なぜか沖縄
 
 
石垣空港9時50分到着は、見事な定時到着! 羽田からの3時間半のフライトがいやに長く感じたが、それもこれも30分という、長いようで意外とあっという間のトランジットにプレッシャーを感じていたからかもしれない。
 
今回の旅では、石垣島は完全にトランジットだけ。与那国島までの30分のフライトがまだあるのだ。

ふと、ローカルドリンク「ゲンキクール」を思い出して売店を見たが、黄色の飲み物は残念ながら473mlのしかなかった。ヨーグルト飲料みたいなやつで、4時半前の朝食ゆえ小腹がすきはじめていたからだが、さすがに473mlも飲みたいと思わなかった。

右奥に見えるのは、さっきまで乗っていた羽田からの飛行機。その向こうに与那国行きの飛行機がいる。なので、そこまでバスで向かうことになる。
 
西表島の海中道路を眺める。にしても、相当な赤土が流れ込んでいるようだ。海中道路の左側が上原・船浦といった島の主要な集落。手前側にはピナイサーラの滝があって、広大なジャングルが広がる。

こちらは鳩間島。ドラマ「瑠璃の島」の舞台で、個人的には2006年6月に訪れている(「沖縄 SEE YOU!」第3回第4回参照)。

石垣島から30分、与那国空港に到着。2004年5月以来、通算3度目である。
 
そのときにも借りた米浜レンタカーで、今回も車を借りることになる。地図つきで5000円。帰りは18時の那覇行きRAC。17時までに返却するように、とのことだった。
 
17時まで6時間の旅のおともは、ショコラブラウンのマーチ。カバーシートがハローキティだった。

12時に用事があるが、方向が同じことでもあるし、ますは日本最西端に向かうことにしようか。
 
途中通った久部良(くぶら)港には、「フェリーよなぐに」が停泊していた。週2便の航行で片道4時間。なかなか乗る機会がない……というか、たぶん一生乗らないと思う。
 
フェリーの隣にあった漁船の向こうに、目的地である日本最西端「西崎(いりざき)」の丘が見えた。
 
駐車場にマーチを止めて、スロープを上がる。右上は「日本最西端の公衆トイレ」……ってか、「日本全国にあるトイレの最西端」でもあるのか。あ、でも灯台にトイレがあるかも(笑)。
 
ブログにもトップページにも載せた「日本最西端の碑」。すなわち、日本の「西果て(さいはて)」。その隣には「太陽の火の碑」。時は2008年11月23日11時12分。あるいは、時間をあと11分遅らせるべきだった!?(笑)
 
航海用に立つ西崎灯台の向こうには、上手くすると台湾が見えるそうだが、残念ながらはてしない水平線のみ。あとで写真で確認したら、かなりでっかく島影が映っていたが、かえって蜃気楼みたいな感じで、どっかインチキ臭くも映った(いや、ホントに)。
 
東京から2112km。片道5時間、しかも日帰りまでできちゃうとは、文明の利器というか、オレが可笑しいというか、いやはや何というか(なんのこっちゃ)。
 
いっちょまえに、カーナビも西果てをしっかり指していた。

先ほどフェリーを見た港もある、久部良集落に戻ろうか。
 
「観光ホテル」と言うけれどさ……。右上は漁協。多分、「Dr.コトー診療所」で出てくる漁協のシーンは、ここで撮影したものだと勝手に決め込む。
 
久部良集落の北側にある「久部良バリ」に寄ってみることにしよう。
 
いかにも、その由来がぴったりの荒涼感。そんな場所にやや場違いな「日本最後の夕日が見える丘」の碑。どうせなら、西崎に置いたほうがいいんじゃないの?
 
その久部良バリ、実は人間淘汰の場所とされているのだ。沖縄では「人頭税」という、ある一定の年齢になると強制的に税を課す税制が、1903年まで実際に敷かれていた。台風や干ばつなどの自然現象、地理的な条件、各人の属性やハンディキャップなどによる例外をいっさい許さないものであったため、追いつめられて人間淘汰に走るのは、ある意味“自然の成り行き”であったのかもしれない。

幅2〜3m、深さ測定不能のこの裂け目をジャンプされられる目に遭ったのは、何と妊婦だった。落ちれば死に、生き残れても流産……人を受け入れようにも、島外に助けを求めようにも、別名「渡難(どなん)」とも呼ばれた絶海の孤島・与那国島では、それがままならない。ならば、自分たちで“生産”するしかないのだろうが、これではその生産すらままならない――どこまで真実なのかは知りようもないのだが、仮にそんな矛盾が起こっても不思議でないくらい、島民は追い詰められていたのだろうし(「沖縄はじっこ旅」第4回参照)、またそれほどに「人頭税」は過酷な税制でもあったのだ。
 
さあ、用事の場所に向かおうか。久部良は日本最西端の集落。上記のトイレもそうだが、あらゆるものに「最西端」の枕がついてまわる。
 
フェリーのいた港とは少し離れた桟橋に着いたのは、11時40分。「海」の文字が切れてしまったが、与那国島にある“海底遺跡”を見るツアーに参加するべく、半潜水艇「ジャックスドルフィン号」に乗るのだ。これが、今回の旅のメイン。前回の与那国島訪問時にできれば参加したかったし、機会は大いにうかがっていたのであるが、結局4年半かかってしまった(「沖縄はじっこ旅」第4回参照)
 
海底遺跡の地図と、解説を聞くための器具が渡される(ともに要返却)。
 
当初正午出港ということだったが、全員乗船すると正午を待たず、12〜13分フライングで出港。

さっき寄った日本最西端のさらに西側をぐるっと回って、ジャックスドルフィン号は島の南側を東進していく。
 
避難港。基本は、先ほど出港した久部良港か、あとで寄る予定の祖納(そない)港が島の港なのだが、いずれも島の北側に位置する。冬は風速20mもの風が吹くことがあり、そうなると島の北側に船をつけられないため、この避難港に船をつけることになるという。

ここもあとで寄る比川(ひかわ)集落。山がちな島の窪みに集落ができているのがよく分かる。

出港して25分。遺跡のある島の南東部に到着すると、エンジンが止まった。
 
ここで船底に向かう。エンジンが止まっているとはいえ、高い波にあおられて揺れまくり、身体をあちこち打ちつけながら階段を下りていく。
 
船底の窓から見る景色。全員が船底に移ると、エンジンが再び噴射して遺跡を左右に移動するのだが、その際のあわで結構見づらかったりした。
 
ところどころ、自然の力でついたにはやや不自然な線や窪み・段差などが、このオブジェを想像をかきたてる“遺跡”たらしめているのである。ちなみに、左上の写真に写った白いごみ袋っぽいのは、お魚さんである。
 
これで、ツアー参加代6000円。高いのか妥当なのか分からないが、少なくとも言えるのは、結局上っ面しか見られないので、立体的な迫力が分からないということだ。となると、ホントのスケールや迫力は、ダイビングで深く潜って確認するしかない。

ま、船底で揺らされて酔ったお客にとっては、そんなこと以前に「とっとと帰りたい」という感想しか持てなかっただろうけどね。(中編につづく)

 
 
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