今のうちに行っとこう

(1)どこまでがプロローグ?
@プロローグ in 東京
夜の羽田空港。今まで何度となく通ってきた場所であるが,この時間に行くのは初めてである。でもって,今の私の姿は思いっきりスーツ姿――会社に出勤するのは前もって決まっていたのだが,できればフレックスタイム制を使って早めに家に帰り,一旦着替えてから再び羽田に来ようと思っていた。いくら着やすく改良されつつあるのだろうとはいえ,旅をするのにスーツほどやりにくいものはない。
しかし,前日に“出校物”がトラぶっているとの連絡。これはもしかしたら,家に帰ることが万一できなくなることもあり得るかもしれない――そう思って,一応は荷物の旅支度だけはしてきた。服装は一応,社内はスーツが原則になっているし,あるいは会社に旅行で着るための服を持ってこようかとも思ったが,荷物が余計に増えるのがどうのもイヤだったし,心のどこかで「今日は,まあ早めに切り上げられるだろう」という楽観的な気持ちがあったと思う。
ところが…である。これ以上の詳細を説明するのは,公私混同のようになるので避けるとして,いろいろとその出校物の中で“注文”が出てきてしまったため,ひたすら机に貼り付いていなければならず,家に帰れるリミットの17時は早々にあきらめ,会社からダイレクトに空港に行くリミットである18時半すら危うくなってきたのだ。結局,18時15分に“ひとまずやるべきこと”が済んで,逃げるように会社を出る羽目になった。無論,まだその“注文”は,まだカタがついてはいない(2006.3.31現在→注・4.3にちゃんとケリがついた)。
会社から羽田空港へは,最寄りの都営大江戸線・赤羽橋駅から大門駅まで大江戸線に乗り,浜松町駅まで歩いてモノレールで向かうのだが,赤羽橋駅はかなり地下まで降りることになる。これがどうにも煩わしくなって,駅の入口がすぐそこに見えているのにタクってしまった。群青色に近い空の下,交差点の向こうには,芝公園の桜と提灯の明かりが見えてきた。
「すっかり,そこ(芝公園)は桜がすごいですね。今日は決算だとか一段落ついたって繰り出す人,多いんじゃないですか」「でも,今日は寒そうですけどね」――車内ではそんな会話が展開していった。私も一度,この芝公園での花見に参加したことがある。場所取りをしてくれる幹事の方々のご苦労がいかばかりかであるのに,こんなこと申し上げることは誠に心苦しいが,夜の花見の最大の難点はトイレである。寒いときにビールを飲むのは,まるで利尿剤を飲むようなものである。気がつけば仮設トイレは長蛇の列。どうにも我慢ができなくなって,運ちゃんいわく「男の特権だね」って感じで,草むらに失礼してしまったことがある。あれ以来,夜の花見は絶対行きたくないし,自分を追いつめるだけの企画をしたくもない。無論,それにかこつけてしっかりした飲み屋で飲むこと自体はいいのだが……。
――話題を戻そう。羽田空港には18時45分に着いた。今夜の那覇行きJAL飛行機は19時40分発だから,十分間に合う時間に着くことはできた。さらには,今回は往復とも「Jクラス」という座席広めのクラスにしている。普通の指定席に1000円を足すだけであるが,「惰性旅兼急ぎ旅」のせめてもの救いは,行き帰りのその座席だった。結果的にではあるが仕事がギリギリにアップして行くのだし,那覇までは3時間近くかかる。座席がラクでリラックスできるに越したことはない。
しかも,自慢するわけではないが,長年飛行機に乗り続けていると,「クリスタルカード」なんてステータスカードみたいなものがもらえて,いろんな特典がついてきて,その中にはJクラスへのタダ券みたいなものもついてきていた。早速,それを行使しようと,ネット上では手続をしっかりやった……つもりだった。しかし,ネット上でその手続が済んだように思えていたのが,どうやらそのタダ券自体を窓口に持ってこないといけないらしく,その場で1000円の差額分を取られることになってしまったのだ。もちろん,タダ券だからこそのJクラス希望をあえてやったのは言うまでもないのだが,これではまったく…とは言わないまでも,ちと意味のないことをしたような感覚になってしまう。しかも,帰りも1000円分,那覇で取られることになるのだ。
さらには,ラウンジでのこと。先述のクリスタルカードで1000マイル分引き落としにすれば入れる場所であるが(もっと“ステータス”が高ければ,カードの提示だけで入れる),いつもはすんなり機械に通るはずのカードが通らないのだ。間違ったやり方をしていないのに,2度も機械に弾かれてしまう。そばにいた女性係員がやっても同じだった。結局はこれだけは確実に“向こうの責任”ということで,紙に何か名前を書かされて,後でマイル引き落としで中に入れることにはなった。やれやれ,今日は最後にバタバタしてしまうことになったぜ。
機内ではたしかにスーツ姿の人間もいた。しかし,彼らは間違いなく出張か何か…少なくとも“社用”ではあろう。対して,こちらは完全にプライベートである。せめて,ネクタイだけでも会社に置いてきたかったが,バタバタしてつけたままにしてしまった。荷物も服装も,極力少なくラクにしたい私としては,後者が完全にアテが外れた。もっとも,今日の移動については差し障りがないのだが……ま,詳細は後で書いていくことにしようか。
隣に座った,私よりも若いカジュアルな格好をした男性は『これだけは知っておきたい分子物理学』なんて本を読んでいたが,こちらはせいぜいスポーツ新聞と機内誌を読むのが精一杯だ。22時半に那覇に着くので,ホテルに入れるのは23時。明日も朝からやりたいことがあるから,あるいはこの3時間近くで睡眠を少しでも取ろうかとも思ったが,なかなか寝つけないまま時間だけは過ぎていった。

Aプロローグ in 那覇
那覇空港,10時半着。ちょうど機内からゆいレールが出ていくのが見えたり,時間帯からして少し待ったりするのが面倒だったので,タクることにする。車内に入り,本日の宿泊先である「シーサーイン那覇」の名前を告げると,運ちゃんの男性は「シーサーイン那覇」(以下「シーサーイン」とする)と一言だけつぶやいて車を出した。夜の沖縄を爽快に走るタクシー。上のほうが少しだけ開いた窓から入り込んでくる風が気持ちいい。この夜のぬるさが,まだ東京にはない。
とはいえ,国道58号線までは順調に走ってきたが,国際通りだけはまだノロノロ運転だった。23時ともなれば,店も大分閉まってきているし,人もそこそこしか出ていない。しかし,客待ちのタクシーやら路駐やらでなかなか前に進めない……そういえば,家から靴下を持ってくるのを忘れてしまった。ホントならば会社近くのコンビニで買えればよかったが,それも忘れてしまったまま,ここまで来てしまった。
はて,近くにコンビニがあれば…と思っていると,右手にローソンが見えた。「ここで降ろしてください」と言えばよかったのに,「もうそろそろシーサーインですよね」という言葉が出てしまった。すると「まだ先よ」と一言。結局,シーサーインの前で降ろしてもらう分にはよかったが,靴下を買う機会を逸してしまった。ま,明日も今日のをとりあえず履いといて,それこそこのローソンででも改めて買って,履き返ればいいか。10時45分,シーサーイン那覇到着。1100円。
フロントでチェックインを済ませると,部屋へ。しかし,今夜の飲み物がない。ま,明日朝に早々と出るのだから,飲み物なんていらないかもしれないが,あるには越したことはない。再びカギをフロントに預けるついでにコンビニが近くにあるかを聞くと,何とまあさっきのローソンを言われた。信号二つ分,100m程度の距離だと思うが,うーん,これだったらばさっき寄ってもらっていれば…と思うのは,効率性を求める“ナイチャー”の哀しい性か。表に出ると,よりによって…って,別に向こうにとっちゃ“たまたま”なのかもしれないけど,路面の工事なんてしている。ドリルの「ガリガリ…」という音が静かになりかけている街中に鋭くつんざく。
すると,何のことはなく建物の隣が自販機コーナーだった。やれやれここで…しかし,どうせ外に出たのならば靴下も買っておきたい。やっぱり,ローソンまで行くべきか――立ち止まって思案していたときのことだ。「すいません」と若い女性の声。何かと思って見てみると,どうやらボランティアでアフリカの子どもを救う活動をしているらしい。ネームプレートで怪しい人物でないことを最初にアピールしていたが,ちらっと見えた生年月日からして29歳。別に年齢なんてどーでもいいことだが,こんな夜中に活動するその根拠がいまいちよく分からない。あるいは昼間にやっていると,いろいろ店に支障が出ることに配慮して,こんな時間の活動なのか。
「すいません。このコーヒーを買ってください」
差し出されたのは,コーヒーパウダーが入っているらしき箱の3パックセット。アルファベットが書かれてあったので,どっか外国製だろう。たしか,値段はまだ言われていなかったと思うが,たとえ数百円程度(と,失礼ながら勝手に仮定させていただいて)で,アフリカの子どもが何人か救えたとしても,私はといえば,明日早起きして活動していくスケジュールから逆算していくと,今はとっとと自分の買い物を済ませて部屋に戻って寝ないと,まずは“今の自分”を救うことができないのだ。「自分が救えなくって,どうして他人が救えようか?」――と書いているのは,もちろん後付の理由に過ぎないが,とりあえず面倒なのはイヤなので,振り切らせていただいた。
はて,飲み物はここで買えるとしても,靴下は――もちろん,素直にローソンに行けばいいのだし,格別に距離がありすぎて不便ってもんでもないのだが,反対側に横断歩道で渡るのが,夜型でなくてテンションが下がりつつある私には,まず面倒な“壁”となって立ちはだかる。できればシーサーイン沿いにある衣類を扱っていそうな土産屋で,事を済ませられればそれに越したことはない。
1軒開いている店で聞いたらば,子ども用のしかないと言われ,位置的には(向こう側とはいえ)斜向かいにまでローソンが迫っていた辺りまで来て,別の土産屋に入った。こちらでは外に出していたと思われる商品をしまいかけているところだったが,快く迎え入れてくれた。すると,くるぶし辺りまでを覆う靴下が置かれてあった。価格も525円だから,記念も兼ねてちょうどいいだろう。
「今ですとこれが一番いいですかね」と,若いアンちゃんが寄ってきて言ったそれは,白地に白波が描かれたものだった。いま目の前にある靴下とは,「和風」をコンセプトとしたイラストが入ったものばかりである。あるいは,外国人に「和」をコンセプトにしたものを土産物として買って帰ってもらおうというものか。強烈なインパクトのあるものばかりが吊るされてある。
もちろん,こう言ってはナンだが,いくら靴に隠れて分かりにくいだろうとはいえ,会社には履いて行けないものである。あくまでプライベートにカジュアルな格好で履くのに製造されたものであることは,想像に難くない。かといって,「スーツに白い靴下」というのも,個人的には“あり得ない話”である。なので,結局は黒地に白と赤の錦鯉が描かれたヤツにした。理由は「白よりはマシ」というものだ。レジではコインを入れるパッケージに釣銭を入れている段階だ。すなわち,閉店間際だったのだが,「いえいえ,どうもすいません」と,これまた訳の分からんスーツ姿の32歳・独身男に優しく対応してくれた。

――翌朝は6時45分にチェックアウトする。本日の旅行のメインである渡名喜島へのフェリーが泊港から出るのは8時半発。羽田発の1便で当日那覇に乗り込んで泊港へ…というのは,時間的に不可能である。どうしても前日泊が必要になる。今回はそれに従っての宿泊なのだが,そのフェリーも金曜と土曜にしか出ない。金曜日に休めないのは前もって分かっていたから,昨日金曜日の夜に那覇に入ることになったわけである。
ダイレクトにシーサーインから行く分には,もう1時間後でもいいわけだが,既述のように行きたいところがあったりするもので,こんな早くのチェックアウトになった。東京から持ってきたジャンパーは確実にこれから邪魔になるであろうが,泊港の施設である「とまりん」にあるコインロッカーに置くまで,しばしの我慢である。もっとも,バッグに入っていたもの自体いくらもなかったもので,行く途中で押し込んでしまったが,明らかに膨れ上がって持ちにくくはあった。
近くにある市場通り商店街から,アーケード街を入っていくことにする。「市場通り」であり,すぐそこには牧志公設市場(「沖縄標準旅」第5回「サニーサイド・ダークサイド」第1回参照)もあるのだが,開いている店は皆無であった。逆にやっている店のほうを見ると,「どうしてこの時間から?」と聞きたくなってくるくらいだ。もっとも,公設市場の中は明かりが煌煌とついていて,あるいはやっているのかもしれなかったが,今日の目的地はもっと先である。
ズンズンとアーケード外を抜けると,少し大きな通りに出る。地区名としては「開南(かいなん)」「壷屋(つぼや)」となる。あいかわらず地図を持ってきているわけでもなく,うろ覚えでしか場所を知らないのであるが,個人的には前者のほうがキーワード的には有り難いのだ。たしか,この市場通りに対して斜めに道路がついていて,そこがその場所だという風に記憶していたので(ちなみに,結果的にはこれは大勘違いだった),たまーに右折したりして出る場所を違えたりしてみる。
すると,5分ほど歩いたところで,その広い通りの中で三角のロータリーのように広くなった向こうに,雑然としていて古い昔ながらの市場風の建物を発見する。いちいち「←ここが○○です」とかいう看板なんてものがないから,はたしてそちらに行っていいのか迷ったが,行ってみて正解だった。やはり,市場ってのは朝もはよからやっているのが“らしい”気がする。土曜日だから多分営業しているだろうとは思っていたが,開いていてくれて正直なところ助かった。ちなみに「不定休」らしい。ま,夕方とかは確実に閉まっていそうな感じであるが。
さて,これまたあいかわらずまだるっこしいが,私が朝早くから行きたかったその場所とは「農連市場」というもの。「沖縄県業経済協同組合合会」という長ったらしい団体が,1953年に開いた市場だという。イメージとしては,「朝市の拡大版」と言えば分かりやすいだろう。ただし,それを「素朴」という言葉で片づけるには,ちとディープすぎるし,今どきとは隔世の感すらそこだけ漂っているのだ。英語で言うところの,もしかしたら好意的には使われない言葉らしいが「プリミティブ」に近いものがあるかもしれない。それを一度見てみたいというのが,朝早く起きて来た最大の動機である。
もっと奥に入っていくことにしたい。この雑然さ・プリミティブ感,明かりがついているのに,外は明るいのになぜか中が薄暗い辺り,トドメには仮にも客はこちらなのに,なぜか市場の人間ペースに物事が運ばれている感じ,どこかで見たことがあるなと思っていたが,糸満市にあった市営公設市場に近い印象を持った(「沖縄・8の字旅行」前編参照)。上記の牧志公設市場なんて,沖縄で言うところの「上等」な部類であろう。あるいは宮古島市の平良にある公設市場(「宮古島の旅」後編「宮古島の旅アゲイン」後編参照)も,暗さの点ではヒケを取らない感じであるが(って,薄暗いのを競っていいのかという問題は残るのだが),あちらも一戸のしっかりした建物の中にある分「上等」かもしれない。
すなわち,私はそんな時代を経験したことがないので実感としてよく分からないが,どこか「戦後のバラック風」なのである。まず,屋根はトタン葺きである。次いで市場の中に川が流れているのだが,普通は暗渠にするはずだ。それが「あるがままの姿」で流れている。さらにはこう言ってはホントに失礼であろうが,「小川のせせらぎ」ではなくて完全に「生活排水路」である。臭いだってするのだ。後で地図で調べたら,ここだけブルーで川の流れが描かれていたが,どうやらゆいレールの美栄橋駅辺りからつながっている川のようだ。それにしたって,何もここだけ“登場”させなくたっていいのだ。暗渠にしたほうが,その上にスペースが確保できて店が拡張できそうなものだし。
“各店舗”を見ても,地べたにゴザを敷いて販売している人が過半数はいるし,テーブルに並べて売っている店でも,隣の店との仕切りがよく分からないし,道幅だってある程度確保されているところもあれば,なかなか入りづらいところもある。大抵は孫がいてもおかしくないくらいの年齢のオバチャンないしはオバアが取り仕切っているが,そんな中で1軒だけおじさんが仕切っている店も見た。どこからどこまでが市場関係者で,どこからが一般人なのかがよく分からない。
そんな中で,明らかに観光客している人間を見かけると,なぜかホッとしたりする。彼らの中にはご丁寧に野菜を買っている人もいた。家まで持ち帰ろうってか……とはいえ,いまの私はスーツ姿だ。完全に「異質」である。別に間違ったことをしているわけじゃないのに,どこか気がひけてしまう――そんな“坩堝”が農連市場を農連市場足り得ているような気がする。建物の古ぼけさ加減に,生鮮食料品の匂いが交じり合って,ますます“個性的な雰囲気と匂い”が覆い尽くしている。
聞けば,ここは25時から市場の活動が始まるという。(「午前・午後をつけない主義」の私としては)「1時」としてもピンと来ないから,あえて「24時」に1時間加える形にしたのだが,ホントは人間の活動が終わる(あるいは終わって寝ている)時間帯のはずである。「朝早い」といったら,大抵が4時とか5時であろう。こちらは逆に「28時」「29時」とするほうがピンと来にくいと思うが,どんなに早い活動時間といっても,せいぜいこの4時・5時くらいであろう。はて,この市場の在り方って,「朝型」なのか「夜型」なのかの判断に苦しむところだが,どちらにも属さない「農連市場型」とオチをつけとこうか。
さて,ここに来た理由がもう一つある。この市場の食堂で朝食を食べたいのである。で,バラック…もとい屋根がついた建物の中に,私が目をつけていた食堂があるにはあったが,カウンターが5席。食いものなんてこの際どーでもよかったのだが(ホントはいけないんだけど),そこにいた2人がどう見ても市場関係者。しかも,彼らの後ろには人が1人通れる程度の通路しかない。ウロウロと入ろうか迷っているヒマはないし,完全にこの姿格好が浮いている。なので,入る勇気が出なかった。
それは当然だろう。なぜならば,市場の外にある食堂にだって入れなかったのだから……それらもおそらくメインは市場関係者のためのものだろう。だからといって,向こうだって商売となれば市場関係者以外にだって門戸を開いてくれているはずだ。別に「ツケにしてくれ」とか言うのではないし,フツーにお金を払うのだから,何らこちらが遠慮することはない…はずなのだが,どうしても腰が引ける。かといって,近くにあった24時間営業の牛丼だかの店に入るのは,どこか「初めからあきらめている」感じがして好きじゃない。「市場にやってきた意味」が,まるでなくなってしまうような気がしてくる。
せめて…ということで,再び市場の屋根がついた中に入っていく。惣菜を買おうというわけだ。どこもかしこも,フリッター風の「天ぷら」は売られていた。さつまあげ風の「かまぼこ」も置いてある。特に天ぷらなんてのは,あのムチムチした独特の衣が「猥雑でB級」で好きなのだ。それをおかずに,混ぜご飯のおにぎり「ジューシーおにぎり」を食べるのもいい。あるいは「刺身屋」なんてのもある。ここでマジで刺身を買って,天ぷらも買って,他の惣菜も買って……そんなことをいろいろ思案しつつ歩を進めていくが,とどのつまり,何を買うかを決められないままで時間が過ぎていくだけだ。
結局,どこの店で買ったのかも,誰が製造したものかも忘れてしまったが,250円の弁当を買って“記念”にすることにしよう。これも「あ,それ250円ね」というオバちゃんの何気ない言葉が,私の購買意欲をプッシュしてくれたようなものだ。その言葉で弁当を手に取って,オバちゃんに手渡す“勇気”が持てたというものである。何も“おっしゃって”いただかなければ,この店も通過していてしまって,最後には24時間営業の牛丼だかの店で“ブルー”になっていたかもしれない。

買った弁当を持って,再び先ほどの三角のロータリーみたいなところへ出る。それとなく停まっていたタクシーをわざとやり過ごし,こちらに向かってきたタクシーをつかまえる。時間は7時20分。その気になれば徒歩で行けたかもしれないが,ここは確実にタクっておく。“白いもの”が混じった坊主刈りの男性運ちゃんは,少しだけバックさせると,路地をひたすら走っていくルートを取った。路地に入ってすぐに「春風堂」という看板が見えた。たしか,ここは大衆食堂ではなかったか。あるいはこーゆーところに入っていてもよかったかもしれない。帰りに…いや,ちょっと時間的にキツイかな。
「それにしても,この街の路地ってこんなにすごいんだー」ってくらいに,タクシーは裏道を好むかのようにひたすら走っていく。「あ,あの旅館って,ここにあったんだ」なんて発見があったりするから,路地という場所はあなどれない。そんな中,運ちゃんから話を振られた。声の感じからして,キーが高いことを抜きにして,40代後半ぐらいか。無論,格好はカジュアルである。
「これからどちらに行かれるんですか?」
「渡名喜島です」
「あ,なるほどね。私,渡名喜は行ったことがないんです。
何かあるんですかね?」
「いや,特にはないと思いますけど……」
「あの辺りも,渡嘉敷島とか座間味島とかに押されてる
のかなー?」
「二つの島ともに高速船が通っていますからね」
「あ,そうですね。高速船だと渡嘉敷なんて30分あれば,
行けちゃいますからね」
最初はこんな感じだっただろうか。やがて,話題は“核心”に…なわけもなく,運ちゃんから一言。
「離島の情報ってのは,どこから仕入れるんですか?」
「あのー,インターネットで……“沖縄離島ドットコム”って
いうホームページがあって,そこに載ってますよ」
すると,運ちゃんは感心したように「へぇ〜」と答える。今回の渡名喜島への旅は,渡名喜村役場のホームページにあった観光情報と,この“沖縄離島ドットコム(以下「ドットコム」とする)”の情報が頼りである。中でも,後者はかなり詳しい写真と説明書きが載っていて,個人的には気に行っている。ただ,家のパソコンからアクセスすると,なぜか「強制終了」になってしまうので,ホントはいけないながら,会社のパソコンからアクセスして,ご丁寧にプリントアウトまでしてしまった。いいのだろうか,Winnyには間違いなく入っていないけど,こーゆーアクセスからパソコンが“侵される”ことがあるってのに……って,「だったらばやるなよ」って感じである。ハイ,ごもっともなことである。
空はどんよりと曇り空だ。青空はわずかにしか見えない。予報では「曇り」が「曇りのち晴れ」となり,最後に見たときは「晴れのち曇り」になっていたが,今の空模様からしたら,前者二つに“差し戻し”って感じか。雨が降らなければ,そして強い風が吹かなければこちらはそれでいい。
「今月の(多分,3月のことだろう)沖縄は,例年よりも
3℃低いそうですよ。ホントは2月に雨が多く降るんで
すけど,今月にかなり降ってましたから……異常です。
いつもは今ごろから海開きなのに,これじゃあ入れま
せんねぇ」
なるほど。ホントは昨日,渡名喜島に行けていれば天気もよりよくてベストだったのだが,既述のように仕事があったことから,今日になった。でもって,明日は“傘マーク”がついているし,それ以前にこれまた都合が悪い事情があったりする。今日が“ベストな日時”かどうかは別として,間違いなく,アクセントからしても“ウチナー”である運ちゃんも行ったことのない島に,これから私は行くことになる。トップにも書いたような「簡単には行きづらい島」に,2時間もフェリーに乗って。(中編につづく)

沖縄惰性旅Vのトップへ
ホームページのトップへ