沖縄標準旅(全9回)

(9)名護から那覇まで
本日は,名護からバスにて那覇へ。那覇市内見学後,飛行機にて石垣へ行き,大晦日を石垣にて過ごすという日程だ。7時40分発の20系統・那覇バスターミナル行,通称・名護西線に乗車。バスはひたすら国道58号線を南下するルートを取る。
世冨慶にて,1・2日目に利用した国道329号線と分かれ,右に東シナ海を見ながら走行する。片道3車線と広く,ドライブには持ってこいである。間もなく数久田(すくた)バス停を通過すると,次の許田バス停までは2〜3キロ停まらないが,もっとも集落もなさげなのでそれでよいのかもしれない。許田は沖縄自動車道の終点。その高速道に広さを持って行かれた国道は,この先片道1車線となる。

ブセナリゾートを過ぎて,名護市から恩納村へ入る。かの有名な万座毛の前に,かりゆしビーチ,みゆきビーチ,瀬良垣(せらがき)ビーチを通る。こういうリゾートホテルでボーッとする休暇というのを,いまだに経験したことがない。何か急かされてどこかに行かないと気が済まない。小学校時代に山のリゾートでは四万温泉の,いまはすっかり高級旅館になってしまった田村旅館,海のそれは熱川温泉の熱川ハイツに,祖父母と毎年行った記憶がある。しかし,どうしても退屈になってしまうのが関の山だった。そういう性分なのだろうか。ある意味,損な性格かもしれない。
間もなく恩納村の中心地。すぐ手前の万座ビーチのリゾートホテルなぞは華やかそうだ。ちなみに,ビーチの対岸にある万座毛(まんざもう)は断崖絶壁の岬で,前回旅行で訪れた。村役場の辺りで下車して行った記憶がある。一方,その役場付近の街の中心自体は大したことがない。やんばるの村みたいな「共同店+2〜3軒」(第3回参照)ということはないが,有名なリゾート地にしてはいささかお粗末な気はする。
しばらく南下すると,タイガービーチ,ムーンビーチとまたリゾート群が出現。ここいらも賑やかだ。そして不思議っちゃ不思議だが,レンタカー店がリゾートには付き物だ。もっとも街の中心には人が来ないから,リゾート直結にしたほうが採算がいろんな意味で取れるのだろう。さらに琉球村。ここは民俗系の巨大な資料館で,見所も多い。前回旅行でやはり来て,土産物を買ったような。

ここいらからは海を完全に離れて,村も読谷(よみたん)村となる。恩納村では2度ほどバイパスから離れて旧道を通り,またバイパスにくっついたりを繰り返したが,完全に片道2車線の広い幹線道路がずーっと続く。右にはちょこちょこ建物が出てくるが,左には広大な緑が生い茂る。おそらくは米軍の土地かもしれない。
そして嘉手納町。町に入るといきなりと言っていいくらい,商業施設が増える。間もなく円形のロータリーが出現し,左にカーブを切る。“円”の中には建物が多く,銀行もある。
やがて左側が再び森になる。嘉手納基地である。日本人在沖米軍基地内就職者トップの場所だ(第2回参照)。この基地の向こうには,1日目に行った沖縄市があるだろう。右を見ると,郊外型の店舗が見られるが,マック,シェーキーズ,A&Wなど外資系のファーストフード店である。嘉手納基地といっても,南の北谷(ちゃたん)町にも土地を占めていて,こっちにも外資系のファーストフード店が多い。
そしてこれも多いのが,中古車店,インポートマート,家具店。特に家具店は「FURNITURE」と英語表記。個人店でも英語併記のところがちらほら見られるから,結構,米軍関係者がいい客だったりするのだろう。ちなみに,北谷町役場はその基地の南,これまた米軍のキャンプ桑江の敷地に囲まれるように立っていて,道の入口には金網がある(開いていたが)。こんな役場も珍しかろう。ふと見た看板には,「違反者は日本の法律により罰せられる」とか書いてあった。

キャンプ桑江,その南に宜野湾市までまたがるキャンプ瑞慶覧(ずけらん)はともに,国際教育学院(第2回参照)のパンフレットにある,日本人在沖米軍基地内就職の主要施設に掲げられており,特にキャンプ瑞慶覧は,嘉手納基地に次いで第2位の従業員数である(嘉手納2690人,瑞慶覧1956人。1999年現在)。
で,宜野湾市。キャンプ瑞慶覧の南に控えるは,あの有名な普天間基地だ。地図でみると,普天間基地は滋賀県における琵琶湖のように,市のど真ん中にどーんと鎮座する。何度となく取り沙汰される基地問題。第2回でもちらっと触れたが,こういうところに“お世話になっている”日本人(地元沖縄人)が何千人もいる現状を考えれば,無くすことはおろか,移転すらも難しかろう。単純に,移転したら通勤手当(マイカー通勤なら「燃料手当」か)が増えるだとか,通えなくなったら寮を造って手当云々……。米軍の財政がどの程度なのかは分からないが,1人2人の日本人,あるいは米軍関係者が苦労してくれれば済む問題ではないのだろう。

浦添市。北の宜野湾市も含めて,近くに那覇市があってベッドタウンみたいになっているのか,国道を1本外れたところにマンションが増える。バスの乗客も,私のように名護から通しで乗った人間はいないものの,市内から乗車する人間がちらほら出てくる。浦添市では,心なしか英語標記の建物が少なくなったような気がするが,気のせいかもしれない。
ここ浦添にも,海沿いに米軍牧港(まきみなと)補給地区がある。ここは上述の米軍日本人従業員数第3位(1999年現在,1177人)の規模だ。国道58号線だけでなく,路地を1本中に入れば,ディープな世界を垣間見られるかもしれない。
那覇市に入って,安謝(あじゃ)交差点。ここを右折すると那覇新港があり,東京・大阪あるいは石垣など,長距離の船舶はここから乗船する。前回旅行では,ここを数度通った。前回旅行では大阪から那覇に入ったが,港を下りるとあちこちからタクシーの勧誘があり,当時から疑い深い人間であった私は,それらを振り切ってバスに乗った記憶がある。
やがて,泊(とまり)高橋の交差点で左折,県道に入る。ここ泊からは久米島など近場の離島行の船が出る。一方で,街中は俄然10階以上の商業ビルが増えてくる。そして9時27分,那覇市・国際通りの北の玄関口,安里(あさと)にて下車する。

(10)那覇市
@国際通りpart1と福州園
さぞかし広いのかと思っていた国際通りだが,両側に店舗がびっしり並ぶものの,道路は片道1車線。古い通りだけに拡張もムリだろう。前回旅行では首里しか行っていないので,ここは初めてなのだ。時間が早いので,周囲を見渡せばシャッターが下りているところが多いが,ひとまず南の玄関口である松尾(まつお)まで歩いていくことにする。
見て行くと目立つのが,琉球料理店と土産店。ここまで多いと目移りすること必至だ。9時半だと開いているところも多いが,まだ2泊あるし荷物になるので,ここで買ってしまうわけにはいかない。たまに,ファーストフード店など東京にもあるチェーン店を見ると,大げさではなく,ここが日本であることを実感するほど,琉球の色が濃い。地方の県庁所在地では,ただでさえ個性のない普通の個人商店が多いのに,なまじ都市化しようとしてまずファッションビルをランドマーク的に建て,結果商店はもちろん,土産店までがものすごくみすぼらしく見えるケースがよくあるが,ここはそれがない。みんながみんな,赤だ黄色だと派手な色使いで存在感をアピールしている。

途中,牧志(まきし)にて沖縄都市モノレールが高架線で交差する。モノレールの路線図を見ると,メインストリートの国際通りの1本北を通っていく。国際通りの最寄りで出入りするには,ここ牧志か,松尾のそばにある「県庁前」駅となり,いわば“点”で接する格好。せっかくの都市モノレールなのにもったいないと思っていたが,ホームページを見れば,交通渋滞等を勘案して国際通りを外したようである。この,お世辞にも広い通りとは言えない状況では,そりゃそうだろうと納得はした。
三越と平和通り商店街,OPAと市場本通街。どこにでもある,デパートとその土地ならではの商店街。後者は特にディープそうだ。引っ付いているのは偶然だろうが,このコントラストは面白い。平和通り商店街にはちらっと入ったが、まだ開いていない店が多いので,後でまた来ようか。
と,ここいらでちらっと「タコライス」の看板を目にした。そういや名前は兼ねてから聞いていたが,頭の中にある「食の構想」からは,完全に外れていた。今日の宿泊先・石垣では,大晦日ゆえ琉球料理のフルコースを堪能しようとか考えていたので,昼はソーキそばあたりでさらっととか思っていた。しかし,タコライスという,いかにも日本人らしいB級グルメの名前が私を惹きつける。この衝撃,長崎でトルコライスに出会ったときのそれと似ている。石垣でタコライスを食える保証はない。今日の昼はタコライスを食することに決める。
そうこうしているうちに松尾を過ぎ,国際通りは終わってしまった。交差する道は俄然広くなり,いかにも近代都市という感じだ。交差点そばにある「パレットくもじ」なる高層ビルは,いかにもインテリジェントビルだ。これに対し,いま歩いてきた国際通りの建物は,どこかアナログで泥臭い匂いを残している。これもいいコントラストだと思う。

交差点を右折して海に向かう。沖縄都市モノレールと交差する。まだ工事中だ。そして,国道58号線。地方の県庁所在地の中枢機能部分によくある,3車線道路と10階建て前後のインテリジェントビルという光景だ。
しかし,この交差点を過ぎると,商業施設がぐーんと少なくなる。3〜4階の個人ビルばかりだ。と同時に,雨がポツポツ降ってくる。折り畳み傘をさすが,5分もするとまたやんでしまう。この時期は,天候が不安定のようだ。
しばらくすると福州園という庭園。史跡を愛でない私にしては珍しく,厳かそうな門に惹かれて入る。入園料は無料。その名の通り,中国・福州市と那覇市の友好都市締結10周年と,那覇市制施行70周年の記念事業でできた庭園である。
中はさしずめ“箱庭中国”という感じだ。国際通りから2キロ近く歩いたのと,朝の眠気。それに加えて,庭園という癒しのスポット。上述のように史跡を愛でない私も歩みがのろくなり,池だ館だといろいろと見てしまう。
と,滝の落ちる音。「冶亭」という名前。小高い岩場の上に,中国風の屋根がある東屋である。その岩場と東屋の間から,結構な水量が落ちているのだ。岩場は中に入れるようなので入っていくと,滝の裏側も見られる。そこを通りぬけることもできるが,水飛沫があるので引き返す。とはいえ,陽が出てきて浴びても支障がないくらいの暖かさである。夏場だったらさぞかし気持ちよいだろう。岩場を階段で上って,東屋でしばし休憩する。

福州園を出て,さらに海に向かう。波之上ビーチとかいろいろありそうだ。と,また雨である。一旦しまった折り畳み傘をまたさす。すると今度は本降りだ。しまいには風も出てきて,先に進む気持ちがそがれてしまった。仕方なく来た道を引き返す。
それにしても,強風と激しい雨だ。傘がしばし裏返しにもなる。国際通りまで1kmあるかないかだから,歩いて行こうと思えば行ける距離だが,それすらどーでもよくなってしまう。少し歩いて「商業高校前」というバス停があるので,ここでバスが来るまでしばらく雨宿りである。
十数分してバスが来る。風は止んだが,雨はまだ本降りだ。来たバスは5系統・識名(しきな)線の牧志廻りだ。この路線をはじめ,市内線と呼ばれる路線のいくつかは,牧志廻り・開南(かいなん)廻りの2種類がある。ちょいとややこしいけど,慣れればどうってことないのだろう。
どうやらこの雨はやみそうにない。時間が余ったら,郊外に行こうと思っていたが,石垣行の飛行機は16時30分発。羽田でのことを考えたら1時間前には行っていたほうが賢明だ。こうなったら,ひたすら商店街めぐりをしてみようか。(第5回につづく)

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