今のうちに行っとこう

Bプロローグ in フェリーなは
タクシーは細々した路地を抜けると,いつのまにか「とまりん」の角の交差点まで来ていた。泊港から出航するチケット売場がその「とまりん」の中にあるのだ。ホテルやショッピング施設も兼ねた,なかなか立派な建物である。一体,どのくらいの時間を走っていたのか分からないってのは,それだけ話が弾んだ証拠かもしれない。最後まで路地から出ることなく走りきったその根性にアッパレって感じである。建物の脇に滑り込んで下車。540円。
ショッピング施設の類いはまだ営業していないし,チケット売場もまだ開いていない。実に静かなものである。そんな中で人が2人,窓口の前にたたずんでいるところがあった。そこが渡名喜島行きフェリーの「フェリーなは・ニューくめじま」の窓口であった。今日のスケジュールは,何度か書いているように8時半発のフェリーに乗船。2時間15分かけて渡名喜島に渡り,下船して島内を5時間ほど巡る。そして,またフェリーで泊港に戻ってくる。帰りの渡名喜島発は15時45分である。その往復のチケットをここでこれから買うことにある。時間が来るまで,コインロッカーにジャンパーだけ入れとこう。
「ニューくめじま」なんて名前にあるように,実はフェリーは渡名喜島を経由して,久米島(「久米島の旅」参照)まで行くルートである。どっかで見た情報によれば,乗る人間の大抵は久米島に行く人たちばかりで,渡名喜島で下船する人は少ないらしい。どっかで見た情報によれば,「久米島に行かれる方は,こちら(渡名喜島)では下船しないでください」と言われるそうだ。離島といえど,1島1村の立派な自治体なのだが,この言われ方は,どこか物悲しい。
だからというわけではないのだろうが,ホントはフェリーは1日2往復出ているが,もう1便の往路便は久米島直行である。復路で渡名喜島を経由して泊港へ帰る便も,普段は午前中に航海する1日1便だけ。しかし,3月から11月の金曜と土曜に限って…という“ダブル限定”だが,午後の便が渡名喜島を経由してくれるのだ。今回はこれを利用することになる。それ以外はやはり泊港まで直行だから,時期によっては渡名喜島に1泊をする必要がある。東京から行くとなれば,最低2泊3日しなくちゃいけない計算だ。だからこそ「簡単には行けない島」なのである。
島民には失礼な言葉かもしれないが,こうして見てみると,渡名喜島は「ついでに停まってくれているもの」と言えるのだろう。フェリー以外に,高速船で「ぶるーすかい」という船舶が走っていたが,残念ながら最近廃止になってしまった。これも,往復とも1日2便あってうち1便は久米島直行だった。どっちにしても,渡名喜島は「位置付けとしては変わらない」というところなのか。
その「ぶるーすかい」だと,渡名喜島までは1時間10分,久米島までは1時間45分で行ける。無論,この高速船があれば,間違いなく利用していたと思う。思いっきり所要時間が倍違うのだし,やっぱり早く行けるに越したことはないのだ。でも,こればかりは「採算が取れないなら廃止にする」のが交通機関の宿命である。私が渡名喜島に行くまで,廃止を伸ばしてくれるわけでも当然ない。
高速船であれば,おそらくはイス席だっただろうから,何かと都合もよかったかもしれないと思ってしまうのは,スーツを着ている私ならではの発想というだけではあるまい。もっとも,高速船で行けたとしても,泊港は9時発だったようなので,どっちみち羽田から朝1便で行って乗り継ぐことは不可能だったようである。前日泊がどうしても必要なわけであったのだが。
そうこうしているうちに,チケット売場が開いた。長蛇ではないが,荷物をロッカーに入れている間に,数人の列ができている。窓口が三つ開いているのに,係員は二つ。よく分からないが,1人の女性が二つの窓口をテキトーに切り盛りしていく。ホントは私のほうが早かったりするのだが……ま,別に指定席を取るというわけじゃないから,1人2人順番が後になっても問題ないか。ほとんどが久米島まで買っていた中で,私は渡名喜島往復便とする。4010円。高速船だと4430円だったようなので,1割高くても高速船があったらなーと思ってしまう。いや,この1割なんて,1時間を400円で買うと思えば,むしろおトクな感じすらしてしまうところだ。

チケットを買って,しばし待合スペースで先ほど買った弁当を開ける(前編参照)。20cm×15cmほどのプラスチックの弁当箱に入っていたのは,薄い一口サイズのトンカツが2枚,ウインナーほうれん草に,ニンジンシリシリー(ニンジンの千切りと卵のチャンプルー),魚は鯖の焼物に黄色い衣がダマのようについていた。“天ぷら”というのか何というのか,よく分からない。あとはもやしとキャベツのチャンプルー切干大根たくわんに,当然だがライスが下に入っている。
弁当箱の大きさからしても,量的なことからしても,本土だったらば最低400円は取られても不思議ではないサイズだ。いや,400円の弁当なんて,いまどきコンビニでもなかなか売られていないだろう。それを考えると,なかなかの安さだと改めて思う。10分ほどで平らげると,まだ7時台で少し早めではあるが,フェリー乗り場まで行くことにする。
「L」の字の右端から上端まで歩く感じで5分,帰りにまたコインロッカーまで戻るのかと思うと,ちょいウザい感じの距離を歩くと,渡名喜島・久米島行きのフェリー乗り場があった。今回乗るのは「フェリーなは」だ。コンテナやら船舶の機具やらが雑然と置かれている辺りを進むと,長いタラップがある。入口で半券を切られて中に入る。オイルの匂いがして少し濡れている階段を上がると,後部デッキ席。まだ8時になっていない,出航まで30分以上あるというのに,ちらほらと座っている人たちがいる。前もってチケットを買っていた人たちが,フェリーの入港と同時に入り込んだのか。あんまり早く行っても意味がないと思っていたが,この場合は逆だったのかもしれない。
それが証拠に,さらに内部にある2等船席が,すでにかなりの人で埋まっていた。ギッシリというわけではないのだが,大らか大雑把に寝たり何なりで,「ここなら入れるぞ」という隙間がなかなか見つからない。Tの字に通路があるのだが,“縦棒”脇の左右二つはあきらめる。どんづまりのところもほぼ埋まっている。さらに1階上にも行けるようだが,こちらは何もない地べたに座るデッキのみ。これから2時間ちょい乗るわけだし,こうなると後部デッキに自分の席を確保しておくのがいいだろう。こちらのほうがまだ座椅子だし,床にベタ座りするよりスーツに影響が少ないはずだ。
それにしても,この時間から寝ているとは,一体何時に来ているのか。先日行った奄美の請島・与路島行き「フェリーせとなみ」でもそうだったが(「奄美の旅(勝手に)アンコール」第2回参照),今から寝ていてどーすんだって感じである。あるいは,こちらのフェリーは久米島までだったら4時間なので,前の日から寝ないで待機していたとでもいうのだろうか。
デッキは,地味な色の作業着を着た男性ばかりで,何とも男臭い雰囲気だ。座っている椅子は四つで1列のものだ。何度となく何年も潮風を浴びているからか,端っこにある金属の部分が錆びたりしている。普段ならば別段気にしないところであるが,スーツだとそうも行かない。端っこに座りたかったが,一つ内側に座ってみることにした。こーゆー“ビミョーな気遣い”がストレスにならないとも限らないが,ま,単に明日旅疲れの中で,徒歩で1分のクリーニング屋にスーツを出すか出さないかだけの差であって,そんなことを気にしすぎてもしょうがない。
そのうち,スーツ姿の男性が数人入ってきた。彼らもまたデッキ席である。ちょっとホッとする。目的は違えど,このデッキでは“仲間”である。そう思えば,潮風が少しばかり気持ちよくなってくる。ジャケットを着ていてちょうどよい感じだが,中にはTシャツ姿もいる。これから多分暑くなってくるかもしれないが,そんな先のことを考えるよりも,今はこのデッキでの数時間をどう過ごすかであろう。
結局,出航までの間に,デッキにもそれなりに人が入っていた。顔を見る感じでは,観光客よりも沖縄の人間がほとんどであろう。渡名喜島はともかくとして,久米島だったら飛行機が1日5〜6便出ているし(「久米島の旅」参照),その飛行機も結構人が乗っかっているのだが,フェリーの需要もかなり高いのだろう。フェリーだったらば往復でも飛行機の片道分よりも安いというのが,何よりの魅力かもしれないが,私は直接久米島に行くなら,確実に飛行機を選択する。時間がかかっても,いくら船内で寝ているだけとしても,長時間船に乗るのに耐えられるというのは,それなりの忍耐が必要だ。やっぱり,そこは本土の観光客と地元の人間との何か“差”みたいなものかもしれない。
8時半,いよいよ出航と相成る。エンジンの音とともに,バックで岸を離れていった。スピードは港内だからというのもあろうが,やはり高速船の比にならないくらいにスローである。出てすぐにはまず左手に「だいとう」と書かれた白いフェリーが見えた。南北大東島に向かう週1回運航するフェリーである。クレーンで吊るされると思しきコンテナが,ど真ん中に鎮座している。一度あのコンテナに吊るされてみたいと思う。どーゆー気持ちになれるんだろうか。
泊大橋の下をくぐるまで5分,沿岸の防波堤を越えて外洋に出たときは,出航から20分は経っていたと思う。「こーゆーときに,高速船はスイスイと走っているよな」と勝手な比較をしてボヤいてしまいそうだが,たまには2時間ゆったりと揺られてみるのもよいではないか……屋外だからこそ誰に構うこともなく自由に吸えるタバコの匂いに,潮の匂いとガソリンの匂いが入り混じったデッキでふと思う。でも,そのアンサンブルがどこか「これから遠くの島に行く」という雰囲気を見事に醸し出しているのだ。洗練されたスペースにフローラルな香りは,フェリーにはおおよそ似合わない。

はて,そうはいっても巻き起こる風でどうにも寒くなってきた。中には長袖の作業着に上からジャンパーを羽織る男性もいる。そのまんま並んだイスに寝転がった人たちもいる。こちらは,那覇市内(前編参照)ですでにジャンパーがなくてもいい状態だったものだから,すっかり今後はジャンパーが邪魔になると思って,コインロッカーに速攻で入れてしまっているし,いま着ているジャケットすら,今後の気温の予想からして不要な気がしてならないわけであるが,この場に限ってはずっと“寒風”吹きすさぶ中にいる羽目になってしまい,いい加減凍えてしまいかねない。水飛沫も少なからず浴びているかもしれないし,スーツが痛まないとも限らない。
ここはとりあえず,船室にもう一度“トライ”してみることにする。まず,通路は結構出入りがあるし,靴が散らばっていて,座れる感じはまるでない。カーペットの船室については,寝ている人たちの間にスペースがかなりあるように見える。1人1人がゆったりとスペースを取っているのだ。しかし,かといってそのスペースを彼らが寝返りとかをしたときの“遊び”のスペースとして考えてやらないと,「だって,そこが空いているじゃないか」と言ったところで,トラブルとなりかねない。それを考えれば,どうにも入りづらくなってくる。ま,船室は早い者勝ちだから……一度外に出てあきらめかけたが,デッキは容赦なく寒風が次から吹いてくる。あと1時間半とか我慢できるかといえば,やはりビミョーである。
再び船室に入ると,右側の四角いスペースの右手前辺り,角を頭に斜めに寝ている男性と,その向こうに真横に寝ている女性との間に,三角形の隙間がある。多分,人があぐらをかけるぐらいの幅はあるだろう。左奥にも隙間があって,あるいはそっちのほうが大きい感じもしたが,初めに気づいたことを優先させて,この三角形の隙間に入り込ませていただこう。
斜めに寝ている男性の上を跨って,三角形の隙間に入り込む。毛布から出ているわずかな顔を見た感じで70代と思われるオバアの大小バッグ二つが,どうしても背中に触ってしまう。これが少しでも女性の側に寄ってくれればと思うが,仕方があるまい。あまりこちらで手を触れて動かせば,いくらほとんどが寝ているからといっても,誰が見ているか分からないし,かえって周囲から怪しまれかねない。ここはあぐらがかけるだけでも,有り難いと思わなくては。
実は,パソコンを持ち込んでこの駄文を書こうだなんて思ってもいたのだが,これでは到底ムリだった。持ってこずに正解だ。電源は端っこに一つしかないし,そこではすでに男性がケータイの電源に使っている。その男性も爆睡中である……それはそうと,座ってみて自分の靴下の柄が「エグい」のに改めて気づかされた。遠くでボーッとこちらを見ていた子どもの視線が私の足元に行っていたような錯覚…多分,確実に錯覚だとは思うのだが,何となくこのままあぐらをかいたり,ましてや足を伸ばしたらば「何じゃ,こいつは?」と思われるのは必至なので,靴下はしばし脱いでおく。
しばし,家から持ってきた文庫本で読書がてら,定点観察でもしてみようか……大きなイビキが,ある作業着の男性から聞こえてきた。それがさらに大きくなりかけたころ,隣の作業着の男性が手に触れた。すると止むイビキ。2人は黒いプレートを胸につけていたので,間違いなく同僚である。また大きくなってある程度経つと,手が触れてイビキが止む。はて,これは「周囲に迷惑をかけるな」なのか,はたまた「オレの眠りを妨げるな」なのか。真ん中辺りではグレーのスーツ姿の男性が,ジャケットを毛布代わりに横になっていた。「2等船室にスーツはありか?」なんて,この際どーでもよくなってきた。
もう一つ目をつけていた左奥の隅には,結局中年女性が入り込んで,そそくさと横になってしまった。あちらのほうがやはり広かったようであるが,その隣で寝ていたのは,彼女と同世代かやや若い女性だった。2人で途中,談笑したりもしていたが,あるいは私が隣に乗り込んでしまったら,かえって気まずい雰囲気になったかもしれない。そうとなると,この三角のスペースが私にはおあつらえ向きの場所だったのかもしれないと,勝手に思ってみる。
ふと,私の右の太腿をまさぐる感覚。見れば,隣のオバアがガサゴソやっているのだ。はたして自らのバッグでも探しているのか,はたまた夢でも見ていたのか。正直少しキモかったが,何かに気づいたのか目を覚ますと,「あ,すいません」と恥ずかしそうに謝ってきた。このオバアが結構いい人で,こちらに「お兄さん,寝られる場所ありますか?」と気遣ってくれて,私と反対側に寝返りを打ってくれたりした。やっぱり,狭いながらもあきらめずに入り込んで損はなかったのだ。こーゆーのが,沖縄のいわゆる「ゆいまーる精神」……なのかどうかは知らない。
そんな中,海上では時節柄かクジラが回遊していたらしく,アナウンスで「左手海上でクジラが泳いでいます」とあった。すると,さっきまでの静けさはどこへやら,バタバタと左の船室の窓に人が集まり出す。皆がいちいちどこの出身かは知りたいとも思わないが,仮に沖縄の人間であったとして,彼らでもそんなにクジラが珍しいのかと思ってしまった。かく申す私も,半立ちみたいになって左側の窓を見やったが,遠目では波しぶきなのかブリーチングなのかジャンプなのか,これっぽっちも分かりゃしなかった。中には外に出て見ている輩もいたが,そこまでして見たいとは思わなかった。
私が半立ちしていたのが気になったのか,隣のオバアが「何かあったのですか?」と聞いていた。「クジラです」と答えると,「ああ,慶良間辺りに来たのね」とのことだ。なるほど,壁にかかっていた航路図を見たら,慶良間諸島を南東から北西へと抜けるルートになっている。その辺りをいま航行しているということか。久米島直行便だと途中で真西に針路を変えるようだが,それを見ると,やっぱり渡名喜島へは「遠回りしてもらっている」ように見えてしまう。
クジラに飽きてきたのか,再び船内は静かになる。ココロなしか,私のいるスペースが次第に広くなっていくような気がしていた。入ったころにはあぐらをかくのが精一杯だったのに,横になるスペースができてきた。既述の横になっていたスーツの男性のこともあるし,何だか気持ちがほぐれて,最後の最後にジャケットを着たまま横になってしまった。少しごわつくが,寝転がると不思議に気持ちよくなった。もしかしたら,少しだけ眠っていたかもしれない。10分程度の記憶が途切れているのだ。

(2)行きづらい離島に行く必然性とは?
@まだ何となくプロローグっぽい…
10時を過ぎたころ,大きな山をいただく無骨な感じの島が見えてきた。これが渡名喜島であろう。ルートとしては島の南側から入っていく格好で,港や集落があるのは島の中北部だと思ったから,ほぼ間違いあるまい。長いような短いような2時間15分の船旅。少なくとも,持っていった文庫本は時間をつぶすのに十分役だったと思うし,船上が思いのほか寒いところであることが勉強になった。
とりあえず,外に出ようかと前のほうのドアに行ってみると,一段高い荷物置場に寝転がっている男性,それならまだ笑えるが,通路(もちろんコンクリートであろう)に新聞紙を敷いて,そこに寝転がっている若いカップルには唖然とした。そりゃあ,狭いところにくっついていること自体,あなた方には苦痛なんてよりもむしろハッピーなことなのかもしれないが,いくらそれは何でもあり得なさすぎる。「バカップル」という言葉は,こいつらのためにある言葉だと思ってしまった。
その脇を通って外に出ると,テトラポットらしきものが見えた。その向こうには,NHKドラマ「ちゅらさん」のオープニングで出てきたという入砂島(いりすなじま)という小島も見える。右手には防波堤らしきものと無骨な色の大地。そちらのほうに人々が寄っているから,おそらくはそちらから下船するのであろう。何となくではあるが,その出入口に一番近い位置にすぐ行ってしまうのがクセだ。やっぱり,セッカチな性格なのかもしれない。
10時20分,下船&渡名喜島上陸。目の前には茶色い屋根のターミナル。ターミナルの中は30人程度が座れるであろうイスがあって,わりと大きなスペースである。ついでに「食堂」と書かれたドアがあったが,営業しているどころの兆しすらなくひっそりとしている。何か売っているらしき張り紙もあるが,まったくもってもぬけの殻である。やる気がないのも甚だしすぎるぜ。
そんなターミナルをバックに,公団住宅みたいな建物が建っていた。後で確認したら村役場だったようだが,例えば下の道は一部ジャリ道だったりと,「スーパーアンバランス」とはこれいかに。それでも,既述の「久米島に行かれる方はここで下船しないでください」なんて言葉が失礼なくらい,50人ほどが多分下船していたと思う。かなり多いのではなかろうか。ほとんどは地元民ではあろうが。
ターミナルの裏手にある自販機で,500ml入りのさんぴん茶のペットボトルを買う。こういう離島だからか160円と,10円高めな価格設定になっていた。これを持ってこれから島内ウォーキングであるが,海岸沿いは舗装道路であるものの,家々の間はジャリ道もいいところである。そんな道なのに…といっては失礼かもしれないが,「村道○号線」なんてわざわざ看板が出ている。おおまかには島の北側から南下していくルートを取ろうと思っているが,ひとまずは集落の中に引き込まれるように路地…もとい村道を入っていく。別に初めから確たる場所を目指すまでもなく,何となく。
その村道,軽自動車が1台通れる程度の幅しかない。いっちょまえに…と言っては人格ならぬ“村格”否定になってしまうだろうが,島で唯一のガソリンスタンドなんざもあって,ガソリンを入れている村民がいた。この辺りだと,家も壁もごくごくフツーのものだったが,家の高さが塀に比べて1m程度低い。集落全体がそうなのだが,台風対策のためにされているという。屋根を低くすることで風の影響を少なくしようという知恵である。
その村道の途中で,車のエンジン音がしてきた。振り返ると,軽トラックが「これ以上速度を下げられません」ってぐらいにトロトロした惰性に近いスピードで,こちらに近づいてきていた。その程度のスピードしか出せないくらいの道幅だからしょうがないし,荷台に1人乗っかって合計3人乗っていたから,必要に駆られての軽トラック移動なのであろうが,かえってその姿が中途半端すぎて滑稽に映る。徒歩のほうが確実に早く行けるし,小回りも利くに違いない。軽トラックにしてみれば,無用にエンジンだけかけられさせられて,かえって車体に影響が及ぼされないかってところだろう。

そのまままっすぐ行くと,南北に通る道にぶつかった。角には「朝起き会」という看板が立てかけられてある。そばにはホウキが数本,箱に置かれてあった。看板には「月・水・金 6:30〜」とあり,子どもの絵があった。週3日のこの曜日に,おそらくは集落を掃き清めるものだろうと思っていたが,後で調べたらば大正時代から続く伝統行事らしく,ラジオ体操と縄跳び運動がその前につくらしい。
その活動の中心は小・中学生だそうだ。通りで子どもの絵が描かれていたわけだ。それほど広くない集落ではあろうが,この島に小・中学生といって数はたかが知れている。そうとなると,掃き清めるだけでもかなりの重労働ではあるまいか。加えてラジオ体操に縄跳びまでさせられるとなると,朝っぱらから疲れて授業に身が入らない……なんてハナっからだらしないヤツは,こういう島にはいないのだろう。ある意味,お互いの“監視”もあるのだろうし。ま,後で調べたらば,学校の先生や地域の人たちもかかわるらしい。そりゃあ,子どもたちだけに任せるなんて,無責任にも程があるもんな。
その角から北側に行ってみると,彼ら子どもたちが通う渡名喜小・中学校がある。道をはさんで左手に校舎,右手に校庭がある。こうして別々になっているのは,島に土地がいっぱい余っていることの現れである。この小・中学校の校門にも「朝起き会」の看板があった。それによれば,公共広告機構のCMで放映されることになったこと,渡名喜島のよさを全国に広めようという内容が書かれてあった。
「そんなCMあったか?」と思ってこれまた調べてみたら,今年の5月から放映されるものらしく,「沖縄をよくしよう」というテーマで3月に撮影が行われたそうだ。ラジオ体操も2回して,清掃のシーンを何テイクも取り直していたら,おそらくとっくに授業時間になっているはずの9時過ぎまでかかったという。もし,全国区で放送されることになったら,そーゆー裏話があったのだとほくそえんでおこうか。
ただし,全国に広められるかどうかについては,ローカルキャンペーンの中から選び抜かれた場合に全国放送になるということらしい。すなわち,沖縄では多分放送されるのだろうが,全国区になる保証はないってことだろう。もっとも,沖縄県民だって,同じ県内にある渡名喜村にそんな習慣があるなんてことを知っている人がどれだけいるか。あるいはそーゆー島があることを知らない人は……いや,いないとも限らない。いずれにしても,まずは県内にアプローチするほうが先のような気がしてくる。少なくとも,朝乗っかったタクシーの運ちゃんみたいに渡名喜島に来たことのない“ウチナンチュ”(前編参照)が,おそらくはたくさんいるのだろうから。(後編につづく)

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