星☆までひとっ飛び

 
男洞をあとにして、ツアーでの名称「大主(うふしゅ)ガジュマル」のあるエリアを目指す。

風葬墓。遺体を野ざらしにして腐乱させ、骨になってから洗って骨壷に納める方式だ。前回来たときは、この辺りを隠すように看板が立てかけられていた。何があるのか興味を持って、帰り際にちょっくらのぞいてみると、たくさんの壺の一つから白い棒のようなものが数本……あとでツアーガイド氏に話を聞いたら、あまりに環境に不自然だったので、ツアー立ち上げに際して撤去して整備したのだそうな。
 
“フィッシャー”と呼ばれる裂け目。港川人(前回参照)が発見されたのは、こういう裂け目の中からだった。そのほか、この裂け目に落っこちたさまざまな生き物が、数千年のときを経て化石になって見つかっているとのことだ。
 
間もなくトンネルにさしかかる。上を走るのは、おきなわワールドとガンガラーの谷ツアーの事務所との間を通る県道。車もよく通っている。前回はこんなに整備されていなかったが、これもツアーの立ち上げに際して整備したとのこと。
 
いよいよ、大主ガジュマル。ツアーそして種之子御嶽のメインスポットだ。前回は、もっとガジュマルの幹や根のカーテンが鬱蒼と辺りを覆っていて、まさしく聖域そのものの厳かさがあった。

ここも、ツアーに際して整備したそうだ。手すりも前回はなかったものだ。ツアーガイド氏からは、営利目的以上にこのエリアの保全と伝承を優先してのツアー企画だと聞いたが、個人的にはここの整備だけはしてほしくなかったと思う。ありのままを保ってナンボの価値だと思うからだ。
 
こういう御嶽内のお墓のことも、ツアーガイド氏いわく「ツアーの趣旨とは関係ないので、あまり積極的には触れない」らしいが、別に触れてもいいんじゃないか? 風葬墓を「古来から守られてきた風習の一つ」ととらえれば、今では行われていないとはいえ、その風習があった事実自体は、立派に伝承してもいいはずだ。自然が作り出した芸術のみならず、そこで繰り広げられた出来事や事象も含めて伝承することによって、この御嶽の存在意義がしっかりしたものになると思うからだ(上手く言えなくてすいません)。
 
今日明日でもなければ、何十年とか何百年とかのレベルでもないらしいが、いずれ崩落するかもしれないという薄い岩盤。こういうエリアは、意外とあちこちで見られる。
 
左上は、600年前に造られたとされる、最古の部類に入る木棺の土台部分。右上も、数百年経っているという個人の家の墓。こういう歴史的な価値もまた、伝承すべきことだと思うのだが(しつこいか)。
 
――とにかく、シャッターを何枚でも切りたくなるくらい魅力のあるエリアである。
 
ツアーのために作ったという展望台へ。階段や展望台を支えているのがガジュマルというのも、このエリアならではというか、ガジュマルがいかに丈夫な樹木かを示す証拠だと思う。
 
展望台からは、周辺を見渡すことができる。港川人が発見されたフィッシャーが近くにあることを知らせるために作ったとか言っていたが、その意図はいまいち分かりにくいような気が。

やがて、この階段を上がっていくとおきなわワールド側の閉鎖された入口(前回参照)に着くのだが、それを脇目にツアーの終着点に向かう。
 
その終着点は「武芸(ぶげい)洞」という洞窟。宮崎アニメに出てきそうな洞窟だが、照明はツアー仕様。ツアーガイド氏が「落ちついて何時間でもいたい場所」と言っていた。心地よい風が吹き抜けて、たしかに居心地はいい。
 
この武芸洞では、現在発掘調査が行われている。右上のぱっくり開いたちょうど下を発掘した結果、いろいろなものが出てきているらしい。現在の深さは4m。最終的には、最深部とされる深さ8mまで掘るらしい。

当初、1時間20分程度と言っていたツアーだが、結局2時間超。金を出してまで見ることに抵抗があった私だが、終わってみれば「参加してすごくよかった」と思えた。ツアーに参加したおじいさんからはいろんな昔話が聞けたし、1人で乗り込んだときでは分からないこともいろいろ知ることができた。だから、ものすごくツアーガイド氏にベタ褒めしたら、ツアーガイド氏も喜んでくれた。
 
ホントは、もっと早く切り上げて北へ向かおうと思っていたが、思いのほか充実した気持ちになれたし、予定を変更して旧玉城村エリアのしかも湧水エリアにタクって向かう。タクシーの運ちゃんいわく「名水をめぐる旅」らしい。
まずは「垣花樋川(かきのはなひーじゃー)」。2004年7月に一度来たことにある場所だ。

樋川へは、凸凹の石畳を100mほど下っていく。足にその凸凹が当たるし、行きはともかく、水を汲んで重くなった桶を抱えての帰りの上りは相当ハードである。かつて、水汲みは女性の仕事だったというが、「垣花には嫁をやるな」と言われる逸話が存在するのも分かる。
 
そりゃ、中休みの一つや二つ、してなきゃきついです。女性が数人集まって座っておしゃべりしている画が、何となくではあるが想像できる。
 
海が見えてくると、いよいよ樋川だ。
 
石畳を下ること5〜6分で、樋川に到着。写真では豊富な湧水量が分かりにくいだろうが、水の勢いは結構強い。鬱蒼とした緑の奥に、滝のように水が落ちている場所が見えた。
 
左上と右中央から2つの流れが泉に注いでいる。この流れはそのまま、樋川に隣接する田んぼへも流れ込む。

やれやれ、下ったら上らねばならない。石畳に並行して湧水を引き上げるパイプが走っているが、こんな感じで人間も引き上げてくれんだろうか? ま、重たいものを持っていないだけマシだと思うしかないな。
 
タクシーで樋川の入口に着く前に通りかかった垣花城跡。森の傾斜を利用した城。積まれた石垣が奥に見られる。
 
城跡の裏側。集落を見下ろす形で立っていた城の形状が、何となくだが分かる……気がする。
 
もう一つ、「仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)」。2004年7月に垣花樋川を訪れたときに一緒に見たかったのだが、このときは車でうろうろしただけで見つけられなかった。今回、4年越しの訪問となる。こちらも、かなり急な石畳を下ることになる。
 
垣花樋川ほどではないが、こちらもしっきりした湧水がある。拝所が脇にあって、拝みに来ている人がいた。
 
予定が狂ったが、これで満足。タクシーで結構金を浪費してしまったが、今度はしっかりバスで那覇に戻ることにしようか。(後編につづく)


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