沖縄標準旅(全9回)

(1)那覇から沖縄まで
12時半,那覇空港到着。外は陽射しもあり暖かい。天気予報は曇りで時折雨みたいな感じだったが,どうして快晴に近いではないか。気温はテレビの天気予報で,最高20℃前後,最低で16〜17℃のようだった。20℃といえば,長袖の薄いセーターで十分な気温。しかし,一方の東京は真冬。ジャンパーを羽織らずに薄手のセーターのみで羽田まで行くのは,「今からかぜをひかせていただきます」と言っているようなものである。ということで,沖縄の暖かさとのバランスを考えてほどほどの厚さのジャンパーを着てきたのだが,この先お荷物になることはやはり間違いなさそうだ。
今日観るのは、アメリカンテイストがあふれるという沖縄市だ。94年3月の初めての沖縄旅行(以下,「前回旅行」とする)では高速バスであっさり通りすぎてしまったので,未踏の地である。早速バス停を見つけると,運よく113系統・具志川バスターミナル行が12時50分発。途中沖縄市街を通るので,このバスに乗り,沖縄市の中心・胡屋(ごや)に向かうことに。
バスは定刻に出発すると,空港の国際線ターミナルと貨物ターミナルへとゆっくり北進し,やがて3車線の国道に入り,スピードを上げる。ちょうどMDから聞こえてきたのは,キンモクセイの『車線変更25時』。この,いかにもドライブにおあつらえ向きなタイトルの曲が,開けた窓から入るさわやかな風に,いい感じでマッチする。残念ながら時間は真っ昼間であるが,昼だって十分。ただしタイトルよろしく,2車線以上ある広い通りで聴くことをオススメしたい。

間もなく旭橋。橋の下に流れるのは久茂地(くもじ)川。右上には「ゆいレール」こと,沖縄都市モノレールの高架線路があり,交差点脇には旭橋駅。モノレールの始発は那覇空港。バスとは逆に空港から南に進路を取る。南の市街地をぐるっと回り,漫湖(「湖」というよりも「池」であり,遊水地になっている)の近くをかすって国場(こくば)川を河口に向かって進路を取る。明治橋という橋付近から分岐する久茂地川を遡りここ旭橋に着く。さらにここから直進・北上し,首里までを結ぶというルートである。
沖縄都市モノレールのホームページにある路線図によれば,ここまでで距離にして6キロ強,時間にして10分余り。モノレールは那覇市中心地の渋滞緩和を期待されているが,ここには那覇バスターミナルがあり,ターミナルからは島のあちこちに線路網が広がる。空港から市街地まで最短距離で3キロあまり。バスは,空いていれば10分もかからないし,タクシーならばさらに短い。地図で見れば一見遠回りのモノレールではあるが,渋滞という不測の事態(予測の事態?)を考えれば,このモノレールの存在はやはりデカいだろう。「モノレールでバスターミナル,そこから目的地へ」という一大アクセスも確立される。
値段は,ホームページにはいまのところ出ていない。バスは市内線扱いで200円であるが,モノレールは第3セクターであるのと,空港から5駅なのであるいは200円を超えるかもしれない。個人的にはせめて250円までにしてほしいが,果たして?

話を戻そう。バスは旭橋で右折。高速道路を通るので,南側を通って那覇インターへ向かうルートを取っている。市街地を外れているからか,車は順調に進んでいくが,景色はどこの地方都市とも変わらない。時折,沖縄限定と思しき,沖縄そばのチェーン店が見られるが,これといって特徴のない,3〜4階建て程度の個人経営ビルが連ねる単調さが続いていく。
間もなく上間(うえま)という所で左折すると,緑が少しずつ出てくる。それと同時に,道沿いの建物の向こうに小高い丘が見え,斜面に家がびっしりと建っている光景を目にする。で,その家々がみな,壁が白やベージュ,アクセントに屋根が茶という感じで,それが晴れた青空に実に映えている。白と青のコントラストがよく映えることは,雲と青空と海とか,白のティーシャツにブルージーンズなどで分かると思う。白壁に青空は,あたかも地中海沿いの港町にでも来た感じような気分だ。青空も,本土と違って冬の寒々しさがな,、からっと爽やかなのでなおさら効果的である。もっとも,これが濃い緑の林とだと,緑に青でいささかうっとうしいところだが,偶然なのか緑と青のところは少なく,せいぜい白の中にうまく溶け込んで,カラフルさに色を添えているといったところだ。

5〜6分して高速道路に入る。バスはETCゲートをするっとくぐりぬけ,いい流れで本線に入る。耳に流れてきたのは,新田恵利『不思議な手品のように』。アップテンポで爽やかな感じとマッチする。この曲は『続・青春歌年鑑’86』というオムニバスアルバムよりゲット。新田恵利はいわずと知れたおニャン子クラブ出身。人気ももちろんあったが,“バラ”でデビューした中では工藤静香という別格を除けば,彼女と渡辺美奈代・満里奈は楽曲に恵まれた部類に入るだろう。『不思議な手品のように』も入った『E‐AREA』(1986)というアルバムは、歌の下手さはご愛嬌として,ユーミン提供の曲もあるなど,実に質の高いアルバムだと私は思う。カセットで買ってしまったのが惜しいくらいだ。
話を戻して,バスは運賃表がデジタルなものの,料金箱はとても古くてアナログ。両替の札を入れてもうまくしないと戻ってきてしまうのに,ETCなんてシステムを使っているとは。ETCなんて,さして普及しているとは思えんし,それなら料金箱を自動両替機付きにするとかすりゃいいと思うが,それは素人判断なのだろうか。
いかん,話をあさっての方向に戻してしまった。景色がメインである。あいかわらず地中海的景色が続くが,高台を走るので左側遠くに海も見えてくる。かと思えば右側も見える。ここが島のくびれたあたりだからだろう。それと,時折広大な敷地が出てくるのは軍事基地だ。よく話題に上る普天間基地あたりだろうか。
20分もすると沖縄市。あっという間の高速走行。沖縄南インターで下りて,5分ほどで国道330号線にある胡屋バス停に到着。時間は13時50分。今日の宿を取っている名護へは,21系統・名護東線がここを通る。1時間に1〜2本だが,15時53分発というやつで行けば,18時くらいに名護着で大丈夫だろう。時間を確認して歩を進めることにする。

(2)リトルアメリカ・沖縄市
@「明」と「暗」
すぐに一番街というアーケード商店街があり入る。なるほど惨状である。実は2カ月ほど前になるか,「News23」であちこちで店が閉まり深刻な状況になっている沖縄市の状況をレポートしていて,なんとなく行く気をそがれてしまった感があったが,行ってみて案の定だった。入口にはレコード店があったが,移転なのか何なのか,無残にいろんなものが残されたままドアが閉められていた。窓ガラスには,10年以上前の吉田栄作のアルバムのポスターが貼られたまま。ティーシャツにブルージーンズで『心の旅』を歌っていたあの頃のやつだろう。どうやら,いまの吉田栄作よろしく「ノーマネーでフィニッシュです」となってしまったのだろうか。
さらに歩を進めて北上し,目的地に向かう。通称は「サンストリート」というが,皮肉なことに,ムードだけでなくホントに暗い。天井が,太陽の光に焼け時間の経過で茶色のシミみたいになった感じで,掃除とかをしていないのかと思ってしまった。ムード的にも,開いている店が全体の半分ほどで,いささか開店休業みたいに人が訪れない。古い建物独特の,何とも言えないにおいも微かにする。いちばん人がいたのは,件のレコード店前にあるゲーセンで,高校生くらいの男女が5〜6人たむろっていたくらい。こんだけ沈滞しているようじゃ,どうしようもない。

アーケード街を途中左折して,空港通りという通りに出て緩やかな上り坂を北上する。片側2車線ほどの広い通りの両側は,アーミーやミリタリーもあれば,ティーシャツ,セーター,ジーンズもありと,まさに「洋服屋通り」。値段もまあ,渋谷とか池袋の安い洋服屋と同じくらいだったか。陽射しも強く,建物もなぜか白いものが多いのでとても開放的で明るく,看板も案内も邦訳なしの英語ばっかのところが多いので,さしずめアメリカの田舎町みたいな雰囲気。で,店からはR&Bとかヒップホップとかレゲェとかいう,いま流行りと思しき曲がかかっていて,どこかではユーロ・トランス系が周囲と違和感たっぷりにかかってたりもする。で,自分がいまMDで聴いているのは,元ピチカート・ファイヴのヴォーカル・野宮麻貴とSUPER BUTTER DOGの『塀までひとっとび』(誰も分かるまい)。歩く人間も半分以上は外国人である。すぐそばに嘉手納基地があるので,そこに関係する人間だろう。これぞホントの「チャンプルー(ごちゃまぜ)精神」とオチをつけるつもりはないが,異国に来た錯覚には十分陥れそうだ。
そうそう。刺青屋も1件あって,鮮やかな刺青を入れた写真が何枚も飾られていた。ちょい怖かった。もちろん冷やかしなんかで入ったりもしない。当たり前だ。でも,あの刺青ってのも,色を抜いたら痛々しい限り。「ガチンコファイトクラブ」に先日出ていた大嶋とかいう刺青ボクサーの胸あたりは,火ぶくれみたいになっていて,ちょいと可哀想な気がした。
さて,先ほど目的地と書いたが,この道を上った辺りの「BIG BULL(ビッグポー)」というステーキ専門店がその場所。300gのリブロースステーキに,ライスやらサラダやらコーヒーやらが付いて1350円という「ビッグボーセット」なるものがあるとガイドブックにあり,それを食べてみたいと思ったのだ。時間的にも,最大のごちそうである空腹は十分すぎる状況だし,歩みがやや速くなってくる。

Aあるレストランに見る沖縄市
「BIG BULL(ビッグポー)」は,2階建てのいくつかテナントが入ったビルの2階にある。時間が遅いこともあり,中は2組しか客がいないが,ガイドブックには夜は行列もできると書いてある。何はともあれ,さっそく件のセットを注文。焼き方を聞かれたので,ミディアムにする。
まずポタージュスープが出てきて,そのあとキャベツ・レタス・トマトの入ったサラダの小盛りが出てくる。サラダには3種類,サウザン・フレンチ・オリジナルのドレッシングが付く。かけ放題。オリジナルは,中華風のごま風味で、確信犯的に食欲増進させる味だ。他のももちろん試す。フレンチは酸っぱさがよい。しまいにはフレンチとオリジナルを混ぜてみたりする。
10分ほどして,いよいよステーキのお出まし。上底10cm×下底20cm×高さ10cmほどの台形。面積は気が向いたら各自で求めてほしい。脂身もほどほどに,肉はこれくらいでなくっちゃって感じの大きさで,鉄板からはジュージューといい音も立ち,網状の焼き目もついて食欲をそそる。生産地はおそらくどこがしかの英語圏の国だろうけど,“食えればいい”スタンスの今の私には,この際関係ない。早速ソースをかけて食らいつく。
このステーキにもソースが4種類付く。かけ放題。A1ソース・ケチャップソース・焼肉ソース,そしてこっちにもオリジナルがある。オリジナルと焼肉ソースは似たような味だったが,醤油ベースの日本人好みの味だ。結局気に入ったのは,オリジナルのやつだった。ちなみにA1ソースというやつは,チリソースに酢を加えたような刺激的な味で,米国輸入ものだろう。これも確信犯的に食欲増進させる味だ。都合,オリジナル3回,A1を2回,焼肉・ケチャップ各1回とソースをかけまくって,残ったチャンプルーソース(造語)をお行儀悪く,少し残ってキャベツで水っぽくなったサラダにからめて一丁上がりである。

肉を食らい終わり,コーヒーで一息。と,後ろにいた客が席を立つ。白人のアメリカ人家族だ。いや,アメリカと断定してはいけないのだろうが,ほぼ間違いないだろう。彼らなら毎日こういうのを食らっているのだろうなと勝手に感慨にふける。一方,もう1組の客は日本人の女子高生くらいのようで,店の人間らとも親しいのか,おしゃべりをしている。私の相手をした男性と女性も,おそらくは高校生か,行って二十歳くらいだろうか。
ふとヒマになり,そばにあった飲み物のメニューを見てみる。と,そこにはメニューがカタカナと英語で併記され,さらに金額表示が円とドルで併記されている。どっちでもらったほうが店にお得なのか分からないが,英語表記はまだしも,ドルでも可とは驚いた。店が閉まった後,どうやってレジ精算するのか興味深い。おそらく円でいくら,ドルでいくらと分けるのは想像に難くないところだが,もらった金額とレシートで○○ドル違うという状況になったら,どう調整したりするのか。
まあ,この辺がこの街らしさ,この街の象徴ということだろう。さらに見てみると,もともと飲み物のほとんどなんざ,外国から入ってきたものだ。カタカナを英語のスペルにしたようなだけで,しかも我々が中学校あたりで習う程度だから,まあこんなものかというところ。ただし,泡盛だけはうまく訳せなかったのか,英語のメニューから外されていた。「AWAMORI(liquor of Okinawa)」と訳せなかったのか,あるいは事情で外国人に飲ませないようにしているのか。
店を出ようとすると,外国人男性2人が入店。すると,女性店員が「How many people?」と一言。こういう何気ない文言がさらっと出てこないと,外国人の多いこの辺りではやっていけないのだろうと思う。(第2回につづく)

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