なぜか沖縄

  
今回の旅は、まず那覇までのフライトでスタート。結構6時台の飛行機に乗ることが多かっただけに、1時間違うとちょっとゆっくりできていい。
  
左上は、雪をかぶった富士山。右上は、2009年1月下旬に行くことが決まった奄美大島(右)と加計呂麻島(左)。ともに、上空から撮影。航路上とても天気がよくて、眺望は抜群でした。
  
那覇に10時55分に到着後、ランチをとるために、タクってある場所へ。トランジットが2時間あったので、いったん外に出ることにしたのだ。
  
その場所とは「豆腐屋食堂」。ゆいレールの奥武山公園駅から北へ5分ほど歩いたところにある。以前から何度となく聞いたことがある、沖縄の豆腐が味わえるお店。一度入ってみたかったのだ。
 
今回食べた「豆腐屋御膳」1000円。メインは、右下のゆし豆腐(おぼろ豆腐)。そのほか、おから、豆腐ハンバーグ、かきあげ天ぷらに練りものなど、豆腐とあなどっていたら結構なヴォリュームになった。
  
帰りは、店のそばのバス停からバスで空港へ。
 
以上、ホントにランチのためだけの外出(笑)。時刻は正午過ぎ。余裕をもっての乗り継ぎとなった。
 
  
さて、久米島には13時半に到着。2003年11月以来、5年ぶりの上陸だ。
  
そのときと同じくニッポンレンタカーで車を借りる。空港の端にあるレンタカー専用駐車場で、シルバーのスウィフトとご対面。これから24時間のおともだ。
 
さあ、今日は島の北部をメインにドライブしようか。空港沿いは防風林が続いていた。
  
間もなく、シンリ浜に到着。そばには「サイプレスリゾート久米島」が建っている。
  
次いで、「久米島野球場」(左)と「ホタルドーム」(右)に出くわす。
  
そして、仲泊地区へ入り込む。かつての具志川村のメインストリート。
  
ホントは「具志川庁舎」なんですが、いまだに「具志川村役場」のまま。5年前もそうだった。「替えるだけの予算がない」というよりは、「別にこのまんまでもいいじゃん」的テンションなんだろう。
   
仲泊地区を抜けて北進。宇江洲家に到着。昔ながらの伝統的沖縄風住宅。約300年前に建てられた旧家である。
  
5年前もそうだったが、今回も母屋で老婦人が出迎えてくださり、いろいろ説明を受けた。
 
間取りは、こんな感じである。かなり広い家である。
  
上の石は風水の石らしく、これを基に家を建てたのだという。
  
左上が男性用&冠婚葬祭用の入口。男性は真正面の目隠し(沖縄では“ひんぷん”と呼ばれる)を左折して入り、冠婚葬祭のときは普段はふさいでいる柵を開けて入る。一方、右上は女性用。位置的に、母屋からは下座に当たる。
  
9畳の一番座(左上)と奥の間(右上)。しっかり風通しが効いている。ここでくつろいだら、さぞかしl気持ちいいだろうな。
  
離れ(物置、左上)と、そのそばにある井戸(右上)。周囲を囲む緑はフクギ。樹木が強く防風林の役目を果たす一方、幸運なる“福木”の意味合いも持つ。
  
豚小屋(“ウワフール”と呼ばれる)の全体図とその中。
  
台所側と、その内部。
  
高倉&母屋から海を眺めた構図。
 
このあたりは高台になっているようで、見晴らしがいい。
  
島の歌にも歌われているという、巨大な琉球松「五枝の松」。
  
その裏にあった井戸「ウフガー」。日常的に使われていた井戸で、また“産川”ともいい、産湯にも使われたという。
  
左上の樹木は、何の名前もなかったが、気になってパシャリ。で、その先にあった「馬の角」なる看板。
  
「濱川家」にあるという馬の角。
  
ところが、家は閉めっきりで中に入れず。まさか、右上の置物の角がそれではあるまい(笑)。
  
路地を入っていき、巨大な墓を発見。こう見ると、周囲の緑とあいまって画になる。で、その先の「ヤジヤガマ」。
   
こんな洞窟があるとは初耳。階段を下りてみると、風葬の跡があった。
  
もっと奥にも入っていける感じだが、基本勇気と覇気ががないので、とば口であきらめておこう。
  
第1回の締めは、ミステリースポット「おばけ坂」。目の錯覚で坂のアップダウンが逆に見えるというオチである。
   
小さい説明板の下に、車輪が一つ。これを転がして試してみろ、というわけだ。
 
せっかく動画を撮ったのだが、私の力不足でアップできず、こんな写真でご勘弁を。車輪は写真の上へと転がっていきました。あとは、実際現地で試してみてくだされ。(第2回につづく)


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