モンゴル横断(感想)
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モンゴル横断(感想)

感想(モンゴル横断当時の日記から)
毎日馬に乗ってお疲れの脳みそで書いた安っぽい内容の日記の一部を掲載。
そこから軽薄な自分を振り返って反省したという話。

個人個人の生活力という点では遊牧民のほうが上だ。私たち日本人は他給他足という、自分を物事の終始を知ることのできない立場に置く代償として生産効率を上昇させ、物質的に豊かな生活を得た。では他給他足体制の中で歯車になる代わりに得た豊かな生活とは何だろう。モンゴルになくて日本にあるもの……それはスーパーファミコン(この日記は平成6年に書かれました)のことであろうか。よく考えると、どうもそれ以外は見当たらない。
 (2行省略)
 夜、草原で私たちの馬が焚き火の周りであぐらをかいて輪になっています。何か話をしているようです。アオ(馬の名前です):「しかしよぉ、なんだよあのヘタクソどもは、何で道端に落ちてるものを拾うのにいちいち下馬するんだよ。こっちも面倒くさくてしょうがネェよ。こう、足で俺たちの胴を挟んで、そんで、逆さまにぶら下がるような感じで自分の体を地面に近づけて、ひょいと腕を伸ばせば簡単に拾えるだろうによぉ」。バカ馬:「バカだな」。俊雄ちゃん:「どうも、モンゴルの人ではなさそうですね。腕なんかもウドンみたいに細いですし、聞きなれない言葉を喋ってます」。バカ馬:「だからバカなんだよ」。シロ馬:「あんなやつら、寝てる間にバットでどついたったらええんや」。
 (以下略)

 モンゴルを3ヶ月かけて馬で横断するのは厳しい。なにしろ移動中の3ヶ月ずっとテント暮らしだったのだ。しかも移動するのだから3ヶ月間組み立てたり片付けたりの繰り返し、料理も3度3度全て作るのが基本だ。肉体的な疲労は休めば癒えるが、精神的な疲労は、テント暮らしでメシを作るのが長期間になると蓄積し始める。先に書いた精神分裂症気味の日記がそれを端的に顕している。いくら肉体的に楽になったとはいえ、毎日家事を続けているお母さんたちに、ここで最敬礼。

 私はモンゴル出発前、馬で横断という目先の華々しさだけに目が行って、目標達成までに横たわる苦労を全く考えなかった。モンゴルを横断すると私が友達に言うと、彼らは一様に目を丸くして「スゲェな、オイ」と叫んだ。その感嘆は、目標達成までの厳しさを想像していた。言われて得意げに鼻をうごめかせていた私は、その厳しさを全く考えていない。オチョウシモノだったわけだ。恥ずかしいなぁ。
 恥ずかしい、恥ずかしい、ナンマンダブ、ナンマンダブ…(「夏目漱石:我輩は猫である」風におしまい)

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