沖縄A to Z

(1)プロローグ
那覇空港,9時半到着。滑走路は濡れてはいるし,空は雲が多いものの,青空が思いのほかのぞいているのは驚いた。そして,機内から出た瞬間にムワッとした空気が流れる。天気予報は前もってチェックしていたが,当たっていたのは蒸し暑い気温のみといったところだ。つくづくあてにならないものと実感した次第である。これならば,日帰りは楽勝っぽい感じがしてくる。
さて,一旦外に出てコインロッカーに衣類を入れることにする。入れるのはジャケットとセーター。東京は朝4時に出たこともあり,その格好でも寒かったくらいだが,こちらでは間違いなく邪魔になること請け合いだからである。どっちみち那覇に戻ることにもなるのだ。あとはMD数枚とアダプターも入れておく。こちらは粟国に行けなくなった場合,レンタカーに乗ることを考えて持ってきていたが,この天候ならば粟国島には行けるのではないか。たしか,空から近くを通過したときも雲はさしてなかったと思う。もっとも,乗るのはRACのセスナ機だから少し不安っちゃ不安ではあるが。
ちなみに,ロッカー代は200円。ちょっと大きめだからかもしれないが,2月に来たときは100円だったと記憶しているが(「沖縄・8の字旅行」前編参照),このときは1階のコインロッカーに入れた。今回は那覇市内を回ることを考慮して,ゆいレールの連絡通路や土産店がある2階にしたが,フロアによって価格が違うのか。だったらば,いっそ統一してほしいものだ。
3階の搭乗手続カウンターで手続を待つ。ふと,フロアの真ん中を陣取る大きい電光掲示板を見ると,粟国行きは「天候調査中」と出ている。カウンターの奥にも表示板があるが,こちらではRACの久米島行きのところに赤字で「欠航」のプレートが出ていた。9月に台風が来たときもそうだったが(「沖縄はじっこ旅U」第4回参照),RACは台風とかになると欠航の確率が高い会社である。ま,39人乗りと9人乗りじゃ,さすがに会社も飛行機を飛ばすのは心もとないだろう。
そして,私の番に。早速,先月多良間に行ったときと同様(「石垣島と宮古島のあいだ」前編参照),重量を量ることになる。今回はTシャツ1枚にジーンズ(プラス下着にタオル地のハンカチ),バッグの中は財布,カギが二つ(家のとコインロッカーのと),ケータイ,ニューエストの沖縄県都市地図(「参考文献一覧」参照),文庫本にメモ用のルースリーフ数枚にシャーペンで,しめて「71.8kg」と出た。少し動いたせいか,数字がその前後で移動していたが,マックスで「71.8kg」であったことだけは,体重を気にする人間ならば確実に記憶できるよう,脳のシステムはできているのだ。前回と比べて,GAPのセーター分をマイナスして,ニューエストの地図を加味しても,少し体重が減った……かどうかは知る由もない。ま,見た目はおそらく変化ナシで間違いないであろう。
チケットをゲットして,いざ28番搭乗口へ。そういや,何も言われなかったし,発券されたから動くことになったのか。不思議に思いつつも,本土行きのフロアから階段を降りて,離島専門かつ搭乗機まではバスで行くという28番搭乗口に着くと,ロビーには10人ほどしかいなかった。そして,カウンター上の電光掲示板を見れば,粟国行きは「定刻」となっていた。やれやれ,これで一安心である。
フロアの端っこでは,テレビがかかっている。大きな窓からは陽射しが差し込んでいるので,テレビの画面は見ることができないが,ケンタッキーのCMで竹内まりやの『すてきなホリディ』がかかっていたのは記憶している……そういや,もうすぐクリスマスなのだ。にもかかわらず,いま現在のスタイルはTシャツ1枚。しかも,少し動けば確実に汗ばむくらいの状態だ。
いくら沖縄といえど,去年のちょうど今ごろに与論島と沖縄本島に寄ったとき(「ヨロンパナウル王国の旅」参照)は,長袖のセーターでちょうどよかったくらいだと記憶する。そもそも12月に“夏の風物詩”であるはずの台風が来ることも異常だが,総じて今年は暖かすぎる。寒いよりは暖かいのが好きな私であるし,それが好きで沖縄・奄美に行っている部分もあるのだが,しかるべき時期にしかるべき気温になっていないのは,やはり不安にならずにはいられない。まして,春夏秋冬を肌で感じることを30年あまり経験していれば,なおさらである。
待っている間に,近くの自販機で500mlのペットボトルのさんぴん茶を購入。150円。買ったあとで気づいたのは,あらかじめ重量を計っていたこと。でも,ここに来る前にトイレで小用を足して,ここでプラス500g&ペットボトル分増しているから,差し引きで……ま,そんなグラム単位までは大丈夫だろう。そんな重量の変化に気をつけるようになんて,チケットのどこにも書かれていないし。
時刻は9時55分。飛行機の出発は10時5分だから,セスナ機であっという間に乗れることを考えてもそろそろバスに乗る時間だが,アナウンスで那覇への飛行機が遅れているとあった。乗り継ぎだろうか。外は陽射しが引き続き出ている。午前4時から天気予報は見ていないが,ひょっとして天気がよくなっているのだろうか。台風も時機に温帯低気圧になると聞いているし,あるいは日ごろの行いがよくって,どっかにそれてしまったのか。

結局,搭乗機への案内は10時5分になった。「搭乗口で座席を決めますので」と言われていたが,前回と同様に今回も「2B」となる。そして,誘導する若い女性係員とともに,バスには乗客が7人が乗った。その7人は,明らかに広いバスに見事にバラけて座った。今回は子どもが1人いる。父親との会話が聞こえたが,粟国から今日の最終便で帰ってくるそうだ。私もその予定なので,あるいは帰りはこの3人で帰ることになるのだろうか。
前方の出口脇には,デルモンテのプレミアムバナナのダンボール。中からは黄色い物体が見えるので,間違いなくバナナであろう。それと,細長い白のダンボールもあった。中年から高齢にさしかかるくらいの夫婦が1組乗っているが,いずれも旦那が重そうに抱えていたヤツである。バナナはかなりの量が入っていたが,何のために大量に持って帰るのか不思議だ。
そして,一方の奥さんはというと,一旦決まった座席の再変更を伝えられる。何と…というのは大げさだろうが「1B」になるようだ。すなわち,パイロットの隣である。抱えていた少し大きめのバッグがどうやら邪魔になるらしくて,女性係員が「荷物預かりましょうねー」と言っていた。ちなみに,元の座席は「5A」だったようだから,一番後ろから一番前への移動だ。ひょっとして,RAC側がウエートの調整を計算したときに勘違いでもしたのではなかろうかと邪推してしまう。
搭乗機の前にバスが停まって降りると,強い風が襲ってくる。バスの中で待っているときも,開いているドアから風が不気味な音を立てて舞い込んできていたが,今日は1日こんな感じなのであろう。件の「1B」の女性がパイロット席のドアから入っていくのを見届け,私の隣席「2A」に入る男性が先に入ってから,私も席に座る。斜め左前に座ったパイロットは,これまた少しくたびれ加減で白髪に短髪の男性。顔は分からないが,50代後半ではないかと勝手に想像する。いずれにせよ,ベテランのパイロットであることは間違いない。
すべてのドアが閉まると,どうやらパイロットがアナウンスしたようだが,プロペラやエンジンの音で,何を言っているかは聞こえない。その後も女性の声やら男性の声やらが,無線のように飛び込んできていた。あるいは睡眠不足で幻聴でも起こったのか……そして,今回は空調が入った。丸く凸状になったものから,エアコンでいうところの“送風”っぽい風が入り込んだ。この陽射しには助かる風だ。加えて,人口密度はかなり高い状況になっているから,なおさらである。
結局,定刻から10分ほど遅れての出発。多少,離陸のときによろめいたような気がするが,洋上ではあまり揺れなかったと思う。空は途中1回曇ったものの,粟国島に着く頃には再び青空がのぞいていた。それだけ雲が風に押し流されるスピードが速いということでもある。途中,サンゴの白砂と部分的に緑が生えただけの離れ小島の上を二つ通過したが,那覇の泊港からこういう小島に上陸するツアーがあったような気がする。あるいは,この二つの島なのだろうか。もっとも,地図には載っていても,名前は書かれていなかったが。
20分ほど飛行すると,左に半円形の島が見えてきた。これが粟国島である。左奥,方角でいうと西側が高く断崖になっているが,おおむねフラットな島であることが,上空からだとよく分かる。空港は島の北東に位置しているのだが,1回島の北側に大きくオーバーしてから旋回して滑走路に入っていく。周りは概ね牧場になっているが,右手下に,およそ島には不相応な3階建ての総合マンションみたいな建物がポツンと見えた。これは島の名産である「粟国の塩」を精製する工場だ。左右に2〜3度ブレながら,無事ランディングと相成る。定刻よりわずかに遅くなったが,粟国島到着である。

(1)プロローグ
@集落に向かう
粟国空港の建物は,ごくシンプル…というかボロい。建物の上部に「粟」「国」「空」「港」と,等間隔に開いて青地に白抜き文字の看板がかかっているが,これがいかにも地方のマイナー(失礼)空港っぽい。ま,9人乗りの飛行機しか飛んでいない空港だから,必要最小限のものがあればそれでいいということか。後で確認したら,供用開始が1978年。四半世紀程度とは意外に新しい気もしたが,それでもボロっちく見えるのは,かなりの潮風を浴びているからだろうか。
狭い建物の中は,出迎えらしき人がそれなりにいるが,観光関係の人はまったくいない。普通,レンタカーだのサイクリングだの,店の名前が入ったプレートを持った人がいるのだが,ここにはそれらしき人はいない。そもそもレンタカー屋はこの島にはないようだし,島で唯一のレンタサイクル屋「粟国レンタルバイクサービス」は,よりによって10月から来年4月まで閉鎖するという。民宿に泊まっていれば,そこの出迎えとレンタサイクルがあるはずだが,日帰りの私にはそれもない。
そのまま建物の外に出て,十数台停まっている駐車場付近も軽く見渡してみる。実はもう一つの交通手段として,有償運送の車があると村のホームページには出ていた。多良間島ではその有償運送のマイクロバスが停まっていてくれた(「石垣島と宮古島のあいだ」前編参照)。ここでもそれを少し期待したのだが,どこをどう見ても「有償運送」の文字が書かれた車はいなかった。残念。
……ということで,私はてくてくと歩いて空港の敷地を出ることにした。何となくこういう結果になることは分かっていたから,別に不満はない。「そういうもの」なのだろう。多分,呼び出せば来るのだろうが,事前に約束していても,忘れられてしまうことだってあり得る(「石垣島と宮古島のあいだ」後編参照)。村のホームページやニューエストの地図などで確認したら,この島は歩こうと思えば歩ける程度の広さである。ちなみに,周囲は12平方km。歩くのは結構好きだし,いまの時間は10時35分。帰りの飛行機は16時45分発。16時前後に空港に着くとしても,正味5時間半程度は時間があるのだ。少しハードな旅になるかもしれないが,歩いてブラブラしていたほうが何か発見があるかもしれない。
空港からの75m(古ぼけた板で“←75m空港”と書かれていたのだ)の1本道が終わると,三叉路に白い看板が立ててあった。そこには「→マハナ展望台 4.2km」「←あぐに海水浴場 3.7km」と書かれてある……うーん,やっぱり距離はそれなりにあるが,ひるんではいられない。前者は上空から断崖になっていることを確認した,島で有数の眺望が期待できる西端の展望台。別名を「筆ん崎(ふでんさき)」ともいう。地図を見ると,なるほど筆の毛先のように見えるが,そこから名前が来ている…かどうかは知らない。後者は「ウーグ浜」とも「長浜(ながはま)」とも呼ばれる白砂の海水浴場。モンパノキの群生場所もあるらしい。こっちは東端に当たる。
いずれも島では行ってみたい場所だが,近いのは後者のほうだし,中心部が近いのも後者。時間的に1時間程度散策したらメシを食いたいので,後者を選択する。別にモンパノキが見られなくても,白砂のビーチが少しでも見られればいい――ということで左折して進むが,空港付近は何があるわけでもない。多分,前者を選択したところで,こちらも何もないと思われるが,周囲は2m超えの藪がひたすら続いていく。たまに見られるソテツや芭蕉が,南国に来ていることを気づかせてくれる。
その藪のうち,右側は10分ほど歩くと途切れて,大きな池が広がった。金網がされ,コンクリートで直線に固められた人工池である。灌漑用あるいは貯水用であろう。100m四方はある広さに,満々と水をたたえる。池を眺めていると,どっかの番組よろしく“第1村人”発見である…といっても,4WDの助手席から幼稚園くらいの女の子がこっちを見ていただけだが,明らかに私の存在が珍しいというような顔をしていた。上空は順調に青空が続く。風はあいかわらず強いのだが,それがまた心地いい。身軽になったのも大きいが,お散歩日和である。
さて,人工池のところで道は右,方角でいくと南にカーブする。しばらくすると左の藪も完全になくなって,左右に景色がひらける。右側にはネギのような形状のものが植えられた畑。背丈はいくらもなく,土の茶色が完全によく見えるので,植えたばかりなのではなかろうか。その向こうには集落と,はるか向こうには小高い丘に白い風車や鉄塔が見える。風車や鉄塔がある辺りは,地図と見比べると島の西端に近いところにある。こじんまりとした島であることがよく分かるし,何となく近い距離に見えてくる。ま,都合のいい解釈をしているだけかもしれないが。
そして,左側には荒涼とした草地の向こうに防風林を見ることになる。距離にして数百mはあろうか。多分,防風林のある辺りはモンパノキの群生地区だと思われるが,海そのものは残念ながら見ることができない。そして風の音とともに,ブルドーザーでも動かしているような土木工事現場の音が聞こえてくる。チャリだったらばスーッと寄り道したいところだが,どっちみち来た道を戻ることになるとしても,身体に受けるダメージはまったく違う。なので,何度かその防風林に向かう道に出くわしても,結局は入らずじまいであった。
そんなときに,私の背後から1台の車が。またも4WDだ。ひょっとして,さっき女の子が乗っていたヤツか。まあ,そんなに車種やナンバープレートをこと細かくチェックしているわけじゃないのだが,レンガ色をした似たような車である。それが私の横にスッとついて停まった。ドライバーは女性。30代半ばから後半くらいだろうか。私に声をかけてきた。
「どちらですか?」
「海水浴場のほうに行こうと思って」
「それじゃ,あの土地改良をやっている辺りですよ」
「そうですか。ありがとうございます」
なるほど,工事は土地改良だったのか……いや,そんなことはどーでもいいとして,こんな程度の会話を交わして車は立ち去った。うーん,やっぱりあの防風林を越えていかないと,砂浜には辿りつけないようだ。地図で見るよりも距離はあるようである。はたまた自分の身体を過信してしまっただけかもしれない。いずれにせよ,今後もひたすら歩き続けることを考えて,まずはウーグ浜散策は断念する。まあ,どこかで海を見られれば今回はいいことにしようか。

そのまま15分ほど道を南下し続けると,集落に入った。家はいずれもコンクリートの平屋建て。石垣は普通のブロック塀と琉球石灰岩の石垣が半々の割合といったところか。たまーに,赤瓦に木造の昔ながらの民家も見えたし,1〜2軒だが民宿もある。そんな中で印象に残ったのは,建設会社と民宿を兼ねた「山伊」という民宿。テリのついたレンガ造りの立派な家だ。島でも有数の大きな家ではないか。屋上テラス付きで,脇についた立派な階段から上がっていく。おそらく,民宿は副業であり,「本業の建設業でここまで立派な家を建てました」という経緯を想像させる。
プラプラとテキトーに路地を折れると,コンクリートでできた小屋以外,何もない敷地の中に大きな囲炉裏鉢のような石がめを二つ発見。小屋は一瞬御嶽かと思った。中はよく見えないが,衣類がかかっていただけのようだったから,ホントにただの小屋であろうと思われる。一方の石は直径60〜70cmほど,高さは50cmほどか。中に少しばかりの水が溜まっている。
石は「トゥージ」と呼ばれる水がめだ。島の西側にある海辺の岩をくりぬいたものだという。石灰岩でできた沖縄離島特有の水の乏しさと,それに対する知恵を象徴する器具である。手や顔を洗うなど日常生活用に使うもの,農作物を洗うもの,海水を汲んできて塩を取るために使ったものなど,用途別に使い分けしたとのことだ。どうやら,一家にいくつもの石を置いていたようだ。
いまは,さっき見てきたような人工池に取って代わられているのだろうし,上下水道くらいあるだろう。でも,昔はその西側の海辺から岩をくり船2隻で挟んで港まで運び,陸に揚げてからは,その船の帆柱を使って(支え棒にでもしたのか),50〜60人の大人が交替で家まで運んだそうだ。ということは,かなりの重さがあるのだろう。代々長男が遺産として受け継いだそうだが,運ぶ苦労を考えると,たかが石がめと言ってはならない。島では立派な“財産”として認知されていたのである。
南側を見れば道が突き当たり,青い景色が広がっている。海がかなり近いのだ。ナンタカンダで南端まて来ていたのだ。そして,風の音の中からプロペラの音も聞こえた。見上げると,私を乗せたセスナが折り返して那覇に飛んでいくところだった。あと数時間後,夕方に乗るセスナも無事飛んでくれることを願いたいが……ま,大丈夫か。
地図で確認したところ,ここからフェリーターミナルは近いようだ。村の中心部も,フェリーターミナルよりはやや西側だが,それほど遠くないところまで来ているようである。その一方,白砂の浜も地図で見る限りは近い感じがしてきた。とりあえず東に向かって歩いていたが,集落が途切れた。そして,その先にも道はまだかなり続いていく模様だ。これにて完全に白砂の海岸はあきらめることにした。ま,さっきあきらめたはずだったのではあるが,往生際が悪いのは私の哀しい性である。
とりあえず,その集落を引き続きさまよい続けることにすると,デイゴやガジュマルの林を発見。近づくと,路地の奥に祠みたいなものが見えた。もしかして…と思って入っていってみると,案の定御嶽があった。セメントで固められた10m四方くらいの広場には大きな水たまりがあったが,またいでいくと奥にコンクリートの祠。幅・高さは2〜3m,高さも同じくらい。中には香炉が二つと,何かを生けるためのコップと,なぜか1リットルのペットボトルの「DAKARA」が逆さに置かれていた。
そのまま海岸沿いの通りに出る。海は強風とともに,波が激しく打ち寄せている。通りは県道粟国港線だ。県道といっても,車がギリギリ1台すれ違えるかどうかという程度の道。道が狭いのは,古くからある集落ということか。路地から出て右は公共の建物っぽい建物がちらほら見える。そして左を見ると,赤い鳥居がある神社を発見する。これは「観音堂」である。隣の敷地では,地元のおじさんたちが何か作業をしている。工事関係者だろうか。
とりあえず,観音堂の敷地の中に入る。鳥居は立派なものだが,脇からも入れてしまうので,そこから入る。壁に足場が組まれており,どうやら工事中のようだった。その壁にはかつて建て替えでもしたのか,工事会社のプレートがかかっていた。赤瓦に白壁と朱塗りの柱は,スタンダードな神社っぽいが,多分鉄筋コンクリート製であることは容易に想像できる。大きさは幅・奥行き・高さとも3〜4mほどか。アルミサッシの扉が閉ざされているが,真ん中にわずかな隙間を残している。なので,そこからのぞいてみると,奥に小さな石碑と香炉,手前にゴザが3枚敷いてあるのが見えた。
メモを取っていると,おじさんから声をかけられる。突然で,一瞬ヒヤッとした。見た感じは60歳代後半か,はたまたもう少し上か。背は小柄で下を見ると裸足である。作業着を着ていたから,多分隣で作業していた人の1人だろう。「何か調査でもされてるんですか?」と聞かれたので,「いや,メモを取っているんです」と答える。デジカメならば写して一瞬で立ち去れるだろうが,メモるからそこにしばらくいることになるわけで,それをずっと不思議に見ていたのかもしれない。
「こういう寺とかを見るのが好きなんですか?」
「いや,島で面白そうなものを見ようかと……」
こうやって“尋問”されるのはちょいとツラい。決して悪く書こうと思っているわけではないのだが,ありのままを書こうと思っているだけに,テキトーにごまかせば済むのだろうが,どこか不安になってくる。彼にどの程度のコンピュータ・リテラシーがあるのか分からないが,ミョーに“ホームページ”という言葉を出すのも気がひけてしまう。
「これ,中が見られると思いますよ」
そう言うと,おじさんは少し錆びかげんな扉を開けてくれた。改めて中を見ると,さっき書いたものがあって,あと手前左にペンキなどの工具が置かれたままだった。それ以外は何もない。ごくシンプルといえば聞こえはいいだろうが,一体何が・どこがどういう意義があるのかが,まったく伝わってこない。後で調べたところ,数m先にあったのでよく見えなかったが,どうやら石碑には梵字が書かれていたようだ。島の人が旅に出るあるいは戻ったとき,また島外で生まれた子供が初めて島に来るときに拝んだとのことだ。ふーん。
「ほれ,あそこにヒビがあるでしょう。南風が強くて,
参っちゃう。いま補修工事をしてるんですよ。」
なるほど,奥のほうにヒビが入っているのがよく見える。ましてや,ここは目の前に何も遮るものがなく,数mで海である。一度補修したというのは,あるいは木造だったのをコンクリートに造りかえたってことか。元々いつ建てられたのか分からないが,これで木造だったらば,もっとボロボロに朽ち果ててしまいそうな感じだ。そういえば,赤瓦に木造の家は少し内陸に入ったところにあったと思う。道沿いにあるのは,見える限りはみんな鉄筋コンクリート製のようである。
「ま,こんな何もない島で……ヒヒヒ」
「いやいや…」
「あと,あそこのデイゴの下にも小さいけど拝所が
あるんです。イヒヒ」
「あ,さっき見てきました」
ちょっと恥ずかしそうに,おじさんはヒヒヒと笑いながら言って去っていく。テキトーに言葉は返してはおいたが,そういえば沖縄奄美に来始めたころ,どっかの空港のロビーで「粟国ねぇ……あそこはホン…ットに(と,少し力を込めて)何もないとこだよー」と,多分自身もウチナンチュであろうと思われるオジイが言っていたのが強烈に印象に残っている。ウチナンチュ(であろう人)が言っていたから,どことなく説得力があって耳に残ったのだ。そして,おそらく地元の人間であろうおじさんからも同じ言葉が出た。ということはやっぱり,この島は何もない島ってことなのだろうか。(中編につづく)

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