奄美大島行きは、2006年7月以来6度目。いくら1月とはいえど、気温10℃とはずいぶん寒いタイミングに当たってしまったようだ。天気も雨だし。
その奄美空港には、定刻より30分遅れて11時半着。やはり、空気がひんやりして、パーカーを持ってきて正解だったが、
空は晴れ上がっていた。奄美大島に来ると世話になっている西郷レンタカーで、今回も車を借りることに。お供するのは、トヨタのラウムだ。
最終目的地は、島の南部・古仁屋(こにや)。まっすぐ行けば2時間くらいで行けるのだが、それではあまりにつまらない。どうせだったら、島の北部から遠回りして、久々に島内ドライブを楽しもう(前回の島内ドライブについては、「奄美の旅」および「奄美の旅アゲイン」第5回を参照)。
その前に、腹が減った。島の北東部にある赤木名(あかきな)へ先に行くことにする。
というのは、この赤木名に奄美名物“鶏飯(けいはん)”の元祖と名乗る店「みなとや」があり、今回6度目にして初訪問……おお、何とまあ改装中と、アンラッキーな結果に。
やむなく…と言っては店に失礼だが、その「みなとや」の向かいにある「むさしや」へ入ることに。
何だかB級グルメの香りがしそうな「むさしやスペチャル」を注文したら、直径30cmの器にメガ盛のピラフと、その上にとんかつが。長崎の「トルコライス」みたいなやつだ。
標高も10cmとあってはとても太刀打ちできず、結局ピラフは半分残してしまった……。
腹ごなしに目の前の砂浜へ。風が強く寒かった!
さあ、改めてドライブ開始…とその前に、たまたま通りかかった稼働中の製糖工場の写真を納めておく。
ラウムは北へ北へと進み……、
ます立ち寄ったのは、この銅像の人……はどーでもよくて(すいません、銅像の方)、
「あやまる岬」。名前の由来は、「綾毬」=綾縫いした毬に地形が似ているから、と伝えられているらしい。
……って、分かるか! 知るか!
サクッとあやまる岬を観た後、
通り沿いにあった大島奉行所跡は、石垣のみ。
そのそばにあった古墓にも寄ってみる。
草むらの中を数分歩くと、海のそばにリアルに古い墓が数基あったが、何がどう由緒正しいのかよく分からんかった。
いよいよ、島の最北端・笠利(かさり)崎へ。
右手に防風林を見ながら進むと、突端に灯台。灯台まで上がっていけるが止めといた。
1周道路を兼ねていながら、道が私道のように狭くなっていき、
集落の中に紛れ込むと、ホントに車が1台通れる程度の幅とか。
なぜ、集落に紛れ込んだか? そこに集落があるから。
そこに青い海があるのを知っているから。
うう、いかん。結構時間を食ってしまった。
再び、赤木名に戻ってきたのは、昼食から1時間半後。左上の写真の交差点を右折すると、いよいよ国道58号線が始まる。そう、沖縄本島内を南北に縦断するあの“ごっぱち”。起点は九州は鹿児島市。海をいくつも越えつつ、沖縄まで走っているのだ。
空港からの道路(右上写真の左側)と交わる赤尾木(あかおぎ)交差点。空港から直行していれば15分で着くのに、結局1時間50分かけて到着。
国道58号線を西進していたのもつかの間、また途中から道をそれる。人工的に作られた松林の前で1枚撮影。
6年ぶりにやってきた西郷隆盛氏の旧宅「西郷南洲流謫地跡(さいごうなんしゅうるたくちあと)」。
島津藩から奄美行きを命ぜられた1859年から3年間、この場所に身を置いた。詳細は「奄美の旅」第4回参照。
山がちな奄美大島。6年も経つと、トンネルが作られたり、道が大分整備されたりしていた。たまに、カーナビがあさっての方向を走ったりもする。
その寄り道を終えて、国道58号線に戻ってきたのは、15時過ぎ。
ようやっと、奄美大島の中心部・名瀬(なぜ)に入ってきた。とはいっても、今回は素通り。予定より30分ほど遅れているのだ。
先の交差点で左に曲がれば、1時間で古仁屋に着いてしまうが、
そのまままっすぐ走って、島の西部をぐるっと回っていくことにしよう。(第2回につづく)
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