沖縄惰性旅U

B「オリオンビールにサータアンダギー」は…
阿嘉大橋の上から眺める阿嘉集落は,慶留間島のこじんまりとした集落(前回参照)と比べて,学校の校舎やペンションなど,3階以上の建物がぐっと多くなったせいか,ものすごい都会のように映っていた。色合いも鮮やかになったし,これが高速船が停まって,観光ビーチ「ニシハマビーチ」を持っている島の“格”とでもいうのだろうか。橋を渡ってすぐのラセン階段を降りると,テニスコートや「シロの像」「米軍上陸第一歩の地」(「沖縄卒業旅」第5回参照)などがある公園がある。
13時15分,その公園を通り抜けて阿嘉港待合所に入る。まずはチケット売場で,帰りの16時・阿嘉島発の高速船のチケットを購入。2750円。売場にはオジイ1人。孫らしき男の子が周りでジャれついていた。たしか,前回ここに来たときは手書きの島内の地図があって,結構便利だったのだが,今回は残念ながらどっかに消えている。
外はかなりの強風だが,何も言わないし何の張り紙もないので,おそらく高速船は出るのだろう。とはいえ,あんまり天気が悪化してくるとなると,船の運航に差し障ってくるかもしれない。何しろ「フェリー座間味」は11時45分に出てしまっているし,1日2往復の高速船も,1便はこれまた10時20分に出ているから,あとは16時の高速船しかないのである。
さて,こちらは慶留間島からの雨中ダッシュで,このまま引き続き阿嘉島内を歩く意欲が削がれてしまっていたので,雨宿りも兼ねて港の待合室で少し休むことに。待合室には,弁当をひろげてゆんたくをする中年〜ご老人軍団10人ほどに,リュック姿の若者2人,そしてスーツの男性などもいる。リュック姿の若者2人は,やがてリュックを枕にベンチで横になり,イビキなんざかいていた。
それにしても,こう言っちゃなんだが,この天候にもかかわらず結構な人がいるものだ。皆,16時までは2時間半以上あるというのに,こうして長々とよく待っていられるものだと思う……というか,誰も彼も私と同様に,この荒れ模様の天気では何をする気分も削がれてしまったというところか。ま,何人かでいれば,時間なんてあっという間に経ってしまうものだし。
それにしても,表ではあいも変わらずの強風。沖縄の天気の激変ぶりには何度も悩まされてきたが,今回で何度目だろうか。港に植えられたビロウっぽい樹木の葉が,大きく風になびいている。雨はどうやら止んだ感じではあるが,このままここであと2時間半をつぶすしかないか。とりあえず,持ってきた新潮文庫『住まなきゃわからない沖縄』(「参考文献一覧」参照)をパラパラとめくっていく。でも,内容なんてそれほど頭に入っちゃこない。
何となく空港で買ったサンピン茶を口にしてはいたが,こうなってくると口がもっと何かを欲してくる。となれば,あの油が染み出たサータアンダギーに自然と手が伸びる。空港で“応急処置”をしてから2時間経っていたが,案の定紙までしっかり油が染み出ていた。もう“目的”は果たせそうにないので,ここで食べてしまうことに――何度も食べているシロモノだが,ココロなしか甘みが有り難く感じたのは,ある程度の距離を歩いてきたから,甘みが欲しかったのかもしれない。そういえば,どっかのホームページで「長く歩くとノドが渇くとともに甘みが欲しくなるから,あらかじめ甘いものをゲットしておくといい」なんて文を読んだが,それはたしかだったと実感した次第だ。
ところで,いま「“目的”を果たす」と書いたが,それは阿嘉島で行きたいと思っている「ニシハマビーチで,那覇の牧志公設市場にある“歩”という店のサータアンダギーを片手にオリオンビールを飲む」ということだった。旅行記にたびたび登場してくるホームページ「沖縄情報IMA」で,それを実際にやってよかったという方の旅行記を読んで,「ならば…」と私も真似をしたくなったのである。
しかし,実際は牧志公設市場の「歩」に寄ることなどすっかり頭から離れていて,気がついたのはブランチをした「三笠」(前編参照)から帰るゆいレールの中のことだった。なので,せめてサータアンダギーだけでもと思って,空港の売店で買うことになったのだ。オリオンビールは,阿嘉島の売店で調達。もっとも,イメージからはちと遠ざかる形にはなってしまうが,二つをとりあえず持参して乗り込む――という計画を立てていたのだ。
とはいえ,そんな計画はこの風とともにすべてぶっ飛んだ。もはや,この後の旅は本土に帰ってからリスタートさせるしかない。雨は何だか上がった感じで,空も慶留間島を歩いていたときに比べたら明るくなってはいるが,空が明るければ雨が降っていなければ,すべてが丸く収まるというわけでもない。何しろここは離島なのだ,飛行機は1日1便で,しかも慶留間島にいる間に出てしまったのだから,頼みの綱は高速船しかないのだ。
それにしても,さっきから気になるのはこの人の数。ミョーに“チムワサワサー”するのは何だろうか。あるいは臨時便が出るのだろうか。チケット売場にもう一度足を運ぶ。自動ドアに張り紙してあったのを何度も見たが,たしか11時45分にフェリーが出て……あ,違った。14時半にフェリーがやってきて,16時に泊港に着くのだ。その張り紙には,

泊港発 阿嘉着 阿嘉発 座間味着 座間味発 阿嘉着 阿嘉発 泊港着
10:00 11:30 11:45 12:00 14:00 14:15 14:30 16:00

とあったのだが,私はこのうちの左半分しか目が行っていなかったのだ。なるほど,みんな高速船待ちなのかなと思っていたら,どうやら14時半に出るフェリーの客だったようだ。ま,フェリーのほうが断然安いからなぁ。それでこんなに人が早い時間から集まっていたのか。いくら“のんびり屋”のウチナンチュといっても,2時間以上も前から来ないか……って,のんびり屋だからむしろ,出航ギリギリになってから来るのがフツーか。
でも,この強風の中だし,あるいはフェリーに切り替えたほうがいいのか。この強風だから,波もさぞかし高いだろう。そんな中で1時間半フェリーに揺られるのは,もしかしたら難儀するかもしれないが,かといってムダに16時まで待つのももったいない。16時に泊港着だったらば,高速船で17時10分に着くのに比べれば,那覇でぶらつく時間が1時間増えるのだ。
しかし,こーゆーときに限ってというのか,空に薄日が差しはじめてきたのだ。風もココロなしか弱くなってきた感じだ。うーん,これならば……よっしゃ,せっかくだからいちかバチかでニシハマビーチに向かうことにしようか。とりあえず,まだ気まぐれに突風が吹いているが,傘はささずに済んでいる屋外に出て,少しずつ待合所から離れていくが……うーん,ちょっとばかり不安がよぎったので,チケット売場に戻ってあらためて売場のオジイに確認する。
「すいません。16時発の高速船って,いま風が強い
ですけど,出ますかね?」
「出ますよ」
すごくあっさりと言いきった。もっと「うーん,多分ねぇ…」と来るかと思ったが,拍子抜けするくらいに思い切りがいい。ま,向こうが出るというのだし,たしか高速船からフェリーに替えるときには手数料がかかると書かれてあった。
「いやね。こんだけ風が強いし,もしかしたら出られ
なくなっちゃうんじゃないかと思ってね。あるいはフ
ェリーに替えた方がいいんじゃないかって……」
と,安堵感なのか何なのか言葉が自然と突いて出てきてしまったのだが,ここまで言葉が出たところでふと気がつくと,オジイとたまたまチケットを買いに来ていた別の客は「我関せず」とばかりに何も聞いていないような感じだった。何だかみっともない独り言。しかし,「分……っかりました」と言うと,「ハイ〜」とオジイの一言。なーんだ,聞いてたんじゃないか。「何言ってんだ,コイツ?」くらいの感覚だったのか。ま,当初の予定通り高速船で帰ることにしようか。

ニシハマビーチへの道は,待合室の前から集落を左に見つつ右にカーブしていく。前方右手に勾配のキツイ坂が見えるが,あそこに向かうのである。オリオンビールをホントは島の売店に寄って買おうかと思ったが,元々酒が好きじゃないのか,はたまた強風が吹く冬の季節ゆえに,いわゆる「ビール指数」が高くない状態だからか,どうにもビールを飲みたい気分にはなれない。ま,ムリして肝臓に負担をかけてもメリットはまるでないので,残ったサンピン茶だけで乗り込むことにしよう。
やがて,その勾配のキツイ坂にさしかかると,よく言えば原生林,悪く言えば荒れ放題な一帯となる。その中に道路だけが舗装されている。車がすれ違える程度の幅だろうか。ま,夏場は送迎のバスが通るくらいだから,このくらいの舗装は当たり前か。もっとも,今は風も止んでほどよい気温だからテクテク歩いても問題はないだろうが,夏場はこの舗装が照り返しとなって相当暑くなるのかもしれない。そうなると,歩くたびに地獄を噛み締めることになるだろう。
坂の途中の左手,コンクリートで仕切られた中に貯水池がある。ダムというにはあまりに小さい。しかも,そこに溜まっているのはわずかな水量。「水たまりに毛が生えた程度」とでも形容しておこう。ホースがそこから引かれているので,あるいは農業用水にでも使うのか。間違っても飲料水に使えそうな雰囲気じゃないが……いや,こういう島ではどんな水も貴重なのかもしれない。
昨年とはうって変わって今年の沖縄本島付近は台風がまったく来ず,中でも座間味村は深刻な水不足に陥っている。特に座間味島ではこの11月21日から隔日断水,阿嘉島でも同日から20時―8時の12時間が部分断水になっている。先日,「沖縄情報IMA」の掲示板を見たときもこういう状況の中で座間味に行くべきかどうかなんて書き込みを見たが,シーズンオフであることを差し引いてもココロなしか閑古鳥の鳴き声が聞こえるのは,やっぱりこの断水の影響からなのか。これから行く「美しい」と評判のニシハマビーチも,はたまた阿嘉大橋の下に広がる美しい海(前回参照)も,この島の飲料水としては何の役にも立たないことを考えると,何だか美しさが罪にすら思えてくる。
さて,勾配のキツイ坂を誰の往来もなく1人で上がり切った辺りだろうか。コンクリートとペンキで固められた高さ3〜4mほどの壁の左側から“カツカツ…”という音が聞こえてきた。はて,何だろうかと思っていると,黒く華奢なツノのある動物が,その壁のヘリを平衡感覚バツグンにピョンピョンと跳ねて進んでいく。鹿だ。そして,ほぼ間違いなく慶良間に棲息するというケラマジカであろう。慶良間にいるということは兼ねてから聞いてはいたが,まさかこんなところで遭遇するとは思わなかった。多分,それはシカ側も同じだろうか。こんな季節にテクテク歩いてくるヤツなんかいないだろうから。
なお,さらに進んでいくと下り坂になるのだが,その途中にケラマジカの案内板があった。それによれば,今から400年近く前に九州から移入された種だとあった。阿嘉島の南西に位置する無人島の久場島に放たれたのが,この辺りの気候とともに独自の進化をたどって,現在のような種になったらしい。「琉球王朝の生き証人」なんてフレーズがあったが,はて,こんな離島に琉球王朝の影なんてあったのだろうかと思ってしまった。第一,シカだって寿命があるだろうし,それ以前に島民は日々の生活で相当に汲々としていただろうに。
そして,このケラマジカの看板のすぐ先には,これまた草むらに囲まれた中に案内板があった。「印部石(しるべいし・しるびいし)」とも「原石(はらいし・はるいし)」とも呼ばれる。案内板いわく「高さ60cm,直径1.5m」の盛土(これを「印部土手」という)があって,その上に将棋の駒を大きくしたような石がある。琉球王府時代に土地を測る検地の基準点として設置され,境界線などの目印にもなった。
中央には「ひ」というひらがなが描かれ,右側に縦書きで「わんたら原(おんたち原)」という字が刻まれている。もっとも,前者ははっきりと分かるが,後者は草に隠れていてよく分からないので,案内板の言うところを信じるしかないか。「原」とは土地のまとまりを指すそうで,現代風に言えば「字」ぐらいの規模のようである。「字わんたら」と訳せば適当だろうか。なお,「ひ」の意味は何やら番号づけだそうだが,いまいちよく分からない。
ここから5分ほど歩いていくと,道は左にカーブして目の前には防風林っぽいモクマオウが連なる。この辺りからがニシハマビーチになるのだろうか。人が踏み入ったような小道がついているが,左に道が続いているからもう少し行くことにしよう。もっとも,舗装された道はジャリ道になっている。そばには何やら施設があったが,何の施設かは忘れてしまった。
そして,ジャリ道を歩くこと5分,ニシハマビーチに到着。ウッディな建物はどうやら“海の家”のようだが,もちろんというか今は閉まったまま。いまこの場にいるのは私だけだし,暖かい沖縄といえど当然のことだろう。自販機だけは一応動いていた。そばには木の階段が整備されていて,先には何やら展望台っぽいのがある感じだが,まずは海のほうへ行こうか。
海のほうにもまた階段が設置されている。道が少し高台にあるからだが,この設置は個人的にはとても有り難い。景観を損なわない程度によい配慮がなされている……いや,景観にほどよく溶け込んでいる感じもする。さもなくば,ビーチに降りていくときに砂に埋もれてそれはそれで厄介そうだからだ。多分,こんな配慮はここだけだろう。他の沖縄のビーチでは見た記憶がない。もっとも,所々の木が折れていたりしているが,大勢に差し障りがない限りはご愛嬌であろう。
階段の途中には,これまた「どーだ,こんなのないだろう」って感じのウッドデッキがある。テーブルが三つにベンチがあって,15〜16人はゆったり座れる広さもある。下から見たところ柱で支えていたので,海に突き出る形で作られているのだ。夏の夜はそれこそ,ここでBBQ――そういや最近は「バーベキュー」と言わず,どうしてアルファベット3文字を用いるのか……ま,いいか――にオリオンビールを飲んだら格別だろう。フツーの食べ物がものすごく美味く感じるかもしれない。
そして,見上げればちょうどいいタイミングで空には再び青空が出てきた。ここで本来は「オリオンビールにサータアンダギー」となるはずだったのだ。でも,それをやるにはどっちみち気温が足りなかったということだ。ぬるくなったサンピン茶がピッタリかもしれない。いくらも残っていなかったが,ペットボトルに残っていた中身をすべて飲み干した。そして,しばしここでボーッとする。
後で降りて見たら,かなり大規模なビーチだった。両端で何百mある。無数の葉のない樹木の姿が冬を思わせる。シンプルに美しいビーチである。目の前に浮かぶいくつもの島はいずれも無人島だ。すっぽり緑に覆われて縁だけが白砂という形。その島と島の間にはボートが数隻浮かんでいたが,あるいは「無人島上陸&シュノーケリングツアー」だろうか。まるで箱庭のような景色の中に私1人だけ。だーれもいないのだ。すなわち「1人占め」状態。かなり贅沢な空間であると思う。
船は風に煽られた波で少し揺れている。もちろん,高速船よりも小さい型だから,これが動くくらいだったらば,なるほど高速船は走れるだろう。そして,さらにその沖では阿嘉港を出発したフェリーの姿が見えていた。来る途中に“ファーン”という音が聞こえていたと思う。あれに乗っていたら,この光景に出会えなかったと思うと,焦って予定を前倒しせずに正解だった。
せっかくなので,さっき通り過ぎた展望台にも行く。右へ左へビロウやススキなどをかき分けるように階段がついているが,所々組まれた板と板の間から,それらがニョキッと顔を出したり階段にせり出していることに「荒れ放題」というネガティブな表現をするのは止めておこうか。かなり段数があったが,3分ほどで上がり切ると,3m四方ぐらいの展望台。そこから見下ろせば,太陽に照らされて海の水色が映えているのがよく分かる。そして,裏手は原生林とも言うべき南国の樹木。この豊かな自然の中だったら,ケラマジカが進化するには十分な環境かもしれない。
そのケラマジカには,ニシハマビーチからの帰りにも出会った。上空にカラスが飛び交う中,路肩にたたずんでいた。私の姿が入ったとたんに草むらに逃げ込んでしまったが,こういう道端に動物が出てこられるってのがいい。小浜島(「沖縄はじっこ旅」第1回第2回参照)では,たしか路地に入ったら小屋につながれていた馬が突然飛び出してきたが,それだけ人間の手がいい意味で入っていない,ゆったりした“自然の流れ”が存在しているってことかもしれない。そういや,道端の至るところに“黒い玉”がたくさん落っこちていたが,あれは鹿のフンだったのか。
さらに阿嘉港に近づくと,道を横断するこぶし大のヤドカリにも出会った。これまた私の姿を見た途端に身体を貝殻に引っ込めてしまった。こんな可愛らしい光景もまたいい。もちろん私は決していじくったりしなかったが,向こうも最後まで身体を出そうとはしなかった。くれぐれも車に轢かれないようにとは願いたい。そばではトカゲが思いっきり轢かれていたので……。
阿嘉港のターミナルに戻る前に,もう一度阿嘉大橋を渡って慶留間島の絶景“ベロ砂州”(前回参照)を見ておく。あらためてその絶景ぶりをここに書くのはやめておこう。少し前を若いカップルが歩いていたが,彼らは橋の下の海峡はよーく見ていても,どうやらこの砂州を見逃していた感じだ。バカめ……それにしても,あの砂州に降りられないのがつくづく残念である。多分,対岸の阿嘉港のマリーナから“何とかツアー”で渡るしかないのかもしれない。でも,ヘンに手が入って汚れることを考えれば,現在のスタンスでいいのだろう。そんな絶景を5分ほどボーッと眺めてみた。

15時半,阿嘉港ターミナル到着。フェリー客がいたときは多少賑やかだったのに,入っていったら私1人だけだった。後でちらほらと入ってきていたが,10人を超えることはなかった。外ではやっぱりたまーに強風が吹き抜け,樹木の葉が揺れて,そして先ほど書きそびれたが“キューンキューン”と,犬か猫の発情期みたいな音が聞こえてくる。もちろん犬や猫ではないはずだが,あらためて疑問が湧いてきた。多少耳障りな気持ちがしたのたしかだったし。
でも,その正体は意外なものだった。港の端っこにある高速船乗り場の埠頭が,上手い表現が見当たらないが,チェーンで陸とつながれた“浮き埠頭”みたいなヤツで,それが風から来る波に揺られて音を立てていたのだ。でっかい鉄が揺れて摩擦でも起こしていたのかもしれない。浮いているからには,当然高速船に乗ろうとしたときにはゆーったりとふんわりと揺れていた。
帰りの「クイーン座間味」の乗船率はいくらもなかった。かなり波に煽られては船体を“バーン”と叩きつけられ,何度もすっぽりしぶきをかぶっていた。もっとも,既述のように小さい離島に行く船舶に比べれば船体が大きいから,そんなにスリルがあるってわけではないのだが,もしかしたら船が出られるギリギリぐらいまでに海は荒れていたのかもしれない。そして翌日までどうやら海は荒れたようだ。

(3)大衆食堂でAランチを〜エピローグ
17時10分に泊港入港。2階のデッキからの下船ということで,せっかちな性格の私は船が着く前にデッキに出てしまったが,ちょうど街灯が入った泊大橋の下をくぐるところだった。さっきまで吹いていた風はすっかり止んで,いまは船が作り出している自然の風が何とも心地よく,さらにMDから聞こえてきた1986OMEGA TRIBE『North Shore』のフリューゲルホーンが何とも心地よかった。
さて,下船すれば次はまず夕食だ。ブランチで食べた「三笠」のチャンポン(前編参照)と,阿嘉港で食べたサータアンダギーは,ニシハマビーチへの往復で完全に消化された感じで徐々に空腹を取り戻している感じだった。少し先には下先客待ちのタクシーが,供給過剰気味に何台も停まっている。ここから朝食のときに候補にした首里の「あやぐ食堂」に行くことも考えたが(前編参照),何分今回は徒歩が多くて乳酸と疲労が蓄積されているもので,今回は見送ることにして客待ちタクシーを横目に,これまた候補に挙げていた泊港そばの「ルビー」に行くことにする。
港から徒歩3分,国道58号線沿いにあるその店は,これまた昔ながらのファミレスって雰囲気であった。4人がけのテーブルが10席はあり,さらに座敷も大きいのがある。ここもまた,表のイメージの割りにかなり大きい建物なのだ。客層は時間帯もあったのかもしれないが,二十歳前後の若者がかなり多い。しかも“長時間ダベリ組”……入口を入ると食券の自販機があった。もちろん今回のお目当ては「Aランチ」だ。780円。かなりのヴォリュームと見ているが,はてどんなものが出てくるか楽しみだ。そばにやってきたエプロン姿の中年女性に食券を渡し,キッチン越しにあるテーブル席に座る。
キッチンでは女性5〜6人が,これまた大衆食堂特有のてんてこ舞い状態。黙々と自分の持ち場をこなしている。そんな彼女たちを知ってか知らずか,5〜6人の高校生っぽいダベリ組の若者が,執拗にご飯のお代わりを要求している。無視しているのかあしらっているのか分からないが,こーゆー客には扱い慣れているのかもしれないので放っておく。そばに座った男性1人客は自分でよそいに行っていたが,もしかしてセルフサービスだったのか。
1分ほどでまず@かき玉ポタージュスープが運ばれてきた。これからして“その後の展開”を予感させる,それなりのヴォリュームがある。直径12〜13cmほどの器に入って出てきた。そして「あそこにアイスティがありますので…」と言われる。セルフサービスでアイスティが飲み放題のようだ。出入口そばに一式が置かれていた。アイスティが入ったポットのそばには,洗った食器を入れておくような容器に,四角い氷がたっぷり入って置かれている。その容器からプラスチックのおたまで氷をすくってコップに入れる光景は,どこかシュールな感じがした。
さて,それから10分ほど待って出てきたのは,Aクリスマスに食べる鶏のモモみたいな形状の大きい揚げ物B手のひら大のハンバーグC半月型のポークランチョンDげんこつ大の卵焼きEウインナー1個F半月型のハム1枚Aの上半分の下にはGマカロニサラダが隠れていて,その脇にはHサウザンドレッシングがかかった千切りキャベツ。さらには,アーモンド型にかたどられたライス――これらが30cm×20cmほどの角丸長方形のプレートに「これでどうだ!」とばかりに入っていた。ちなみに,C〜FAの下半分の下にこれまた隠れるように入っていて,さらには「こうするしか仕方がなかったのよ。ごめんなさいね」って感じで,フォークとナイフも一緒にはさまっていた。
運んできたオバチャンは,どう見ても“イッパイイッパイ”な感じで,テーブルのそばに置かれてあった調味料を指差して「これ×○∴∞♀*…」と,言葉に詰まっている感じだった。でも,言いたいことは確実に伝わってきたので安心してほしい……見ればプレートに乗っかったものには,キャベツ以外は調味料が一切かかっていない。なので,調味料をお好みでかけなさいというわけだ。
さあ,これらをどう“処理”していこうか――そう,これだけの分量を見ると「食べる」のではなく「処理する」という言葉がピッタリな感じがしてくる。まずはAを箸でトライしてみるが,どうにも扱えそうにないので,フォークとナイフを取り出して切ってみると,鶏だったらばあるはずの骨に当たらない。ちと切りにくいのは安い…いや“おトクな肉”を使っているのだろう。何たって値段が値段なのだ。
で,試しに一口食べてみたらトンカツだった。ってことはトンカツ・ハンバーグ……あまりにもキョーレツなラインナップである。一体,カロリーとやら,どんなものなんだろうか。CEFなんて「加工肉オン・パレード」じゃないか。しかも揚げたり焼いたりで,油が容赦なく使用されているものだから,オートマティックにどんどんカロリーが“オン”されていくばかりだ。フツーはいずれか一つでもいいはずだが,多分メニューにあったB・Cランチになってくると,これらが一つずつ抜けていくのではないか。ま,最初にトンカツに抜けてもらっても十分かもしれないが……。
客は夕飯の時間帯になってきたからか,徐々に入り始めている。片や私はといえば,でかいトンカツを食べ切った時点で十分だったのだが,それでも意地で胃に入れまくった。かける調味料はソース・しょうゆ2種類あったが,結局しょうゆだけで通しきった。15分ほどで“脱出”に成功。まったく,慶良間空港から阿嘉島,そして阿嘉港とニシハマビーチの往復でそれなりにカロリー消費した意義は,ものの見事なまでに780円で粉々に打ち砕かれることになった。

そうとあらば,この後は泊港から国際通りと牧志市場付近を含めて,また2時間ぐらい県庁前駅までぶっ通しで歩くしかない。じゃないと,このまま家に帰って寝るのが怖くって仕方がなかったのだ。せめてウインナー1本か,ハム1枚分でもカロリー消費しないと……途中にバスでは通りかかっていた崇元寺石門は,石の3連アーチ門以外は真っ暗で何にも分からなかったし,牧志公設市場はまだ営業していたが,“迷路”の中をグルグル回っただけで要がるわけじゃないからとっとと出てしまった。
そして「まあ,このまま同じルートで帰っても面白くないか」と思って,公設市場からはさらに奥のほうへDEEPなほうへと入り込んでいった。結構,これまた美味そうな総菜屋や食堂などが立ち並んで,胃にスペースがあれば寄りたかったが,すでにスペースもへったくれもなくただ歩き続けるだけ。あげくには方向感覚が分からなくなって,最後まで国際通りに帰れないまま,何とか県庁前駅に辿りつくことになった。しかも,途中からは雨に降られる始末。外はすっかり暗くなっていた。
そんな惰性っぷりと暴挙には,胃腸がさすがに「キレてしまった」ようで,最後にクリスマスイルミネーションを見るついでに寄ったパレット久茂地の「りうぼう」のトイレでは,汚くて恐縮だが下痢気味。あるいは少し冷えた中を歩いて身体が冷えてしまったのか。皆様,楽しい旅だからといって,くれぐれも無茶はされないように……。(「沖縄惰性旅U」おわり)

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