オキナワンクリスマス
昼食後、ホテルでレンタカーを借りて島内ドライブに出ることに。実は運転をするのは、この2月に与論島に行ったとき以来10ヶ月ぶり。今回借りたグレーのスターレット(左)は、カセットデッキがついていて、MDとつなげるアダプターを持ってきたことで、久々にオリジナルMDを聴きながらのドライブとなった。

さて、今回の旅行記のうち南大東島については、志向を変えてテーマ別に書いていこうと思う。ホントであれば時系列で、ドライブで周った順番に「何が起こってどうなった」などと書きたいところだが、このドライブと翌日飛行機の時間までにした中心部散策とで重なるテーマもあるので、時系列で書くのは(いるかどうかは別として)見てくださる方(と何より書いている私)があちこち内容が飛んで混乱してしまうであろうことから、あえてテーマ別とさせていただいた。大まかなテーマとしては、
@南大東島の自然  A南大東島の生い立ち
B南大東島とシュガートレイン  C中心部・在所(ざいしょ)の風景など

という感じだ。順番などもどうなるか分からないが、なるべく整理して書いていきたいと思う。
@南大東島の自然
上空写真で見ると、絶海の孤島であるにもかわらず、他の沖縄の離島と違って、せせこましい感じがなくどこか牧歌的な印象を持つ。島に降り立って周ってみても、どことなく北海道の自然いっぱいなところに身を置いている、もっとピンと来るように言えば、そういう牧歌的な大自然のジオラマの中に身を置いている感覚になってくるのだ。
まあ、それでもある程度島に広さがあるから、そういう雰囲気にさせている部分もあるとは思うが、試しに島の南部の「日の丸山展望台」に上がって見渡してみると、奥に山脈っぽく見える林のおかげで、牧歌的な感じがより分かりやすいと思う。

↑南大東島の上空写真2つ。右の写真上方にある大きな水辺は「大池」という湿地帯。

↑南大東島に多く見られる畑地の光景。どこか牧歌的な印象を持つ。

↓南大東島南部にある「日の丸山展望台」(左)と、展望台から見た中心部・在所の風景(中)と南側の風景(右)。地平線に見える緑のおかげで、これまた牧歌的印象が残る。

↑島の中央にある湿地帯。

そんな牧歌的な光景の要因を探るべく、次は海辺の方向に行ってみる。普通は陸の端っこへ向かうにつれて標高は低くなっていくはずなのが、むしろ登り坂になっているのだ。最終的に海に辿り着くとまた若干低くはなるのであるが、ちょうど陸を縁取るように地形がやや盛り上がっているという印象を持つ。
そこで、上に掲載した日の丸山展望台から在所方面を俯瞰した展望写真であるが、奥のほうが山のように見えるのは、すなわちこの独特の地形の表れである。奥が高くなっているおかげで、海がすぐそこにある感じがせず、広くてのどかな景色が広がっているという牧歌的印象を与えていたのではないか。

(左上)島のメインポート・西港。
下の写真ともども、断崖地形がよく分かる。
(右上)北港。沖に北大東島が見える。
(下)島の南部にある亀池港。
一番海の高さまで掘削されている。

島の西にある塩屋海岸(左下)と島の北にある本場海岸(中)。「海岸」というにはあまりに岩場すぎて、これっぽちの砂浜もない。
島の東にある海軍棒プール(右下)は、そういう海岸地形を利用して作った人工海水プール。今は激しい波で形が分からない。

この盛り上がっている地形は「幕(はぐ)」と呼ばれている。改めて書こうと思うが、南北大東島は八丈島からの移民が開拓した島であり、「はぐ」という言葉も八丈島の方言で「歯茎」を指す。歯茎のような地形だからだそうだが、なるほど分かるような分からないような……ま、それはいいとしても、この「幕地形」が大東島の一種“アイデンティティ”みたいになっているのはたしかだ。

幕の外にある海もこれまた大東島特有で、まさしく「断崖絶壁」である。「砂浜」と呼べるものは一切ない。港は、船を着岸させられるよう掘削されてあるのがよく分かるが、完全に着岸することは船の大きさの都合でできない。よって、少し離れた位置から人や物をクレーンで運ぶのが特徴で、島の名物な光景の一つになっている。「海岸」と呼ばれるところも寄ってみたが、普通イメージするような海岸の雰囲気がおよそなく、「どこが海岸やねん」と突っ込みたくなってしまった。

その他にも、南大東島には面白い景色が見られる。左下の琉球松並木はさておき、島の北にある「バリバリ岩」なんてのは、沖縄の風土であれば「御嶽」になりそうな光景であるが、単なる珍しい景色にとどまっている。ガイド写真は何とも絵画的であるが、実際のところは緑が生い茂ってよく分からない。きっと、写真を撮るにあたって、結構手入れしたんじゃないかと邪推してしまう。個人的には、あとはさとうきび畑をかきわけて入っていくと観られるという地底湖が観たかったが、残念ながら今回もその機会を逸してしまった。
さて、そのバリバリ岩の案内板には、南大東島が1年間に7cm北東に今も移動していることが書かれてあった。翌日、ホテルよしざとの主人に空港まで送ってもらったときに、偶然その話に触れていた。たしか、主人は9cmと言っていたような気がするが、「あと何百万年後には、伊豆になっているかもしれません」と言っていた。八丈島からの移民開拓の島がいよいよ本家に里帰り…なのかどうかは分からない。1年間に7cmということは、10年で70cm。50年で3m50cm。メートルレベルで移動していれば何となく気づくんじゃないかと思って、「今まで『ここにあった』と目印とかしていたものが、そういえば位置がズレているなと思ったなんてことはあるのか?」と聞いたら、ごもっともな答えが返ってきた。「そんな目印なんて、3日もすれば忘れますよ」(第3回につづく)


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あわせて、島にある鍾乳洞「星野洞」を紹介しておく。由来は星野さん家の敷地にあったからで、規模もなかなか大きく見甲斐がある。
入場料800円。入るときには懐中電灯と案内用のラジカセを渡され、中で通路を照らしながら各スポットでラジカセを再生する。先に入っていたお客がいて、同じようにラジカセの解説が聞こえてきたのが間抜けだったが、何とさっき大東寿司を食えなかった若者4人組であった(第1回参照)。
前にここに来たときは、そんなサービスなどなかった。しかも、自分の旅行記で確認したら入場料は300円とある。はて、観光客が増えたとかで味をしめたのか。はたまた懐中電灯とラジカセにかかった代金を取り戻すためなのだろうか(「沖縄・遺産をめぐる旅」第3回参照)。

↑↓星野洞に関する写真5枚。中を照らす懐中電灯と案内用のラジカセ(左下)を持たされて入口(左上)を入る。長い下りスロープ(右上)を下りると、魅惑の鍾乳洞がお出迎え。「2人がくっつくまで、いったい何年かかるのだろう?」と勝手に思いをはせるのもよい(中下)。島が石灰岩でできていることを証明してくれる場所である。