なぜか沖縄
  
 
定刻より15分ほど遅れて、石垣空港には17時過ぎに到着。早速、石垣島で春季キャンプを張る千葉ロッテマリーンズ(以下「千葉ロッテ」とする)を歓迎する垂れ幕を発見。しかし、雨だとは聞いていたが、これほど本降りとは思わなかった。
 
手荷物受取場の脇には、ボビー・バレンタイン監督のユニフォームとともに、地元石垣島出身の大嶺祐太投手のユニフォームが。ん〜……まあ、たしかに地元じゃ有名なんだろうし、ロッテの中でも決して無名じゃないけど、扱いが大きすぎだよね。まだ実績なんてほとんど挙げていないんだしさ。かといって、「SABURO 3」「SATOZAKI 22」なんてユニフォームを掲げても、それはそれで知らない人は「?」って感じにならないとも限らないので、難しいところだけど。
 
ついでに、手荷物受取場脇にもう一つ。「石垣島特産品」の中に違和感あり…っていうか、何か雰囲気ぶち壊し気味なマーくん人形。
 
今回宿泊する「スーパーホテル石垣島」(以下「スーパーホテル」とする)は、石垣バスターミナル(以下「バスターミナル」とする)から徒歩7〜8分ほど。とりあえず、バスターミナル行きの連絡バスに乗車。前払いで200円。5人ほど乗せて17時10分過ぎに出発。

バスは、JAL系のリゾートホテルである日航八重山経由と、ANA系の全日空石垣ホテル&リゾート経由と交互に走っているが、今回乗車したのは後者のほうだった。ところで、千葉ロッテの面々が宿泊しているのは、さてどっち?
 
街のあちこちに、千葉ロッテを歓迎する垂れ幕がかかっている。去年の今頃は、こんなことになるとは誰も思っていなかっただろうな。

そんな中、バスターミナル脇の730交差点にあったスタレビの根本要氏のコンサートの垂れ幕が、妙に異質な存在感を放っていた。「石垣島モンテドール プレゼンツ」か。根本氏、バナナケーキ食い放題かい?(笑)
 
その730交差点は、1978年7月30日、沖縄県がそれまでアメリカ式に車両が右側通行だったのを、日本式に左側通行へ変更したことを記念して命名されたもの。今年でちょうど30周年だ。
 
スーパーホテルへは、あやぱにモールを抜けていくことに。
 
それにしても、こう言っては失礼だが、鬱陶しくなるくらいに千葉ロッテが絡んでくる。右上は、とあるコンビニに入ったときに見た千葉ロッテグッズコーナー。マーくんのラベル入りの瓶は、石垣島産泡盛「八重仙」とのコラボである。
 
各選手のポスターも掲げられていた。またまた地元のヒーロー・大嶺投手と、その大嶺投手の昨年のプロ初登板(2007.4.30のブログ参照)をアシストした(?)小野晋吾投手のポスターを載せてみる。
 
さあ、いよいよスーパーホテルへ。ここに泊まるのは、2002〜2003年の年末年始(「沖縄標準旅」参照)、2004年5月(「沖縄はじっこ旅」参照)に続いて3度目。前は、たしか4ケタの数字が書かれた紙をフロントでもらい、その数字をドアノブの脇についたテンキーに打ち込んで開閉するシステムで、一度チェックインすればフロントを経由せず好きに宿を出入りできたのだが、今回はフロントでちゃんとキーをもらって、出入りの際はフロントに預ける古来のシステムになっていた。

シングルルーム。1泊5800円のところ、前日までのネット予約で5360円となった。はじめ1泊の予定だったときは、は6日前までのネット予約扱いで4980円だったのだが、急遽もう1泊追加することにしたもので、前の予約を一旦キャンセルして改めて予約し直したのである。


宿に荷物を置いて、夕食を食べに外出がてら、再び街中を歩くことに。無機質なビルの建物の中に、たまに沖縄らしい屋根瓦の建物があったりする。これもまた“チャンプルー”な沖縄ならではか。

道中、14年前の初沖縄時に泊まった民宿「八重山荘」の前を通る。すっかり様変わりして、民宿らしからぬ外観である。
 
初日の夕食の場所に選んだのは、地元の大衆食堂「あさひ食堂」である。何とも言えないまったりした空気が店内を支配していた。18時のニュースが放送されていて、かつての“政敵”野田聖子氏と佐藤ゆかり氏の記者会見が放送されていた。

食べたのは、550円の「あさひ定食」。右下の煮付けだけでも十分におかず足り得ただけに、メインディッシュのとんかつの大きさにびっくりしたが、やや薄めの肉だったので胃にもたれずに済んだ。料理店で食べるのとは次元の違う“お袋の味”的な美味さが、そこにあったりする。だから、沖縄に行くと大衆食堂に行かずにはいられないのだ。(第2回につづく)


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