんだのである。「旅の恥は掻き捨て」とよく言うではないか。私に3人分の金を押しつけて逃げていくか。はたまた「この人に言われてやったんです」とでっち上げられるか――もちろん,彼女たちのことを信じたいのはヤマヤマだが,「2vs1」ではいかんせん“多勢に無勢”である。ただでさえ,小心者の私だというのに。
そして,この久高島で窃盗事件なんてことになったら,不浄以外の何物でもない。あるいは「彼女たちと自分は関係ない。たまたま私がメモを持っていたので…」と言い訳をしようか。はたまた,名前だけじゃ分からないから,私は男で,彼女たちは女性で別行動ですと書こうか……しかし,こちらもそれらのことを思い浮かべたときには,しっかり自転車を漕ぎ始めて店を離れ出していた。“一抹の不安”を抱えつつ,神の島での“ゲーム”はスタートボタンが押されることになったのであった。(第3回につづく)

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