神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター 中国のホットニュース 2006年
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2006年12月号
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【 中国のボーナス 】
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それが1990年代に入って本格的な改革開放政策が実施され始め、「社会主義の特色ある市場経済」をめざしてさまざまな改革が進められているわけです。とは言っても面積は日本の25倍、人口は日本の10倍以上もある国ですから、地方による違いや農村と都市による違いの大きさは日本の比ではありません。改革の進捗状況についても、どの地方であるか、どの分野かによって全く異なり、同じ国の中なのに北京、上海、広州、深
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この会社で技術部の経理(マネージャー)として働く陸さんは、毎月給料日になると厄介な目にあっています。たいてい誰かしらの奥さんが文句を言いに来るからです。うちの主人のどこが悪くて今月のボーナスが減らされたのか、というわけです。毎月のボーナスには100点とか200点とか基本の点数が決まっていて、通常通りの仕事ぶりなら問題ないのですが、業務成績が良ければ1件あたりプラス2点、何か仕事上の失敗をすれば1件あたりマイナス2点というように点数がつけられるようになっています。2点が大体200元から300元(約3,000円〜4,500円)ぐらいになるそうです。上海の男性は気管支炎の人が多いと言われています。これがどういう意味かご存知の方もおられるでしょう。気管支炎は中国語では「気管炎(チクアンイェン)」、これは「妻管厳(チクアンイェン/妻の管理が厳しい、の意)」と同じ発音で、つまりカカア天下(注:この日本語は相当古いでしょうか、なにぶん10年以上日本を離れて生活しているもので、ご容赦を・・・)という意味をちょっとしゃれて言う言い方です。平均的な上海のサラリーマンの給与振込の銀行カードは奥さんに握られていて、旦那さんはそこから毎月のお小遣いをもらうのが普通です。そこで今月はいつもより200元ほど少ないとわかると、まず奥さんは旦那さんを問い詰めます。もちろん旦那さんはそこでおめおめと自分が犯した失敗を白状することはまずないので、奥さんとしてはそれを信じて、会社の上司に文句を言いに行くことになるわけです。上海の女性は弁が立つしねばり強い人が多いので、陸さんは毎月閉口しています。そこで今月はそういう奥さんが来た時、一通り話を聞いた後、「当社には規定があって、奥さんが文句を言いに来ると、それもマイナス2点として計算することになっています。」と言ってみました。効果てきめん、その奥さんは目をぱちくりさせて早々に引き上げたそうです。 この会社ではかなり景気がいい模様で、利益を現金のボーナスだけで還元し切れないため、年に何度か現金以外の現物支給もあります。これまでに例えば、最新式の電気ストーブ、扇風機、オーディオミニコンポ、サラダ油1ダース、缶入ビール1ダース、果物、上海蟹、石鹸・洗剤類、美肌クリーム、タイガーバーム、紅花油(腰痛や捻挫等に効く)、USBフラッシュメモリ、MP3といった品々が社員全員に支給されました。日本風の横並びといった習慣は中国ではあまりないのですが、それでもまだ多くの国営企業で大量のリストラが続いている中で、一部の会社だけボーナスの額が多すぎて周囲の人に不公平感が広がらないように配慮した結果だといいます。 |
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![]() 2005年末から営業を開始した上海港最新の海上コンテナ埠頭―洋山埠頭 |
2006年11月号
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【 古 玩 】
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上海はかつて中国最大の「古玩」市場だと言われていました。「古玩(クーワン)」とは骨董品のことです。多くの骨董屋が狭い路地に店を出し、ダイヤモンド、象牙、磁器、彫刻を施した箸、仏像、錦織の布地、その他ありとあらゆる不思議な珍しい物が並んでいました。そこでは眼力に自信のあるたくさんの人達が売ったり買ったりして相当の儲けを得ていたのです。今こうした「古玩」市場は、市民の間でいわば株式市場と同じように、一つの投資の場となってきています。 もちろん骨董屋さんは骨董品を売買する中で一定の差額を得て商売が成り立っているわけですが、もともと神秘的な色彩に満ちた真贋ないまぜのこの業界は、運がよければ一夜にして莫大な富が得られる代わりに、ちょっと油断すると一文なしにもなりかねないリスクをはらんだ世界でもあります。
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上海の「古玩商」が扱う品物は、実は地元で代々伝わった物は少なく、山西省、河南省、河北省等の各地から「掘り出され」たり「拾われ」てきたものが大部分だそうです。古玩商たちはこのことを「淘宝(タオパオ/宝掘り)」とか「?漏(チエンロウ/こぼれ物拾い)」と呼んでいます。「淘宝」と言えば、古玩商の李さんには会心の思い出があります。数年前のこと、河南省のある小さい村で全く偶然に、一人の年老いた農民から200元(約3,000円)で青銅の燭台を譲り受けました。上海に戻ってから、ついでの折にそれを売り出すやなんと数十万元(数百万円)の値がついたのです。それ以来李さんは「淘宝」の楽しみを追い続けることになりました。
ある古玩商は「骨董というのは本来値があってないようなもので、好きなように値がつけられるのだ。買い手が300元のものを気に入って3万元でも買いたいと言えば、3万元で売れるし、逆に3万元で売りたいと思っていても、よく知っている人にかかれば最後は300元にたたかれても売るしかなくなることだってある。」と言い切ります。
我が家の「古玩」(約200年前の品) |
張さんと似たような目に遭っている「古玩虫」はほかにもたくさんいて、数万元から、中には数百万元で買わされて喜んでいた「骨董品」が、実はせいぜい数百元の価値しかないとわかってがっかりさせられたという話は少なくありません。確かに玄人でも時には見誤ることがあり、この道十数年という古玩商の趙さんによると、古玩市場も株式市場と同じで、やはり「眼力」がものを言うのだそうです。
道端の「古玩」 |
2006年10月号
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【 黄浦江に跳び込む 】
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ところが、そうしたはなやかなイメージの裏で、この河に跳びこんで死のうとする人の数が、ここ10年間で以前の何倍にも増えています。数日前、この辺りの警備を担当する水上警察署の劉(リウ)さんは、また1人の自殺未遂者を助け上げました。劉さんの同僚で55歳になる于(ユィ)さんは、この20数年間に跳び込んだ人を何十人も救助して来ています。1980年代から90年代前半にかけて跳びこんだ人は、毎年10人から20人程度、そのほとんどが地元上海の人で、家庭内のトラブルがその主な原因でした。それが90年代後半以降どんどん増え続け、しかもその90%が他の地方から上海に来た人、そのうちの半数以上が40歳以下の青年という統計が出ています。就職に失敗、失恋、家庭内のトラブルなどが跳びこんだ主な原因です。同じく水上警察の厳(イエン)さん(36歳)は、これまでに何回も危険を厭わず自らも跳び込んで自殺未遂者を救助し、「全国優秀人民警察官」として表彰されました。厳さんによると、黄浦江に人が跳び込んだという通報が3〜4日に1回ぐらいはあるそうです。2004〜2005年の2年間に跳び込んで助けられた人は105人、今年の1〜8月では既に38人が救助されました。 |
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上海には昔から「黄浦江には蓋がない、死ぬなら黄浦江に跳びこめばいい。」という言葉があるそうです。この言葉は、上海で生まれ育った義父によると、「死にたい。」などと言ってくよくよしている人に向かって「死ぬ、死ぬってなんだか大変そうに言ってるけど、鍋と違って黄浦江なら蓋もないし、さっと跳び込みゃあ簡単できれいなもんだ。首をつったり、刃物で刺したりするのは見苦しいし後々面倒だからね。」という意味を込めて言ってやるのだそうです。そうすると大抵の人は悔しがって考え直し、逆に死ぬ気がなくなるのだと言います。また、外灘のような目立つ場所で跳び込む人なぞは、もともと本気で死ぬ気ではなく救助されるのを期待しているんだとも言っています。だとすれば、警察の人達こそいい迷惑ですね。確かに同じ黄浦江でも、もっと下流の、人が少ないところへ行けば自殺の成功率はもっと上がるはずでしょう。長江の支流と言っても、深さは8〜9m以上、幅は数百メートルもあり、流れも相当速いのですから。
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一方、経済成長率の増大がそのまま「幸福指数」の上昇にはつながらないのもまた現実です。めざましい発展を続ける上海では、都市生活のテンポがますます加速するのに伴い、一見自信たっぷりに見えるビジネスエリートたちも、ストレスが重くのしかかり、地方から出稼ぎに来る人達に負けず劣らず、心理的な危機に直面していると言われています。中国全土で見ても、自殺者は毎年28万人を超え、15歳〜34歳では自殺が死亡の原因の筆頭に上がり、そのうちの25%が抑圧症による自殺だという統計もあります。経済発展とともに、中国の人達の生きる元気にも徐々に危機が広がってきているということでしょうか。 |
2006年9月号
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【 月 餅 】
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まもなく「中秋節(ツンチウチエ)」つまり日本でいう十五夜のお月見の日がやってきますね。中国でも太古の昔から月の神を祭り供え物をする風習があり、紀元前の秦の時代にはそれがすでに国の行事になっていて、そのことが旧暦の8月15日に確定されたのは、今から千年余り前の宋の太宗年間だと言われています。何千年も前から月の神様にお供えした物を、後でみんなで分け合って食べていたことが、その後、中秋節には月餅(ユエピン)を食べるという習慣として引き継がれて来たというわけです。
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ここ数年「高価月餅」「腐敗月餅」といった言葉がニュースによく出てきていました。なかでも2003年に雲南省の昆明で売り出された月餅は1箱31.8888万元(約460万円)でした。その中には月餅に加えて、オリンパスのデジタルカメラ、ビデオカメラ、酒、パーカーの万年筆、ZIPのライター、茶、高級保健薬のほか、きわめつけは114uのマンションまでがついていたのです。こうした高級月餅はしばしば各種の賄賂として使われたと言われています。
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2006年8月号
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【 女児軽視と母親崇拝 】
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中国で生まれる赤ちゃんの男女比の不均衡が拡大しています。先日、2004年度の出生比率は女児100人に対し、男児121人に達したとの統計が発表されました。後継ぎとして息子が欲しいという願いは、伝統的な日本人の考え方とも共通していますが、それにしてもこの差はやや異常です。特に中国の人口の70〜80%を占める農民の間でその傾向が強いと言われています。
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新中国誕生後、1953年に実施された第1回国勢調査によると、出生人口の男女比は正常であるのに、女児の死亡率が高いため子供の年齢が高くなるにつれて、男女比が拡大する傾向がありました。1964年の第2回国勢調査ではこの傾向にやや改善が見られたものの、その後再び拡大し、特に農村において女の胎児や新生児に対する軽視や蔑視がなくならず、女の子を大事に育てない傾向が続いていると言われ、2000年には出生人口においても正常な範囲を超えた男女比が現れ始めました。
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例えばある時、色々な人からお茶の葉をたくさん頂いて使い切れないので、一人暮らしをしている伯母(夫の母の兄嫁)にお裾分けしたことがあります。それに対して夫が「年配の女の人にお茶を上げても持て余すだけだよ。」と言うのでその理由をよく聞いてみると、もともとお茶は男性の飲み物で、一昔前までは「女だてらに茶なぞ飲んで贅沢な・・・」といった感覚だったらしいのです。確かに中国では日本のように日常的にはお茶を飲まない人が結構いるので意外に思ったことはよくあります。伝統的な茶館でゆっくりお茶を飲んで時を過ごすのも大部分が男性でした。もちろん今では女性もお茶を飲みますが、日本女性に比べるとお茶にこだわる人は一般的には少ないように感じられます。あるいは茶の文化が日本ほど庶民の生活の奥深くまでは浸透していないし、新しいブームにもなりにくいということなのかも知れません。
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2006年7月号
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【 青蔵鉄道 】
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7月1日青蔵(チンツァン/青海チベット)鉄道が全線開通しました。これは中国青海(チンハイ)省の省都西寧(シーニン)からチベット自治区のラサまでの全長1,956qにおよぶ鉄道で、このうち西寧からゴルムド(格?木)に到る青海省東部の区間は1984年に既に営業運転を開始していますが、今回は残るゴルムドから青海省西南部を経てチベットに入りラサに到るまでの1,142qが開通したものです。こうして最初の着工から実に48年もの歳月を経て、平均標高4,000mと世界で最も高い地点を走る高原鉄道がついに完成し、チベットでの鉄道不通の歴史に終止符が打たれたのです。この鉄道についてのいくつかの話題をご紹介しましょう。
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<沿線の駅> |
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<苛酷な自然環境> <今後の建設> |
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![]() 中国の地形図(黒い太線が青蔵鉄道のおよその位置です。)
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2006年6月号
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【 小黄金週間 】
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6月14日から18日まで上海市民は「小黄金週間」を過ごしました。上海協力機構首脳会議開催中の安全確保に配慮した当局からの通達により、上海市内の主な職場や学校が5連休となったためです。その代わり10日(土)、11日(日)、24日(土)は出勤しなければなりませんが。 |
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杭州の西湖 | ||
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中国のサッカーファン
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一方、ちょうどサッカーのワールドカップと5連休が重なったことは、サッカーファンにとってとても嬉しいことでした。あるIT企業に勤める楊さん(男性、26歳)はイングランドチームのファンなので、金曜の夜中に始まるイングランドの観戦に最良のコンディションで臨むため、木曜は一日中寝てたっぷりと睡眠を蓄えました。夕方から友達数人を誘いカラオケハウスの一室を一晩借り切って試合とカラオケを堪能したそうです。このほかワールドカップが観戦できる大型のバーなども楊さんのような多くの若いサラリーマンたちで夜明けまで賑わいました。 |
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中国のサッカーファン | ||
ともあれ今回の「小黄金週間」は総じて評判がよく、一般市民も、市内の各種公共サービス・管理部門関係者も、割合ゆったりと過ごせたようです。今後は全国統一の7連休を実施するより、各地方で時期をずらしてはどうか、いや、レジャーや旅行は本来個人や各家庭が自由に計画すればいいもので、特に黄金週間や小黄金週間にこだわる必要はない等の論議も生まれました。 |
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2006年5月号
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【 上海の治安 】
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上海は、中国の中で最も治安が良い街だと言われ、最近は東京より安全なぐらいだと言う人もいます。通常は、夜の10時や11時を過ぎて女性が一人歩きしても、まず襲われる心配はありません・・・・
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中国の婦人警官 |
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銀行の窓口
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刑事ドラマ | ||
その後私はしばらく呆然としていてから、とにかくすぐ隣の両親の家にいるお手伝いの陳さんに簡単にいきさつを話し、夫に電話をし、それからやっと110番しました。私の気持ちとしては、大した損害も怪我もないので、110番する必要があるかどうかも迷うほどだったのは、考えてみると、自分では冷静なつもりでも、実際には常識的な感覚を失っていた証拠なのかも知れません。
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2006年4月号
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【 清明節と元宝 】
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中国で、4月5日(年によっては4月4日)の清明節前後の時期は、春節(旧正月)の「民族大移動」に次いで、人の往来が激しくなります。この清明節は、日本の春分や秋分の「お彼岸」と同じようなもので、どこの家でも親戚一同が揃って先祖のお墓参りに出かける季節だからです。今年は3月18日(土)から4月16日(日)頃までがその時期に当たりこの間のピーク時には、例えば鉄道の上海駅と長距離バスターミナルを合わせると、1日延べ約50万人が上海から近郊の蘇州などへお墓参りのために移動しました。毎年このことが話題になるのですが、私の記憶によるとお墓参りに出かける人が前年より増えたというニュースを毎年耳にします。中国人がそれだけみんなご先祖様のお祭りを大切にするようになったということでしょうか。あるいは生活にゆとりができて来たということかも知れません。
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「清明上河図」の一部分(11世紀頃の作品と言われている) |
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「踏青掃墓」に出かける人たち
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この紙のお金の中で「元宝」は、「錫箔(シポ)」と呼ばれる銀色の紙を折り紙のように折って一つ一つ手作りで作ります。これはなぜか女性の仕事で、男性が折っているところは見たことがありません。こちらの叔母たちの説明によると、「男にはそんな忍耐力がないから」なのだそうです。折るのは半端な数ではなく、普通1回のお墓参りのために一人で何百個も作ります。私はこの折り紙の習慣も好きです。死者のためにできることがあるというのは随分慰めになるし、また相当の手間ひまをかけて作り上げたものを一瞬のうちに燃やしてじっとその炎を眺めるというのも、やってみると何とも言えない一種のすがすがしい気持ちになれるからです。
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「錫箔」で折った手作りの「元宝」 | ||
ただ上に述べたのは、上海とその近郊の江蘇省や浙江省あたりの都市部の習慣で、北方内陸部の農村へ行けばまたそれぞれ習慣が違ってきます。例えば河南省の農村部などでは、やはり清明節にはお墓参りをしますが、一族を代表して誰か一人だけ行き、豚肉の塊一つと饅頭(マントウ)を10個ほどお供えするだけなのだそうです。それでもやはり、お線香と紙のお金を焚くことだけは欠かせません。上海のようにお墓参りのついでにピクニックを楽しむような習慣はないそうです。 このほか、上海のある大きな病院で聞いた話ですが、毎年清明節になると不思議なことにお年寄りで亡くなる人が、必ず普段より目立って増えるそうです。それは先に亡くなった親しい人が呼ぶのだと言う人もいます。もっとも、長い冬が終わりやっと春が来てほっとしたところに、季節の変わり目で突然気候の変動が起きることがあり、体力が弱っているお年寄りにとっては大きな負担になるためだという科学的な説明もあります。 確かに、清明節になると木々が芽吹き花々が咲き乱れ、すっかり暖かくなって一気に春が来たことが実感されます。こんなに生命感が溢れる季節に、普段はとても現実的でドライで、感傷的なところなど少しもないように見える中国人が、お年寄りも若い人も毎年必ず万難を排して神妙にお墓参りをし、亡くなった人たちをしのぶ・・・なんだか矛盾しているような意外な感じを受けるのですが、中国人の心の底の方では、生と死がごく自然につながっていて、どちらも現実として深く根付いているのかも知れません。長い間続いてきた清明節の「踏青掃墓」の習慣は、時代が変わってもずっと受け継がれていくことでしょう。 |
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2006年3月号
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【 挨拶の言葉 】
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上海のタクシー |
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近所の子供たち
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小学生 |
食事の時の挨拶の言葉はまた違います。「いただきます。」「ごちそうさま。」に当たる言葉は中国語にはありません。家族だけで食べる場合は、何も挨拶はしませんし、誰かお客さんが加わった時でも、始まりはみんな「吃、吃!」「吃、吃、吃、吃!」とお互い何回も「食べよう」を連発し合ってから食べ始めます。そしてもし自分がお客さんより先に食べ終わった場合は、お客さんに向かって「慢慢吃(マンマンツ/ゆっくり食べてね)」というのが礼儀です。これは言う人と言わない人がありますから、もし皆さんも中国人と一緒に食事をする機会があったら、さりげなくこの言葉を使ってごらんになって下さい。きっと思いやりのある人だと評価されることでしょう。 |
2006年2月号
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【 中国のバレンタインデー 】
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2月14日のバレンタインデーが中国で「情人節(チンレンチエ)」つまり「恋人の日」として、一般に知られるようになったのは、ここ数年のことです。上海あたりでは男性が女性にバラの花束を送るのが主流で、それも本命ばかり、義理チョコなどという概念はまずありません。今年上海のオフィス街では、ちょっと新しい動きがあったそうで、それは、どうも今年は誰からも花束が来ないだろうと思うと、こっそり宅配便の会社に電話して自分宛の花束を注文する女性が増えたというものです。つまりこの日は、男性がお目当ての女性の職場宛に花束を贈るのが、上海流らしいのですが、年頃の女性は、一つも自分に宅配便が届かず同僚の間で面子がなくなるのを避けるため、先に手を打っておくわけです。バラの花のほかに、日本と同じくチョコレートを贈ることもあります。甘―い思いを伝えようというわけですね。
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今年の新商品―下着とハンカチでできたバラの花束 |
それからもう一つ、これは今年上海で本当にあったお話だそうです。 |
良縁を願う風水チョコ
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あるレストランの バレンタインデー・ディナーのメニュー(個室で、2人分699元=約1万円)
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2006年1月号
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神奈川県横浜の翻訳会社 D&Hセンター 中国のホットニュース 2006年