なぜか沖縄
 
 
そのまま進んでいくと、島の景勝地「ティンタハナタ」に出た。
  
その昔、島の“怪力女酋長”と言われた「サンアイイソバ」(詳細は「沖縄はじっこ旅」第6回参照)が棲んでいたとされる。
  
奇岩がせり出すその下に、拝所があったりする。
  
その奇岩からは清水も湧き出していた。きれいなんだとは思うが、口はつけなかった。

そのそばにあった八重山出身の詩人・伊波南哲氏(いばなんてつ、1902-76)による「讃・与那国島」というレリーフ。「荒潮の息吹きに濡れて/千古の伝説をはらみ/美と力を兼ね備へた/南海の防壁与那国島(中略)おお汝は/黙々として/皇国南海の領護に挺身する/沈まざる二十五万瀬の航空母艦だ 紀元二千六百三年三月」――と、思いっきり戦意高揚の内容である。「紀元2603年」なんて書いていること自体が、何とも“右寄り”であるが、西暦でいうと1943年に当たる。ちょうど太平洋戦争の真っ只中だ。
ちなみに沖縄では、この年の夏から各島で軍の飛行場建設が始まっている。やがて、翌年3月には「沖縄守備軍」が結成され、10月には那覇で空襲が起こる。まさしく、伊波氏言うところの「南海の防壁」になっていくわけだが、考えてみれば自分のホームグラウンドが戦争で荒らされるわけである。はたして、彼にとって本意だったのか、それとも“書かされたのか”が興味深いところではある(以上、「沖縄はじっこ旅」第6回よりママ抜粋)。
 
ベンチより島の中心部・祖納(そない)集落を見下ろす。まるでジオラマのような写真が撮れた。
   
その祖納集落に下りる。こう見ると、ティンタハナタは要塞そのもの。ハリウッド映画のセットにでも出てきそうだ。ナンタ浜(右上)より撮影。
  
祖納集落=与那国町=与那国島のメインストリート。日曜日の午後だからか、何とものどかというか静かというか。
  
ホンモノの島の診療所は、Dr.コトー診療所(前回参照)よりもしっかりした造りだ。
  
町役場を裏側から撮影したもの(左上。正面からは撮らずじまいだった)と、島でいちばん大きい「ふくやまスーパー」。
  
店内はこんな感じである。生活雑貨全般がそろう。
 
西果て(さいはて)の島にも「ボジョレー・ヌーヴォー」はやってくる。世界ははてしなく広いが、世間は案外狭いものかもしれない。
  
与那国島のボジョレー・ヌーヴォーではあるまいが、島酒「どなん」の製造元・国泉泡盛。たしか、度数が60度…あ、あれは「花酒」か。っつーか、めっちゃアルコールじゃん。
  
マーチは集落から東へ進路を取る。その際、集落の北にある「浦野墓地群」を通った。
上の写真では分かりづらいだろうが、生で間近で見ると、結構シュールな芸術の世界である。
  
その墓地群随一のスポット「プチ凱旋門」。これも墓である。右上の建物は、さしずめ墓石みたいなものか。某航空会社のお偉いさんが眠っているとかいないとか?
  
マーチが荒野を東に向かって駆け抜ける。ただ孤独に。
  
与那国島の東端「東崎(あがりざき)」付近は、これまた牧草地。間近で見た馬は、もしかして与那国馬か?
  
その与那国馬を見たのは、かつて海を監視した番所跡「ダディクチディ」のそばで。石垣の中には拝所があった。
  
牛が道路のそばまで出てきた…というか、ここでは私が彼ら牛馬の陣地に入り込んだ形なのかもしれない。2004年にここに来たときは、大勢の馬が道路の上を一斉に横断していたくらいだ。
  
東崎に到着。初めて分かったんですが、崖の下にも見学場所があったんですね。
  
東(崎の東)屋まで行くことにする。展望のほうまで行かなくても……。
  
まあ、多少視点が変わるだろうけど、こういう眺望とさして変わらないでしょう。
  
さて、ホントはこの道を逆方向から「サンニヌ台」「立神台」の2か所景勝地を見て、東崎に来る予定だったが、通行止めだったので(中編参照)、お目当ての「サンニヌ台」「立神台」の2か所を観に行こう。
  
だが、サンニヌ台は通行止め。東屋から階段状の断崖が見えるらしい。
  
さらには、道が砂利道…になっていたのはわずかだったが、何はともあれ立神岩展望台へ。
  
右上の写真中央にせせりたった岩が立神岩かと思ったら、どうも違ったらしい。何やってるんだか。そういや、写真の右上にある断崖あたりまで、さっき海底遺跡を観に来ていたわけだ(前編参照)。上の断崖と海底遺跡とで似たような地形が見られるそうで、関連性を指摘する声もあるという。
  
これで観るべきは観たので、来た道より1本内陸の道で祖納集落へ戻ることに。その道中で牛さんと遭遇。
  
ヤギのジェシカさんは、主の作業が終わるまで道端で監禁状態。何が言いたかったかというと、ただ「道端ジェシカ」という響きを味わいたかっただけ(「だから?」とか言わないでください。ちなみに、実在の若手女性タレントです)。
  
狭い路地を縫って、集落の御嶽(左上)の前を通過して海沿いの道へ。2004年にも寄った「与那国民俗資料館」に今回も寄ろうと思ったが、何だか閉館でもしてしまったのか、もぬけの殻であった(右上茶色の建物)。
  
時間は16時になっていないが、もう観たいものは観てしまった。ガソリンスタンドで給油後、いったん空港を通過して、久部良集落(前編参照)の手前にあるダンヌ浜へ。もっとも、ウダウダする相手がいるわけでもなく、とっとと立ち去ってしまったが。
 
結局、空港には16時ちょい過ぎに到着。
  
RACの飛行機は那覇空港まで。那覇空港で35分の乗り継ぎ時間があるが、万一遅れるとかでおまんま食い上げになることもなきにしもあらず。空港のレストランで、暇つぶしもかねて早い夕食に「与那国そば定食」を食す。700円。名前はもっともらしいが、ただの沖縄そばだった。
  
あとはやることもなく、時間をただいたずらにつぶしていたが、いざ搭乗開始時刻になると、大相撲九州場所の優勝決定戦「白鵬―安馬(現・日馬富士)」戦がまさに始まるところ。18時15分前だったので、「まだ余裕だろう」と思っていたら、よりにもよって“がっぷりよつ”と来たもんだ。
 
白熱の勝負の末、白鵬の勝利&優勝を見届けてから「あー、これですっきりした」と搭乗するありさまに、私も含めてみな苦笑するしかなかった。千秋楽で相撲の取組時間が前倒しになっていたが、これって私には何気によかったのかもしれない。(「西果てへGO」おわり)

 
 
  中編へ
  西果てへGOのトップへ
  ようやくカメラを使うようになりましたへ
  ホームページのトップへ