ヨロンパナウル王国の旅(全5回)

(1)プロローグ
鹿児島空港には10時到着。与論行きのゲートは,屋久島行きと同じ場所。10分早い屋久島行きが行った後の案内になる。朝はおにぎり二つしか食べていないので,虫ざましにさつまいもアイス(270円)を売店で買って,しばし搭乗を待つ。
さて,今回利用するマイレージの特典航空券は,任意の2区間がタダとなる。直行便のない与論へ行くには,今回のような鹿児島経由と那覇からバックするのと2パターンあるのだが,どちらにしても,4度飛行機に乗らなくてはならない。
となれば,羽田―那覇の往復をタダにして,距離の短い那覇―与論の往復を有料とするコースのほうが得である。しかし,上述のように,鹿児島経由として,この羽田―鹿児島―与論というルートをタダとした理由は三つ。すなわち,@一度行き過ぎて引き返すのが好きじゃない,A鹿児島経由のほうが時刻が30分ほど早く与論に入れる(所要時間はどっこいどっこい),B鹿児島―与論という二度と乗らないだろうルートを乗って,特典の効力を謳歌したい。
与論行きの飛行機は,定刻の10時50分に出発。機内は39人乗りだが,半数以下の搭乗率。ドリンクホルダーがないから,アメくらいしかくれないだろう。与論到着は12時35分の予定。それこそ2時間前後羽田から乗って,再び同じ時間乗らされるより,1時間かからずに行ける“那覇バックルート”のほうが,いろんな意味で得なのだ。上述の選んだ理由のBなんて,別に乗りつぶしをしたいわけでもないのに,バカバカしい限りである。
しかし,初めは海が見えるほど晴れていた空も,途中から雲の絨毯に。天候悪化というのはホントだった。最後は厚い雲の中をしばらくさまよい,着陸ギリギリでようやく島が見えたくらいだ。操縦が慎重になったようで,空港には13時ちょっと前に遅れて到着。でも,着陸できたのだからよしとせねば。滑走路は雨に濡れているが,幸いにも雨は降っていない。

(2)“プリシア”への道
平屋建ての小屋みたいなターミナルで,本日宿泊するプリシアリゾートヨロン(以下「プリシア」とする)の人間を探す。狭いロビーには,民宿やらホテルやらレンタカー関係の人間で混み合う。その向こうに緑地に白抜きで「PRICIA RESORT」と書かれた看板の受付みたいなのを発見する。しかし隣には民宿「汐見荘」のプラカードを持った女性。でも何気に聞いてしまうと,駐車場に停まっているバスに乗るらしい。彼女は“微妙な顔”をしている感じだった。
早速同じ柄のバスに見つけると,運ちゃんがいない。でもドアが開いているから乗ってよいのだろう。とりあえず数分待っていると,20代半ばくらいの女性3人組が入ってきた。「支店長が…」という会話を聞くに銀行の人間か。ようやく休みを取っての旅行なのだろうか。彼女たちは荷物をバスに置くと,外に出てあちこちで写真を撮り出した。
それにしても,誰も来ない。後ろではレンタカー連中が続々出発している。不安になって再びロビーに向かうと,プリシアの看板を持った中年男性。つかまえて話を聞くと,やっぱり乗っていてよかったようだ。再び待つこと数分,運ちゃんと女性3人が乗り込むと,即出発と相成った。もっとそれこそ満員になるかと思っていただけに,かなり拍子抜けしてしまった。
空港前の道路をほとんどが左折するなか,我々の車は右折する。島の中心地である茶花(ちゃはな)から少し外れた,西の端っこにプリシアはある。滑走路下の狭い道路をくぐると,目の前に畑が広がる。と同時に雨が降り出してきた。いやはや,ここに来て“恨みの雨”となってしまったか。
間もなく道のどんづまりで,白いコテージを右に従えたプリシアの敷地に入る。本館である「ソレイユ」の前で停まり,外へ出ると雨が俄然強くなってきた。あわてて建物に駆け込む。

中は思ったほど広くはない。10m四方くらいだろうか。時間が13時過ぎということで,人気はなく静かだ。もう1組の女性とともにチェックインする。案内される部屋は700号室。コテージの中の一室である。いずれのコテージとも一度外に出て歩いて行かなくてはならない。いかにもリゾートホテルらしいシステムだ。
それはそうと,外は雨に加えて風まで強くなってきた。「ビュー」とも「ゴー」ともいう音。いよいよ誰かの恨みの“晴らしどころ”だろうか。外に出るには大変だが,今日1日部屋で待機するのももったいない。というか,明日のいまごろはここを発っていなくてはならない。ゆったりなようで実は余裕なんてないのだ。ひとまず島内見学はしておきたい――ということで,隣接するインフォメーションで手続きをする。目の前の,同世代くらいの男性従業員もそのままスライドだ。実は,事前に自転車を1台予約していたのである。
プレイメニューとしては,メニューはダイビングやマリンボートなどがものすごく充実している。詳細はホームページをみていただくとして,それ以外に島内見学としては,その名もズバリ「島内見学ツアー」(3675円)がある。事前にメールで問い合わせたところ,回答がなかったので,ちょいムカツキながらも電話で再度問い合わせると,火・木・日の週3回で朝9時から3時間という。日曜日に参加できなくもないが,いかんせん土曜日がもったいないし,コースを外れることはできないから外した。
となると,島内移動としてはレンタカーか自転車となる。自転車は1日(9〜18時)1365円。これに対してレンタカーは3時間で4500円,6時間で6500円,9時間で8500円。これにプラスして,燃料費600円,保険料1500円が別途かかるという(税金はこの合計額に対してかかる)。何とも割高な設定ゆえに速攻の予約は避けたが,島内1周は距離としては20数キロだから,自転車でも移動は可能だ。高いところもそうなさそうだから楽そうだし,自転車のほうが風を感じられるし,スピードがゆっくりだから島をより細かく“観察”できそうだ。
問題は雨降りになったときだが,傘はさすがにさせないだろう。ということで,雨が降ったときのためにレインコートは近くの100円ショップで購入した。それ以前にもう一つ根本的なこととして,実は1人暮らしを始めてから6年半,まったく自転車にまたがっていないというのもあった。どこかでサイクリングして慣らそうかとも考えたが,こちらは会社の人から,「身体が覚えているから大丈夫」というお墨付き(と書いて「おまじない」と読む)をもらった。そういうものなのだろう。なので勝手にクリアとしよう。
自転車も事前予約が必要とホームページに書いてあるから改めて電話をしたところ,対応した女性いわく「1台だけなら当日でも大丈夫です」だそうだ。一応「ホームページに事前予約って書いてありましたけど」と言うと,「では“取り置き”ということで」――これで一応,島内での予定は立った。

そして,現在――私の予定はあっさりと崩れた。あれだけいろいろ思案したのに,天気は実に気紛れで残酷であるし,事前にキチッキチッとやってきたのがバカらしくも思えてくる。もっとも3連休だと効力を発揮するのだろうが,“普通の土・日”でかつ12月だったら,そんなにガツガツしなくてもよかったのだろう。
問い合わせのメールの返答が来ずにムカついたり――と言っても,いざ電話では自分の名前を名乗らなかった辺りは気弱だ――,自転車1台のために敏感になったりと,考えるほど実に虚しい。無論,サービスに金を払う以上はキチッとサービスはするべきではあるが,それこそ「郷に行っては郷に従え」の精神で,少しは流れに身を任せる余裕があってもいいのではないかと思ってしまう。
……それはそうと,この雨と風である。「雨が降ったらレインコートで対応」だとか悠長なことは言っていられない。
「いやー,それにしても今日の雨は大変ですね。せっかく,来ら
れたと言うのに」
と,件の男性従業員が言ってきた。ここは交渉のしどころとばかりに,
「実はレンタサイクルを予約していたんですけど,車って空いて
ますか?」
と聞いてみる。すると「えぇ,空いてますよ」とあっさり。いくら台数が少なくて早いもの勝ちとはいえ,ますますバカらしくなってくる。「この雨ですから,レンタカーのほうがいいですよねぇ」と男性従業員。
「昨日は天気どうだったんですか?」
「昨日は……とてもいい天気でしたよー」
と最低限の会話を成立させながら,書類に必要事項を書き込む。冷静に考えてみれば,彼も「この雨でレンタサイクルだなんてバカじゃねーか」と思っただろうし,代金が高いほうにシフトするのだ。向こうにしてみればこれ以上ない客だ。先ほど「交渉のしどころ」と書いたが,完全に「向こうの思うツボ」だ。
そして肝心の時間だが,結局,最低の3時間とした。夏に伊良部島で経験した“すっ飛ばしドライブ”になるのは目に見えているが(「宮古島の旅アゲイン」前編中編参照),長い時間借りて1万円も出すのも馬鹿げている。現在13時20分。インフォメーションが閉まる18時までの返却は必須のよう。延長は1時間1500円だから,4時間(17時20分)までは大丈夫である。
カギを受け取ってレンタカー・レンタサイクル用の駐車場に行く。今回の車は日産の「マーチ」。これが初めての体験である。カーオーディオは…期待はしなかったが,やはりカセット。こうなるならアダプターは持ってきておくべきだったと,ちと後悔する。

(3)雨のヨロンパナウル王国
@ああ,哀しき“すっ飛ばしドライブ”
車は来た道を戻るように走り,滑走路下から空港への道に入らず直進する。周囲を見ている余裕はあまりない。雨がこれでもかと打ちつける左側の窓の向こうには水色。多分,遠浅の海岸だろう。地図を一応持ってはいるが,いちいち見ていると危なくなってきそうだ。
間もなく,一つ黄色く点滅する信号のある交差点。交差する道が広そうなので,そこを左折して北進,茶花方面への道に間違
いない。さとうきび畑の間をくぐりぬけ,高台から下る形となる。数分で海岸沿いの通りにぶつかり,海岸沿いの広い通りと,内陸に入る狭い道の二股に分かれるうち,後者を選択する。前者は与論島観光ホテルへの道でもある。
道はギリギリ片道1車線で,路肩は思いっきり凹んで何箇所も大きな水たまりと化している。そこを通過すると,大きな水しぶきが当然上がる。人がいないのもあるが,これはこれでなかなか爽快な気分である。車が傷むのが申し訳ないっちゃ申し訳ないが,この際いいことにしてもらおう。
とある交差点で左折すると,茶花の街中に入った。道が同じくらい狭いのと,路駐している車が多いのと,加えてメインストリートだけに“それなり”に車が行き来するので,運転は慎重になる。道沿いは,2〜3階建ての古い商店や民宿や食堂がゴミゴミと立ち並ぶ。先月行った久米島は具志川の仲泊(「久米島の旅」第1回第2回参照)と感じは似ているが,賑やかさは茶花が上か。古い田舎の港町らしい風情だ。この辺りは明日改めて見に来ることにして,さっさと通過する。
道は再び海岸沿いに出て,古ぼけた町役場前を通過すると右に折れる。その角に,その名も「海岸通り」という飲食店が目に入る。2階建ての白い建物の2階にあって,明かりがついているので営業しているだろう。1階はちなみに居酒屋「やぐら」という店。こちらは閉まっている。あらゆるホームページやガイドブックで出てくる店だ。喫茶店プラス食事といったところか。メシというと,朝のおにぎりと鹿児島空港でのさつまいもアイスクリームのみ。いい加減腹が空いてきたが,残念ながら駐車スペースらしきものが見当たらない。もっともその辺に停めてもOKだろうが,レンタカーの時間もある。ああ,哀しき“すっ飛ばしドライブ”。恨めしいが通過しよう。ここも明日来ることにしたい。

古い港町の道をカクカクと曲がり,道は内陸に入って上り坂に。勾配があるので,こういうところは自転車だと一度下りなくてはならない。対してこのマーチは,アクセルを少し踏めばいいだけだ。文明の利器は実に楽だ。この強い雨だって,ワイパーを動かしつづけて退ければいい。
数分行くと「エル・パパイア」という食堂を通過。こじんまりとした平屋建ての店だ。ガイドブックによれば,ここは名前の通り,パパイヤ料理を出す店だが,人を拒絶するかのように,思いっきりカーテンがかかっている。あるいはつぶれてしまったのだろうか。「海岸通り」がダメだったときに,ここで食事しようかとも思っただけに残念だ。
さらに進める。周囲は畑地ばかりだ。左に見えていた海からは完全に遠ざかっている。いま走っている道路は「バス道路」とも呼ばれている幹線道路。バスは1日6本で,この道路を1周するルートである。地図を見れば,もう1本海岸沿いに道路が走っているようだが,このまま行ってしまおう。いい加減にどこかを見ときたいが,いかんせんこの雨では消極的になってしまう。
間もなく,「←百合が浜」という看板。おお,ここは寄っておかなくてはならぬ場所だ。左折すると,車が10台程度路駐されている。その中を進むこと1分,どんづまりの防風林のような樹木の向こうにかすかに海岸が見える。食堂と売店もあり,営業しているようだが,いまさら入る気にもなれないし,この土砂降りの中を海岸まで歩く気にもならぬ。ここはやむなく通過するが,海岸前で交差する道は,上述の“もう1本海岸沿いの道”のようだから,この道を進むことにしよう。
ちなみに,この海岸が「百合が浜」という名前ではない。この海岸の正式名は「大金久(おおかねく)海岸」。では「百合が浜」は何かというと,この大金久海岸の1.5km沖に,干潮時に出現する四つの砂洲のことをいうようだ。この砂洲が百合の花に似ているのが,名前の由来。マリンスポーツに加えてグラスボートもあり,プリシアでは,ここの2時間ツアーが3150円で毎日行われている。時間は潮に左右されるのでまちまちで,ちなみに明日は11時の予定だという。残念ながらギリギリで間に合わなさそうなので今回はあきらめる。写真で見る限りは,先月行った久米島の「はての浜」(「久米島の旅」第3回参照)によく似ている。まあ,ここは都合よく,「はての浜にはかなうまい」と勝手に解釈してしまうことにしよう。

Aアットホームな与論民俗村
少し進むと,今度は「→与論民俗村」という看板。路地を入ると5〜6台停められる駐車場。この雨だからだろうか,車はほかにいない。脇にはウッディな立て看板。ようやっと“まともな施設にありついた”気分だ。更地となっている畑の向こう,南国の樹木が生い茂る向こうに,萱葺きの屋根が二つ見える。
畑の輪郭に沿うように,その生い茂る樹木の中,人1人が通れる程度の通路がある。種類はさまざま。ソテツも,アダンも,椰子の木も,ハイビスカスもある。こういうときに,つくづく木や花にもっと詳しければと思ってしまう。その通路を通っていけば受付という名の小屋がある。
ここで70代後半くらいのオバアに入場料400円を払う。併設する売店兼休憩所では,家族と思われる人間数人がおしゃべりしている。この悪天候で明らかにヒマをもてあましていたのだろう。そんなところの思わぬ客にびっくりしたようで,そそくさと体裁を整えようとしている。メンバーは,彼女の旦那と思しき,多分70代ないしは80代かもしれないオジイに,50代くらいの男性と女性,そして,私よりやや若いくらいの女性1人。どうやらオバアの話では誰かがガイドをしてくれるようで,指示を出しているようだ。
そして指名されたのは,意外と言っちゃ失礼だがオジイだった。肌の浅黒い,有名人で言うとノーベル賞受賞者の小柴昌俊氏そっくりの男性だ。身体にすっかりなじんだ感じの水色のポロシャツを着たオジイは,傘をさすとまず,売店兼休憩所脇の萱葺き家屋の一方に導く。こちらは広さは10畳程度で,高さも5mほどの立派な家屋だが,オジイいわく,畑の脇に作られた休憩小屋とのことだ。両サイドは琉球石灰岩で立派な石垣が作られているが,これは,与論と沖永良部にはハブがいないためにできるのだそう。ハブは石垣の隙間にも棲みつくというから,なるほどという感じである。
オジイは,できるだけ標準語に近い形で解説してくれるのだが,早口でかつ方言のアクセントが混じる。男性に使っていい言葉か分からないが,何とも愛らしい感じはする。でもメモるには正直きつい。かといって,そのためにもう一度説明させるのも気が引けてしまうので,ここはオジイの“流れ”に任せよう。

次にその隣の,もう一つの萱葺き家屋に案内される。こっちには特徴的な道具がいろいろ置かれている。これらはいずれも,戦後(もちろん太平洋戦争後だ)もしばらく実用されていたもののようだ。つらつらと書いていくと……,
@梁から吊るされているハリセンボン(剥製だったが)。これは食べ物に近づくネズミよけのもの。でもいざと言うときは,しっかり家族の胃袋の中に収まるそうだ。
A部屋の中心から吊るされている直径60〜70cm程度のザル。これはゆりかごとのことだ。赤ちゃんをこの上に寝かせて適度に揺らす。オジイの話では,家族みんな一度はこのザルの上に乗せられたようだ。農作業などで忙しい中では,抱きかかえて作業はできないから,こういう道具が役立ったのだろうか。そこには「赤ちゃんのときにお母さんのぬくもりを知らないと…」なんて理屈は屁でもないのかもしれない。
B1本の木から作った枕。幅は12〜13cm×10cm程度で,ちょうど頭がのっかる程度の大きさ。逆手で手を組むようなユニークな形をしている。その組んでいる部分が自在に動くのだが,1本の木から作られているから,当然外れることもない。不思議なシロモノである。
C木製のタバコ入れ。大きさは枕の半分ほどだが,フタの形を見ると,下に湾曲を描いている。何のことはなく,こいつも枕代わりに使われていたのだ。タバコ以外の物も入れていたというから,まさに「実用的」という言葉がぴったりだ。
次は,萱葺き家屋の奥に案内される。そこには平屋建てで立派な赤瓦の家屋が建っている。サッシで閉ざされていて中は見られないが,オジイいわく「どんどんトタン屋根や,あるいは平たい家(いわゆる「スラブ住宅」)になっていく中で,どうしても残しておきたかった」とのことだ。
オジイは淡々と話を続けながら次から次へと移動していく。この後はどこで何を見たのかはっきりしないので,つらつらと印象に残ったものを書いていこう。初めっからそうすりゃよかったのだが……。

D大量の壷と甕。オジイの収集癖第1弾。もちろんいずれも実際使われていたものばかり。バカデカい甕は水がめ。この島に水道が通ったのは昭和40年。それまでは雨水を屋根伝いに通して水がめで溜めていたようだ。また,遠くから水を汲んでくるなんてときは,ビロウの固い葉っぱで作った帽子みたいな桶で汲むこともあったという。その他に酒を入れておくとっくりもあれば,味噌や豆など,食料を保存する甕もある。それらが雑然と並ぶ様は圧巻だ。
E芭蕉布。はた織機の立派なのが2台ある。沖縄本島の北部で1軒,作っている工房があったと思うが,ここ与論ではこの民俗村でしか作っていない。体験コーナーもあるようだ。
F無数の貝殻。オジイの収集癖第2弾。種類をいちいち説明するのも億劫なくらい,貝という貝すべてがこれまた雑然と並べられている。こっちもすごい量だ。その中に違和感たっぷりにあるのが,水色の,ボーリングの玉ほどの大きさのスーパーボールみたいな物体。重りにでも使用したのだろうか。あとは,猛毒のあるハブ貝で死人が出たという話など,いろいろ説明をされたが,ほとんど忘れてしまった。ちなみにオジイは,かつていわゆる「海人」(ウミンチュ)だったようだ。
Gとある小屋にて。ここにあったのはほら貝虫かご行灯ほら貝は,村で何かあったときの合図として実際吹かれていた。オジイが試しに吹くと,少しかすれたがデカい音が出た。さすが海人,肺活量がまだ残っていたようだ。虫かごは,やはり草木(アダンかビロウのどちらか)で作ったもの。形がムカデのような形で,どっちが虫だか区別がつかなくなりそうだ。また,行灯は電気が通る昭和32年まで使用されていたもの。
Hサーター車漢字で書くと「砂糖黍圧搾機」。2〜3mほどの横倒しの丸太棒の下に,これまた横倒しのタイヤが三つくっついて置かれている。よって,タイヤ同士が接する部分が2ヵ所あるのだが,この接する部分の一方にさとうきびを挟み込み,反対側で折り曲げて,もう一方の接する部分に挟み込む。丸太棒には牛をつないで,その牛を円を描くように動かすと,タイヤが動いてさとうきびが圧縮され,樹液が出てくる。タイヤの下には細長い受け皿があって,そこに樹液がたまるという仕組みだ。これまた,このサーター車を動かす体験学習なるものがあり,現在は牛の代わりに地元の小学生や観光客がこの車をひきに来るそうだ。
  
ふう……,ひととおり見終わるとお茶のサービス。休憩スペースでしばしくつろぐ。お茶うけには黒糖,パパイヤ漬,サータアンダギー,そして,茶色っぽいイモのような不思議な物体など,いろんなお菓子が出ている。腹がすっかり空いている私は,どんどん手が進んでしまう。別に高級そうなものはなく,素朴な限りだが,何故か美味く感じる。ここでも個別に書いていくと,
I黒糖は2種類,真っ黒なものと茶色のままのと2種類ある。いずれも初めはクドいという印象があったが,味わうと意外にマイルドである。
Jパパイヤ漬は,例えると「ごぼうの味噌漬け」みたいな感じ。パパイヤの,ちょっとクセのある甘みはあるが,味噌と思われる調味料での味付けは,黒糖の甘さと対照的で,お茶うけに実に合う。黒糖と交互に食べるといいかもしれない。
Kサータアンダギーは,砂糖をまぶした菓子パンを揚げたような食べ物。この年始に石垣島で食べて以来2度目だが(「沖縄標準旅」第9回参照),石垣では固い菓子パンの印象だったのに対し,こちらはもう少し弾力があって柔かい。名前は分からないが,無印良品や100円ショップで売られている,太ったどんぐりの形をしたパン菓子みたいだ。
L茶色っぽいイモのような不思議な物体「焼きムッチャー」という代物。「焼餅」ということか。黒糖と小麦粉を混ぜて焼いたもので,プニュプニュした触感がクセになる。何気にこいつが一番美味かった。初めは,干しイモをどうにかしたやつかと思ったが。
隣ではあいもかわらずおしゃべりタイムだ。若い女性の言葉は訛りはあってもよく聞き取れるが,50代の,特に女性のほうは早口で何を話しているかよく分からない。辛うじて単語が聞き取れるくらいだ。「すいません,こっちですっかりしゃべっちゃってて」なんて言ってくれたが,別にこっちのことなんて気にしてくれなくてもいい。私にとってはBGM代わりである。
でもこの違いが,こういう島の現状を象徴していると思えなくもない。この若い女性はいずれはこの島を出ていくのか。あるいは一度出て戻ってきたのか。そこいら辺まで人のことに立ち入ることはしなかったけれど,我々世代の人間がこの島で圧倒的多数になったときには,極端な話,この島の方言そのものは消滅してしまうかもしれない。別に東京モンがとやかく言う権利はないのだろうが,そんな構図を想像すると,ちょっと寂しい気がしてくる。(第2回につづく)

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