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2007年11月号
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【 中国の民間療法 】
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小さい冬瓜 |
今から約40年前、義父は肝臓に悪性腫瘍ができ、西洋医学の病院であと半年の命だと宣告されたことがあります。当時義父の職場では、新中国の建設に必要な若い人材だから何としても義父の命を救いたいと考え、ある漢方医学(中国医学)の名医を探し出し治療を命じたのだそうです。その頃は文化大革命の最中で、伝統的な漢方医学は否定されましたから、その名医は既に相当の年配でしたが、労働による思想改造と称して毎日トイレ掃除をさせられていたところを呼び出されて義父を診察しました。その結果、この方法しかないと言って伝授してくれたのが、その名医の家に代々伝わるこの『秘方』でした。義母が言われた通り毎日小さい冬瓜をあぶって義父に食べさせるのを2ヶ月ほど続け、元気を取り戻してから、病院で検査したところ、悪性腫瘍がすっかりなくなっていたので、担当した西洋医学の医師がどうしても信じられないと言ったそうです。
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もっとも、こうした不思議な民間療法についてどう思うか、その恩恵を受けて育った張本人の夫に尋ねたところ「そういう話には関わらないことにしている。」とのことでした。つまり科学的な根拠がないので、そういう民間療法に頼るより西洋医学の病院できちんと診療を受けた方が確かだと考えているようで、これは大部分の中国人の常識でもあるようです。先祖代々の『秘方』を受け継ぐワンさんにしても、その息子や娘は『秘方』に反対し誰も跡継ぎがいないと聞きました。
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市場の冬瓜 |
2007年10月号
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【 中国上海の結婚事情 】
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日本との明らかな違いと言えば、披露宴の前に神前で誓いをするといった儀式的なものがなく、仲人さんもいないことでしょうか。事前に結婚届を出し、婚礼の席では仲人の代わりに「証婚人(結婚立会人)」といわれる人が新郎新婦について、いつどこで結婚届を出し正式に結婚が成立したかを報告します。もし日本のように結婚式を挙げて、披露宴を済ませてから届を出しに行ったりすると笑いものになるといいますから、届け出て役所から結婚証明書を出してもらうことが儀式の代わりになっているようです。そのほかの違いとしては、スピーチや挨拶が少なく、厳粛さや緊張感も全然なく、終始ざわざわとにぎやかな話し声が飛び交っていることでしょうか。司会者がいるのは日本と同じですが、日本のような仲人の長い挨拶はなく、新郎新婦の経歴紹介や両家の紹介などもありません。「証婚人」による1分間ほどの報告と、途中で新郎のお父さんの挨拶、後半で新郎自身の挨拶がそれぞれ2〜3分ほど簡単にあっただけでした。その他ケーキカットや、指輪の交換、花嫁さんのお色直し、抽選会などがあり、それは日本とほぼ同じです。歌の得意な人が2〜3人お祝いの歌を歌ってくれました。主なお客さんは、日本と同じように家族や親戚、本人たちとその両親の職場の上司や同僚、友人たちですが、人数が日本よりはずっと多く、中華料理の丸テーブルが合計22卓ありましたから、200人以上が出席していたことになります。日本人の私たちが人数の多さに驚いていると、まだ今日の場合は少ない方で、500〜600人ぐらい集まる婚礼も珍しくないということでした。また、招待状に書かれていた開始時間は夕方の5:30からだったのですが、実際に司会者が司会を始めたのは6:30頃から、みんなが帰り始めたのが9:00頃からで、日本のようにきっちり時間が決められているわけではありませんでした。こうやって見てくるとやはり日本の結婚披露宴とはずいぶん違いますね。 |
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新郎のお父さんが挨拶の中で、自分たちが結婚したのは1980年のことで、まだ計画経済の時代で物がなく、地下室にあった食堂で披露宴をし、残った料理を持って帰って夕食に食べたのと比べると今は大違い・・・と言っていたのが印象に残りました。そう言えばその頃は、上海の母なる河といわれる黄浦江のほとりの外灘(バンド)が夜になるとアベックでいっぱいになっていたことを思い出します。なぜかというと、上海市内では住宅事情が極端に悪く、住む家がないから恋愛して何年待っても結婚できないカップルがたくさんいたからだと聞きました。その時代は、まずほとんどすべての職場が国営で、働いても働かなくても一般市民の月給は30元台とほぼみんな同じ程度で、子どもが多い家庭はその分生活が苦しく、また家は職場が割り当ててくれるものと決まっていて、自分で家を買うといった概念がなく、売りに出される一般の住宅もなかったそうです。したがってなかなか家の割り当てがなくどちらの両親の家も狭いため結婚できないという人達は珍しくありませんでした。 |
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結婚についてもう一つ日本と中国の大きな違いとして、婚礼を執り行い、新居を準備するのは新郎側の両親の責任だということがあります。それは昔から今まで変わっていません。この点は先月ご紹介した中国の農村でも、上海のような都会でもまったく同じです。今回も、昨日の婚礼の費用と、新郎新婦が住む新居の費用一切を私たちの友人である新郎の両親のロンさん夫妻が負担しています。ロンさんが息子夫婦のために準備した新居は3LDKのマンションで、その内装費用や家具類を含め約200万元(約3,000万円)かかったそうです。上に述べた1980年代以前に比べると全く大きな変化ですね。そして昨日の婚礼には少なくとも10万元(約150万円)はかかっているでしょう。相当重い負担ですが、中国人にとって自分の息子の婚礼は一生に一度の大事で、そのためにどれだけの費用をかけ、婚礼にどんな同僚や友人を招いたかは、その人の社会的地位や実力が評価される一つの重要な目安になっているようです。それは中国人が最も重んじると言われている「面子」の問題に関わってくるため、婚礼に誰を招き、席順をどうするか、誰に「証婚人」になってもらうか等々にものすごく気を使い、何ヶ月も前から根回しをすると聞きました。自分の婚礼よりも息子の婚礼の方が重要だと言えるほどだそうです。一緒に昨日の婚礼に出席した上海人の夫によれば、「ロンさんはこれで生涯の大仕事が果たせた。今日の招待客の席順やその他の段取りは非常に周到に考えられていて、充分ロン家の面子が保てた。」ということです。 息子のために親がどれだけの仕度をしてやれるかが、結婚の条件になるのは農村の結婚事情と同じことで、上海市民の場合は、まず上海市内に新居が準備できていることが、同じ上海出身のお嫁さんをもらう大前提になるそうです。上海人は上海人同士で、それぞれの家庭の条件もほぼ同程度の人同士が結婚するのが一番いいという考えは、親たちはもちろんのこと今の若い世代の人達もまったく変わっていません。今回の新郎のロン君と新婦のチェンさんは、高校時代のクラスメート同士で今年27歳、10年間の恋愛の末に結ばれたとのことでした。もちろんどちらも上海の出身で家庭の条件にもそれほど大きな差はなさそうです。 |
![]() 喜糖(シータン) |
2007年9月号
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【 中国農村の結婚事情 】
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我が家のお手伝いさん―ハオさんには明確な目標があります。それは今年16歳になる息子に4年後お嫁さんをもらうことです。なぜそれが彼女の目標になるかと言えば、一般に中国では息子の婚礼を執り行うことが親の責任だとされているからです。これはハオさんの故郷である河南省の王窪(ワンワル)村でもそうですし、上海のような大都市でも同じです。とにかく子どもが結婚するまでは親が全面的に世話をするのが中国では常識になっています。 |
今、ハオさんのご主人も広東省へ出稼ぎに行っていて、18歳になるお嬢さんも同じ広東省で働いています。この娘のためにハオさんはそろそろいい相手を見つけてお見合いをさせ、今年中(旧暦の今年中、つまり来年2月の春節まで)になんとか婚約にこぎつけたいと考えているそうです。私たちはもう今の時代、親が結婚相手を決めるなんて封建的過ぎるから、本人に任せておけばいいのにと言っているのですが、本人はまだ頼りないし、相手は同じ村かその近くの村の出身者でなければだめだから、母親である自分がまず見つけてやらなければならないのだとハオさんは主張します。もちろん本人の意志を尊重し、無理強いはせず、本人の気に入る相手が見つかるまでお見合いは何度でもしていいのだそうです。 娘を嫁にやるために用意すべきものは通常、布団を8組以上というだけで、息子に比べると負担はずっと軽く、それ以外に本人がこれまでに貯めたお金はそのまま持たせるので、それで充分だといいます。 |
住宅の取り壊し作業をする出稼ぎ労働者 |
それなら負担の軽い娘が一人居れば充分なのではないか、なぜ農村ではみんななんとしても息子を欲しがるのかと言えば、とにかく跡継ぎがいなければ話にならず、息子が一人もいない家は、けんかをしても勝ち目はないし、人から馬鹿にされ、まともに扱われないからだそうです。ハオさんも、先に女の子が生まれた時は、お姑さんの機嫌が悪く、その子も全然可愛がってもらえず、2年後に息子が生まれてからようやく機嫌が直り、ハオさんも嫁として認めてもらえるようになりました。一人っ子政策を実施する中国で、どんなに罰金をとられても息子が生まれるまで子どもを生み続ける人が多いのはそのあたりに理由があるようです。 |
でも今年、胡錦濤主席が農民年金を設立すると約束したのだから老後はそれで生活できるのではないの、と私が言うと、「それは中央政府が勝手に言っているだけでしょう。私らワンワル村とは関係ない。」と、あっさりした答えが返ってきました。我が家の近所の農村では既に農民年金が全員に支給されているのですが、それは上海の豊かな農村部だけのことで、内陸部の事情は全然異なるのだそうです。
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出稼ぎ者が朝食を売る屋台。豆乳、油条(揚げパン)、油餅(お好み焼き)、麺類等なんでもある。公安局が立てた右上の立て札には「屋台厳禁」と書かれている。 |
2007年8月号
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【 上海の昼食事情 】
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昨日の夕刊で「オフィスビルで上海アーイに料理を頼む」という記事を見ました。アーイ(阿姨)とは、本来は叔母さんという意味で、叔母さんの中でも母親の妹を指すことばです。そして実際に使う時は、自分の本当の叔母さんに対してはもちろん、見知らぬ女性に対しても、近所の女性に対しても、年齢に関係なく親しみを込めて呼びかけることのできる便利なことばです。お手伝いさんのことも、幼稚園の先生のことも「アーイ」と呼びます。この記事の中で紹介されているのは、最近上海の地元のアーイに頼んで、オフィスビルで働く社員のために昼食を作って届けてもらう会社が増えてきたという内容でした。 |
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「百葉包(パイイエパオ/豆腐皮というしっかりした薄い豆腐で豚肉のミンチと野菜を混ぜたものを包んで煮たもの)」「巻心菜(チュアンシンツァイ/キャベツの炒め物)」「炸猪排(チャツパイ)豚肉の唐揚げ)」「酸辣海帯(スアンラーハイタイ/昆布のピリ辛酢の物)」「菌俣(チュィンクタン/きのこスープ)」・・・これはあるマネジメント会社の人たちが昨日のお昼に食べた献立です。こうした「上海アーイ」の料理は、若いサラリーマンやOLたちからもあっさりしていて中味が充実していると喜ばれています。この会社でマネージャーをするティンさんの話では、「当社の社員は大部分が上海人で、以前は1日10元(約150円)の昼食手当を支給して自由に食事をさせていたところ、会社の近くにあるのはラーメン屋とフライドチキンの店だけで、時にはお腹をこわす人もいるなどして、いつも色々文句が出ていました。そこで近所の家政サービス会社に頼んで地元のアーイに昼食を作ってもらうのを2ヶ月試したところ、評判は上々で、みんな大満足しています。」とのことです。このアーイは毎日昼食後にみんなの意見を聞いて翌日のメニューを作り、それに基づき予算を立てて会社のマネージャーの承認をもらい、翌朝早く市場へ材料を買い出しに行き、週末になると1週間分の費用をまとめて精算します。通常、ご飯とスープはオフィスのキッチンで作りますが、その他の料理はアーイが自分の家で作って、お昼になると運んでくることになっています。彼女たちは大部分が50歳から65歳ぐらいの上海の主婦で、子どもたちが独立し、家にいてもすることがなく、こうやって会社員たちの料理を作ることで人生の「余熱」を発揮できるのだそうです。それにアーイたちは若いサラリーマンやOLたちを自分の家の子どものような気がするとも言っています。 |
「百葉包」 |
また、別の会社に昼食を届けているチーアーイは「私たちの間では不文律みたいなのがあり、料理の分量が20人を超えるとみんなやりたがりません。だって需要が多過ぎると家のお鍋では作れないし、もうけの方もなくなるからです。」と言います。チーさんはお昼前に料理を届け、みんなが食べ終わるとその部屋を掃除し、食器類をきれいに洗ってから、次の日のメニューをみんなと相談して決めることにしているそうです。これで毎月の給料は600元(約9,000円)、彼女は「とても充実していて満足しています。」とのこと・・・
さて、日本ではどうでしょう。ボランティア活動の一環としてはなかなかいいのではないでしょうか。私もあと数年経って、もし家の近所に適当な会社があれば、こういうアーイになってみてもいいかな、と思っています。 |
上海の旧市街区のオフィスビル |
2007年7月号
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【 中国の立退き(続) 】
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今日はこのホットニュース5月号でお話しした、大衆村での立退きのその後についてご 報告したいと思います。 結局、立ち退きに同意すれば、建築面積1uあたり平均4,000元台(6万円台)の立退き補償金が支払われ、この地域の新しいアパートが市場価格の6割から半額程度で分譲されることが明らかになりました。またこのほか立ち退いた人は全員、生涯にわたり、生活手当と医療費補助が受けられ、さらにこれ以外に新しい住居が整って住めるようになるまでの過渡的な住宅費補助として、立ち退いた家の建築面積1uあたり毎月8元が支給されるということです。平均的な農家の面積は300〜400u程度ありますので、1軒につき120万〜160万元(1,800万〜2,400万円)程度の立退き補償金と、家を借りている間は毎月2,400〜3,200元(36,000〜48,000円)の住宅費補助、ならびに生涯にわたり毎月一人当たり数百元(大衆村で農民として働いた年数やその他の条件により異なる)の生活手当が支給されるはずです。したがって立ち退いた人達の生活は一応安泰と言えるでしょう。また例えば70歳以上の高齢者だけの世帯は立退き補償金が平均より2割程度上乗せされ、特別一時金として20万元が余分に支払われるなど、個別の条件に応じた配慮もされているようです。 |
以上は大まかな内容ですが、立退きになる地区の掲示板に正式な説明文書が貼り出され て詳細が公開され、すでに補償金を手にした人もいますから、今度は一応信頼できる情報のようです。これを聞いた内陸部の農村出身の人は、自分たちなら大喜びですぐにも立ち退くと言っていました。
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取り壊しが始まった家々 |
5月号で私は「住民たちの意向を聞いて、1uあたり平均5,000元から6,000元、最高8,500元の補償金が支払われることで、全員折り合いがついた」と申しましたが、これはあちこちで飛び交う「小道消息(シアオタオシアオシ)」と呼ばれる口コミ情報、つまり噂話の一つに過ぎなかったようです。申し訳ございません。 |
立退き要請に応じた家から順に取り壊しが始まったのは約1ヶ月前のことです。最初に取り壊された家は、ちょうど私が住む家と川をはさんで向かい合っているのですが、そこのご主人のヘイさんは役場で移転推進業務に携わっているため、自らが率先して立ち退くことにしたようです。以前はよく川に小さなボートを浮かべて魚を捕っていて、私が網でザリガニを捕るのを手伝ってくれたこともあります。家の取り壊しが始まった朝、ヘイさんはわざわざ川のこちら側へやって来て、自分の家が壊されていくのを遠くからじっと見守っていました。
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家が取り壊された跡(左端) |
2007年6月号
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【 「高考」 】
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「高考」とはどういう意味か、中国語になじみのない人にはクイズのようなものでしょうか。「高考(カオカオ)」とは「高等院校入学考試」を2文字に省略したもので、つまり大学入試のことです。「中考(ツンカオ)」は高校入試を指します。中国では9月が新学期ですから、6月中ごろまでが入試のシーズンで、ちょうど今頃は入試が終わったばかり、受験生がいる家庭はホッと一息というところでしょう。 |
![]() 中国の大学(1970年代) |
今年は中国の大学入試復活30周年にあたります。中国では1966年から1976年までの文化大革命(中国全土を巻き込み、政治、経済、社会、思想、文化、市民生活等あらゆる分野に及んだ改革運動ですが、実態は内乱状態に近かったと言われています)の間、10年間にわたり正常な学校教育というものがほとんど行われず、大学入試も中止されていました。1977年5月になってから、それまで政治闘争の中で失脚を繰り返し3度目の復活を果たしたばかりのケ小平さんが「知識を尊重し、人材を尊重する」と言って大学入試復活をほのめかしてから、激しい論争を経て、ついにその年の暮れに大学入試再開が実現したのです。 |
![]() 中国の大学(現在) |
その後、大学募集定員は毎年増え続け、特に最近は1998年108万人、2002年275万人と急激に増加し、今年2007年は募集定員570万人に対し、ついに1,000万人を超える受験生が入試に挑みました。全体の合格率で見ると、30年前の4.7%から2006年度は56.85%にまで上昇し、大学生と言ってもまったく珍しい存在ではなくなっています。
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新しいビジネスチャンスも生まれています。「高考保姆(カオカオパオム/受験対応家政婦)」とは、大学受験の数ヶ月前になると、特に受験生専門に世話をするお手伝いさんを雇う家庭が出てきました。ある家政婦派遣会社では「高考保姆」についての問合せの電話が1日平均10数件はあったそうです。そして受験が終わった後は、「陪玩保姆(ペイワンパオム/遊び相手役家政婦)」の問合せが増えてきます。長い間受験で苦労した子どもをねぎらうために家族旅行をしたいけれど、その暇がない親がお手伝いさに頼んで子どもを旅行に連れて行ってもらうというものです。本人は自分たちで旅行したいと言うのに対し、ほぼ全員が一人っ子ですから、親としては心配でたまらず、急遽家政婦派遣会社に旅行の付き添いのためのお手伝いさんを頼んでくる親がここ数日増えています。何と言っても受験生はもう18歳ですから、それに対して、断固自分たちだけで行くと主張する子もいれば、飛行機で遠くへ長期旅行させてくれるならお手伝いさん同伴でもいいと条件をつける子など、反応は色々のようです。
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上海っ子のルー君(26歳)とリンさん(24歳)に、こういう状況についてどう思うかと聞いたところ、次のように話してくれました。「今中国はものすごく発展し、大金持ちも結構出てきています。私たちの受験時代と比べても一般市民の生活はかなり裕福になりました。もともと視野があまり広くない人が一旦お金を手にすると、自分のことよりもまず子どものことを考えるだろうと思います。こうした親たちの気持ちはよくわかります。心配するのはわかるけど、ずっと10歳ぐらいの子どもと同じように扱うのは、やり過ぎでしょう。心配を抱えつつも適度な行動の自由を与えた方がいいと思います。お手伝いさんを付き添わせて監督させるのは逆効果になるでしょう。外国人はたいてい子どもが18歳になったら自立させようと考えますね。中国の子どもが甘やかされて育っているのは中国人としてちょっと恥ずかしいです。これまで家の中の皇帝みたいに生活してきて、いきなり自分たちだけで旅行したいと言っても、両親に反対されるのは当然でしょう。車を運転したこともないのに、急に運転すると言い出すのと同じことだと思います。自分が親だったら、やはり反対しますよ。でも18歳ぐらいになれば、ある程度自立させて、壁にぶつかったら自分で対応策を見つけ出す経験ができるようにしてやりたいですね……。」
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2007年5月号
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【 中国の立退き 】
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経済発展の途上にある中国では、各地で大規模な土地開発が行われています。当然その土地に住んでいた人達やそこにあった建物は立退きを迫られるわけです。先日も広東省の農村部で地元政府の土地開発を巡って住民が反発し、村の元幹部の自宅を襲ったり、幹部を政府建物に閉じこめたりしたという香港メディアからの情報が日本でも報道されていました。 上海市の統計によると上海で2006年度中にもとの住居を立退きになった市民の家は76,900戸にのぼりました(大まかに言って上海の人口は1,900万人強、そのうち約70%が上海市に戸籍がある人、残りの30%は他の地方からの流動人口だと言われています)。 |
立退き間近の家々 |
立退き間近の家々
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私が住んでいる場所も上海郊外の農村部で大衆村というところです。ここでは1990年代の終わり頃から大規模な開発が進みハイテク基地が建設され、それに伴う各種の生活施設やその他のインフラがどんどん整備されています。4年ほど前に我が家の川向こうにある数軒の農家が一斉に家の建て替えを始めたことがありました。事情を聞いてみると、このあたりの家がまもなく立退きになるらしいという情報が入ったからだというのです。立退きになるのになぜまたこれから家を建て替えるのでしょうか。さらに理由を聞いてみるとそれまで立退きの補償金は「按人頭算(アンレントウスワン/人の頭数に応じて計算する)」だったのが、今後は「按磚頭算(アンツアントウスワン/レンガの数に応じて計算する)」へと政策が変わるからだということでした。つまりそれまでの立ち退き補償金は一人当たりいくらと決まっていたものが、1uあたりいくらかへと変わり、レンガの数つまり家の建築面積により計算されることになったというのです。
こうして4年ほどたった最近、いよいよ川向こうのその地区の家々が立ち退くことになりました。ここ数ヶ月間をかけて地元の役所が何回もヒアリングを行い、住民たちの意向を聞いて、1uあたり平均5,000元から6,000元、最高8,500元の補償金が支払われることで、全員折り合いがついたという話を聞きました。このあたりの農家はたいてい1軒で300〜400uほどの建築面積があるので1戸あたり150万元から240万元程度の補償金が手に入る計算になります(1元は約15円)。ちなみに上海のサラリーマンの平均月収は2,000元台です。 中国の農村では昔からその土地に住み着いて代々農業をやっている家が大部分で、一つの村はみんなが知り合いという地縁血縁でつながった共同体であるのが普通です。そして村長や村の共産党委員会書記もその共同体の一員であることが多く、そういう村では大きなトラブルが起きることはあまりありません。したがって立退きになるにしても、何年も前から情報が広まり、村民たちの反応を確かめながら徐々に具体策が固まってくるようになっています。もちろんそれぞれの村民は内心不満ややっかみを持っている場合も多いのでしょうが、少なくとも表面的にはそのようにして丸く収まるのが普通です。 |
ですから冒頭に挙げたようなニュースを聞いて私は、そこの幹部たちはよほどひどい汚職をしていたか、あるいは他の地方から派遣されて来て、地元の事情を調べず村民たちとの関係を築く地道な努力などもせず、型通りの政策を強行しようとしたのではないか、などと想像をめぐらせていました。
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ハウス栽培の農地 |
2007年4月号
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【 金猪年 】
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中国で今年は600年に一度しか来ない「金猪年(金の豚の年)」で、この年に結婚して子供を生むと金運に恵まれ、縁起がよいと言われているそうです。もっともこれは数年前に誰かが言い出したことで、易経にそういう記載があるわけでもなく、古くから伝わるような根拠は特にないとも言われています。けれどもとにかく、若い人の間でも同じ結婚するならなんとか今年中にという人が多く、今年は一種の結婚ブームが起きているのだそうです。 |
上海のデートスポット―外灘(ワイタン)から対岸を望む |
1949年に新中国が成立するまでの封建社会では、結婚相手は親が決めるのが普通で、結婚式の当日、初めて相手の顔を見るというのが当たり前だったと聞きました。よく中国の映画やテレビドラマの中で昔の結婚式があると、花嫁さんが顔に赤い布をかぶっていて、クライマックスで花婿がその赤い布を持ち上げるシーンをご覧になったことがある人も多いことでしょう。もう正式に縁組が決まっているのですから、その時に本人同士が相手のことをどう思うかなどは問題にならなかったわけです。もちろんそれは昔のことで、今では親に絶対服従するなどということはなくなりましたが。
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これに対して都市部の事情は全く異なります。上海などの都市部では、日本と同じように30歳を過ぎてもなかなか結婚しない人が増えています。仕事が忙しくて適当な異性にめぐり合うチャンスがない、親元に居る方が楽でいい等々、その理由も日本とほぼ同じです。そこで結婚紹介所ができたり、公共団体や民間会社などが主催する各種お見合いパーティ、お見合いツアーなど、さまざまな試みがなされています。 |
そんな中、最近では「追求(・・)専門会社」というものまで現れました(中国語の「追求」には日本語と同じ意味のほかに「意中の人を追っかける」といった意味があります)。先日そういう会社が経営する店に行った34歳の王君の話によれば、そこのスタッフはとても親切に対応してくれたそうです。 「ガールフレンドをさがしているんですが。」と言うと、 「では、もし意中の人がおありでしたら、私どもが全プロセスにわたる追求(・・)サービスをご提供させて頂きます。どなたかおいででしょうか?」とそのスタッフ。 「いません。」 「そうですか。では、なんでしたら先にお探しになってみて下さい。もしお目にとまった方があれば、その方の大まかな状況をお聞かせ下さい。当社のあらゆるルートを通じて、その方の趣味や通勤時間など詳しい状況をお調べ致しまして、それからお二人が『偶然』出会う機会を何度か設定して差し上げます。その場合は、あたかも運命の糸で結ばれているとしか見えないようにお取り計らいさせて頂きますので・・・」 「それで料金は?そこまでうまくやってもらえるのなら、相当かかるでしょう?」 「それは難易度によって異なります。普通の女の子なら4,000元(約6万円)ポッキリでお引き受けしましょう。成功しなければ料金は頂きませんので、ご安心を!」 店を出てから王君は、これはラッキーだね、がんばって探して、いい子がいたらこの店に頼んでみよう、どっちみち成功しなければタダなんだから、と思いました。 数日後王君は、バスの中で出会った女性に一目惚れし、何とかしたいと思って再びあの店へ行ってみました。店で事情を話すと、そのスタッフは、わかりました、調べがつき次第ご連絡させていただきます、と言いました。 半信半疑で待っていると、さすが専門会社だけあってか3日もたたないうちに、お越しいただきたいとの連絡がありました。 「彼女の名は、林静香さん、28歳、○×△株式会社にお勤めです。もし追求(・・)業務の展開をご要望でしたら、契約書にご署名いただきまして、追求(・・)に成功致しましたあかつきには、手数料として8,000元頂戴することになります。何かご質問は?」 「この前、4,000元で話がついたじゃないですか。それがどうしてまた8,000元なのですか?」 「ええっと、それはですね。この方の場合は特別な事情がございまして・・・。」 「特別な事情?」 「はい、つまりこの方にはすでにボーイフレンドがいらっしゃいますので、自動的に追加業務が発生致します。」 「追加業務と言いますと?」 「ええ、つまりですね、『ぶち壊し』業務です。」スタッフの人はすました顔でそう言いました。 さて、王君がその後契約したのかどうかは、まだ確かめていません。ともあれ、金猪年の今年、中国でも日本とほぼ同時にやってくるゴールデンウィークには例年より多くのカップルが式を挙げることは間違いないそうです。 |
披露宴があるレストランの前にて(上海郊外) |
2007年3月号
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【 中国のお手伝いさん 】
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確かにハオさんは力持ちで働き者らしく、我が家では74歳になる父も健康で、毎朝10時頃からどこかへ遊びに行って夕方まで帰りませんから、ハオさんは結構ヒマそうにしています。いつも力が余って手がむずむずすると言い、朝起きるとさっさと掃除を済まして、5〜6kmぐらいジョギングをします。少林寺がある河南省出身のせいか、武術の心得もあるそうで、雨が降ってジョギングできない日は家の中ででんぐり返しをしていることもあります。毎朝ジョギングする彼女のことは近所でも評判になっていると父が話していました。
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![]() ハオさんが新たに掃除係を引き受けた家 |
2007年2月号
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【 年夜飯−中国の年越し料理 】
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年夜飯−中国の年越し料理 今年の春節(旧正月)は2月18日でしたが、中国でも全国的に暖冬で、いつになく暖かいお正月でした。元旦におせち料理を頂く日本とは違い、中国では大晦日の夕食がお正月料理のクライマックスになります。中国の人達は1年を1日に見立て、1年の夜の食事という意味を込めてこれを「年夜飯(ニエンイエファン)」と呼んで大切にし、家族や親戚が集まってご馳走を頂きます。 今年の大晦日、我が家では合計28人が集まって、大きな丸テーブル2つを囲みましたが、それでもあぶれる人が出たほどでした。どんなご馳走が出たかご紹介してみましょう。 |
まず冷菜(ロンツァイ/オードブル)として、 |
以上の料理は主に、今年73歳になる夫の父が作り、ほかの人が横から手伝いました。父は毎年春節の1ヶ月ほど前から材料の買出しを始めます。中国でも普段は主婦が料理をする方が多いのですが、春節など何かの行事で人が集まる時には、特に上海では、料理の得意な男性がやってくれることがよくあります。 |
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2007年1月号
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【 中国の一人っ子政策 】
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中国では1979年から一人っ子政策が実施されていますが、このほど、その後に生まれた一人っ子が1億人になったことが報じられました。この政策が実施されるまで、毛沢東が健在であった時代には、全く逆に人口が多いほど国力もつくと言われ、人口抑制を主張した学者が迫害されたこともあったのとは大違いです。 この一人っ子政策に関連して、当の中国の一人っ子はどんな風に考えているのでしょうか。今年26歳になるある上海の一人っ子は次のように話してくれました。 「一人っ子(独生子女)政策は中国の重要な政策の一つです。もともと人口が多い中国では、人口を抑制することにより教育や生活環境、成長空間など子ども達に関わるすべてのものを改善することができます。この政策のおかげで、1980年代に生まれた子ども達は確かに70年代に生まれた子ども達よりも良い生活を送ることができました。さらに近年の中国経済の猛烈な発展によって、90年代以降に生まれた子ども達は物質的には以前に比べずっと豊かな生活を送っています。親達がすべての物や希望や力を自分の子に注ぎ込もうとするのも理解できます。中国の大都市では一人っ子政策がすでに定着したので、今は一人っ子が普通です。しかし物事には両面があり、一人っ子政策には悪い面もあります。例えば最近離婚率が上昇を続けていますが、親が離婚した家庭の一人っ子は悲惨です。兄弟がいれば少なくともその悲惨さを分かち合うことはできるでしょう。また一人っ子が成長する過程では物質的には豊かでも精神的には寂しい面があると思います。一人っ子だと自分の考えや理想、計画などを相談できる相手は親か友達しかいないのが普通ですが、子供と親の間には必ず壁が存在するし、友達に話せることにも限りがあるからです。一方、親としては一人しかいないのだからすべての愛をその子に捧げなければならないと思い、その結果、一人っ子の依頼心とわがままが助長され、それが現代中国の一人っ子の最大の特徴になってしまいました。」
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例えば、ある農村出身の友達は「先生小孩、後結婚(先に子供を生んで、後から結婚する)」といいのだと言っていました。彼女は十数年前に17歳でお見合いをして嫁入りし子供を一人生んでその子がある程度大きくなり、自分も20歳くらいになってから何食わぬ顔で結婚届けを出しに行き、その後2人目の子を、初めてのような顔をして生んだので、罰金は払わずに済んだそうです。一つの村ではみんなが顔見知りで内情は知れ渡っているから隠しようがないのではないかと私はたずねたのですが、一人目の子がもうそんなに大きくなっていることだし、まあいいじゃないかということになったのだそうです。そのあたりの論理が何度聞いても私には納得できないのですが、中国の農村ではお役人も独特の融通性をもっているのでしょうか。いずれにせよ特に農村では老後の保障を得るためにも子供が多い方がいいという伝統的な考え方は根強く残っています。ただし息子に農業を継がせるという考えはあまりなく、自分が出稼ぎに出るなどして何とかして現金を得て、無理をしてでも子ども達に良い教育を受けさせ、将来は豊かな生活を送らせたいと考える親達が増えてきているのも確かです。 |
一方の大都会、上海では2004年に一人っ子政策の緩和措置が示されました。夫婦ともに自分たち自身が一人っ子である場合、再婚した夫婦の場合、第一子が障害者である場合、夫婦のいずれかが上海市の農村戸籍を有し、しかもいずれかが一人っ子である場合等13種類の基準のどれか一つを満たせば二人目を生んでもよいという内容です。その後主に高学歴高収入の夫婦たちと、郊外の農村部に住む夫婦たちの中に、この措置を利用して二人目の子供が欲しいという人たちが現れてきてはいますが、全体的に見て、特にこの措置によって二人目の子供を生む夫婦が急に増えるかというとそうでもありません。上海ではこれまでの政策が定着し、今では結婚適齢期に当たる人口の90%以上が一人っ子だという統計が出ています。このため今後結婚する夫婦は大部分が緩和措置の基準に適合すると考えられますが、この措置を制定する際の参考として上海市の市街地と郊外の農村部全体から無作為に抽出された約2万人を対象にして行われたアンケート調査によれば、生みたい子供の数は夫婦一組あたり平均1.1人にとどまり、子供を生まない夫婦4.48%、1人だけほしい夫婦81.7%、2人ほしい夫婦13.7%、3人以上ほしい夫婦0.35%という結果が出ました。1983年の調査で一組の夫婦が生みたい子どもの数の平均が2.04人であったのに比べると心情的に少子化の傾向が明らかにうかがえます。一人だけでよいとする夫婦の半数以上が、教育費やその他子供にかかる費用負担が大きいことをその理由の筆頭に挙げているそうです。 以上のような状況から、上海に限って言えば、今後も子供の数はあまり増えず、2030年には65歳以上の人口が全体の半数以上になるという試算さえあり、少なくとも28.8%にはなるだろうと予測されているため、このまま進めば若年層の社会的経済的負担が大きな問題になるだろうと言われています。
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神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター 中国のホットニュース 2007年