6年行ってなかったのね 第4回

  
海寄りに進路を変えつつ、島を順調に北上していく。
  
どっかの港に紛れ込みつつ、
  
さとうきび畑の中を通り抜けて、
  
何だか妙にきれいな学校の前を通過し……たけど、気になったのでもう1回戻って写真を撮って、
 
細い坂道を入って、沖縄風のお墓を左に見たその裏に、
  
「世之主の墓」を発見。6年前は、さまよったあげくついに辿り着けなかった場所だ。
   
15世紀ごろ、沖永良部島は与論島とともに、琉球3王朝の一つ北山朝の世之主(せのぬし=島主)によって統治された時期があった。その世之主と親族が眠っているとされる琉球式の墓。中には入れず、外から眺めることになる。
 
その墓前の坂道を上がりきったところに、越山公園という公園がある。やはり6年前に立ち寄れなかったので、ここも寄ってみる。
  
こんな感じで街の方を観ることができる。
  
とはいえ、眺望よりもむしろ、看板や石碑や、
  
モニュメントのほうが案外目立ったりする(単に写真が多いから?)。
  
越山公園から下りてきて、すっかり草で分からなくなった「戦車壕」の前を通過し、
  
畑地を通りつつ、のどかな海岸線に再び近づいていって、
 
いよいよ、青い空と青い海、南の島らしい「ワンジョビーチ」へ。
  
女性3人が波打ち際で戯れる。その水の透き通りぶりとともに、気持ちがなごむ。
  
岩場が連なる沖永良部島のなかでも、結構大きい白砂のビーチである。
  
「農地銀行畦布支店」とよく分からない銀行前を過ぎ、再び北上。
  
「西郷隆盛上陸の地」とされる伊延港に到着。島津藩主・島津久光の怒りを買って流刑に遭ったのは1862年のこと。とはいえ、そこはVIP。島の代官らから乗馬を勧められたが、「沖永良部の土を踏ませてくれ」とこれを拒み、“一里の道”を和泊まで歩いたとされる。
  
その一里…あるのか知らないけど、昨日通過した和泊に行ってみようか。
  
和泊町のメインストリート。右手が商店街、左手が街道筋。地名で言うと「手々知名」。知名町ではないのに「知名」とついているのが謎っちゃ謎だ(深くは突っ込むつもりはないが)。
  
日曜日だから…ってわけじゃないけど、やっぱりシャッターストリートである。
   
本屋は実はメインストリートから外れた場所にある。右の「ワコー」はさしずめ「スーパー」「雑貨屋」の位置づけか。中には入らなかったが。
  
そのスーパーだか雑貨屋の前に、弁当の「ワコー」があったので、ここで500円の「野菜炒め弁当」を買う。盛は結構あったが、卵以外は全部野菜。野菜炒めは、肉片の一つも入っているのかと思ったら、まったく入っていなかった。
  
で、西郷ドン関連の史跡。まずは南洲神社。6年前も来ている。
  
こんなところにも西郷どんの銅像が。てっきり、この祠が西郷どんが幽閉された場所かと思っていたら、思いっきり違っていた。
  
その祠のそばには、京セラ名誉会長「イヤならやめろ」稲盛和夫氏の来島記念フクギ植樹碑と、誰か忘れたけど胸像がありました。
 
で、その西郷ドンが実際いたところは、橋を渡って対岸。6年前はこの存在を知らなかった。
  
敷地自体は結構広くて、
  
まあ、こんな立派な石碑が2つも建てられているが、
  
実際いたのは、広さ2坪のこんな粗末な小屋だった。これまた代官らは酒宴を用意しようとしたが、これまた西郷ドンは拒んで自ら進んで牢屋に入った。日に日にやせ細って、やむにやまれず代官らの一人の家に居候させたそうだ。
  
まあ、そんなようなことが説明板にも書いてありましたよ(笑)。
  
「操坦勁」は「みさおたんけい」と読む。西郷ドンは流刑の身だったこの島で、島民らに学問を教えたりした。島の子供だった操は、学問を受けた1人。「先生」とあるが、ネットでいろいろ見る限り、学問の道に進んだ人のようだ。流刑時のエピソードからも清廉潔白な人間性をうかがわせる西郷ドンが、様々な人間に影響を与えている一例ということか。
  
西郷ドンの史跡を後にして、和泊港へ。港から街の景色を観たりして、
 
去りゆくフェリーを見送った。
  
時間は12時半を超え、そろそろ旅もフィナーレだ。最後に笠石海浜公園へ。
  
砂浜に行く看板は右を指していたが、草むらに入っていったので、まっすぐ親子連れのいる方向に向かうと、
  
砂浜じゃないけど、「やや砂浜」な場所だった。こちらにはこれで十分だ。
  
13時ちょい前。まだ若干の余裕があるので、もう一度昨日見た「日本一のガジュマル」へ。
  
誰もいなかったので、こっそり中へ。横に広がった枝がいつの間にか幹を支える根の役割も果たしているようだ。
  
↑こういう情報は、やっぱり中に入らないと分からないもんだ。
  
13時10分、レンタカーを返して空港へ。島に入る時間が遅れた分、時間の短縮でぎゅーっと濃縮された旅だったが、無事終了した。
 
14時5分発の鹿児島行きの36人乗り飛行機に搭乗。鹿児島空港では沖止めのうえ、東京行きの飛行機とはわずか20分の接続だったが、
 
無事、東京行きの飛行機に搭乗。ただし、「乗ってはいけない人が乗っていた」とかで出発が20分遅れましたとさ。なんのこっちゃ。(「6年行ってなかったのね」おわり)

  
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