星☆までひとっ飛び

 
入国審査は、ほんの数秒で終了。ここからは再びバスに乗車して目的地に目指す。
バス停を探していると、客引きらしきおっちゃんに惑わされたりして、数分周辺をさまよい続けたが、何のことはなくそのおっちゃんのすぐ脇にいた人だまりがバス停だったのだ。M氏から軽く「このあたりは治安がよくない」と脅されたが、はたしてそれを物語るエピソード…かどうかは知らない。

雨のジョホールバルの繁華街を通過。車内にいるのは、運ちゃんとその知り合いと我々2人のみ。知り合いが大きな声で運ちゃんに話しかける声が車内に響き続けること数分。

ジョホールバルはラーキンバスターミナルに到着。「純粋な途中下車」をしたにもかかわらず、手持ちの2.4SGDのチケットを運ちゃんに渡して、シラーッと降りてしまった。
中編で「ジョホールバル行き」と書いてしまったが、実際は「ラーキン行き」でした。お詫びします。ラーキンもジョホールバル市内にある地区なのですが、国境越え後にジョホールバルBT行きとルートが別れるんですよね。

M氏が事前に用意してくれたGoogleの地図によれば、その場所はバスターミナルから歩いていけそうな感じがするが、肝心の方角がまったく見当がつかない。雨の中でいたずらに迷うよりはと、ここはタクることにした。

シンガポールと交流があり、SGDが使えるケースもあるとはいえ、マレーシアにはれっきとした通貨“リンギット”がある。ここも、さすがM氏。自宅からリンギットを“余裕で足りるくらい”持ってきてくれていた(どういう経緯で持っていたかは省略する)。なお、1リンギット≒30円ほど。M氏からは「物価はシンガポールの半分」と教えられたが、実はもっと安かったみたいだ。

運ちゃんは、地図を見せるとさっと車を出してくれた。歩いていけるなんて、とんでもない話、降りしきる雨の中を数kmは走ったのでないか。ともあれ、私希望の目的地「ラーキンスタジアム」に無事到着する。
 
偶然にもゲートが開いていたので、失敬して中に入ることに。
 
名前でピンときた方はどれだけいるだろうか。このサッカースタジアムで11年前、1997年11月16日の夜に起こった「あの出来事」に結びつけられた方が。

そう。サッカーワールドカップ・フランス大会アジア最終予選、日本がイランに延長戦の末、“野人”岡野雅行選手(現・浦和レッズ)のVゴールで3―2で勝利し、ワールドカップ初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」の舞台なのだ。
 
1993年10月28日の夜、いわゆる「ドーハの悲劇」をテレビで目の当たりにした。日本中がただ呆然とするしかなかった。プロリーグ「Jリーグ」開幕元年に湧き、さらなる弾みをつけたかっただろう日本のサッカー界は、最後の最後に天国から地獄に突き落とされた。

4年間が長かったのかあっという間だったのかは分からない。ともかく、世界のひのき舞台に立てるのだ。歓喜の翌日の月曜日、世間の話題は言わずもがなだった。

翌年蓋を開けてみれば、世界のひのき舞台で決められたゴールは、中山“ゴン”雅史選手(現・ジュビロ磐田)が身体ごと突っ込んでもぎとった泥臭い1ゴールだけ。あっさり3連敗して予選リーグを敗退することなど、その責任を取って辞任した岡田武史・日本代表監督が、現在再び日本代表監督として指揮を執っていることなど、あのときは考えてもいやしなかっただろう。

観客席に上がってみた。歓喜の当時24歳だった私は、現在35歳(ちなみに、M氏も同い年)。あのとき、どっちサイドのゴールに決めたのか、どのベンチに日本の選手が座っていたのか――誰もいないスタジアムでM氏と2人でいろいろ話してみたが、もはやそんなことはどーでもよかった。いまこの瞬間が、私にとっての「ジョホールバルの歓喜」なのだから(どーゆー意味?)。
 
写真を撮りまくって大満足。こんなに明るくても、時刻は18時を過ぎていた。さあ、あとはシンガポールに戻るのみ…とその前に、またM氏のご希望を叶えるべくスタジアムを後にして、来たタクシーに乗り込む。

2度目のタクシーはじいちゃんの運転。今度は10km近く走ったのではないだろうか。方角がさっぱり分からないし、こちらが差し出した地図も分かったような分からないような素振り。英語で話しかけても何も返してこない。一瞬不安がよぎったが、目的地に着く直前に「NO ENTER,Okay la?」と、シンガポール英語「シングリッシュ」を返してきてくれたのでホッ。使い慣れたように、こちらも「Okay la!」と返してタクシーを降りる。
※‘la’は中国語「了」の英語表記(?)で、シンガポールではよく使われる。日本語に訳せば「〜ね?」「〜よ!」という念押しの意味合いだろうか。
 
話を戻して、その目的地とは、またもイスラムモスクの「アブ・バカール・モスク」。タクシーから降りるや、聞こえてきたのはアザーンというもの。

ちょうど夕暮れ時。アザーンは断食明けを告げるものだった。しかも、テープとかではない、モスクの中で実際読まれている“生アザーン”が、拡声器を通して流れてくる。M氏は素早く録音を始めた。間もなくサイレンが鳴り、その日の断食タイムが終わる。
 
満月の夕暮れ空をバックにモスクを1枚。流れるアザーンが何とも幻想的な演出をする。この旅行のベストショットかもしれない。
 
‘NO ENTER’なので、もちろん中には入らない。M氏は録音を終え、「ミッション・コンプリート」でご満悦そう。私はいつでもよかったのだが、M氏が「断食明けのマレーシアの様子を見てみたい」ということで、夕方からのマレーシア行きとなった次第。

そばを通りかかった猫は、こんな来客をどんな目で見ていたのだろうか。

時刻は19時半。陽が落ちると、一気に暗くなる。雨はすっかり上がったが、空気がひんやりしてきた。雨できれいになったのか、ジョホールバルの街の明かりがくっきり浮き上がる。
 
「TEKSI」乗り場はがらんどう。静寂が辺りを覆う。HSBCの明かりもひときわ輝く日曜夜の官庁街。
 
その官庁街の脇に小さなモスクがあり、

そのモスクの脇に、ハリボテのような、宮崎アニメあたりに出てきそうな古い家屋が並ぶ。高層ビルをバックに、生活臭たっぷりだ。
 
休憩を取るべく、日本の「JUSCO」的なショッピングモールに入った。日曜の20時近くに人が多かったのは、断食明けだからか。

昼のインドカレー(中編参照)でさして空腹ではなかったので、アイスコーヒーだけでよかったのだが、M氏が気を利かせて食事を頼んでくれた。白飯の脇にきゅうり・ゆで卵・ナッツ・煮干しといった具がついて、“サンバル”と呼ばれるマレーシア風チリソースとぐちゃぐちゃに混ぜて食すと、これがなかなか美味かった。思わぬところで庶民の食べ物(だろう)にありつけて、ラッキーだったと思う。

さあ、そろそろおいとましないと。昔からあったと思われる街中を通り抜けて、
 
ジョホールバルBT…の前に、マレー鉄道のジョホールバル駅があった。M氏が賭けに出た。ダッシュ!
 
賭けに見事に勝った! とっくに出発しているはずのシンガポール方面のマレー鉄道が、停車していたのだ。M氏が窓口で確認したらまだ乗れるというので、これに乗車することになった。

日本じゃあまり姿を見なくなった機関車(シンガポール到着後に撮影)。結局、ダッシュで駅に着いてから20分ほどで逆方向行きの列車が到着し、めでたくシンガポール行きの列車も出発。このへんの大らかさが、いかにも大陸的というか、そうでないとマレー半島横断なんて旅はできやしないのだ。

2人席を何とか確保するも、乗客はすでに乗車口付近にたまっていた。何のことはなく、出発して数分でシンガポールに入ると、ウッドランズ駅で今度は入国審査を受けなきゃいけないからだ。
 
入国審査直後のウッドランズ駅の様子。思いっきりブレてしまったが、本来写真はNGのようなので、ブレたほうがかえって都合がよかったか(なわきゃないか…)。

30分ほどして、再びマレー鉄道が出発。乗客は結構減っていた。入国審査を終えた後、バスに乗り換えたりした人が多かったのかもしれない。
 
シンガポール側終点のタンジョン・パガー駅到着したときには、22時を過ぎていた。M氏が予定になかった“鉄分補給”で、またまたご満悦。私は鉄分なぞどーでもよかったのだが(いや、ホントに)……。
 
シンガポールの夜のリバーサイド。ドぎつくない程度の明かりがいい。無機質に建つマンション群も、時にはいい感じのオブジェになったりする。
 
片や橋をはさんで反対側では、中秋の名月だったらしく、中国式のお祝い飾りが立ち並んでいた。まったく、原色たっぷりの色遣いだぜ。

ってか、ホントは私希望の「豚骨茶(バクテー)」にとっととありつきたかったんだが、目をつけていた店はすでに閉店。旅運をすでに使い果たしてしまったらしく、交通機関の接続にいよいよ恵まれなくなって、街中をさまよう羽目になった。ホテルの最寄り駅・アルジュニード駅(前編参照)そばの食堂で、23時過ぎの遅すぎる夕食…ってか夜食。ジョホールバルでの食事が、結果的には正しい選択になった。

「豚骨茶」は、簡単に言えばスペアリブスープ(上の写真の右下)。ここの店の豚骨茶は、あっさりコンソメ風味のもの。なかなか美味かった。量的にも夜食にはちょうどよかったかもしれない。部屋に帰ったときは、日付が変わっていた。本日の活動時間、20時間あまり。ふーっ。


                             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



で、旅の締めに待っていたのは、売れっ子芸能人並みの「2時就寝、5時起床」という難関(笑)。いちばん安い航空券をゲットするためには、何かを犠牲にしなくてはいけないのだね。
はたして無事起床のうえ、15分ほどで準備完了。夜明け前のハイウェイをタクシーがすっ飛ばす。
 
5時半には、ついさっき通ったはずのチャンギ国際空港に到着。最後の難関を滞りなくクリアし、帰りの飛行機に無事搭乗! えーと、陸上滞在時間は……。
 
7時間のフライトのオープニングは、かた焼きそばとパンとフルーツのブレックファースト。

問題です。上の写真は昼食なんですが、機内で出された餌はいったいどれでしょう?(フン)
 
超濃厚な弾丸旅のホントの締めは、予定より早い成田着!

帰りはさすがにスカイライナーでしょ。佐倉とか津田沼とか八幡とか停まるのに、さすがに付き合っていられないもんね。(「星☆までひとっ飛び」おわり)


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