奄美また行くんかい!? 第5回
 
  
とりあえず、実久集落へ直行することにする。かれこれ、走り続けること10分ほどで、
  
東端の安脚場(第3回参照)から5時間。実久神社の前を通過して、
   
西北端の実久集落に到着〜。
  
実久海岸は白砂の砂浜。この日いちばんの美しい砂浜を見た。2006年3月にここに着たときは、急に雨が降ってきてしまい、速攻で引き返したのだ。
   
砂浜のそばには、戦没者の慰霊碑が建っていた。
  
ここ実久集落でも、瀬相港行き“3便”の加計呂麻バスが待機していた。
  
テーブルサンゴに立てかけられた棒は、ハブ避けのためのものだ。
  
さあ、今度は表通りを一路東進。瀬相港を越えて生間港まで戻ることになるが、時間はまだ13時過ぎ。寄り道しながらゆっくり戻ることにしよう。
  
まずは、三浦(みうら)集落で小さい半島沿いに道を外れることに。酒屋(左上)の左側に分岐点がある。
  
何という地名か忘れてしまったが、土俵と神社と公民館の前で折り返すことにした。
  
表通りも裏道と同様、山をいくつも越えていく。ところどころでトンネル工事がされている。これから訪れる呑の浦(のみのうら)にもトンネルがかかると、
  
作家・島尾敏雄氏(1917‐86)の文学碑公園とかも、いわゆる“旧道沿い”の史跡になってしまい、あるいは訪れる人も減って忘れ去られて……なんてことは、観光客の心配することではないか。
  
その文学碑公園は、誰もいない静寂だけが漂っていた。2004年10月以来、2度目の訪問。
  
円形に6つの碑がレイアウトされていた。
  
とりあえず、全部写真に収めちゃいました。
  
気が向いたら読んじゃってくださいな。
  
…まあ、こんな経歴の島尾敏雄氏であり、こんな建立趣旨だそうだ。
 
オブジェの裏には、敏雄氏、妻の島尾ミホ氏(1919‐2007)、娘の島尾マヤ氏(1950‐2002)の3人が眠るお墓がある。息子・島尾伸三氏(1947‐)だけが健在。伸三氏の一人娘=敏雄氏の孫が、漫画家のしまおまお嬢(1978‐)となる。
  
もう少し海のほうに向かって歩いてみようか。呑の浦は深い入り江地形になっていて、常に海は穏やかだ。
  
海上特攻艇「震洋(しんよう)」の模型が、防空壕の中にあった。
 
敏雄氏は1944年10月、ここ呑の浦で特攻隊長として赴任してきた。肩書きの通り、敏雄氏は若くして「お国のために特攻して死ぬ」という運命を背負わされたのだ。
  
一山越えた押角(おしかく)集落出身の大平ミホという女性と知り合ったのは、翌1945年2月。死へのカウントダウンの最中のことだった。
  
ミホ氏と出会ってから半年後の1945年8月13日、敏雄氏率いる特攻隊にいよいよ出撃用意の命が下った。あとは、出撃命令を待つのみ。
 
しかし、その2日後の8月15日、日本国は終戦を宣言。死へのカウントダウンが止まった敏雄氏。1946年、晴れて2人は結婚することになるが、この“極限体験”が後の夫婦の人生に大きな影響を及ぼすことになる(このあたりのことも含めて、島尾氏のキャリアの詳細は、「奄美の旅」第3回「奄美の旅ファイナル」第3回を参照)。
  
これで観るべきものは観終わった。あとは、生間港まで直行するのみ。
  
道中にあった「スリ浜」も、「男はつらいよ」のロケ地。“緑のフレーム”つきで海辺を撮影。
  
多分、下に見える集落は諸数(しょかず)集落だと思う。
  
高台から見下ろしても、海は澄み切ってキレイだった。
  
生間港には15時ごろ着いてしまった。フェリーの到着までまだ時間もあって静かだった。
 
15時55分発の「フェリーかけろま」に、ラウムとともに乗っかって奄美大島へ戻る。
  
16時15分、古仁屋港に到着。さあ、一路スピードをぶっ放して奄美空港へ。
  
数々あるトンネルを小一時間でダッシュで越えて、
 
名瀬市内に入り込んだが、そのままあっさり通過して北上。
  
最後のお目当ては龍郷町にある、奄美大島に来ると必ず訪れる鶏飯(けいはん)のお店「ひさ倉」。17時半に到着。いつの間にやら新しい店になっていたが(左上)、以前のお店にも明かりが灯っていた(右上)。
  
お客は1組のみ。大相撲初場所の大一番「朝青龍―白鵬」戦が気になったが、店にテレビはなかった。どうやら、厨房でラジオをかけていたようで、店員さんがタイミングを見計らって経過を報告してくださった。
 
夕飯に食したのは、「鶏刺しつき鶏飯」1350円。
左下にある具を右下の白飯に乗せ、左上の鍋に入ったスープをかけて食べる。
  
乗せ方が汚いのはご容赦を。おひつのご飯をこれで2杯平らげる。
これを食べ終わるころ、優勝決定戦となって朝青龍が優勝したことを知った。
 
おひつに残った1杯分は、にんにく醤油をつけて鶏刺しで…の前に、お店のご厚意で卵を1個いただいたので、「たまごかけごはん」も堪能させていただいた。
  
もう、これで今回の旅は堪能しきった。
  
18時15分、西郷レンタカー到着。2日間の走行距離、434km。ガソリン代も結局、5000円超となった。ラウム殿、おつかれさまでした〜。(「奄美また行くんかい!?」終わり)


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