西表リベンジ紀行

Afrom END to END
時刻は13時40分。一応,観ておきたいものは観たことだし,ここからは一気に北上していこう。大原までダッシュで戻り,仲間川をはさんで大原集落に「大原小学校」,大富地区に「大原小学校」がある不思議な光景を目にして,大富集落へ。このまま真っ直ぐ行ってもいいだろうが,せっかくなのでバス停の脇,広くなったロータリーからまた内陸に入っていくことにする。
すると,とば口に家がいくつかあった以外は,再びバックに原生林を従えたさとうきび畑の中の道となった。なになに道は片道1車線の立派な道ではないか。車はまったく通らない。縦断道路は結構ウネウネとカーブが多く,見通しの悪いところが多いが,こちらは割とまっすぐである。海の方向に向かってしばし快適なドライブを楽しむことにする。そういや,1箇所展望台みたいなものがあったが,誰も立ち寄らないであろうことは想像に難くない。
そして,再び縦断道路に戻った。しばらく緑に囲まれた道を進むことになる。道は既述のようにクネクネしている。見通しもあまりよくない。そして,その割には大型の都バス…もとい西表島交通の路線バスだの他の観光会社のバスがかなり通る。いけなくとも飛ばしたい。でもそれほど飛ばせる状況ではない。たまーに鬱陶しくも大型車が道を塞いだりする。それでも,この島では割と道を譲って,すんなりどいてくれる。
やがて,「←サキシマスオウ群落」という看板。そういや,そーゆー場所があると聞いたことがあるな。でも,どーしても観たいというわけでもない……そうしているうちに看板を通り過ぎてしまったが,すぐに渡った橋の下にマングローブが目に入る。仲間川や浦内川のように広大な川と違って,それほど大きくないし,間近でマングローブを見たことは実はない。カヌー客がいるのも何となく気になった。群落もすぐそこだし,とりあえず車を停めて見に行ってみようか。
橋の名前は「まいら橋」。漢字で書けば「前良橋」。下を流れるのは前良川。だからどうした。とりあえず,来た道をわずかに引き返すと看板がある。英語にすると「Big Buttress Trees」,直訳すれば「大きな控え壁の木」らしい。古ぼけたコンクリートの角柱には「天然記念物古見(こみ)のサキシマスオウノキ」とあった。周囲は鬱蒼とした林。細い木の鳥居をくぐって通路らしき石板の道を踏んでいくと,正面にトタン屋根の御嶽がある。幅3m×高さ3mくらいの大きさで,かなり年季が入っていて,香炉とオオタニワタリが生けられた花瓶がある。
さて,肝心の木はというと,この御嶽の脇にブロック塀が点々としている。これに乗っていくと多分目的地に行くのだろう。でも,周囲は鬱蒼とした森。さっき“長いヒモ”を見たせいか(前回参照),ここいらで“初ハブ参り”になるのは精神的に堪えそうだ。後で確認したらやっぱりこの奥にあるようだったが,情けなくも引き返す。ま,仲間川に行ったときに,あの“板根(ばんこん)”を見たからいいことにしよう。マングローブも……ま,いいか。
さらに北上。島で最古の集落・古見。ちらほらと建物があったくらいか。これを越えると,後良(しいら)川。こちらにもそばに駐車場がある。そしてマングローブ…ではなくて,川縁に小さいヒルギの木。これもまた自然の姿だ。あるいはこの1本が何年後かにマングローブの主核になるのだろうか。干上がった川にどっかから入れるようだったが,足場が悪そうなのであきらめる。
再び車を進めると,間もなく「←沖縄国際マングローブ研究所」「←西表野生生物保護センター」という看板があった。うーん,ちょっと急ぎ旅ならば確実に通り過ぎる場所のような気がするが,時間はいくらでもあるわけで,ここは暇つぶしに寄ってみることにしようか。入ってすぐに前者があり,公園らしきものが整備されているが,一旦通り過ぎて細い道をくねくねと上がっていくと,どんづまりに2階建ての建物。なぜかレンタカーばかり6台停まっていた。考えることはみな一緒ってことか。
とりあえず,涼を取る意味とトイレに行くついでで中に入ると,案の定というか,「お前ら,別段にここに心の底から来たくて来たんじゃないだろ?」っていうような若造Boys&Girlsが大勢いる。館内はそのまんま,動植物や島の成り立ちなど,さまざま展示やがされてある。失礼ながら,もっとちゃちいものと思っていたが,意外と近代的というかしっかりした展示物である。干潟にいるシオマネキやヤドカリの写真なんかは,個人的に愛らしくて気に入った。そして,この島の“象徴”ともいえるイリオモテヤマネコのビデオが流れている一角もあった。どっかに捕獲しているような感じだったと思う。
帰り際。こーゆー旅行記を書くには,やっぱりパンフが必要となる。そしてここにも例外なく,細長いパンフレットがあった。他にも関係団体の機関紙みたいなのもあった。とりあえずパンフ持っていこうと思ったら,脇に「100円」と書かれてある。自然保護のための寄付金を募ろうということのようだが,財布を見てみると50円玉以下が数枚入っている程度。あとは1000円札しかない。うーん,パンフくらいタダでいいだろと思ってしまうが,かといって1枚でも勝手に持っていける状況ではない。すぐ脇にGirls3人がいるのだ。どこでどう見られているか分からない。やむなく手ぶらで引き揚げることにした。
再び縦断道路に戻ってすぐ,たしかこの辺りだっただろうか。工事か何だったか分からないが,片道が欠けている箇所があって,すぐそばにマングローブの根と大きな湿地が見えたのだ。改めてこの島の不思議さを実感した…というそれだけのことだが,すぐそばに湿地というのも考え様によっては怖くなかろうか。6月に沖縄では記録的な大雨が降ったが,その影響で地下水があふれたりして道が転覆する危険もあるのだ。

この次に見える観光地が由布(ゆぶ)島だ。前回2003年のツアーで水牛に乗って渡っているが(「沖縄標準旅」第9回参照),2年半ぶりにその入口に辿りつく。前は林の中にジャリ道があって,そこを通り抜けて乗り場に着いたと記憶しているが,すべてコンクリートで固められて東屋みたいなものまである。この差は驚き…というか,やっぱり観光地として“売れる場所”には,こうして金を使って呼び込まないといかんということだろう。でも,今回は行かないことにする。
さあ,ここからは何も見所はない…というと,厳密には「西表島温泉」とか「大見謝(おおみじゃ)ロードパーク」なんていうのがあるが,いずれも私の興味にはひっかからない。温泉に入るってのは,そこにそのまま泊まって浴衣に着替えられて寝られるならば大いに入りたいが,日帰りで風呂から上がってまた普段着を着て外に出るなんてのは,どうにも鬱陶しくてイヤである。後者のロードパークは,これまた「大きな川に橋がかかって下はマングローブ」というパターンだ。いくつも見たってしょうがないので,あっさりと通り過ぎる。
やがて,海の上をまっすぐ一気にかけぬける道。「海中道路」である。左手の奥には「ピナイサーラの滝」というトレッキング観光で有名な滝がある。スーッと1本落ちる水流が女性的な印象を持つ。時間的に干潟になっているが,ここが満潮のときに渡るとまた違った趣だろう。ホントはどっかで車を停めたかったが,どうにも勢いがついてしまって一気に渡ってしまった。
いよいよ西表島最大の繁華街……ではあるが,要するに「フツーに商店とか家とか民宿が集中している」船浦・上原地区である。船浦港は,車こそ多く停まっていたが,施設の類いが集中している地区の玄関口のわりに,あまりにシンプルでこじんまりしている。よほど大原港のほうがでっかくて整っているが,これならば“大原派”の私としては,大原に観光施設をもっと設けてやれよと思ってしまう。ちょうど後ろから車が追っかけてきていたもので,半時計に護岸された港の道をぐるっと回った後,ホントは通っちゃいけないであろう通路らしき道を思わず入ってしまった。ちょうど帰りの石垣行きの船を待っていた若いアンちゃんたちに見られて恥ずかしかった。
この辺りは,さすがに道が狭くなっていて,車の量も多くなった。やはりここを拠点にする人間が合流するからだろう。地図とかイラストで見ると,さぞかし賑やかそうに思えてくるのだが,通りかかってみれば,どうにも華やかさがない。色合いが全体的に地味なのだ。レンタカー屋一つとっても小さい小屋だったり,民宿もコンクリートが白いだけで,それ以上のものがない。ま,それですべて用が足りているんだろうから,これ以上私がとやかく言う権利はない。
その船浦・上原地区を抜けると「→星砂の浜」の看板。ここも前回2003年のツアーで来ている(「沖縄標準旅」第9回参照)。2年半ぶりにその入口に辿りついたが,ここは……うーん,時間がまだ15時ちょっと過ぎということで,とりあえず入り込むことにした。この星砂の浜に向かうルート,とってもロマンティックな場所に行くはずはずなのに,まるで場末の“1980年代モーテル”にでも向かうようなルートみたいだ……って,建物がどうにも地味だからか。
そして,星砂の浜の駐車場はあいかわらず混んでいた。観光バスが1台停まっていて,客層は20代前半から半ばぐらい。水着姿やウエットスーツ姿のヤツが多い。「レストハウス星砂」で気まぐれにショッピングのはずが,そいつらのせいでレストできず,そのまま星砂の浜へ。今回も一度だけ砂を摘んで,☆を確認するが今回もどっか一角がかけていた。そして,まっすぐ車へバック。一番奥のスペースに入れてここまでわずか5分。内訳は,駐車場から浜に行く往復の時間が4分半ほど,残り半分は滞在時間だ。浜辺では砂を拾っている輩があいかわらず多かった。
縦断道路に戻る。再び何もない西表島らしい道路になる。広大な自然をバックに1軒建つコテージのような「パークハウスみき」は,石垣島でTシャツが買えなかったらここで買おうかと思った(第1回参照)。西表島関連の本もあるというし,実は欲しい本があったのだ。でも,Tシャツは買っちゃったとなればここは用なし。そして,見たことのある川のそばのレストハウスを通り過ぎ,高さのある川を渡る。浦内川だ。ここも前回2003年のツアーで来ている(「沖縄標準旅」第9回参照)。2年半ぶりにその入口に辿りついたが……と,これまた文章をコピー&ペーストしちまったが,ここはさすがに“入口”じゃなくって“目の前”である。そして,この川を越えた先は西表島未踏の地域。いよいよここからが「本格的な西表島の旅」……おっと,大げさなことを書いちまったぜ。そんな感慨なんてタイしたことないかのように,いともあっさり橋を越えてしまったからだ。

心なしか,浦内川を越えると車の量は減ったような気がする。ま,ほとんどのツアーが浦内川から東側のものばかりだから,そういう風になるのかもしれない。“タッタリラ〜”って感じで車を進めていくと,まずは「→干立天然保護区域」という看板。背の高い森が広がっていたが,何となく先を急いでパスする。明日,時間があったらあるいは行ってみようか。
そして,間もなくランドマークのように目が入ってくる「地球を示している球体 on the ドーム型のモニュメント」。ああ,例の“123456789”か。ここは記念に見ておこう。正式には「子午線モニュメント」。数字は東経123度45分6789秒。すなわち,この値の子午線が通っていることが1997年,国土地理院沖縄支所によって発見されたのだという。その球体を差すように,鈍角に曲がったコンクリート製の柱には「123°45′6,789″」という数字が刻まれている。
この縁起がいい(?)数字は,さらに行った終点の白浜にも通っていて,白浜には日時計のモニュメント(注・第4回参照)を設置されているそうだ。19時から22時まで毎時15分ずつ,ここ祖納から白浜へ向けて夜空をレーザー光線が貫くそうだ。何ともロマンティックなことであるが,これを発見したヤツはよほどヒマだったのか。はたまたものすごい閃きが働いたのか。この辺りは“賛否両論”といったところだろう。具体的に発見人物に触れていないのが,どうにも怪しく思えてくるが。
ドーム型のモニュメントの下には三角錐のオブジェ。一瞬落書きかと思ってしまったが,そこにはヒルギやカニのオブジェが刻まれている。そばに「ふれあい館」という資料館があって,ガラス張りなので中がよく見えたが,残念ながらカギがかかっていた。後で確認したら,9時から17時の営業で火曜日と祝祭日が休みのようだったが,ついでに「どー考えても誰も来そうにない日」も休みってことになるのか…ってことは,年がら年中……ま,いいや。写真や地図らしきものが壁に展示されてあったと思う。ちょうど,別のグループが写真を撮っていたり,はたまた観光バスが一旦停車なんかしていた。
再び車を走らせると,集落の中に入ってきた。商店らしき建物が右手に見えると,道は大きく左にカーブする。そして,目の前に白いホテルっぽい建物がある。なるほど,これが今日泊まる「西表アイランドホテル」か。それにしても,駐車場らしきスペースが建物脇にちらっと見えるが,そこにはすでに先客がいる。他には見当たらないが……。
ま,とりあえずは一旦通り過ぎよう。このまま一気に最西端の白浜まで行ってしまうことにする。道は再び海岸沿いとなり,工事中で一方通行なところを通り抜ける。ここまで来ると,すれ違う車は皆無である。右手に海は実に穏やか。一方,左手は崖が海近くまで迫っている。ギリギリのところに道をやっと作ったそのときの様子が想像できる。
そういえば,あともう少しでこの縦断道路が終わるのだ。それを考えるとちょっと感慨深い。小さい島――ま,西表島はかなりデカイ部類に入るが――の道を端から端を“制する”というのは,何となく自分が“プチ・グレート”になった感じがしていい。間もなく左に山の中に入っていく側道が見えた。県道の旧道だ。しかし,入口に「通行止」の看板。どこか崖崩れでも起こしているのか。はたまた起こりかけているのか。行き帰りともにこれから通るであろう西表トンネルをくぐるよりは,どうせなら行き帰りを別にしたほうが楽しいかなと思っただけに,ちと残念である。
何分それは入っていかないと分からないが,この旧道を入っていく必要性は,観光客にとってはまずもってない。いや,地元民でもこれから通る西表トンネルを利用するに違いない。白浜にある「金城旅館」という旅館の女将さんが,何でもこの旧道の自然散策のツアーガイドをやっていると『やえやま』で読んだので,あるいは途中で下車してみようかとも思っていた。でも,そんな人間はある意味“稀有”なのかもしれない。そもそも白浜集落に行くのも,単に道を制したいがためというのが,実は一番多いのではなかろうか。
……などと,いくらでも“事後解釈”している間に,西表トンネル。思いのほか長いトンネルだ。思わずライトをフルにつけてしまった。天井のオレンジのライトもまばらなのである。白浜集落側の出口に「トンネル記念碑」があったので見てみたが,1992年6月の完成だそうだ。ということは,開通して13年。旧道は地図を見れば割とクネクネしているルートだし,何となく“道中”が想像できるというもの。このトンネルができた意義は島にとっては大きかったのだろう。記念碑の脇には,トンネル掘削のときに出てきた2000万年前の石が置かれていた。直径1m×高さ50cmほど。「新世代第3紀中新世に堆積された」そうだが,専門家ではないので「古い」という一言で片づけておこう。
さあ,トンネルを抜けるとそこは何の特色もない小さい集落がたたずんでいた。左に最後のカーブをきって突き当たりは静かな海となった。右手はコンクリートで護岸された港。車が数台停まっている。ここから定期船が出ているのだが,目印らしきものは看板だけ。建物は見当たらない。明日の朝改めてここに来ることになるのだろう。
そして,道なりにそのまま左に曲がっていくと,正面には緑深い山に抱かれた学校の建物が見える。いよいよ終着である。完全なる直線道路。路駐している車が1台ある以外は,遮るものは何もない。感動のクライマックス,驚きのフィナーレ……なーんて言葉がおよそ似つかわしくないほど,淡々とあっけなく南風見田の浜から続いた55km余の道は終わった。学校の正面玄関からは,右手に護岸に沿って道は伸びているが,私は勝手にこの小学校前を終着としておきたい。

再び西表アイランドホテルまで来た道を戻る。あるいは路地に大きな駐車場があるのかと思って,建物の脇から狭い路地を入ったのだが,残念ながらこちらにはなかった。しかも,道が狭いので折り返したりできない。もはや,このまま道を進むしかなく,結局は海沿いに出ることになった。御嶽があった脇が少し広いので,そこにとりあえず車を停める。
御嶽の名前は「前泊(まえどまり)御嶽」。丸太で組んだだけの鳥居を入ると,ノッポのクバ森をバックにして,赤瓦で木造の幅・高さとも3m程度の社。サンゴの石垣が周囲を囲んでいる。奥に香炉のみがあるシンプルなものだ。社の脇にも小さい社がある。ここは,その年の農作物収穫を祝い,来年のそれを祈願する「節祭(しちい)」という行事が執り行われる場所。その歴史は300年とも500年とも言われる。国の民俗無形文化財指定がされている。社の脇にある指定記念碑に,そう書かれていた。
この御嶽がある目の前は「前泊の浜」。両端が100m程度で,素朴という以外に何も表現のしようがない静かなビーチだ。まだ日が高いからか,人影はない。そして,ここから沖合いすぐのところに濃い緑のドーム型に浮かぶ島が見える。「まるまぼんさん」と呼ばれる島で,穏やかな海を池にたとえ,島が池の盆石のように見えることから名づけられたという。野鳥たちの格好の生息地ともなっている。クローズアップされた写真だと,盆石なんていうよりは「あ,こんな亀いたっけなー」って印象を持つ。
時間は16時。狭い路地を抜けて西表アイランドホテルに戻る。そろそろチェックインしようと思うが,どうやって車を入れようか――下の棒のほうが入口の方向として,「ヨ」の字型に4台入れられる感じだが,下2本の棒のところに車がすでに入っている。そして,真ん中の棒にあたる車は初心者マークがつけられている。一番奥がどうにも見づらい感じだし,ここで車を傷つけてはしょうがないので,とりあえず,空いている縦棒のあたりに一度入れておくことにしよう。どうせ早いもの勝ちなのだし,横棒3本のところと縦棒の間には,2〜3mぐらいの隙間があるわけだが,初心者だってその幅くらいは余裕で通り抜けられるはずだ。
「西表アイランドホテル」というと,何とも響きはリゾートっぽいし,白壁がいかにも南国チックである。白いテーブルとイスも芝生の庭に数基出ている。玄関の脇には看板が出ており,そこは喫茶スペースのようだ。今日みたいな花曇りのとき辺りは,こーゆー場所でお茶するのも悪くない。でも,ホテルの建物自体はそれなりに古そうだ。ひょっとして「旅館に“毛”が生えた程度」かもしれない……いや「ホテル」を邦訳すれば「旅館」であるからいいのか。
玄関に入ると,やっぱり「旅館」である。フロントの向こうに衝立があるが,その向こうは薄暗い。省エネか。はたまたつかの間の休憩時間か。人の声らしきものは少し聞こえるが,誰も私の気配に気づいて出てくる感じはない。ふと,机の上に目をやれば呼び鈴があった。「じゃあ…」ってことで鳴らそうとしたときに,1人の男性が出てきた。私と同世代ぐらいか。見た感じはちょっとナヨナヨ系。間違いなく沖縄出身じゃなくて本土からの移住組だろう。夕食が18時半から,朝食が7時半からという説明を受けて,サクサクッとチェックインを終える。
部屋は2階。階段を上がっていくのだが,その階段の手前にある“水回り関係”が,いかにも地方の安い旅館っぽい。そして,階段も緑のカーペットが古臭い。上がって2階の通路が人が譲り合わなきゃすれ違えないほどに狭い。そして,私が泊まる202号室は,なぜかちょっと段差のある通路を行く。窓が開いていないからか,無用に蒸し暑い。おそらくは建て増しでもしているのではないか。ちなみに,1泊2食つきで1万500円だが,聞いたところでは1人で泊まるには少し割高だという。
部屋に入る。2人部屋をシングルユースするのかと思ったら,何のことはないダブルベッドだった。そこに枕も浴衣類も2組あった。カップルや夫婦ならまだしも,野郎同士だったら気持ち悪いぞ。しかも,これで1万円以上とは,やっぱり割高だ。「美ら島物語」のホームページで外観写真を見たときは,ちょっとは洒落ているかと思ったが,やっぱりここは「旅館」である。できれば,邦訳して「西表島旅館」に改名したほうがいいとすら思ってしまう。
さて,夕飯まではまだ2時間ほど時間がある。部屋にはクーラーが効いているし,このままテレビを見ながら2時間を過ごすのも悪くない。しかも,今回も“夜間のヒマ”に備えてLet's note持参だ。あるいはこの2時間で駄文を打つのもいい。でも「やえやま」を見ると,この祖納地区にはいろいろと見所があるようだ。さっき前泊御嶽を見たが,やはり歩きでないと発見できないものもあるだろう。ということで,徒歩で散策しようと思う。再びカギをフロントに預けて外に出る。
しかし,外に出てメモを取るためのボールペンがないのに気づく。どうやら,部屋で荷物をばらしたときに置いてきてしまったらしい。あ,そういやホテルの真ん前には「スーパー星砂」というスーパーがあった。こーゆースーパーを見るのは好きだし,せっかくなので,入りがてらボールペンでも買うことにしよう。軒先の小さいテーブルでは,なぜかオジイが缶ジュースを飲んでいる。涼を取るためだろうか。上述のように日が翳ってきている分,こーゆー場所でのジュースは格別に美味いかもしれない。そして,雑誌のラックには,新聞とともになぜか『西表炭坑写真集』(注・第5回第6回「参考文献一覧」参照)という本が置かれてあった。
中は思ったよりも広い。生活雑貨全般がそろっている。メシのおかずもある。菓子パンもある。早い話が「コンビニ」なのだが,それを名乗らないところが,これまた「沖縄足り得ている」と勝手に興奮してしまう。そして,こーゆー店で思いっきりジャンクなものを買いたくなってしまうのは,精神がガキな証拠かもしれないが,ここは我慢せねばならない。そういや,ここではレンタカーも取り扱っているそうだ。たしか「やまねこレンタカー」の営業所…というか代理店を兼ねているのだ。
さあ,お目当てのボールペンは店の端っこにある。とりあえず,何の変哲もない赤のボールペンを購入する。「100円」と手書きの白い値札が,これまたノスタルジーを(勝手に)そそらせる。「105円…いや,100円」と,レジのオバちゃんは言っていた。はて,量販店では価格を“税込表示”にしなくちゃいかんはずだが……と,沖縄の“はじっこ近く”で能書きを垂れるのはナンセンスなところだろう。
あらためて出発する。が,何のきなしにカバンの外側の袋をあさってみると,何とこんなところに緑のスケルトンボールペンがあった。見れば「TEPCO電源PR館・須田貝」と書かれてある。この4月に群馬は水上方面にドライブしに行ったときに,須田貝ダムそばの水力発電の資料館でもらったものである(「管理人のひとりごと」Part42参照)。いっつもボールペンの類いを袋にしまいこんでは,どっかにやってしまうタチの私であるが,あのボールペンがこんなところに隠れていたとは。そして何より,はるばる西表島くんだりまで来て,赤ボールペンを買ってしまった私って……。(第4回につづく)

第2回へ
西表リベンジ紀行のトップへ
ホームページのトップへ