神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター 中国のホットニュース 2009年
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2008年

 

中国のHotNews(2009年4月〜)

2009年10月号

 

【 上海の住宅事情 


 先週末、夫の弟の転居祝いに行ってきました。義弟は48歳、奥さんと高校生の息子の3人家族、結婚してから引越しはこれが5回目で、おそらくもうこれが最後の引越しになるだろうと言っています。今回手に入れたのは、鉄道の駅からも地下鉄の駅からも近く、上海市の中心部を流れる蘇州河もすぐ前に見えるという便利な場所にあり、4〜5年前にできた33階建て中古マンションの21階にある2DKで、価格は176万元(約2464万円/1元は約14円)、そのうち60万元は公共積立金のローンを利用し、今後19年間で返済、利息は合計24万元になる計算です。上海の家の値上がりは相変わらず激しく、義弟のマンションも、今年7月に契約した時は176万元でしたが、今月はもう同様の条件の物件がなんと230万元に値上がりしているといいます。去年のうちに買っておけばもっと安かったのに、とちょっと後悔していますが、そんなことを言い出せばきりがありません。
 

 

   ここ数年、上海の不動産熱は高まる一方で、新聞広告でも一番多いのは家の広告です。上海市民の間では、ちょっとした貯金があれば、それに銀行ローンを足して家を買い、値上がりを待つという人が増えており、それが株や債権を買うのと同じように有力な投資手段になってきています。義弟も、まだほかに1DKのマンションと商業ビルの中にある店舗用の1室を持っていて、どちらも人に貸しているので、ローンの返済もそれほど苦しくはないようです。


 

 こんなことは、ほんの10数年前までは考えられなかったことです。私が上海で生活を始めた頃の1996年当時、「商品房(商品住宅)」ということばが、ぼちぼち聞かれ始めるようになりました。それまで社会主義の中国では、国営企業が中心で、家は職場から割り当てられるものと決まっていて、一般市民の間では不動産を売買するなどという概念がありませんでした。そんな中でしだいに改革開放政策が進み、住宅が商品として売買されるようになってきたわけです。その頃、今回義弟が買ったのと同じくらいの広さの「商品住宅」は約12万元で買えましたが、その古いマンションが、当時の内装そのままでも今は80万元から90万元はします。今ではみんな12万元の時に買っておけばよかったのにと思っているわけですが、その頃は、銀行からお金を借りるという概念も一般市民にはなく、「商品住宅」はなかなか売れませんでした。もちろん給料もその頃から比べると今は10数倍になっていますから、結局サラリーマンにとって家を買うための負担は、この10数年間あまり変わっていないとも言えるわけで、共稼ぎの平均的な家庭の10年から20数年分の収入でやっと2DKのマンションが買えるといった状況は、結局昔も今も同じです。


 

 それでも市民の生活の質は以前に比べると格段に向上していると言えます。1990年代初めに上海市の一人当たりの居住面積は平均6uだったものが、2007年には16uを超え、今では3人家族で2DKに住むのが普通です。また10数年前に12万元だった2DKはマンションと言っても外側は細かいタイル張りで、当時遊びに来た日本の友達がそれを見て「これで富士山の模様があれば銭湯と同じね。」と言ったのを今でも覚えています。その中身の各種設備はと言えば、大体40年前の日本でよく見られた5〜6階建ての団地と同じようなレベルでした。今回義弟が引っ越したマンションはすでに外側も内側も今の日本のマンションとそれほど変わらない程度に快適で住みやすくなっていますから、その発展ぶりは相当なものだと言えるでしょう。


 

 金色世紀白金宮、棕櫚泉花園、錦秀華城、華宇金沙港湾、緑州湖畔花園、陽光巴里、威尼斯(ベニス)水湾、維也納(ウィーン)河畔……さてこれは何のことでしょう………そう、すべて中国のマンションや一戸建て住宅団地に住宅開発会社がつけた名前です。先日も70歳代の女性が息子の家に泊りがけで来ていて、外出先から帰ろうとして、そこの住宅地の名前が「欧州○○○」で「○○○」の部分がなんだったか思い出せず、しかたなくタクシーの運転手に「欧州へ行きたいんですけど。」と言ったところ、運転手はきっとこの人はちょっとおかしいのだろうと思い、派出所へ連れて行ったという話を聞きました。今や中国の大都市ではどこも同じような状況が見られるそうです。地名の専門家が北京で調査したところ、毎年北京を訪れる他地方の人がこういう新しい地名がわからないために道に迷うことから来る交通費関連の損失は年間60億元に達するという結果が出たとも言われています。
 ちなみに私が住んでいるのは「大衆村の洋房(洋館)」なので、名前を忘れて交番に連れて行かれる心配だけはないなあと、喜んでいるところです。



     

上海のマンション


   

建設中のマンション                一戸建て住宅団地の入り口

 

2009年9月号

 

【 帰って来た劉翔 】


 昨夜(9月20日)の10時半頃には、おそらく中国全土の人がテレビにかじりついていたのではないかと思います。2004年のアテネオリンピックで金メダルに輝き、その後も13億人の期待を一身に背負いながら、右アキレス腱痛で去年の北京オリンピックを棄権したあの劉翔が、昨夜の上海国際陸上ゴールデングランプリの男子110m障害で、なんと398日ぶりに公式レースに復帰したからです。我が家でも、76歳になる夫の父が「テレビを見なくちゃいかん」と言って夕食もそこそこに6時過ぎから自分の部屋へ引き上げたほどでした。今回の劉翔の走りについて、日本ではあまり詳しい報道はなかったようですので、中国での報道内容を少し拾ってご紹介したいと思います。                          

 劉翔もアメリカのテレンス・トラメルと同タイムの13秒15でゴールしましたが、写真判定の結果、トラメルの胴体の一部がわずかだけ先にゴールに入っていたため、トラメルが優勝、劉翔は2位にとどまりました。「成績はもうそれほど重要ではない。今夜劉翔が安全にゴールに到達できることが、私の最大の望みだった。」と語る劉翔のコーチ孫海平さんも、まさか13秒15の好成績が出るとは予想していなかったそうです。
 スタート時の反応はトラメルも劉翔も0.159秒で第4位、復帰したばかりでレースのリズムがつかめていないせいか、3つ目のハードルまで劉翔は明らかに遅れ気味で、トラメルが優勢を確立したかに見えました。ところが4つ目を越えるころから、二人の距離が縮まり始め、その後観衆の声援に応えるかのように劉翔の走りはますます加速し、最後のハードルを越えた後二人の胴体が横に並び、その後二人の足はほとんど同時にゴールイン!レースを終えた後、劉翔は全身でリラックスし、再びこの「中国飛人」に笑顔が戻ってきたのでした。

 

 「走っているうちに自制できなくなってしまったんだ。」孫コーチはレースの後、笑いながらこう指摘しました。「レースの前にはっきりと、あまり速く走ってはならないと決めてあったのに…。最初いくつかのハードルは彼も確かに自分の速度を抑えながら走っていたが、観衆の声援が熱くなりすぎたためと、彼自身走っているうちに収拾がつかなくなってきたのと、それに横を走るトラメルに引き込まれたためだ。こんなにいい成績を出すなんて私も思わなかったよ。」

 劉翔自身の感想はと言えば、次のようなものでした。「最初は落ち着いて走っていましたが、その後トラメルにそれほど差をつけられてはいないと気づき、追いつこうと思いました。彼が僕より大幅に速かったわけではない。恐らく千分の一秒ほどの差でしょう。実際、その場ではもう収まらなくなってしまい、何かの魂が乗り移ったような感じで、やっぱりやれるだけやってみようと思いました。足の調子はまあまあいい方で、ちょっとだるいぐらいのものです。以前のレベルに近づいてきたと思います。」レースの後、すぐにその場で寝転がって大の字になったことについては、「自分でもこんなに速く走れるとは思っていなかったので、とてもうれしかったからです。とにかく1年以上もレースに出ていませんでしたからね。ほかの人はもう家に帰ろうとしていましたが、僕にとってはまだ始まったばかり、という気がしました。」とのことです。その後も感動が鎮まらない様子の劉翔は、競技場を一周してからユニフォームを脱いで観客席に向かって放り投げ、観衆の声援に応えておどけた表情をして見せていました。

 

 さて、今後の劉翔について専門家はどう見ているでしょうか。中国陸上ナショナルチームの馮監督は次のように述べています。「試合前、我々が一番心配したのは、彼が懸命に走ったために足の故障が再発しないかということだった。走り終えた後、やはり足がだるくてはれぼったい感覚がある。したがって昨夜の劉翔が見せたのが、最後の驚異的な走りになる可能性を完全に否定することはできない。一時的な興奮で症状が隠されただけで、そこにリスクが潜んでいるかも知れない。けがはどこまで治癒したのか、今後より大きな試練に耐えられるのか、1回のレースだけで、それを見極めることはできない。これから先が彼の正念場だ。」


 今年はこの後、劉翔は全国体育大会(中国の国体)、アジア選手権、そして東アジア大会に出場する予定ですが、アジアでは劉翔のライバルになる選手はまずいません。同レベルのライバルがいることが、こうしたレースでは好成績を収める上で重要な要因になると言われていますから、今年、劉翔が記録を伸ばせるかどうかはまだわかりません。私たちもまだまだ忍耐強く劉翔を見守る必要があるようです。(9月21日付「新民晩報」「労働報」「青年報」より)


9月21日付の新聞

 

2009年8月号

 

【 中国の婚カツ(その2) 】

 

 中国でもいい結婚相手にめぐり合うのはむずかしく、特に上海のような都市部ではさまざまな要因が重なって、年々晩婚化が進んでいると言われています。そんな中で、運良く相手を見つけて話が進み、双方の両親も大筋で納得すれば、相手の家庭を初めて訪問することになりますが、上海語では特にそのことを表すのに「毛脚上門」ということばがあります。「毛脚」とは娘の将来のお婿さん、または息子の将来のお嫁さんを指し、「上門」とは相手の家を訪問することをいいます。将来の婿や嫁のことをなぜ「毛脚」と呼ぶのかといえば、西遊記の中で猪八戒が婿入りをする時に、相手のお父さんが猪八戒のことを粗忽者という意味の「毛手毛脚」と呼んだことに由来するという説がありますが、それが正しいかどうかはわかっていません。とにかく「毛脚上門」の時には緊張して動作もぎこちなくなるので、「毛脚」ということばがイメージによく合うらしいのです。

 

 さて、「毛脚上門」は相手の両親に認めてもらうための一つの関門とも言えますから、色々と気をつけなければならないことがあります。ある結婚相談所のアドバイス記事に次のように書かれていました。「例えば男性の『毛脚』であれば、普通は落ち着いた大人の男性が好まれますから、あまり派手な流行を追うような服装は控え、清潔で、まじめそうで、しかもセンスのいい、品格のある服装を心がけることにより、自信に溢れていることを示し、相手の信頼を勝ち得なければなりません。また相手に喜ばれそうな手土産も忘れないようにします。もちろん話し方や話す内容にも注意が必要で、滔々と一人でまくしたててもだめだし、かといって三つ問われて一つしか答えなかったり、押し黙ってばかりいたりしてもだめです。やはり日頃から教養を高める努力をしなければなりません。それ以外に事前にできることは、ニンニク等においの強い食品を食べないこと、ガムをよくかんでおくこと、鏡の前で挨拶の練習をすることなどです……」なかなか大変ですね。

 

 

 でも「毛脚上門」について次のように話す人もいます。「毛脚上門は、一つの関門だと言う人もいるが、別に難関でもなく、いばらの道というわけでもない。将来の義父母と初めて顔合わせをするという避けては通れない一つの手続に過ぎないのだ。私自身の毛脚上門は、今から三十年前の中秋節のことだった。私の両親は結婚のことは本人が決めればいいと考えていて、もっと細かなことであれこれと世話を焼いてくれた。例えば毛脚上門の時に着る服やどんなお土産を買うかなどについて、自分の息子のことだから当然面子を重んじるのだ。自分たちは質素な倹約家だったが、体面にかかわることは金輪際おろそかにしたことがなく、自分のことでは節約しても、人のことで節約することはなかった。あの頃は服装も単調で、男なら全部人民服に決まっていた。私は父が新調した紺色の人民服を借りて、手土産も色々と持参した。中でもはっきり覚えているのは、有名な杏花楼の月餅二箱で、値段は高くなかったが、その頃は手に入りにくく、弟が徹夜で並んで買ってきてくれたものだった。両親はそれを見てとても喜んだ。それに金華ハムと紹興酒を2本、まだほかにもあったがもう覚えていない。

 とにかくその日のためだけに、当時の私の月給にして1〜2ヶ月分はかかった。金銀宝石にはとてもかなわないが、両親としては誠心誠意整えてくれたものだった。彼らは何も求めず、ただ自分の子供たちが幸せに楽しく暮らしてくれればいいと願っていただけなのだ。三十年前のこの時のことが心に刻まれているので、今や自分の娘が年頃になって結婚話が持ち上がり、相手の毛脚上門を迎えることになった時も、子供のために何をしてやればいいのか、両親が身をもって示してくれたことを私は忘れていなかった。娘本人は気楽なもので、自分の婚約者が初めて家に来るからといって親に何か用意してほしいなどというわけではなかったが、私はそんなに気楽ではいられなかった。毛脚でなくても、友人が普通に遊びに来て食事をするというだけでも、とても真剣に準備するのが私の習慣だ。これも両親から受け継いだものである。

 だから毛脚上門のために私は忙しく立ち働き、料理のメニューを考え、材料買い出しのため、結局3回も市場へ足を運んだ。娘の好きな蒸し鶏ととんかつはもちろん欠かせないし、そのほか魚にエビにカニに、各種の野菜と、彩りも豊にさまざまな料理を取り合わせた。娘のためにすることを、私は自分の心の中にしまっておくのが好きで、口には出さなかった。だが妻は黙っていられなくなったと見えて、お父さんはもう3回も市場へ行ったのよ、これとあれはお父さんの手作りよ、などと娘に言っていた。娘の相手である肝心の毛脚については、私は娘を信じているので、娘が好きならそれでよく、自分は毛脚を一目見ればもうそれで充分だった。大きいの小さいの高いの低いのと、あれこれ尋ねる必要もなかった。毛脚が私たちに会いに家へ来て一緒にご飯を食べる、もうそれだけで私は満足なのだ。毛脚が帰ったあと、家にギリシャの初搾り特級オリーブ油とやらが2本置かれていた。これは身体によく、直接飲めば血糖値が下がるそうだ。私の血糖値は高くはないが、これも毛脚の気持ちだ。毛脚本人が来て、気持ちも伝わった。もう充分満足だ。(8月7日付『新民晩報』より)」

 

 確かに私の周囲を見回してみると、だいたいどこの親たちも、本人同士が気に入って、幸せになってくれればそれでいいと思っているようで、子供の結婚に反対したり難癖をつけたりしたという親の話はこれまでのところ聞いたことがありません。だから本当は、この人が言うように、「毛脚上門」の日だからといって「毛脚」はそれほど緊張せず、新しい両親との顔合わせというように思えばいいのでしょう。
 私の場合を思い返してみると、十年以上も前のこと、私が日本から上海に到着すると、夫の両親の家では両親のほかに夫の弟たちの家族がみんなで十数人も集まって、もう料理がいっぱい並んだ大きな丸いテーブルを囲んでこっちを見ていたのが、「毛脚上門」の日だったことになります。こちらの両親はその日から私を実の娘と同様にして自然に受け入れてくれました。私の友達や親戚が日本から遊びに来るのをいつも快く迎えてくれますし、ご馳走をいっぱい作ってもてなしてくれます。最初からそうだったので私はそれが当然のように思って、誰をでも気軽に家へ招待していたのですが、最近自分で料理を作るようになってから、よくよく考えてみると、こちらの両親にはずいぶん負担をかけてきたなあと、今さらのように思うこのごろです。


  

 

     

新居の窓ガラスに貼られた結婚を祝う飾り                          新婚さんの寝室            

 

2009年7月号

 

【 上海の夏 】

 
 上海では最高気温が35℃を超える日が7月14日から連続7日間続いています。なかでも今日は今夏で一番暑く、気象台から40℃以上になるという「赤色警告」が出ました。庭の木陰に温度計をかけておいたところなんと43℃あり、肌がヒリヒリするような感じでした。ただこの暑さには蚊も死に絶えるので、その点は人間に有利です。そんな上海で今年の夏の話題をいくつか拾ってみましょう。
 

よく売れる「三無」日食めがね
 今年は、地下鉄の出口付近など人通りの多い場所で「三百年に一度の宇宙の奇観」「今回を逃せば五百年待ち」等の看板を掲げ、露天商が「日食めがね」を売っているのをよく見かけます。厚紙で作られたフレームに黒いフィルムをレンズ代わりに貼り付けただけの簡単な物で値段は1個3元(約45円)。売っている人は「この黒いフィルムはドイツ製の光学製品で効果は抜群」と保証しますが、これは、製造者の名前も無く、住所も無く、製品番号も無い「三無」日食めがねと言われているものです。専門家は、本物のドイツ製「バダーフィルター」でできているかどうかを見分けるには専用機器が必要なので、一般消費者は正規のメーカー品を買うのが無難だと指摘しています。それでもこの「三無」日食めがねは、1日に100個以上売れるという露天商も少なくないそうです。

 

「夏季ホットライン」開通
 上海で最もよく読まれている夕刊紙「新民晩報」の「夏令熱線(夏季ホットライン)」が今年も開通しました。これは上海市民と上海市政府とをつなぐ架け橋となることを目指してこの新聞社が毎年夏に開設する電話サービスで、今年で17回目を迎えるそうです。酷暑の中で暮らす市民が差し迫って困っていることや、都市管理に関する苦情などを訴えたり、市政に関する提案を出したりすることができます。この電話は24時間態勢で、市政府の各部門の局長や責任者、各種問題の専門家や技術者が交替で受け答えしてすぐに解決措置を講じたり、現場に駆けつけて実際に困っていることを解決したり、また市民ボランティアや学生ボランティアが共に解決方法を考え、関係部門に連絡をとったりしてくれるというものです。
 例えばどんな訴えがあるかと言えば、「ビルの建設工事が朝5:00から始まり、夜中もほとんど休みなく行われるため、周辺の住民が騒音に悩まされている」「アパートの住民が勝手に鳩小屋を建て許可証のない鳩を飼っていて他の住民に迷惑をかけている」「住宅地の街路に多くの建築廃棄物が置かれたままで景観を損なう上、安全面でも問題になっている」「レストランの換気扇の排気口が隣の住宅に向かって開いているため、住民は24時間窓を開けられない」等の内容があります。最初の2日間だけで受け付けた電話が4,000件以上あり、そのうち多かったのは、街の景観や都市管理に関する問題、次いで住宅に関する問題で、具体的には路上でむやみに店開きする露天商、工事の騒音、違法建築が三つの焦点として挙げられ、これは例年問題になっている内容だそうです。
でもどうして毎年夏だけこういうキャンペーンがあるのかと地元の人に尋ねると「ホットライン(熱い線)だから熱い季節にやるに決まってるよ。」とばかばかしい答えが帰って来ただけでした。 

 

スイカ売り
 日本ではあまり見かけなくなったスイカ売りが、夕方になると自転車の後ろにつけた荷台にスイカをたくさん積んで住宅地の中まで売りに来ます。今年のスイカ屋さんは自分の声ではなく、録音したものをスピーカーで鳴らして来ますが、ただ「西瓜(シークワ!)」と叫ぶだけのシンプルな録音内容です。この写真のスイカは直径18cm程度の小ぶりで重さ約2kg、1個7元(約105円)くらいです。去年より5割近くも高いとのことでした。甘いのに当たる時とそうでもない時があります。

 

  

夕涼み
 日が暮れてだんだん涼しくなってくると、竹の椅子や腰掛を家の外へ持ち出して夕涼みをするのが、20年ほど前までの上海では至る所で普通に見られる光景でした。今ではそんなことをする若い人たちは減りましたが、年配の人たちは相変わらず昔ながらの夕涼みを楽しんでいます。でも今年は夕方になってもなかなか気温は下がりませんが。

 

栄養のある食事
 上海の人は昔から一番暑いこの時期に栄養補給するため、「童子鶏(トンツチ/若鶏)」を一人1羽づつ食べる習慣があるそうですが、最近は若鶏が手に入らなくなったため、今年我が家では大人の雄鶏を1羽、お店でさばいてもらってスープにしてみんなで頂きました。こちらの市場では生きた鶏やアヒル、ガチョウなどが普通に売られていますが、我が家のようにこの時期に雄鶏を買う人は少なく、今年は「童子鶏(若鶏)」の代わりに鳩がよく売れ、一人で3羽づつ買って行く人が多いそうです(夫婦に子供一人の3人家族が主流なので)。
 

 

上海の生活は、日本とそれほど違わないと日頃思っていましたが、こうやって話題を拾ってみると、些細なことで、けっこう違うところがあるようですね。
 
           


上海の繁華街

 

2009年6月号

 

【 中国の消費刺激政策 】


 日本では省エネ家電を買えばエコポイントがもらえることになったそうですが、中国では今年の2月から全国的に「家電下郷(家電の農村進出)」政策が実施されています。これは農村の消費経済の活性化と、内需の拡大を目的として、家電製品を農村に普及させるために政府が補助金を出す制度です。この制度では、農民がカラーテレビ、冷蔵庫、携帯電話、洗濯機等の家電製品を買えば、購入価格の13%の補助金が政府から支給されることになりました。

 

 では、この補助金を受け取るために、農民の人たちはどうすればいいでしょう。中国政府商務省は次のような注意事項を示しています。

@ 事前に「家電下郷」政策をよく知り、その対象となる製品の型番、最高限度価格および販売店リストについてインターネットや電話で照会する。 
A 税務申告に通用する正規の領収書をもらう。 
B 購入する商品を開封する時は、使用説明書の表紙に貼付されている検査証と製品標識カードに注意し、標識カードの表示が完全で正しいことを確認した後にそれを説明書からはがす。これは補助金申請に必要となるので大切に保管する。標識カードがない製品は受け取りを拒否すること。 
C 後日補助金を取得するため、商品購入後、標識カードの番号、製品番号のバーコードおよび購入者の個人情報を購入先の商店に登録する。(購入後3日以内に商店側がこれらの情報を「家電下郷情報管理システム」に入力する) 
D 購入後、決められた期間内に戸籍登録先の役場の財政部門へ身分証明書、戸籍簿、購入商品の標識カード、貯金通帳等を持参して補助金申請手続きを行う

・・・ずいぶん複雑で面倒な手続が必要な割に13%という補助金では少なすぎないか、と私などは思いますが、広大な中国内陸部の農村ではあらゆるインフラが立ち遅れているため、新たなサービスシステムが定着するまでには相当の手間や労力がかかるようです。


 「下郷家電」の対象は当初カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機、携帯電話の4品目から始まりました。これら4品目は、農民の消費需要に関する調査の結果、収入レベルが中下層の農民の大多数が生活の質を改善するために必要としている家電製品であること、製品単価が比較的高いため、補助金を出すことにより農民の購買意欲が高まりやすいこと、製品の生産技術や性能が成熟し、メーカーも多く、アフターサービスが整っているため、品質やサービスに関するトラブルが起きにくいと予想されること、農民の購買意欲が強い商品であるため、今後も高い成長性が見込まれること、生産能力が大きく、輸出への依存度が高いため、貿易摩擦の原因になりやすいこと等を基準として選定されたものです。

 

 具体的な商品の選定に当たっては、公開入札方式が採用され、農村の消費生活の実情に適したものであることが求められ、農村を都市の売れ残り商品の単純な受け皿にすることを防ぐため、省エネ、環境保護、耐用年数、安全性等の面でも明確な条件が示されました。公開入札の結果、応札した企業はこうした品質や性能を保証するほか、農村の使用環境に適した新たな機能を付加した商品を開発してきました。例えば冷蔵庫の「ネズミ防止板」、携帯電話の農村専用情報機能、洗濯機の排水パイプの複数湾曲性能(井戸水等にも対応)等がそれです。また対象品目の小売価格に最高限度額が規定され、収入が中下層クラスの農民たちが、広くこの政策の恩恵を受けられるように考えられています。落札した製品のメーカーは多くが中国系ですが、日系のメーカーではパナソニックと三洋が洗濯機で落札したと聞きました。


 この政策が実施されてから6月15日までに、例えば広東省の西隣にある広西チョワン族自治区では「下郷家電」の販売総数267,000台、売上総額4億5千万元を達成し、そのうち約60%に当たる16万台について補助金の支給が完了し、20万戸の農家がその恩恵を受けたことが報道されています。広西では7種類ある「下郷家電」の中でも冷蔵庫に最も人気が集まりました。広西では補助金の申請手順の簡素化に努め、それまで村役場で審査を受け、その上級の県財政局で支給を受けることになっていた手順を、購入した商店ですぐに審査、村役場で支給を受けることができるようにしたため、それまで申請してから実際に補助金が得られるまで1ヶ月はかかっていたのが7〜10日に短縮され、また「下郷家電」購入に関する苦情や相談を受け付ける電話相談窓口を開設し、農民の購買意欲が大いに高まったということです。
 ただ一方では、「下郷家電」の品数を豊富に揃えている商店が少なく、自分が求める商品が手に入らない、補助金の申請手続が繁雑で時間がかかるといった苦情も多数報告されています。

 

 安徽省のある村の主婦は、今年3月に、近くの街の繁華街にある電器店まで行き、1,799元で冷蔵庫を買い、補助金を申請したのに2ヶ月以上過ぎた今でもまだ補助金が出ないと訴えています。
 また河北省のある村では「家電下郷」政策が実施されたことが3月末にわかってからみんな喜んで大きな期待をかけていました。と言うのもこの村では一人当たりの年収が約3,000元(約45,000円弱)しかなく、これまで村には白黒テレビが普及していただけで、洗濯機や冷蔵庫等を持っている家は200戸余りの村でわずか十数軒しかなかったからです。ところがこの村の王さんは、息子が結婚するため「家電下郷」の冷蔵庫を買った後になって初めて補助金の申請手続が煩雑すぎることを知ったのでした。手続が不備とかで村役場までだけでも2往復もし、すっかり農作業の時間を取られてしまいました。領収書、身分証明書、戸籍簿、それに標識カード等と、何やらたくさんの書類を抱えて何十キロもの道のりにある村役場まで行って手続をしなければならないなど、高齢でしかも文盲の王さんにとっては困難を極める大仕事となったのです。王さんの息子達は村の外へ働きに出て週末にしか時間はとれず、週末は役場が休みとなるため、父親を助けて申請に行くこともできませんでした。「最初からわかっていたら、200数十元のためにこれほどの苦労なんてするものか!」と王さんの息子は憤慨しています。村の家電商店ではインターネットに接続はできるものの、入力システムにしばしば問題が発生するため、結局は市政府で登録処理が行われ、正式な領収書もその時でないともらえないのでした。

 

 こうした農民からの苦情はまだまだあり、家電製品に囲まれて生活している都会人にとっては想像しにくい困難が農村には数多くあるようです。何しろ合計8億人が暮らす農村ですから、そこに都会並みの便利な家電や細やかなサービスが普及し定着するまでには、まだ多くの紆余曲折が予想されますが、少しづつでも人々の暮らしは改善の方向へ進むことでしょう。
 河北省の田舎から上海へ出稼ぎに来ている私の友人も、携帯電話は出稼ぎに出ている夫や子供たちも持っているけれど、家にはまだ白黒テレビしかなく、冷蔵庫も洗濯機もないと言っていました。今度田舎へ帰って息子に嫁取りをする時には冷蔵庫と洗濯機を買って補助金を申請するつもりだそうです。

 

 

 

 

2009年5月号

 

【 中国の婚カツ 】


 中国人にとっての理想を表すことばに「四世同堂」と「天倫之楽」があります。どちらも家族に関することばで、「四世同堂」とは、ひいおじいさんからひ孫まで四世代の家族が一つの邸に共に住むことをいい、「天倫之楽」とはそうした家族が集まった団欒の時の楽しさを表すことばで、天の定めた人と人との絆による楽しさを意味し、古来中国ではそれが最高の楽しみだと言われてきました。上海の我が家でも何かというと親戚たちが大勢集まって大家族の楽しさを味わうのがみんな好きです。そうした家族の繁栄を支えていくためには、成人になれば結婚することが基本になるのは言うまでもありませんが、意にかなう相手にめぐり合うのはこの国でもなかなか大変なようです。
 そこで今日は、中国式婚カツの一つ、新聞の結婚相手募集広告をのぞいてみましょう。


 

 「徴婚(結婚相手求む)」
・ 男35歳、185cm、未婚、博士、金融企業管理職、高給、広い家、上品
・ 男35歳、未婚、大卒、上場会社のスーパーバイザー、高収入、複数の家あり、優秀
・ 男41歳、180cm、未婚、修士、大企業の工場長、高収入、広い家あり、温厚
・ 帰国企業家、男56歳、離婚、子供なし、富裕、車と家あり、平凡な人、子連れ尚よし
・ 上海出身、男、'52年生、妻亡、オーストラリアで商売後帰国、良縁求む、車と家あり、オーストラリアへ同伴可
・ 帰国者、男、'62年生、大卒、子供なし、二つの会社を経営、車、一戸建、マンションあり、子連れ可
・ オーストラリアの投資家、上海出身、男、53歳、子供なし、資産豊富、車、家あり、オーストラリアへ同伴
・ 事業に成功、男、60歳、離婚、ダンディ、子供海外在住、家3軒あり、58歳以下家事切り盛りできる女性求む
・ 美人、金属扱い自営業、女、37歳、離婚、商売のパートナー求む、貧富を問わず
・ 復旦大学修士、金融業、男、'73年生、未婚、市街地に家2軒、高収入、英知に富む、温厚、責任感強い
・ 不動産業、男、41歳、178cm、離婚、子供なし、市街地に家複数、豪華な自家用車、気前良く風格あり、しとやかな女性求む、子連れ尚よし
・ アメリカ帰り、民間企業代表取締役、男、54歳、妻亡、178cm、(娘海外)、実直、穏健、経済力豊富、車と家、貧富を問わず
・ 男、36歳、179cm、未婚、修士、上場会社部長、高給、豪邸、車、ユーモラス
・ 女、40歳、離婚、心理療法士、帰国者、暮らし向き良好、メゾネット式マンション、車あり、容姿端麗
・ 男、55歳、妻亡、橋梁エンジニア、月給8千元、家2軒、明朗、ユーモラス、良縁求む
・ 男、60歳、離婚(一女アメリカ在住)、自営ネット会社代表取締役、高収入、家、車、豪快
・ 女、'69年生、短大卒、ブランドデザイナー、若々しく美しい、高給、家、車
・ 優しい女性、29歳、未婚、豊満な美人、富裕、車、家、良縁求む
・ 女、42歳、離婚、子供なし、工場経営、品行方正、業務多忙につきパートナー求む
・ 女、36歳、夫亡、善良で気立てよし、経済力あり、愛情深く家を大事にする男性求む
・ 女、'78年生、短大卒、未婚、幼稚園教師、色白美人、インテリの家庭
・ 上海出身、女、'64年生、160cm、短大卒、離婚、出産経験なし、在職、誠意のある人求む
・ 女社長、40歳、出産経験なし、商売、独居、3LDK、車、清楚、65歳以下求む
・ 女28歳、未婚、旧住宅立ち退き、急募、速い結婚を望む、男性の結婚歴年齢を問わず
・ 国営企業退職者、女、64歳、夫亡、出産経験なし、独居、1LDK、色白、地味、伝統的、良縁求む
・ 美人、'73年生、短期間の結婚歴、出産経験なし、172cm、工場経営、車、家、業務多忙、寂しい、まずおつき合いを、経済力問わず
・ 家族企業継承者、女、'80年生、大卒、未婚、富裕、新居準備済み、純真で愛らしい、成熟型の人求む・・・
 

 

 まだまだ続くのですが、この辺でやめておきたいと思います。いかがでしょうか、我と思わん方は・・・。こうした広告は毎日たくさん出ています。中国にはまた「有縁千里来相会(縁があれば千里離れていても必ず会いに来る)」という諺もありますが、やはりじっと待っているばかりでなく、さまざまな努力が必要なのでしょう。


      

 
上海の新郎新婦                                   花嫁を出迎える車


 

 

2009年4月号

 

【 上海の「電子警察」 】


 4月1日午前9:00から、上海交通安全網(www.shjtaq.com)で固定式「電子警察」の設置場所が公開されています。それと同時に警察による交通監視装置の使用管理規則が打ち出されたので、交通違反の取り締まり等に関する情報がこれまでに比べると市民に開かれたものになりそうです。
 今回「道路交通安全違法行為処理手順に関する規定」が改正され、「警察の交通管理部門は交通監視装置を利用して違法行為の証拠を収集できるが、固定式交通監視装置の設置場所を公表し、『電子警察』が違法行為を撮影した後、25業務日以内にそれを公開し、市民が照会できるようにしなければならない。」ことになったのです。
 現在上海市内に設置されている固定式交通監視装置は1700ヶ所余り、それによって主に車の信号無視、スピード違反、専用車道の走行違反等の行為が撮影されることになっています。



 

 4月1日からは、上海交通安全網(www.shjtaq.com)のトップページ左上にある「固定式電子警察」をクリックすれば、市内の各所に設置された「電子警察」の分布状況がすぐにわかるようになりました。新たな規定によれば、これらの「電子警察」は設置場所が公表されたものでなければ証拠写真を撮影してはならず、今後新たに設置が決まったものや、場所が変更になったものについては、速やかに情報を更新しなければならないことになっています。また車の速度違反の証拠撮影をする「電子警察」が設置されている場所では、その手前で標識パネルにより、その存在をドライバーに知らせて警告することにもなりました。
 固定式「電子警察」によって違反行為が撮影された場合、警察が10業務日以内にそれについて審査し、事実関係を確認した後、それが交通違反情報管理システムに入力されて違反の証拠となり、その後3業務日以内に「道路交通安全違法処理通知書」が書留郵便で車の所有者または管理者のもとに発送されることになっています。
 このほかに移動式「電子警察」の速度測定監視装置が設置された道路区間もあり、そこには「雷達測速(レーダー式速度測定)」や「監控設備監管(監視装置による監督管理)」といった警告表示板を設置することが義務付けられ、隠れた状態での取り締まりはできないことになりました。

 

 

 隠れた場所から取り締まっていた過去のやり方から市民を尊重する方向への転換を示すこうした動きを大多数の市民が歓迎していますが、中には悪質な運転手が「電子警察」のあるところだけおとなしくし、その他の場所では今まで以上に傍若無人になり、歩行者の安全が確保されにくくなるのではないかと心配する市民もいるそうです。これに対して警察側は、「電子警察」は科学的な分析の結果、交通量が多い、事故が多発する、違反行為が多い、道路事情が悪い、人間の警察官による管理が手薄であるといった場所に集中的に配備しており、設置場所を公表することにより、警察の取り締まり方法の透明化を図ると同時に、こうした危険な区間では特に安全運転を心がけるようドライバーに警告を発することができるのだと説明しています。

 

 これまで私も、例えばタクシーの運転者さんが、「警察のやつらは俺達をいじめるのが趣味じゃないか。タクシーを目の敵にしやがって・・・」などとぼやくのを聞いたり、交通違反による罰金の徴収方法が不透明だといった不満を聞いたりすることがよくありました。それに対して警察側も、頭ごなしに取り締まるばかりでなく、安全運転を心がけるよう事前に警告するといった改善の努力を続けているのは、以前の中国の警察に比べるとかなり大きな進歩と言えるのでしょう。
そう言えば最近、横断歩道を渡る時、車の方が止まって私が渡るのを待ってくれることがありました。これまでの車優先の中国では考えられなかったことです。今後はドライバーたちも徐々にマナーを向上させ、もっと歩行者を優先する人が増えてほしいものです。


 

  

電子警察

 

 

 

 



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