沖縄・遺産をめぐる旅(全4回)

A東屋慶名へ
勝連城を後にして,そのまま半島の先端に向かうと勝連市街を通過。独特の平たい屋根の築数十年と思しき家屋や商店が並ぶ。その中に「ホワイトビーチホテル」なんてのもあった。映画『ホテル・ハイビスカス』(「参考文献一覧」「沖縄・8の字旅行」後編参照)みたいな経営状況なのかどうかは分からないが,田舎の「ホテル」とは名ばかりの宿泊施設なんて,いつも開店休業じゃないかと偏見を持ってしまう。ちなみに,ホワイトビーチというのは,この半島の突端にある米軍施設の名前のようだ。
そのホワイトビーチのお膝元・平敷屋(へしきや)で,それまでほぼ片道1.5車線という感じの道幅が突然狭くなった。車の行き来もほとんどない。おそらく先にゲートでもあるのだろうが,部外者はここいらで引き返すことにする。Uターンして端っこに車を停めていると,ビーチ方面から来たと思しき軽自動車の人間が,こちらをちらっと見た。多分「何者だろう」と思ったことだろう。
そのまま直進して,平敷屋交差点で右折する。次に向かう目的地は与那城(よなぐすく)町東屋慶名(ひがしやけな)。この地名を聞いてピンと来るモンチ諸氏は何人いるだろうか。この東屋慶名こそは,今年ブレイクした5人組バンド・HYの故郷なのである。メンバー構成は男性4人に女性1人で,みな二十歳前後。セカンドアルバム『Street Story』がこの春にオリコンで1位になっているが,まさかそんなに売れるとは私は思っていなかった。
ちなみに,名前の由来は東屋慶名だから頭文字で「HY」。あと上述した『ホワイトビーチ』は,ファーストアルバム『DEPARTURE』の1曲目のタイトルにもなっている。キーボードの女性がヴォーカルを取るロック調で私の一番好きな曲。この日のために抜かりなくMDにも入れてきている。
港町のせせこましい県道を下る形で進むと,東屋慶名のバス停。HYのメンバーが「何もないのがいい」と言っていた記憶があるが,たしかに何もない…というか,「何の特徴もない」と言うほうが分かりやすい。ここではもう一つ,探し当てたい場所があるのだが,それは後述することにする。

まずは,東屋慶名の交差点で右折。屋慶名の集落としてはここが終わりのようだが,少し先に展望台があるようなのでそちらに車を走らせる。すると,港らしきスペースの脇に大きな太鼓橋が左に見える。橋の向こうは藪地島(やぶちじま)という島のよう。興味本位でそっちに向かうと,鬱蒼とした緑の中に入る。道はもうちょっと続きそうだが,何を期待できそうもない。とっとと途中で引き返す。
そして,港に戻って先に進むと,ちょっとした高台の林の中に展望スペースがある。「与那城町観光地施設」という看板があるが,実際上ってみると,半島と藪地島の間が入江状になっていて,まああいかわらず海はキレイだが,それだけだ。
さて,海岸沿いに北上する道路をまっすぐ行くと海中道路とぶつかり,ここを右折して「海中道路体験」と相成る。その前に話が前後するが,海中道路体験後に実はもう一度,屋慶名に戻って街中をウロウロすることとなった。既述した「探し当てたい場所」のためなのだが,そちらを先に書くことにしよう。
その場所とは「兼久(かねく)商店」。何のことはない,HYの歌のタイトルにもなった実在する商店なのだ。海中道路に行くときと違い,屋慶名の小さな街中を通って探してみた。すると,こじんまりとした平屋の商店がいろいろと出てくるが,その名前の店は出てこない。道路はギリギリ片道1車線という狭さ。加えて路駐している車がちらほら出てくるし,子どもも結構ウロウロしているので,気を遣いながらの探索となる。が,東屋慶名の交差点にさしかかったとき,右側に2階建ての建物で「兼久商店」の文字。特に古めかしい感じもない,キレイな感じもない,普通の雑貨屋。オリオンビールの販売もやっているようである。それでも,多分熱烈なファンにとっては「聖地」みたいなものなのだろう。記念に何か買ったり拾ったりして,「これ,兼久商店の○○だぜ」なんて自慢する輩を想像してしまう。無論,私はそんなことはせずに通過しただけだったが。

B海中道路
正式名は県道10号線。片側ゆったり2車線の素晴らしい道。「飛ばしてくれ」と言わんばかりだ。進入と同時に追越車線に入り,勢いよく赤いアーチ橋を渡る。何とも辺鄙な何もない場所のはずだが,車両は多い。間もなく左にパーキングエリアが出現する。沖縄名物・ブルーシールのピンクのキャンピングカーも出ていて,大きな建物も見える。
そして数分で最初の島・平安座島(へんざしま)に入る。道は片道1車線となる。屋慶名から30分に1本バスも出ているようで,大人250円という。しかし,観光客というよりは100%地元民用である。レストランはじめ民家が数件見えるが,観光客の私はあっさり通過する。と,今度は右に空へ向かって伸びていく橋が見えてきた。もちろん,このまままっすぐ行くことにもなるが,まずは右折してみよう。こうなったらつながっている島はすべて回っておきたい。
その橋の向こうに見えてきたのは浜比嘉(はまひが)島。橋を挟んで,こちらは勝連町になる。琉球祖神のアマミキヨ・シネリキヨが住む島という。この島にも勝連町役場からバスが1日5便出ているようだが,起点から終点まで乗ると,720円もするようだ。島の北部の集落を適当にさまよったら,とっとと平安座島に戻ることに。
さて,元の道に戻って平安座島を北上,宮城(みやぎ)島,そしてどんづまりの伊計(いけい)島まで,こうなったら“果て”に何があるのか確かめたいという“意地”が,スピードを上げさせる。すれ違う車は半分以上が「わ」ナンバー。多分,彼らの大多数は島の海岸で何かを楽しむというより,私と同じで“果て”に何があるのか確かめたいというところではないかと想像する。
ちなみにこのルートは,とうばる運輸産業という会社のバスが1日5便,伊計―屋慶名間を530円で運行している。あるいは,これらのコミュニティバスに乗ってみるのも面白そうだ。きっと,私を含めたレンタカー諸氏が間違いなく通過する地元民の生活空間に,思いっきり飛び込んでいってくれるだろう。

平安座島は石油タンクの島である。左に沖縄石油基地の敷地が見えてくるあたり,右は防波堤となり,そこには落書きというかペインティングがひたすら描かれている。ホント芸術と呼べるものから,「○○参上」みたいな下品なものまでいろいろある。多分,ドライブ熱や常夏の空気にうなされて,勢いで書いたのだろう。
そして,道は防波堤と分かれて直角に左に曲がる。目前には基地の平べったい円柱のタンク。敷地には芝生が敷かれていて,いかにも巨大施設である。右には次の宮城島。間には幅20〜30mほどの“海峡”が走っていて,そっけない橋を渡って島に入ることになる。
この宮城島。心なしか山がちで坂が多いし,道も狭くなる。加えて畑地が多くなった気もする。こういう島にこそ「THE 沖縄」というものがあったりなんかすると思ったが,何もない島だった。
ウネウネとカーブを曲がって,いよいよラストの伊計島に入る。この島とは赤い鉄橋で結ばれている。入口の伊計ビーチには,車がたくさん停まっていて,海水浴に興ずる客が多い。「わ」ナンバー以外の地元民の終着地は多分ここなのだろう。そして,レンタカー客の私にとっては,道路を走っているときに何度となく見てきた看板「ビッグタイムリゾート」がおそらくは“果て”になるのだが,それが近づいてきたのだ。そうとなれば,地形が少し平坦になったこともあり,スピードが再び上がる。すれ違う「わ」ナンバーは,一足早く“果て”を見た輩だろう。そして間もなく,遠くに茶色い屋根で白亜の3階建ての建物が見えてくる。あれが「ビッグタイムリゾート」であることは間違いない。
数分して,入口のところでUターンする車を見かける。こいつも「わ」ナンバーだ。もちろん中に入ってUターンしたって罰は当たらないだろうが,先人にならって私も入口でUターンすることに。これにて最大の“ミッション”は終了。あとはひたすら来た道を戻ることになる。

(3)はて,どこに行くか
時間は15時半。はて,どこに行くか――個人的には,南部にある世界遺産に漠然とだが惹かれていた。沖縄最高峰の霊場・斎場御嶽(せーふぁうたき)である。勝連城もそうだったが,以前から「宮古島の旅」などで紹介している三好和義氏の写真集『ニライカナイ 神の住む楽園・沖縄』(以下『ニライカナイ』,「参考文献一覧」も参照)に世界遺産の印象的なスポットがいくつも写っており,それをこの目で見てみたかったのだ。
しかし“先人”によれば,海中道路と南部を観て回るのは難しいという。那覇市内も夕方になれば混むようだし,車を返す19時半まではまだ4時間もあるが,余裕は見ておくに越したことはない。でも沖縄北インターから高速道路を使えば何とか行けるのではないか――そうこうしているうちに,県道75号線にぶつかった。これを左折すると,間もなく沖縄北インターに向かう道とぶつかる。インターへは右折だ。そこまでに結論を出さねばならない。
で,結局私はそこで右折をしなかった。那覇市との間にある中城(なかぐすく)村に,もう一つ中城城跡という世界遺産がある。あと中村家住宅という有名な家もある。そこもまだ行ったことがない。時間的は少しゆったり目になるかもしれないが,そこを観るのも悪くはない。近くにある宜野湾(ぎのわん)とか浦添(うらそえ)の街を見るのだって“あり”だ。
でも,やっぱりあきらめがつかない。そもそも会社の人間にまで斎場御嶽に行ってくると言ったのだ。もちろんそんなこと会社の人間は忘れているに決まっているが,自分の中ではどうにも腑に落ちなくなってきている。あと,行きに乗った高速道路を単なる経験だけで終わらせるのはもったいない。どうせならば,もう1回乗って「より高速に慣れる」というのも必要ではある。考えれば考えるほど複雑になる。

すると,再び緑と白の看板で「→沖縄北インター」と出てきた。すでに沖縄北インターよりは南側に来てしまっているが,もうこれ以上逡巡するのはよくない。ここで思いきって右折する。本音ならば斎場御嶽から東に向かって戦場公園を通過して喜屋武(きゃん)岬を通って糸満に…というところだが,それは望んではならない。斎場御嶽だけ見て素直に那覇に帰る――もうこれで決まりだ。
やや遠回りをして時間をロスしながらも,沖縄北インターから難なく高速に乗って一路南下。20分ほど猛走して下りたのは,那覇よりも南にある南風原(はえばる)南インター。ここから国道329号線でダイレクトに斎場御嶽のある知念(ちねん)村に行けるが,幹線道路ゆえに混むかもしれない。なので,途中で右折して県道77号線,さらに左折して県道86号線で向かうことに。実はこの車にはカーナビがついているが,もはや私は信号待ちごとに地図を首っ引きである。出掛けに「カーナビの使い方分かりますか?」と聞かれ,「大丈夫です」と返したが,実はまったく分かっていない。行き先を検索するだの入力するだの,そんなことは私の頭の中から完全にない。
内陸を走る県道86号線に入ると,もはや景色はどーでもいい感じだ。琉球カントリークラブと,沖縄刑務所と,岩肌を墓石に見立てたようなデカい破風墓を見たのは覚えている。仮にこの道路のどこかで適当に写真に撮って,「ここ,どこだ?」となっても,そこが沖縄だとは分からないほど,特徴のない景色が8割方でつづいていく。
知念に入って国道331号線に入る直前,カーナビになぜか写らないループ橋を走って,ほぼ完璧に16時35分,斎場御嶽に到着する。10台ほど停まれる駐車場には車が数台いる。周囲は樹木が生い茂り,いかにも霊験新たかなスペースにふさわしい。で,入口には「世界遺産」の石碑があるがそれだけ。見事に素っ気ない。もっとも,勝連城跡にはそんな石碑もなかった。ここも,勝連城跡や中城城跡と同様に「文化遺産」に当たる。

(4)斎場御嶽
まずはちょっとした上り坂を登る。外は夕方で陽が翳ってきたとはいえ,まだ暑い。汗をかきつつ,階段の踊り場みたいなスペースに上る道と,下っていくけもの道との分岐点。後者は「ウローカー」というエリアだそうだ。足元が不安だが,ここまで来て通り過ぎるのもナンセンスだ。汗だく覚悟で後者を選択する。
すると案の定,下り坂に加えてゴツゴツした岩や石が露出していて,何度となく足元を掬われてしまう。ただでさえストレスフルだが,よーく考えると草むらもあるし,ということはハブがいる可能性もある。ますます不安になる。とっとと“片付けて”再び上ってこなければ。
「ウローカー」は清めの場所。1〜1.5m四方の大きさで少しくぼんでいて,周囲を石で固めた水場だ。琉球王朝時代,参拝者はここの水で身体を清め,私が下ってきた道を登っていったようだ。右には「水神」の石。しかしそんな光景が遠い遠い過去であることを示すように,水はすっかり枯れている。後ろを振り返れば,少し下に道が見える。国道だろう。車を置いた駐車場へは国道から坂を結構上ってきたが,それに近い分だけ今度は下ったことになるのだろう。“大変さ”は,それだけ崇高で近寄り難い聖域であることの現れであろう。
さて戻らなくては。ヒーヒー言いながら上っていると,「カサカサ」という音。もしかしてハブ? いや,イモリかヤモリかトカゲが落ち葉の中にもぐり込む音だった。そんな形をしていた。まったく紛らわしいったらありゃしない。まあいずれにせよ,私は人間以外の動物がダメだ。種類が何かなんぞ知らないし,知りたくもない。とっとと上りきって分岐点に戻る。
その分岐点から少し上に登ったところ,「階段の踊り場みたい」と先ほど申したのは,御門口(うじょうぐち)。神社の拝殿があったところで,周囲は石垣で縁取られている。この先も当然通路が続くのだが,当時はこの先は琉球王府関係者しか入れず,一般ピープルは入ることができなかったそう。一般ピープルは,ここで通路の先にある御嶽に向かって拝んだのだ。石垣の外に香炉があって,そのそばで白装束の人間が立っている想像図がそばにある。

そんな一般ピープル…いや俗世の欲望に揉まれ,しかも興味本位で入ってきている“汚れた人間”なのに,私は先に進んでしまおう。こっちの足元は石が敷かれていて歩きやすい。すると次に現れるのは大庫理(うふぐーい)という岩の壁。祈りの場所だという。一段高いところに横7〜8m×奥行き2mほどの平たい岩のステージがある。
その先で道は二つに分かれる。右折して突き当たり右には,巨大母艦の形をした岩にテーブル状の岩が寄りかかり,高さ十数m×幅数mの縦長直角三角形の空間を生み出している。岩の上には数百年の樹齢であろう木が生い茂って,何とも言えないムードである。この空間の絵こそが『ニライカナイ』に写っていたものである。いや,この御嶽の象徴として,至るガイドフックやらで写っていると言ってよい。もちろん,人間の手ではなく自然が造り出した美であろう。
その間をくぐると岩壁。この上もまた数百年の樹齢であろう木が生い茂っていて,樹木と岩のすきまからわずかに空が見える。この下は拝所となっていて,直方体の石が7つ置かれ,そこにさい銭が置かれている。ここが三庫理(さんぐーり)という場所である。
左を見ると,胸くらいの高さの岩壁越しに島がぼやーっと見える。久高島(くだかじま)という島で,これまた沖縄で最高峰の聖地で,ここもまた「アマミキヨ」が降臨そうだ。地図で見る限り,霊験新たかそうな,樹木が多そうな感じである。今回はとてもムリだが,1日7便船が出ている(高速船とフェリ
ーが交互)ので機会あらば行ってみたいところだ――そうそう,ちなみに後で知ったのだが,この三庫理は男子禁制だったみたい。しかし,そうこうしている間にも野郎が続々向かってくるが。
元に戻る。テーブル状の岩が寄りかかった巨大母艦岩の下は,畳2畳分くらいの台がある。ここは「貴婦人様お休み所」。またその右には鍾乳石が垂れ下がっていて,下にはそこからしたたり落ちる水を受ける壷が二つ。大きさは直径15cmほどで,中には水がたまっている。国王の吉兆を占ったり,若水取りをするそうだ。
最後。三庫理に行く道と分かれたもう一つの道を進むと,終点には寄満(ゆいんち)。地図でみると,どうやら大庫理と岩をはさんで裏側に位置している。琉球王朝の用語では「台所」を意味するそうで,国内外の海の幸・山の幸がここに集められたそうだが,こればかりはホントかどうか疑ってしまう。「豊穣が寄り満つる場所」で「寄満」ということだ。あと「ほうだん池」――あの黒い淀みは不気味だ。

(5)那覇市内にて
さて,本来の目的は無事達した。時間は17時20分。那覇までは国道331号線から行くと二十数キロとそれほどないように思えるが,ここは素直に那覇に戻ることにした。那覇市内の渋滞がそれほどではなかったので,トヨタに戻ってきたのは18時20分と,予定より1時間早かった。
道中で印象に残っていることは,市内に入って国道329号線のとよみ大橋でのこと。強烈な西日に向かって走る格好になっていたのだが,よりによって,下ろしていた日よけカバーの下をくぐって目元にダイレクトに直射日光が来たときはあせった。信号が判別できなくなり,危なく赤信号で飛びだしかけたのだ。3車線の真ん中にいて両側の車が停まっていたのが救いだった。それだけ。

@ゆいレール
さて,トヨタから空港へバスで戻ると,2階に上がって連絡通路を渡る。その先には“先人”を差し置いて初乗車あそばせますゆいレールさま(正式名は沖縄都市モノレール)がいらっしゃるのである。本日泊まるホテルは,ゆいレール・美栄橋駅近くの「東横イン那覇美栄橋駅」。美栄橋は,国際通りの中心部である牧志(まきし)に一番近い。それで選んだ。
260円の切符を買って階上のホームに上がる。空港の3〜4階はあろうか。すでに2両編成の列車が人を乗せて待機している。頭が丸っこくて銀地に赤の1本線が入ったもの。ドアは2ドア。パッと見,大江戸線のようにせせこましいのかと思ったら,通路は少なくとも1mはあるから割と広いと思う。18時50分発車というのでまだ時間が5分ほどあるが,ドアをはさんで12人席と3人席のロングシート中心の座席は,8割方は埋まっている。
そして,一番の“特等席”は,1両目(先頭車両)は運転席後ろの2人席×2。運転席に向いているので,ここは「いの一番」に埋まることだろう。写真を撮りたければ,ここに座るか,あるいは座れなければこの後ろに立つとよいと思う。ただし,どうしても座りたいならば,時間帯によっては10〜12分に1本とかになるので,それなりの余裕を持つといい。ちなみに2両目,進行方向は逆だがここの“特等席”も同様のことが言えよう。
やがて出発時刻となると,立っている人がちらほら出てきた。荷物から判断して,地元民と観光客の比率は,ほぼ半々ないしやや地元民が多いくらい。新幹線駅や東急の各駅と同じスタイルの二重ドアが閉じて出発。まずは南下,ちょうど自分がトヨタへ行き来するのに通ってきた道の上を走り,左にカーブして北上する。
印象的なのは,2番目の駅・小禄(おろく)でかなりの人間が乗り降りすること。進行方向左にはジャスコを中心としたショッピングモール,右には高層マンションがそれぞれ直結しており,それらからの客と思われるが,ここで車内は俄然にぎやかになり地元民比率が上がる。あとは,若い女性が旭橋駅で車両をデジカメで撮っていたこと。この女性,間違いなく観光客だが,やっぱり性別に関係なく,沖縄の電車というのには心がときめくものなのだろう。

A大東そばと大東寿司
ホテルに着いて荷物を置き,早速夕飯に外出する。沖映通りという通り1本で繁華街に行けるというのはいい。時間は19時をとっくに過ぎているが,少し外れたこの辺りでも人は多い。店もいろいろあって,やっぱり沖縄といえば沖縄そば…というように,「こんなに小汚くても味だけはすごいんだぜ」と言いたげな店もある。そんないろいろある店舗群の中から今回私が寄りたいのは,「大東そば」という店。前回,そばと寿司を食いたいと書いたのは。ここのことだったのだ。
ホームページによれば,麺はこだわりの麺は食塩ゼロの健康麺。食塩の代わりに天然の海水をつかっていて,木炭入りでちじれている太麺。スープには企業秘密のこだわりがあり,海水を使ってあっさり仕上げているという。一方の寿司は,ネタをヅケにしているのが特徴だ。この見出しから想像がつくかもしれないが,実は明日,南大東島に行くのだ。大東そばというからには,本場は当然南大東島なのだが,ある経緯があってこの店に行くことにしたのだ。詳細は改めて書くことにしたい。
さて,その店は「ニューパラダイス通り」という通りにあるらしいが,通りがよく分からない。真っ暗な一本道を通過したが,“ニューパラダイス”というからにはネオン輝く繁華街を想像してさらに歩いていたら,何のことはなく国際通りにぶつかってしまった。仕方なく通りを戻って,さっきの真っ暗な一本道を入る。
通りの入口は,沖縄料理の居酒屋があることもあり明るいが,あっという間に真っ暗になる。そこだけがホントにまっ暗。やがて右に低層のマンションが見えてきた。店の感じもどこかのマンションの一角みたいな感じだったが,はたしてその店「大東そば花笠店」はそこにあった。通りは結局,「名前だけ」ということだったようだ。店も,何か飾りをつけているのでもなく,周囲の白い壁と夜の暗さ加減が手伝って,実に素っ気無い印象を持つ。

中に入ると,右にカウンター7席とその向こうに構造上の都合だろう三角形の厨房がある。左は4人用テーブル席が二つ。で,奥の一段上がったところに畳席があり,手前に4人席×2,奥に6人席という配置である。で,その6人席に6人と,テーブルの4人席二つ(客は両方とも2人ずつ)が二つ埋まっているが,うち食事が出てきているのは,4人席の一方のみ。右を見れば,若い男主人が1人で切り盛りしているではないか。畳席には器が置かれたままだし,給水器があるが,水はセルフサービスのよう。多分,こりゃ相当待たされるだろうが,折角だからこのまま待とう。
カウンター席に座って後ろを見ると,「そば寿司セット・1000円」という紙が貼られている。早速,若主人に注文すると,何と売りきれたという。単品でも大東そば(大・普通)や沖縄そばがあるようだが,売りきれと言われれば仕方がない。志向をガラッと変え,ここはポークたまご定食(500円)を注文することに。
忙しくフライパンや鍋と格闘する若主人は,ホームページでみると,横浜のデニー友利のように見えるが,実物は,ちょっとダイエーの城島健司が入っている。短髪だったのがそういう印象を与えたのかもしれない。年齢はホームページによれば27歳だそうだが,もう少し上のようにも見える。しかし,器を持っていくときの話し声を聞いているとまだまだ若く,「実直」を絵に描いたような感じだ。あるいは少々「生真面目」なのかもしれない。
次に店内を見てみると,まず天井には巨大な魚拓が飾られている。160cm・50kgと書かれていて,5年前の4月8日に釣ったものらしい。左に目を向ければ,命名の御札が二つ貼られている。一つは男の子の名前で,若主人の苗字(あえてここでは公表しない)が入っている。おそらくは若主人の息子だろう。しかし,その隣に貼られているのには女の子の名前が書かれているが,苗字が違うのだ。あるいは兄弟の子ども(=姪っ子)かもしれないが,考えてみれば不思議な話だ。まさか「認知」でもしたのだろうか。

主人がおもむろに外に出る。そして,メニューが書いてある看板を裏返した。閉店は21時。まだ20時になっていないが,もはや「限界」なのだろう。そういやホームページには「従業員一同お待ちしています」と書いてあったが,その「従業員」はどうしたのだろうか。
と,ふと頭に黒い布をかぶったおばあさんが店に入ってきた。そして,カウンター越しに若主人を見ている。それに気づいて若主人は何かしゃべったが,見た感じ,明らかに若主人は鬱陶しそう。「いま,それどころじゃねーんだよ」と言いたげで,たまにかかってくる電話もあっという間に切ってしまう。
そんな中,20代前半くらいの女性2人が空いた席に座ってきた。閉店じゃなかったのか。かわいそうだけど,今からじゃ結構待たされると思うぜ――すると,女性2人はおばあさんに「すいませーん」と声を掛ける。あれ,店の人間なの? どう見ても,近所の人か身内にしか見えないが,おばあさんもおばあさんで注文を聞きに行った。
そして何と注文を聞くと,カウンターに入っていった。何なんだろう。いいのかよ,これで。すると,「“そば”ができるか」というおばあさんの質問に,「時間がかかるって言っといて」とのこと。あれ,大東そば,あったんかいな。えー,そりゃないぜ……。
店に入って30分,ようやっと自分のポークたまご定食が出てくる。ふんわりオムレツを崩したような盛り上がりの卵焼きに,6〜7cmほどの半月型のポークが二つ。それに生野菜が乗っかっている。ごはんとかきたま汁付き。味は可もなく不可もない,素朴な味わい。500円でも十分な気もするが,1人で切り盛りする姿を見ていると,ちょっくら可哀想な気もしないでもない。事実,6人席にいたおばちゃんらが見るに見かねたのか,食べた皿をカウンターの上に置いて行ってやっていた。
そして食べ終わるころ,カウンター席にやはり20代半ばくらいの女性が1人入ってきた。「“大”ってどのくらいのヴォリュームですか?」の問いに,何か答えている。“大”というのは大東そばにしかないから,結局大東そばは食べられたようだ。売り切れと言われた私って……。(第3回につづく)

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