…とその前に、国頭小学校の「日本一のガジュマル」を校門の外で拝む。地元の子どもたちと親がいたので、さすがに入り込むわけにもいくまい。
さらに南下。今日の宿泊場所が、空港がある和泊町ではなく、知名町にあることをトヨタレンタカーでもらった地図で再確認したので、和泊町にある西郷隆盛関連の遺跡は明日回しだ。
ウジジ浜は、まあ道中だから軽く寄っておこう。
陸側に目をやると、島がゆるやかな勾配を描いた地形であることに気づく。
看板の写真や下記の案内板にもあるように、ここウジジ浜はカナダの帆船が漂着した場所。その帆船を象ったオブジェが海を見下ろす。
まあ、↑な感じです。帆船の上に上がってみたが、これといって何もなかった。
ウジジ浜から少し進むと墓地群。沖永良部島は、琉球文化の最北限の地とされているが、それを象徴するような本土風の墓と琉球風の墓の“チャンポン”な姿が、何とも興味をそそるものがあった。
そのまま進んで、知名町に入る。閑散とした地方の商店街のモデルみたいだ。
17時半過ぎ、今日の宿「おきえらぶフローラルホテル」に到着。正面からのリゾートチックな外観もさることながら、海側から見た湾曲がことさら印象的と思える建物。
道路沿いにもあった鉄砲ユリがお出迎え。今日は団体さんが多いようだ。
建物の裏手はこんな感じで大海原が広がっています。
レストランでの夕食は18時からともうすぐだが、街の中心部がすぐそばなので、ちょびっと街中散策をしよう。
「みへでろ館」はお祝い事でもあるのか、洒落た格好をした人たちが続々と中に入っていった。
バス停の錆び具合や店のラインナップが、何というか郷愁を誘う。
見切れてしまいましたが、「時計眼鏡店」って、いま街中じゃ見なくなりましたね〜。
まともそうな飲食店。「のみ放題」って、いくらなんだろうか?
小学校前の横断歩道。ほとんど車が通っていない中、律儀に車道側を赤にして渡っていったチャリ中(=チャリに乗った中学生)がいました
知名町役場(左上)と、斜向かいにあるモービル石油(右上)。
モービル石油の前にあった、知名発電所の碑(左上)と井戸跡(右上)。
その碑と井戸跡の隣にあった沖永良部バス企業団の営業所。すべては一つの交差点をはさんで集中しているというわけです(なんのこっちゃ)。
で、井戸跡の脇の坂を上がると、琉球家屋の茶房が。いきなりあるので、何か異質である。
その茶房の上に階段があり、上がっていくと「はみやま神社」なる神社が。
沖縄風の御嶽とは違って、造りは完全に本土の神社である。
鳥居の赤が、海や空の青といいコントラストだ。鳥居を除いた好眺望とセットで。
知名町立図書館。18時を少し過ぎていたが、中に人がいるようだった。
その図書館前にあった標語。「あいさつ先手」が、何とも言いたいことを言い得ている。
散策から帰ってきて、レストランで夕食。ゴーヤチャンプルーは沖縄で、さつま揚げは鹿児島と、沖永良部らしいっちゃ沖永良部らしいラインナップのおかず。ビールは全部飲みきれなかったな〜。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌朝は6時になると同時に、最上階の展望風呂へ行く。
実は、部屋を海側でなく山側にしていた。そのほうが500円安いし、ネット予約もできたからだが、やはり海の眺めを望みたくなったのだ。
広い風呂なのかと思ったら、こじんまりした風呂だった。
洋上に上がる朝陽を拝んでとりあえず満足。陸側の景色もこれはこれで悪くない。
朝食はバイキング。チキンナゲット2つ以外は、野菜と魚の健康的な朝食……って、やっぱちょっと量は多いか。
前日はほとんど島内を観られなかったので、8時ちょい前に出発する。
14時の飛行機だから、13時半ごろまで観たいところを観ることに集中するが、何気に見つけた碑なんかはとりあえず写真を撮っておこう。
ま、前回6時間で島内を回り切った経験もあるので、寄り道もきまぐれに……ってなんのこっちゃ。
屋子母(やこも)海岸で一休み。ここにも常陸宮殿下夫婦のご訪問があったようだ。まさか後ろの宿に泊まったとか?
沖永良部島に来て初めての砂浜。南の島に来たら、やはりこれを観ないと。
こういう大らかに広がった景色も好きだったりする。
何もなさげだけど、寄ってみようか。
やっぱり何もなかった。でも、それでもいいと思える、南の島に来たときの気持ちの緩さが、これまた好きだったりする。(第3回につづく)
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