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2009年10月号 |
【 上海の住宅事情 】 |
先週末、夫の弟の転居祝いに行ってきました。義弟は48歳、奥さんと高校生の息子の3人家族、結婚してから引越しはこれが5回目で、おそらくもうこれが最後の引越しになるだろうと言っています。今回手に入れたのは、鉄道の駅からも地下鉄の駅からも近く、上海市の中心部を流れる蘇州河もすぐ前に見えるという便利な場所にあり、4〜5年前にできた33階建て中古マンションの21階にある2DKで、価格は176万元(約2464万円/1元は約14円)、そのうち60万元は公共積立金のローンを利用し、今後19年間で返済、利息は合計24万元になる計算です。上海の家の値上がりは相変わらず激しく、義弟のマンションも、今年7月に契約した時は176万元でしたが、今月はもう同様の条件の物件がなんと230万元に値上がりしているといいます。去年のうちに買っておけばもっと安かったのに、とちょっと後悔していますが、そんなことを言い出せばきりがありません。 |
ここ数年、上海の不動産熱は高まる一方で、新聞広告でも一番多いのは家の広告です。上海市民の間では、ちょっとした貯金があれば、それに銀行ローンを足して家を買い、値上がりを待つという人が増えており、それが株や債権を買うのと同じように有力な投資手段になってきています。義弟も、まだほかに1DKのマンションと商業ビルの中にある店舗用の1室を持っていて、どちらも人に貸しているので、ローンの返済もそれほど苦しくはないようです。
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こんなことは、ほんの10数年前までは考えられなかったことです。私が上海で生活を始めた頃の1996年当時、「商品房(商品住宅)」ということばが、ぼちぼち聞かれ始めるようになりました。それまで社会主義の中国では、国営企業が中心で、家は職場から割り当てられるものと決まっていて、一般市民の間では不動産を売買するなどという概念がありませんでした。そんな中でしだいに改革開放政策が進み、住宅が商品として売買されるようになってきたわけです。その頃、今回義弟が買ったのと同じくらいの広さの「商品住宅」は約12万元で買えましたが、その古いマンションが、当時の内装そのままでも今は80万元から90万元はします。今ではみんな12万元の時に買っておけばよかったのにと思っているわけですが、その頃は、銀行からお金を借りるという概念も一般市民にはなく、「商品住宅」はなかなか売れませんでした。もちろん給料もその頃から比べると今は10数倍になっていますから、結局サラリーマンにとって家を買うための負担は、この10数年間あまり変わっていないとも言えるわけで、共稼ぎの平均的な家庭の10年から20数年分の収入でやっと2DKのマンションが買えるといった状況は、結局昔も今も同じです。
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それでも市民の生活の質は以前に比べると格段に向上していると言えます。1990年代初めに上海市の一人当たりの居住面積は平均6uだったものが、2007年には16uを超え、今では3人家族で2DKに住むのが普通です。また10数年前に12万元だった2DKはマンションと言っても外側は細かいタイル張りで、当時遊びに来た日本の友達がそれを見て「これで富士山の模様があれば銭湯と同じね。」と言ったのを今でも覚えています。その中身の各種設備はと言えば、大体40年前の日本でよく見られた5〜6階建ての団地と同じようなレベルでした。今回義弟が引っ越したマンションはすでに外側も内側も今の日本のマンションとそれほど変わらない程度に快適で住みやすくなっていますから、その発展ぶりは相当なものだと言えるでしょう。
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金色世紀白金宮、棕櫚泉花園、錦秀華城、華宇金沙港湾、緑州湖畔花園、陽光巴里、威尼斯(ベニス)水湾、維也納(ウィーン)河畔……さてこれは何のことでしょう………そう、すべて中国のマンションや一戸建て住宅団地に住宅開発会社がつけた名前です。先日も70歳代の女性が息子の家に泊りがけで来ていて、外出先から帰ろうとして、そこの住宅地の名前が「欧州○○○」で「○○○」の部分がなんだったか思い出せず、しかたなくタクシーの運転手に「欧州へ行きたいんですけど。」と言ったところ、運転手はきっとこの人はちょっとおかしいのだろうと思い、派出所へ連れて行ったという話を聞きました。今や中国の大都市ではどこも同じような状況が見られるそうです。地名の専門家が北京で調査したところ、毎年北京を訪れる他地方の人がこういう新しい地名がわからないために道に迷うことから来る交通費関連の損失は年間60億元に達するという結果が出たとも言われています。
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上海のマンション |
建設中のマンション
一戸建て住宅団地の入り口 |
2009年9月号 |
【 帰って来た劉翔 】 |
昨夜(9月20日)の10時半頃には、おそらく中国全土の人がテレビにかじりついていたのではないかと思います。2004年のアテネオリンピックで金メダルに輝き、その後も13億人の期待を一身に背負いながら、右アキレス腱痛で去年の北京オリンピックを棄権したあの劉翔が、昨夜の上海国際陸上ゴールデングランプリの男子110m障害で、なんと398日ぶりに公式レースに復帰したからです。我が家でも、76歳になる夫の父が「テレビを見なくちゃいかん」と言って夕食もそこそこに6時過ぎから自分の部屋へ引き上げたほどでした。今回の劉翔の走りについて、日本ではあまり詳しい報道はなかったようですので、中国での報道内容を少し拾ってご紹介したいと思います。 |
劉翔もアメリカのテレンス・トラメルと同タイムの13秒15でゴールしましたが、写真判定の結果、トラメルの胴体の一部がわずかだけ先にゴールに入っていたため、トラメルが優勝、劉翔は2位にとどまりました。「成績はもうそれほど重要ではない。今夜劉翔が安全にゴールに到達できることが、私の最大の望みだった。」と語る劉翔のコーチ孫海平さんも、まさか13秒15の好成績が出るとは予想していなかったそうです。
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「走っているうちに自制できなくなってしまったんだ。」孫コーチはレースの後、笑いながらこう指摘しました。「レースの前にはっきりと、あまり速く走ってはならないと決めてあったのに…。最初いくつかのハードルは彼も確かに自分の速度を抑えながら走っていたが、観衆の声援が熱くなりすぎたためと、彼自身走っているうちに収拾がつかなくなってきたのと、それに横を走るトラメルに引き込まれたためだ。こんなにいい成績を出すなんて私も思わなかったよ。」
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劉翔自身の感想はと言えば、次のようなものでした。「最初は落ち着いて走っていましたが、その後トラメルにそれほど差をつけられてはいないと気づき、追いつこうと思いました。彼が僕より大幅に速かったわけではない。恐らく千分の一秒ほどの差でしょう。実際、その場ではもう収まらなくなってしまい、何かの魂が乗り移ったような感じで、やっぱりやれるだけやってみようと思いました。足の調子はまあまあいい方で、ちょっとだるいぐらいのものです。以前のレベルに近づいてきたと思います。」レースの後、すぐにその場で寝転がって大の字になったことについては、「自分でもこんなに速く走れるとは思っていなかったので、とてもうれしかったからです。とにかく1年以上もレースに出ていませんでしたからね。ほかの人はもう家に帰ろうとしていましたが、僕にとってはまだ始まったばかり、という気がしました。」とのことです。その後も感動が鎮まらない様子の劉翔は、競技場を一周してからユニフォームを脱いで観客席に向かって放り投げ、観衆の声援に応えておどけた表情をして見せていました。 |
さて、今後の劉翔について専門家はどう見ているでしょうか。中国陸上ナショナルチームの馮監督は次のように述べています。「試合前、我々が一番心配したのは、彼が懸命に走ったために足の故障が再発しないかということだった。走り終えた後、やはり足がだるくてはれぼったい感覚がある。したがって昨夜の劉翔が見せたのが、最後の驚異的な走りになる可能性を完全に否定することはできない。一時的な興奮で症状が隠されただけで、そこにリスクが潜んでいるかも知れない。けがはどこまで治癒したのか、今後より大きな試練に耐えられるのか、1回のレースだけで、それを見極めることはできない。これから先が彼の正念場だ。」 |
今年はこの後、劉翔は全国体育大会(中国の国体)、アジア選手権、そして東アジア大会に出場する予定ですが、アジアでは劉翔のライバルになる選手はまずいません。同レベルのライバルがいることが、こうしたレースでは好成績を収める上で重要な要因になると言われていますから、今年、劉翔が記録を伸ばせるかどうかはまだわかりません。私たちもまだまだ忍耐強く劉翔を見守る必要があるようです。(9月21日付「新民晩報」「労働報」「青年報」より)
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2009年8月号 |
【 中国の婚カツ(その2) 】 |
中国でもいい結婚相手にめぐり合うのはむずかしく、特に上海のような都市部ではさまざまな要因が重なって、年々晩婚化が進んでいると言われています。そんな中で、運良く相手を見つけて話が進み、双方の両親も大筋で納得すれば、相手の家庭を初めて訪問することになりますが、上海語では特にそのことを表すのに「毛脚上門」ということばがあります。「毛脚」とは娘の将来のお婿さん、または息子の将来のお嫁さんを指し、「上門」とは相手の家を訪問することをいいます。将来の婿や嫁のことをなぜ「毛脚」と呼ぶのかといえば、西遊記の中で猪八戒が婿入りをする時に、相手のお父さんが猪八戒のことを粗忽者という意味の「毛手毛脚」と呼んだことに由来するという説がありますが、それが正しいかどうかはわかっていません。とにかく「毛脚上門」の時には緊張して動作もぎこちなくなるので、「毛脚」ということばがイメージによく合うらしいのです。 |
さて、「毛脚上門」は相手の両親に認めてもらうための一つの関門とも言えますから、色々と気をつけなければならないことがあります。ある結婚相談所のアドバイス記事に次のように書かれていました。「例えば男性の『毛脚』であれば、普通は落ち着いた大人の男性が好まれますから、あまり派手な流行を追うような服装は控え、清潔で、まじめそうで、しかもセンスのいい、品格のある服装を心がけることにより、自信に溢れていることを示し、相手の信頼を勝ち得なければなりません。また相手に喜ばれそうな手土産も忘れないようにします。もちろん話し方や話す内容にも注意が必要で、滔々と一人でまくしたててもだめだし、かといって三つ問われて一つしか答えなかったり、押し黙ってばかりいたりしてもだめです。やはり日頃から教養を高める努力をしなければなりません。それ以外に事前にできることは、ニンニク等においの強い食品を食べないこと、ガムをよくかんでおくこと、鏡の前で挨拶の練習をすることなどです……」なかなか大変ですね。
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でも「毛脚上門」について次のように話す人もいます。「毛脚上門は、一つの関門だと言う人もいるが、別に難関でもなく、いばらの道というわけでもない。将来の義父母と初めて顔合わせをするという避けては通れない一つの手続に過ぎないのだ。私自身の毛脚上門は、今から三十年前の中秋節のことだった。私の両親は結婚のことは本人が決めればいいと考えていて、もっと細かなことであれこれと世話を焼いてくれた。例えば毛脚上門の時に着る服やどんなお土産を買うかなどについて、自分の息子のことだから当然面子を重んじるのだ。自分たちは質素な倹約家だったが、体面にかかわることは金輪際おろそかにしたことがなく、自分のことでは節約しても、人のことで節約することはなかった。あの頃は服装も単調で、男なら全部人民服に決まっていた。私は父が新調した紺色の人民服を借りて、手土産も色々と持参した。中でもはっきり覚えているのは、有名な杏花楼の月餅二箱で、値段は高くなかったが、その頃は手に入りにくく、弟が徹夜で並んで買ってきてくれたものだった。両親はそれを見てとても喜んだ。それに金華ハムと紹興酒を2本、まだほかにもあったがもう覚えていない。 とにかくその日のためだけに、当時の私の月給にして1〜2ヶ月分はかかった。金銀宝石にはとてもかなわないが、両親としては誠心誠意整えてくれたものだった。彼らは何も求めず、ただ自分の子供たちが幸せに楽しく暮らしてくれればいいと願っていただけなのだ。三十年前のこの時のことが心に刻まれているので、今や自分の娘が年頃になって結婚話が持ち上がり、相手の毛脚上門を迎えることになった時も、子供のために何をしてやればいいのか、両親が身をもって示してくれたことを私は忘れていなかった。娘本人は気楽なもので、自分の婚約者が初めて家に来るからといって親に何か用意してほしいなどというわけではなかったが、私はそんなに気楽ではいられなかった。毛脚でなくても、友人が普通に遊びに来て食事をするというだけでも、とても真剣に準備するのが私の習慣だ。これも両親から受け継いだものである。 だから毛脚上門のために私は忙しく立ち働き、料理のメニューを考え、材料買い出しのため、結局3回も市場へ足を運んだ。娘の好きな蒸し鶏ととんかつはもちろん欠かせないし、そのほか魚にエビにカニに、各種の野菜と、彩りも豊にさまざまな料理を取り合わせた。娘のためにすることを、私は自分の心の中にしまっておくのが好きで、口には出さなかった。だが妻は黙っていられなくなったと見えて、お父さんはもう3回も市場へ行ったのよ、これとあれはお父さんの手作りよ、などと娘に言っていた。娘の相手である肝心の毛脚については、私は娘を信じているので、娘が好きならそれでよく、自分は毛脚を一目見ればもうそれで充分だった。大きいの小さいの高いの低いのと、あれこれ尋ねる必要もなかった。毛脚が私たちに会いに家へ来て一緒にご飯を食べる、もうそれだけで私は満足なのだ。毛脚が帰ったあと、家にギリシャの初搾り特級オリーブ油とやらが2本置かれていた。これは身体によく、直接飲めば血糖値が下がるそうだ。私の血糖値は高くはないが、これも毛脚の気持ちだ。毛脚本人が来て、気持ちも伝わった。もう充分満足だ。(8月7日付『新民晩報』より)」 |
確かに私の周囲を見回してみると、だいたいどこの親たちも、本人同士が気に入って、幸せになってくれればそれでいいと思っているようで、子供の結婚に反対したり難癖をつけたりしたという親の話はこれまでのところ聞いたことがありません。だから本当は、この人が言うように、「毛脚上門」の日だからといって「毛脚」はそれほど緊張せず、新しい両親との顔合わせというように思えばいいのでしょう。
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新居の窓ガラスに貼られた結婚を祝う飾り
新婚さんの寝室
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2009年7月号 |
【 上海の夏 】 |
上海では最高気温が35℃を超える日が7月14日から連続7日間続いています。なかでも今日は今夏で一番暑く、気象台から40℃以上になるという「赤色警告」が出ました。庭の木陰に温度計をかけておいたところなんと43℃あり、肌がヒリヒリするような感じでした。ただこの暑さには蚊も死に絶えるので、その点は人間に有利です。そんな上海で今年の夏の話題をいくつか拾ってみましょう。 |
よく売れる「三無」日食めがね
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「夏季ホットライン」開通
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スイカ売り |
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夕涼み
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栄養のある食事 |
上海の生活は、日本とそれほど違わないと日頃思っていましたが、こうやって話題を拾ってみると、些細なことで、けっこう違うところがあるようですね。 |
![]() 上海の繁華街 |
2009年6月号 |
【 中国の消費刺激政策 】 |
日本では省エネ家電を買えばエコポイントがもらえることになったそうですが、中国では今年の2月から全国的に「家電下郷(家電の農村進出)」政策が実施されています。これは農村の消費経済の活性化と、内需の拡大を目的として、家電製品を農村に普及させるために政府が補助金を出す制度です。この制度では、農民がカラーテレビ、冷蔵庫、携帯電話、洗濯機等の家電製品を買えば、購入価格の13%の補助金が政府から支給されることになりました。 |
では、この補助金を受け取るために、農民の人たちはどうすればいいでしょう。中国政府商務省は次のような注意事項を示しています。 @ 事前に「家電下郷」政策をよく知り、その対象となる製品の型番、最高限度価格および販売店リストについてインターネットや電話で照会する。 ・・・ずいぶん複雑で面倒な手続が必要な割に13%という補助金では少なすぎないか、と私などは思いますが、広大な中国内陸部の農村ではあらゆるインフラが立ち遅れているため、新たなサービスシステムが定着するまでには相当の手間や労力がかかるようです。
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具体的な商品の選定に当たっては、公開入札方式が採用され、農村の消費生活の実情に適したものであることが求められ、農村を都市の売れ残り商品の単純な受け皿にすることを防ぐため、省エネ、環境保護、耐用年数、安全性等の面でも明確な条件が示されました。公開入札の結果、応札した企業はこうした品質や性能を保証するほか、農村の使用環境に適した新たな機能を付加した商品を開発してきました。例えば冷蔵庫の「ネズミ防止板」、携帯電話の農村専用情報機能、洗濯機の排水パイプの複数湾曲性能(井戸水等にも対応)等がそれです。また対象品目の小売価格に最高限度額が規定され、収入が中下層クラスの農民たちが、広くこの政策の恩恵を受けられるように考えられています。落札した製品のメーカーは多くが中国系ですが、日系のメーカーではパナソニックと三洋が洗濯機で落札したと聞きました。
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安徽省のある村の主婦は、今年3月に、近くの街の繁華街にある電器店まで行き、1,799元で冷蔵庫を買い、補助金を申請したのに2ヶ月以上過ぎた今でもまだ補助金が出ないと訴えています。 |
こうした農民からの苦情はまだまだあり、家電製品に囲まれて生活している都会人にとっては想像しにくい困難が農村には数多くあるようです。何しろ合計8億人が暮らす農村ですから、そこに都会並みの便利な家電や細やかなサービスが普及し定着するまでには、まだ多くの紆余曲折が予想されますが、少しづつでも人々の暮らしは改善の方向へ進むことでしょう。
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2009年5月号 |
【 中国の婚カツ 】 |
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「徴婚(結婚相手求む)」 |
まだまだ続くのですが、この辺でやめておきたいと思います。いかがでしょうか、我と思わん方は・・・。こうした広告は毎日たくさん出ています。中国にはまた「有縁千里来相会(縁があれば千里離れていても必ず会いに来る)」という諺もありますが、やはりじっと待っているばかりでなく、さまざまな努力が必要なのでしょう。
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2009年4月号 |
【 上海の「電子警察」 】 |
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4月1日からは、上海交通安全網(www.shjtaq.com)のトップページ左上にある「固定式電子警察」をクリックすれば、市内の各所に設置された「電子警察」の分布状況がすぐにわかるようになりました。新たな規定によれば、これらの「電子警察」は設置場所が公表されたものでなければ証拠写真を撮影してはならず、今後新たに設置が決まったものや、場所が変更になったものについては、速やかに情報を更新しなければならないことになっています。また車の速度違反の証拠撮影をする「電子警察」が設置されている場所では、その手前で標識パネルにより、その存在をドライバーに知らせて警告することにもなりました。
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隠れた場所から取り締まっていた過去のやり方から市民を尊重する方向への転換を示すこうした動きを大多数の市民が歓迎していますが、中には悪質な運転手が「電子警察」のあるところだけおとなしくし、その他の場所では今まで以上に傍若無人になり、歩行者の安全が確保されにくくなるのではないかと心配する市民もいるそうです。これに対して警察側は、「電子警察」は科学的な分析の結果、交通量が多い、事故が多発する、違反行為が多い、道路事情が悪い、人間の警察官による管理が手薄であるといった場所に集中的に配備しており、設置場所を公表することにより、警察の取り締まり方法の透明化を図ると同時に、こうした危険な区間では特に安全運転を心がけるようドライバーに警告を発することができるのだと説明しています。 |
これまで私も、例えばタクシーの運転者さんが、「警察のやつらは俺達をいじめるのが趣味じゃないか。タクシーを目の敵にしやがって・・・」などとぼやくのを聞いたり、交通違反による罰金の徴収方法が不透明だといった不満を聞いたりすることがよくありました。それに対して警察側も、頭ごなしに取り締まるばかりでなく、安全運転を心がけるよう事前に警告するといった改善の努力を続けているのは、以前の中国の警察に比べるとかなり大きな進歩と言えるのでしょう。
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電子警察
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神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター 中国のホットニュース 2009年