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2005年12月号 |
【 上中国の家庭料理 】
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蒸し餃子
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さて、日本から中国へ旅行にいらっしゃる方々はしばしば「中国の人達って毎日あんなにご馳走ばっかり食べてるの?」とお尋ねになりますが、普段はもっと簡単で、夕食でも「四菜一湯(スーツァイイータン)」つまりおかず4品とスープ1品だったり、時にはワンタンだけだったりということも普通です。それに最近は肉や魚より野菜中心の料理が好きだという人も年々増えているようで、我が家の親戚や友人達にも大体その傾向が見られます。 |
一緒にサンバを! |
上海旧市街区「豫園」付近 |
2005年11月号 |
【 上海蟹の季節 】
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上海の家庭料理(他の料理を食べ終わってから最後に蟹を食べる方がよい。先に蟹を食べると他の料理の味がわからなくなるから)
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中国で初めて上海蟹を食べた人「巴解(パーシエ)」 陽澄湖
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2005年10月号 |
【 時尚復古(その2−水郷) 】
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前回に引き続き「時尚復古(古い伝統的なものへ回帰が流行すること)」にちなんで、さらにお話ししましょう。 |
水郷の古い街「朱家角」にて |
さて、この水郷ブームの火付け役でもあったのが、前回もお話しした上海で最も有名な視覚芸術家陳(チェン)逸飛(イフェイ)(Chen
Yifei)でした。陳逸飛は、もとは名もない画家で、ニューヨークに渡って路上に作品を並べて売っていたのだそうです。ある時、その辺りが大渋滞となり、彼の作品が大型リムジンに乗っていた石油王ハーモン氏の目にとまりました。翌日早速、「路上の作品10点を全て買い取るかわりに今後は一切路上で作品を売らない」という契約が、彼の秘書と陳逸飛の間で交わされたのです。こうして10点の作品は驚くべき高額で買い取られ、ハーモン財団が経営する全米各地の美術館で所蔵されることになりました。 |
上海浦東の水辺を生かした新しい住宅地 |
その数年後の1989年6月4日、学生たちの民主化運動が弾圧されるという天安門事件が起こり、欧米を中心とする世界各国が中国との各方面の交流を断絶した時期がありました。断絶が数ヶ月続いた後、漸く経済交流が再開されることになり、断絶後初めてアメリカからの経済ミッションが北京を訪問することになった時、記念すべきミッションだというので、当時の中国の最高実力者――ケ(トン)小平(シアオピン)氏が高齢をおして接見しました。そのミッションの代表者がハーモン氏で、彼はある油絵をケ小平氏にプレゼントし、「この作品を故郷へお返しします。」と述べたそうです。中国内外の記者団がその場に居合わせたため、この作品は一挙に大変な注目を集めることになり、みんなが争ってそこに描かれた場所を探し出そうとしました。それは周荘(チョウチュアン)という上海近郊の小さい村にかかった石橋の風景で、その絵はハーモン氏が陳さんから買い取ったものでした。 |
陳逸飛氏(右側の人) |
2005年9月号 |
【 時尚復古 】
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昨日の「新民晩報」(注:上海市民の間で一番よく読まれている新聞。夕刊紙ではあるが、内容は日本の日刊紙のように豊富で多岐にわたる。)にも出ていましたが、中国の古い家具が国際的な家具市場でも人気を集めているそうです。先頃上海で開かれた家具展示会では、欧米人の家具商が昔漢方薬店で使われていた引き出しがたくさんついた箪笥に興味を示すなど、やはりこうしたアンティーク家具が注目を集めました。 数年前から上海では民間で使われてきた伝統的なものを自分の生活や趣味の中に取り入れようという動きが人々の間に広がっています。先日遊びに来た(中国人の)夫の姪(24歳)が「こういうことを『時尚(スーシャン)復古(フークー)』と言うのよ。」と教えてくれました。つまり色々な分野で古い伝統的なものへ回帰が流行しているのだそうです。そう言う彼女の腕には薄緑色の玉石でできたブレスレットがはめられていました。言われてみればこれなど何千年も前の遺跡から発掘された王族の腕輪と全く同じに見えるものですよね。 |
景泰藍(中国風七宝焼)のブレスレットとキーホルダー |
ここのフランス料理店でステーキとワインを楽しんだ日本の友人は、「味とムードは最高だから満足したけど、二人で3万円以上かかったなあ。」と言っていました。それに近い味の料理を、その「新天地」の近くに昔からある「紅房子(ホンファンツ)(赤い家)」という洋食屋で食べると多分1/5ほどの値段で済むはずです。ムードはあまりなく、洗練されているとは言えませんが。この「新天地」は、上海で最も有名な視覚芸術家陳(チェン)逸飛(イフェイ)(Chen Yifei)が、台湾のプロデュース会社と共同で企画開発したもので、彼のブティックもこの中にあります。残念なことに彼は今年4月、新作映画の制作中に肝臓病のため急逝してしまいました。まだ50歳代の半ばでした。 この陳逸飛を含む上海の芸術家たちが、街の中心部で廃墟となっていたレンガ造りの工場や倉庫をスタジオやギャラリーにする動きもあります。画家の爾冬強(アルトンチアン)(Er
Dongqiang)もその一人で、古い倉庫を改造してスタジオ兼ギャラリーにして活動しています。彼はまた上海郊外の青浦(チンプー)で古い農家を買い取りそこで何万点にものぼる民間の家具や道具類等を収集し、民俗資料館として公開し長く保存しようとしているそうです。 |
上海新天地の一角 |
さて我が家でも部屋に古い家具類を置くようになりました。左の写真は客間の中ですが、この中の絵の両側にかかっている木製透かし彫りは、夫が散歩で通りかかった農家の前に無造作に置かれていたものを譲り受けたものです。これを見つけ譲ってもらおうとその家の奥さんに声をかけると、「だめだめ、それは夕飯の飯炊きの焚き木にするんだから。」と最初は相手にされませんでしたが、何とか説得して売ってもらうことができました。 |
明代のものと推測される椅子 |
我が家は上海の浦東開発区にあり、周囲にはまだ農村が残っています。そこで私たちも、どんどん失われていくこうした古い家具類をなんとか救い出し補修して、再び生活の中で蘇らせていき訪れてくれる友人たちと一緒に鑑賞したいと思っているところです。 |
椅子と小テーブル(清代) 鏡台と箪笥(清代) |
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ベッド(清代) 食卓と椅子(民国) |
神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター 中国のホットニュース 2005年